モスラ 創世   作:場理瑠都

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少女
少女


悔い改めなさい、人よ。

 自分たちが犯してきた、数えきれないほど多くの罪たちを、思い出しなさい。

 あの方は、悔いておられる。

 お前たちを見て、悔いておられる。

「産まなければよかった」と。

 償いなさい、人よ。

 あの方を失望させた罪を。

 その命を我らの剣で刈り取られることで、その命をあの方にお返しすることで、償いなさい。

 我らは、あの方の代行者。

 あの方より最も深き愛を恵まれた「幼子(インファント)」たち。

 この星に生きるすべてのものの偉大なる母であるあの方の御名の下に、我らはお前たちに罰を与える。

 我らの偉大なる母、「モスラ」の御名の下に。

 

 

 その言葉が世界中で流れた時、すべてが始まった。

 いや、「終わった」というのが、より適切な表現だろうか?

 

物凄く久しぶりに玄関の扉を開けたら、ぶわっ、と吹き込んできた風の勢いに押されて、私は一瞬目を閉じた。

 目を開けた私の目に飛び込んできたのは、不気味なくらいに青く澄んだ空と、その下に広がる、廃墟と化した街の光景だった。

 コンビニや病院や市役所や不動産会社や喫茶店の、砕けてしまったガラスが散らばって空の青を反射している道路。

 かろうじて元が車だったのだろうなとわかるレベルで「ぺしゃんこ」につぶれてしまって、道路の上や建物の上に激突した状態でさらされている車たち。

 風に吹き飛ばされてバラバラにちぎれて、もはや誰も来ることのないセールの存在をかろうじて主張しているような広告ポスターの切れ端たち。

 かつて「東京」と呼ばれた町の残骸が、そこにはあった。

 私は、そんな街の地面に、足を踏み下ろした。

 ぺたん。

 もう、とても長い間、私の足は地面を踏んでいなかったのに、踏み下ろした私の靴の裏を、地面は半ば忘れかけていた懐かしい感触で迎えてくれた。

 玄関を出たところで、私は振り返った。

 私が生まれてからずっと過ごしてきた家は、前に見た時と全く変わらない姿で、そこに立っていた。

 他の建物は、みんな大なり小なり、壊れてしまっているのに。

 きっと、モスラがこの家を守ってくれたのだと思う。

 母に抱かれて病院からやってきたこの家を。

 父に挨拶をして学校へ向けて出て行ったこの家を。

 モスラは、守ってくれたのだ。

 私は、踵をまた返して、歩き始めた。

 ガラスを靴が踏む「ざりざり」って音と。

「おうおう」と音を鳴らして吹く風に包み込まれながら、私は歩み始めた。

 行き先はわかっている。

 ここから遠いということもわかっている。

 だから、昔のことを、歩きながら思い出していた。

 世界が滅ぶ前に、私が見てきた出来事を。 

 

 私の母は、私を生んでから一年後に亡くなった。

 事故死だった。

 飲酒運転をしていた車にひかれて亡くなったのだ。

 小さなころの私にとって、だから母親とは、物語の中でしか知らないような存在だった。王子様やお姫様や、魔女や怪獣と同じ、概念として知ってはいても、身近な存在として実感できる存在ではなかった。

 たいていの女の子が最初に出会う自分以外の女性を、私は物心がつくころにはすでに失っていたわけだ。

 その上、私は一人っ子だった。

 だから、私の人生において、他者として意識した初めての女性は、きっと上羽(あげは)だったのだと思う。

 南野(みなみの)上羽。幼稚園で出会った彼女もまた、私と同じ母親のいない女の子だった。

 そして、上羽は、いつも一人ぼっちでいる女の子だった。

 誰とも遊ばず、いつも一人でいる女の子だった。

 そんなところも、私と同じだった。

 上羽と出会った時の光景を、私は今でも鮮明に思い出すことができる。まるで昨日起きた出来事だと言われても信じてしまいそうで、不思議なことだと思う。

 その時、私はいじめられていた。

 同じ幼稚園に通っていた男の子たちに、体を押さえつけられ、泥団子を投げつけて遊ぶ標的とされていた。

 それは私にとって、特別に珍しいことではなく、日常的に受けていた加害行為の一つに過ぎなかった。

  私は、弱かったから。今でも強くはないけれど、当時はもっと弱かったから、男の子たちにとっては、反撃を受ける心配のないままに安心して虐げることができる好都合な玩具であったのだ。

