・風馬の月、4日
ワニに喰われかけたチ・フルルーの退院は明日だった。なんて偶然、ということで、検査が終わった後で二人で少し話をした。
それで、なんだか気がゆるんで、思わず脈絡もなく聞いてしまった。意地を張ることって悪いことなんでしょうか、って。
「一般論的に、ですか?」
あー……はい。そんな感じで。
「悪い事ではないと思いますよ。
意地と誇りは重なって存在するものですから。意地が張れない人は誇りを持てないものです」
との答え。……そう、だよな。それはその通り。
「で、そんなことを聞くからには、つまり意地を張ってしまったんですよね?」
と、聞かれた。相変わらず鋭い。
これ以上隠してもなににもならないので、私はぶっちゃけることにした。自分が樹海を登る動機の根源に意地があること。そのせいですごいことをしてしまって、そのための後始末に追われていること。
そして、自分と同様に意地を張ってる相手に対して、なにも言えないでいること。
チ・フルルーは、うんうんとうなずいてから、
「つまり相手の方の意地は間違っているとイルミネさん的には思っているわけですよね」
そ、そうなんだろうか……そうかな。そうか。
そうだ。私は、あいつの意地に納得できない。
だっていまさらじゃん。べつにいまあいつが意地張って狂気演じるのやめたところで、なにが変わるわけでもない。
そんなことに意地を張るのは間違いだ。と思う、のだが……
同じく意地で行動している私に、他人の意地の正否を判定する資格なんてあるんだろうか?
傲慢かなあ、とか頬をぽりぽり掻きつつ反省していると、
「いいじゃないですか。張り倒しちゃえば」
……ときどきすごい過激なこと言いますねチ・フルルーさん。
「だって間違ってるんでしょう? その意地。
正しい意地もあれば間違ってる意地もありますよ。で、イルミネさんの意地は正しくてそのひとの意地は間違ってる。
なら迷うことないじゃないですか。張り倒して説教しちゃえばいいんですよ」
い、いや、けどその資格が私にあるかという問題がですね、
「資格あるでしょう。なにしろ、同じく意地で行動しているんですから。相手の状況はいちばんよくわかるでしょ?」
……そ、そういう考え方もできるんですね。
「ええ。そうです。
前に言いましたけど、勝ったり負けたりっていうのは単に物理的な話で、べつに正しい正しくないと関係があるわけじゃない。正しいから勝つのでも、勝つから正しいのでもなく、勝つから勝って、正しいのは正しいまま。
でもね、世の中にはときどき、正しいものが勝たないとうまくいかない事ってのがあるんです。私には、イルミネさんが遭遇している事態は、そういうことのように思います。
だから、遠慮なくやっちゃっていいと思いますよ?」
そんな話をした。
チ・フルルーの指摘はいちいち鋭くて、そして納得的なのだった。
覚悟は決まった。明日、必要な準備をしよう。
・風馬の月、5日
退院して即、マイトを呼んで作戦会議。
あいつをぶっ倒す、という計画を聞いてマイトは驚かなかったが、その代わりこう言った。
「なあ。それ、あいつの力を発現させないだけじゃダメなのか?
あいつの物理的能力、あれはおまえの能力で現実化してるだけだろう。おまえが力を奪えばそれだけで無力化できるんじゃないのか?」
それじゃだめなんだよ。
あいつは、狂獣として倒されてしまった。それじゃいけないんだ。目を覚まさせるには、もう一度きちんと倒し直してやらないと。
――納得してくれるか、とマイトに聞いたら、
「べつにいいさ。ボスはあんただ。
どういうメリットがあるのかはわからんが、結果としてあんたはいつも正しい道を進んできた。信頼しているし、俺は従うだけだ」
以前、樹海の中で姫様のペットを助けて以降、手に入れた秘密の経路でコンタクト。
ついてきてくれ、という要請に、姫様は特になにも聞かずうなずいた。
それでいいのか、と聞くと、信じておりますから、と笑う。
――上等。
ならこちらも、みんなの信頼に応えないと。
たどり着いたのは、あの死体薫る草原。
亡霊は、静かに彼女を受け入れた。
『アイツの後裔か。
なるほど。確かに面影がある。――懐かしいな』
眩しそうな目で、そいつは言った。
そして、私に意識を向けた。
『少なからず楽しかったが、これだけが目的ではあるまい。
なにをしに戻ってきた? 今度は、生きて帰れる保証はないぞ』
それはいままでだって同じだろう。
今日は、おまえの意地を終わらせに来た。
『馬鹿なことを。それでなにが――』
おまえの意地は間違っている。
『…………』
おまえが意地を張らなくても、もう状況は変わらない。おまえが『アイツ』と呼ぶ、科学者はもういない。おまえを利用して捨てた連中ももういない。
『黙れ』
黙らない。逃げないで話を聞け。
おまえの意地はもう、必要なくなってるんだよ。そして、『アイツ』という科学者の代理として、後継者がここにいる。
だから報告しろ。自分は狂獣ではなくなったと、そう言って終わらせてしまえ。
『黙れ!
