視覚、180度の世界にて   作:解法辞典

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空に輝く園 後編

 こんな年になっても、大きな音と色んな形の花火にはワクワクしてしまう。我ながら子供っぽいかもしれないが、意中の男の子と二人きりで花火大会に居るんだから、ちょっとは浮かれてしまうものだと、きっと誰もがそうじゃないかな。

 肝心のにっしーは花より団子とでも言いたげに、時たま花火を見る程度で、殆どは色んな種類の食べ物に夢中なんだけどね。

 適当な、出入りの無い石段に腰を下ろした私たちは、花火が見辛い場所ではあるが日陰で人も少ないと言うべきか私たち以外居ないというべきか、割と過ごしやすい場所で休んでいる。時たま人が来るとすれば、人気のない場所を探したカップルが、気まずそうに横を通って上にあるくらい神社に行ったきりだ。

 出店を回る時、私が思っているよりもずっと、にっしーは歩くのが大変そうだった。あれだけ、アレが大きいと単に歩くだけでも浴衣がはだけてしまいそうで、私だって目のやりどころに困るくらいだし、男性はあんまり外でそんな姿を見せたいとも思わないだろう。

 はだけた着物のにっしー、か。

 当事者は食べ物を口に運びながらも、既にズレ始めているからか着物を抑えながら座っている。ぐっと抑えているからか、寧ろ体のラインが強調されていて直視も出来ずに私はまた花火に目線を映してしまう。自分自身、大学生で居られるのも半年あるかないかで、もう社会人にもなるし多少は度胸がついたかと思っていたが、全然たりないみたいだね。

 

 

「美味しいのはあった?」

「よっぽどじゃなければ題材が良ければ不味くならないだろ。焼き鳥、オム焼きそば、いかめし、焼きとうもろこし、今川焼。食べたいものは多すぎるが食べきれるものは多くないのが悩ましい。」

「今川焼ってこの辺だと今川焼?」

「そりゃ、まあ屋台に書いてあったし今川焼だと思うが。結局大事なのは中身だと思うぞ、俺は。」

「ああ、にっしーはそうだろうね。」

「餡子の入った菓子は値段が高ければ高い程に美味しいが、クリームは店の良し悪しに左右されづらいからな。」

「クリーム美味しい?」

「美味しい。」

 

 

 黙々と食べる様子を見ているだけで幸せになれる。にっしーが食事の時に感じている幸福の加減が、ちょっとした表情に出るだけで自然と私も笑顔になってしまう。食べ物を運びながら、少し口元が緩むだけ。意地っ張りなのにふと見せる男の子らしさ、ずっと昔から笑顔だけでイチコロになってしまう。

 でも、昔ほどに屈託のない笑顔とは言えないかもね。だから、にっしーの気持ちとか事情とかを考えると、心臓の鼓動が早くなる本能に少し自己嫌悪を覚える。 その上、何もせずとも一緒に居るだけで子供の頃は胸が苦しくなる上に頭も回らなかったと覚えてるけど、普通に隣に座れるようになり、脈が一番反応するのは性的な要因になった。義理だって分かってたけど、小学校の時に、バレンタインのチョコを渡しに来るってだけでドギマギしたし、アポ取りの電話をかけてくれただけで、どうしたらいいか分からなくて照れて父親に受話器を押し付けたような思い出もある。

 だとして、にっしーは微妙な危機感のなさと何とも言えない色気のなさが混在しているから付き合いが長ければ長い程に一般的な可愛さやエロスを感じる事は少ないと思う。でも、そう感じられるのって、大人になった?それとも慣れ?昔は一挙手一投足で耳が熱くなったんだけどね。

 

 

「適当に買って、絶対に食べきれない癖に。」

「買う時は行けそうな気がしてるんだけどな。男の中では食べる方だけど、一定以上食べると箸が進まなくなるんだ。まさか呪いか?」

「積載量が上限なんでしょ。デザートでお腹いっぱいまで食べるくらいなら普通に焼きそばとかを買った方が良かったと思うけどね。今川焼だけで2パックは買いすぎだよ。」

「その気になれば作れそうなものは後回しだ。これだってクリームじゃなけりゃ買わなかったぞ。」

「まあ、チョコバナナとかリンゴ飴なんてお祭りじゃないと見かけないよね。」

「美味しいかどうかは別物だけどな。」

 

