鬼滅の刃 ──逆行譚──   作:サイレン

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今週の鬼滅の刃読みました。
ヤバかったです。涙腺が……



話は変わって、この本編は結構長いのであしからず。





第3話 胡蝶しのぶ

 

「これより、柱就任の儀を執り行います」

 

 鬼殺隊本拠である産屋敷邸。

 産屋敷あまねの進行にて、とある式典が開かれた。

 

 式典と言っても大層なものでは無く、参加者もあまね含めて四人だけであり、観覧者などは一人もいない。

 可能であるならば同僚となり得る同格の者たちは参加するべきだが、彼ら柱と呼ばれる者たちは誰もが多忙だ。

 

 柱。鬼殺隊の中で最も位の高い剣士で、純粋に戦闘能力が飛び抜けている一騎当千の猛者。

 文字通り、鬼殺隊を支える柱たる逸材たちだ。

 

 本日は二名の柱が新たに任命される。

 

「悲鳴嶼行冥様、前へ」

「はっ!」

 

 開けた中庭に片膝を付いていた偉丈夫──悲鳴嶼行冥は立ち上がり、数歩前へと進んだ後に縁側の手前で再び片膝を突く。

 

 行冥の目と鼻の先には一人の男性がいた。

 線の細い男性だ。さらさらと流れる黒髪。額が所々が黒ずみ始めており、とても健康とは言い難いが優しい微笑みを浮かべている。

 瞳は黒眼の部分がやや掠れていて、恐らく視力は大分落ちているのだろう。

 一見すると頼りなく思える容姿をしている彼だが、何故だか不思議な魅力をたたえている。人の上に立つ資質を備えもった人とは彼のような人間を言うのだと、そう思わずにはいられない。

 

 彼こそが鬼殺隊創始者の子孫にて現当主である産屋敷輝哉(かがや)である。

 

「行冥。君を"岩柱"に任命する。これからも頼りにさせてもらっていいかい?」

「御意」

 

 簡易的な儀式だが、輝哉から日輪刀を授かる行冥。手の込んだものではないのに、その光景は一種の神聖さを秘めていた。

 刀を受け取った行冥はそのまま下がり、元の位置で片膝を突く。

 

 次は隣で顔を下げている者の番だ。

 行冥と比較すれば大人と子供ほどの体格差がある。行冥が成人男性の中でも大柄な体格であるとはいえ、隣の人間は明らかに小さい。

 それも仕方がないだろう。その者は今年十三となったばかりの紛れも無い少年なのだ。

 一つに結った漆黒の髪。海の底のように蒼い瞳は年齢とは似付かわしくない落ち着きを宿しており、顔付きも少年の趣きを残しているのにどこか大人びていた。

 

「冨岡義勇様、前へ」

「はっ!」

 

 名前を呼ばれた少年──冨岡義勇は立ち上がる。

 行冥と同じように輝哉の元まで近付いて、片膝を突いた。

 

「義勇。君を"水柱"に任命する。君にはその力がある。頼まれてくれるかい?」

「御意」

 

 義勇は刀を受け取る。この儀をもって、義勇は水柱となった。

 

 鬼殺隊史上最年少の柱が誕生した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「驚いた。あの時助けた少年が、まさか一年で私の同僚になろうとは」

「悲鳴嶼様」

 

 柱就任の儀が終わり、二人で話す時間が取れた行冥と義勇。

 懐かしむように視線を空へと上げる行冥だったが、彼は義勇へと顔を向き直す。

 

「敬称は不要だ。同じ柱なのだから、私たちには上も下もない」

「では、悲鳴嶼さんと。呼び捨てにしては、姉に叱られてしまいます」

「蔦子殿は健在か?」

「はい。まだ確実ではないそうですが、俺にも甥っ子か姪っ子が出来そうです」

「そうか。それは喜ばしいことだ」

 

 新しい家族ができると柔らかに微笑む義勇を感じて、行冥もつられて口角が上がる。

 子供とはいつの時代も宝だ。行冥の一番奥底にある想いは、子供が笑っている光景を護ること。

 良い報せを受けて、行冥にもまた一つ新たな活力が湧いていた。

 

「その子が笑える世の中を作る為にも、共に柱として尽力しよう」

「はい。今後とも、よろしくお願いします」

 

 差し出された行冥の手を義勇は握り返す。大きさが違い過ぎて握手というには格好付かないものであったが、宿す熱量は二人とも同等に莫大だ。

 

 最終選別から二ヶ月、義勇は水柱となった。

 日輪刀が手元に来てから正式に活動を始めたため正確には更に短期間だったが、この間に義勇は八面六臂の活躍で鬼殺の任務に取り組んでいた。

 烏が問答無用で言い渡す数々の任務を休息日を挟むことなく超速で処理。各地を走りに走り続けて、片付けた任務は既に五十を超えた。

 

 柱になるには鬼を五十体討伐するか、十二鬼月と呼ばれる鬼の中でも最強格の存在を討ち果たす必要がある。

 義勇は前者の条件を僅か二ヶ月で満たした超新鋭だったのだ。

 当然、その話は一般隊員はおろかお館様である輝哉や柱達にも伝わっていき、あろうことか水柱が直接義勇の元へと出向く事態となった。

 

 そして、義勇と対面した水柱は即座に引退を決意したのだ。

 元々年齢を重ねており引退を考えていた水柱だったが、義勇を見て後顧の憂いが跡形も無く消え失せたらしい。

 

 モノが違う。

 

 齢十三の少年に感じた覇気はそれ程までに飛び抜けていたのだ。

 

 これは義勇も想定外の展開だった。

 次期水柱は錆兎しかいないと勝手に思っていたのに、知らぬ間に水柱が引退を表明。直後にお前がなれと強引に引き継ぎ的な何かをやらされ、仕方ないとそれを錆兎に伝えに行ったら「馬鹿かお前は」とかなり強めにどやされた。

 結局、お館様から直接お願いされる始末となった。

 

 外堀が埋められた状態のため断ることも出来ない。

 自分にはやはり相応しくないと一瞬思うも、ふと気付く。

 

 今は蔦子が、錆兎が、守れなかった少なくない人達が生きている。

 必ずしも全てを自分の手で救えたわけではないが、前よりは良い結果を齎らすことが出来ているのだ。

 

 少しくらい、自分のことを誇ってもいいのだろうか。

 前回と同様に、柱として認めてくれる方がいる。

 義勇を支えてくれる家族が、友が、仲間がいる。

 ならば今度は、前向きに捉えてみよう。

 

 鬼殺隊を支える文字通りの柱として尽力しよう。

 

 義勇は新たに固い決心をして、水柱になることを決めたのだ。

 

 まさか岩柱である行冥と同日に柱就任と相成ったのは驚きではあったが。

 

「冨岡様、よろしいでしょうか。当主の輝哉が呼んでおります」

「今向かいます。悲鳴嶼さん、また」

「ああ」

 

 あまねに呼ばれた義勇は、行冥に頭を下げて別れを告げる。

 

 そのままあまねの後に続く義勇は、更にお腹が大きくなったあまねを見て心配になってしまう。

 実の姉もそうなるかもしれないと考えると、男の身ではどうにもならないその不安の解消法は言葉にする事ぐらいだった。

 

「あまね様、無理をなさらず。身重の身で……大丈夫なのでしょうか?」

「心配してくださりありがとうございます。これでも三人目ですので、そこまで心配なさらないで大丈夫ですよ」

 

 歩きながら振り返るあまねは微笑を浮かべていた。今は柱としての義勇ではなく、子供としての義勇に対して話しているようだ。

 とても経産婦とは思えないあまねだが、既に二人も産んでいて慣れているのだろう。

 表情に乏しい義勇があからさまに不安顔でいたのが面白かったのか、あまねは励ますように言葉を重ねた。

 

「妊婦はあまり動かないのも問題なのです。だからこれは丁度いい運動のようなものだと思ってください」

「そうですか、覚えておきます」

「冨岡様は奥様が出来たら、とても大切にしてくださりそうですね」

「俺には結婚は無理でしょう。近く姉の子供が産まれるかもしれないので、その為です」

「それはおめでたいことですね」

 

 談笑している間に目的の部屋まで着いたのかあまねが立ち止まり、中にいる者に確認を取る。

 

「冨岡義勇様をお連れいたしました」

「入ってくれるかい?」

 

