と、思ってたけど煙草を吸ってるキャラいるから警告受けたら今更。
モチベ維持の為に次回は九月以内の投稿を宣言します。
思いだした記憶。歯車が狂った、トラウマの最初の記憶。
『今日も来てくれて嬉しいぜ。本当に。さあ、俺様と歌について語りあかそう。歌えばわかり合える。言葉なんかよりも歌で正美くんと通じ合えて俺様は毎日がたのしいんだ。出来れば一週間前みたいに休み時間の度、可能な限り歌い合いたい!』
『栂園、悪いんだけど俺の負けで良いよ。』
『はぁ?何言ってんだ、認められるわけないだろうが。正美くんがどう思ってても、やり続けるほどに、全然勝ったと思えなくなる。毎日放課後ってのが負担なら一週間に一回でも良いよ。譲歩は幾らでもする俺様に正美くんの歌を聞かせてくれ!参考にさせてくれ!学ばせてくれ!』
『分かってるだろ。もう心からの歌を歌える状態じゃないんだ。一番近くで聴いてるお前が一番分かってるだろ……。』
『そうだよな。正美くんの歌がおかしくなった原因くらい俺様にだってわかるんだ。』
『だったら分かってくれるだろ。』
――ビリッ。
『この手紙なのは分かってるんだ。さっき正美くんの机から抜き取ってきた。こんなのに縋るから、正美くんの歌が弱くなったんだ!こんなのを持ってるから、己に自身が持てなくなる!こんなものなんて、細切れに、無くしてしまえば!ほら、ちょっとは歌う気になったんじゃないか!』
『這いつくばって拾ってる姿なんて見たくなかったな~。繋ぎ合わせるとか、出来っこないのに。完全に元に戻ったりなんかしないんだって。あっそうだ。』
『全部拾うの遅すぎるぜ。じゃじゃーん、細切れの1ピース!これ一つでもシュレッダーにかければ一切の元通りなんてありえないんだぜ?なに?返すわけないじゃん!ほーら、正美くんの男の子らしい身長じゃ届かないぜ。もう細切れだ。持ってるゴミも貸してみな?あはははは!』
次に覚えてる記憶は病院で家族に見守られているところだったか。思い返しても尚、思い出せないような辛い記憶だ。
戻った記憶は少なくないが、人格は未だにこの世界へ迷い込んだ俺である。もう最早、この段階でこのままならば人格が元に戻る事は俺にとって一つの死を意味するのかも知れない。俺か、元の人格の俺は同時に存在できない。
仮に、元の人格が死んでしまったのならば、俺が記憶で触れた俺は栂園という記憶に真綿で首を絞められていたんだろうなと推察される。
首が締まる思い。そんなような記憶を思い出しながら、たどたどしく俺は朝から医者に相談――というよりは説明だろうか。今の今までかかりつけの医者と話していた。
午後13時をまわり、俺は病院から出るが、朝と変わらずに外は雨模様だった。昨日にトラウマを思い出して一歩前進しようと、心の状態が良かろうと、天気は崩れるものだ。俺は随分と楽になった気がするが、精神状態は十人十色。神様がいたところで俺一人を参考にそれっぽい天気に変える訳がない。曇り空を見上げる俺の心はそれなりに軽い。勿論、そんな気分でいるが医者には念を押して心配されるほどに疲弊しているように見えるらしいがな。歩く速度も遅いかもしれない。
だから心を表現できるとしたら天気雨だろう。気持ちは、記憶に由来する。人生の主柱となる記憶を取り戻した時、俺という存在は元にあった人格に戻るのかと思えばそうでもなく、しかし一つの物事への考え方や捉え方はバラバラで納得が出来ない話も出てくる。だがまあしかし結局性格の違いはあまりなく、だけれども性への違和感は無くならない。
主に思い出したのは中学時代にいじめを受けていた記憶で、受けていなかった人生の記憶はそのまま。
