気づけば少女はそこにいた。
場所は地上の人里だろう。たくさんの人々が行き交う通りの真ん中に立ち、少女は辺りを見回す。
行き交う人々の中に誰一人として少女の存在に気づく者はいない。まるで、そこにはじめから誰もいないかのように。
それを特別気にすることもなく、少女はふらふらと歩き出す──閉じた【目】を携えて。
あても無く、目的も無く、ただただ気の赴くまま放浪を続ける日々。
いつからこうしているのだろう。考えたところで答えは出ない。
かつて誰かに何かを言われた気がする。はて、何を言われたのだろうか。
大切な誰かがいたはずだ。けれど思い出せない。
かつての自分は何を望んでいたのだろうか。
誰も少女を認識できない。
誰も少女を見つけることはできない。
誰も少女の心に触れることは叶わない。
意識の外の【無意識】──それこそが少女の正体。
閉ざされた心の
──
『いらっしゃい』
無意識に身を委ね、ある日ふらりと訪れたのはとある神社。
赤い大きなリボンを後頭部で結び、濡羽色の艶やかな髪を背中まで伸ばした紅白の巫女服姿の女性は、境内を掃いていた箒の手を止め、見惚れるような笑みを浮かべた。
『ようこそ博麗神社へ』
彼女の瞳には映らないはずの
『ああ、今日も来てくれたのね』
訪れるたびに出迎えてくれる微笑み。
巫女の彼女と出会ってから、少女は何度も神社に通うようになった。
一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、寝転んだり、交わした言葉こそ多くはなかったが、気がつくと神社に来ていて、彼女と過ごす自分がいた。
彼女と話すたび、感じる心地よさ。
頭を撫でてくれる手の温かさ。
見つめてくる瞳の優しさ。
彼女の笑顔を見るたび少し早くなる心臓の鼓動。
その正体を少女は知らなかったが、自分の内側を満たし始めたそれが自分を変えつつあることには気付いていた。
──彼女ならきっと大丈夫だよ、勇気を出して。『好き』なんでしょう?
よく知る誰かのそんな声が聞こえた気がした。
時間の流れと共に無くしてしまったはずの心が顔を覗かせ、無意識が意識へと切り替わった時、少女は唐突に理解した。
心を読む能力を持つゆえに人からも妖怪からも忌み嫌われ、拒絶された過去。耐えきれずついに心を閉ざした自分。絶望に染まった姉の顔。様々な記憶が一斉に甦った。
心を閉ざしてしまえば全てを忘れることができた。嫌われる理由はなくなるはずだった。
でも本当に欲しかったのは──
全てを理解した時、彼女にこれだけは伝えたいと思った。
──ねえ霊華、あなたに伝えたいことがあるの。
もしかしたら彼女はそんな風に思ってはいないのかもしれない。これは少女が勝手に思っていることなのだから。それでも少女は、彼女が自分に向けてくれたものの正体をまぎれもない「愛」だと感じたのだ。少女にとってはそれが全てであり真実だった。
──私を愛してくれてありがとう。
そして少女は数百年ぶりに心からの笑顔を浮かべることができたのだった。
▼
「ん……日向ぼっこ最高」
静かな神社の縁側で一人、湯飲みを手に私は呟く。
体がぽかぽかとした太陽光に当てられ非常に心地よい。このままここで寝入ってしまいそうだ。
……まあ霊夢はつい先ほど部屋の布団で昼寝に入ってしまったので、特にすることのない私が寝てしまっても問題はないのだが。
「おや?」
ふと膝に何かの重みを感じたので視線を下に向ける。目に映ったのは私の膝に頭を乗せて寝転がるこいしの姿。帽子はすぐ横に脱いで置かれていた。相変わらず神出鬼没な娘だ。
ちらりとこちらを見る彼女と目が合う。撫でて欲しいってことかな?
