蛸の見た夢   作:藤猫

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めちゃくちゃお久しぶりになりました。
ジェラートとソルベの話です、難産でした。
オリキャラが出張っております。

また、近いうちにネタにしていた話を投稿しようと思っております。


破滅を呼ぶ女

 

 

新しく、自分たちの上司になるという女の話を聞いて、ソルベはさほど関心を持たなかった。どんな上司になろうと、結局のところ待遇などは変わらないのだろうと。

ただ、その上司というのがポルポであると知ったとき、当たりを引いたと小躍りしたくなったのも事実だ。

ポルポの金払いの良さは組織の中で有名であった。

周りの皆はあまりにも頼りない女に不満そうであったが、次の仕事の報酬の欄を見た瞬間にガッツポーズをしたくなったほどだ。

ジェラートもまた、自分たちの取り分に喜んでいたが彼としては新しく上司になったというポルポに対して興味をそそられていたようだった。

 

「なあ、どんな奴だと思う?」

「さあな。」

 

共同で借りている家の中、コーヒーを入れていたソルベにジェラートは楽しそうに話しかけてきた。

ソファでだらける彼にソルベとしてはそう言うしかなかった。自分にとっては金払いのいいことは重要であって、特別ポルポというそれがどんな存在であるか興味は無かった。

が、他人の秘密にしていることを暴くことを趣味にしているジェラートにとって、若い女で特別なスタンド能力を持っていること以外に何もわからないポルポは大変興味をそそる存在だった。

 

「あまり勝手なことはするなよ。」

「わかってるって。」

 

彼の言葉にジェラートはひらりと手を振った。

 

 

(まあ、少し探るぐらいはいいよな?)

 

ソルベに釘を刺されたからといってそれで諦めるほど単純な性格をジェラートはしていなかった。元より、確かにボスの存在を探ることは禁止されていても、幹部の存在を探ることは禁止されていなかった。何よりも、相手は自分たちの上司なのだ。

少しぐらいはいいだろうと思っていた。

が、ジェラート自ら動く前にポルポからの呼び出しがかかることとなった。

 

 

 

 

「・・・・ご足労をかけてしまいましたね。」

「いやいや、そんなことはないっすよ。わざわざ俺たちに会ってくれるなんて光栄だ。」

 

ジェラートは明るくそう言いながら、目の前の女のことを値踏みした。

女は、己たちの上司だというそれは、あまりにも威厳というものを欠いていた。

二人は現在、ポルポがよく使っているホテルの一室に呼び出されていた。二人が通されたそこは、カーテンが引かれてひどく薄暗い。薄闇の中、部屋の奥に座った女が二人を出迎えた。

仕立ての良いスーツを着ていると、金に汚いソルベは察したがはっきり言って似合っていない。

痩せ細った貧相なそれにかけられた黒いコートはまるで重しのように女の肩にのしかかっていた。

 

「それで、俺たちに頼みたいことっていうのは?」

 

ジェラートは人好きのする笑みを浮かべた。それに対してポルポは弱々しくあるものの穏やかに微笑みかえした。

なかなかよいつかみが出来たとジェラートはほくそ笑む。ジェラートとソルベはポルポとの顔合わせが遅れてしまった。

それは偏に、ポルポが彼らの上司として決まった折に彼らがある仕事を任されていたせいだ。

ポルポはそれを優先させ、暗殺者チームの中でも顔合わせが遅れてしまった。それを、ソルベは律儀が過ぎると呆れてしまいそうになった。

普通、わざわざ幹部クラスがいちいち新しく部下になった存在と顔を合わせることなど殆どない。

その理由として、彼女が暗殺人チームの人間を自分の側近として望んでいることがあげられるのだろうが。

 

(さて、それは何でだ?)

 

ジェラートはにこにこと笑いながら目の前の女を見た。

ジェラートはもちろん、目の前のそれが己の上司となったことを喜んでいた。そうして、幹部直属の、おまけに側近として扱われるなんて大出世をうれしがっていた。

そうして、同時に疑ってもいた。

暗殺人チームのプロシュートが彼女の腹心であるカラマーロの子飼であったことも、リーダーであるリゾットが以前からポルポの気に入りであったことも、知っている。

けれど、だからといってポルポが自分たちを側近にまで取り立てるには弱すぎる気がする。

ジェラートとて、自分たちにそれなりの能力や実力があると自負している。けれど、わざわざ求められるような力であるかと言われれば違うだろう。

 

スタンド使いにとって、普通の人間を殺すのなんて簡単だ。

 

それ故に自分たち暗殺人チームは組織の中で下に見られていた。そんなことはスタンド使いならば大抵できることだからだ。

暗殺人チームにおいて、殆どのメンバーは人を殺す以外に能力の使い道が難しい。汎用性があるのはホルマジオぐらいだろう。

言っては何だが、武闘派の自分たちが幾人いても使い勝手というものは悪いはずだ。

全員が愚直すぎる気がある。商売人として才覚を持っているポルポにとっては有用な手駒とは言えない。

 

「いいえ。今のところは、ないんですが。ただ、あなたたちにはまだ挨拶をしていなかったので。」

 

あはははと苦笑した女は、疲労が色濃く出た顔で自分たちを見た。ジェラートはそれに初めて女の瞳をのぞき込んだ。

それに、ジェラートは吐き気がするような気持ち悪さを覚えた。

それと会ったことなんてこれが初めてだ。話したことはない、自分はただ、暗殺人チームの一人でしかない。

なのに、その瞳には、確かな信頼があった。まるで、幼い子どもが親を見つめるときのような、絶対的な信頼があった。

ジェラートはそれが、心底気持ちが悪かった。

 