 

 そうリンゴ飴。

 私は堂々とにっしーの食事風景を見る。言い訳をするつもりはないけれど、多分健全な女だったら目が追ってしまう。

 通称、イブズアップル。『雄の膨れたもの』というヘブライ語の誤訳が語源らしい言葉で、つまるところが子宮の事である。世の女性は、子宮っぽい形の物を男性が食べてるだけで、割かし興奮する。中学生以上の女だったら、共通の認識と思って良いかもね。

 リンゴ飴は、リンゴという直球にも程がある上に、カットフルーツと違い丸ごとの形を保った天才的な食べ物だ。

 

 

 にっしーが小さい舌でチロチロと舐めている!

 

 

 

「ヴッ!」

「おい、葉山大丈夫か!?」

 

 

 危ない、お腹を抱えて隠さなければ社会的に即死するところだった。信用を失わない為にも腹部に集まった血を体全体に分散する方法を考えないと。

 ――ポスッ。

 顔に、タオルを押し付けられた。

 

 

「大丈夫か?急に声をあげるし、見たら鼻血が垂れてるし。治まるまでソレ使っていいからな。暑くてのぼせちまったのか。ちょっと待ってろ、冷たい飲み物を買ってきてやるからな。」

 

 

 返事をする前に、にっしーは出店の方に小走りしていく。この前の一件で力になると言ったというのに、私はどうにも俗物的で、迷惑をかける。だけど今回ばかりは、タオルの匂いに気を取られたりはしない。ポリバケツに水と氷と缶ジュースをぶち込んだだけの飲み物屋は、私の位置から見えるけれど、にっしーが変な奴に絡まれたら私は直ぐに走っていかなければならない。

 トラウマ克服、男の子を夜の人込みで一人にしない事、頑張らなければいけない事なんて幾らでもあるのに普通に二人きりになれると舞い上がってしまう。

 

 

「もっとしっかりしないとだよね。」

「どうでもいいんじゃないか?だから、正美くんにちょっかいかけて、これ以上影響してくれるのって俺様としては超こまるんだ。」

 

 

 誰も居ないと思ってた矢先、茂みから人が現れた。

 その声で、私は血の気が引く。顔をあげると奴がいた。なんでこいつが此処の居るのか。サングラスをかけ、目深にかぶったベレー帽があっても見間違える筈がない。

 鈴のなるような高く綺麗な声で、スラッとして高い身長のモデル体型。

 

 栂園太陽。この男のせいで、にっしーは。

 

 

 

 歌を、奪われたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全ての始まりは中学入学と殆ど同じだった。

 

 

「正美くんだっけ!自己紹介で歌が好きって言ってたじゃん?俺様も歌うまいんだよ今度聞かせろって。」

「音楽の授業とかか?三日後のが歌う内容ならみんなが聞くことになるだろ。」

「そうだな!俺様の歌を楽しみにしておけよ!」

 

 幾つかの小学校から生徒が集まる中学で、二人の出会いはそんな感じだったと記憶している。私は小学生の時から、にっしーは歌が上手だと知っていたし、歌っている時に楽しそうな表情が私は好きだった。だから当時は、歌が好きそうな友達が出来てにっしーが喜んでいて、その笑顔が眩しかった。

 入学と同時に、栂園はその容姿で有名になっていた。万人受けする王道の男という意味では、私が知りうる人間の中でも一番だとは思う。

 

 

「正美くんってなんか独特な魅力あるよな!声の質感は十人十色だし、でも俺様の方が歌は上手いし、技術があるんだけどさ!」

「…………負けてねえけど。」

「ふーん。いいだろう。じゃあ負けを認めるまでは勝負しようぜ!」

 

 

 その頃から、栂園は超人として学校中で噂され始めた。運動、勉強、歌に始まりダンスや武道、料理、果ては美術などにおいても学校で男の中で一番に君臨していった。あいつに負けるなら仕方ない、そんな雰囲気が広がり、一目でわかる出る杭だったが杭を打つだけの逸材は居なかった。

