鬼滅の刃 ──逆行譚──   作:サイレン

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報告的な色々
・あらすじに挿絵追加してます。まぁここの義勇さんが半々羽織を着ることは……
・サブタイトルで分かる息抜き回。なのにめちゃ長い。
・気づいてる方はいると思いますが、私の趣味嗜好の関係で真菰ちゃん捏造設定過多です。戦闘狂の女の子って可愛くないですか?
・しのぶさんの声優はやみんとか耳蕩ける^_^
・個人的にカナエさんは中原麻衣さんで脳内再生してます^_^



柱になってすぐのこと
義勇「屋敷が手に入った。姉さんたちさえ良ければ一緒に暮らさないか?」
蔦子「待って義勇、どういうことなの?」









閑話2 水柱様のウワサ

「……私は、その……水柱様が……」

「義勇様ね! 分かるわその気持ち〜」

 

 鬼殺隊治療院の一つ。

 屋敷の主人の名前と、敷地内を色とりどりの蝶が舞い遊ぶ光景から『蝶屋敷』と親しまれ始めたその病室の一つにて。

 

 話し声が耳に入り、偶然その一室近くの廊下を歩いていた屋敷の主人たる姉妹──胡蝶カナエと胡蝶しのぶはピタリと足を止めた。

 

「水柱様って新任の冨岡義勇さんのことですか?」

「そうよ! 私も任務で数回会っただけなんだけど、もうなんか色々と凄かったわ。実力は当然として、立ち振る舞いも十三歳とは信じられないくらい大人で、少年と青年の狭間でまだ成長途中なのにどこか色気があるというか……うん、我ながら気持ち悪いこと言ってるわ」

「……でも、分かります」

 

 どうやら中にいるのは三人の女性隊員のようだ。女三人寄れば姦しいとあるように、水柱様のことで盛り上がっているらしい。

 無意識のうちに病室の戸近くに身を寄せていた胡蝶姉妹はそう理解し、一切喋らず気配を殺して聞き耳を立てていた。

 

「それに、水柱様は私たち隠の人にも優しくて……柱の方とは思えないくらい常識的で……」

「あぁ、確かに義勇さんはちょっと言葉足らずだけど良い奴だって言ってたなぁ」

「誰から聞いたのか気になるわね。というより、そういうあんたは誰が良いのよ?」

「えぇっ⁉︎」

 

 一人水柱様に熱を上げていなかった女性が戸惑うように声を上げる。

 恥ずかしがりながら遠回しの拒否を試みるも会話の主導権はないらしく、気の強そうな恐らく先輩女性隊員と隠の少女に詰められて口を開いた。

 

「私は、その……同期で義勇さんのお義兄さんでもある錆兎さんが……」

「錆兎様かぁー、うんうん、その気持ちも分かる。後のもう一人の水柱様って呼ばれるくらいだからねぇ」

「……最終選別のあの出来事があれば、惚れない方が難しいです」

「ちょ⁉︎ それは言わないでってお願いしたのに⁉︎」

「何々、凄く気になるんだけど?」

「うぅ〜〜〜……っ⁉︎」

 

 ここまで聞いて、カナエは同期の少女が二人いることに気付く。

 隠の少女ははっきりとは覚えていないが、錆兎に好意を抱いている少女には大いに心当たりがあった。彼に命懸けで救ってもらった両腕を骨折したあの少女だと。

 問い詰められて惚気話にも近い出来事を話す少女の幸せそうな声音。

 先輩隊員はとてもニヤニヤしてそうな声で嬌声を上げた。

 

「キャー! かっこよすぎるわ錆兎様! それで、進展はあったの?」

「そ、そんな滅相も無い! あれ以来数回しか会えていませんし、それに、私のせいで足を引っ張ってしまった負い目もあって……」

「錆兎様がそんな小さなこと気にするわけないじゃない! あれほど竹を割ったような性格の方は今時珍しいわよ?」

「……同感です。この前お話する機会がありましたが、今も頑張ってるって言ったら嬉しそうに笑ってくれました」

「そ、そうなんだ……えへへ」

 

 溢れる笑い声に少女の雰囲気が明るくなる。

 しかし、次の瞬間にはどんよりとした声が漏れていた。

 

