ああ、と思った。
見ていると哀しくなった。話していると寂しくなった。
だから、どうか、と思った。
自分では救えないこの人がどうか報われることがありますようにと。
「おつかい、お疲れ様です。」
穏やかに微笑む女を見て、ペッシはどんな顔をしていいか分からなくなって、とりあえずと笑みを浮かべた。
ペッシは、産まれながらのスタンド使いである。
父親のことも母親のことも知らない。気づけばどこぞの路地裏で、群れた子どもの中で暮らしていた。
彼はそこまで際だったものは持たなかった。いいや、超能力なんてものがあるのだから、才はあったのだろう。
少年は臆病だった。臆病で、故に、彼は生き残れたのだろう。
釣り竿の形をした力を使い、こそ泥をして生きた。まるで、どこぞのネズミのように。
こそこそと、暗がりの中で生きた。
それは、不幸だとは思わなかった。
力があるだけ、まだ、ましな生活を送れていると理解できる程度の頭はあったからだろうか?
ただ、きっと。
暗がりの中でさえも堂々と歩けない自分を、情けなく思っていたのも事実だった。
そんなある日、ある日のことだ。
まるで、暗がりで燃える、焔のような男に会った。
くだらない話だ。
運が悪かったのだ。
ギャングの抗争に巻き込まれ、彼は逃げ遅れた。
(ちくしょおおおおおおおおお・・・・)
情けない話だ。釣り竿では、逃げることも出来ない、何も出来ない。
敵だと思われたのか、追いかけられて、力尽きそうだった。
「おい、見つけたぞ!」
「こっちだ!」
それに、ペッシはただ、情けなくてたまらなかった。
まるで本当の羽虫か、ネズミのようだった。人間ではないようじゃないか。
(なんだよ、結局、結局!)
ずっと暗がりの中で、こそこそと生きて。それで、こうやって。
そんなとき、ペッシは見たのだ。
金の髪をした、美しい男。それが、立って、目の前で。暗がりの中で、恐ろしいのに、まるで目映いまでに輝いているかのような男がいて。
それが自分を見る。
分かったはずなのだ。何せ、状況が状況なのに、そんなに堂々と立っていたのだ。それが、なんなのか。
なのに、ペッシは、無意識のように口を開いた。
「・・・・どうしたら、あんたみたいに、暗がりでも、昼間の中にいるみてえに立っていられるんだ?」
そんなことを思わず聞いてしまった。
「・・・ペッシ?」
「あ、はい!なん、ですか?」
取り繕うようにペッシが返事をすれば、女は穏やかな表情を浮かべる。
「お使い、ご苦労様です。リゾットに確かに受け取ったと伝えてください。」
「は、はい、分かりました。」
ペッシは緊張しつつ答えた。
上品な訛りのイタリア語はペッシが住んでいた地域では聞いたこともなく緊張する。
それに付け焼き刃の言葉遣いで、背筋を伸ばした。それに部屋の奥にいた女は静かに笑い、ペッシに手招きをする。
それに恐る恐る近づけば、女はそっと手を差し出す。それに同じように手を出すと、そこにはけして少なくない金額がのせられる。
「帰りに、お土産でも買って帰ってくださいね。」
そういって静かに微笑むそれは、けして、ギャングの幹部には見えなかった。
ペッシは、プロシュートに拾われた。その場にいた、ホルマジオに自分が預かるとそう言ってそのままとある場所に連れて行かれた。
そこは、人気がなく、広々とした建物でありながら、驚くほどに静まりかえっている。
プロシュートは淡々と、そうして堂々とやけに暗い廊下を歩いて行く。
そうして、とある部屋の前で立ち止まる。
「・・・・身なり正せ。」
「え?」
「正せ!」
ぴしゃりとそう言われ、ペッシはお世辞にも決まっていない服装の中でしわになっている部分だとかそういったものを正す。