 ただ、小数ではあるが負けを認めない人間は居たのも事実だった。

 

「にっしー、大丈夫なの?会うたびに栂園に絡まれてるけど。」

「面倒だけど、仕方ないだろ。俺だって負けを認める訳にはいかないんだからな。」

「わ、私はにっしーの歌の方が好きだけどね。へへへっ。なんか柔らかい感じがするし、落ち着いた声だし。」

「ノッポは歌のことなんてわかんないだろ。それに技術で負けてるのは、認めないとだがな。あいつとは噛み合わない。」

「なんで?」

「あいつは、歌が好きじゃないんだ。話をしても意図とか気持ちとか、全くわかり合えやしない。どんな歌が好きとか、どんな歌手が好きとか、あいつには一切ない。」

 

 

 もう、栂園はにっしーにとって、歌が好きな友達では無くなっていた。にっしーが対抗すればするほど、栂園は嬉しそうにしていた。でも、にっしーが特別だったんじゃなくて負けを認める人が増えていたのが本当の理由だと思う。栂園に勝てないと悟った人たちは大体が友達なろう、という形で保身に走る。完全無欠の人間である栂園を敵に回す事だけはしたくなかったからだ。

 敵、というのは言葉としては正しくない。栂園にとっては全ての人間は等しく同様の扱いで、パラメーターの高さに応じて扱いが良いだけ。実際、長く対抗していたり、頭が良い人と一緒に居るのが多かった。

 

 

 中学時代の未熟な子供だった私たちには、あいつの徹底した実力と向上心だけで人を判断する思考回路は理解できなかった。

 だから、栂園に迎合しないにっしーが友人を自称する集団に敵視されるのは時間の問題だった。精神の摩耗なんてお構いなしで日に何回も勝負を持ちかける栂園。その栂園は勝負の時は付き合いが悪い為に、さっさと決着をつけようと勝負の度に徹底して心を折るべく試行錯誤する自称栂園の友人集団。そして対岸の火事を見る女生徒たち。

 学校内だと気恥ずかしく、一年の時はクラスも違って、基本的に塾でしかにっしーと喋らなかった私が学年の異常に気付けたのは、全校集会の校歌斉唱でクスクスと笑い声が聞こえた時だった。

 曰く、お前の低い声が混ざると太陽の綺麗な声が聞こえない。

 曰く、大きい声が出せるだけの下手糞で耳に障る。

 曰く、小学校の頃から女子に媚びてるみたいで気持ち悪かった。

 

 

 二人が勝負の題目にしている歌に関する内容だけではなく、にっしーの人格否定をする男子すら現れ始めた。隠れてする訳でもなく、栂園も知っていたのに行為を止める素振りすらなく、寧ろどれだけの圧力に耐えられるかを観察して楽しんでる様子さえあった。

 人は楽しいと笑う。自他ともに認める容姿の良さと才能を持つ栂園は常に笑顔で、精神が擦り減るにっしーはどんどんと表情は曇っていった。

 いつしか、女生徒の中に栂園のやる事だから仕方ないと思う人も出てくるようになり、丁度この時からにっしーから弱音を聞くようになる。

 二週間も経たないうちに、歌う時に笑わなくなった。

 勝ち負けなんてどっちでも良いと、栂園に反応する必要なんてないと、言うまいか悩んだ私は、自分が出したとばれないように朝一でコンピュータ室で印刷した紙をにっしーの机に入れた。

 ――私は、小学校の頃から笑って歌う楽しそうな仁科くんが好きです。だから栂園なんかに張り合わないで、自由に歌って下さい。

 

 

 私は現場に居なかったが、その日から一週間ほどたった放課後、栂園と言い争いをしたにっしーは過呼吸で病院へ運ばれた。そして二度と歌わないようになった。

 

 

「にっしー、この前の模試で塾内トップだったんでしょ。すごいね!」

「凄くないさ。遠くの学校に逃げたいって必死なだけだ。もう、あいつに関わりたくないんだ。」

 

 

 歌わなくなってから、にっしーは辛そうにしていた。何で、直ぐにでも転校しなかったのかは分からない。何で、卒業するまで中学に通い続けたのかは分からない。栂園と廊下ですれ違うだけで過呼吸になるくらいの重症で、同性の友達が居なくなった学校でどうして頑張っていたのか私には分からなかった。前髪は目元まで伸びて、目線を合わせる事もしなくなった。