 

 

「ポルポォ?」

「そうそう、ギアッチョは俺より先に会ったんだろう?」

 

ジェラートとソルベはその日、アジトに待機していた。特別用があるというわけではなかったが、アジトに行けば誰かしらがいると踏んでのことだった。

予想通り、アジトには年少組がいて、暢気にゲームをしていた。

ポルポが整えたせいか、アジトの居心地は非常によくなっている。そのために入り浸る存在は多い。

ジェラートはソファに座り、テレビの前を陣取っている年少組に問うた。

ギアッチョ、メローネ、イル-ゾォ、そうしてペッシ。

四人は、特にギアッチョはジェラートの言葉にうろんな眼をした。

 

「おい、ジェラート。てめえ、あいつに下手なちょっかいかけんなよ。」

 

ジェラートはその言葉に面をくらう。

ギアッチョは言っては何だが、チームの中でも情というものを抱えてしまう性格だ。けれど、そのために非常に警戒心は強い。リゾットに対する忠誠染みた敬意もあるためチームに入っても馴染むのには時間がかかった。

が、その懐ききった言葉にジェラートは内心で呆れた。その心情を察したのか、ギアッチョはギャンと吠えた。

 

「ちげえよ!あいつに何かあったら、プロシュートから八つ当たりが来るかもしれねえだろうが!」

「そうそう、ただでさえストレス過多なんだから。下手に倒れられたら俺たちだって困るだろ?」

「・・・・ちょっかいかけてカラマーロにどつかれるのに賭けるやついるか?」

「やめたほうが良いと思うけど。」

 

三者三様に、けれど、皆が彼女に下手なことをするなと釘を刺してきた。

それがジェラートには面白くない。互いに理解し合っているなどと、お世辞にも言えない。けれど、互いに、ただの小娘が己の上司になっていることを面白く思っていないとは思っていたのだ。

 

「へえ、お前らやけにあの女に肩入れするんだな。ベッドにでも誘われたのか?」

 

皮肉気な言葉に、近くに佇んでいたソルベは意外な気分でそれを聞いていた。人との交渉を得意とする彼にしてはひどく早計な行動のように感じた。ジェラートの言葉に、四人とも心底呆れた顔をした。

 

「あいつがんな器用なことできるかよ。」

「家に呼ばれたらお茶振る舞うのが関の山じゃない?」

「好みじゃねえ。」

「兄貴の前でそれ、絶対言わないでくれよ・・・・・」

 

四人はあまりにも考えられないことを言われて、それぞれが呆れてそう言うだけだった。

ジェラートの不満そうなそれにギアッチョは吐き捨てるように言った。

 

「おい、ジェラート。てめえがあいつのことをどう思っていようと自由だが。下手なことをするなよ。」

氷漬けになりたくなきゃあな。

 

そう言った、少年の瞳。それは、確かな怒りがあった。

ああ、それは、なんて。

ポルポが自分に向ける、信頼に満ちた眼に似ている気がして、気持ちが悪くて仕方が無かった。

 

 

 

(・・・・大丈夫か?)

 

ソルベは隣にいるジェラートを見た。その日、ポルポから呼び出しがあり、二人で向かっていた。

けれど、ソルベはジェラートの苛立ちが気になっていた。表面的にはいつも通りではあるけれど、確かな苛立ちを長い付き合いであるソルベは感じていた。

ソルベにはジェラートの苛立ちがよくわからなかった。ソルベにとって、金払いが重要で、そんなにも腹立たしいのなら関わらなければいい。

任務はリゾットから下ろされるし、武闘派では無い自分たちは護衛に選ばれることも無い。適度な距離を取ろうと思えば取れるのだ。

けれど、ジェラートはそうではなかったらしい。

ソルベは女のことを思い出した。痩せた体、弱々しい淡い笑み。気弱な性質。

気になるというならば気にはなる。こんな弱々しい生き物がどうやってこの世界で生きてきたのだろうかと。そんな疑問が浮かぶ程度の、そんな生き物。

ああ、でもと、ぼんやりと思う。

それと初めて会ったとき。

ソルベは、本当に、何となしに感じた。

ああ、これは、確かに善性足る、善き生き物である。

 

(どうでもいいか。)

 

きっと、自分たちには関係ない。何もかもが関係ない。それと自分たちはきっと、世界でもっとも遠い生き物だと思ったから。

 

 

 

 

「ご足労、ありがとうございます。」

 

以前訪れたホテルの、薄暗い一室。彼女は変わらず弱々しい笑みを浮かべていた。

くすくすと聞こえてくる声を振り切ってジェラートはにこやかに言った。

 

「いいや、あんたのためならどこへだって駆けつけるさ。」

 

朗らかなその声に、ポルポはやはり引きつるような笑みを浮かべた。けれど、その目には信頼がある。

ジェラートは、それ故に、余計にその女への苛立ちと好奇心をくすぐられる。

その女の本質とは、なんなのか。

己の本心に気づくからこそその苦笑なのか、それとも、信じているからこその瞳なのか。どちらでもあるのか。

ソルベはジェラートの様子に呆れた顔をした。何がそこまでその女への憎悪を湧かせるのか。

ソルベは目の前の女を見た。以前見た時と同じように、その女は優しげに見えた。偽りだとか、含むものなどなく、ただ、ただ、善人であるのだろうとソルベは目を細めた。

まるで、まばゆいものを見るように。

 

「申し訳ありません。今日はあなたたちにお使いを頼みたいのです。」

「お使い?」

 