今の俺にとって栂園太陽は、嫌いの一言で説明しきれない人物であり、同時に接点の少なかった人物である。何をしても一番だった同級生というのは変わらない認識で、雌雄の違いがあれば人の歴史も違うのだろう。その歴史というか記憶があるからこの世界のアイツはあんなだし、色んな記憶があったり思い出したり消えたりしてるから俺はこんなだ。大事なのは事実であり、自分が何者かと考えるくらいなら他にやる事なんて幾らでもある。自分を見つめ直すよりも、現実に向き合うべきだ。
トラウマの対処は言うまでも無くやるべきだし、記憶を完全に戻すためにあらゆるストレスとの向き合い方も考えないといけないし、精神的な面だけでもやる事は多い。そして、身近な事も。
――珍しい、というか大丈夫かい?今まで咲さんが付き添いに来なかった事なんて無かったのに。
お世話になっている、らしい、病院の先生の言葉。誤魔化すように笑うしかなかったが、見た目以上、思っている以上に、咲の気持ちだって整理がつかない筈なのは気づくべきだった。
昨日帰って来た咲に、トラウマの記憶を思い出した事と栂園に会った事など全てを伝えたがリアクションは小さかった。俺が風呂に入っている間に、両親へ電話はしていたようで――とは言え遅い時間だったので親が出る事も無かったようだが。今朝、メールで『落ち着いているようだったら、たまには電話でいいので声を聞かせて欲しい』と両親から来ていた。話す事なんて思いつかないが、心配をかけさせない為にも咲の様子がおかしい事は伏せた方が良いのだろう。親への連絡も必要だが、まず塾から帰ってきたら咲と話し合わなくてはならない。
そんな事を考えながら、傘に当たる雨音を聞きながら家へと帰る。
身の振り方を考えながらの帰り道。
帰ったら俺の部屋は無くなっていた。
「は?なんで?」
すっからかんの伽藍洞。家具はベッドを残して全てが無くなって、跡地にあるのは乾燥剤が等間隔に置かれているばかりだった。
急いでリビングに下りるも、誰も居ない。咲に電話をしても出ないし、パニックになった俺は本来すべきと考えていた話題、過程、手順などすっ飛ばして親へと電話をかけていた。
「父さん?俺の部屋なくなったんだけど知らない!?」
『久しぶりと思ったらいきなりなんだ。元気してるか?』
「いや、うん。メールしたけど幾らか正常になりつつあると思うけども。」
『そりゃあ、本当に良かった。お母さんにも電話してあげろよ。心配してたんだからなぁ。』
「うん、するよ。で、部屋のこと知らない?」
『咲がな、必要だからって言ってたから許可した。まあ、正美より咲の方が危なっかしいしちゃんと見ててあげろよ。あと、もう成人してるんだから色々と考えて暮らしなさい。そういう関係に口出しをする気はないから。じゃあ父さん仕事に戻るから、何かあったら電話は夜にな。』
「ちょっと、父さん!質問の答えになってないだろ!」
切られた。
もう一度、咲に電話をかけるが反応は無く、メールをしても返事は無い。
打つ手を無くした俺は、リビングで座り麦茶に満たされたコップ一杯を手に黄昏る他なかった。
しばらく放心しているとインターホンを鳴らす気配も無くドアが開く音がした。足音の癖から、咲が帰って来たのだと分かる。しかし、ここまで派手にやられて怒るような気力も湧いてこない。まず何に対して意見するべきかもよく分からなくなった。
「あんた、何くつろいでるの?大変なんだけど。」
「大変ってのは、帰ってきたら部屋が無くなっていた俺の心境を言うんだ。せめて何かしら一言あるだろ。」
「ちゃんと説明するから取り合えず表に出て。葉山先輩を待たせてるから。」