 私は、全然真面目じゃなかったから塾にゲーム機を持ち込んで休憩時間に触っていたくらい。同じ学校で通っているのが私とにっしーだけだったけれど、私はゲームをしてるだけで時間を潰せたから塾での友達作りなんてどうでも良かった。にっしーが話しかけてくれてたのは小学校の頃からの知り合いだからだ。ちょっとした会話と、私がやるゲームを後ろから除く程度の関係。にっしーが歌えなくなる前から、中学卒業までずっとその関係は変わらなかった。

 

 

 興味を無くした栂園が離れてくれたから、辛い思いをしているにっしーにも日常は微かにあったんだ。まだ、決定的にトラウマでは無かった。私にとってはあの時の記憶も薄れかかり、卒業し、にっしーは引っ越しが終わった頃の春休み。にっしーから『もう、無理だ』とメールが送られてきた事を覚えている。

 テレビを観れば、その言葉の意味は明白だった。

 

 

『栂園太陽!今年の春から高校生で、この度アイドルとしても活動させていただくことになりました。』

『まだまだ未熟ですが、大好きな歌のお仕事なので頑張りたいです!』

 

 

 歌番組でMCと話す栂園。彼の言う好きって言葉は私からすれば全てが嘘だった。だって、彼の話す好きの理由は、昔からにっしーが言っていた言葉が殆どだったからだ。好きな歌、好きな歌手。栂園は、歌だけでなく歌う動機も、思いも、にっしーから奪いニコニコと笑っていた。なんで誰も嘘だって気づかないのか。友人に聞いてもネットの反応を見ても、栂園が好きな事を語っていると信じて疑わなかった。

 恐ろしいが、彼が好きな事を語っているのは事実だと認めざるを得ない。でもその好意の矛先は、歌ではない。仁科正美という人物、或いはその才能を喰いつくした栂園太陽、そのどちらかを嬉しそうに語っていたのだと私は理解してしまった。

 それから、長期休暇に会うにっしーはどこか変わってしまった。後に私は咲ちゃんからその一連の全てが彼のトラウマになっていると聞かされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで、今更になって。」

「今だからこそだ。未だに飛ぶ鳥を落とす勢いのスーパーアイドルの俺様だからこそ、色々と考えがある。」

「帰れ、にっしーをお前に合わす訳にはいかない。」

「寧ろこうして話しているから、彼は直ぐにでも戻ってくるぞ。互いに視界が通ってる。」

 

 

 今すぐに、にっしーと合流する為に立ち上がろうとするが、栂園は道を塞いでくる。

 

 

「大衆の前で正美くんが発作を起こすのと、人の居ない此処だとどっちが良いと思う?別に俺様はお忍びでもなく、ファンに挨拶しても良いんだぞ。俺様は街で歩いてるだけで動画も写真も撮られ放題で蓋なんて出来ない。過呼吸を起こす男性の動画が世間に出回っても、葉山ちゃんはいいのかな~?」

「っお前!」

「大人しくしてろって。」

 

 

 どうする事も出来ず、思考する暇も無くにっしーは戻って来た。

 

 

「久しぶり、正美くん。会いたかったんだ。」

「誰だ?」

「覚えてないってことはないだろ。なあ、いっぱい一緒に歌ったもんな。」

 

 

 栂園が、サングラスを外して振り返る。

 ――ガンッ。

 にっしーが両手に持っていた缶ジュースの片方を落とす。本能的に逃げようとするにっしーの腕を栂園は掴んで、逃がそうとしない。

 

 

「やめろ!放せ!」

「そんなに嫌がることはないだろ。俺様は、正美くんを一番の友達だって思ってるし、なんならこの世の誰よりも好きだぜ。」

「栂園、やめてよ!嫌がってるでしょ!」

「だから、動くんじゃねえって。葉山ちゃんは、少し前の話も忘れちまうのか。

大声だって、あんまり出さない方が良いんじゃねーの?」

 

 

