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…………義勇さんの人気に驚天動地です。
というわけで続きを書いてみました。あとあらすじに義勇さん(羽織無しver)置いておきました。
あの二人の登場です。
空気が特別薄い山中の、そこだけ樹々が一本もない空いた空間に、二人の少年が正対していた。
両者共に真剣を手にし、静謐でいて力強い闘気を纏っている。
「二人共、準備はいいかな」
「あぁ」
「問題無い」
少し離れた大岩の上に立つ少女の確認に短く応え、二人は一分の隙無く構えを整える。
師の教えを忠実に守った自然体でいて柔らかな構えは、見る者が見れば堅牢な砦と錯覚してしまうだろう。あまつさえ、それが成人にも満たない少年が身に付けていると知ればその驚嘆は計り知れない。
じり、と地面を鳴らす。即座に飛び出せるよう爪先へ力を込める。
「いざ、尋常に……」
ゆらりと少女の手が上がり、向かう合う少年二人の緊張感が最高潮に達した。
「──始め!」
◆
「……もういーーーかいっ?」
少女の大声が木霊する。
樹々に反響して山林に響き渡るその声は幼さを残したものであったが、体格からは想像できない肺活量で発せらる大声であった。
しばらくして、返答が木霊する。どうやらもう少し準備が掛かるらしい。
待ち惚けをくらう少女だったが、その表情は楽しそうだった。これは鍛錬の最中の息抜きの、謂わばお遊び。率先して兄弟子と弟弟子を巻き込んだのが少女で、その我儘に全力で応えてくれるのだ。楽しくないはずがない。
「……もういーーかいっ?」
再度問う。今度は時を待たず了承の返事。
前から木にもたれ掛かるようにしていた姿勢を元に戻し、少女は目の前に広がる広大な遊び場を見回す。辺り一面山林しかない若干の霧が掛かったその場所。
準備運動として軽く屈伸をして、チリンチリンと鳴る腰に付けた鈴を一瞥した後、少女──
「よーいっ、どん!」
ダンッ、と土を蹴る。零から最高速の全力疾走。その速度は常人とは一線を画した人間離れしたもので、真菰が只人ではないことを一目で理解させられる。
常識外れの速さで山中を駆け回る真菰。彼女は別に闇雲に走り回っているわけではない。くんくんと鼻を鳴らし、人の気配へと向けて一直線に向かっていた。
突如、足元に縄が見える。認識と同時に真菰は飛び上がる。一切の無駄無く縄を飛び越え足を付くが、それを見越したように大量の石飛礫が左右から真菰に迫った。
「あははは!」
真菰はそれを笑いながら躱し続けた。常軌を逸した高速移動だ。五十は下らない石飛礫を被弾無しで潜り抜け、真菰は駆ける。
と見せ掛けて、片脚の踏ん張りだけで方向転換。いきなり右方向へと舵を切り、疾風のように樹々の間を駆け抜けた。
驚いたのは近くに隠れ潜んでいた少年だ。
あの罠だけで此方の正確な位置を把握した姉弟子に内心舌を巻き、隠密しながら逃走を開始する。
しかし分が悪い。鬼役である真菰に姿を見られた瞬間にこの遊びは一時終了で、即座に別の遊びに切り替わるのだ。いくら視界が樹々や霧で効きにくい山中とはいえ、相手の目に映らずに逃げ続けろというのは無理難題に等しかった。
やがて、抵抗虚しく少年は真菰に見付かった。
「義勇、みーつけたっ!」
弟弟子の姿を捉えた真菰は笑顔を浮かべ、そのまま全速力で少年へと肉薄。
第一の遊びに敗北した少年──冨岡義勇は一瞬で意識を切り替えて、腹に力を込めた。
「錆兎! 来いっ!」
合言葉だけを残し、義勇は伸びる真菰の手を手刀で叩き落とす。真菰は崩れた体勢を無理に戻すことなく、寝転ぶような低さで両手を付いて義勇に足払いを仕掛けた。
義勇はバク転することで躱し、真菰はその一瞬の間隙をもって義勇へと接近。義勇の身体を掴もうと両手を突き出しまくるが、義勇は高速で移動しながら真菰の手を避けて落として弾き続けた。
単純な速さなら真菰に分があるが、体捌きは義勇が優っているためにいつまで経っても決着が付かない。
このままでは千日手だ。埒が明かない攻防に焦燥を募らせたのは真菰である。時間を掛ければじきに錆兎が合流して乱戦に突入するのは目に見えていた。
(これで決める!)
