最近のリアルの忙しさと戦闘描写の難しさが合わさり、執筆に大変苦労しましたがようやく投稿できました。
文字数も気がついたら8000字オーバー。
なので今回も長いです。
地上の太陽が空に高く昇りきったその頃、幻想郷唯一の神社には箒を手に境内を一生懸命掃除する幼い少女の姿があった。
「おかあさん、いまなにしてるのかなあ?」
少女──博麗霊夢は箒を掃くその手を止めてポツリと呟く。彼女の頭に浮かんでいるのは現在神社に不在の母親の姿だった。
「──母親のことが気になるか?」
「──えっ?」
自分以外誰もいないはずの神社で、不意に聞こえてきた女性の声。聞き覚えのないそれに驚きつつも霊夢はとっさに懐からお札を取り出して構える。その幼いながらも素晴らしく早い反応に、相手は感心したような声を漏らした。
「ふむ、良い反応だ。その年でそれだけできれば今は十分だろう。母親の教えも、お前自身の要領も良いのだろうな」
「おねえさんはだれ?」
「私は……そうだな、お前の母親の育ての親の一人と言ったところか」
「おかあさんの、おかあさん?」
相手の発言に驚いた霊夢は改めてその姿を確認する。
金髪のショートボブに金色の瞳、頭には角のように二本の尖がりを持つZUN帽を被り、古代道教の法師ような服装に身を包んだ女性だ。それだけでも見慣れぬ珍しい格好であったが、何よりも霊夢の目を引いたのはその背から扇状に広がる金色の狐の尾だった。
「きゅうびのきつね……だいようかい」
「正解だ。だが警戒する必要はない。見ての通り私に敵意はないからな。私は主から命令を承っただけの存在に過ぎん」
じっと女性を見つめていた霊夢は静かにお札を持つ手を下ろして尋ねる。
「おねえさんは、おかあさんのおきゃくさん?」
「いいや、用があるのはお前だ霊夢。私の名は八雲藍。幻想郷の賢者八雲紫様の式だ」
「わたしのなまえ……」
「お前のことは常日頃紫様から聞いている。大変優秀な後継の巫女だとな」
「……」
未だ状況がよく飲み込めていない霊夢に藍はそのまま続ける。
「さて、私が今日ここに来たのはこれをお前に見せるためだ。お前はただこれを最後まで見届けるだけでいい」
そう言って彼女が片手で空間を縦になぞると霊夢が入れるくらいの大きさのスキマが開かれた。突然現れたスキマを覗いた彼女の目に映ったのは──
大人の男性ですら見上げるような巨体の人型妖怪と対峙する母親の姿だった。
「おか──っ!」
思わず声を上げかけた霊夢だったが言葉を最後まで続けられずに硬直する。彼女は母親と対峙する妖怪を見た瞬間に沸き上がってきた、生物としての原始的な恐怖に動けなくなってしまったのだ。
「なに……あれ……」
あれはまぎれもない怪物だ。
見ているだけで伝わってくる圧倒的な強者としての威圧感。その堂々とした姿は、どんな相手だろうと一撃の下に倒してしまいそうな隔絶した強さを感じさせた。
「気づいたようだな。そう、お前の母親が今対峙している相手はそういう存在だ。……それにしても、間接的にとはいえあれほどの大妖怪の威圧を受けてなお正気を保っていられるとはな……少し驚いたぞ」
もはや藍の言葉も耳に入らず、霊夢は必死で怪物と対峙する母親の方へと視線を移し──ごくりと小さく息を呑んだ。
そこにいたのは今まで見たことがないほど真剣な表情をした母親だった。
彼女は怪物の威圧を受けてもまるで揺らぐことなく、ただ堂々とそこに佇んでいた。
食い入るようにスキマに映る景色を真剣に見つめだした霊夢を見て、藍はかすかな笑みを見せる。
「さあ霊夢、よく見ておけ。これがお前の母親──〈博麗の巫女〉だ」
──紫様と私の、愛しい自慢の娘だよ。