 その声に従ってあまねは戸を開ける。

 足音を立てずに中に入る義勇を待っていたのは、縁側で一羽の烏を撫でていた輝哉だった。

 言伝を頼んだのか、烏は義勇の背後で戸が閉まると同時に空高くへと飛び立っていく。

 その様子を満足そうに見送ってから、輝哉は振り返った。

 

「待たせたようだね」

「いえ」

 

 正座して、義勇は輝哉と正対する。

 あまねと雑談していた先程までの雰囲気を一転させた、常にある凛とした態度の義勇に輝哉は微笑んだ。

 

「義勇、君に水柱としての最初の任務を頼みたい」

「御意、お伺いいたします」

「ありがとう」

 

 柱としての任務だ。余程危険か特異な案件だろう。

 十二鬼月でも現れたのかと義勇は心して臨むが、そんな義勇を見て輝哉は一度だけ手を振って表情を和らげた。

 

「硬くならないでいいよ。戦闘は確かにあると思うけど、主な内容は護衛だからね」

「護衛、ですか……」

 

 護衛とは穏やかではないが、あまり聞き馴染みの無い任務内容に義勇は内心首を傾げる。

 鬼殺隊は政府非公認の組織だ。必然、鬼の存在についても広く知れ渡っているわけではない。

 だから余程の要人でない限り鬼殺隊が動くことはないのだ。そもそも、そのような人達であれば自前の護衛を備えているし、鬼殺隊という信用ならない非公認組織に頼ろうなどとも思わないだろう。

 

 年齢に反して聡い義勇の困惑をはっきりと感じ取ったのか、輝哉は少しだけ双眸を鋭くさせて話を続けた。

 

「少し話を変えるけど、義勇は胡蝶カナエ君と知り合いだったよね?」

「はい、最終選別で友誼を結ばせて頂きました」

「あれからまだ二ヶ月だけど、カナエ君とは会っているかい?」

「いえ。あちらも多忙の身。機会が無くそれきりです」

 

 話題に上がったのは最終選別で知り合った少女のことだ。

 胡蝶カナエ。花の呼吸の使い手にして、義勇の義兄弟である錆兎を救ってくれた恩人。前回の人生の記憶から、蟲柱であった胡蝶しのぶの姉というのも知っている。

 現在は孤児院兼鬼殺隊治療院である屋敷の主人となったと風の噂で聞いた。未来における蝶屋敷となるのだろう。

 

 そんなカナエだが、何故輝哉が話に出したのかは見当が付かない。

 義勇は静かに聞きの姿勢に入った。

 

「実はカナエ君には妹がいてね。しのぶ君というんだが、この二人がある発明をしたんだ」

 

 しのぶと発明。

 この二つの言葉から、あるものが義勇の中で連想される。

 記憶にあるしのぶも自己紹介の際に言っていた。自分はちょっぴり凄い人なんですよと。

 心当たりはあったが今の義勇がそれを知っているのはおかしいので口には出さず、輝哉の言葉を待つ。

 

「その発明とは?」

「うん。胡蝶姉妹はね、鬼に効く毒を創り出したんだ」

「そうですか」

 

 やはりと思うが義勇の鉄面皮に変化はない。

 輝哉や側に控えていたあまねは多少なりとも義勇の表情が変わると思っていたのか、そのあまりにも淡白な反応に苦笑する。

 

「カナエ君から何か聞いていたのかい?」

「いえ」

 

 淡々と義勇は返す。きっとこの場に姉弟子がいたら義勇を張り倒していただろう。

 失礼にも当たりそうな言葉足らずさだが、輝哉は大らかな態度を崩さない。

 

「ここからが本題なんだけど、その毒はまだ鬼を確実に斃せるわけではなくてね。行動を鈍らせたり、再生を遅らせたりっていうのが限界なようなんだ」

 

 もちろんこの時点で凄いことなんだけど、と輝哉は補足して続ける。

 

「胡蝶姉妹、というより妹のしのぶ君が熱心でね。必ず鬼を斃せる毒を開発したいとカナエ君を通して連絡があったんだ」

「……つまり柱としての任務とは、胡蝶姉妹が安全に鬼で実験するための護衛と?」

「察しが良くて助かるよ」

 

 何ともまぁ物騒な任務だな、と義勇は声に出さずに思う。

 仕方ないことだが、どう取り繕ってもえぐい。毒の人体実験ならぬ鬼体実験とは。

 しかし分からぬ話でもなかった。鬼を殺せる毒など今まで存在しなかったのだ。それをこの段階で既に完成への最後の一歩を踏み出そうとしているしのぶの努力は褒めて然るべきだろう。

 毒が完成すれば全ての隊員の助けになる。万全を期して柱が駆り出されるのも分かる話だ。

 

 事情を理解した義勇は頭を下げて了承の意を示す。

 

「承りました」

「ありがとう。あともう一つあるんだけど……」

 

 流れるように話していた輝哉が珍しく言い淀む。

 一体何事だろうかと義勇は気を引き締めるが、飛び出た内容は予想だにしていなかった。

 

「義勇は、この前の最終選別で何体の鬼を斃したのかな?」

「三十五体です」

 

 驚異的な数字にあまねが微かに息を飲む。

 

「ちなみに錆兎君はどのくらいか知ってるかい?」

「二十三体と聞いています」

「うん、……やっぱりそうだね」

 

 言葉を濁した割には世間話のような内容だ。

 義勇は疑問符を浮かべていたが、そこまで状況を説明されてあることに気が付く。

 

「……補足します。藤襲山の鬼は恐らく一体残らず殲滅しました」

「ならもう一つの任務も分かるかな?」

「はい、鬼を藤襲山に補充することかと」

「よろしい。頼めるかい?」

「御意」

「ありがとう。任務についてはカナエ君に伝えてあるから」

「分かりました」

 

 後先考えずに全力を尽くした結果がまさか任務として返ってくるとは。

 正直六十体の鬼の補充など気が滅入るが、カナエとしのぶの実験で生き残ってしまった鬼をとっ捕まえればいいと考えれば幾分楽だ。

 などと考えながら義勇は感情をおくびにも出さず、輝哉から胡蝶姉妹の住んでいる屋敷を教えてもらった後に退室する。

 

 残された輝哉とあまねはその後ろ姿を見送って、どちらともなく目を合わせた。

 

「冨岡様はとても十三歳とは思えません」

「……そうだね」

 

 力もそうだが何よりも佇まいが。

 いくら早熟なのだとしても、成人もしていない少年とは俄かには信じ難い。

 時代が生んだ麒麟児そのものだ。

 

「でもね、これは何かの兆しに思えるよ」

 

 輝哉は果てなく続く蒼穹を見上げる。

 既に大分ぼやけてきた視界ではあるが、透き通るような青はただただ綺麗で。

 義勇の瞳に似たその色を輝哉は静かに見詰め続けた。

 

「彼ならこの停滞した状況を変えてくれる。なんとなく、そんな気がするよ」

 

 輝哉のこういう勘はよく当たる。

 運命すら見通す力を宿しているともいわれる産屋敷一族だ。大きな時代のうねりが義勇を中心にきっと起こる。

 そんな確信の元、輝哉は気持ちを変えて立ち上がる。

 

「さて。あまね、今日もみんなに会いに行こう」

「はい、お供いたします」

 

 輝哉とあまねは日課である墓参りへ向かう準備をする。

 鬼が消えた未来を思って殉職していった者たちへ、二人は今日の出来事を報告しに行くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……変わらないな」

 

 伝えられた道を歩いて到着したとある屋敷。

 記憶と変わらないその建物をしばらくの間見上げた後、義勇は気持ちを切り替えて開放されていた屋敷の戸を潜り抜ける。

 門が開けっ放しというのは些か無用心ではあるが、鬼殺隊後処理部隊である(カクシ)の者が負傷者を緊急搬送してくることも考慮すると仕方がない処置である。そもそも一般人が来れる場所でもないし、招かれざる客が来たところで常人とはかけ離れた身体能力を持つ鬼殺隊員に捕縛されるだけだ。

 

 心安らかにと願われた自然豊かに整備されている何匹もの蝶が舞い飛ぶ道を進んで、義勇は正面玄関へと辿り着く。

 火急の用ならこのまま乗り込むのだが、重要なのは胡蝶姉妹の都合のため義勇が急いでも意味がない。

 ……因みに、義勇が知っている個性豊かな柱たちなら問答無用で上がる。この点義勇はまだ常識がある方なのだ。

 ごく普通の礼儀として、義勇は取り付けられていた呼び鈴を鳴らした。

 

「…………」

 

 手持ち無沙汰のため大人しく待つが、しばらく待っても誰も来ない。

 もう一度呼び鈴を鳴らすが、玄関の向こう側は依然静けさを保ったまま。

 

 一気に面倒な気分になった義勇はもう乗り込むかと戸に手を掛けようと動いたその時、パタパタと走る音が聞こえた。

 直後、バンッ、とそれなりの勢いで玄関が開け放たれた。

 

「はい、どちら様ですか?」

 

 そこには、知っているけれど知らない少女がいた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 毛先が紫掛かった黒髪。

 それを後ろで纏める蝶の髪飾り。

 笑顔とは縁遠い不機嫌そうな表情。

 

(胡蝶……?)