「でも、錆兎さんは真菰さんと凄く仲が良いので……」

「あぁ〜……義勇様の継子の真菰様かぁ〜……」

 

 一人の少女を三人に二人加えて五人で思い浮かべる。

 真菰。水柱様たる冨岡義勇の姉弟子にして錆兎の妹弟子に当たる存在で、数ヶ月程前から義勇の継子として活躍している少女だ。身内とあってか二人とは家族同然の仲の良さで、三人ともまだ子供のため見ていて微笑ましさすら感じる。

 性格は天真爛漫。義勇や錆兎に似て天然な部分もあるが、そこを含めても可愛らしい女の子。

 

 とある一点を除けば、だが。

 

「……真菰様、異常にお強いのよね〜」

「あれで歳下で、しかも正規隊員じゃないなんて、本当に信じられません」

「……今の水の呼吸一門の強さは凄いですよね……」

 

 その小さな身体のどこから……と思ってしまう卓越した力量で鬼の頸をバッサバッサと斬っていく真菰。

 そんな真菰の姿を思い出して、少女たちは苦笑した後に同時に溜め息を吐いた。

 男女問わず、真菰を見て自信喪失した者は少なくない。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「柱の任務について行けてる時点で分かってたけど、真菰様も水柱になれるんじゃないかしら?」

「はい。本当にお強いですし、それに何より真菰さんが凄いのは嗅覚です。血鬼術の威力や規模、発動の兆候すら嗅ぎ取るって聞きました」

「……人間業じゃないです……」

 

 義勇や錆兎も年齢に反した実力を誇っているが、真菰はもはや別次元に飛び抜けている。鬼の最大の脅威である血鬼術を察知可能というのは、鬼殺隊員からすれば喉から手が出る程に欲しい力なのだ。

 何処までが本当かは定かではないが、概ね正しいだろう情報に競い合おうという気すら起きない。

 

「でも真菰様はやっぱり羨ましいわ。義勇様といつでも一緒にいられるんでしょ? ……まぁもし私がそうなったら緊張でろくに動けなさそうではあるわね」

「……あのお二人は恋仲なのでしょうか?」

 

 隠の少女の不安そうな質問にビクンと震える二人の少女がいたが、真っ向から否定の意見が上がった。

 

「んー、それは無いと思う。お二人はなんというか、兄妹感? それが強過ぎて、互いを異性として見てないというか……錆兎さんとはそれとも違って夫婦感が……」

「あぁー、勝手に自滅しないの」

 

 先輩隊員がよしよしと言って少女を慰める。

 ズーンと音が聞こえてきそうな様子で思いっきり凹む少女の気を逸らすため、先輩隊員は隠の少女に話を振ることにした。

 

「そう思えば、あなたはどうして義勇様なの? 紳士的な方はまぁそれなりにいるのに」

「えーと、その……言わないとダメですか?」

「ダメ」

 

 にっこり笑顔で二の句を継がせない。

 羞恥から顔を真っ赤にさせながら、諦めと開き直りが混ざった形で少女は口を開いた。

 

「とある任務で重傷を負った隊員がいたんです。助かるか助からないかの本当に瀬戸際で、救援に来た義勇様が応急処置を施した上で自ら負ぶって治療院まで走りました。辿り着くまでずっと「大丈夫だ、死ぬな、諦めるな」って声を掛け続けて、着いた後も邪魔にならないようにずっと手を握っていたんです」

 

 普通、そこまでする柱はいない。

 中には自己責任だと隠に託して別の任務に向かう者もいるし、むしろその方が多いくらいだ。

 手に汗握る緊迫した話に全員が静聴する中、隠の少女は続きを語る。

 

「本当にギリギリでしたが、その方は一命を取り留めました。義勇様の祈りが届いたんだと思いました」

 

 ふっ、と四人の身体から力が抜ける。

 悲劇にならなくて良かったと心底思いながら、先輩隊員が首をかしげた。

 

「義勇様が優しいのは周知の事実だけど、それでなの?」

「いえ。……いや、その! それも勿論あるんですが、本題はここからと言いますか……」

 

 ぶんぶんと両手を振りながら動揺を押し殺して、少女は紅潮した顔を隠すように俯く。

 