「まあ、もういいよ。煮るなり焼くなり、好きにすればいい。」
鼻をフンスッと鳴らしながら、咲は俺の手を引っ張る。若いからこそのバイタリティというか、こんな行動力こそ俺に必要なのかもなと思いながら息つく暇さえまともにとれないまま雨の降る外へと戻る事となった。
そして、車の中。後部座席へと放り込まれた俺は、他の二人が口を開くまで窓を流れる雨粒を眺めるている。自分から口を開くのも馬鹿馬鹿しいし、説明すべきをしないのなら適当な場所で降りてしまってもいいだろう。
そう俺は拗ねているのである。もう社会人まで秒読みなのに恥ずかしい限りだと思うが、どうにもつんけんとした感情が湧いてしまう。
そう子供じみた反応をしていると暫くして咲が口を開いた。
「ちょっと、精神衛生上よろしくないものが家のポストに入れられてたのよ。あんたが病院に行くときにはもう入ってたのかもね。」
中は見ない方が良いわ、と前置きしながら咲が後部座席に投げたのは尋常じゃない量の便箋の入ったビニール袋だった。一通、手に取ってみると差出人には『栂園太陽』と手書きで書いてある。
「うわっ。」
「切手が無いから本人が投函したんでしょうね。住所特定くらいならまだしも昨日の今日でこんな行動する輩に住居が知られたまま暮らすのなんて怖すぎるでしょ?」
「まあ一理あるが。」
「だからちょっとの間でもいいから安全な場所に移って貰おうと思って。部屋が余ってるし、にっしーの荷物を私の家に運んでおいたんだよ。同性の他の友達の家に住まわせてもらえるならそっちの方が良いだろうけど、取り敢えず仮の宿としてね。」
「これからどうなるにせよ。あのままあの家に暮らすのは危なすぎるから荷物だけ運んだの。」
手にして分かる手紙の詰まったビニール袋の重みが確かに栂園の異常さを分からせる。思い返せば昨日だけに、俺の場所を突き止めるほどの執念が感じられた。住所を突き止める方が先に出来ていたとしてもおかしくは無い。
「問題は、奴をどうすればあんたが平和に暮らせるのかってことが分からない事よね。今更、接触してくる理由も分からない。」
「仮に私の家が特定されたとして、ずっと逃げ続ける訳にもいかないもんね。」
今日の今日まで俺も知らない葉山の新居をすぐさま割り出せるような事があったらもう逃げるより向き合った方が良いとは思う。良いというよりか解決が早いというべきか。寧ろ今すぐにでもすべきだと考える。考えても、そんな度胸はないのだが。
しかし、気遣うような、恐れるような二人の表情を見ると俺から言い出す事は出来ない。手に取る以上の事は出来ずに中は開かないまま座席に置いた手紙の山を見るだけで小刻みに俺の膝は震えている。心では、なにするものぞ、とさえ思えてもまるで克服なんて出来ていない。
俺よりも、周りの皆の方が物事を正しく理解しているんだろうと分かればこそ今日の出来事に怒る事なんて出来なかった。情けない事に、奮起すら出来ない。
「なあ、俺を考えてのことなのは嬉しいけど二人は大丈夫なのか?葉山だって押しかけられたら迷惑だろ?一日二日泊めるのとは訳が違う。」
「文句を言うなら、にっしーには言わないよ。それに、今回も見過ごして何かあったらきっと私は二度と上を向いて歩けなくなっちゃうから。」
「あんたが居なくても生活に支障なく過ごすくらいは大丈夫よ。心配なら、掃除と洗濯のやり方をメールで教えてくれればいいわ。あと、偶に、暇な時に、電話とかで世間話とか。」
「……普段はトイレ掃除もやらないくせに。」
「お母さんに言わないでよね。小遣い下げられちゃうから。――なんて、本当はトラウマのこと以外でも手伝ったりすべきなのに、普段から迷惑かけてごめんなさい。」