 

 記憶にある知り合いのはずなのに上手く結び付かない。

 少女を前にして義勇は思わず凝視して固まってしまう。

 

 そんな義勇の態度をどう取ったのか、少女は眉間にしわを寄せて口を開いた。

 

「あの、何かご用でしょうか?」

 

 初めて見る光景に能面のまま面食らっていた義勇だったが、露骨に急かす少女に若干弱気になって下手(したて)に出る。

 

「……あぁ、すまない。俺は鬼殺隊の冨岡義勇だ。胡蝶カナエに会いに来た」

「……カナエに何の用でしょうか?」

 

 警戒心が十段階くらい跳ね上がった。

 隠すことなく睨み付けてくる少女に義勇は普通に気圧される。

 想像、というより記憶との差異が凄まじ過ぎて義勇にはどうすればいいのか分からない。

 だから、事務的な回答しか出来なかった。

 

「お前はカナエではないので言えない」

「そうですか、ではお帰りください」

 

 えっ、と驚く間も無く戸がピシャリと閉められた。欠片ほどの躊躇も無い。

 そのあまりにもあんまりな対応に義勇は素で唖然とする。

 口下手言葉足らずあんぽんたんと姉弟子に言われ続けた義勇だったが、今のは絶対自分に非は無いと数秒考えて反省しない。

 それでも傷付いた心を姉弟子からの精神攻撃の時と同様に自分なりに癒して再挑戦。

 

 呼び鈴を鳴らすと少女が戸を開けてくれた。

 

「どちら様でしょうか?」

 

 えっ、そこから? と義勇は思うが、馬鹿正直に二度目の自己紹介をする。

 

「鬼殺隊の冨岡義勇だ。胡蝶カナエに次の任務の件で会いに来た。案内を頼めないだろうか?」

「任務、ですか? ……貴方と?」

「ああ」

 

 義勇の簡素な返答に対し、少女は義勇を上から下まで何故か蔑むような目で見る。

 数秒じっくり見て満足したのだろう。

 莫大な嫌悪感が発散された。

 

「堂々と嘘を吐く方にカナエを会わせる訳にはいきません。お帰りください」

 

 ──ピシャン!

 

 またしても閉ざされた玄関を前にして、義勇は途方に暮れた。

 えっ、どうすればいいの? とかつてない難題を前にして、義勇の諦めと開き直りは早かった。

 

「……失礼する」

「ちょ⁉︎」

 

 強引に突破することにした義勇は玄関を自分で開けて屋敷へと侵入する。

 まさか入ってくると思っていなかったのか、少女は驚いた後に敵意を爆発させた。

 

「失礼な方ですね! 許可無く入るなんて、何を考えているんですか⁉︎」

「胡蝶カナエに会いに来た」

「貴方のような不埒な方々は患者だけで十分です!」

 

 何を言っているんだと義勇は本心で疑問を覚えるが、正直もう話にならないので少女を置いて廊下を進もうとする。

 当然少女は行く手を阻むように義勇の前へと出た。

 

「いい加減にしてください! カナエと任務と言いましたが、そんなわけありません! 私は聞いています、やって来るのは鬼殺隊の中でも最強格である柱の方と──」

「あら、しのぶ。さっきから大声でどうしたの?」

「姉さん!」

 

 背後から自身を呼ぶ声に少女が振り向く。

 義勇は声を聴く前から視界に入っていたので分かっていたが、現れたのは目の前の少女と同じ髪飾りを左右に二つ付けた少女──胡蝶カナエである。

 義勇としては一安心だ。これでようやく建設的な話が出来る。

 

「カナエ」

「義勇くん、久しぶりね。さぁ上がって上がって。ここ、私の屋敷なのよ!」

「知っている。お前の活躍は耳に入ってきた」

「ふふ、ありがとね」

 

 仲睦まじく会話を交わすカナエに少女は嗜めるように距離を詰めた。

 

「姉さん! またそうやって気安く話すから相手が付け上がるのよ!」

「もう、しのぶは最近怒鳴ってばかりだわ。研究が行き詰まってて嫌になる気持ちは分かるけど、そんなに怒ってちゃ眉間のシワが取れなくなっちゃうわよ。姉さんはしのぶの笑った顔が好きだなぁ」

 

 ほわわんとした態度のままカナエは付け足す。

 

「それに言ったじゃない。柱の方が来るからお迎えお願いねって」

「は?」

 

 耳を疑うように素っ頓狂な声を上げる少女。

 本当に意味を測りかねていた少女だったが、カナエも冗談を言っている雰囲気ではない。

 呆気に取られていた少女は、ゆっくりと振り返って義勇を見る。

 その時になって、義勇は思い出したように付け加えた。

 

「鬼殺隊"水柱"の冨岡義勇だ。胡蝶カナエと次の任務の件で話がある」

「…………」

 

 少女は絶句する。

 到底信じられないと心で嘆くも段々と状況が理解出来たのか、油を差し忘れた絡繰人形の如き挙動でカナエへと振り向き直す。

 嘘だと言ってよ姉さん、とその瞳は猛烈に訴えていたが、肝心のカナエ(姉さん)は笑顔を浮かべたまま最後通告を告げるように大きく頷いた。

 

 少女は己の所業を思い出す。

 自身が世話になり、将来的には入隊予定である鬼殺隊。

 その最高幹部である柱を問答無用で叩き出すという暴挙。

 

 サァーッと顔が青く染まる。

 再度義勇に向き直った少女。

 少女の様子を訝しんだ義勇が首を傾げるのと、少女が両膝を床に突くのは同時だった。

 

「大変申し訳ありませんでしたぁあああっ‼︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーっ、おかしっ! しのぶったら土下座までするなんて、……ふふふ!」

「姉さんの所為よ! どうして柱の方の特徴を教えてくれなかったの⁉︎」

「あら、ちゃんと言ったじゃない。男性よって」

「同じ年頃のっていう一番大事な情報がないじゃない⁉︎」

「はい、義勇くん。お茶」

「ありがとう」

「姉さん!」

 

 客間へと案内された義勇は配膳された湯のみを手に持ち、ゆっくりと口へと運ぶ。

 来た時と同様に騒がし……賑やかな声を出す少女。カナエが何度も名前を呼んでいるので間違いないのだが、そうと言われても一向に義勇の頭の中では結び付かない。

 義勇にじっと見られていることに気付いたのだろう。

 恥ずかしそうに顔を紅くして俯いた少女に、カナエは助け舟を出すことにしたらしい。

 

「しのぶ、ちゃんと水柱様に自己紹介したかしら?」

「あっ! うん、あっはい、名乗らずにすみません! 胡蝶カナエの妹の胡蝶しのぶと申します! 先程は本当に、申し訳ありませんでした!」

 

 少女──胡蝶しのぶは、記憶の面影が掠りもしない慌ただしい挙動で名乗って謝る。

 そこまで畏まられると義勇としてはやり難いことこの上ない。

 

「鬼殺隊水柱の冨岡義勇だ。カナエの妹であるお前のことは聞いている。今回の任務では二人の護衛を任されている」

「義勇くん本当に柱になったんだねぇ。……くん付けって馴れ馴れしいかしら?」

「好きなように呼べばいい」

「ふふっ、ありがとう」

「……姉さん、なんで水柱様とお知り合いなの?」

 

 さっきからずっと気になっていた疑問をしのぶは口にする。

 例え初対面の相手でもカナエは親しみをもって対応するが、義勇とは一枚壁を越えて仲が良い。

 何処で会ったのだろうか思うのは当然だった。

 

「義勇くんとは最終選別で会ったのよ。私の命の恩人」

「カナエは最終選別で俺の兄を助けてくれた恩人だ」

「…………は?」

 

 今度こそしのぶは固まった。

 即座に理解の及ばない情報に混乱しながらも、一つ一つ言葉にして片付けることにする。

 

