・王虎の月、7日
いつものように夜に樹海へ。最近見つけた、磁軸のすぐ近くからの近道を使って奥へ。凍った池を渡り、私たちはその広間にたどり着いた。
遺跡、みたいな場所だった。
不思議な柱のような構造物が立ち並ぶそこは、視界がさえぎられる場所が多くて見通しが悪い。
逆に言えば、仕掛けるには絶好の場所。
とりあえず、広間の中央に移動してみる。
相手は、――どうやら、素直に出てくるようにしたらしい。目の前に、ライシュッツが現れた。
「覚悟はできたか?」
さあね。
「ふん、とぼけおって。
まあよい。いずれにせよ、ここが貴様らの墓標だ」
後ろから、足音。
「あっという間だったわね。あなたたちと会って一月ほど、か。
こんなにできる相手とは思わなかったけど。どうせなら、あのタイミングで殺しておくべきだったのかしらね」
現れたアーテリンデは、酷薄な表情でそうつぶやいた。
……はさみうち、か。まあ、どうせ二対二なら同じことだけど。
「あの白い獣はいないのね。どこかに隠れてでもいるのかしら。
――まあ、いいけど。あれにとってあたしは天敵でしょうし、なにをしようと一撃で殺せる。いなくて正解ってところかしらね」
幽霊と死喰いか。たしかに相性は悪そうだ。
「まあ生きてても大差ないけどね。
さて、……語ることも尽きてるし、始めようか?」
ああ。
最初に動いたのは、……これは意外に思うかもしれないが、マイトだった。
全力でライシュッツに駆け寄り、銃の把で腕をぶん殴る。「な!?」あまりに突飛な奇襲に、ライシュッツは対応できなかったらしい。銃の片方を取り落とした。――お見事。これで対等だ。ついでに鬼力化で支援、したところで背後から強烈な怖気が。
「ほら、終わり」
振り向く、時間すらない。
視界が急激にブラックアウトし、身体の感覚がなくなる。
心だけがふらふらとさまよい、なにか巨大なものに捕まり、引きずり込まれる感覚。
――『喰われ』た。
一瞬で精神を取り込まれ、あとは相手にすりつぶされ、咀嚼され、魂を打ち砕かれて死に至る。
終わりだ。なにもできることすらない。このレベルの死喰い相手に、戦いを挑むなんてこと自体が無茶だったのだ。
GAME OVER
普通なら、ね。
だけどそんなことは予測済み。最初に出会ったときからわかっていた。こいつに正攻法で勝つのは、無理だ。
だから、搦め手を用意しないといけない。
わたしは準備していたそいつを、そっと、支配から解放してやる。――さあ、出番だよ坊主。暴れておいで。
「ぐ!?」
アーテリンデの声。
同時に、視界の中の黒い空間が、ぐらり、と傾く。
あたりにざわめく、食い残しみたいな雑霊のささやき。
「この、……おとなしく、」
がたがたがた、と視界が震える。
――こりゃ、凄い。この女、これに耐えられるのか。天才の類だな。
でも、無駄な努力だけどネ。
私はあたりの雑霊をけしかけ、力を与え、ついでに道を提示してやる。
暗闇の中、消化されるのを待つだけだった霊たちは、出口を求めて一斉に動き出し、そして。
「あ、こら、ひ……きゃあああ!?」
っと。帰還ー。ぐらっと倒れそうになった身体をあわてて足でふんばって支える。
直後、爆発みたいな霊気の大放出が身体を叩き、私は吹っ飛ばされた。――あいててて。恩知らずなやつらだな。せっかく解放してやったってのに。
立ち上がり、アーテリンデを見る。もはや圧倒的な力も消え失せた彼女は、ぎらぎらとした憎悪を隠すこともせず、こちらをにらみつけている。
「あなた――なにをしたのよ」
うかつだったなアーテリンデ。同じ呪法の使い手を自分の精神に呼び込むなんて、自殺行為だと思わなかったのか。
「同じ呪法。つまり、あなたも死喰いの呪詛を使ったってことなの?」
いんや。喰ってはいないよ。ただ取っておいて、こっそり放っただけ。
アレは、このあたりで一番大きかった象の魂さ。普通、そんなもの喰おうとすればでかすぎてこっちが参ってしまう。あんたはそれでも制御できる器ではあったみたいだがね、私が悪戯をする隙を作るには、十分だった。
「…………」
さあ、これで互角だぞアーテリンデ。
死喰いの加護はもはやなく、あんたはただの巫医に戻った。もうこれで負けは
――ってうわぁ! いきなり振ってきた剣をぎん、と受けて止める。うげげ、なにこの怪力。
「その程度で勝ったと思わないことね。
あたしの巫剣はあのひとの直伝。あなたに受けきれるかしら?」