「子供が変に気を回すんじゃない。」
「もし、栂園が家に来たら。警察に謝って済む程度の行動で抑えられるか分からないから、あんたには感謝できるうちにしておくの。」
物騒極まりないが、それだけの怒りを持つほど憎いのだろう。俺は記憶を失っていた分、二人よりも危機感がない。怒りもきっと薄れてしまっている。俺にしてみれば、何年も後にちょっとした笑えない笑い話にしたいものだが、栂園が接触をしてきてる以上は寧ろ危機感が足りないのだろう。身に染みている恐ろしさを頭が実感できていない。
危機感。それにしては葉山は感情に出さないし、逆に咲の様子はちょっと危ういものを感じる。二人の間の温度差は何に起因するかは定かではない。だけど咲がここまでの怒りを抱く理由はなんとなく考えられる。
トラウマを思い出したと言っても細部までくっきりとはいかない。それに、忘れた記憶が戻るとは分かっても未だに忘れてしまった記憶は多い――んだと思う。思い出せないから感覚が大半だが、それでも思い出した記憶がある。家族との思い出を忘れてしまい悲しそうに「気にしなくていい」と笑う咲との会話は二度と忘れたくない記憶だ。その忘れてしまった記憶は未だに靄がかかっている。俺は、咲や葉山、家族や友人との記憶を忘れてしまった事に対する申し訳なさと悲しさの実感をこれから嫌というほど感じていくんだろう。
いや、中学時代の友人は葉山しかいなかったか。
「もう2、3キロで着くよ。咲ちゃんは朝から荷物の運び出しで疲れてるだろうし少し休んでいきなよ。のど乾いたでしょ?」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど早く行かないと。折角、あの野郎と確実に会わない時間に行動してたんだから。」
「お昼の生放送にでてたんだっけね。仕事がそれで終わりってことは無いと思うけど。」
「でも、気を緩ませて台無しにしたくないから。それに葉山先輩に要らない迷惑かけたくもない。だから、この辺でいいから下ろして。さっさと。今日はありがとう。」
つんとした態度の咲はそのまま自分の申し出のままに車から降りた。頑固さが筋金入りというよりも、今の咲は助言を聞いてくれないだろう。最近は少しばかり素直になったと思っていたが、いや素直さとは別の心の不健康と余裕の無さだろうか。
この一件は、俺なんかよりも周りの人の為に真っ先に解決すべき問題だと感じさせられる。
「というか、昨日に栂園が葉山の住所を特定したとか言ってたけどだいじょうぶなのか?」
「新居は誰にも場所は教えてないし、仮に分かってたとしてもセキュリティが凄いマンションなんだ。私の家で駄目ならもう防ぎようがないかな。」
「社宅?」
「厳密には社宅じゃないんだけど、会社近いから資金補助あるんだよね。そういう補助金とかで会社選んだりしたんだよ。」
「新卒で、一人かくまえる余裕ある奴なんてそうそう居ないだろ……。てか補助金は四月からだろ?」
「まあ、貯金はボチボチとね。大学はバイトをそれなりに頑張ってたし。」
「そうかい。なんと言われても世話になってるうちは家賃の半分は受け持つからな。友人といっても金まわりはきっちりしないとだろ?」
「じゃあバイトやってるならシフトの日は送っていくよ。ちょっと遠くなっちゃったでしょ?」
「いや、教授の研究手伝ってるだけだから家でも出来るんだ。」
「へぇどんな研究?」
「内容は知らないんだ。やってるのはサーバーの維持と保守だからな。」
「サーバーね、うん。はいはい。」
趣味の一つがゲームのくせして、サーバーと聞いても生返事の葉山。話題を広げる為にちょっとつついてやろうかとも思ったが、雨の降る中の運転をしている事に気づき、口を開くのを止めた。