プロシュートはそれを確認し、己の服を正して、ドアを叩いた。
それに扉の中から、本当にささやかな声が聞こえてくる。
「どうぞ。」
「失礼するぞ。」
意外に礼儀正しくそう挨拶してプロシュートは扉の中に入っていった。
部屋の中は暗い。カーテンがきっちりと閉められているせいだろうか。
暗いと言っても何も見えないというわけではなく、歩くことに支障はない。
「・・・プロシュート?どうかしたんですか?」
「頼みがあってな。」
ずかずかと部屋に入っていくプロシュートをペッシは慌てて追う。
部屋はとてもシンプルな内装で、重厚な、木で出来た机とそうして座り心地のよさそうなアンティーク調のソファが置かれている。
プロシュートは机の前に立ち、そこで何やら仕事をしていたらしい女に話しかける。
「それより、てめえいい加減、俺にそんな丁寧な対応するなって言ってるだろうが。」
「・・・くせ、のようなもので。」
「あのな、そんなんだから舐められるんだよ!前の、砕けた口調の方がまだましだったぞ?大体な・・・」
プロシュートの怒鳴り声にペッシは怯えて肩をふるわせる。女は困り果てたような顔をしてプロシュートを見つめている。
ペッシはなぜ自分がこんな所に連れてこられたのか分からずに困惑していると、突然、視界に何かが飛び出してくる。
「うわああああああああ!?」
驚きの声を上げたペッシの目の前には、何か、道化師、というのが一番近い姿の何かがいた。それは、まるで猫が足音を消すときのように姿勢を低くし、ペッシを値踏みするように歩く。
ぐるんと、不気味に首をひねりペッシのことをのぞき込む。そうして、やたらと聞き心地のいい声で叫ぶ。
「プロシュート!選択肢を与えるか!いいことだ!!何かを“選ぶ”ということは、命あるものに等しく訪れる苦難であり、快感であるのだから!」
高らかなそれにプロシュートは忌々しそうに顔をしかめ、ペッシを指さした。
「ポルポ、こいつは俺が育てる。スタンドも持ってる。許可をくれ。」
それにペッシはようやく席に着いていた女をようやくはっきりと見た。
真っ黒な長い髪、服の上からでも分かる痩せた体、優しそうという印象しか受けない平凡な顔立ち。
そうして、夕暮れのような、赤い瞳。
女は驚いたような顔をした後、少しだけ哀しそうな顔をした。
「そう、ですか。」
それは女にしては低く、男にしては高い、そんな不思議な声だった。
ペッシはプロシュートの元で働くこと、つまりはギャングになることを受入れた。
元より、半ばそういった立場同然であったし、何よりも。
「・・・あの現場にいた時点で始末付けなくちゃならなかったんだ。てめえはスタンド使いで、穏健派のポルポの部下の俺に見つかった。運の良さは上等だ。いや。」
プロシュートはゆっくりと目を細めて、そうして、何か、とても苦いのに清々しい笑みを浮かべた。
「・・・・俺に命乞いするには、一番の言葉を吐いたんだから、勘の良さも上等だな。」
その言葉の意味が、ペッシには分からない。問うても答えてくれそうにないから、黙り込むことしか出来なかった。
プロシュートの元では、ペッシはギャングにしてはあまりにも穏やかな日々を過ごしていた。
何せ、入ったばかりのトーシローに仕事など任せられないと、殆どプロシュートについているペッシにはなかなか自覚は育たないというのが大きいだろう。
といっても学ぶことは多い。
仕事をする上で、どこで情報を集めるのか、死体の消し方や逃げ方、証拠の消し方。
もちろんスタンドという、プロシュートの元で学んだ、不可思議な力を使うことはあれど能力はくじ引きのようで、且つ希少なためにそう頼ることはない。