▼
現れたのは大柄な女性の鬼だった。
額に生えた赤い立派な一本角、外の世界の体操着のような服にロングスカートという格好をした、長い金髪に赤目の大柄な女性。
彼女はまさに怪物と称されるにふさわしいオーラを放ち、大きな赤い杯を片手に不敵な笑みを見せていた。
先ほどまでの輩とはまるで格が違う。
放たれる重圧にこいしとお燐は硬直して動けず、唯一巫女だけが自然体で佇んでいた。
「こいし、お燐、下がっていなさい」
彼女の鋭い眼光を受けた巫女は背後の二人にそう告げて一歩前へ進み出る。
背後の二人はそんな彼女の身を案じて引き止めようとするが、体がまるで言うことを聞いてくれない。
「ね、姐さん、ダメだよっ! その人の相手だけは……!」
「十中八九、〈鬼〉たちの中のリーダーみたいな存在でしょう? 理解しているわ。その上で言っているの、二人とも下がりなさい」
納得がいかないという顔の二人であったが、彼女に譲る気がないと悟ると仕方なく引き下がり、心配そうに成り行きを見守った。
一方で勇儀はそんな彼女の言葉に興味を示す。
「お前さん、もしかして鬼を知っているのかい?」
「ええ。酒と喧嘩を何より好み、嘘を嫌う存在だとね」
「その通り! 驚いたね、まさか私たちのことを知る人間がまだ地上にいただなんて。とっくの昔に忘れ去られたもんだと思っていたよ」
「覚えている者は覚えているのよ」
「はは! こりゃあますます楽しみになってきた!」
愉快そうに笑い、拳を掲げる勇儀。
「ここでの揉め事は基本的にこいつで決めるんだ。まさか旧都でこれだけの騒ぎを起こしておいて、そのまま何事もなくここを通れるだなんて思っちゃいないだろうね?」
「……」
「私からの要求はただ一つ、勝負しようじゃないか人間! お前さんが勝てば私は大人しくこの道を譲ろう!」
酒で満ちた杯を掲げ、そう宣言するや否や上がった大きな歓声。衝突はもはや避けられなくなっていた。
「勝負方法はそちらで好きに決めてくれていい。どんな勝負であれ、私は全力で戦うだけさ。いつでもいいよ、かかってきな」
「……その杯は何のつもり? 酒が入っているようだけど飲まないのかしら?」
「こいつは所謂ハンデってやつさ。お前さんの決めた勝敗の条件とは関係なく、この杯の酒を一滴でも溢したら私の負けでいい」
至極当然といった顔で告げる勇儀。
彼女自身、この条件をつけることに何の疑問も感じていない。鬼と人間の間にはそれだけの種としての格の差があり、ハンデを設けなければまともな勝負にならないと考えていた。それでは面白くないからだ。
「なるほど、一気に難易度が下がったわね」
「ほう?」
「勝負方法は『上半身が先に地面についた方が負け』にしましょう。開始は今この瞬間からよ」
「了解した! さあこい人間!」
勇儀は何も知らなかった。
──もし、先ほどの彼女のハンデ発言を巫女の古き友人たちが聞いていたのならば、彼女たちは口を揃えて必ずこう言ったであろう。
──後悔しても遅いわよ、愚か者。
────ゾクッ
「……ッ!?」
決着は一瞬であった。
乾いた音と共に杯が一瞬で砕け散り、酒が地面にぶちまけられる。
誰も動くことはできなかった。
「な……」
一拍遅れて我に返った勇儀は驚愕の目で巫女を見る。
一体何が起こったのか……それは当事者である勇義自身が一番理解していた。
巫女がやったことは至って単純。
殺気を飛ばして相手を硬直させ、その間に投擲した針で杯を砕いた。ただそれだけだ。
だがしかし、一番の問題はそれを勇儀という大妖怪相手にやってのけたということ。
……怯えたというのか? 一瞬とはいえ、鬼の四天王である自分が人間の放った殺気に!