精神的にも肉体的にも、疲れているのは俺だけではないんだ。あまり邪魔するのも悪いだろうしな。
黙っていたのも束の間で、暗めな駐車場からエレベーターに乗るまで、こいつ良い物件に住んでいるな、と思っていた。着いたマンションは住人でさえ面倒そうなセキュリティで、少なくとも許可した来客以外は簡単にエレベーターにすらたどり着けないだろう。
「さっきすれ違ったけど管理人さんが常駐してるんだな。」
「同じく常にいるフロントの人は雇われだけどね。住人か管理人に確認が取れないと変な人は入って来られないよ。逆に、暫くはにっしーも自由に行き来ができないかもしれないのはごめんね。」
「土地勘を掴むまでは一人ではうろつかないだろうから気にしてない。」
「それはそうかもね。あっ、ここが私の部屋なんだ。すぐに開けるから待っててね。」
エレベーター、廊下、どこも手入れが行き届いていて綺麗なマンションという印象だ。きっと、急いで運び込んだ荷物がそのままな玄関だろうから葉山の評判の為にもさっさと入るか。
「靴は取り敢えず適当でいいからあがってあがって。」
「……お邪魔します。」
積み上げられた段ボールはやはりという感じで、だが数は思ったよりも多くなかった。少ないと感じるほどだ。
「にっしーの荷物は右側の手前の部屋に全部あるからね。」
「全部?じゃあこの段ボールは?」
「私の荷物なんだよね。使わなくていいものが多いし開けて無かったんだけど、空き部屋が無くなっちゃったから廊下に出したままなんだよ。」
「片づけるくらいなら手伝おうか?世話になってるし。」
「――絶対に開けないでね!」
念を押しに押されて部屋に案内されたが、思うに半日もしないで運び込める量じゃない。本棚とか、葉山と咲だけで運べないような物まで運んである。
「業者でも呼んだのか?」
「どっちかって言えば業界人かな?昨日の時点で引っ越しは選択肢の一つだったんだけど、路次さんが手伝うって言ってくれていてね。」
「路次さんが?」
「あの人の職業って劇団なんだけど保有するトラックの名義がなぜか路次さんらしくて、いつでも乗り回せるから荷物を積んでくれたんだよ。」
「へぇ、じゃあ大道具とか作る人だったりするのか?」
「脚本らしいよ。自称、次期座長らしいけど。」
ケータイで撮ったらしき写真を見せてくれるが、想像よりは随分と派手な装飾なトラックだ。これを私用に乗り回せる路次さんのメンタルに感動すら覚えてしまう。
無地じゃないトラックを見ると――とはいえ写真のトラックは中型だが、女性向け高収入バイトの広告車を思い出してしまう。この世界では男性向けなのだろうか。
後で、清哉に連絡先を聞いてお礼を言っておかないとだな。
「片づけなんかは後でいいだろ。ちょっと疲れたし座らせてくれ。」
「リビングはクッションくらいしかないよ。一人暮らしで椅子とかは高くて買う気にならなくてね。」
「床に直座りでも気にしないけどな。」
見覚えのあるちゃぶ台もどきの近くに腰を下ろす。飲み物は出かけた際に買ったペットボトルが半分以上は残っていた。以前は、こんなペットボトルなんてガバガバ飲んでいたが、口が小さくなったのか胃が小さくなったのか、飲むペースさえ変わってしまった。
その内に慣れるだろうという気持ちはだんだんと変化に敏感な考えに変化している。成長とは違う心境の変化は怖い。きっと栂園に対抗する唯一の手段は、この世界の性別に染まらない事であると勝手に思い込んでいる。
「でなけりゃ不思議体験じゃなく不思議ちゃん……、いや君、なのか?」