言葉とともに繰り出される剣撃。うわーマジ怖い怖いマイト助けてー! と叫んだ直後、銃弾が私と彼女の間を縫って横の柱にぶち当たり、柱大爆発。構造物が倒れてきて壁を作った。……助かった。でもこれマイトじゃないよねたぶん。あいつにこんな技ないし、ライシュッツの流れ弾か。
とりあえずアーテリンデに一対一で対峙するのは無理だ。というわけでマイトの方を見ると、あいつは柱の影から影へ移動しながら相手を狙って銃を構えるが、すぐ下ろしてしまう。なにやってんだ撃て! と言ったら、
「こっちは弾込めるのに相手より時間がかかるんだ! 一発の誤射で勝負がついちまう!」
と怒声。馬鹿、そんな悠長にしてたらアーテリンデが追いついてきちまうっつーの。仕方ない、手本を見せてやるぜおりゃああああ、とライシュッツに突撃。シールドスマイトおおお、とパラディン気取って盾構えながら突進したら、いきなりその盾が大爆発して吹っ飛ばされた。うぎゃー! なんとか受け身を取りつつ立ち上がったが、盾が見るも無惨にぶっ壊れてしまった。南無。と、くぐもった叫び声。見ると、腕を狙撃されたライシュッツが、銃を取り落としてうめいていた。
――気配を感じて、残骸となった盾を見もせずに投げつける。こちらに斬りかかってきたアーテリンデが、意表を突かれてそれを思いっきり顔面に受けてのけぞった。ところを腕に蹴り。巫剣が地面を転がり、彼女の手の届かない場所へ行ってしまう。
……それで、決着だった。
「――殺さないつもりなの、あなたたち」
官憲には突き出すけどな。
まあ、冒険者同士の喧嘩だし、結果として死人は出なかったんだから、そんなにきついおとがめはないだろ。しばらく樹海入り禁止くらいはされると思うけど。
「ふん、甘いわね。
……十五階から上を目指した冒険者は、他にもいる。あたしたちが、誰も殺していないと思うのか」
あー、軽い処分で済ましたかったらその辺は公言しないようにな。
「…………」
どっちにしろ、同じだ。私たちは十六階に向かい、あんたたちの妄執を取り除いてやる。
「できるかしら。スキュレーは、強いわよ」
あー、べつに私たちがやらなくても同じだけど。今日は同時に大公宮に十五階への階段のありかを提出するし、そうなればすぐに強いやつらがやってきて、どうにかするだろう。あんたたちが樹海に入れないうちにね。
「……終わり、か」
そうだな。
まあ、このへんで楽になっとけ。どうせ、いつまでもは続かないよ。こんな無茶。
後は、最後までエスバットの二人は無言だった。
……まあ、こっちはこっちで解決だ。
そして、ちょっとした宿題が残された。氷の姫、スキュレーを倒すこと。
上に行くためにわがままを貫いた以上、それは避けて通れない道だ。
・王虎の月、8日
帰ってきたらシロいるし。
まあ、いいけどさ。勝てたし。どうでもいいけど、こいつなんで私たちについてきてるんだろ。聞いても言葉では返してこないしなぁ。
とはいえ、シロがいるというだけでも探索はだいぶ楽になる。あっという間に探索が進んで、いろいろな道がわかってきた。ていうか、裏から見るとわかるけど、ちょっと細い木を2、3本切り倒せば磁軸から奥への近道が作れるんだな……ふむふむ。
・王虎の月、9日
今日は久々に朝から樹海。昨日作った近道のおかげで、池を超える必要性がなくなった。
やっぱ昼間は見通しがいいから地図作るのが楽でいいわー。おかげでものすごい勢いで地図が埋まっていった。後はもう、限られた場所しか残っていない。いよいよ……かな。
・王虎の月、10日
氷の果て。
一面に氷の張った大きな湖の中央に、その途方もない化け物がいた。
氷の姫、スキュレー。蟹とも蛸とも貝とも見える、異様な風貌の怪物だ。
「おい、アレどうするんだ。
どう考えても、寄られただけで潰されて殺されかねない大きさだぞ」
馬鹿、そんなのわかりきってるだろ。
最初っから近寄られたら負けだ。だから、湖の周囲を走り回りながら、撃ちまくれ。
「――寄ってきたら?」
私とシロがなんとかする。
「わかった。それで行こう」
頼むぞ、相棒。
湖のほとり、木々の間からマイトが銃を構える。瞬間、はるか遠くにいるはずのスキュレーがこちらを振り向いた。
気づかれた。とはいえ、もう退くには遅い。マイト撃て、と言いながら鬼力化発動、した瞬間、スキュレーがものすごい叫び声を発し、一瞬で私の視界がブラックアウト。
…………
どかっ! と滅茶苦茶な打撃を腹に受けて吹っ飛びながら目を覚ます。な、なにごとー!?