「姉さん、最終選別ってこの前受けたあれのことよね?」

「ええ」

「じゃあ水柱様が正式に鬼殺隊に入ったのも同じ時ってこと?」

「そうよ」

「……最終選別って何ヶ月前だっけ?」

「二ヶ月くらい前かしら?」

「…………柱ってそんな簡単になれないもの、でいいんだよね?」

「当たり前じゃない。例えば私としのぶの二人掛かりで義勇くんに襲いかかっても、多分瞬殺されるわよ?」

 

 とんだ化け物じゃないか。

 しのぶは改めて義勇を見てみる。

 

 漆黒の髪にきめ細やかな白磁の肌。

 少年と青年の境い目にある顔立ちと、吸い込まれそうに深い蒼い瞳。

 鬼殺隊の隊服の上に臙脂色の羽織りを着た、一本の芯が通っているかのような凜とした佇まい。

 

「あの、お幾つでしょうか?」

「今年で十三だ」

 

 自分と三つしか違わないのにこの貫禄。

 しのぶは目の前の人物が真に超抜級の実力者なのだと理解した。

 

(私ったらなんて真似を……⁉︎)

 

 出会い頭の対応は世が世なら打ち首もので、普通に説教は免れない行いだった。

 しのぶは後年、義勇に深く感謝することになる。柱の中で如何に義勇が良心的な性格をしているか。

 すっかりと立場的優位が崩壊したしのぶだったが、義勇はしのぶに対しあくまで対等であろうとする。

 

「胡蝶」

「うん?」

「カナエではなく妹の方だ」

「はい、なんでしょうか?」

「敬称は不要だ。カナエと同様、好きに呼ぶといい」

「……では、冨岡さんと」

「ああ」

 

 変わらぬ鉄面皮だったが、幾分か義勇の雰囲気が柔らかくなった。

 そう感じ取ったしのぶは乱れていた気持ちを正常に戻し、真剣な眼差しを浮かべて義勇へと向き直る。

 

「未熟者ですが、護衛のほど、よろしくお願いいたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 三人は早速屋敷を出て鬼の目撃情報があった地へと向かった。

 今回は質より数だ。雑魚鬼を探し出して拘束し、しのぶが安全に実験できるように側にいる。やることはこれだけ。

 義勇の力があれば造作も無い任務である。しのぶやカナエ自身も自衛の心得は備えており、これまでの任務の中でも最も簡単と言っても過言では無かった。

 

 心に来る何かが無ければ、だが。

 

 ──ブシュ!

 

「グ、ガッ……⁉︎ ウゥゥガァァアアアアッッッ⁉︎」

「うーん、これも駄目。痛みはあるけど死に至る程ではない、と。では次です」

 

 ──ズシュ!

 

「ガッ……ッ⁉︎」

「あっ。冨岡さん、腕を斬り落としてもらえますか?」

「……ああ」

 

 ──斬!

 

「ッ⁉︎ ウッ……ウゥゥウッ……」

「こちらは成功といえば成功。全身の麻痺および再生能力の欠如は確認できました。血鬼術の行使を防げるかは要検討と……。せっかくですし混ぜてみましょうか」

 

 ──ズブシュ‼︎

 

「アガッ……ガァァァァァァァァッッッ……‼︎⁉︎」

「おや? 思ってたより効力がある。……痛みで痙攣するはずの身体が麻痺で抑えられてるからか、何かしらの反応で体組織の破壊に繋がってるのか……これはいいですね、持ち帰り案件です。ついでに血を採取しましょう」

 

 カリカリと手に持った紙に実験結果を愉しそうに書き連ねるしのぶ。

 その様子を何とも言えない表情で見守るカナエ。

 両者の間で日輪刀を手に真面目に仕事する義勇。

 

 想定通りと言えばそうだが、思ってた感じと違う。

 義勇の偽らざる感想である。

 

 義勇の知ってるしのぶは「鬼も人もみんな仲良くすればいいのに」といった台詞を普通に口にしていた。一人も人間も食べず、餓死を選ぶというなら慈愛の心で最期まで看取るとも宣言していた。

 無理やりまとめるなら、しのぶは鬼に対しても哀れみをもって接する器の大きさがあった。義勇の記憶では。

 

 では目の前のしのぶはどうだろうか。

 

 手足を拘束され動けない鬼に一切の躊躇無く毒を滴らせた日輪刀を突き刺し、見て取れる反応に生娘なら生理的嫌悪で吐いてもおかしくないのを、一喜一憂しながら冷たい瞳でじっと観察している。

 

 残虐以外の表現が思い浮かばない。

 カナエを見るに育ちが良さそうな良家の娘だったろうに、見て接する限りその面影は感じられない。

 

 これは鬼が齎した悲劇の具現の一つなのだろう。

 しのぶは正しく狂っていた。

 

「うん! 良い結果です。やはり柱の方がいると実験が捗ります。冨岡さん、しばらくの間よろしくお願いいたします。必ず、必ず鬼を殺せる毒を作ってみせます!」

「ああ、お前なら出来ると信じている」

「はい、ありがとうございます!」

 

 信じるというより知っているのだから、義勇の言葉は本心からだ。

 出会ったばかりではあるが柱たる者に応援されてしのぶもやる気に満ち溢れている。この調子なら近いうちに結果を出せるのではないかと思わせる気迫があった。

 

 義勇はカナエを一瞥して、何か言うのを止める。

 最近苛立っていた妹のご機嫌な様子を嬉しく思うも、微かな哀れみを鬼に加えて妹にも向けているような、そんな目をしていた。

 

「しのぶ」

「なぁに、姉さん?」

 

 笑顔で振り向くしのぶに、カナエは今にも泣きそうな微笑みで話し掛ける。

 

「私はしのぶを応援してるし、手伝えることなら何でもしたいと思ってるわ。だから、鬼が殺せる毒が出来たら……その時はこの前私がお願いしたことも、考えてほしいの」

 

 カナエの言葉に、しのぶの瞳の温度が急激に下がった。

 

「姉さん。私は姉さんが好きだけど、姉さんのその考えだけは理解出来ない。鬼は害悪でしかない。哀れみを持つなんて、無意味どころか無駄よ」

「しのぶ……」

 

 義勇はしのぶの態度に眼を見張った。

 客観的に見て、胡蝶姉妹は仲が良い。余人を許さない信頼関係で結ばれており、互いを愛し合う家族としての強い繋がりがある。

 そのしのぶが姉に向かってこれ程までに冷え切った対応をするとは。

 

 カナエの言うお願いの内容が気になる義勇だったが、家族間の個人的な問題に口出し出来るほど大層な人間ではない。

 流す一択だと判断して、義勇は雰囲気が悪くなった二人の仲裁も兼ねて声を掛ける。

 

「この後はどうする?」

「あっ、うん。えーとね……」

 

 どもりながら会話を続けようとするカナエだったが、どうやら毒の実験についてはしのぶが主たる役割を持っているらしい。

 困り顔であはは……とカナエから笑顔を向けられたしのぶは、一度だけ大きく息を吐いて義勇に向き直った。

 

「今日の結果からまた新たに毒を調合します。なので四、五日は冨岡さんの手を煩わせることはないかと……」

「今後もその流れは変わらないか?」

「はい。実験、調合を繰り返し行う予定です。……長い時間が掛かってしまいます。申し訳ありませんが、お付き合い願えないでしょうか?」

 

 不安そうな顔で上目遣いに義勇を見るしのぶ。

 義勇は新任とはいえ柱だ。鬼殺隊の中でもとりわけ忙しい身分であるし、柱の時間がしのぶ達とは比べ物にならないくらい貴重だと理解もしている。

 

 それでも、これだけは譲れないのだ。

 鬼を殺せる毒の開発は今のしのぶの全てなのだ。

 

 しのぶの心情をどう汲み取ったかは分からないが、義勇ははっきりと頷いた。

 

「当然だ。この実験は鬼殺の新たな未来を切り拓く試みだ。協力は惜しまない」

 

 義勇の真っ直ぐな言葉がしのぶの心に突き刺さる。

 何故か歪む表情を隠して、しのぶは頭を下げた。

 

「ありがとうございます、冨岡さん」

「礼は不要だ」

「カァーッ!」

 

 突如として舞い降りてきた烏にしのぶはぎょっとする。

 一切の驚き無く肩に乗ってきた烏を義勇は一瞥し、別の任務だと察してカナエとしのぶに顔を向けた。

 