「どったの?独り言?」
「溜息みたいなものだ。就職までに片がつかないと役所と会社に提出する書類が増えるのが面倒だなって。」
「行動してみたのは良いけど、実際どうすれば決着がつくのか分からないよ。今更に会っても私は情報なんて知らないし。」
言いながら、葉山の視線の方向には多すぎる手紙の山。おぞましいあれらは、玄関に置いたままだ。
「読むとしても、今日は面倒だな。頭を使うのはせめて晴れの日にしたい。」
「二人の手分けでどれだけ時間かかるんだろうね。あのビニール袋、洋服屋とかホームセンターとかにしかないようなでっかいのでしょ?」
「郵便ポストじゃなくて宅配ポストにでも入ってたんだろ。」
死んだ祖父は随分前から耳が遠かったから宅配ボックスがあるんだよな。だとして、郵便受けに入りきらない量の手紙を一度に持ってくるなよとは思う訳なんだが。
「しかし、あの一件の後は中学在学中は接触すらしなかったのに、今更になってどうして現れたんだろうね。」
「傍目から見てどう思われてたかは知らないが、突っかかられなくなっただけであの後も学年では腫れもの扱いだったし、無視されてたし、苛めみたいなものだったけどな。」
修学旅行とか楽しい思い出は一つも無かったし、家から出て、学校に通うまで日向に居るだけで足取りが重い日々だった。
それでも、塾では変わらない日々が続いて、葉山との関係が良い意味でも悪い意味でも変わる事は無かった。変わらずに接してくれるような人たちに二度と巡り合えないような気がしていたから、一度逃げてしまったらもう踏み出せないと思っていた。特に、事情を知っていたのに友人のままでいてくれた葉山には感謝している。
あの差出人不明の手紙。誰が書いたのかを探す名目で学校に足を運んでいたのが気持ちとして少しあった。でも心の支えになってたのは実際に会える家族や友人だけで、手紙の一件が心に根深いのはきっと無意識の違う理由があるのかもしれない。
「葉山が友達でいてくれたお陰で、歪まずに……。まあ、子供の頃よりは変になったかもしれないけど。」
言い始めたが、言葉にすると恥ずかしいんだが。今、言うべきなのだろう。
「友達でありがとうな。昨日だけじゃなく、いつも、だな。」
いやいや、めちゃんこ恥ずかしい。正味、成人に至るまでの人生二倍は生きている記憶を持つ俺だが面と向かって礼を言うのは耳が熱くなってしまう。
家族への感謝なんて、目と鼻の先で告げた事は無いし、言ってしまえば平静で言えた事は無い。もっと、普通の人生の延長で親に育てた事を感謝する機会が来るんだろうか。
顔が赤くなってないか?このままじゃ正面から葉山が見れないっての。
「――茶化すつもりじゃなくてね。初めはにっしーが私を助けてくれたから、恩を返したくてしてたことなんだ。」
こほん、と咳ばらいをして葉山は話を続けてくれた。
「小学校の頃に合唱で私が伴奏やってたのって覚えてる?」
「全く。」
「家に電子ピアノがあって、人並み以上に弾けてたからやってたんだよね。女子の中でも背が高い方だったから似合わなくってさ。」
言われても一ミリたりとも思い出せない。消えた記憶の一つにしておくか?いや、これは単に覚えてないだけだな。
「そんなだから機会がある度にからかわれて、音楽の時間、クラス別の合唱、学年行事の校歌斉唱とか。でもにっしーがその度に『女子、歌う時間が短くなるからさっさと弾けよ。』とかって言ってくれてさ。」
覚えてないし、絶対に助けてないし、割と嫌われるような言動してるな?我が我がの言動は、同じ学年にいたら気持ちのいいことは無いだろう。事情があったから男子のヘイトを稼いでたんじゃなくて、葉山に事情があったから俺へのヘイトが溜まらなかっただけなんじゃないだろうか。