真菰は勝負を仕掛けようと、ぐっと脚を折り畳み発車準備を完了させ。
「──隙を見せたな、真菰」
懐に人影が横切るのを視界に捉えた。
「あっ⁉︎」
素っ頓狂な声を漏らして真菰が振り向くももう遅い。
視線の先では右頰に傷を残した宍色の髪をした少年──錆兎が、真菰が腰元に付けていた小さな鈴を手に取ってチリンチリンと鳴らしているところだった。
「あー、また負けた〜」
「真菰、お前は一つのことに夢中になると周りの警戒が疎かになる。鱗滝さんにも注意されているだろう」
「えぇー、いつも注意してるよ。錆兎の存在感が薄いんだよきっと」
「いや、錆兎は濃い」
「そうかなぁ?」
緊迫した空気がほぐれ、三人の間に穏やかな時間が流れる。
ほわわんとした声音で真菰が場を和らげ、厳格な態度で接していながらも思いやりの心意気を忘れない錆兎。
いつまでも変わらない、それこそ思い出通りの二人の姿に、義勇は内心で嬉しい思いを隠せずいた。
義勇が姉・蔦子の元を離れて二ヶ月が経っていた。
鬼殺隊への入隊を決めた義勇は蔦子へとその旨を伝え、沢山の約束事を取り付けられながらもなんとか許可を得た後、育手のいる狭霧山へと脚を運んでいた。姉の祝言が終わる時分に世話になった
その際、喋る烏という摩訶不思議な生き物に対して蔦子が「あらあらまあまあ」の一言で済ませたことには義勇が驚いた。鬼という喋る生首を見た蔦子にとって、喋る烏など仔猫ほどの可愛らしさに等しいらしい。
次期柱とも言われる行冥は岩の呼吸の使い手だったが、紹介したのは義勇の恩師である水の呼吸の育手──
人には呼吸の合う合わないがある。
色変わりの刀と言われる日輪刀は、才能がある者が持てばその色を変えてその者が得意とする呼吸の色へと変化するが、生憎これはある程度修練を積んだ者にしか試せない。何の鍛錬もしていない義勇には論外の方法であった。
では何故行冥が水の呼吸を選んだかと言うと、蔦子の事件当時の証言が大きな理由を占めていた。
義勇が昏睡状態であった一ヶ月の間に、行冥は蔦子への事情聴取を行なっていた。鬼の被害者は大抵が大切な誰かを亡くしているため、遺族を追い詰めるであろう聴取は行わないのが常なのだが、姉弟共に命を拾ったこともあって蔦子の精神状態は比較的安定していたのだ。
聴取を行なった行冥の想いは驚愕、この一言に尽きた。
聴けば義勇が鬼と相対していた時間は三十分以上で、その間斧一つで足止めしていたとのこと。蔦子が駆け付けた時は既にボロボロの状態であったらしいが、常人には決して出来ない所業である。
最大の驚きはその後。義勇はそんな身体で鬼へと斬り掛かり、一回の攻撃で頸、片腕片脚、身体へと斬撃を撃ち込んだという。蔦子曰く、思わず見惚れる程の流麗な斬撃だったと。
行冥はこれを信じた。そして義勇に限り無い才能を感じ、鬼殺隊へと勧誘したのだ。
危機に瀕し、突如として覚醒する人間は少なからず存在する。行冥がまさにその類いであったのが、信ずるに足りると判断した理由であった。
そして蔦子の流麗な斬撃という言葉から、合うのは水の呼吸しかないと鱗滝の元へと導いたのだ。
「じゃあ次は義勇が鬼だね」
頭の横で指を立てて真菰が言う。どうやらまだお遊びを辞めるつもりはないらしい。
「義勇、今回は見つかるのが早過ぎたな。もう一回やれる時間はあるだろう」
鈴を義勇へ差し出す錆兎も案外乗り気だ。先程の回はあまり動けず消化不良なのだろう。
「そうだな」
そのまま鈴を受け取った義勇は速やかに大きな木へと向かい、前のめりになって視界を腕で覆う。背後で散開する二人の気配を感じながら、義勇は静かに戦略を練ることにする。
この遊びは義勇が考案したものだ。真菰によって付けられた名前は『(なんでも)ありあり鬼ごっこ』。
