目覚めはいつも、暗い水槽の中だった。
目覚めると憂鬱な時間が待っている。
身体機能のチェック。痛覚耐性へのチェック。基礎能力のチェック。朝食前の歯みがきみたいなものだとアイツは言う。でも、それにしては長い。20倍はかかる。苦しいし。
退屈なチェックが終わると戦闘能力のテストになる。これは比較的愉快だ。まわりの鉄塊どもをバキバキなぎ倒していくのはけっこう爽快だ。相手の攻撃はちっとも痛くないので苦しくもない。
そしてその後に、アイツとしゃべる時間。これがいちばん楽しい。
終わったらまたチェックの山が始まる。でも今度はたいして苦しくない。退屈だけど。
そうして水槽に戻り、一日が終わる。そんな日々。
楽しいこともない代わり、安定した日々。そんな生活は、そこまで嫌でもなかった。
あの日までは。
・虹竜の月、17日
なんだいまの不愉快な夢。
まあ夢のことはいいとして、とりあえず着替えて下へ。
そこに、たくさんのひとが集まっていた。
「さて。まずは現状のまとめから始めましょうか」
アーテリンデが宣言する。
……つーかなんで仕切ってんだテメエ。これ確か昨日の反省会だよな、と言うと、
「当事者じゃないからに決まってるでしょ。
こういうときは、なまじっか中心にいる人間は仕切りにくいのよ。わかったら席について」
と言われた。……むう。確かにそうか。
「じゃあ最初に事実確認。
イルミネ、あなたはどこかで死んで、その死体はスキュレーみたいに『オーバーロード』とやらに回収、改造され、ジャガーノートとかいう名前の化け物になった。
いま目の前にいるあなたは、その幽霊。それが物理的に接触できるのは、あなた固有の能力。幽霊に物理的実体を持たせることができる能力によって、自分の幽霊を自分自身と区別できなくしている。
――以上があなたの主張。これで問題ないわね?」
ああ、それでいい。
「さて。マイトの意見は?」
「さっぱりわからん」
即答。……実は考えてないだろテメエ。
「アシタさんはどう思う?」
「ん、どう思うってなにが?」
「だからいまの話。信じられるかどうかとか、正しいならなんでいまこいつは生きてるのかとか」
「さあ、知らない。べつに生きてるんだからいいんじゃない?」
これまた即答。こっちは完膚無きまでにすがすがしくなにも考えてない。さすがアシタ。
「カチドキさんは?」
「え、あー、うん。よくわからない。わたしはインタビューする側なんで、されても困る」
「そういう問題かしら?」
「だって専門家じゃないし。ていうか、アーテリンデこそ専門家じゃんか。意見聞かせておくれよー」
「……うーん。正直に言うと、まだあたしは信じられないんだけど。
だってどう見ても生きてるじゃない、こいつ」
私を指さして、アーテリンデ。
そんなこと言われてもなあ。そもそも、シロだってどう見ても生きてるだろ。
「それは素人から見てでしょ。あたしやあなたにはアレが幽霊だって一発でわかるじゃない」
まあ、そうだな。
「でもあなたからは幽霊っぽい気配はカケラも感じない。
まあ、幽霊に触れる能力なんて前代未聞だし、それ以上になにが起こってもあたしが文句言える筋じゃないけど。
あ、そうだ。幽霊なら、死喰ってみれば消えるかな?」
やめれ。マジで死ぬ。
でもそうか。そうだとすると、あんたたちとやり合ったときには生きてたんだな、私は。
「あ、そっか。あのときは身体、消えなかったものね」
そうするとスキュレー戦あたりが怪しいのか。あそこでたしか一度、半死半生になったしな。
うーん……
「ふふふ……悩んでるねぇ」
うおぁっ。い、いたのかカチノヘ。
「あ、あたしもいま気付いた……なにこの呪い師。ここまで気配がない相手なんて、見たことないわよ?」
アーテリンデまで驚いてる。びっくりだ。ていうか、私とアーテリンデは向かい合っていたんだからどっちかの視界には常に入っていたはずなんだが、なんでどっちも気付かないんだ。
まあ、それはいい。カチノヘ、おまえから見てこの状況はどうなんだ?