基本的に人のやることなのだから細分化された職人たちの付き合いが大きいらしい。
仕事仲間はギャングらしく気性も荒く怖い人は多いが、それはそれとして今まであった粘着質な悪意をペッシに向けてこないためずいぶんとましな環境であった。
(・・・・でも、それは多分。)
殺し屋なんて荒くれ仕事をしている男たちは、そんなにも、殺し屋であれども奇妙なところで善性のようなものを保っていられるのは彼らを束ねる幹部、ポルポのおかげなのかもしれないとペッシはなんとなく察していた。
ポルポはとても不思議な女だった。
それこそ、ペッシは暗殺者チームに入って間もないためにポルポに会うことは殆どない。
彼女預かりの暗殺者チームの仕事は大きく分けて二つあり、ポルポの護衛などの側近の仕事と、殺しに関することだ。
ポルポの護衛や、あとは重要な物事のやりとりに人を出すときはリゾットやプロシュートが担っている部分もある。
が、時折、ポルポに届け物をするためにお使いを頼まれることがある。そんなとき彼女と会うことが出来るが、それも数度だ。
変な女。
それがペッシの素直な感想だった。
何せ、実力もあり、強いスタンドを持っている暗殺者チームをどうして御せているのか不思議なほどに女は、なんというか、舐められやすい性格だった。
物静かで控えめで、優しく、温和。
正直、気の強い女が多いこの国では絶滅して久しそうな性格の女だ。
けれど、暗殺者チームの人間達は一様にポルポに礼儀、というか、敬意を払う。
特に、ポルポのような優しいだけの人間を嫌いそうな面子も一様に彼女に対して礼儀をはらうのだ。
(・・・・カラマーロが怖い、のはあるけど。)
ある意味でこの国の女らしい、気性の荒い上司の女を思い出してペッシは背筋を震わせる。
一度会ったとき、そわついた自分を殴りたい。
下手に触れてはいけない女だった、非常に怖かった、無礼は働きません。
カラマーロにも、兄貴分にも上下関係を叩き込まれたペッシはぶるりと体を震わせた。
そんな恐ろしさを知るが故にペッシは余計に分からない。
どうして、カラマーロはもちろん、チームの人間達はその女を尊重するんだろうか?
「・・・兄貴、一つ聞いていいか?」
「あ、なんだよ?」
それは、とある日。用事からの帰り道、ペッシはずっと気になっていたことを口にした。怒られる可能性もあったが、プロシュートは激情家に見えて理性的であることは知っていた。
失言をしても、二度目でない限りは寛容であると知っていた。
「リーダーって、ポルポの色なの?」
その言葉にプロシュートは勢いよく振り返った。その顔にペッシは死を覚悟した。
それは、それは、まるで、禁忌にでも触れたかのような、壮絶で、そうして、憎悪さえ籠った目だった。
けれど、すぐにプロシュートはそんな顔をそぎ落とし、地面に視線を移した。
そうして、皮肉そうに、苦々しく、けれどまるで幼い子どもが叶わぬ夢に手を伸ばしているかのような、そんな寂しい顔をして。
そうして、顔を青くしたペッシから視線を逸らしてまた前へ足を進めた。
「・・・・・そうだったら、いいのにな。」
ペッシはただ後悔した。
ああ、傷つけた。
自分は、その、恩人で憧れで、彼にとって何よりもカッコイイ人を。
とても傷つけてしまった。
ポルポはよく笑うし、そうして、自分のような末端のことさえもとても気遣ってくれる。
「・・・・ペッシ、食事の後にはミルク系の飲み物は飲んではいけませんよ。」
「え、何でですか?」
ペッシはがちがちに緊張しながらそう言った。
ポルポはアジトにふらりとやってきて、食事を振る舞って以来ペッシとも接触する機会が多くなった。
(・・・何でだろ?)
