砂浜の再会─1/2
小さかった頃は、無敵だった。
何にだってなれると思ってたし、だれにだって勝てると思ってたし、どこにだって行けると思っていた。
この世には無限の可能性が広がっていて、俺はちょっと背伸びするだけで、そこを見ることができた。
空に、手を伸ばすだけで。
小学校に入って、何度目かの夏。
俺は空を飛ぶための翼を手に入れた。
これまでは手を伸ばしても掴めなかった空が、やっと、その尻尾をつかめたように思った。
懸命に走った。空を駆け回って、次へ次へと、進んでいった。
小さかった頃に見上げた空に、一番近くにいるのが自分だと思っていた。
これがあれば、どこへも行けると。
誰よりも先に、彼方へ行けると。
──そう、信じていた。
だから、その時が来た時、俺は本当に、何も見えなくなってしまった。
前に誰もいなかったはずなのに、そこに『誰か』がいた時。
行けるはずだった彼方が、遠く先へと、霞んで消えてしまった時。
もうそこには、俺がいる場所が存在しないように思えた。
彼方にあったはずの蒼の世界は、俺のものでは、なくなってしまった。
伸ばした手は空を切り、掴んだ手のひらの中にはちっぽけな可能性しか残らなかった。
[圧倒、『天才』日向晶也、最年少世界大会制覇]
だからなんだって言うんだ。みんな知らないだけで、俺より凄いやつがいる。
勝つ度に増していく期待という名の重圧に苦しめられながら、世界大会で頭の中にあったのは本物の『天才』の飛ぶ姿だった。
『凄いな。キミはそういう風に飛ぶんだ。これ、面白いね』
ズブの素人だったはずのそいつは、俺とまったく同じ飛び方でピッタリとくっついてくる。
同じ場所で飛んでいるのに、同じ競技をしているのに。
俺は必死なのに、そいつは面白いと言った。
ふざけるな。俺が何年もかけて積み上げてきた技術を奪って、楽しそうにするな。
楽しくできなくなった俺に、その笑顔を見せるな。
この時、決定的な何かが起こってるんだって思ってた。
勝つとか負けるとかそんなんじゃなくて……もっと単純で、もっと大切なものにようやく気付いた。
『ねっ? ね〜! もっと凄い飛び方して見せてよ」』
俺が持ってかれなかった感情を持ったまま、そいつは飛んでいた。
歯を食いしばって必死でやって俺はここにいるんだ。
楽しいって気持ちをどこかに落としてしまってまで、ここにいるんだ。
お前みたいに面白いと言うやつに、一瞬でも、一箇所でも負けたら、俺は──。
振り切ってやるッ!
そう思って、ギリギリの前傾姿勢で加速した瞬間だった。
『……遅いってば』
そう言いながら、そいつは俺を真横から抜き去っていった。
『え?』
一瞬、世界が止まった気がした。
蒼の彼方を飛ぶそいつの姿に、未来の俺の姿が重なって見えた。
今の俺は、未来の俺に負けたのだ。
俺と言う人間の可能性が、全部、奪われた。
──その才能を前に勝てないと思った。
今はまだ勝てるだろう。でも、明日はもっと飛べるようになっていて、いつかは勝てなくなる。俺でなくても、俺と同じ飛び方ができるやつが勝てるようになる。
まるで生き地獄だ。
FCを変える天才とまで呼ばれた日向晶也は、その日、自分が飛ぶ理由を失ったのだ。
『もう、いいよ』
『え』
『もう試合はやめだ』
『どうして?』
不満そうにそいつは言った。
どうしてか? そんなの決まってる、俺の全てが言い訳のしようもないぐらい否定される前に辞めたかったからだ。
『これ以上やってもつまんないから。じゃあな、やりたかったらあとは一人でやってろよ』
強がるのが精一杯だった。
もう、疲れたんだ。
嫌いになったなんて、絶対に言えない。
誰よりも好きだったからこそ負けなくなかったし、誰よりも好きだったからこそ、誰よりもFCに愛されていると思いたかった。
でも、残酷な現実は心を蝕んでいく。
何もかもが、憎く思えた。
過去の自分が楽しそうに飛んでいる写真が目障りで、部屋に飾られたトロフィーが無性に自分を苛立たせる。
家に帰った俺は、ただ破壊衝動の赴くがままに、全てなかったことにしようとして──。
翼をくれた人たちが自分のように喜んでくれている写真を見て、目の前が見えなくなった。涙が止まらなかった。
そうだ。俺は期待されたくてFCを始めたわけじゃない。
順番が違う。
初めは憧れだった。
自由に空を駆け回る姿に憧れて、自分も飛べるようになって、期待されたかったのだ。
この時、俺は一つの決断を出した。
もう、楽しく飛べないのなら。
せめて最後だけは期待に応えよう。
重くのしかかる期待すらも、この履き慣れた翼で受け止めよう。