「………………………………さあ?」
なんだいまのタメは。ていうかなにか知ってるだろうテメエ。前々からいろいろ思わせぶりなことを言いやがって。
「ふふ……どうだろうね」
うがー。吐けオラ。
「お、落ち着きなさいイルミネ。本気で首締まってるわよ?」
アーテリンデが止めたので、仕方なく離れる。
しかし、アレだ。無表情で首締められるカチノヘは、なんつーか、ちょっと、キモい。
「とにかく、それについてはいったん棚上げしましょう。考えてもわからないことだし。
それで、イルミネ。これからあなたはどうする気?」
ん、どうするってなにを?
「だから探索よ。続けるの?
あなたの因縁は解決したんでしょう? これ以上危険を冒して進む理由は、」
あー、探索ね。もちろん続けるさ。
「……即答ね。
理由はなぜかしら?」
オーバーロードぶん殴るため。
「…………」
なんだよ。その呆れたような目は。
「いや、馬鹿だと思って。
それはともかく、本気? あなたが動けば、そこのマイトを巻き込むことになるのよ?」
だそうだが。どう思う、マイト?
「何度も言ってるだろ。ボスはあんただ。俺は従う。
とはいえ、どうせぶん殴るなら俺にも撃たせろ。わりとムカついてるんだ、今回」
あっさり、マイト。
と、アシタがにやりと笑って口を開いた。
「やめときなアーテリンデ。止めても無駄だよ。
こいつらには背負ってるものがある。それをどうにかしないと、立ち行かないようなものが、さ。だからいくら止めたって、聞かずに飛び出して行くだろうさ」
「背負ってるもの――って、なによ?」
アシタは答えず、私のほうを見た。
……くそ。見透かされてるみたいで、ムカつく。
けっきょく。私に残ってるのは、ただひとつ。
私自身の、意地だ。
部族を追い出されたとき、いまに見てろと思った。前のギルドを追い出されたときもだ。アシタに止められたときも、アーテリンデに止められたときも、フロースガルに止められたときだって、前に進んだのは要するにそういうこと。意地でも進んで、そいつらを見返したかったんだ。
なら。
意地を張ったのなら、張り通さないと格好が悪い。
私が真に背負うべきは、それだけだ。
みんなが帰ったあとで、私はマイトに尋ねた。おい、本当についてきていいのか?
「当たり前だろ。こうなりゃ意地だ。
アシタさんのところを追い出されて、意地でも冒険者を続けた結果がこれだ。なら、その意地くらいは張り通さないと筋が通らない」
マイトの言葉に、うなずく。
どうも、私たちは思ったより、似たもの同士らしい。
行こうぜ相棒。己の意地を、背負い続けるために。
夜に出発し、二十三階に磁軸の柱を発見して撤退。
探索はこれからだ。見てろよ上帝。ぜったい見つけ出して、ぶっ飛ばしてやる。
・虹竜の月、18日
出発する前に酒場で情報収集。いま他のパーティはどこにいるかとか、なにか事件が起こらなかったかとか。
そうしたら、数日前とはだいぶ状況が変わっていた。
たとえば、一流どころのギルド、たとえばグレイロッジなんかはもう既に二十一階に到達して、探索を始めていた。それだけじゃなく、衛士隊も一部到着して、空の城を探索しはじめたようだ。おかげで下のほうの階に巣くっていた獣たちはだいぶなりを潜めたみたいだ。
二十二階以降に到達しているギルドはまだ私たちだけみたいだけど、アシタには道順教えちゃってるから、早晩がんそロックエッの連中は追いついてくるだろう。そう考えると、私たちがトップを張っていられるのは時間の問題だろう。
それと、大公宮から直々にお触れが出て、諸王の聖杯に懸賞がかかった。このせいで、オーバーロードの元に到達するのは競争になってしまった。
参ったね。先を越されたらオーバーロードぶん殴れないじゃん。とマイトに行ったら、
「問題ないだろ。普通にトップを取ればいいだけの話だ」
という。……こいつもいつの間にか、すげえ自信つけたなあ。以前の頼りない印象はどこへって感じだ。
我々はといえば、アシタがぶち開けた穴から二十四階に出て探索。獣の類は少なくなったけど、代わりに警備の機械兵が圧倒的に増えていてたいへんウザい。銃撃つな。乱射するな。狙撃するな。あと追ってくるな。むきー。
・虹竜の月、19日
なんか上がる階段が見当たらない。