「……ん」
肯定の返事をもらったので彼女の頭を優しく撫でる。ふわふわのくせ毛はとても触り心地が良く、甘い女の子のいい匂いがした。
「んー……私、やっぱり霊華に撫でてもらうの好きだな。癖になっちゃうくらい気持ちいいし」
「そりゃ良かった。なんならこのまま寝ちゃっても構わないわよ。私はこのまま日向ぼっこを続けるから」
「霊華って本当に日向ぼっこが好きだよね」
ああ、日向ぼっこはいいぞ。ビタミンは出るし、体内時計は正常になるし、がんの予防にもなっていいことづくめだ。あと気持ちいい。
「うん、霊華がすごく日向ぼっこ好きだってことはよく分かったよ」
くすりと笑うこいし。安定の可愛さである。
「霊夢とどっちが可愛い?」
「んー、それはさすがに決められないわね。どっちも可愛いじゃダメ?」
「むー、そこは嘘でもこいしって答えて欲しかったなあ」
そう言ってこいしはぷくーっと頬を膨らませる。いや気持ちは分かるけど、嘘をついたらついたで別の文句を言われそうだったし。
「むうー」
「はいはい可愛い可愛い」
「ぶーぶー」
ぶーぶー言いつつジト目で睨んでくる。その姿に心の中でめっちゃ可愛いなあと癒されつつ彼女の膨らんだ頬を軽くつつく。ぷにぷにのほっぺはまるでお餅のような感触だった。
「あんまり膨らませてると食べちゃうわよ?」
「やれるもんならやってみろー」
私の軽い冗談に対し、返って来たのは期待8割、冗談2割といった感じの視線。心なしかそわそわしているような気もする。
あれ? これってもしかして誘われてる? よし、なら遠慮なく……
「ひゃあ!?」
触れるだけの軽いキス。こいしが焦ったように可愛らしい声を上げて頬を押さえる。ぷにぷにほっぺ、どうもごちそうさまです。
「あら、期待してたんじゃないの?」
「うぅ……」
顔を背けるこいしの耳は真っ赤だった。少しからかい過ぎたかな。可愛い奴め。そんな風に考えつつ、感情豊かな彼女を見て私はふと言葉をこぼしていた。
「……だいぶ変わったわよね」
「……え?」
「あなたのことよ。会ったばかりの頃と比べてとても明るくなったわ」
古明地こいし──地底にある地霊殿の主である古明地さとりを姉に持つ、心を閉ざしてしまった元覚妖怪。
今ではこのように感情豊かな──それこそただの明るい少女にしか見えない彼女であるが、出会った当初からそうだったわけではない。
彼女との出会いは突然だった。
半年ほど前だろうか。いつものように神社の境内を掃いていたところ、ふと誰かに見られている気がして顔を上げたら目の前に彼女が立っていたのだ。その特徴的な容姿に、私は前世の知識からすぐに彼女の正体に思い至るのと同時に、軽く声をかけたのを覚えている。
彼女との交流はその時から始まったのだ。
朝に、昼に、夜に、神出鬼没なタイミングで何故か頻繁に神社に現れるようになった彼女と交流する日々が続く中で、私はいくつかのことに気付いていった。
まず、彼女が私以外の誰にも見えていないこと。続いて極端に口数が少ないこと。
最後に、彼女の思考と行動のちぐはぐさである。会話をしているのに目の焦点が合っていなかったり、笑っているのにまるで泣いているように見えたりと、私の中でその違和感は日に日に大きくなっていった。
心を閉ざした元覚妖怪。きっと彼女は私の想像もつかない大きな闇を抱えて生きているのだろう。
それでも、いつしか大切な友人となっていた彼女の歪な笑顔ではなく本当の笑顔が見たい。そんな思いで私は彼女に歩み寄り続けた。
結果として今の彼女があり、私はとても嬉しく感じている。やはり彼女には人を魅了する明るい笑顔がよく似合うから。
「……私ね、今とっても幸せなの。全部霊華のおかげよ」
そう言って素敵な笑顔を見せるこいしの胸元には
「触ってもいい?」
「……うん」
手の平にちょうど乗るくらいの大きさのサードアイ。その上部を指先で優しく撫でればツルツル?ブヨブヨ?のなんとも不思議な感触が返ってきた。彼女の体の一部ということもあってか人肌のような温かさもある。そのまま撫で続けつつ前を見れば、彼女がくすぐったそうに身をよじっていたので慌てて手を離す。
「ご、ごめん。ちょっと癖になっちゃって」
「だ、大丈夫。……でも、撫でられるならやっぱりこっちの方がいい」
そうしてずいっと差し出される頭。それを私は言われるまま撫でようとして──
「あーーっ!? ようやく……ようやく見つけましたよこいし様!」
突然聞こえてきた聞き覚えのない第三者の声にピタリと手を止めた。
こいしと揃って声の方を見れば、深紅の髪を両側でおさげにした黒と緑のゴスロリファッションの猫耳少女がそこに立っていた。彼女は一直線にこいしの側へとやってくる。
「お願いですから、いい加減地霊殿へ帰って来てくださいっ!」
まさかの泣きながらの懇願である。私は状況が理解できず、一体どういうことかとこいしに視線を向けるがスッと目をそらされた。おい、こっち向きなさい。
私見になりますが、こいしちゃんは閉じてしまった心の奥底で、本当は人一倍『愛されること』に憧れを抱いていそうなイメージがあり、今回の話が生まれました。実はこの作品の登場人物の中でもかなり主人公への依存度が高い子です。……若干ヤンデレも入ってるかも。
言葉の引き出しが少ないせいでこいしちゃんの可愛さを上手く伝えられているかどうか……
前々からこいし回は今日このタイミングで投稿と決めていました。
彼女関連の最近の話題を一つ挙げると、野生のピクサーとも呼ばれる某弾幕動画投稿者のこいしVS霊夢の弾幕ごっこ動画を見てすごく感動した作者です。平成最後に良いものを見ました。ああいうのを見るとやはり東方はファンたちに深く愛されているんだなあと感じますね。
次回から巫女の地底訪問話に入ります。