その事実に気づいた時、勇儀が感じたのは恐怖ではなく歓喜だった。
「……はっ、ははは、あっはははははははは!!」
大きな笑い声が辺りに響く。怒りや悔しさではない。心の底から清々しい気持ちで彼女は笑っていた。
「素晴らしい殺気だった。どうやら私はお前さんを随分と見誤っていたらしい。すまなかったね」
ああ、自分はなんと愚かだったのだろう。何がハンデだ。勘違いも甚だしい。この者は間違いなく自身の全力を出して初めて渡り合えるほどの強者ではないか!
強く自分の頬を一発殴りつける。それは先ほどまでの愚かな自分への戒めであった。
「……ああ、私は大馬鹿者だよ」
地面を見つめ、悔しそうに呟く。
勇儀は今、心の底から後悔をしていた。
自分は何故あのようなハンデを設けてしまったのかと。
自らの愚かさによって、彼女は最高の強者と戦える絶好の機会を台無しにしてしまったのだ。
本当は今すぐにでも先ほどの発言を取り消して再戦を申し込みたい気持ちでいっぱいであった。
しかし、それでは先ほどの巫女との取り決めが全て嘘になってしまう。
それは鬼が最も嫌う嘘つきの最低な行為だ。そんなこと、できるはずがない。
故に勇儀は後悔を抱えたまま耐えることしかできなかった。
固く唇を噛み、内心を圧し殺して勇儀は勝者を讃えようと前を見た。
「……え?」
巫女が油断なく勇儀を見据えていた。
己の周囲に二つの陰陽玉を浮かび上がらせ、手には数枚のお札を構える巫女に彼女は驚いて目を見開く。
いまだに相手の戦闘体勢が解かれていない。
これではまるで──
「今の勝負の決着はついたわ」
「っ!……ああ」
「けれど……」
巫女は静かに勇儀へと問う。
「あなたはそれで満足できたのかしら?」
「……!」
できるはずがない。しかしこちらから約束を破るわけにもいかないのだ。唯一方法があるとすればそれは……
「お前さん、もしかして……」
「私は最初からそのつもりで覚悟を持ってここに立っているわ。さっきのはただの準備運動……でしょう?」
いつでもやれると戦意を見せるその姿に、勇儀の胸は激しく高鳴った。
つまり、彼女はこう言ってくれているのだ。
戦う気があるなら、今度は本気の勝負で受けて立つと。
「……ああ、勿論だ!」
まさか人間から勝負へ誘われる日が来ようとは。
これでは、全力で応えるしかないではないか。
「始める前に一つ、お前さんの名を聞いてもいいかい?」
「そうね……知りたければ聞き出してみなさい。実力でね」
人間はそう言って小さく笑った。
「ならば全力で聞き出してみせようじゃないか!」
我が身の興奮が止まない。
この者とならばきっと最高の勝負ができるという確信。
抑えきれぬ歓喜に打ち震え、勇儀は吼えた。
▼
はるか昔の鬼退治の再現のように対峙する人間と鬼。
開幕の一手は巫女からだった。
大小様々な霊力弾を勇儀に向けて撃ち出しながら大きく距離をとる。
一方で勇儀はそれらを防ごうともせず、巫女へと一直線に駆け出す。その勢いは無数の霊力弾が直撃しようとまるで衰えない。
「……やはりこの程度じゃかすり傷にもならないのね」
「当然! 鬼の頑丈さを嘗めるんじゃないよ!」
瞬く間に巫女へと迫った勇儀。
轟と勢い良く繰り出された破壊の右拳が巫女へと届くその瞬間、巫女の前に現れた結界が凄まじい衝突音を立ててそれを防いだ。
「ははッ! この一撃を正面から受け止めるのかいッ!!」
これまで同族以外に一度も止められたことのなかった自慢の拳。
岩を砕き、地を割り、数多の敵を屠ってきた一撃が目の前の人間によって止められたのだ。
驚きつつも、嬉々として叫ぶ勇儀。そのまま力任せに拳を押し込み、結界をついに破る。
しかしその間に巫女は再び距離をとっていた。
背筋を走る悪寒。
何か来る。
急激な霊力の高まりを感じ取った勇儀は即座に対応できるよう身構えた。
「神霊──」
「何!?」