 歯を食いしばるしかない。今すぐに、こいつをぶん殴れば、何もかもを終わらせる事が出来るのかもしれない。もういっそのこと――。

 

 

「聞いてくれよ正美くん。俺様も結構アイドル業界長くいるし、音楽関連の仕事するだろ?でも、一番の感動をくれたのは正美くんなんだ。歌で感動できるし、なにより心意気ってやつ?熱のこもった歌がそうだし、聞き易さじゃなくって人間味のある声質が好きでさ。そりゃ、中学の頃は俺様じゃ絶対に出せない低音を出してるし、完璧な筈の俺様より起伏が激しいっていうの?性的な見た目してるじゃんか?背の高さって一概に強みにならないし。一点においてだけでも負けてるのが気に入らなかったのに複数点あって。勿論その頃から魅力的だと思ってたって話だぜ?でも当時は正直転校してくれればいいなって、最悪屋上から飛べばいいのにと思ってたけどそういう訳にもいかないだろ。ほら俺様って優しいからさ。だから、優しく、学校の才能あるって勘違いしてる男子の皆にお前らじゃ一生勝てませんよ身の程弁えろよカスって勝負してただろ。その癖、正美くんは負けず嫌いで譲らないところが有ったから、いや今にして思えばそういう所を尊敬してたりするんだけどな?昔は徹底的に潰してやろうと、技術でボロ負かして、あと何だっけ壊れかけてたのに一回立て直したじゃん。あの時に、心の支えにしてた良く分からん安い紙を細切れにしたらなんか泣きながらゴミ屑を必死に集めて繋ぎ合わせようとしてて、面白かったからシュレッターにかけてあげたら倒れちゃったから、ビビったなぁ。いやしかしあんなに簡単に過呼吸で倒れるのって死ぬほど笑わせてもらったんだけど。多分、俺様と正美くんで漫才すれば天下獲れるんじゃねえの?でもまあなんにせよ、無事に壊せて一件落着だと思ってたんだ。まあ、しかしながらね、壊したいのって昔の俺様にとって愛情の裏返しみたいなところ有るじゃん?よく考えたら俺様って正美くんの歌が大好きなんだよね。一緒にアイドルしようぜ。いいだろ?」

 

 

 もう、見てられない。どうあっても私がにっしーを守らなければならない!

 栂園の手を引きはがして、にっしーを抱きとめる。アイツが小細工を使って私が晒し物にされようと、にっしーの顔は映らない。それだけで十分だ。今からの後悔なんて大したことは無い。服越しに伝わる過呼吸ってだけで、私が守れなかった事を数万倍悔いるべきだよ!

 

 

「いきなり何するんだ。痛いだろ。なあ、正美くんだって抱き着かれて、苦しいだろ?きもいだろ?セクハラを通り越して暴行罪だぞ。」

「何を言ってるんだよ!にっしー心の傷を抉って、こんなに苦しんでるのになんでそんなに涼しい顔をしていられるの!」

「馬鹿だな葉山ちゃんは、俺様そのものが心の傷だろ。君らからすれば抉って欲しいんじゃないのか?警察沙汰を覚悟で殴ってみれば?スッキリするぜ?でも自分の為に葉山ちゃんに暴力振るわせた正美くんの顔もしっかり見せろよ。見た事ない表情見せてくれるんだろうなぁ。」

「ふざけないで!」

「心の傷だろうと、そうじゃなかろうと、俺様は正美くんの心に根強く存在し続けるんだ。それって素敵なことだろ。長い付き合いになる。だから仲良くしようって言ってるんだ。自分で言うのもなんだが、俺様のアイドル事務所は大企業だぜ?本当はソロ活動したいけど俺様同レベルの天才がいるからしょうがないよな。そんな人材豊富な弊社なら心のケアなんて問題なく出来るし、いざとなったらあり余った金を使って催眠なり洗脳なりでどうにかなるだろ。俺様は、正美くんの歌声と心から歌が好きな心が欲しいんだよ。」

 

 

 話が通じない。どうやって、ここから離れればいい?こいつを振り切りながら祭りの中を走り抜けるなんて不可能だ。あと何時間、栂園と意味の無い会話をしなければならないのか。どうすれば、にっしーが苦しまないで済むのか。