まず第一段階。鬼役は逃げている二人のどちらかを見つける。二人は事前に罠を敷き詰めて様子を伺いながら逃走し、見つかった方は次回の鬼となる決まりだ。
次に第二段階。鬼役は見付けた相手の身体の一部でも掴めたら勝利であり、逃走組は鬼が腰に付けている鈴を奪えたら勝利となる。この際、鈴を取っていいのは見付からなかった一人であり、もう一人はひたすらに躱し続けなければならない。
鬼役は如何に早くに相手を摑まえるか、見付かった方は如何に時間を稼げるかが肝なのである。
以前の経験、負傷した際の機能回復訓練を元に義勇がなんとなく提案しところ真菰が大いに気に入り、それ以降三人の中での恒例行事となった。
この遊びは鱗滝にも好評なので、休憩時間中に行う分には止められることはない。気配察知に隠密技能、対人戦闘に並列思考といった諸々の技能向上が見込めるこの遊びは、実に理にかなったものなのだ。
白熱し過ぎると普通にバテると言う点を除けば、最上の遊びであった。
「……もういーーかいっ?」
不慣れな声量で義勇が問う。来たばかりの頃から真菰に「声が小さーい。もっとはきはきー」と揶揄され続け、姉弟子の容赦無さに心が折れそうになりながらも少しずつ矯正を始めた義勇は幾分かはマシになった。
その他の面でも義勇は真菰によって進化することになるのだがそれは別の話。
声が返る。どうやらもう準備万端のようだ。
「……よし」
義勇は振り返り、気合いを入れる。
樹々に潜む二人の気配探りながら、一目散に駆け出した。
◆
鱗滝の元で修行を始めて三ヶ月。
「義勇、もうお前に教えることはない」
唐突に招集を受けた義勇、加えて錆兎は鱗滝のその台詞に一瞬だけ呆けた。
鱗滝はそんな二人の様子を見ても余分な言葉を募るつもりはないようで、そのまま背中を見せて山奥へと歩き出す。
「二人共、付いて来い」
黙々と突き進む鱗滝。一度だけ視線を交わした二人は意思疎通を完遂させ、置いてかれぬようにと早足で歩き始める。
徐々に霧が深くなっていく道無き道を歩み始めてしばらく、目的の場所に着いたのであろう鱗滝の足が止まった。
側に並び立った義勇と錆兎の目の前にあったもの、それは二人の身の丈を優に超える大岩が二つ。
「この岩を斬れたら"最終選別"に行くのを許可する」
鱗滝の言葉に錆兎が眼差しを鋭利にさせ、義勇は凪いだ海の如き静謐を保っていた。
義勇に驚きや焦燥は微塵もなかった。なぜなら知っていたからだ。鱗滝からの最後の課題も、それを達成するために必要なことも。
それ以上何も言い残すことなく立ち去った鱗滝を見送って、錆兎が大岩に近付く。
「義勇、斬れるか?」
「身体が出来ていない。まだ不可能だろう。錆兎の場合は……斬れたとしても刀が保たないか?」
「俺もそう思った。最終選別まではあと半年。それまでに鍛え上げるほかない」
「──当然、私も混ぜてくれるんだよね?」
霧の中から人影が飛び上がり、たんっと大岩の上に着地する。
見上げるまでもなく分かっていたが、そこにいたのはもう一人の弟子の真菰であり、その表情は膨れ面の不満たらたらであった。
「ずるいよ、二人共。私だけ除け者にして」
「鱗滝さんが俺達にしか伝えなかった。つまりはそういうことだろう」
「私が弱いから? 女だから?」
「……いや、年齢だと俺は思う」
「えぇー、じゃあ二人と同い年……あと二年私は最終選別に行けないのー……」
義勇の考えにぶーたれる真菰だったが、この点で駄々をこねても鱗滝は絶対に頷かないだろうことは分かっているのか直談判に走ったりはしなかった。
「……まぁ、仕方ないかな。死ぬほど鍛える。結局、それ以外にできることないもんね」
諦めるのも早ければ、ならやる事は決まっていると切り替えるのも早い。
個性が強烈な三人の中でも、真菰は随一の天然で脳筋だった。