一瞬で勇儀の背後に転移した巫女。虚を突かれ、慌てて振り向いた勇儀に容赦なく彼女の技が炸裂する。
「『夢想封印・貫!』」
「……こいつはッ!!」
速い。
撃ち出されたのは一発の巨大な光弾。回避は間に合わない。
受け止めようとした勇儀の体が紙のように吹き飛ぶ。鬼の巨体は悲鳴を上げる観戦者たちを撥ね飛ばし、轟音と共に旧都の建物を貫き次々と倒壊させていった。
「……ぐッ! おおおおおおおおッ!!」
足を踏ん張り、気合いでようやく攻撃を反らしたものの、受けたダメージは想像以上に大きかった。
口端からこぼれる血を手で拭い、勇儀は思う。こんな痛みを味わったのはいつぶりだろうか。
かつての時代。
人間たちが卑劣な手段を用いて鬼を退治するようになり、鬼たちがそんな人間に嫌気が差して地上を去るよりも前……過去に勇儀が戦ったどの人間よりも、目の前の彼女は魅力的な存在に見えた。
彼女こそ、勇儀が求めて止まなかった強き人間。
体の芯にまで残る衝撃と痛みを反芻し、勇儀の口元は大きく釣り上がった。
大妖怪ですら怯ませる殺気を放ち、瞬間移動を使い、鬼にすらダメージを与える恐ろしい密度の霊撃を放つ。こんな人間がまだ地上にはいたのか!
「魅せてくれるじゃないか……!」
ならばこちらも相応に応えなければならない。
勇儀はその場で腹いっぱいに空気を吸い込み、妖力と共に一気に解き放った。
「ガアアアアアアアーーーーッッ!!!!」
それはまさに地底全体を震わせるような怪力乱神の咆哮。
声と共に解き放たれた妖力は弾幕を形作り、実体のある力の奔流となって巫女を押し潰さんと迫った。
そのあまりにも規格外な攻撃方法に圧倒され、対処が遅れてしまう巫女。
避けるタイミングを失った彼女は迫り来る死の奔流をその場で受けて立つことを決意する。
「『陰陽結界』!」
選択したのは巫女が今できる全力の防御手段。
彼女の周囲で回転する陰陽玉が強く輝きを放つ。
同時に津波のような弾幕がその姿を一気に飲み込んだ。
▼
……いやいや、いくらなんでも強すぎではないだろうか。
元から勇儀が強いことは知識で知っていたがまさかここまでとは。
もはや呆れて笑うしかない。
こうなることを見越して万全の準備で来たとはいえ、はたしてどこまで持たせられるのだろうか。
私が最初に放った霊力弾は一つ一つがやや劣るものの、その威力はノーマル夢想封印とそれほど変わらないものだった。
それを彼女はなんともない顔で防御もせず突っ込んできたのだ。
力を一点集中させて展開した防御結界も一度は彼女の拳を防いでくれたが、結果としてそれほど時間をかけずに破壊されてしまった。
あのタイプの結界の耐久性には自信があったんだけどなあ……。今まで破られたことなんてほとんどなかったのだし。
しかもあれは彼女からすればただのパンチなのだ。
長期戦は間違いなく不利。
この時点で私は迷うことなく切り札の一つを切ることを決意した。
『夢想封印・貫』……これは私が現状切れる手札の中でも特に単体攻撃に秀でた一手だ。
夢想封印をベースに、貫通性能を限界まで引き上げ、速さも並み以上ある一撃。
消費霊力が多い上に単発であるというデメリットがあるがその分収束された威力は申し分なく、いかに大妖怪であろうとこの技を食らっては無傷では済まされない。
事実、過去に私はこの技で強大な妖怪たちを何度も仕留めてきたのだ。
しかし彼女はそれでも倒れなかった。
吹き飛んでいった彼女を追いかけた私を出迎えたのは、全身から血を流し、技によって焼けた体から煙を立ち上らせながらも、堂々と大地に仁王立ちする鬼の姿。
その戦意は下がるどころかむしろ増しているようにさえ見えた。
……切り札を切ってもこれだけのダメージしか与えられないのか!
さらに彼女がその場で咆哮すると同時に、とんでもない密度の弾幕が発生し私へと襲いかかってきた。
……そんなのアリ?