代わりに下がる階段なら見つかったんだがなあ。仕方ないから、いったん降りて探索するか。ちょうど、二十二階や二十三階の地図が樽構造になってなくて気になってたところだし。
とりあえず二十二階まで降ってみて、いろいろ移動してみたら前に来たところに戻ってきた。けどこれ、来ることはできるけど、戻るためには移動する床を逆走しなきゃいけないのな……それはさすがにリスキーだなあ。ただ逆走するだけならできるけど、逆走中に獣に襲われたら対処しづらいし。
そんなわけでそのまま帰還。次はもっと奥まで進んでみよう。
・虹竜の月、20日
行ったり来たりを繰り返して、結局二十四階まで戻ってきちゃいましたよ。南無。
そんで地図取りながら歩いていたら、マイトが不意に、
「なあ。ここの壁、最初に二十三階から上がってきたばかりの広間にあった壁の反対側じゃないか?」
と言う。そーなのか。たしかに地図的にいうとその辺の位置だけど。
てことは、私たちはすげえ遠回りして壁を迂回しただけってことかよ。南無。
と言ったら、
「穴開けりゃ次から楽できるだろ。ほら」
といって、ばんばんばんばすばすばす、と撃ちまくって壁をぶち抜いて広間まで道を作った。
……最近なんかアシタに似てきたな、マイト。
「そ、そうか?」
照れるな。つーか褒めてねえ。
そんでその奥に例の蛇がいたのでいったん退避。次は夜に出発だな。
・虹竜の月、21日
また下り階段だよ……どんだけ入り組んでるんだここの構造。
二十二階へ。右往左往した挙げ句、やっぱり前見たことのある通路に戻ってきてしまい、がっくし。
これずっと続けるとなるとしんどいんだが……どうしたものかな。
・虹竜の月、22日
事件は二十四階、中央付近で起こった。
爆撃みたいな音がいきなりして、なにがあったんだと思って駆けつけたら、そこに未熟そうな冒険者が数人倒れていて、その奥で、例のギルド登録所の甲冑女が蛇と戦っていた。
というか、圧倒していた。
……うわあ。こりゃすげえ。アシタみたいな規格外と違って、技量とタフネスで互角以上に渡り合ってやがる。なんだか、達人というものを見た気分だ。
とはいえ傍観しているのも悪いので、とりあえず鬼力化+マイトの援護射撃。見る間に弱った蛇は反撃もろくにできずに撃ち倒された。成仏しろよー。
「手伝いご苦労。案外しぶとくて辟易していたのでな。助かった」
兜を取って言う甲冑女。……素顔初めて見た。やばい、美人すぎて引く。
「? なにかあったか」
いやべつに。それよりなんでこんなところにいるんだよ。しかも1人で。
「仕方あるまい。最近無茶をする新参冒険者が多くてな。
この連中もそうだ。実力も考えずに深層に突入するからこうなる。救助に出る者の身にもなってもらいたいものだ」
仏頂面で言う。……あー。そういうことっすか。確かにこの下の階層なら英雄冒険者がゴロゴロしているけど、このあたりまで来ると弱小ギルドにはきついだろうなー。
「そういうことだ。せめておまえ達程度のしぶとさと実力があればいいのだがな。
最近は大公宮の貴族どもも勘違いし始めていてな。二十三階で狩り大会を開こうなどと企画しているらしい。正直、勘弁して欲しい」
うへえ。そりゃまたひどい。
……って、他人事でもないのか。ていうか実は私たちの責任だったりする?
「そんなこともないだろう。樹海がいかに堅固と言っても、いずれは開拓されるものだ。
まあ、実績から見てナメられている可能性はあるがな。あんな無名ギルドが先を行っているなら俺たちも……と。勘違いも甚だしいのだが、莫迦とは往々にしてそんなものだ」
淡々と言う甲冑女。言ってることは正論なんだが容赦ねーなこいつ。いいけど。
そんなわけで、その勘違いしてぶっ倒れたバカどもを薬泉院に運ぶ手伝いをしていたら探索に行く気分でもなくなってしまった。南無。まあいいや、明日がんばろう。
イルミネがなんにも気にしていないので本文中には最後まで出ませんが、ここで一応ネタばらしを。
スキュレー戦で死にかけたとき、連れ去ろうとした翼人の気配を察したイルミネは、とっさに霊を使って自分のコピーを作成。それを連れ去らせます。
その後、低体温症などの影響でその記憶をすっぽり失ったイルミネですが、要するにジャガーノートの中に入っていたのは、イルミネではなく、イルミネの作ったコピーです。