「馬鹿、寝てるんじゃねえ!」
ばんばん銃を撃ちながらマイト。――寝てたぁ!? 信じられない。あの声、なにかへんな力でも篭もってるのか。
考えてる暇はない。ともかくなんとか相手の動きを止めないと。と思った瞬間、怖気を感じて飛び退く。「うわぁ!?」マイトの悲鳴。なにかものすごく早い刃物みたいなものが近くを飛んでいった感覚があった。な、なにが攻撃してきたんだ!? と相手を見て、――すべてを、理解した。
スキュレー自体は、まったく動いていない。ただこちらを見ているだけ。
しかし、こちらに程近い湖面から、蛸の足と蟹のハサミが出て、こちらに向かってうねうねとせり出してきている。超でけぇ。そうか、見えてる箇所は氷山の一角で、この湖自体が全部敵のテリトリーか。やべえやつだこれ!
と、シロの悲鳴。蛸の足に噛みついていたところ、その噛みついたシロごと持ち上げてぶんぶん振って放り出されたらしい。ついでにその振った足をその場で私に向かって振り下ろすっておうわ!? かろうじてかわして叫ぶ。マイト、水だ水! 水に氷の弾丸撃って凍らせて動きを止めろ!
「やってみる!」
いい返事だ。よし来い怪獣! と叫んだところ、呼応して相手は蟹の足先からハサミをブーメランみたいに、ってうわっうわわっ死ぬ死ぬ死ぬ! と、シロががきん! と身体を張ってそいつを撃ち落とし、ハサミを失った蟹足は地面へと退いていって……おい、何本あるんだこの足。新たに出てきた足がじゃかきんっと新たなハサミをセット。やば! と思った瞬間に、マイトの銃が火を噴いた。弾丸は蛸足の根本にあたり、たちまちのうちにその周囲を巻き込んで氷で固め尽くした。――えらいぞマイト! 思った途端にスキュレーが咆吼を上げ、また視界がブラックアウト、しかけてかろうじて踏みとどまる。や、やばい……! これはもう、あいつをまず黙らせるしかない。幸い氷のおかげで攻撃は目に見えて鈍くなっている。いまだマイトやっちゃえやっちゃえ!
「ええい、気楽に言うな……!」
ぶつぶつ言いながらマイトは狙撃銃を構え、よく狙って射撃。それがもう一度咆吼を上げようとしたスキュレーにぶち当たり、スキュレーが悲鳴を上げてたじろいた。効いてる! よっしゃ勝てる! とか思ってたら小さな触腕に足をすくわれ転倒。さらに氷をどっぱーんとぶち割って巨大蛸触腕登場、あおりで降ってきた氷の塊に頭をぶつけたシロが、くぅん、と鳴いて気絶した。
――くそ、あとちょっとなのに! こうなったら仕方ない、ともかくマイトに攻撃さえ来なければ勝てる、と思った私は、目立つように氷の池へ踏み出し、走り出す。てりゃああああ食らえー! と叫びつつ相手の身体を駆け上がって剣で一撃。ぎゃあああああ、とスキュレーが悲痛な叫び声を上げた。あれ、意外と効いてる? と思った直後、小さな触腕に足を絡め取られて私は転倒。さらに蛸触腕によって空中に勢いよく放り出された。ぐるぐる回る視界の中、マイトが放った銃弾が相手の頭を直撃、見事に破砕するのが見えて、
そして私は、池に落ちた。
……と、いまこうして日記を書いていてもよく死ななかったなあ、と思うわけだが。
気づいたら薬泉院で、身体中に包帯が巻かれていた。なんでも、マイトが探しに行ったらシロが死人みたいにぐったりした私を池から引っ張り上げるところだったらしい。今回はマジで無茶だったなあ。生きて帰れたのが不思議なくらいだ。