まさに規格外。
驚いて硬直してしまったせいで反応が遅れ、私は逃げるタイミングを失ってしまった。
もはやこれを受けて立つしかない。
「……くっ!」
──これはやばいッ!
視界いっぱいに広がる死の壁。
津波のようにうねりを上げて迫るそれを見た本能がひっきりなしに警鐘を鳴らし続けている。
迷っている時間はない。
限られた時間で霊力を極限まで高める。
これから展開するのは陰陽玉を用いた今の私の最大防御結界。
受けきれなければその時点で私の負け。
勇儀と違い、人間である私に被弾は許されない。まともに当たれば待っているのは死だけだ。
「『陰陽結界』!」
私の周囲で回転する陰陽玉が強い輝きを放つ。
展開された結界ごと弾幕が私を飲み込み、私の視界は光で埋め尽くされた。
「──ッ!」
────ピシッ!
最初の数秒で結界にいきなり罅が入る。
即座に霊力を操り罅を修復。
私はただひたすらに、軋みを上げる結界を維持することに全力を尽くす。
そして──
▼
人間一人に放つにはあまりにも過剰な物量の弾幕が目標を飲み込んでから、勇儀は静かに煙が晴れるのを待っていた。
やがて見えてきたのは、巫女服の各所に血を滲ませながらも、大地にしっかりと立つ巫女の姿だった。
「……お前さん、本当に人間かい?」
……ありえない。
心底呆れたような、しかし嬉しそうな、そんな表情を浮かべて勇儀は巫女を見る。
手加減は一切加えなかった。
それどころか、やり過ぎたとさえ思った攻撃。
もはや肉片すら残らないのではという猛攻を、彼女は人間の身で見事防ぎきった。
「……はあ……はあ……人間、よ」
足下に散らばる陰陽玉の残骸を一瞥し、彼女はため息を吐く。
しかしすぐにその表情を引き締めた。
「……来なさい。勝負はまだついていないわ」
勇儀の心を捉えて離さない鋭い眼光。
巫女にとって大事な武器を失ったというのに、その表情に焦りは見えない。
それどころか先ほど以上に体から霊力を迸らせ、彼女は勇儀の攻撃を待ち構えていた。
本当の勝負はここからだと。
「応ッ!」
尽きることのない興奮と歓喜が全身を満たす。
彼女の気迫に笑顔で応え、勇儀は駆けた。
そこからは激しい殴り合いの応酬であった。
小技など必要ない。
接近をくり返し、驚異的な身体能力に任せてただひたすら殴るのみ。
相対する巫女はそれを結界で受け止め、受け流し、時に避けながら丁寧に捌き続ける。
地底に絶え間なく響く重厚な衝突音。
攻撃の余波だけで時間と共に増えていく巫女の傷。
一方で防御の間に入る霊力弾の反撃により、勇儀の体にも傷が少しずつ増えていく。
両者互いに一歩も譲らぬ死闘が展開されていた。
「あれは……あれは一体、何なんだ?」
ポツリと誰かが呟いた言葉。
それは周囲の妖怪たちの誰もが抱いた思いであった。
目の前で鬼と真っ正面からぶつかり、互角以上の戦いを繰り広げる何か。
それはもはや彼らの知る人間ではなかった。
心の底から沸き上がる恐怖に彼らは呆然と立ち尽くすことしかできない。
その中で唯一、こいしだけが祈るように手を組み、巫女の無事を必死に願っていた。
霊華──!