「実験を行う日は烏で伝えてくれ。お前たちの屋敷に駆けつける。俺もそれまでに数体の鬼を生け捕りにしよう」

「はい、分かりました。ありがとうございます」

「ああ、また会おう」

 

 別れを告げて、義勇はその場から拘束していた鬼を掴んで搔き消える。

 目で追うのも難しいその速さにしのぶは瞠目した後、カナエへと振り返って笑顔を浮かべた。

 

「じゃあ、姉さん。帰ろう?」

「えぇ、……そうね」

 

 暗い顔を隠してカナエは微笑む。

 カナエはしのぶの笑った顔が好きだが、今のしのぶの笑顔はどうにも好きになれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 義勇が胡蝶姉妹と毒の実験を共にして四ヶ月。

 

「……やった、出来た……遂に出来たー!」

 

 山林の中、目の前で事切れた鬼を見て、しのぶは喜びの声を上げた。

 日輪刀で刺された箇所から皮膚がドス黒く変色した鬼。口からは血が溢れ、もがき苦しむようにその生命活動を止めた。

 一連の流れを始終見届けたしのぶの胸の内には、限りない歓喜しか満ちていなかった。

 

「やった……やったよ、姉さん! 義勇さん、見ててくれましたか!」

「ええ。凄いわ、しのぶ」

「ああ。よくやったな、しのぶ」

 

 二人は素直に祝福する。事実、これは偉業に等しい。

 この四ヶ月、しのぶがどれだけ苦心して毒の開発に取り組んできたかを知っている。鬼殺隊員の治療に全集中の呼吸の鍛錬という熟すべきことに加えて、寝る間を惜しんで藤の花と向き合ってきたのだ。常に一緒にいたカナエは言わずもがな、任務時にしか会わなかった義勇ですらしのぶの努力には驚嘆していた。

 

 そして、遂にその努力が報われた。嬉しくて仕方ないだろう。

 

 しのぶは力強く握り拳を作り、凄烈な意志を瞳に燈らせた。

 

「これで、戦える。……これで殺せる! もっと強い毒を創り出してやる、鬼なんて皆殺しにしてやる!」

 

 昏い眼をして決意を口に出すしのぶ。怒りと憎悪と殺意と、様々な負の感情が綯交ぜになった恐ろしい声音で、しのぶは凄絶に笑っていた。

 

 義勇は何も言わない。所詮他人である自分が宥めるなんてもっての他だ。

 しのぶとカナエは両親を目の前で鬼に殺されたと聞いた。その時の衝撃と悲痛はきっと計り知れないだろう。義勇ですら、姉の死に様を直接は見ていないのに。

 そこから恐怖に屈することなく、奮起して立ち上がった二人には心から尊敬の念を抱く。普通なら、もう一切関わりたくないと眼を背向けてもおかしくないだろう。

 しのぶは更に、鬼殺の歴史上において誰もが成し得なかった鬼を殺す毒を開発したのだ。

 彼女をそこまで駆り立てたのは、ひとえに心に積もり続ける負の感情に他ならない。

 時に怒りや憎悪は信じられない心の原動力になるものだ。

 これまで発散出来なかったその鬱憤を、遂に晴らす手段をしのぶは手に入れた。

 気持ちが昂ぶるのも無理はない。

 

「……しのぶ」

 

 もし、その人が間違った方向に進んでいると感じて、止められるのは誰だろうか。

 義勇は思う。

 

 それはもう、家族しかいないと。

 

「姉さん! 私、頑張るからね! もっともっと強力な毒を創るから!」

「それは分かったわ。でもね、しのぶ」

()()()()()()()()()()()()! あの時の誓いを果たせるんだよ、姉さん! 二人で一緒に鬼を倒そう! こんな奴ら、全員地獄に堕ちるべきなんだよ!」

「しのぶ!」

 

 カナエの大声にしのぶはビクンと震える。

 

「姉さん……?」

 

 どうしてカナエが声を荒げたのか心底分からない。

 しのぶの困惑をはっきりと感じ取ったカナエは、しのぶの両肩に手を置いて優しく話し掛けた。

 

「二人で鬼を倒そうって、あの時誓ったわ。でもそれはね、鬼を憎んでじゃないのよ。私たちと同じ思いを、他の人にはさせない為よ。しのぶは覚えてるわよね?」

「覚えてるよ! だから鬼を殺すの! 一体殺せばきっと何人も、何十人もの命を救える。私たちと同じ思いをする人たちを減らせるわ!」

 

 しのぶの双眸の奥に潜む闇。

 真正面からその澱みを覗き込んで、それでもカナエは言葉を重ねた。

 

「そうだけど違うわ。今のしのぶは違う。今のしのぶは鬼を倒すことしか考えてない。他の人のことを」

 

「──うるさい!」

 

 しのぶの悲嘆に満ちた絶叫が響き渡る。

 呆然と停止するカナエに、しのぶは幼子のように喚き散らした。

 

「どうして⁉︎ どうして姉さん()認めてくれないの⁉︎ 隊員の方々もそう、鬼を殺せる毒を創ってるって言ったらみんな声にしないだけで馬鹿にしてる! 認めてくれたのは義勇さんだけっ‼︎ 姉さんも、心の中で私を馬鹿にしてるんだわ‼︎」

「ち、違うわしのぶ! 私は馬鹿になんて」

「うるさいうるさいうるさいっ‼︎ ()()()()()()()()()()()()って言われた私の気持ちが分からないのよ‼︎ やっと、やっと手に入れたのに、これで私だって鬼を殺せるのに……っ‼︎」

「しのぶっ⁉︎」

 

 カナエの手を振り払い、しのぶは脇目も振らずに走り去っていく。

 一筋の涙だけを残して、その場を静寂に落とし込んだ。

 

 即座に追い掛けようとしたカナエだが、その脚はどうしてか動かなかった。

 力を抜けばへたり込んでしまう。

 そう思う程にカナエは憔悴してしまった。

 

「私は……しのぶが……」

「カナエ」

「っ⁉︎」

 

 ビクリと震えるカナエ。のろのろと覇気の無い挙動で義勇に振り向く。

 これまで姉妹のやり取りには極力関わってこなかった義勇だったが、状況が変わった今声を掛けない訳にはいかなかった。

 

「俺はしのぶを追う。近辺に鬼はいないと思うが万が一もある。だがお前も護衛対象だ、置いていくことは出来ない。どうする?」

「それは……」

 

 一緒に行くしかないのはカナエにも分かっている。

 だがしのぶはあの状態のままだ。今はカナエの言葉になんて聞く耳を持たないだろう。

 義勇の立場も理解している。柱たる彼にとんでもない迷惑を掛けていることも。只でさえ姉妹喧嘩を目の前で見せられて心中穏やかではないだろうに。

 

 それに加えて、更に迷惑を重ねる訳には……。

 

「カナエ、今のしのぶと話すのが怖いのなら、しのぶからは見えない位置にいろ」

「義勇くん……」

 

 真っ直ぐに向けられる蒼い瞳。

 鋭利でありながら不思議と圧迫感のないその優しい目を見て、カナエはつい頼ってしまう。

 

「義勇くん、しのぶと話をしてあげて。私みたいに説得なんてしなくていいから、ただ話をしてほしいの。あの子は、義勇くんのことは信頼してるから」

「……期待はするな」

 

 大の苦手分野に義勇は若干顔を顰める。余程自信がないのだろう。

 だがカナエは心配していなかった。

 確かに義勇は言葉足らずな面もあるが、それを補って余りある優しさで満ちている。

 きっと、大丈夫だ。

 義勇になら任せられる。

 しのぶのことを、任せられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分も走らずに、義勇はしのぶを見付けた。

 しのぶはずっと走り続けていたわけではなかった。感情任せに飛び出たものの、すぐに理性が蘇ったのだろう。比較的近くの樹に寄り添うように、膝を抱えて座り込んでいたのだ。

 義勇はしのぶを発見した後、一度だけカナエと目配せして移動する。

 音も無くしのぶの側に降り立って、しのぶが反応するのを静かに待ち続けた。

 

「…………申し訳ありません、義勇さん。迷惑ばかり掛けて」

「気にするな。泣きたい時に泣けるのなら、泣いた方が良い」

「……っ!」

 

 義勇の言葉に、しのぶは嗚咽を漏らしてしばらく泣いた。

 義勇は頭を撫でるでもなくただ側にいるだけだったが、慰められたいわけではないしのぶにはその対応はありがたかった。

 

 時間にして二分もかからずに、しのぶはガシガシと乱暴に涙を拭う。

 その様子を見て、義勇はこの短い間に考えた言葉を投げ掛けることにした。

 