「そうだな」
「真菰の言う通りだ」
義勇と錆兎も天然で脳筋だった。
「それにしても……まさか義勇が三ヶ月で全集中の呼吸と水の型を身に付けるとはな」
「だよね、私も凄く驚いた。私たちは小さな頃からずっと鱗滝さんに教えてもらってたから出来るけど、骨身に染み込んだのはつい最近だもんね」
すごいすごーいと真菰がはしゃぐ一方、義勇としては褒められても落ち着かない。何せズルしているようなものなのだ。実は未来の経験があるため最初から使えていたと言って誰が信じるというのか。
義勇からすれば錆兎と真菰の方が末恐ろしい才能を備えていると思えた。義勇の身体が仕上がっていないとはいえ、この歳で義勇に並べる強さなのはもはや可笑しい。
それでいて伸び代はまだまだあるのだから素直に感嘆する。
せっかくなのだ、二人に技を仕込むのも良い頃合だろう。
「錆兎、真菰。以前から気になっていたことがある」
「ん?」
「なーに?」
「二人は全集中の呼吸を、朝も昼も夜も、寝ている間もやり続けているか?」
『…………は?』
凛とした錆兎からは珍しい素っ頓狂な声が漏れ、取り繕うという言葉を知らない真菰は何言ってんのコイツという思いを一切隠さずに首を傾げた。
真菰は無邪気に義勇の心を痛め付ける天才なのでこの程度で義勇は挫けない。何処かの誰かのように、あなたはみんなに嫌われていると他意悪意増し増しで真正面から告げられるよりかは遥かにマシだった。挫けないったら挫けない。
義勇の声は小さくなった。
「……全集中の呼吸を」
「声が小さーい。もっとはきはきー」
義勇は声を大きくした。
「全集中の呼吸を四六時中やり続けているか?」
「……していないな」
「私もしてないよ。というより出来るの?」
「……いや、出来る出来ないではないだろう」
錆兎はその歳に見合わない冷静さを持ち、尚且つ頭の回転が相当に早い。義勇が言わんとしていることを即座に理解する。
「基本鬼との戦闘は夜だが、不測の事態など幾らでもある。常在戦場。この心得を持つのであれば、戦闘に必須である全集中の呼吸は絶え間無く行うべきだ」
「……確かにそうかも」
納得した真菰がふんふむと頷く。普段は天真爛漫を王道で突き進むちょっと抜けている真菰だが、こと鍛錬及び戦闘のことになると途端に察しが良くなる。天才肌的な脳筋なのだ。
となればやる事は決まった。
「試しにやってみよっか?」
「ああ」
「善は急げだ」
談笑から一変、三人の空気が張り詰める。
シィィイイッ、という呼吸音が三重奏になって周囲に鳴り響いた。普段は型を繰り出す際にしか使わない全集中の呼吸。それを長く長く、絶えず行い続ける。
一時間もせずに変化が訪れた。
「…………死ぬ」
真菰がぶっ倒れた。全身から汗を吹き出しながら恥も外聞も無く真ん前にぶっ倒れた。
「くっ、これは……⁉︎」
時置かずして錆兎も片膝を付く。止めどなく汗が流れ落ち、この短時間で肩で息をする程に消耗していた。
錆兎と真菰は素直に驚く。長年鍛錬を積んできた自分たちが、こうも簡単に息を切らすとは。二人もいきなり出来るとは思っていなかったが、まさかこうまで無様を晒すとは想定外であった。
義勇はまだ立っているというのに。
「……義勇、なんでまだ立ててるの?」
「正直もうキツいが……やはりまだ身体が出来ていないな……」
「いやいやいや……」
おかしい、義勇はおかしい。真菰は本心でそう思う。
此処に来て三ヶ月、つまりそれが鱗滝の元で鍛錬を積んだ期間。だというのに、この差は何だというのか。圧倒的な才能の差というものなのだろうか。近くに錆兎しかいない真菰には分からなかった。
それでも、これだけは言えた。
奇しくも錆兎も真菰と同じ思いを燃やした。
──弟弟子に負けてられるか!