膠着状態の中、ついに巫女が動いた。
大量のお札を一気にばらまくとそれが霊力弾へと変わり、勇儀へと殺到する。
これで少しでもダメージを稼ぎ次の手へと繋げる。
そう考えた巫女の計画は、予想だにしない鬼の理不尽さによって崩されることになる。
「オオオオオオオオオーーッッ!!」
勇儀が大きく吼えた。
たったそれだけで、巫女の包囲弾幕は一瞬で掻き消されてしまった。
「……ッ! デタラメにもほどがあるでしょうッ!」
思わず出た声。
これではもう同じ手は使えない。
何事も無かったかのように襲いかかってくる勇儀を見て、巫女はわずかに顔を歪ませる。
自身が今戦っている相手の理不尽さをあらためて痛感させられたのだ。
拳が空気を切り裂いて迫る。
結界で受ける。
二撃目がそれを砕いて迫る。
避ける。
蹴り。
これも避ける。
再び拳。
霊撃。
拳。
霊撃──。
息を吸う間もない一進一退の極限の攻防の中、勇儀もまた内心で眼前の人間へと惜しみない称賛を送っていた。
人間と鬼。
種として隔絶した差があるはずの2つの種族が互角に渡り合う奇跡の光景。
人間の身で自分と対等の領域に到達した眼前の強者は、かつて自分たちが望み、諦めた存在そのものなのだ。
──この時間を終わらせたくない。
心からそう願ったが、当然のように死闘の終わりは近づいてきていた。
「……ぐうッ!?」
骨の砕ける音が響いた。
右腕の感覚がついに消える。
巫女の攻撃を受け続けたことでついに限界に達したのだ。
ぐらりと勇儀の体が傾く。
一瞬の隙を突き、すかさず巫女の追い撃ちが決まった。
大きく弾き飛ばされ、地面を削りながらも意地で踏ん張り、倒れることを防ぐ。
しかし既に体には深刻なダメージが蓄積され、もはや満身創痍と呼ぶ他なかった。
見れば巫女も肩で息をしながら左腕を力なくぶら下げていた。
「……参ったね。まだまだ続けられる……と言いたいところだけど、お前さんの攻撃が思いのほか効いているみたいだ。ここはお互い全力の一撃で最後を締めようと思うんだけど、お前さんはどうだい?」
「……ええ、次の一撃で終わりにしましょう」
巫女の返事を聞き、勇儀は残った全ての力を左拳に集中させる。
放つ技は考えるまでもなく決まっていた。
これから放つのは正真正銘、彼女の全身全霊の一撃。
この死闘の最後を飾るのに最も相応しいと思う技。
己の全てをこの一撃にかける──。
ここにきて初めて、巫女が無手で迎撃の構えをとった。
その姿を一切の油断なく睨む。
「四天王奥義──」
──強き人間よ、決着をつけよう。
「三 歩 必 殺!!」
▼
「三 歩 必 殺!!」
その声が耳に届いた時には既に、鬼の巨体が目の前にまで迫っていた。
天狗も真っ青な目にも止まらぬ神速の踏み込み。
繰り出される勇儀の拳がスローモーションになる。
思考速度が脳の限界を越えたのだ。
これを受ければこの身は跡形もなく砕け散るだろう。
一瞬だけ見えた霊夢たちの笑顔はもしや走馬灯だろうか。
──負けるわけにはいかないな。
明確な死の気配を感じていながら、私の頭は驚くほどに冷静だった。
激流を制するは静水──
勇気を振り絞り、敢えて自ら前へ踏み込む。
極限にまで高めた集中力で見極めた拳が頬を掠め、私の体は流れるように勇儀の胸元へと滑り込んだ。
これが、私のとっておきの一撃。
限界ギリギリまで霊力を込めた右手が、彼女の腹部に触れ──私は渾身の一撃を放った。
「霊撃──『浸透勁』!!」
常軌を逸した衝撃が、彼女の全身を駆け巡ったのを感じた。
内臓は撹拌され、筋肉は裂け、骨は砕ける。
全身を凄絶な痛みに襲われているはずの状態で──彼女は笑っていた。
「──見事」
そう言って血を吐き、仰向けに倒れる。
勝負の決着がついた瞬間だった。
鬼との激闘を制した巫女。
目的地に着く前から既に満身創痍な彼女ですが、次回ようやく地霊殿へ……
やっとさとりんの出番が来ます。
……どうでもいいことですが、実はこの小説内の各話に存在しているちょっとした隠し要素に気づけた人は現時点でどのくらいいるのでしょうか。
気づかなくてもまったく問題ない小さな要素なのでご安心ください(むしろノーヒントで見つけていたらすごい)。
ちなみに今回の話だと最初の場面(▼マーク手前まで)のどこかにあります。
大ヒント:空白行