「しのぶ、俺はお前を否定しない」

「っ⁉︎」

 

 バッと顔を振り上げるしのぶに、義勇は視線を合わせる。

 

「怒りや憎しみは時に心の原動力になる。だが、それで冷静な判断力を失うのなら話は別だ」

「うっ……」

 

 図星を突かれてしのぶは縮こまる。

 義勇も別にしのぶを責めたいのではないが、この点についてだけは鬼殺隊員の先輩として注意すべき点だった。兄弟子であり自身と同等以上の強さを誇る錆兎が、冷静さを失って死に掛けたのが理由の大半だ。

 しっかりと反省しただろうしのぶに、義勇は更に言葉を重ねる。

 

「だが、カナエを否定するわけでもない」

「それは……どうしてですか?」

「最愛の家族であるお前に対する言葉だ。その中には必ず、カナエなりの心情が込められている。しのぶ、お前はその想いを無下にするような奴ではない」

「……でも、姉さんは喜んでくれなかった。せっかく毒が完成したのに」

 

 子供のような駄々を捏ねていることはしのぶにも分かっている。しかし、一度あれだけ反発してしまった手前、すんなりと納得することが出来ないのだ。

 しのぶは聡明だが、それでもやはり十になったばかりの子供。

 全てを堪えろというのは酷な話だった。

 

 溜まった不純物を吐き出す場が必要だ。

 

「しのぶ、お前の話を聞きたい」

「えっ……?」

 

 鞘ごと日輪刀を引き抜いて、義勇はしのぶの側に座り込む。

 警戒は怠らないまま、義勇はしのぶの隣で樹々の梢から覗く夜空を見上げた。

 

「俺は話すのが得意ではない。だが、聞き役に徹して話し相手になる事くらいは出来る。しのぶ、不安や不満は今ここで吐き出せ」

「…………ふふっ、義勇さんは不器用ですね」

「知っている」

 

 ムスッと柳眉を寄せる義勇がおかしくて、しのぶの表情に笑顔を溢れた。思えばここ最近は、疲れや苛立ちでずっと笑えてなかった気がする。

 気持ちが少しだけ楽になって、しのぶも夜空を見上げながら話し始めた。

 

「……両親が鬼に目の前で殺されました」

 

 知ってはいたが出だしから重過ぎる。

 この時点で義勇には手に余る案件だと再確認したが、決して表情には出さずに無言で続きを促す。

 

「私と姉さんは鬼殺隊員の救助が間に合って九死に一生を得ましたが、両親はまともな骸も残らなかった。……意味が分からなかった。どうしてこんなことになったのか。私と姉さんはずっと泣いていました」

 

 思い出して、しのぶの頰にまた涙が伝う。

 完全に失敗したと義勇は悟った。自分だって、姉と兄弟子の死を思い出さないようにしていたのだ。気持ちは心から共感できるというのに、わざわざ思い出させるように仕向けてしまった。

 しかしここでやっぱり止めようとは口が裂けても言えない。

 慰めも出来ないまま、義勇は静かに聞き続ける。

 

「だけど、姉さんと誓ったんです。鬼を倒そう。一体でも多く、二人で。私たちと同じ思いを、他の人にはさせない、って。その誓いを胸に、私たちは鬼殺隊の門を叩くことにしました」

「……そうか」

 

 実にありふれた悲劇だ。

 前回の義勇と何ら変わりはない、鬼によって齎されたどうしようもない悲劇。

 

「姉さんと共に刀を握って、全集中の呼吸の鍛錬をして、私は師範に言われました。お前には鬼の頸は斬れないって。……身体が小さ過ぎて、腕力がなさ過ぎて……私には、鬼の頸が斬れないって……っ!」

 

 自身の無力さに殺意すら覚えて、しのぶは爪の跡が残るほど拳を握り締める。

 

 その時しのぶが覚えた絶望は途方も無いものだろう。

 両親の仇と同義である鬼を、姉と共に倒そうと誓った悪鬼を、しのぶはどう足掻いても殺せないと真っ向から意志を否定されたのだから。

 

「……それは早計だと思うが」

「……いえ、なんとなく分かるんです。私はもう、劇的に身体が大きくなることはないんだと。師範もそれを見抜いていたんでしょう」

 

 身体的特徴は手の出しようが無い生まれ持った才能に等しい。姉であるカナエが大きいからといって、妹であるしのぶも大きくなるとは限らない。

 なんで、どうしてと、しのぶは天を呪っただろう。

 そのまま挫けて立ち上がれなくなっても不思議では無かった。

 

 だが、しのぶは諦めなかった。

 身体に恵まれなくても、しのぶには天性の頭脳があったからだ。

 

「……それで毒の開発か……」

「はい。鬼は藤の花を嫌うと初めて聞いた時から興味はあったんです。嫌うということは、何か鬼にとって有害な物質が含まれているんだと。それを解明すれば、鬼に対する毒を生み出せるんじゃないかと」

 

 事実に対して何故と問い、原因を追求出来る人間は少ない。

 義勇には無理だった。義勇が初めて鬼は藤の花を嫌うと聞いた際は、そうなのか、と知識として吸収するだけで終わっていた。

 

 しのぶの理屈は言われれば分かる。

 だからといって、実際に調べるかと言われれば否と答えるだろう。先達もいなければ道が整っているわけでもない。意味ある何かに昇華させるには並大抵の努力では叶わない。

 義勇が考慮する余地もなく捨てた可能性を、しのぶは十にも満たない幼さで突き詰め始めたのだ。

 

「治療院のお手伝いで給金を頂いて、そのお金で機器を買い揃え、藤の花の成分を分析しました。最初は手探り状態で本当に苦労しましたが、該当するであろう成分の抽出に上手くいった時は嬉しかったなぁ……」

 

 その時の気持ちを思い出してか、しのぶの顔がほころぶ。

 たった一言で済ませているが、本当にしのぶは苦労した筈だ。無から有を生み出すには、尋常でない時間と努力が試される。

 形となり、鬼に効く毒の一端を掴んだ

 誰に誇っても咎められない偉業だろうに、しのぶの顔はすぐに曇ることになった。

 

「姉さんは喜んでくれました。良かったねって。私も嬉しくて、他の人にも伝えたくて、でも知り合いもいないから、患者の鬼殺隊員の方々に話したんです」

 

 嬉しさから一転、しのぶの顔には悔しさが滲んでいた。

 

「……思ってた反応と違いました。感心してくれた方もいたけど、多くの方は雑談のタネくらいにしか思ってなかった。口にはしませんでしたが、流石に分かりました」

 

 ──鬼を殺せる毒なんて、創れる筈がない。

 

 心からそう思っている隊員が殆どだった。

 義勇にもその理由と隊員の心境がどういうものかは分かる。

 それは聡明なしのぶも同じ。

 

「鬼を滅殺するには頸を切断するしかない。これが鬼殺隊での常識です。千年で凝り固まった固定観念です。常軌を逸した鬼の生命力を考えれば、頸を斬らないと死なないという考えは分かりやすく、勝利の形として酷く象徴的過ぎました。鬼を斃すには、これしかないと」

 

 しのぶにだって、そんなことは言われずとも分かっている。

 自身が突き進もうとしている道がいわゆる邪道だということも。

 正道を進むことも許されない落ちこぼれだということも。

 何よりも、しのぶが頭に来たのは。

 

「……況してや私のような小娘が鬼に効く毒を開発しているなんて言っても、大抵の人は半信半疑でした。絵空事だとはっきり笑う方もいました」

 

 怨念染みた覇気を感じて、チラリと義勇はしのぶの顔を一瞥する。

 赫怒と悔しさと負けん気と、あらん限りの想いが凝縮された形相でしのぶは目を剥いて口元を歪ませていた。

 

「……絶対に見返してやる。絶対に、絶対に、絶対に見返してやると心に決めました」

 

 ここまで話して、ようやく義勇は理解した。

 しのぶの本性は此方だ。記憶にあるような嫋やかに微笑む女傑ではなく、感情に振り回されがちだが、その分強過ぎる想いを胸に未来へと向かうことが出来る少女なのだ。

 

 義勇の知っているしのぶは、どちらかといえばカナエに近い。

 既に故人だったカナエと、柱となってから知り合ったしのぶ。

 色々と察した義勇は疑問が解消されたことを他所に置いて、口を開くことにした。

 

「凄いな、しのぶは」

「……義勇さんだけです。私を認めてくれたのは」

 