といっても、護衛の末端に加えて貰うだとか、そんなものだったけれど。
その日は、本当に珍しく、ポルポの元にお使いに行ったときのことで。丁度昼時だからと、彼女は近くに食事に連れて行ってくれた。
そこでそんな言葉を聞いたわけだが。
「えっと、何でですか?」
「この国の食事は胃に重たいものが多いですからね。重たい飲み物を飲むと、満足していないと取られることがあるためですよ。」
「そ、そうなんですか。気をつけます。」
ポルポは食事に誘った時や、大きな集まりに連れていくとき、そう言って立ち振る舞いについて教えてくれた。
その場における立ち振る舞いや、ポルポと仲の悪い幹部連中の手駒の顔、嫌みを流す方法や礼儀作法など。
「・・・・あいつはそういうのが好きなんだよ。」
プロシュートはそう言って、けしてペッシが特別に気に入られているわけではないと釘を刺された。
だから、ある時、ペッシはポルポ自身に聞いてみたことがある。
「なんで、こんなこと直接教えてくれるんです?」
臆病な方のペッシが幹部であるポルポにそんなことを聞けたのは、偏に、彼女の性格を知っていたのと、後は端的に彼女を舐めている部分があったせいだろう。
何せ、ペッシにとってはポルポはやたらと尊敬している人たちから敬意を持たれているだけの、変な女で。
舐めた態度を取ろうとは思わないが、気安い態度を取ってしまうことにためらいがなかったのもある。
それに彼女は困ったような顔をして、少しだけ首を傾げる。
「・・・・君を連れてきたのはプロシュートですが。それでも、受入れると決めたのは私です。なら、私には君を一人前として育てる義務がある、というのが、一番でしょうか?」
「一人前。」
「ええ、人はその場その場にあった振る舞いをする人間を尊重します。私が教えたのは、まあ、上品な場にあったものです。君はすでに、荒っぽい態度は出来ていますからね。私も、プロシュートから荒っぽい仕草を学びましたからね。」
頑張ってくださいね。
そういう女はやっぱり変わっていた。
部下なんて使い潰してなんぼで、それでも這い上がってこれる人間だけを使えば良い。所詮、自分たちは日陰者で。
けれど、その女は違った。
それは、ペッシが彼女のお気に入りが連れてきた存在だから?
わからない、なにせ、その女はなかなかに、大抵の人間に平等な態度を取っていた。
彼女は、大抵の人間に優しかった。
孤児院なんてものを経営して、そこに住む子どもたちにもペッシと同じように礼儀を教えて。
自分の部下に当たるだろう男たちにもペッシと同じように食事を与えて気遣って。
借金を重ねた女たちにはできるだけ真っ当な仕事を紹介し、彼女たちの尊厳を守ろうとあがき。
矛盾している。
食い物にしている部分があるのに、その部分の中で、どうにかできないかと。
非情な面はある。
どうしようもない人間はいる。
あるときのことだ。あるとき、のこと。
ポルポが直接出なければいけない案件があった。というのも、ポルポの元から情報を持ち出した馬鹿がいたのだ。
ペッシは探索が出来るからと連れていかれ、見事にその愚か者たちを探し当てた。
裏切り者たちは当たり前のように死んだ。
人が死ぬところを見るのにはとっくに慣れたペッシはようやく終わったことにほっとして息をついたときだ。
ポルポは死んだそれらを、すでに肉塊でしかない存在をじっと見つめていた。見つめて、彼女はおもむろにそれらに手を伸ばした。
ペッシは気づいた。
顔に手を伸ばしたポルポは当たり前のように、その、見開かれた目を閉じてやろうとしているのだと。
けれど、その手は隣にいたリゾットに阻まれた。
彼女はリゾットのことを見上げて、困ったような顔をしていた。
それにリゾットは当たり前のようにポルポの腰を抱き、それらから引き離しながら口を開く。
「服の裾が汚れる。戻るぞ、体が冷える。」
丁度、外であったけれど、冷えるなんて気温ではない中リゾットは女の体を温めるようにさする。
それにポルポはちらりと、とても哀しそうな顔で死骸を見つめた後、こくりと頷いた。それにリゾットはちらりと自分たちの方を、チーム以外の人間達に指示を出した。
見せしめにするために、死骸はそのまま持って行かれた。
ポルポは優しい。優しいけれど、リゾットに向ける感情は何か違うように見えた。
ポルポは他人から、特に、プロシュートやカラマーロだとか、後はホルマジオを見つめるときなんだかひどく苦くて哀しい顔をする。
それがなんでかは分からない。けれど、とても、雨のにおいがする表情だった。
けれど、リゾットと話すとき、ポルポはとても晴れやかな顔をしていることが多かった。
それは、なんだか、弾んで、明るくて、朗らかで。
まるで、恋をしているような顔で、けれど、ペッシの知る恋をしている女たちの顔とは違って見えて。
だから、ペッシはプロシュートにそんなことを聞いたのだ。
けれど、それはポルポとリーダーがそう言った関係ならば自分たちにも旨みがあるのではないかという下心混じりの、それこそ冗談の類いで。
けれど、ペッシはプロシュートの顔を見て心底後悔した。
聞いてはいけないことだった。それが、どういう意味なのか分からなかったから。だから、黙り込むことしか出来なかった。
何をそんなに皆が惹かれてしまうのだろうか?
