「嘘?」
ベルベラは、私の言った言葉を繰り返した。
「私が? 天羽さん、あなたは今まで何を見てきたのかしら。モスラは実在した。私が嘘を言ったわけでないことは、明らかじゃないかしら?」
私は首を振った。
「そのことじゃない。そのことじゃないの、ベルベラ。モスラは嘘じゃなかった。でも、あなたはモスラの意志を偽った」
ベルベラは、私を見て、黙った。
私の言っていることが、よくわからず、必死で理解しようとしているかのような、そんな様子であった。
「……理解、出来ないわ。私は確かに、モスラからの啓示を聞いたのよ」
初めて、私は、彼女を哀れだと感じた。
少なくとも彼女自身の主観では、ベルベラは真実を語っていたのだと、理解したから。
「そう。でもそれは、あなたがそう思い込んだだけ。モスラは、そんな言葉をあなたに告げたりなんかしていない」
「嘘よ……嘘!」
ベルベラは、頭を激しく振って、叫んだ
「そんなことこそ、嘘に決まっている! あなたはどうして、そんなことがわかるのよ!」
「私が、モスラの意志を、知ったから」
ベルベラは、口を閉じた。
「私が、モスラの巫女だっていうことは、本当のことだった」
私は言葉をつづけた。
「そして、父の死によって、私が覚醒したのも本当のこと。そしてさっきまで、モスラと一つになっている間、私はモスラの本当の心に触れることが出来た、モスラという存在を、理解することが出来た」
それは、まさに目まぐるしい体験だった。この世界におけるモスラによる破壊と同時に、私はモスラの思考を、モスラの存在の根本の在り方を、「感じた」のだ。
「モスラの心に、地球に存在する生物への愛なんて、人類への愛なんて、欠片たりとも存在しない」
私は、断言した。
「すべてを愛することなんて、そもそも無理なの。みんなを好きでいるってことは、誰も好きじゃないのと同じ。モスラは、私たちを愛してなんかいない」
「そんなこと――、そんなこと、あり得ない!」
ベルベラは、動揺した。
私の前に姿を現してからずっと見せ来た自信に満ち溢れた態度は、全く伺うことが出来ない。
「そもそも、あなたの言っていることは、最初からおかしかった。モスラが人類を滅ぼし、再生するというお話が。モスラは、何のためにそんなことをするの? だってモスラはあんなにも強いのに。強い存在が、何のために、弱くて愚かな私たちにかかわろうとするの? 導こうとするの?」
「それは・・・・・・、モスラが、その深き慈愛ゆえに……」
「そんな心を、モスラは持っていない。モスラには、善悪の区別がつかない。善も悪も、私たち人類がその矮小な身を守るために生み出した概念に過ぎないのだから。モスラにはそんなもの必要ないから、理解する必要さえない。だから私たち人類が私たち自身の善悪の尺度に照らしてどんなに邪悪であったとしても、モスラには私たちを裁く理由なんてないの」
私は、一歩、足を踏み出した。
ベルベラに向かって、一歩近づいた。
「ベルベラ。モスラは、あなたが信じているような都合がよい存在でないの」
本当に、哀れだと思った。
でも、許すことはできなかった。
「さようなら。ベルベラ」
それは、私が彼女にかけた、最後の言葉だった。
「え?」
それが、彼女が私にかけた、最後の言葉だった。
音がした。
肉をえぐる不快な音が。
ベルベラは、自分の体を無言で見下ろした。
彼女の胸からは、大量の血が、流れ出していた。
胸につきたてられた私の腕を濡らしながら、大量の血が、流れ出していた。
今、私の腕は、人のそれではなくなっていた。
手の代わりに鋭利な刃の生えた、異形。
私は、それを引き抜いた。
ベルベラは、倒れた。
大地に生まれた赤い水たまりの上に倒れた彼女の脈に、そっと、触れた。
ベルベラ・ガルは、死んでいた。
最後まで、何も理解しないまま。
私が彼女を殺害した理由が、復讐であるということにさえ、きっと思い至らなかったのだろう。
腕は、すぐに、元の姿に戻った。
私は、彼女の瞼を閉じてあげた。
彼女の人生という名の物語は、終わった。
でも、私には、終焉はまだ訪れてはいない。