 しのぶは義勇の横顔を眺めて、出会った頃を思い出す。

 

「この任務が始まる前までは、自分で言うのもなんですが相当に鬱憤を募らせてました。進みの悪い実験、治療院としての業務……姉さんに色目を使う男共! 全てが私をイラつかせました」

 

 あの時は不躾な態度を取って本当に申し訳ありませんと再度謝るしのぶに義勇は軽く答え、話の続きを促した。

 

「正直、柱の方が来ると聞いても複雑な想いでした。上は認めてくれたと嬉しくはありましたが、柱の方は、その……個性的な方が多いとお聞きしていたので、絶対に私のことをただの子供としてしか見ないと思っていました」

「その認識は正しい。柱になるような奴らは総じて異常だ」

「……ふふっ。義勇さんもですか?」

「俺は普通だ」

 

 くすくすと楽しげに笑うしのぶ。

 確実に自分も変人の括りにされていると感じて義勇は納得いかないが、しのぶの表情が解れたのを良しとして言及しなかった。

 

「……義勇さんは他の誰とも違いました」

「何がだ?」

「義勇さんの眼は真剣で、私を馬鹿にするような光は一切ありませんでした。……『この実験は鬼殺の新たな未来を切り拓く試みだ』って言ってもらえた時、本当に嬉しかった」

 

 あんなにも真っ直ぐな眼差しで全面的にしのぶの功績を認め、信じていると声にまで出してくれたのは義勇が初めてだった。

 一言一句違わずに頭に染み込んだその言葉を励みに、しのぶはこの四ヶ月頑張ってきたのだ。

 

「予算も降りて精密機器も手に入り、実験回数も格段に増えて、成果は現れてきました。そして今日、やっと、やっと鬼を殺せる毒が完成したんです! これで私を見下していた人達を見返すことができる。鬼を殺せるなら鬼殺隊にも入れる。……それなのに、姉さんの顔は喜びよりも私に対する哀れみに染まってた。それで……」

「……我慢の限界を迎えて堪忍袋の緒が切れた、ということか」

「はい……」

 

 冷静になってしのぶは落ち込んでいた。

 ここ数年は一度も喧嘩なんてしなかった姉に、心にも無い暴言を吐いてしまった。

 話を聞いて、義勇には一つ疑問があった。

 

「しのぶを一番最初に認めたのはカナエではないのか? カナエだって、俺と同じ気持ちを持っていたはずだ」

「……姉さんは私とは違うんです。鬼に対する考え方が根本的に」

 

 しのぶは俯いたまま、自分にも言い聞かせるように話し出す。

 

「鬼は元々人間なのだから、鬼は可哀想な存在なのだと。理解できるけど、納得できなかった。人を殺しておいて可哀想? そんな馬鹿な話はないです。私達の幸せを踏み潰した鬼共なんて、一体残らず滅ぶべきなんです」

 

 しのぶの瞳からは強烈な決意が見て取れる。

 これはカナエが幾ら言葉を尽くしても変わらないだろうと義勇は察した。

 

「カナエはそうかもしれない。だが、それをしのぶに押し付けるような者ではないだろう?」

「はい、姉さんが私をそのことで説得しようとしたことはありませんでした。ただ、毒の開発を進める最中に、姉さんにある頼み事をされたんです。……その内容が、どうしても許容出来ませんでした」

「……初日に言っていたお願いか?」

「はい」

 

 しのぶが明確な拒絶を示したカナエのお願い。

 気にはなっていた義勇だったが、この四ヶ月の間で話題に上がることは一度も無かったので流していたものだ。

 

「姉さんのお願いは『鬼が安らかに逝ける毒を創ってほしい』というものです。……本当に理解できなくて、考えることもせず拒否しました」

「……成る程な」

 

 ようやく義勇の中で話がまとまってきた。

 

「人を殺したのだから、その分苦しんで死ねばいい。しのぶの考えはこうか?」

「概ね正しいです。生まれたことを後悔するくらいに苦しんでから死ぬべきだと思っています」

 

 恐らくこれが、しのぶの中で淀む一番の不満だろう。

 同じ境遇の姉と相容れない考え方の違い。

 今まで堪えていた鬱憤の、その最後の一線を超えた原因であると義勇は断定した。

 

 さて、どうするかと義勇は考える。

 説得はしなくてよいとカナエから言われたが、ここを見過ごしてはしのぶとカナエはいつまでも歩み寄れない。

 互いしかいない大切な家族が仲違いするなんて、義勇には考えられない。そんな不幸なことはない。

 

 口下手な自分ではどこまで力になれるか分からない。

 けれど、似たような話をした覚えはあった。

 姉弟子が自分たちの師範である鱗滝に尋ねたとある話だ。

 

「しのぶ、お前は水の呼吸についてどの程度知っている?」

「義勇さんと知り合ってから少しだけ聞き齧りました。型が全部で拾まであったのを、義勇さんがその先の拾壱の型を生み出したと」

「つまり詳細は知らないんだな?」

「はい」

 

 それが何か、としのぶは首を傾げる。

 疑問を浮かべるしのぶを他所に、義勇は話し始めるための準備を頭の中で進めた。ここは言葉足らずになってはいけない場面だ。ここで義勇が悪気無くしのぶを突き放すような言動をしてしまえば、真にしのぶが報われることが無くなってしまう。

 自分の言葉を交えつつ、義勇は鱗滝の言葉を丁寧に思い出す。

 人を教え導く育手である、偉大なる先達の言葉を。

 

「水の呼吸の伍ノ型は【干天の慈雨】と言う」

「かんてん……干天? 干上がった天気という意味ですか?」

「あぁ、枯れた日に降り注ぐ慈しみの雨という意味だ」

「それは、また……随分と穏やかな名前ですね」

 

 鬼殺の呼吸の型とは信じられない優しい名前だ。本当に型の名前なのかとしのぶですら疑った。

 一体どんな技なのかと興味が湧いて、しのぶは義勇の言葉を待つ。

 今度は義勇が語る番だった。

 

「この技で斬られた者には殆ど苦痛が無い。【伍ノ型・干天の慈雨】は、相手が自ら頸を差し出してきた時のみ使う慈悲の剣撃だ」

「…………え?」

 

 しのぶの表情が固まった。

 なんだそれはと頭が理解を拒否する。

 意味が分からない。

 慈悲の剣撃と義勇は言った。

 何に対する慈悲か。

 

 そんなもの決まっている。

 

 鬼に対する慈悲だ。

 

「っ⁉︎」

 

 真っ赤に燃え上がる心に従って、しのぶは義勇を詰め寄るように立ち上がった。

 

「な、なんでそんな型が存在するんですかっ⁉︎ 慈悲? 鬼に対する慈悲? 意味が分からない! なんで、なんでなんですか⁉︎」

「……鬼は元々人間だ。そして、鬼になった者は二度と人間には戻れない」

 

 一度だけ溜めて、義勇は真正面からしのぶと向き合った。

 

「それが自分の大切な人だったら、しのぶはどうする?」

「っ……⁉︎」

「それが仲間であったら、友達であったら、恋人であったら、……家族であったら、しのぶはどうする?」

 

 答えられない。そんな問い、即答できる筈がない。

 意地の悪い質問だと義勇も分かっている為、しのぶの答えを待たずに先に続ける。

 

「きっと水の呼吸の使い手が、そういう状況に陥ったのだろう。助けられない。人間にも戻せない。だが放っておけば、その大切な人が人を喰らう。ならば鬼殺隊員として、殺すしかない。……だから、せめて苦痛なく旅立ってほしい。今は少し変わって自ら死を望む鬼に対する技だが、根本は変わらない。そういう願いが、この技には込められている」

 

 姉弟子も、兄弟子も、自分も、鱗滝からその話を聞いた時は考えさせられた。相手が子供であっても真摯に向き合ってくれる鱗滝だからこそ、教えてくれたのだ。

 鬼殺隊員として生きていくのなら、切っても切り離せない残酷な問い。

 

「……嫌、嫌だ、嫌だ……っ」

 

 ふらふらと、しのぶは後ずさる。

 信じていた人に裏切られたような、そんな顔でしのぶは首を振る。

 

「義勇さんも、私を否定するんですか……? 私がおかしいって、そう言いたいんですか……?」

「違う」

 

 義勇も立ち上がって、しのぶの肩を優しく掴む。

 