それが不思議で仕方がなかったけれど。ペッシはそれが何なのか聞いてはいけない気がして、誰にも問えないままだった。
けれど、あるとき、それがどうしてなのか分かってしまった。
ああ、この人はきっと何のためらいもなく、誰かのために死ぬのだろうと。
それは本当に珍しく、一人でポルポの散歩に付き合っていたときのことだ。
近くに、新しい店が出来たからと荷物持ちに付き合わされた。大量の菓子類を買い込んで、ポルポはコーヒーを入れようと笑っていて。
いつも通り、そのまま帰るとばかり思っていたのに。
それは突然のことだった。
車道を横目に歩いていたペッシたちの前を、路地裏から出て来た一人の女が横切った。金の髪をしたそれは勢いよく車道に飛び出していく。
その後、数人の男たちが追いかけているのか、がなり立てる声も同時に聞こえてくる。
そこで、スピードを出した車がやってくる。それにペッシはあ、と思う。
轢かれる、分かる、女に車が迫って。
そうして、ポルポが走り出した。
「ポルポ!?」
咄嗟の行動にペッシの反応は遅れる。掴めない、届かない。
ポルポはペッシの言葉なんて聞こえていないように、道路に飛び出して、女の腰を掴んで押し出す。
それに女は反対側の道に押し出されるがポルポは間に会わない。ペッシは咄嗟にスタンドを使い、彼女の服を引っかけてなんとか車を避けさせる。
よくよく見ればブラックサバスも彼女の足下の影から飛び出て突き飛ばしているのが分かっただろう。
ただ、ペッシにはそんな余裕なんてない。
スローモーションのように、ポルポが道に叩きつけられるのが見えた。
車がスピードを上げてそのまま突き進んでいく。ペッシは車を気にする余裕はなく、そのまま車道を突っ切り、ポルポの元に急いだ。
「おい、おい!ポルポ!」
ポルポはペッシのことなどお構いなしに、よろよろと倒れた女の元に近づいた。そうして、ポルポは当たり前のように女に微笑みかけた。
「怪我は、ありませんか?」
それにペッシは茫然とした。
ああ、この人は、この人自身の事なんてどうだっていいんだって。
がつんと、プロシュートがアジトの壁を靴で蹴り上げる。ペッシはびくりと体を震わせる。
怒っている。分かっている。プロシュートの顔はまるで能面のように無表情だった。
怒りを通り越した、そんな、ぎらぎらと光る瞳だけがまるで色が付いたように燃えている。
「・・・・・てめえには怒っちゃいねえ。」
嘘だと思ったし、事実だろう。
けれど、ペッシはその怒気に晒されることを怖れて黙り込む。
あの後、ペッシは女を追いかけてきた男たちを相手に、はしなかった。
どうも女に乱暴をしようとしていたらしい彼らは、暗がりの路地の中で、ブラックサバスに散々な八つ当たりを受けたらしい。
どうなったかは深くは知らない、知る必要がないとは言われた。いい目にはあっていないだろう。
そうして、助けたとはいえ、固い地面に落ちたポルポの安否を気にして病院に向かい、事情を上司であるプロシュートに報告した。