煮え滾る執念だけで錆兎と真菰が立ち上がる。義勇も負けじと頑張る。
それから三十分経った。
「あはははははやばいやばい心臓やばい耳キーンってするドクンドクンドクンドクンしてなんかすごいあははははは!」
「ゴホッ! 血が出てきた……」
「シィィィイッ! ヒューーッ、ヒューーッ……」
もう三十分経った。
「あはははははははははははははは死ぬ死ぬ死ぬ死ぬやばいやばいやばいやばい」
「真菰、ヒューーッ……もう、やめた方がゲホッ! ……良い」
「なぁぁぁに言ってんの義勇がまだ出来てるのに姉弟子の姉弟子の姉弟子の私ががががががが先に参るなんてあぁぁりえなぁぁぁあああああいかぁああらねぇえええええ!」
「そうだ! 男なら、男なら……男ならっ!」
……結局、全身の震えが止まらなくなり、血反吐を撒き散らしながら漏れ無く全員ぶっ倒れて鱗滝に保護された。滅茶苦茶説教を受けたのは言うまでもなかった。
三人が異常なのは、死ぬほど鍛えるを本当に行えるところなのかもしれない。
◆
夜天を煌めく星々と満月が狭霧山を淡く照らす。
並んで鎮座する大岩の上、ごろりと寝転んだ状態で義勇と錆兎は夜空を見上げていた。
最終選別まで残り一ヶ月を切った。
この頃には既に全集中の呼吸を常時行う技──全集中・常中という名であると後に鱗滝から教わった──を真菰を含めた三人が体得しており、大幅な成長を遂げていた。錆兎と真菰に実戦経験は無いが、雑魚鬼であれば瞬殺できる力量だろう。
「すまない、義勇。わざわざ時間を取らせた」
「構わない。用は何だ? 真菰を外すからには、最終選別の話か?」
いつもは何をするにも三人一緒だったが、この場に真菰はいない。錆兎が二人きりで話がしたいと頼んだのだ。
そのために義勇は内容をそう予見したが、錆兎は緩く首を振った。
「いや、違う。酷く個人的な疑問を解消したくて呼んだんだ」
「……俺で良ければ話を聞く」
珍しい。いや、義勇はこんな錆兎を初めて見た。
錆兎が何かに悩んでいるなんて、察するどころかこれまで考えたことすらなかった。記憶が正しければ、前回は無かった話だ。
興味が湧いたがそれを表情に出さず、義勇は先を促す。
意を決した錆兎が空から視線を義勇へと動かした。
「義勇。お前は、何を抱いて鬼殺隊へ入隊する?」
「……質問の意味が分からない」
予想だにしない方向からの問いに義勇は質問の意図が掴めない。
正直過ぎる返答に錆兎が苦笑し、済まないと一言挟んで続けた。
「いきなり過ぎたな。話をする前に一つ謝ることがある」
「なんだ?」
「実は、お前が此処に来る前の話を、鬼と遭遇した時の話を鱗滝さんから聞いた」
「……どうせ真菰が詰め寄ったんだろう?」
「その通りだが、気になっていたのは俺も同じだ。お前のいない所で探るような真似をしてしまった。済まない」
「その程度気にしない」
義勇には真菰が鱗滝を質問攻めにしている場面がありありと想像できた。最初は口を噤んでいただろうに、あまりのしつこさと娘可愛さに根負けする鱗滝の姿はむしろ面白くすらある。
「それで、それがこの話にどう繋がるんだ?」
「……お前は命懸けで姉を護り、見事達成した。それは男として尊敬する。……だが、お前はその後すぐに鬼殺隊への入隊を決意したと聞いた。何故だ? せっかく助かったのに、何故お前は家族と共に暮らすことを放棄してまで此処に来たんだ?」
「放棄、か……」
義勇は選べる側の人間だった。
錆兎は失った側の人間だった。
そして、鬼殺隊は後者の人間が殆どなのだ。
義勇だって、元はそちら側。この世界では姉を救うことができたが、根には姉を喪った哀しみと鬼への憎悪が、鬼殺の魂が染み込んでいる。