それに薄暗い部屋の中でずるりとポルポの影から何かが出てきた。それは、聞いていた、ポルポのスタンドのブラック・サバスだった。

それはするりと彼らに封筒を渡した。

 

ポルポの願いは簡潔で、その封筒をとある孤児院の院長に渡すことだった。

提示された報酬は破格で、ソルベはほくほくとした。金払いが良い。それだけでソルベにとって女を気に入るには十分だった。

ジェラートはそれにいくつかのパターンを考える。それほどまでの報酬が出るというのだ。

ならば、孤児院であることを考えて子どもの売買についてだろうか、ポルポの性格からしてないかもしれない。

ポルポが自腹で孤児院を経営しているのは有名な話だ。おまけに、自分たちで殺した派閥の残った子どもをわざわざ生かしているのだから狂っているだろう。

狂っている、そうだ、そうなのだ。

普段のジェラートならばそれを気に入るはずなのだ。それ以上に楽しいものなどないと熱狂するのだ。

なのに、なぜ、自分はこんなにも醒めているのだろうか。

 

「あと、もう一つ、お願いが。」

「なんだ?」

 

それにポルポはやはり苦笑交じりに口を開いた。

 

「もしも、孤児院の子どもたちで私宛だというものがあれば、私に渡してください。」

「なんでもか?」

「ええ、どんな形、どんなものでも。」

頼みますね。

 

ポルポはそう言って、穏やかに微笑んだ。

 

 

 

言われてやってきた孤児院は、言っては何だがジェラートたちの家よりもずっと上等なものだった。

豪勢な屋敷を建て直したのだろう、孤児院は庭に至るまで綺麗に整えられていた。きちんとした業者に頼んでいるのだろう、花に彩られた庭は傍目に見ても見事なものだった。

ソルベはそんなところに金をかけていることに呆れた。

孤児院の扉を叩くと、きいと扉が開いた。

 

「・・・誰?」

 

顔を出したのは、赤毛に翠の瞳をした少年だった。ただ、彼の左目は眼帯によって覆われていた。

孤児院から出てくるには物々しい様相にジェラートとソルベがいささか面を喰らう。少年は二人の姿に合点がいったのか頷いた。

 

「ポルポの使いだろ。入りなよ。」

「お前、そんな簡単に入れて良いのか?」

 

ジェラートの言葉に少年は呆れた顔をした。

 

「ここがポルポの持ち物だって知らない奴はいない。それに、知らずにここを襲いに来たのなら、抵抗するだけ無駄だろ。」

 

少年はそう吐き捨てたあと、院長の下に案内すると歩き出した。二人はそれに生意気だと感じながらついていく。

見れば、少年は怪我をしているのか所々腕に包帯を巻いていた。

入った孤児院は、感想というと上等なものだということだった。全体的に華美な家具などは置かれていなかったが、それ相応のものが置かれていた。ただ、隅の方に埃が溜まっていたりと、荒んだ空気は感じ取れた。

 

 

通された部屋で待っていた男はジェラートたちの来訪を知らなかったらしく、慌てて駆け寄ってきた。

初老の男性はいかにもというような人のよさそうな様相をしていた。

 

「ポルポ様の使いの方ですか?」

 

それに頷けば、男は赤毛の少年を睨んだ。

 

「レオナルド、お客様が来たのならすぐに伝えるようにと言っただろう!?」

「さあ、忘れた。」

 

レオナルドはそう吐き捨ててまた部屋をさっさと出て行く。

 

「生意気だねえ。」

「まあ、難しい年頃なので・・・・」

 

院長はそう言って困ったように眉をしかめた。ジェラートは男をちらりと見た。

 

「そう言えば、他の子は?」

「は?」

「さっきの奴以外、子どもを見かけないからさ。ポルポから様子を見てこいって言われてるし。」

「あ、ああ。皆、学校に行っていますよ。」

「さっきの、レオナルドは?」

「あれは、お恥ずかしい話、学校で問題を起こしてしまいまして。」

「・・・ふうん?」

 

ジェラートはそれに楽しそうに微笑んで、機嫌のよさそうな笑みを浮かべた。

 

「よかったのか?」

「なにが?」

 

ソルベはさっさと封筒を院長に渡し、屋敷の廊下を歩くジェラートに問うた。彼の事前の様子からして何かしら仕掛けると思っていたためだった。

 

「うーん、いや、それよりも気になることが・・・」

「なあ。」

 

廊下の向こうから聞こえたそれに二人は、特にジェラートは待ってましたとばかりに振り返った。そこには不機嫌そうな顔のレオナルドがいた。

 

「これ、ポルポに渡してくれ。」

 

そう言って差し出されたのは、やはり、大きめの封筒で、中身はそこそこ入っているのかなかなかに重い。

 

「報酬は?」

 

ソルベは気まぐれにそう言った。それにレオナルドは彼の方を睨んだ。

 

「ポルポにもらえよ。どうせ、こっちが本命なんだから。」

 

そういって駆けだしていく少年の後ろ姿と、その言葉にソルベはちらりとジェラートを見た。彼はそれに、楽しそうに笑っていた。

 

 

「ご苦労様でした。報酬は後日、振り込ませていただきます。」

 

ホテルにやってきた二人にポルポはそう言った。それにジェラートはにこにこ笑顔でレオナルドから渡された封筒を振ってみせた。それにブラック・サバスがふらりと現れ、受け取る。

ポルポはそれを受け取った。

部屋から出される可能性もあったが、それはないだろうとジェラートは考えていた。

案の定、ポルポはその封筒を開け、そうして読み込んだ。その後、頭痛をこらえるようにため息を吐いた。

 

「どうかしたか?」

「・・・・封筒の中身はもう見られたのでしょう?」

 

それにジェラートは笑みを深くした。

ジェラートはその封筒の中身を見て自分たちが何故、孤児院に行かされたのか理解した。

 

「院長の様子も見てきた様子ですし。」

 

ジェラートのスタンド、パラナイドは数メートルの範囲に限定されるが他人の五感を受け取ることが出来る。

帰った振りをした後、ジェラートは男の視界、そうして聴覚を介してあらかたのことは把握していた。

そうして、彼はレオナルドの渡してきた封筒の中身もすでに把握していた。

それは、院長の行っていた横領の裏帳簿の写しであった。

 

(さて、次は何をするんだ?)