その怒りようはすさまじく、今のそれさえも、少し落ち着いてきた方なのだ。
ペッシは治療を終えたポルポのことを思い出す。病院にて打ち身と判断された彼女はそのまま自宅に送迎されることになった。
そうして、車が来るのを待つ間、ポルポを心配して飛んできたリゾットとカラマーロ、そうして、プロシュートに彼女はひどく詰られていた。
「何故、あんなことをした?」
けして声を荒げていないのに、びりびりとした怒気を孕んだリゾットや、怒鳴り散らすプロシュートと、そうして、黙り込んで声を震わせているカラマーロ。
彼らは一心にポルポを心配して、怒っていた。ポルポはとても申し訳なさそうな顔でそれを聞いていた。
三人は、聞いた。
何故、あんなことをしたのだと。
当たり前だ、あんな危険なことをしたのだ。ちょうど時間は昼時でブラックサバスの行動が制限されていたときに、あり得ないことをしたのだ。
ペッシはがくがくと震えながら、その怒りの矛先が自分に向かうことを怖れていた。
怖れていたのに、女の言葉に全てが飛んでいった。
「・・・・・・金の。」
「あ゛?」
「綺麗な、金髪で。」
昔の、カラマーロや、プロシュートを思い出してしまって。
「君たちが、目の前で、死んでしまう気がして。」
だから、咄嗟に体が動いたのだと。
ああ、ああ、ああ!
ペッシはそれに、気まずそうに下を向いたポルポがそんなことを言ったときカラマーロとプロシュートの浮かべた顔!
子どものような、心細くて、苦しそうで、今にも泣きわめいてしまいそうなその顔!
ああ、ああ、ああ!
なんて、残酷な女だろうか!
きっと、と。
ペッシはプロシュートのことを見つめて考える。
きっと、ポルポが、例えば誰にも対しても平等なだけの女だったらこんなにも苦しくなんてならないのだろう。
それはそういう生き物で、結局、誰のことも好きではない、博愛主義者でしかないと割り切ることさえ出来たのだろう。
けれど、ちがうのだと、ペッシは女をようやく理解してしまった。
女は、どうも、とてもプロシュートだとかカラマーロだとか、そうして暗殺者チームの人間達を愛しているのだ。
いいや、女は、孤児院の子どもたちのことも、部下の有象無象の男たちのことも、哀れな女たちのことも。
本当に、無邪気に愛してしまっていて。
そうして、愛した者に似ているからと、とても平凡な理由で誰かのためにためらいもなく走り出すことがある。
残酷な女だと切り捨ててしまえば楽だろう。
けれど、その、愛した者に似ているからと助けてしまういじらしさと、そこから透けて見える自分のためなら死んでも構わないと差出される命というそれへの愛は麻薬のように手放しがたい。
目をそらして逃げてしまえば、その人は自分ではない誰かのために死んでしまう。その残酷さが、とても、苦しくて、哀しくて、寂しくて。
優しいだけの、慈悲深いだけの人間ならば、どれだけ良かっただろうか?