ただこれを言ってもどうしようもない。もう少し時を置けば、きっと錆兎や真菰、蔦子は信じてくれるだろう。今言ったとしたら、真面目な問答をはぐらかしたと思われるかもしれない。
だから義勇は言葉を選ぶ。複雑な事情を抜きにしつつ、自分を支える芯足りえるものは何か。
「……蔦子姉さんと一緒に暮らす。その道もあっただろう。きっと幸せになれただろう。……だが、俺は知ってしまった。その幸福は薄氷の上に成り立ったものであると。この世に鬼という存在がいることを」
鬼殺隊は政府非公式の組織だ。その為、鬼の存在は一般人に確かなものとしては認知されておらず、あくまで噂程度に留まる。義勇もそうだった。
「今回は護れたが、次どうなるかは分からない。その時に俺は後悔したくない。姉だけではない、その他の人達の幸福が鬼によって壊されるのを知ってしまった以上、見て見ぬ振りはできない」
いつかの任務の日に同僚に語ったことを思い出す。
義勇の柱は、失って、喪って、亡って、ようやく出来た自身への誓い。
「俺は護るために剣を振るう。民を、仲間を、友を、家族を、
「……そうか。凄いな、義勇は」
答えになっただろうかと、義勇は錆兎に視線を投げる。
錆兎は淡く微笑んでいた。義勇にはそれが、途方に暮れた子供のように見えた。
「錆兎、お前は何の為に剣を振るう?」
「……最近、それが分からなくなっていた」
自嘲するように錆兎は笑い、体勢を起こして瞬く星々を眺める。
「はっきり言おう。俺は成り行きで此処にいる。幼い頃に家族を鬼に殺され、鱗滝さんに拾われて今に至る。選択はした。だから鬼殺隊に入る為にこうして鍛錬を積んでいる。だが、何の為に剣を振るうのか。そう問われると、漠然としたものしかない」
指折り数えて整理してみる。
「家族が生きていた頃は朧げだが幸せだった記憶がある。それを破壊した鬼はやはり許せない。真菰と出会い、俺以外にも同じ境遇の者が多数いると知った。だからそんな悲劇を少なくしたいと思った。義勇は知らないだろうが、俺達には兄弟子、姉弟子がいて、俺と真菰は二人最終選別へ行く姿を見送った。……だが、二人とも帰っては来なかった。思えば、鬼に対してはっきりと怒りと憎しみを抱いたのはこの時だった」
よくある話だ。鬼の被害者の中で、こういう話は本当にありふれた悲劇だった。
「色々あるが……俺にはないんだ。義勇のような確固たる芯が。己を支える柱足りえる強い思いが」
「……そんなことはないだろう。今言った全てが、錆兎を形作っている筈だ」
「そうだろうか……」
弱音に似た何か吐き出した錆兎は、迷子の子供のような表情で遠くを見詰める。
義勇にはその光景は衝撃であった。
錆兎ほどの男が……と義勇は刹那思ったが、錆兎だってまだ成人にも満たない子供なのだ。思い出が脚色されて、自分勝手に理想を押し付けていたのだと義勇は自身を恥じる。
義勇には励ますや慰めるといったことは苦手分野過ぎて実行不可能だ。それでも何か言わなければならない。その思いに突き動かされて、浮かんだのは錆兎の言葉だった。
「男なら、男に生まれたなら、進む以外の道などない」
「それは……」
「お前の口癖だ。錆兎、お前は進むべき道を決めたのだろう。ならば、進むしかない。違うか?」
「……ふっ、そうだな。俺としたことが」
吹っ切れたのだろうか。義勇には分からない。
それでも進むしかないのだ。
最終選別まではもう時がないのだから。
◆
そして、最終選別を二日後に控えたこの日。
義勇と錆兎は真剣を持って向かい合っていた。
「──始め!」
真菰の掛け声と同時、二人が肉薄。銀の軌跡を残して互いの獲物が交わった。
「……ふっ!」
止まることなく打ち鳴らされる剣戟。加速する音は二十を超えて火花を散らし、互いに一歩も譲らない。
──全集中・水の呼吸