 

ジェラートはこの次の行動でポルポというそれの本性がわかるのだとわくわくした。

だって、その女が本当に善性を仮に持っているというならば、わざわざジェラートたちを使わなくても良いはずだ。

レオナルド、そうして、孤児院の子どもたち。彼らの行動をまっている時点で、彼女はけして彼らを助けるだけの存在では無い。

 

ならば、あの孤児院はなんなのだろうか。

不正を行う院長の存在をポルポは知っていた。そうでなければ、何故、子どもたちからアクションがあると知っていたのか。

何よりも、レオナルドが渡してきた証拠は大人が用意したと言っても納得できるような内容だった。

 

(・・・将来、戦力になりそうな存在を育てている、とか。なら、あの子どもを連れてこい、とでも言うのか?)

 

想像できるそれらにジェラートはわくわくしていた。けれど、ポルポはゆっくりと立ちあがった。

 

「二人とも、申し訳ありません。少し、ついてきてくれますか?」

 

ポルポの予想外の言葉にジェラートは眼の端を震わせた。

 

 

以前と同じように孤児院の扉を叩いた。そうすれば、現れたのは赤毛の、生意気そうな少年。

彼はポルポの姿に驚愕の顔をした。ポルポは玄関先、その高価なスーツが汚れることも構わずに子どもに目線を合わせた。

 

「レオ。」

 

彼女は穏やかに少年の名前を呼んだ。そうして、そっと手を差し出す。少年は一瞬だけ、誘われるようにポルポの方に体を寄せた。けれど、まるで振り払うように子どもはポルポから後ずさった。

 

日の当たらない暗がりまで下がった少年はそっと院長のいるであろう方向を指さした。

 

「あんたの獲物はあっちだ。追い込みはかけたんだ。しくじるなよ。」

 

それにポルポは苦笑して、立ち上がった。

 

「そうですね。それでは、また。」

 

ポルポはそのまま院長の部屋に足を向けた。

 

 

ソルベはそのままポルポの後ろ頭を見た。自分よりも背が低いためつむじまで見える。その後ろ姿はどこまでも弱々しい。ソルベがナイフの一つでも振ってしまえば、その場に崩れ落ちるような生き物。

けれど、現状をソルベは把握できなかった。何が起こっているのか、しっかりと把握できていなかった。ちらりと、ジェラートを見る。

彼はいつも通り愛想の良い笑みを浮かべていたが、あまりしない、人を値踏みする冴え冴えとした視線でポルポを見ていた。

ソルベはどうしたものかと考える。何よりも、護衛として自分たちを選ぶことなどあり得ない。

身体的、というよりは物理的な力量で言えばソルベが確かにチームの中では上位だが、彼のイントゥ・ザ・ヴォイドの能力は変身だ。相手の遺伝子を取り込むことで姿を模倣できるそれは、お世辞にも戦闘向きでは無い。

何よりも、ソルベはここに来る前に言われた言葉を思い出す。

 

お二人とも、イカサマの準備をしておいてください。

 

 

きいと、院長室を不躾にポルポは開けた。院長は一瞬、怒りの表情を浮かべたが、ポルポの顔に顔を強ばらせた。

ポルポは、彼女の性格として珍しいことに無言で部屋に入った。そうして、部屋の真ん中に置かれた応接用のソファに座った。足を組んで、彼女は穏やかに微笑んだ。

 

「どうされましたか?」

 

ソルベはそれに驚いた顔をしそうになる。彼女が出すにはあまりにも冷酷な印象を受ける声だった。それに院長は慌てて彼女の座るソファのそばに侍った。

 

「も、申し訳ありません!突然の来訪に驚いてしまいまして・・・・」

「おや、そうですか?来訪する理由ならば両手に余るほどにあるはずでは?」

 

院長はそれに少しだけ顔を強ばらせたが、明らかに顔色を変えるなどの失態は演じなかった。

ソルベとジェラートは扉近くの壁に体を預けて事の顛末を眺める。

 

「二日前。」

「は?」

 

ポルポは気だるそうに肘を突き、淡々と何故か日付を唱えていく。それに院長は何かに気づいたのか、目を見開いた。

 

「そうです、わかっておいでですよね。あなたが、私の傘下のカジノに出入りした日付です。」

 

だん!

ポルポは目の前の机に脚をたたき付けた。ポルポは堅いショートブーツを履いていたせいか、乾いた、大きな音が部屋に響く。

ポルポはゆるりと匂い立つような艶やかな笑みを浮かべてソファに体を預けた。

 

「私、驚いているんですよ。だって、あなたには相応の支払いはしていますが。ですが、あんなにも負け越しても補完できるほどのものは与えていないんですがねえ。」

「・・・別の、カジノで勝ちまして。」

 

ばりん!!