「歌の時以外にそんなに意見するタイプじゃないし、真剣で綺麗な歌だったから、単に歌を邪魔されたくないだけなのは分かってたんだけど、すごく感謝してるんだよね。それから、でかい図体して趣味とかに口出しされて縮こまるくらいだったらシャンと胸を張ろうって思うようにしたよ。」
「その話が本当なら、俺も成長したもんだ。……もし、今まで中学の俺を主観で話していて、栂園だけじゃなく俺にも愚かしい部分があったら末代までの恥だな。」
「理由があったとして一線を越えた方に問題があるよ。どんな下らない言い訳があっても、やっちゃいけないことはあるんだからね。…………なんて暗い話は止めようか。今は立派に一人前だもん。にっしーは新しい友達だって出来ているし、私も、えーと、そうだね、猫背じゃなくなった!」
「ふふっ、シャンとするって意味が違うだろ。」
茶化すでもなく、しかし気恥ずかしさが無くなるように話してくれる。俺が思っていたよりも、葉山にとって俺の声を笑った事への後悔が深く、それは他人への深い思いやりの裏返しなのだろう。
俺も、トラウマに負けないようにシャンと背筋を伸ばして生きていこう。そう思わせてくれる。
荷解きをして、晩飯を食べて、荷解きの続きをして、風呂に入って、終わった頃にはもうすっかりと夜になっていた。夕飯は残り物の麻婆豆腐だったが、普通に美味しかった。家で作る麻婆豆腐は大抵が同じ味になるものだから不味い訳も無いのだが、葉山が料理が出来た事に少し感心した。
そして、レンジが俺の家のよりも良いやつな事に少し腹が立った。こいつは金回りが良いのか、持ち金を使ってしまうのか。居候の身、助かってるし意見できる立場は無い。風呂トイレは別だし、今後に出かけられるのかという以外に不便さなどの心配は殆ど無かった。
「しかし、マットレスを直に置かないとか。」
ベッドを運べなかったとはいえ、問題なく寝られるのか少し心配である。寝間着に着替えた後、横たわるが感触は変わらなさそうな気がする。だが高さや雰囲気に違和感があり落ち着かない。
葉山とは部屋が違うし、前回に場所は違えど同じ屋根の下で夜を明かした事もある。雌として、居候を考えても特に危険な事もなさそうと信じたい。特に、もっと恐れるべき相手が他に居る以上は、妥協するしかない。襲われやしないだろうし、仮にここまで心を許した女子に襲われたら、きっと今度こそは社会復帰が不可能なトラウマだろうな。なんて適当に考えてみるが、性的搾取への嫌悪感が薄い為に実感が湧かない。
親への電話もしなければと思いつつ、携帯電話の時刻を見つめる。日課のランニングの為に部屋を出た葉山と同時くらいに風呂へ入り、まだ帰ってきていないようである。余程時間がかかるようなら、ガスもタダではないし逆算して風呂を沸かした方が良かろうと数えていたりするのだ。33分、34分…………。
こうやって数えていると、なんだかちょっと眠くなってくる、ような。
――コンコン。
「いまちょっと時間大丈夫って、にっしー寝ちゃったのか。」
ノック音で気が付くと同時に、部屋の扉を葉山開けたところのようだった。どれくらい寝てしまっていたのだろう。別に寝たふりをしたい訳ではないのだが、起きていると言い出すタイミングを逃してしまった。
「今日だけじゃなくて、昨日も疲れてたもんね。もう荷解きが終わってるし段ボールも縛ってゴミに出せるようにしてるのは敵わないよ。律儀だよなぁ、にっしーは。」
そうして葉山は、寝ていると思い込んでいる俺を起こさないように扉をゆっくりと閉めて。
閉め……。
葉山?