 

 

「石段の上にあるやつって、食べていい?俺様って有名で、店に寄ったら面倒だから碌に食べ物も買えなくってさ。」

 

 

 置きっぱなしだった食べ物を見ながら、栂園は話している。だと言うのに、何故かこちらに向かってにじり寄ってくる。にっしーをもっと、私の方に引き寄せる。

 

 

「駄目じゃんか。一種類ずつ綺麗に平らげたりしたら、食べかけとまでは言わないけどシェアしたりして食べた方が友達っぽさ出るだろ?」

 

 

 一瞬で石段まで走った栂園は残っていたチョコバナナを手に持ちながらも、元の位置まで戻ってくる。私の洋服の襟を掴んで顔を近づけてきた。

 

 

「目論見が外れちゃったよ。食べかけが食べたかったのに。なあ、葉山ちゃんって正美くんのお手付きだったりする?俺様としては食べかけなんだったらそっちの方が嬉しいかもな。だって、間接的に俺様も正美くんのお手付きになるだろ?恋愛って粘液の接触って言うだろ?もし、正美くんをつれて一緒に来るんだったら歓迎するぜ。今度温泉旅行にでも行こうか。三人きりで。貸切るぜ。」

「誰が、お前なんかと!」

 

 

 熱に浮かされたような口調で、見つめてくる。だけど、確かに見た目は良くたって心が動くことは無い。こいつは、見た目さえ良くて能力があれば女も男も靡き付き従うと信じて疑わない。そんな考え方が何よりも受け入れられない。

 

 

 ――♪

 掠れた、僅かな音。だけどそれはリズムに乗ったものだ。それが聞こえた瞬間に私と栂園の時間が止まった。もう、栂園を見てる場合ではない。私自身、どんな気持ちで向き合えばいいのかすら分からない。

 何が切っ掛けか。考えるべき事が何なのかすらも分からないが、視界が滲む。

 

 

 

 ――塗りつぶされて苦しくても手を伸ばさなくても、君から見えて君を見ている脈動は一斉射で感じているぞ。

 

 ――同情はしない羨みも出来ないただ同一存在者として、生きてくれ、負けないでくれ、幾らでも頼ってくれ。

 

 

 

 綺麗な声、そしてリズム。私にとってはこの世で一番好きな声。立ち直ったとか過去を乗り越えたとか、にっしーの頑張りを讃えるよりも先に心が熱くなってしまう。また、私は君の歌を、この声を聴けるんだよね?

 涙ぐんでしまって、どうすべきか分からないよ。

 

 

「いや、冗談キツイって。何だよ、何を勝手に歌ってんだよ。歌えなかったのって俺様の影響だろ?俺様が正美くんの心に刻み込まれてたって証明だったじゃんかよ!なんだよその歌、聞いたこと無いぞ。オリジナル?心の底から湧き上がって来たってやつ?すっげーアガるじゃんか!でもムカつきもあるんだ。やっぱり正美くんは俺様に知らない感情を教えてくれるんだ!」

「…………。あのさ。」

「何だよ。今、怒ってるの分かるだろ?でもって感動もある。心ぐちゃぐちゃだよ。馬鹿にされた気分だ。圧倒的に勝っていたのに、なんで俺様が持ってないものを持ってるんだ。正美くんは常識がないのか?常識知らずで天井知らずか?だから俺様をこんなに震わせる。でも常識って大切だよな。友達が怒ってたら開口一番で謝れよ!さっさとしろよ!」

「そっか、じゃあ友達優先でいいな。」

 

 

 私の腕の間から顔を出して、微笑んでくるにっしー。夏の初めに会った時よりも表情はずっと柔らかい。私を見上げようとして、汗で張り付いた前髪がうっとおしそうに首を小刻みに振っている。その仕草が可愛くて、ちょっと口元が緩んでしまう。

 

 

「葉山、この頃迷惑ばっかりかけてごめんな。あと、なんか色々ありがとう。俺の為に怒ったりしてくれて。」

「気にしなくても良いよ。その為に付き添ってるんだから。」

 

 

 前髪をそっと分けてあげたら、脛を蹴られた。雰囲気が良いしいけるかと思ったがおでこを見られるのは恥ずかしいみたいだ。ちょっと反省しないと。

 