世界にとっての終焉が、まだ訪れてはいないように。
私は、今眠りについているモスラについて、思いを巡らせた。
モスラ。
モスラは、慈悲深い神様などではない。
神様なんて言う、人類が勝手に作り上げた分類を当てはめることでさえ、きっと正しくはない。
モスラが壊すのは、裁くためなどではない。
理由なき破壊。
子どもが遊ぶのと同じようなものだ。
私は、モスラが地球に始めてやってきた時を、目撃した。
何も存在しない、死の星に、モスラが命を生み出したことは事実だ。
けれどそれとて、何か意味があったわけではない。
子どもが砂でお城を作るのと変わらない。
私は、モスラが元々いた世界を、目撃した。
それは遠い宇宙のどこか、それともべつの次元と呼ばれる世界だったのか、それはわからない。
わかっているのは、そこがモスラと同じような、巨大なる存在が多くいる世界だったこと。
背にいくつもの突起がある、四本の指を持った黒い龍が、青い炎をはいていた。
三つの長い首と、巨大な二枚の翼を持つ、金色に輝く竜がいた。
高層ビルよりも巨大な、地上に突風を引き起こす翼竜がいた。
人間を軽々ととらえてしまう程巨大なカマキリや蜘蛛がいた。
高速で回転して飛行する巨大な亀がいた。
彼らは、戦っていた。
牙を、爪を、足を振るい、その身から放射される熱戦や光線を飛び交わせながら。
大義もなく、利害もなく、ただ、内なる破壊と闘争を求める心のままに。
その世界にも、人の、文明の痕跡はあった。
だけど、それらは遠い昔に滅び去り、今は残骸を残すだけになっていた。
彼らによって滅ぼされたことは、疑いようもなかった。
今、そこにあるのは、彼らによって行われる、終わりのない暴力の宴のみ。
そこは、悪夢だ。
悪夢の世界から、モスラはやってきた。
そんなモスラが、人類を滅ぼした後で、選ばれた人たちだけにまた命を与えてくれるなんてことが本当かどうかなんて、考えるまでもなかった。
私は、空を見た。
青い空が、広がっていた。
さっき、東京が壊滅して、今も世界中で人がなくなり続けることなんて信じられないほど、綺麗な澄んだ空だった。
でも、きっとそれが、世界ってものなのだろう。
私たち人類の歴史は、控えめに言っても悲惨なことの連続であったけれど、どんな時でも、空や海や大地は私たちの事情なんて意に介さずに、ただ在るべき姿でいたのだろう。
もちろん、人類は、核や汚染物質を用いて、そんな世界にさえ、傷をつけてきたのだけれど。
私たちは、世界を傷つけることはできる。でも、支配することはできない。
モスラも、同じだ。
支配はできなくとも、影響を与えることが不可能なわけではない。
私はモスラの巫女。
ベルベラは、私の役割はモスラの言葉を民に伝えることだといった。
でも、巫女の役割は、神の意志を民に告げることだけではないはずだ。
祈ること。
民の願いを、祈りという形で、神に伝えること。
それだって、巫女の役割であるはずだ。
最も、私に願いを託してくれる民は、一人だっていやしない。
だから、これから私が祈るのは、ただ、私一人だけの願いのため。
私は、人類を滅ぼしたくない。
別に私は、人類への愛なんてたいそうなものは、持ち合わせてはいないけれど。
私には、決して死んでほしくない人が、たった一人だけ、まだ残っていた。
上羽(あげは)
私の、友達。
彼女が、この世界で、生きていけるために。
たとえどんなに悲惨で、どんなに間違っていたとしても、私は人類を、この世界を、守りたいと、強く祈るだろう。
私は、空を見上げていた顔を、地面に向けた。
膝を、地につけた。
両手を、合わせた。
子どものころから、食事をする前にしているのと、同じように。
大いなる存在に対する、敬意を示す姿勢だ。
私の口から、自然と、音が流れ出した。
歌だった。
これまでの人生の中で、一度も聞いたことがない歌だった。
とても穏やかな曲調の歌だった。
もしかしたらそれは、古の人々が、荒ぶるモスラを鎮めるために歌ったものだったのかもしれない。
森の中で、大地に膝をつき、手を合わせながら、私は歌い続けた。
風に、木々の葉が揺れる音を、聴きながら。