両者間合いを空けて構える。シィィィイッ、と呼吸音を鳴らして刀を握り締めた。
【壱ノ型・水面斬り】
【弐ノ型・水車】
技の衝突により轟音が爆発。キィンという甲高い音は空気を震撼させてなおも残響する。
威力は互角。吹き飛んだ二人は器用に空中で姿勢を整えてから地に足を付け、間隙無く地盤を割り砕く踏み込みで飛び出した。
(……いいなぁ〜、私も混ざりたい)
審判役を務めている真菰が臀部を付けない状態で折り曲げた膝に肘を乗せ、両手で顎下から頭を支える体勢で二人の戦闘を見守る。
ここ最近義勇と錆兎の成長が恐ろしく速い。正直真菰では勝てないと思うくらいに二人は先に進んでいた。
性別の差が顕著に出始めたのだ。男は一般的に十二・三から数年で一気に身体が成長する。体格も大きくなり、筋肉量も莫大に増える。義勇と錆兎も例外では無かった。
それに比べ女はその頃には大きな成長を終えていることが多い。真菰は今年で十一だ。余程恵まれない限り、これ以上の大きな成長は望めないだろう。
(……まぁでも関係ない。修行して、修行して、修行して、修行すれば、私だって強くなる)
真菰は白刃をぶつけ合う兄弟子と弟弟子を静かに見詰める。その瞳には諦めなど微塵も無く、絶対に追い付いてやるのだという熱意と闘気に満ちていた。
自分ならどう戦うか。自分の長所は何か。女の利点は何か。真菰は考えることを止めない。
元々鬼と人間の身体能力には歴然とした格差が存在するのだ。たかが性別の違いなど言い訳にすらならない。
(真向勝負なんてクソ喰らえだよね。奇襲不意打ち何でもあり。私には速さがある。当たらなければ負けないんだから)
昏い眼をして凄絶に微笑む。真菰の鬼殺人生はまだ始まってすらいない。
後に義勇に紹介されたとある少女と親友となる資質をこの時点で備えていたのが、義勇最大の誤算だった。
(そろそろ決着かな?)
真菰の視線の先、真剣勝負に幕が閉じる気配を感じて思考を中断した。
──全集中・水の呼吸
影を残して二人の距離が零になる。
繰り出す型は同じ。義勇も錆兎も好んで使う水の呼吸唯一の連撃技。
【肆ノ型・打ち潮】
肆ノ型の連撃数は個人の力量に左右される。如何に素早く流麗な斬撃を生み出されるかが勝負の鍵となった。
一合、錆兎の袈裟斬りに義勇が刃を流して逸らし。
二合、空いた胴体を義勇が斬り払うが錆兎が流れに逆らわず斬り上げて防ぎ。
三合、互いの振り下ろしが火花を散らして。
四合、素早く一回転して遠心力を乗せた渾身の一閃が激突した。
キィン、と打ち上げられた刀が一つ。
くるくると回って地面に突き刺さり、その間に空いた首元に刃を置く。
首筋を冷やす鉄の感触に苦笑し、錆兎は口を開いた。
「見事だな、義勇」
「そこまで!」
錆兎の刀を拾って真菰が近付いてくる。受け取った錆兎は負けたのを悔しそうにしながらも笑みを浮かべた。
「仕上がりはいい感じだね!」
「ああ、問題ない」
「……じゃあ最後にこれだな」
この半年ですっかり見慣れた大岩を見上げる。
どうしてだろうか、初めて見た時は抱いていた畏怖と言える感情はもう既にない。
義勇と錆兎は刀を抜いた状態でゆっくりと歩み寄る。これを斬れたら最終選別へ行く許可が下りるのだと思うと、感慨深いものがあった。
だが、それも一瞬。
次の瞬間には全てが終わっていた。
向かうは最終選別の舞台──
義勇の記憶の人生で錆兎が命を落とした場所だ。
(やれることは全てやってきた。あの時とは違う)
錆兎も強くなったし、何より義勇自身の完成度が段違いなのだ。不足はない。
(変えてみせる。蔦子姉さんを救えたように、錆兎も!)
──生き残る。二人、一緒に。
運命を切り拓く戦いの幕が開ける。
閑話を挟んで最終選別になる予定です。
義勇さんと錆兎がイケメンで真菰ちゃんが美少女過ぎる!