 

「そういう、あーそう俺様は友達じゃないってこと。そういや他の連中と違って心折れた後に友達宣言すらしてくれなかったっけ。そっかそっかふーん。別に傷ついてないけどな、いや本当に、悲しくなんて、これぽっちも無いぜ。まあいいや、毒気抜かれたし今日は帰る。俺様だって暇じゃないし、正美くんの歌が好きだってのは嘘じゃないから。すげー感動したし。今更になって手折るのも違うからな。歌ってくれたのは嬉しかったぜ。録音できれば家宝にしたいくらいだった。理由目的は俺様を追っ払う為だとしても、つまりは俺様の為に歌ってくれたんだろ?嬉しくって舞い上がりそうだぜ。まあ、これからは手段は選ぶ、んでもっていつか俺様と同じステージで、横一列で歌ってもらうから覚悟でもしておくんだな。ああ、忘れるところだった。今度ある俺様のステージのチケット。なんと三枚あるから渡しておくぜ。ちゃんと来いよ。来なかったらライブの度に一枚ずつ増やしてポストに投函していくからな。ちゃんと全部使えよ。…………絶対来いよ。あと、葉山ちゃんは調子に乗るんじゃねーぞ。正美くんの歌は俺様の物にするんだからな覚えてろよ。正美くんのガードが緩いからって勘違いするんじゃねーぞ。お前がフォローしてるのサブ垢だぞ。それとお前の住所も特定してある。正美くんに手を出してみろ社会的に殺してやるぜ。それとチョコバナナの代金は石段のところに置いたから、くれぐれも正美くんへの代金だからな。ライブ、絶対来い。まあ、正美くんが望むならお前も面倒見てやってもいいぜ。じゃあな。」

 

 

 色々、言い逃げされて栂園は帰っていった。嵐のような奴で、悪い夢だったと思いたいが、鞄に無理矢理入れられたチケットが現実であったんだと教えている。いつまでも密着している訳にはいかないし、いったん離れる。勢いとかで、随分な事を口走っていた気がするが、離れて一旦冷静になれた。そういえばにっしーが買いに行っていた目的の缶ジュースが、今までずっと腹部のあたりに当たっていたから少しお腹が冷えたかもしれない。いつの間に鼻血が止まっている事に気が付いたり、冷静に戻る為に遠くの花火を見てみたり。落ちたもう一本のジュースを拾ったり。

 本当は、にっしーにかけるべき言葉が何なのか熟考しているのだが、思いつかなかったりするだけなんだけどね。

 

 

「いつの間に止まってるけど、顔に血がついたままだ。ぬるくなったけどジュース飲んでまだ座っとけよ。タオル濡らしてくる。」

 

 

 思ったよりもケロッとしてる風に見えて、でもきっと強がりの筈だった。私の勝手な思い込みならそれでもいいけれど、栂園の姿に怯えて過ごした中学時代からにっしーは弱音を吐く事は少なかった。同時に口数も減って、一人きりになりたがっていた。

 知っているなら、なおさら負担を受け持たないと。

 

 

「別に、鼻から顎まで真っ赤なラインがあることなんて誰に見られたって構わないよ。そんなことより、にっしーを一人にする方が心配だから。」

「そうか。じゃあ一旦荷物は持っていくか。帰りに皆と合流する予定も無かったし、混雑しないうちに帰ろうな。」

「食べ物はもういいの?」

「流石に、ちょっと食欲は失せた。」

 

 

 そんな話をしていたが、水場に着き顔を洗い借りていたタオルを最低限の水洗いをして祭りから出る頃には、入口のゴミ箱にまだ食べていなかった鈴カステラや途中で買ったアメリカンドッグのゴミを捨てているところを見ると食欲がなくなった話は全くの大嘘であると分かった。

 寧ろ安心したからお腹が空いたんだろうなとは思う。私が洗ってる時にコソコソとアメリカンドッグを買っているのは愛らしかった。

 

 