 

部屋の窓硝子が割れた。ソルベの眼には、影に隠れたブラック・サバスの姿が見えた。院長はがたがたと震えた。それに、ポルポはゆっくりと目を細めた。

 

「スィニョーレ、賭けをしませんか?」

「は?」

 

唐突なその言葉に院長は目を見開いた。ポルポは机から脚を下ろし、そうして、いつの間にか用意したトランプを見せた。

 

「これでもカジノを任せられている身です。賭けはそこそこ好きなんです。暇つぶしにも、そうして、度胸試しにもちょうどいいでしょう?勝負はシンプルにポーカーで。ああ、二人では寂しいですねえ。ジェラート、ソルベ、付き合ってください。」

 

それに二人は素直にソファに座り、ゲームに参加する意思を見せた。指示通りの二人に、ポルポは院長にトランプを渡した。

 

「そうですね。チップは、あなたの手足で、どうですか?」

 

明らかに強ばった院長のそれにポルポは笑みを深くした。普段の、日だまりのような笑みなどそこにはなく、ただ、ただ、魔物のように妖しい笑みで院長に微笑んだ。

 

「あなたが負けたら、あとで手足を一本ずつ切り落としましょう。二人が勝てば引き分け。もしも、あなたが一度でも勝てば。今回のことは水に流して差し上げましょう。トランプは、あなたが配って構いません。」

チャンスは四回、どうでしょうか?

 

ソルベはそれに院長の考えが手に取るようにわかった。

話からして、男はこの院の金を横領か何かしていたのだろう。

ここで賭けをしても負ける可能性が高い。一対三での賭けなど八百長が良いところだ。ただ、賭けに相当のめり込んでいるのならイカサマの腕もそこそこあるはずだ。

死ぬか、生きるか。

男の選択肢など、決まっている。

 

「左足を、かけます。」

「気っぷの良い殿方は好きですよ?」

 

にっこり、女は微笑んだ。

 

 

賭けが始まれば、ソルベとジェラートは淡々と指示された通りに済ませる。少しの間、ブラック・サバスによって伝えられる院長の手札にあわせて賭けていく。

その間、ポルポはのんびりと話し続ける。

 

おや、負けてしまいましたね。

スィニョーレも振るいませんねえ。

そう言えば、以前もポーカーで負けていたそうで。

そうそう、その時、親しくされていた方がいたとか。ああ、私のことを敵視している方でしたね。

楽しそうでしたね。

何を話されていたんでしょうか?

そうだ、その方、この頃私のカジノに通われて、スタッフと仲良くされていたそうで。

私のことを聞いていかれるそうなんです。スタッフの子に言われてしまったんですよ、ボスも隅に置けないなんて。

 

なぶるような話をしながらポルポはポーカーを続ける。

ソルベはそれを横目に見た。

ポルポの今していることは、別段えげつないというわけではない。話の持っていき方も、なぶり方も普通だ。

けれど、男には十分な効果をもたらしていた。

 

ポルポは基本的に誰に対しても温和だ。未だ、そこまでの付き合いが無い二人も丁寧な態度を取られている。二人はそれに呆れていたが、現状を見るとあれも悪い手ではないのではないかと思う。

温和な、善良な人間。そのイメージが先行するからこそ、今の彼女を忌避する。

冷たい瞳、氷のような微笑み、毒を持った声音。

化けの皮が剥がれたような、それ。自分の見ていたもの、侮っていたものが正しく、悪として生きるものであったという理解。

その落差が、人に動揺と恐怖を植え付ける。

 

ソルベはちらりと彼女を見た。カジノの経営をしているというのだから、それ相応に見事なイカサマをするのかと思ったが、なんてことはない。

彼女の手札は殆ど、ブラック・サバスによって調整されている。暗闇から出るそれは瞬きの内に、彼女の手札をいじっていく。

確かに見事な手腕であるが、ソルベの期待したものではない。

そうして、院長が最後の右手を賭けたときのこと。

耳元で声がした。

 

(次の勝負は負けろ。)

 

それに従い、ソルベは自分の手札を整えた。院長はおそらく、最高の手札を用意できたのだろう。

向かいに座ったジェラートは口を動かした。その動きで、ソルベは院長の手札がフルハウスであることを理解した。

そうはいっても、ポルポにはブラック・サバスがついている。

ならば、勝つ見込みはある。が、ソルベは目を見開いた。ブラック・サバスは部屋の隅でゆらゆらとふらついているだけで、ポルポを手助けしている様子は無い。

ポルポを見れば、彼女はイカサマなどする気も無いように手を足の上で組んでいる。

基本的にイカサマをする場合、手を隠す傾向にある。けれど、彼女は視界を遮ることも、意識をそらすこともしない。

ソルベは、賭けも散々した彼は理解する。

この馬鹿は、己の運だけで勝負で出ていることに。止めるか迷うが、ジェラートの視線に促されて事の顛末を見守った。

ポルポは手札を取り、それを眺めた。

院長は自分の手札を見せた。

 

「フルハウスです。」

 

院長もポルポのそれにイカサマをしていないことを覚ったのだろう。喜びを隠しきれない笑みでそういった。

ポルポはそれににっこりと微笑んで、机の上にそれを置く。カードが均等に置かれるように手で表面を撫でるようにスライドさせた。

 

「・・・・ポーカーは役が有利に動くように、カードを捨て、新しいものに変えることができますよね?」

 

唐突なそれに院長がポルポを見た。そうして、顎に手を添えた。

 

「あなたは自分が、どうして捨て札で無いなど思われるのでしょうね?」

 

院長のそれを見て、ポルポは端のカードに指を引っかけた。それに、ドミノのようにカードはひっくり返った。

それは、スペードの絵柄の、10、J、Q、K、そうして、エースのカード。

 