そうであるならば、ああ、どれだけ。
それは、ただ、愛しい人がいなくなることが怖い、そうなって欲しくなくて足掻いてしまう、どこまでも、ただの人間で。
ただ、自分を愛しているだけの、人間で。
日陰の者のくせに、そんなことをしてしまう矛盾に満ちた人間で。
とても、残酷な女だった。
「・・・・・ねえ、ポルポ。」
それはあの日から、時間が経ち、その日、ペッシはお使いがてらようやく会えたその日、無意識のように口を開いていた。
彼女はペッシがおとがめを受けなかったことに安堵しつつ、珍しく、彼が付け焼き刃の敬語を忘れて開いた口にどうかしましたかと聞き返した。
きっと、聞きたいことは多くあったのに。
なのに、何故か、ペッシの口から飛び出したのは、一つだけ。
「ポルポは、リーダーのことが好き?」
まるで幼い子どもが聞くような言い方であったけれど、ペッシには他に言いようが無かった。ポルポはそれに驚いた顔をして、何かを口にしようとして、ペッシの顔を見て黙り込む。
ああ、と彼は思う。
きっと、自分がとても下手くそな顔をしているからだろうと理解して。
下手くそな、笑みを浮かべているんだろうと分かって。
それでも、そんなことしか聞けなかった。
それに彼女は、同じように、とても下手くそな笑みを浮かべて。なにかとても、心底申し訳なさそうな顔をして。
「・・・・好きですよ。とても。彼のことは、考えても苦しくないから。」
「・・・・カラマーロと、兄貴のことも?」
「ええ、好きですよ。とても、好き、ですよ?」
なだめるような優しい声で、そうして、ペッシにだって分かるのだ。
その言葉がけして嘘ではないなんて、そんなことは、わかっていて。きっと、今、ペッシが泣きそうなほど苦しんでいるのだと分かるから口に出してくれている。
だから、苦しい。
ペッシは、あの日。
プロシュートがそうだといいと、リゾットとポルポの話に、そう返事をした理由を理解した。
ああ、そうあってくれたらいいのに。
そんなにも愛したものがあるのなら、その女は、きっと咄嗟に走り出すことなんてなくなるだろうに!
優しい、情の深い女だから。きっと、そんなにも愛した存在があるのなら。
誰のことも選んで、平等に扱ってしまう女だから。唯一と認める存在があればきっと。
立ち止まってくれやしないかと、そう願って。
ペッシは理解する。
きっと、今まで、誰もその立場を手に入れられず。
ただ、リゾットだけが、女の中に何かを掴んで離さず、微かな未練を持たせているのだと分かっている。
ああ、だからかと。
ポルポを誰もよりも大事にして、愛して、敬意を抱いているカラマーロでさえもポルポの近くにできるだけリゾットを置こうとするのだろう。
その近しさと、奇妙な在り方は、どうかその感情がいっそのこと恋になってくれればと。
そんな、空しい祈りが鎮座していたのだとペッシは理解して。
(俺には、何も出来ない。)
その人の未練になることも、引き留めるに値する力も、ペッシはなにも持たないから。
だから、もう、何も出来ないのだと理解して。
それでも、ペッシは強がりを吐きたくなって口を開いた。
「なあ、ポルポ。待っててくれよ。」
俺さ、もっと強くなって、兄貴みたいに使える男になるからさ。そしたら、あんたが走り出す前に、あんたがしたいことを代わりにやってやるからさ!
だから、とペッシは口を開いた。
「・・・・置いていかないでくれよ。」
掠れた声に、ポルポはそっと立ち上がり、そうしてペッシの頭を撫でてくれた。
けれど、けして、彼女はそれにうんと言ってはくれなかった。
全て、嘘で、本当だった。
あの時、あの女を助けようと走り出したのは。
カラマーロやプロシュートと同じ金の髪で、ペッシとそう変わらないほどに若くて。
そうして、車にひかれてしまいそうで。
リゾットのことを思い出して。
だから、動いてしまった。それだけの話だった。
なあ、リーダー。
なんだ?
リーダーはポルポのことが好きか?
・・・・ガキじゃねえんだぞ。急にどうした。
いや、たださ。ただ、そうだったらいいのになって。
・・・・あいつの性格はそう変わらん。昔から、ああいう奴だ。俺に何かを求めれても動揺もないことはある。
・・・・だね。
ただ、強いて言うのなら。俺はあいつのものだ。
そっか。
ああ、そうだ。ポルポのやつがどう思っているのか、俺にはわからねえがな。