「それで、具合はどうなの?下手に私から聞いて症状が出たら大変だから、話せる範囲で良いんだけどね。」

「取り合えず、何が有ったのかっていうのは思い出した。でも、トラウマのままではあるし、考えるだけで頭痛とかはする。それに記憶障害が治ったわけじゃないからな。思い出せないことが一つ思い出せた程度だ。それでも一歩踏み出せただけでも十分なんだろうけど。」

「にっしーは頑張ったよ。今日だけですごい進んだんだから、無理せずちょっとずつ治していけばいいと思うよ。」

「治るといいな。歌が好きだって気持ちを思い出して、同時に歌うことが辛いことになってたんだ。変な感覚で、矛盾してるだろ?……でも、一人の人生で起こりうることなんだなって。」

「だから、許せないんだよね。単に歌ったってだけで栂園がダメージ受けて帰ったのがおかしいでしょ。辛い気持ちとか伝わってきて、感情が混じり合ってて、そんな歌声だったから。あいつが、中学時代のにっしーの歌が好きだって言うんだったら透き通る思いとは別物。今日のは、力強さとか決意とか、楽しさ以外の感情が前面に出てた歌だったから。」

 

 

 にっしーはなにやらポカンとした顔で、私を見ている。歌の感想が、気に障ってしまったんだろうか。

 

 

「ごめんね。思ったことを整理しないで言っちゃって、昔の方が良かったとかじゃなくて籠った気持ちが違うって話だから。私はにっしーの歌が好きだし、歌えなかった間も友達だったでしょ?」

「そうじゃなくて、歌を聞いただけでいろんなことが分かるんだなって感心したんだ。葉山はすごいんだな。」

「にっしーの変化は分かる、って言いたいんだけどね。歌だと分かって、他だと気づかいが足りなくてデリカシーないことしちゃってごめんね。昔からにっしー歌のファンだったから、変化だって分かるよ。」

「じゃあ、今日のはどんな感じがしたんだ?肯定的な意見を言ってくれると、また歌う自信になるかもしれない。」

 

 

 感想か。

 聞いた事が無い曲の数フレーズで、オリジナルなのかな?だとすれば、歌詞にも思いが籠ってるんだろう。

 

 

「視点が独創的で、自分への激励のようで自分自身でもなく第三者でもない立場からの応援とかの思いが強かった。それと同時に乗り越えよう、負けないぞっていう気持ちもあって、一人で歌ってるのにまるで同時に複数の感情を表現出来てたね。真似できないと思う。ドライだけど引っ張ろうとするリードと、引っ張られるお陰でようやく声を出せた嬉しさ、それらが混在してるのが心に響いたよ。まるで、いや世界が二つかな?二つあるみたいだったね。」

「世界が二つって、そんなやつはいないだろ。」

「あの歌を聞けば絶対、にっしーの中には二つあると思うよ。まあ、多重人格でもないし人生観が二つある筈ないんだけどね。」

 

 

 ちょっと褒めすぎたかな?にっしーが顔をそむけてしまった。

 二つ。歌が好きって気持ちと辛いって気持ちかな?でも、二つの感情じゃなくて本当に、世界が二つあるような感覚だったんだよね。

 

 

「結局、花火は全然見なかったね。」

「そうだな。色んな出来事がありすぎて整理もつかないし疲れた。浴衣で歩くの大変だし。」

「似合ってて可愛いけど、大変そうだから見ててハラハラしちゃったよ。行きは歩きだったんでしょ?タクシーでも呼ぼうか?」

「最寄り駅より近いんだから、それくらい大丈夫だ。それに、家に着くまでは花火を見ておきたいだろ?」

「それもそうだね。」

「なんか打ちあがってるの変わった。すっごい大きいし、綺麗だな!」

 

 まだまだこれから頑張らないといけない事があって、寧ろ栂園のせいで今より大変かもしれないけど、にっしーは立ち向かっている。私よりずっと、そして栂園よりもずっと、大人だ。あいつと同じ呼び方が気に入らなくって本人の前ではあだ名を使い続けている私よりずっと、過去を割り切れているんだろうね。

 なのに、今日一番の大きな花火が上がった時の横顔が、昔と同じように心からの子供っぽい笑顔。反則級に可愛くって。やっぱり私にとって、君が一番輝いてるよ。




歌詞は創作、リズムは口笛だからもうあやふや。

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