モスラ
はるかな昔、この星は命なき星だった。
ただ、水と、わずかな陸地だけにおおわれた星が、そこにはあった。
ある時、宇宙のはるか深淵より「モスラ」が飛来した。
巨大な羽を持つ、光り輝くわれらの偉大なる母、モスラ。
モスラは、この星で「命」を生み出した。
小さきものも、大きなものも。
動くものも、動かぬものも。
泳ぐものも、飛ぶものも。
知性あるものも、知性なきものも。
この星にあるすべての命は、モスラによって生み出された原初の命を祖としている。
モスラは、この星に命が満ちてゆくのを見届けると、より高次元へと「アテンション」し、星から姿を消した。
しかし今でも、モスラはこの星に存在するすべての命を、高次元より見守り続けている。御身の似姿である、人が蛾や蝶と呼ぶ、しもべたちの目を通じて
なぜなら、モスラは、母だからだ。
この星に生きるすべての命の、母だからだ。
わが子を愛さない母はいない。
モスラは、この星に生きるすべての命を愛している。
しかし、そのモスラの愛を、踏みにじり続ける生物が、この星にはいる。
人だ。
人は、モスラに対して、罪を犯し続けている。
モスラが愛している、この星に生きる命を奪うという罪を。
強欲に基づいて行われる環境破壊
正義の美名の下で行われる、戦争という名の残虐なる人同士の殺戮。
この星で、人ほど命を奪い続ける生物はいない。
モスラは、嘆いている
お前たち、人を見ることによって。
「産まなければよかった」と。
人よ。
悔い改めなさい。
自分たちが犯してきた数えきれない罪を直視するのです。
他者を害するために作り上げた、すべての武器を捨てなさい。
他者からの略奪によって手に入れた、すべての繁栄を捨てなさい。
他者へのすべての憎しみを、他者の財産に対するすべての強欲を、捨てなさい。
そして、愛するのです。
この星に存在するすべての命を、愛するのです。
偉大なる母、モスラがそうしているように。
そうすれば必ずや、モスラはあなたたちをより一層愛するようになるでしょう。
愛を示す者には、愛が与えられる。
だが、愛を示さないものに対して、モスラが愛を注ぐ時間は、遠からず終焉を迎えるであろう。
審判の日は、近い。
モスラは再び、この星へと降臨する。
傲岸不遜にして罪深きお前たち人を罰するために。
全てのものが、本来あるべきであった姿へと戻る日がやってくる。
母の胎内へと戻るのだ。
あの安らかな時間へと戻るのだ。
そして、その後、モスラから愛を与えられる資格を持つものたちだけが、新たなる生誕の時を与えられるのだ。
悔い改めなさい、人よ。
愛しなさい、人よ。
モスラの愛を、得るために。
そこまで読んで、私は本のページを閉じた。
別に理由はない。
もっと言うと、この本を駅でもらったこと自体、理由はないのだ。ただ、わけのわからない気まぐれのような好奇心に従って、「インファント」の人たちが無料で配布していた本を受け取っただけだ。私に本を上げた時に彼が「ありがとうございます!」という言葉とともに見せた満面の笑顔に感じた一ミクロンの罪悪感。
いや、本当に。
なぜ、あんなことをしたのだろう?