「ロ、ロイヤルフラッシュ!」

 

院長の驚きの声が響いた。ジェラートとソルベもまた声は出さなかったが、目を見開いた。

ポルポはだん、と机に手を突き、黒い髪の間からギラつく赤い瞳で院長を睨んだ。

 

「私を裏切ったその時点で、運から見放されたこと。それさえも分かりゃあしねえのか、てめえはよお?」

 

ドスのきいたその声に、ソルベは目の前の男の何かが折れたことを理解した。

 

 

 

元々、院長を務める男は就任して間もなかったそうだ。というのも、この孤児院の院長は長く続いたことは無い。

なぜならば、院長を任せられるのは、ポルポに敵意のある人間ばかりであるためだ。

 

「・・・なんだよ、あんたらまだいたのか?」

「あ、レオナルドだっけ?」

 

ジェラートとソルベは孤児院の庭で、院の子どもたちと戯れているポルポを見た。普段は、護衛としてプロシュートやリゾット、そうして圧倒的にクララが多いのだが。

院長について別働隊に連れて行かせた後、子どもが帰るのを待ちたいというポルポの希望によって止まっていた。

院長のことをカラマーロを通して呼んだ人間に連れて行かせた。そうして、その後、へなへなとその場に崩れ落ちた。

曰く、精一杯の演技であるそれは気力を使うらしい。

 

「お前らさ、ここにポルポの弱みがあるって噂をまいて、自分たちで餌になってるってまじ?」

「だとしたら、なんだよ。」

「いい忠誠心だな。」

 

ソルベの言葉にレオナルドは気にしたふうも無く二人を見た。

 

この孤児院は元々、ポルポの善意によって作られた。けれど、彼女がそこまで執着する孤児院には何かがあるのではないかと噂が立ち、彼女の敵の息のかかった存在が送り込まれることとなった。

彼らは子どもたちからそれらを聞き出すために虐待をする者、そうして、私欲を満たそうとするものなど様々だ。

ポルポはそれを否とした。止めろと叫んだ。けれど、孤児院にいた子どもたち自身が嫌がったのだ。

ポルポが最初に建てた孤児院、そこは彼女に敗れたギャングの一派の子どもや手ひどい扱いを受けたものが多く住む。

彼らにとって、自分たちに情を傾ける彼女の存在は得がたく、そうして、恩義を感じていたのだろう。

いくら止めようと、彼らは囮としてのあり方を貫いた。ポルポは好き勝手なことをして危険な目にあうぐらいならと、監視の行き届いた孤児院に加わった役目を黙認することとした。

 

「は!忠誠心?そんなもののために俺たちがこんなことをしてると思ってるのかよ。」

 

憎々しげなそれにソルベが口を開いた。

 

「まあ、ここは手放すのは惜しいか。お前たちの本来を考えるなら楽園みたいなものだろうしな。」

「・・・・なあ、あんたたちはここが楽園だとか、そんなことを思ってるのか?」

 

日陰の中の自分たち、日だまりで遊ぶ同胞たち、そうして、それに微笑む弱々しい女。

花の咲く庭、暖かな日の光。

その言葉に、ジェラートはああと頷いた。ソルベはなるほどと納得した。

その光景は確かに、見るものが見たのなら、楽園のように優しく映ったことだろう。

二人の反応に、レオナルドは嘲笑うように微笑んだ。

 

木陰の下、日陰の下、三人だけが佇む薄闇の中で、翠の瞳がぎらぎらと輝いた。

 

「違うのか?」

 

ジェラートは否の答えを期待して嬉々としてそう言った。ソルベは何も言わなかったが、遮る理由も無いと腕を組んで聞く態勢に入る。

その様子にレオナルドは呆れたようにため息を吐いた後、また、日だまりの光景を見た。

そうして、おもむろに、子どもの一人を指さした。

 

「・・・あいつは娼婦の娘で、本当なら今頃どっかの変態に売られてた。」

 

また、一人、指をさす。

 

「あっちはどっかのお偉いさんの愛人の子で、ここに来た当時はがりがりの傷だらけだった。」

 

レオナルドは一人、一人、指をさしていく。

 

あっちは親が酒浸り。

あれは家族全員死んで孤児に。

あいつは、確か、ギャングの下っ端で、仕事に失敗して死にかけた。

 

淡々と、淡々と、この国ではありふれた悲劇の下に産まれた子どもたちの話をした。ジェラートはそれにつまらなさそうな顔をする。予想に反して、それはひどく、退屈だった。

それにレオナルドは笑った。

 

「そうだ、つまらない話だろう。よくある話、つまらない話、悲劇にさえならないものばかりだ。」

 

なあ、知ってるか。

レオナルドはまた、笑った。

 

「昔、チャイニーズのやつに聞いたことがある。毒を持った生き物を一つの入れ物に入れる。そうして、最後に食い合いに生き残ったそれは、最高の毒を持つんだと。」

 

ここは蠱毒の壺なのさ。

 

そう言ったレオナルドの笑みは、ジェラートとソルベから表情を一瞬だけ奪った。

それほどまでに、禍々しい笑みだった、狂ったそれの笑みだった、そして、それ以上に、それは、何よりも、誰よりも穏やかな笑みだった。

狂っているとわかるのに、おぞましいと理解できるのに、その奥に佇んだ諦観はそれの笑みを全てを諦めた聖者のような優しさで覆っていた。

 