小賢しい人間が。なんの権利を以て我が意地を蹂躙するか!』
同じ、自分の意地を背負い込んでいる者として、見ていられないからだ。
『黙れえええええ!』
剛風が吹き、私を貫こうとする。
その一撃に、真っ向からシロが対抗し、激突した。
結果、シロははじき飛ばされ、魔獣――の亡霊もまた、少したたらを踏んだ。
……来いよ、ヘカトンケイル。
おまえが意地を捨てないって言うんなら。私が拳で終わらせてやる。
決着つけようぜ。
『いいだろう。
行くぞ、人間! その大言、せいぜいあの世で後悔するがよい――!』
即座に魔獣が吠える。なにかの呪詛があいつの周りを取り囲み、強化――しようとしたのを私の呪詛がカット。力はむなしく四散した。
『――なるほど。人間、貴様は呪術を嗜むのだったな。
ならば、力押しの打撃はどうだ!』
迫るヘカトンケイル。
それに、シロが突撃する。
ただの突撃じゃない。周囲の怨霊――こいつに殺された者たちの無念の集積を取り込んで、巨大化したシロが、爆撃のように突進した。
――亡者の爆進。
それを、ヘカトンケイルは正面から受け止めた。
『があああああああああ!』
爆風のような攻防。
ややあって、力を使い果たしたシロが、きゃいんと鳴いて吹き飛ばされる。
……あのジャガーノートですら爆散した突撃を、耐えきったか。
だけど無駄じゃない。相手だって少なからずダメージを負っている。
いまだマイト、射撃開始……! 銃弾の雨でたたきつぶせ!
跳弾する弾丸が、何度もヘカトンケイルを貫く。
苦悶の表情を浮かべながら、魔獣はこちらに突進してきた。
『受けてみよ、千手の打撃を!』
繰り出される太い棍棒の連撃を、私とシロは弾き、避け、打ち返し、耐え、しのぎながらさらに懐に入り、一撃を加える。
簡単なことじゃない。だけど、いままで樹海を歩んできて、様々な無茶をしてきた経験が、その行動を支えた。
たたらを踏んだ魔獣に、今度は特殊弾丸による一撃が入る。
『おおおおおおおおおおっ!』
吠えた巨人は、地面を棍棒で乱打。
揺れる地面が私たちを転倒させ、銃弾をあらぬ方向へと――逸らすはずだったが、マイトは冷静だった。立って照準が合わせられないならばと地に伏せ、その態勢から連射。
『――奇怪。
これほどの猛者ではなかったはずだ。人間たち、貴様らはいったい、なぜこれほど戦う!?』
迫る打撃を打ちかわして巫剣を叩き込む。
ヘカトンケイルは、大きくひとつ息をつき、
……そして、そこで動きを止めた。
『我の負けか。
……この意地も、これまでか。結局我は、狂える魔獣とはなりきれなかった。
だが、爽快だ』
魔獣――いや。いまやただの巨人となったヘカトンケイルは、そう言って笑った。
『アイツの後裔――否。いまは姫という身分なのだったな。
昔話だ。かつて、我はアイツによって管理される、ただの実験動物だった。
それが誰かに利用され、たくさんの人を殺した。そしてその理由は、我が狂っていたからだとされた。
後は我を処分すれば、誰もが納得して終わりのはずだった。それなのに、アイツはそれに抗った。抗って、――我を、かばおうとした。
このままでは、アイツも誰かに殺されてしまうだろう。そう思った我は、狂ってしまおうと思ったのだ。そうすれば、アイツは我をかばう必要がなくなる。それで丸く収まる。
その意地の果てが、これだ。残念ながら我は狂獣として殺されてしまったよ。
まあ、悔いはないがな』
そう語って、ヘカトンケイルは息を吐いた。
『人間。否。名前を聞こう』
イルミネ。こっちはマイトだ。
『イルミネか。良い名だ。
我の意地は終わった。狂える獣だった生は終わり、ただの獣として死を迎える。
――おまえの意地はどうだ。終わらせられるのか』
いま、そのために苦労してる。
ま、なんとかするさ。
『そうか』
そのために聞きたいことがある。
樹海を、魔物が下に向けて進軍している。そして、ここより上の浮島に、大量の魔物が守るなにかがある。
そこに進軍を止めるためのなにかがあると私は踏んでいるが、これは正しいか。
『正しい。
そこにいるのはおそらく、始原の幼子。上帝が、力を生み出すために作り上げ、力を恐れて封印した、恐るべき魔物の祖だ。
奴を倒せば、不自然な魔物の進軍は止まるだろう。……倒せれば、だがな』
倒したい。
なにが有効か、知っていることを教えてくれ。
『知っていることは教えよう。
勇敢なイルミネとマイトよ。貴様らが自分の意地を、きれいに終わらせられることを望むぞ』
ヘカトンケイルは、そう言っていろいろなことを教えてくれた。
奴の行動パターンや性格、その対処法について。それらはどれも、貴重な情報となってくれた。
決戦に向けて、準備はできた。
後は、最後の戦い。三十階の最奥で、幼子と呼ばれる怪物が待つ。