閉じた本を置いた机から離れて、私はベッドの上に横になった。
仰向けになって、空っぽの頭で天井を見上げる。
天井と、それから本棚。
私の部屋に、天井と、本棚と、それと机ぐらいしかないといっても過言ではない。
本の数が多いのだ。
哲学の本が多い。
高校に入ってから、急速に興味が湧いていった本たちだ。
漫画とか、小説とかは、ほとんどない。
高校に入ってから、急速に興味を失っていった本たちだ。
私の高校での生活は、中学の時と比べて特段の変化はない。
今でも、私は孤独だ。
昔と同じ、いや、昔よりも孤独だと思う。上羽が、遠くに行ってしまったから。
まあ、表面上は、多少は昔に比べて社交的になったという自覚はある。
休み時間には、ほかの女子たちや男子たちと、あはははって笑ったりもする。登校したらおはようって元気に言って、下校するときにはさようならってちょっと寂しい漢字を見せながら言って、休みの日には数人と遊んだりだってする。カラオケとかにも行く。
でも、そんな日常は、ただの仮面だ。
擬態だ。
弱い虫が、葉っぱに擬態して身を守るように、私は「平凡な女子高生」という、ありふれているように見える景色に擬態しているんだ。
だって、私は今、心の底から笑えていない。
上羽という、たった一人の友達が、そばにいた時のようには、笑えないのだ。
そんな孤独を紛らわすために、暇さえあれば本を求め・・・・・・新興宗教のパンフレットなんてものにも、気まぐれに手を伸ばしてしまっているのであろう。
ベッドのわきにあるスマホに、手を伸ばした。
すでに電源が入りっぱなしだったその画面から、ネットにアクセス。
何の因果か、ちょうど目に入ったのは「インファント」のニュースだった。
【『モスラ教』若者に信者急増、彼らが惹かれるわけ】
というタイトルの記事だった。
一枚の写真と文章で、その記事は構成されていた。
写真には、壁に描かれた蛾や蝶のように見えるシルエットに向かって、沢山の男女混じった人たちが頭を下げている姿が、写っていた。
キャプションには「インファント施設内での礼拝写真」と書かれていた。
[近年、先進国を中心に信者を増やし続ける宗教団体「インファント」通称、「モスラ教」]
[10年前、アメリカ在住の女性、ベルベラ・ガル氏によって創始]
[全生命の母とされる、蛾の姿をした女神、モスラを信仰]
[「モスラの教えに出会って、私は変わった」東京在住の会社員女性は語る]
記事に踊るいろんな文面を流し読みしながら、私の目は、教祖であるベルベラという女性のインタビューに止まった。
「太古、世界を創造した神は、女性であると信じられていました。しかし、男性中心社会の成立と同時に、神は男の姿をしており、女は劣った生物として創造されたという認識が広まっていった。それは平和や愛といった女性的な美徳への軽視へと繋がり、戦争に代表されるような暴力の温床となりました。私は、モスラから啓示を受けたのです。真の信仰を再び広め、人類を平安へと導くのだと」
その時、ドアがノックされる音がした。
「入っていいか? 詩穂」
父の声が、ドアの向こうから聞こえた。
不快だった。
文章を読んでいるときに、邪魔されたから。そして。
声の調子から、父が私にとって愉快な話をしに来たわけではないと、わかってしまったから。
でも、返事をした。
「入っていいよ。お父さん」
ドアのノブを回す音がして、部屋に入る足音が聞こえた。
ベッドの上で体を起こすと、目の前に父が立っていた。
重い表情だった。
「手紙が、届いたんだ」
そういって、父は封筒を見せてきた。
上羽からの、手紙だった。
私は、ベッドから降りて父に駆け寄って、その手紙を乱暴に奪い取った。
「詩穂。もう、南野さんと連絡を取るのは、やめた方がいい」
私は、ため息をついた。
もう、ずっと、私たちはその話題で言い争っている。
「なんで? 私と上羽が手紙のやり取りをすることで、お父さんに何か迷惑をかけた?」
「私は心配なだけだ。もうあの子は、詩穂とは住む世界が違うんだ。他人に関係を知られたら、詩穂だって変な目でみられるぞ」
「そんなこと、どうだっていいでしょ」
私が意地を張るのは、上羽の話題だけだ。
「よくない。人殺しと知り合いだなんてことが知れたら、きっと就職にだって悪影響があるぞ」
「たった一回人を殺しただけで、そんないい方しないでよ! お父さんに、上羽の何がわかるっていうのよ!」
叫びとともに、私は手紙を持って、部屋から駆け出した。
「待つんだ! 詩穂!」
父の声を後にして、私は階段を駆け下りて、靴を履いて、玄関を勢い良く開けて、外へと走り出した。
ずいぶんと、走った。
家から離れたところで、私は体を休めて、手紙を読んだ。
内容は、いつもの通りだった。
私の体調を気遣って、自分自身は元気だというだけ。
それだけの手紙でも、私は読んでいて、嬉しかった。
この世界に、彼女が存在しているということ、私と今でも繋がっているんだってことを、確認できたから。
周りを見渡すと、人が多かった。
私は気分を落ち着かせながら、そんな人たちの間を歩いた。
何気なく目に入った電器店のショーウィンドーに置かれたテレビで、ニュースをやっていた。
「連続児童殺人事件で逮捕された容疑者が、『自分はモスラへの捧げものとして、あの子たちを殺した』と供述していることが、判明しました」
モスラ。
また、その名前を聞いた。