家を出た私は、目的の地にたどり着いていた。
そこで「彼女」に会うことが出来るということを、私は目が覚めた時から知っていた。
その場所は、広かった。
当然だ。何しろ、飛行機が着陸するために整備された場所なのだから。
もっとも今、そこに飛行機は一便も存在しない。
乗客となるべき人が地球のどこにも存在しないのだから、これもまた当然のことだ。
私は、空港に立っていた。
青く、どこまでも広がる空を見上げながら。
かつて見上げた時と変わらないその空の一点に、侵入者が現れた。
飛行機では、ない。
それは最初、視界という画面の中の、片隅の小さな点に過ぎなかった。が、点は時間とともに大きくなり、その姿をよりはっきりと見せ始めた。
徐々に大きくなる、羽ばたく音とともに。
四枚の白い羽。
羽を彩る、巨大な目のような模様。
太く、全体から見れば小ぶりな胴。
その胴から生える、六つの足。
頭部の大部分を占める、青い複眼。
頭部から伸びる、二本の長い触覚。
私たち人類が、「蛾」と呼称する生物に似たその存在が、空港に降り立った時、生じた突風に吹き飛ばされそうになって、私は必死で大地を踏みしめた。
その存在は、私と真正面から向かい合う位置に、着陸した。
遠く離れているのに、その巨体故に、私は、圧迫感を感じた。
私は、モスラと、向かい合っていた。
これで、二度目だ。モスラをこんなにも近くで見るのは。
私が、ベルベラを殺した森で祈りを捧げ始めてからしばらくして、モスラはこの真の姿へと、変貌を遂げた。
蛹を破り、夜になっていた空へと飛翔した。
月光を背にして雲の海に浮かぶその姿は、神話に出てくる天使のように、美しかった。
そして、ベルベラが言ったとおり、モスラは世界を滅ぼした。
世界中を飛翔し、人類が生み出した全てを、破壊していった。
巨大な六つの足で高層ビルを崩し、口から放たれる光線で人々を焼き尽くしていった。
巨大な目が、逃げ惑う地上の人々を見下ろした。
神の眼のように。
都市は炎に包まれた。
世界中でキノコ雲が生まれた。
だけどモスラは死ななかった。
丁寧なまでに、執拗なまでに、モスラは破壊をつづけた。
その結末を、しかし私は知らない。
まるで眠っている間に見る夢が、どこからかわからない部分で途切れて終わっているように、私にとって、そのドラマはあいまいな時点で終わっているのだ。
私は、もうどれぐらい前に出て行ったか分からない、自宅で目を覚ました。
いつもと変わらない部屋で、いつもの朝のように、ベッドの上で目を覚ました。
そして、ここまで歩いてきたのだ。
私は、モスラをじっと、見つめた。
「聞いてくれなかったね、私のお願い」
私は、言葉を口にした。
もちろん、私なんかの小さな声が、この距離でモスラに聞こえることなんてありえないと、わかってはいる。
これはただの独り言。
第一、モスラに言葉なんて通じないし、私とモスラとの間に、言葉なんて不要なのだ。
私の祈りとて、言葉になる以前の、ただの思いを強く念じただけだから。
モスラは、何も語らない。
私は、それを承知で、言葉を重ねた。
「でも、ありがとう」
私は、頭を下げた。
「彼女だけを、救ってくれて」
その言葉と、同時に。
モスラの眼から、光が出た。
両方から。
二つの光は、私の立つ地面の、ちょっと前で交わった。
二つの光を浴びたその大地に、「それ」が現れ始めた。
何もない空間に、陰影が生まれ始める。
空気の中に散らばるチリが、一つになって固まっていくように。
そこには、物体が出現し始めた。
数秒を経て。
私の前に、一人の少女がいた。
大地に横たわり、目を閉じて、眠っていた。
私は、彼女の傍らに膝をつき、彼女の頭を、そっと、私の膝の上にのせてあげた。
安らかな顔をして眠る彼女を、私はじっと見続けた。
ずっと、会いたかった。
私の目から、一滴の涙が、彼女の顔に落ちた。
それで、彼女は目を開けた。
「……詩穂?」
彼女の口から、私の名前を聞くのは、もう何年ぶりだろう?
「そうだよ。詩穂だよ。上羽」
私は、彼女の名前を呼んだ。
私の膝の上で、上羽は、言った。
「俺、死んだのかな?」
「ううん。死んでない、死んでないよ。上羽」
私は、彼女を見下ろして、その頬に手を触れながら、言った。
「モスラが、上羽だけは、救ってくれたよ」
「モスラ?」
「あれを見て。上羽」
私の指さした先を、上羽は、見た。
モスラがいた。
「あの化け物、モスラっていうんだ」
私は頷いた。
「ずっと一緒だよ、上羽」
上羽は、黙って体を起こした後で、返事を返してくれた。
「ああ。でも、みんなはどうなのかな。俺とお前以外の全人類は、どうなったのかな」
「みんな、死んでしまったと思う」
「俺たち二人だけで、生きていけるかな?」
「大丈夫」
「・・・・・・どうして?」
「私たちはもう、人じゃないから。きっと、生き物でさえないと思う」
そう。
あの時、卵からかえったばかりのモスラによって一度、私は人としては死んだ。
モスラによって再生された今の私の体は、人のそれではない。
そしてそれは、今の上羽も同じであることを、モスラの巫女である私は、すでに知っていた。
私たち二人は、もう、食べる必要も眠る必要もない。
永遠に、この姿のまま、二人だけで、この星で生きていくことが、モスラが私たちに許してくれた運命なのだ。
上羽は、難しそうな顔をした。
「なんか、お前から聞かなきゃいけないこと、たくさんあるみたいだな」
「うん。私も、上羽から聞きたいこと、沢山あるよ」
そういって、私は、彼女を抱きしめた。
暖かかった。
その時、風が吹いた。
モスラが、羽ばたいたせいだった。
モスラは再び、その四枚の羽根を使い、大地から浮かび上がった。
そのまま、上へ、上へ、飛んでいく。
「どこに行くんだろうな、あいつ」
上羽が、言った。
私は、それに答えなかった。
知らなかったから、ということもあるし。
今の私には、どうでもいいことだったから。
これから、私と上羽(あげは)だけが生きる、新しい世界が、始まるのだから。
モスラは、私たちのいる地上から、どんどん離れて行って、遂には一つの点のようになった。
そして、青い空の彼方に、消えていった。
完結