 だからその時も、私は泥団子を投げつけられていた。

 私は「やめてよ」とも「いやだ」とも声を上げることもなく、ただ、自分の体に泥団子が当たる気持ち悪い感触を、味わっていた。来ている服がどんどん汚れていくから、お父さんに叱られちゃうなあ、なんてことしか、感じることができなかった。

 私は、二人の男の子に、両側から体を押さえられていた。

 一人の男の子が、私に泥団子を投げていた。

 頭に当たったら60点、胴体に当たったら50点、足に当たったら30点。そんなルールに従って、彼らは私を押さえつける係と、泥団子を当てる係を交代しながら、競っていた。

 そんな時、私は上羽と出会ったのだ。

 彼女は、私に泥団子を投げた男の子の後ろに「ぬっ」と、前触れもなく唐突に近寄って、彼の後頭部を両の拳で勢いよく殴打したのだ。

 男の子は、急な衝撃にびっくりして、泣き出した。

 上羽は泣き続ける彼の頭を、間断なく連続して「ぼかすか、ぼかすか」と一瞬のためらいなく殴り続けた。

 私を押さえていた二人の男の子が、手を離した。

 急に攻撃を受けて泣き出した友達を、助けに向かうために。

 彼らは、上羽に殴りかかった。

 ぼかっ。

 上羽の両頬に、二人の男の子のパンチが激突する音を、私は聞いた。

 でも、彼女は泣かなかった。

 一瞬ひるんでも、すぐに彼らへの反撃を開始した。

二人対一人。

 そんな不利な状況下で、上羽は戦った。

 大して時間もたたないうちに、幼稚園の先生が駆けつけて来た。

 泣き声を聞いたからだ。

 

 それが、私と彼女との出会いだった。

 

 後で、私は彼女に聞いたことがある

「どうしてわたしを助けたの?」と。

 不思議だった。その後ずっと一緒に彼女は、私以外には誰に対しても、そんなことはしなかったからだ。

「べつに」

 彼女はそう答えると、少しだけ黙って、ぽつりと独り言をつぶやくみたいに言った。

「おまえ、きれいだったから」

 彼女はいつも、私のことをお前と呼んでいた。彼女自身のことは、俺と呼んでいた。

 私は、その言葉を聞いても、納得できなかった。わたしがきれい? そんなこと、信じられなかった。むしろ私は、上羽の方がずっとずっと、私を含めた誰よりもきれいだったと思っていたし、今でも変わらない。でも私はそれ以上、彼女に対して質問を重ねたりはしなかった。

何故かといえば。

 彼女にきれいだと言われたとき、不思議なことに、とても嬉しくなって、それ以上は何もかもどうでもよくなってしまったからだ。

 

 閑話休題。

 私と上羽は、初めて出会ってからいつも、二人きりで遊ぶようになった。

 上羽は、はっきり言って、周りの子どもたちから、恐れられていたと思う。

 別に彼女は、他人に暴力自分から振るうような子ではなかったのに。

 自分にちょっかいを出してきた相手に対する反撃の苛烈さと、常に他者を見るときに彼女の瞳に垣間見える、世界をすべて焼き尽くしてしまいそうな錯覚を感じさせる激しさによって、彼女は恐れられていたのだ。