心の折れた自分ができる、大切な人たちへの贖い。
期待されたくて飛んでいたのに、期待してくれたのに翼を折る決意をした俺の、最後の挑戦。
ジュニアの世界大会を難なく制覇した。
俺は心配をかけないために平静を装って、指導してくれた葵さんにFCを止めることを告げる。
『晶也……』
『葵さん、俺、自由に空を飛んでみるよ』
トロフィーや賞状はダンボールの中にしまい込んだ。
試合用のグラッシュも押入れの奥にしまって尚、未だに胸のくすぶりは治らない。
だけど、かつて本物の天才と戦ったその場所に改めて立ってみると、思った以上に心は落ち着いていた。
たまに吹き付けてくる海風が、横を抜き去っていく光景を思い出させる。
でも、それも一瞬だけ。
雲ひとつない蒼の彼方には、なにもない。
考えてみれば、プレッシャーに押しつぶされそうになっていたあの時に全ての力を出せたとは言い切れなかった。全ての技術において負けていたわけでもなかったし、辞めたからこそ、初心者がある時突然急激に伸びることも、俺自身がそうであったことも思い出す。
「はは……なんだ、馬鹿みたいじゃん、俺」
要は、一番弱ったのは俺の心だ。
明日香に、泣き虫だった友達に強がって助けてやるなんて言って、空が繋がっている話をしたのもそうだ。
当時まだ俺が翼を得て間もなかった頃、好きだったアニメのフィギア、ゼフィリオンの羽を託したあの時。
誰よりも繋がりを感じていたかったのは他ならぬ俺の方だったのだ。
思い合っていれば寂しくない。俺だけの一方通行になることが怖くて、明日香と約束を交わした。
『この先お前が一人でどうしようもなくなったら、その時は、これをぎゅっとして、お願いしろ。空に向かってな』
『空に向かって、お願い……?』
『そしたら飛んでって助けてやるから』
『ほ、ホントに?』
『おう、絶対にだ! なにせ空はどこへだってつながっているからな』
それは、明日香に向けた言葉であり、俺自身にかけた言葉でもあったのだ。
浜辺を歩きながらスマホを取り出す。
『今日の海辺の空がすごい綺麗だった』
そんなメールを打ち、その光景を添付写真に収めようとレンズを向ける。
その時、目を奪われた。
「飛ぶにゃーん」
長い髪がたなびいた。吹き付ける海風を切るようにして、少女が空へと舞い上がる。
遠目から見ても容姿が整っていることが分かった。
聞き覚えのないグラシュの起動キー、見覚えのない制服、見慣れない顔。
だが、だが、俺は彼女を知っている。
『……お前、名前は?』
もしかしたら、経験者かもしれない。
違うと思いながらも、俺はあの時、無理やり試合を切り上げた去り際、聞いたことがある。
少し変わったが聞き覚えのある声、そして、少し違和感こそあるものの、ギリギリの前傾姿勢があまりにも見覚えがありすぎた。
「まさか──ッ」
今の今まで、忘れていたはずの、彼女の名前が蘇る。
俺を負かし、挫折を与えて、消えていった本物の『天才』。
『──鳶沢。鳶沢みさき。なんかごめんね、下手なのに付き合ってもらって。あんまりにも綺麗に飛んでるからつい同じように飛びたくなったんだ』
砂浜の少女との再会。
それは、中学に上がって一度目の夏のことだった。
【設定】
日向晶也LV1……原作日向晶也とは似て非なるもの。トロフィーとか新聞とか壊しちゃうのもったいなかったから改変した。ちょっとだけメンタル強化して、吐きそうになりながらも世界制覇させてみた。憑き物が晴れたような顔でFCを辞めると言われた各務先生は複雑な心境である。尚、FCが嫌いになったわけじゃないことを見抜かれているので、各務先生は責任を感じて原作通り久奈浜学院の保健体育教師を務めている。原作と同じように、学校内や外でも友達は同年代の女の子が中心。むしろ世界大会を経て知名度が補正された分、女子人気が高くなった。
鳶沢みさきLV??……友達思いな美少女。原作では陽の明日香と対をなす陰として描かれる。朝に弱く、昼のテンションとのギャップが激しいと話題に。天才肌でなんでもそつなくこなすことができ、故に劣等感を持つ機会に恵まれなかった。そのため、原作通りならメンタルの弱さが仇になるのだが……
ちょっとずつ原作改変。グラシュや世界観について色々と飛ばしたけど、見てる人はだいたい原作プレイ済みと仮定してます。
出来るだけ文体を完コピしたくてアプリを開きながら書いてるんですけど、目的のシナリオを探すのに一苦労しますね。
次回からみさきちゃんにも喋ってもらいます。
続きます。
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