「これは、そう。電気代に気を遣ってエアコン使わずに寝ているにっしーの部屋に冷気を送る為であって決して、寝姿を覗いてるわけじゃないんだ。多分、寝落ちたんだよね。毛布も掛けずに、パジャマ薄くてこれは中々な、盛り上がりが……。やっぱすっごくドデカいよ。」
入ってこないが、自己弁護が多い。
「――はっ!これはもしかして『昨日の事が実は怖かったけど本心は誰にも言えないが寝言でうっかり言ってしまったりするから撫でて落ち着かせてあげたり、怖い夢のせいで近くのものに抱き着いたりする』そんなパターンなのかも!」
ねーよ。たわけてるのかこいつは。
いやいやいやいや、もう迷いない足音が聞こえてくる。
「失礼しまーす。床に直置きのマットレスだと腰掛としても相当に低いね。ここに座るって体勢はきついかも知れない。」
この振動で起きるのが正解か?葉山は今どんな位置に居るんだ?自然な起き方が分からないが、仰向けから寝返りをうつにはリスクが大きすぎる。寝たふりが仮にバレてたとして、股座も尻も、俺が近づけたと思われるのは不本意だ。寝相が実は悪いような設定にして、葉山がいる方の逆側に転げ落ちて起きるのが正解か?
考えていると、握りしめていた携帯が震えて、びっくりして落としてしまう。俺は別に一切やましい事はしてないのに、しかしこの世界では襲われる側だと分かっていても、女子の家に居候ってだけで意識してしまう。寝たふりってのも罪悪感や緊張があるから余計に、びっくりしてしまった。
マナーモードにびっくりしたって事にして、取り敢えず起きてしまうか。
で、目を開けたらすっごい近くに葉山の顔があった。髪が微妙に濡れているあたりから察するにもう風呂には入った後みたいだ。だとすると結構な時間を寝てた事になるし、部屋を覗き見てたのも本日二度目の可能性が出てくる。
けれども、四つん這いで覆いかぶさってるとは思わなかった。
「違うんだよ!電話を落としてたから拾おうと思っただけで、他意はないんだよ!」
じゃあ部屋に侵入をするもんじゃない、と言うにはおかしいか。こいつの家だからな。
だとして、別に怒る事も無いし、関係が拗れる事も関係が変に進展する事も俺にとっては面倒だ。…………他の面倒事が解決してないからであって、俺だって葉山は最低限、人として、家族ほどではないが友人の中ではそれなりに、憎からず思っている。
だから、これはノーカウントにしてしまう。
「夢か。」
そう言って再度、目を瞑り今度こそ寝てしまえば良い。電気がつけっぱなしなのは申し訳ないが、本当に疲れていると分かれば――演技なわけだが、葉山もおとなしく部屋を後にするだろう。
「そっか、こんなことしてる場合じゃないよね。これで起きないくらい疲れてるんだからゆっくり寝かせておいてあげよう。」
ベッドから人が下りる音と何度かの機械音の後、体に毛布をかけられた。部屋を出る時に電気も消していったようで。あとエアコンをつけてくれた。
仕方なく、毛布をかける際に、下手糞な不慮な事故を装ったお触りも不問にしてやろう。あと性器ではあるけど、俗称・孕み袋は触られても別に気持ち良くないって事だけは分かった。尻を触られた時も別に変な反応はしなかったし同じようなものだろう。
ちょっと早いかもしれないが今日は本当に寝てしまおう。
――ギシ、ギシ!
…………。
――ギシギシギシギシ!
…………隣の部屋から五月蠅い音が聞こえるな。
「にっしー、にっしー!はぁはぁ、にっしー!にっしぃいい!」
声でかいなあいつ。そして嬌声を聞いてるのに騒音と判断するようになった俺は随分とこの世界に馴染んでしまったんだなとしみじみ思う。
だが、どうしようもなく性は不全。雄の俺なら女の子の自慰行為を間近にして弾む筈の心臓はなく。雌ならば心底拒絶するような反応もありはしない。成り立ちの違う世界を客観視しているのか、それとも都合の良いようにあれかしと望んで真っ直ぐに観ようとしていないのか。
精神的な問題が増えてしまったというかやはりなのか。歌と、性の自認。ストーカー被害も二の次に出来ない。現状、全てに打つ手は思いつかないし、新しい弊害や被害が出なければと祈るくらいしかできない。
そして、遮音性の高いイヤホンがあって助かった。