 彼女の他者に対する態度には一切の差別がなく平等だった。

 唯一の例外は、私だ。

 彼女は私に対してだけは、花のような笑顔をよく見せてくれた。私に対してだけは、優しい目つきを見せてくれた。

 幼稚園を出て、小学校、中学校と私たちは一緒に過ごしていったけれど、それはずっとかわらなかった。

 そして私も、彼女に対してだけは、心からの笑顔を見せることができた。

 私は弱いから、弱さに伴うこととして、当然のように卑怯だった。他人に嫌われることが怖くてたまらなくて、何度も何度も愛想笑い作り笑いを見せてきた。

 でも上羽の前でだけは、私は安心できた。

 安心して、泣きたいときには泣いて、笑いたいときには笑うことができた。

 私が彼女の前で、自分の感情を偽ったのは、そう。

 中学二年の夏の、あの雨の日の時だけだったと思う。

 その頃、私は一人の男の子に恋をしていた。

 彼は、私の先輩だった。

 その時の私は、彼のことが本当の本当に好きで、それが「恋に恋する」感情なのかなんて疑うこともないほどに、毎日毎時間毎秒、彼を想って生活していた。

 ある日、私は彼に、彼の自宅に誘われた。

 よく晴れた日の午後だったけれど、私が彼の家を出た時には、雨が土砂降りだった。

 私は、雨の降る道を、傘もささずに歩いて行った。

 夕方に雨が降るって天気予報で聞いていたから、ちゃんと傘だって持って行ったのに。

 傘を忘れて、雨の中を、私は体を濡らしながら歩いて行った。

「おい! 詩(し)穂(ほ)!」

 私の名前を、呼ぶ声がした。

 声のした方を振り向くと、上羽がいた。

 傘をさして、私へ向かって走ってきた。

「何やっているんだよ、詩穂! 傘もささずに」

 走ってきた彼女は、私の上に傘を掲げた。

 彼女自身が濡れるのも構わずに。

 その時の私は、彼女に会いたくなかった。

 今すぐ彼女から、離れたかった。

「ううん、なんでもないの」

 私は微笑んだ。

 偽りの笑いだった。

 彼女の前で見せた、最初で最後の作り笑い。

「なんでもないの、傘もいいの。家、近いから、またね」

 そういって私は、彼女の持つ傘の下から、逃れようとした

「待てよ、詩穂!」

 上羽は、私の腕をつかんだ。

 その時だった。

 それまでの人生で、一度も経験してこなかった感覚を、私は味わった。

 突然、何の前触れもなく始まるフラッシュバック。

 さっき、先輩の家で経験した出来事が、私の意思を無視して私の脳内に無理やり再生される。

 ベッドに押し倒されたときに見た天井の色とか。

 スカートを脱がされる感触とか。

 私を写真にとる時にスマートフォンが出した音とか。

「これをばらまかれたくなかったらさあ、これからも仲良くしてくれよ。天羽(あもう)」

 そういって、ニタニタと笑う先輩の口元とか。

 やめて、と心中で叫んでも、否応もなく、私の脳裏にそれらの感覚が呼び覚まされる。

 心の中から迫ってくるから、目を瞑り、耳をふさぐことで逃れることもできなかった。

 それは、すぐに終わった。

 経験しているときは、延々と長く感じられたのに。

 終わってみれば、それが一瞬の出来事だったことが分かった。

 我に返った私の前には、上羽が立っていた。

 私を、茫然とした表情で、見つめている。

 彼女の表情を見ただけで、私は理解した

 ああ、知られてしまったんだ、と。

 何の根拠もなく、私は、さっき私が感じたことを、見た光景を、上羽もまた体験したのだと、知ってしまった。

「詩穂、お前・・・・・・」

 何かを言おうとする彼女を、振り切るように。

 私は、雨の中を、駆け出した。

 全速力で。

 私は、上羽にだけは、私が汚された姿を、見せたくなかったから。

 もう、一瞬だって、彼女のそばにいることが、耐えられなかった。

 何度も何度も転んで、泥だらけになりながら、一度も後ろを振り返らず、私は家まで走ってきた。

 玄関のドアを開けて、靴を脱いで部屋に直行して、ベッドに倒れこんだ。

 それから三日間、私は家から一歩も出なかった。

 

三日目の夜に、上羽が先輩を殺したという話を聞いた。

 

 

 

 上羽は、あの雨の日から三日後、学校で先輩をカッターで刺したのだ。

 彼女はその場で取り押さえられた。

 先輩は死んだ。

 私の初めて恋をした相手だった先輩が、死んだ。

 彼女は殺人罪で逮捕された。

 動機を聞かれても、彼女は決して答えなかった。

 何一つ、答えなかった。

 それを聞いて、私は泣いた。

 

 彼女は、遠くへとさった。

 あの雨の日を境に、私たちは、離れ離れになってしまったというわけだ。

 

 これが、第一の物語。

 世界が滅んだお話の、第一話というわけだ。

 

 

 

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