「あいつは俺たちをここに連れてきて、優しく言うのさ。ここでは、何の心配もしなくていい。食事も、教育も、そうだ、愛でさえも与えられる。大抵の奴は、それに満足する。援助を受けて学校に行く奴、普通の家庭に貰われていく奴、いろいろさ。でもな、それで忘れてたまるかって言う奴がいる。」

 

レオナルドはぼんやりと、虚ろな翠の瞳で、女と子どもの戯れを眺める。

 

いくら傷が癒えようと、それが痛んだ記憶は刻みつけられ。

いくら病が治ろうと、それに苦しんだ思いはなくならず。

いくら腹が膨れようと、飢えた心は満たされず。

いくら柔らかな眠りに包まれようが、眠れぬほどの不安は変わること無く。

いくら愛されようと、それが永遠で無いことを自分たちは知っている。

 

この世には善と悪がある。

善とは輝かしく美しいものであり、悪とは己なりの美学と生き方を持っていたとして。

それらから生じた世界で生きていくのは結局の話は苦しいことで。

 

この世には正しく愛がある。

それがどれほどまでに尊く優しいものであるとして、それを与えられず、得る方法も、与える方法も知らなければ存在自体は無意味である。

 

「一時期の安寧と愛だけでゆらぐような憎しみも、怒りも持っちゃいねえ。その程度でゆらぎ、忘れていく奴はここからさっさといなくなる。」

 

毒気が抜けた子どもがここを抜ける。けれど、この世を恨み、憎み、絶望した子どもの語る物語を飲み込み続け、それを薄れさせない子どもは確かに存在する。

 

ソルベはそれに少年をじっと見た。

少年の言葉が正しいのならここはまさしく蠱毒の壺だ。

ゆらぐことも無く、裏の社会で生きていくことを是とする子ども。殺意と怒りをたぎらせ、目的を選ばない、賢しく、健康な子ども。

それからの忠誠を得ることができれば。

 

ジェラートはゆっくりと目を細めた。

それは、なんて良き道具たり得るのだろうか。

 

「なら、お前はなんでここにいるんだ?」

 

それにレオナルドはちらりとジェラートを見た。好奇心に塗れたそれに呆れたようにため息を吐いた。

 

「なあ、あんたは人を殺したいと思ったことはあるか?」

 

世話話のような軽やかな言葉にジェラートははてりと首を傾げた。レオナルドは返答など気にした風も無く言葉を続けた。

 

「俺があの女に初めて会ったとき、ナイフを持って斬りかかったんだよ。それが、俺の初めて、心底、誰かを殺したいと思ったときのことだった。」

 

その言葉にジェラートはレオナルドという名前に思い至ることがあった。

数年前にポルポに反抗的な一派をリゾットたちが潰したことがあった。そうして、その復讐のために子どもが一人、ポルポに襲いかかったという話を。

 

(・・・秘密裏に処理したからな。身内しか知らねえ話だぞ。)

 

その子どもはジェラートの顔に全てを察したのか、皮肉げに微笑んだ。

 

「なあ、わかるか。家族が全員死んだ。殺そうと思ったさ。事実、そうした。ナイフをもって襲いかかった。もちろん、護衛の連中に掴まって、袋だたきにでもされるはずだった。」

 

それでもそうはならなかった。

なぜって、簡単な話だ。

 

ポルポがレオナルドを助けたからだ。

 

「なあ。わかるか。殺そうとした奴が、冷静に、俺に、ナイフで人を殺すのは難しいなんて言われる気持ちが。」

 

その時、ポルポはレオナルドの持っていたナイフを躊躇も無く掴んだ。そうして、流れ落ちる血の赤さを、レオナルドは今でも覚えている。

したたるそれ、白い肌を伝う、それ。

 

ナイフで人を殺すのは難しいんです。あなたのように腕力が無い子どもならとくに。例えば、胸は肋骨が邪魔をして内臓に到達できるかわかりません。腹は、一撃で倒すことが難しい。急所の首は、背が足りません。

 

「あいつ、俺に言ったんだ!私を殺したいのなら、殺せる技術と頭と、そうして、体になってから来いってさ!」

 

ああ、ああ!

これほどまでの屈辱はあるだろうか!これほどの哀れみはあるだろうか。

あれほどの、あれほどの。

愚かな慈悲など、あるだろうか。

 

「俺は忘れない。忘れることは無い。俺は俺の毒を薄れさせる気は無い。ここから行く先が地獄であろうとどうでもいい。」

 

それは、それは、ジェラートにとっては愉快で、ソルベにとっては物珍しい生き物で。

一言で言うのなら、感服したのだ。

ジェラートはゆっくりと腰をかがめ、少年と目を合わせた。

翠の瞳をした怪物は、じっとジェラートを見返した。

 

「なあ、お前。何故、それを願うんだ?言っちゃあ何だが、お前のそれは馬鹿の選択だ。誰だって、多かれ、少なかれ、この世を憎む。でもな、その憎しみをいつしか諦観の中に放り込む。」

 

ジェラートも、ソルベも、この世がどれほどに理不尽であるかなんて事。とっくの昔に知っている。

それ相応の地獄は見た。それ相応の愚かさを見た。それ相応の、この世への絶望なんて抱えている。

ジェラートはこの世への楽しみを見いだして生きている。ソルベは金というそれへ信頼を置き。

ジェラートは別段、この世全てに絶望しているわけでは無く、例えば、救いだとか、善性だとかがあることぐらいは理解している。ただ、それは自分にとっては遠くにあり、自分にとってそれは不要であった。

だからといって、死ぬ理由にはならなかった。そんなことを考えるぐらいなら、ジェラートは生きることを考えた。

それだけの話だ、それだけの、シンプルな話。

 