「最初に言った筈だ。俺はお前を否定しないと」

「でも! 義勇さんも姉さんと同じじゃないですか⁉︎」

「いや、俺は鬼を哀れんだことはない。例え家族の前でも、鬼と化し人を喰った者は殺す。【伍ノ型・干天の慈雨】も、使ったことはない」

 

 そういう場面が無かっただけではあるが、細かいことは置いておく。

 義勇はしのぶへ授ける思いを慎重に言葉にする。

 

「しのぶ、お前は俺なんかよりもずっと凄い人間だ。毒を創り出した。鬼を殺すことも出来る。そして何より、傷付いた者を癒すことが出来る。斬ることしか能の無い俺とは雲泥の差だ」

 

 だからこそ、願いを託してしまうのだ。

 

「カナエのように、鬼を斬ることに苦しみを覚える者もいる。そういう者達が心置き無く戦えるように、しのぶにそういう毒を創ってほしい。カナエはきっと、そう思っているんだろう」

「……私には、無理です。心の一番深いところに、どうしようもない嫌悪感がある。どうしても、その気になれません」

「ならば創らなくてもいい」

「へっ……?」

 

 予想外の反応に、しのぶは素っ頓狂な声を出す。

 義勇は何かしくじったと思ったものの、話を強引にまとめた。

 

「そういう者もいるということだ。別にしのぶに無理強いするつもりはない」

「……なんですか、それ……」

 

 力が抜けたしのぶはがっくりと肩を落とす。

 なんかもう一気に疲れてしまった。

 色々と馬鹿らしくなって、しのぶは投げやりに義勇に問う。

 

「結局、義勇さんは何が言いたいんですか?」

「? 俺はお前を否定しないと言っているだろう?」

 

 キョトンとする義勇に、しのぶは大きな溜め息を零しそうになった。

 なんというか、何も解決していない気がする。しのぶとカナエは平行線のまま、何も変わっていない。

 ただ、しのぶの溜め込んでいた思いは外に出た。幾分か、気持ちに余裕が生まれた。

 

 だから、しのぶは最後に義勇に聞いてみたかった。

 

「義勇さん」

「何だ?」

「義勇さんは、何故鬼殺隊に入ったんですか? どのような信念の元に、鬼を倒しているんですか?」

 

 しのぶの問いに、義勇は即答する。

 

「俺は護るために剣を振るう。民を、仲間を、友を、家族を、もう二度と目の前で死なせないために。だから俺は鬼殺隊へと入隊した」

「護るために……」

 

 義勇らしいと、しのぶは思う。

 真っ直ぐに向けられる言葉がしのぶには眩しい。思えば、義勇はいつでもしのぶとカナエの身を慮っていた。身体的な面はもちろん、口下手ではあったが精神的な面も。

 

(私はこんな風になれるかな……)

 

 憧憬を思うも、しのぶの根本はやはり変わらない。

 鬼に対する怒りが、憎しみが、晴れることはきっとない。

 

 だけど、それに囚われたら駄目なのだろう。

 決定的な一線を超えて、しのぶは人から堕ちてしまう。

 カナエがさっき伝えようとしていた想いを感じて、強い後悔と共にすぐに姉に会いたいと思う。

 

「カナエ、もう大丈夫だ」

「っ⁉︎」

 

 バッとしのぶは背後に振り向く。

 其処には、泣いているような、笑っているような、心配そうな、嬉しそうな、様々な想いで彩られたカナエがしのぶを見詰めていた。

 

「しのぶ……」

「姉さん……姉さんっ!」

 

 衝動に駆られて、しのぶはカナエに抱き着いた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ‼︎ 違うの、さっきのは違うの! どうしても、抑えられなくて……ごめんなさい! ごめんなさい!」

「……いいの。いいのよ、しのぶ。……しのぶが戻ってきてくれて、本当に良かった」

 

 背中を撫りながら、カナエは一筋の涙を零す。二人はしばらくの間、固い抱擁をほどくことはなかった。

 そんな美しい家族愛を見て、義勇は思い出す。

 

(カナエは亡くなり、しのぶもあの決戦で命を落とした……)

 

 二人は救えなかった。

 義勇の手の届かないところで、鬼に殺された。

 

 生きていてほしい。

 

 大切な仲間である二人に。

 いつまでも、二人一緒に、幸せになってほしい。

 

 日を追うごとに、義勇の決意は強固なものになっていく。

 

「義勇くん」

 

 泣き止んだ二人が歩み寄ってくる。

 義勇は繋がれた手を見てから、二人と視線を合わせた。

 

「仲直りはできたか?」

「うん、お陰様でね。ありがとう、義勇くん」

「義勇さん、ありがとうございます」

 

 二人揃って柔らかに微笑むカナエとしのぶ。

 在るべき光景に戻ったことを実感して、義勇の心も暖かくなる。

 

 だから、自然と表情がほころんだ。

 

「そうか、それは良かった」

『っ……⁉︎』

 

 微笑んだ義勇を直視して、カナエとしのぶの時が止まる。

 特にしのぶの驚きは一入(ひとしお)であった。

 初めて義勇の表情が変わるのを見た。この四ヶ月、義勇は笑うこともなければ機嫌が損なわれることもなかった。淡々と任務を遂行していたのだ。

 最初はその無愛想さと鉄面皮にやや動揺していたが、「義勇くんはいつもあんな感じだよ」とカナエに教えられてからは慣れ始めていた。

 

 正直、油断していた。

 義勇は笑わないものだと決め付けていた。

 

 だからこそ、美麗とも感じる義勇の微笑みはしのぶの心臓を強く打った。

 

「カナエ、しのぶ」

『はいっ!』

 

 予想以上に威勢の良い返事に義勇は内心首を傾げるも、二人とも元気になった証拠だろうと軽く流す。

 義勇は微笑みを消して、いつもよりも更に真剣な眼差しで二人を見る。

 

「俺は二人も護ってみせる。カナエ、しのぶ。絶対に、死ぬな」

『──っっっ⁉︎』

 

 ──二人は後にこう述懐する。

 

『天然はずるい、義勇はずるい』

 

 あの誓いを聞かされた後に、その台詞はずる過ぎる。真面に顔を見ることも恥ずかしくて堪らない。

 

 とんでもない爪痕を残して、義勇は一人勝手に満足していた。

 毒の開発もこうして完了した。まだまだ調べることやより強力な毒の作成などやる事は沢山あるだろうが、後はしのぶだけでも進められる筈だ。もう二人に付き添う必要はないだろう。

 

 ふと、カナエとしのぶの顔が紅くなっていることに気付いた。

 ここまで色々あったのだ。疲れが一気に出たのだろう。

 キリも良いので、義勇は日輪刀を腰に挿し直して帰る支度を始める。

 

「今日は疲れた筈だ。二人ともゆっくり休め」

「えっ、……あっ、うん! 帰ろっか、しのぶ?」

「……うん」

 

 三人は放置していた鬼の死体の場所へと戻り、義勇が持ち帰る準備をする。貴重な実験結果であるこの鬼の使い道はまだあるらしい。

 いそいそと忙しそうに義勇と一切視線を合わせなくなったしのぶを訝しむも、義勇は義勇で今後の予定を頭の中で組み立てていた。

 

(真菰から鱗滝さんの説得が終わったと先日連絡があった。この任務も終わりだろうから次から合流するとしよう)

 

 ギュッと縄を縛って、帰り支度を完了させる。

 ここ最近は必ず屋敷に帰っている義勇は、既に考えが家での仕事に向いていた。

 

(蔦子姉さんの子供が産まれるのは後何ヶ月だろうか……)

 

「カナエ、しのぶ。準備は終わった」

「ありがとね、義勇くん。それじゃあ帰ろっか」

 

 三人は来た道辿って、未来の蝶屋敷への帰路を進む。

 

「…………」

 

 チラリと、カナエを挟んだ向こう側にいる義勇をしのぶは盗み見る。

 

 その蒼い瞳に映る自分の感情をなんと言うのだろうか。

 

 今は何も分からないまま、帰り道を歩いて行く。

 

 不思議と、気分は悪くなかった。

 

 

 

 

 

 

 











おまけ:チームT推し

♫あなたは今日で真菰推し
 ほらチームT♪

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♫あなたは今日でカナエ推し
 ほらチームT♪

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♫あなたは今日でしのぶ推し
 ほらチームT♪

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♫あなたは今日で蔦子推し
 ほらチームT♪

【挿絵表示】

鬼滅(KMT)48!







 あなたは誰推しですか?
 ちなみに私はぎゆしの好きのしのぶさん推しです^_^

次回(予定)
『閑話2 水柱様のウワサ』


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