「・・・・なあ、あんたは考えたことが無かったか。」

もしも、もしも、自分が神様なら、こんな世界は作らなかったって。

 

ジェラートはにたりと微笑んだ。

 

「なんだよ、お前!神の認める善性を否定するために、正義につばを吐くために、悪党に成り下がるってのか!?」

 

それは、それは、なんて愚かな考えだろうか。それは、なんて、面白い思考なのだろうか。

 

「だったら、なんだよ。くそったれ。」

 

己を見る、翠の瞳。炎をたぎらせる、その瞳。それは、なんて面白いのだろうか。

 

「レオナルドー!」

 

のぞき込んだ瞳がそらされた。日の光の中で、女が手招きをしていた。それにレオナルドは少し考えた後に、さっさとジェラートの下から立ち去る。

 

レオナルドは、女の下に走ってきた。そうして、彼女は悲しそうに微笑んだ。

 

「・・・今回も、無理をしたようで。」

「だったらなんだよ。これからこういうことをしてくんだ。」

 

それにポルポは何も言わない。ただ、悲しそうに微笑んで、レオナルドの方に手を差し出した。そうして、そっと、彼女は頭を撫でた。

 

「・・・・名前を変えるのも、顔を変えるのも、あなたには選べるんですからね。」

 

その手は、その顔は、本当に優しくて。

ああ、わかるものか。わかって、たまるものか!

 

レオナルドがナイフを振り上げたとき、それは大柄な銀髪の男に止められた。引き離されるはずだった自分にポルポは近づいて、そうしてレオナルドの持っていたナイフの刃を躊躇も無く握り込んだ。

 

白い手から、血が流れた。赤い血、流されるのを期待していた、それ。

彼女は、自分が連れて行かれるその時、あろうことか自分を抱きしめたのだ。

 

「あなたが殺しに来るのを、待っていますから。」

 

細い指、白い手、少しだけかさついた手が、己の頬をこれ以上無いほどに撫でたのを、覚えている。

その、その、誰よりも優しい、笑みを、レオナルドは永遠に忘れることは無いだろう。

 

周りにいた子どもたちがレオナルドから奪うようにポルポの周りに纏わり付いて、そうして、それぞれが勝手に甘え始める。ポルポはそれに穏やかに微笑んで、受けいれた。

 

その光景を、レオナルドは笑った。笑える話だ。本当に。

その女こそが自分たちが、毒を飲み込み続ける蟲がここに残る理由だ。何があっても、女の有利な情報を集めるのは、子どもたちにとってそれだけが無償の愛を与えてくれたからだ。

 

(忘れるものか。)

 

あの日、自分に微笑んで、そうして身勝手な希望を遺して去って行く神様をレオナルドはいつか殺すのだ。

その約束を果すために。

そっと、眼帯の上から潰れてしまった眼を撫でた。あの日、痛み、無くしたそれを戒めるように。

 

 

「ふ、あはははははははははははあははははははは!!」

 

ポルポと子どもたちがその場を去った後、ジェラートはけたたましく笑い出した。ソルベはそれを横目に見て、どうした、と問うた。

それにジェラートは愉快でたまらないと腹を抱える。

 

ああ、だって、こんなにも愉快なことは無いだろう。

ああ、そうだ、ジェラートは確かに感服したのだ。

無意識に、無意味に、あんなにも幼い子どもに凶器を持たせ、破滅を導くその女に。

 

「ソルベ、見たか。俺たちの飼い主だ! あれが! あんなにも善良そうなくせに、あんなにも善性しか持っていないってのに、あんなにも罪をかかえているってのに! 人に破滅をもたらす、運命の女(ファム・ファタール)!」

 

ああ、楽しい。

あんな生き物を見たことが無い。あんなにも真摯なのに、あんなにも人を愛しているのに、あんなにも全うなのに、あんなにも、善き人であるのに。

あんなにもポルポは完璧な悪党ではないか!

人の人生を狂わせ、人の幸福を踏み潰し、人の光への道を壊していく。

 

「なあ、ソルベ!俺はあいつにならリードも持ち手も持たせても構わねえと思ってんだよ!」

 

もちろん、噛みつかないという保証などしないが。それを頭として立てることを悪くないと思っている。それは、どんなにも面白いのだろうと考えている自分がいる。その女の本性を、真実を暴きたいと思う自分がいる。

 

それにソルベはこくりと頷いた。

別段、ソルベは彼女のことにはさほど興味は無い。けれど、けれど、ソルベは女のなした、運によってだけ、引きずり出した最高の手札に震えた。

イカサマなどしていない、小手先の技術など女は弄していない。だが、あの女は、ただ、運だけでその場を掌握してしまった。

金にがめつい自負はある。だが、あの、女がなした圧倒的な引きの良さに震えた。

 

これから、自分たちが己をチップとして賭けるときが来たのなら、勝ち馬に乗りたい。それに対して、ポルポが最高の一手を選ぶという確信が持てた。

 

「・・・金払いもいいしな。」

「そうと決まったら、さっそく行くぞ!」

 

ジェラートはにこりと微笑んで、ポルポの後を追う。それを追いながら、ソルベは考える。

自分の身内がなぜ、そんなにもポルポを贔屓するのか、少しだけ理解が出来た気がした。

優しい女だ、穏やかな女だ、哀れな女だ。

けれど、院長であった男に浮かべた、あの怒り。

あの、赤い瞳に見つめられて、死ねと言われたその時、悪くないと思ってしまう自分が確かにいた。

 




ちなみにレオナルドの眼を潰したのは、リゾットになります。

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