「助かったって分かったその時に、義勇様が笑ったんです」

『…………えっ?』

 

 少女二人の呆然とした声が漏れる。

 その反応がよく理解できる隠の少女であったが、自棄になったのか全部ぶちまけてやろうと興奮気味に話し出す。

 

「本当に綺麗な微笑みで、「良かった、良かった、ありがとう」って。まるで自分が救われたように、その方にお礼を言いながら笑っていました。それを見て、その……もう、本当に……」

 

 カァーっと真っ赤になる少女。

 気持ちは心底理解できる。きっとその衝撃は計り知れないものだっただろう。

 何故なら、だって、義勇は。

 

「……えっ? 義勇様って、笑うの?」

 

 先輩隊員の疑問に、同調するようにうんうんと頷くもう一人。

 義勇と少しでも触れ合った人間なら分かるが、義勇は基本的に表情を変えることが皆無だ。常に能面の鉄面皮であり、顔立ちが整っている彼の唯一の欠点として挙げられるものだった。

 そんな義勇が微笑んだと聞いて、黙っていられる鬼殺隊員はいないだろう。

 

「私もその時初めて見ました。……破壊力が違います」

「おおう……そこまで言うか」

 

 断言する隠の少女に先輩隊員は苦笑いを浮かべる。会話に参加していない少女二人も無意識に頷いていた。

 そんな出来事があっては懸想するのも仕方無いことだろう。常に優しいが普段は無表情、本当に嬉しい時にだけ淡く微笑む美少年。

 義勇は天然の人誑しの才能があるようだ。

 

「私も義勇様の笑顔見たーい!」

「私も少し興味あります……あっ、でも……」

 

 何かを思い出したのか少女は一瞬だけ明るくなるも、その後には苦い顔になって黙り込む。

 そんな気になる反応をされて大人しくしていられる訳がない。

 

「なにー? 今この場で義勇様の話題に隠し事はなしよ」

「いえ、でもこれは……」

 

 おどおどと、ちらりと隠の少女を見遣る。

 どうやら耳に入れさせたくない情報があるようだが、ここまで話しておいて何かを秘匿されては気になって夜も眠れない。

 

「私は構いません。……これは恋慕というより憧れに近いので」

「うぅ……それじゃあ言うけどね」

 

 順調に追い詰められた少女は一度だけ大きく息を吸い、意を決して話し出す。

 

「義勇さん、奥様がいるかもしれないんです」

『──っ⁉︎』

 

 飛び出た発言に場が凍る。

 咄嗟に両手で口を抑えて声を出さなかった自分を褒めてやりたいと盗み聞きしていた二人は思う。

 話題性抜群なその餌に、先輩隊員は当然食い付いた。

 

「え、嘘、ホント⁉︎ そんなの聞いたことないけど一体どこ情報よ!」

「落ち着いて下さい! 確定ではありませんし、あくまでかもしれないというだけです!」

「……見たんですか?」

 

 隠の少女の質問に、冷や汗をかきながらもはっきりと頷く。

 

「本当に偶々義勇さんの屋敷近くを通りかかった時なんですけど、歳上の女性と仲睦まじく歩いている姿を見まして……」

 

 そこで一度言葉を区切る。

 何かを言い澱みながら、しかし全部ぶっちゃけると約束した手前発言を止めることは許されず。

 俯いて、若干上目遣いになりながら小さい声で告げる。

 

「その女性の方のお腹が、明らかに膨れていたんです」

「……それはあれよね、恰幅の良い女性という意味じゃないわよね?」

「はい、確実に妊婦さんでした」

 

 最後の希望が打ち砕かれた。

 何故かは分からないが途轍もない喪失感に襲われる少女たち。瞳から一切の光が失われたような、そんな昏い表情。

 完全に手遅れだったが、少女は慌ててぶんぶんと両手を振り始めた。

 

「いえ! 本当に義勇さんの奥様か聞いたわけではないですし、たまたま通りすがりの方と話が弾んだだけかもしれないですし!」

「……ちなみに、その女性の方はどんな方だったの?」

「よく見たわけではないですが、とても綺麗な方でした。義勇さんと同じ漆黒の髪を三つ編みで束ねていて、大和撫子ってああいう方のことを言うんだなーってくらいお淑やかな感じでした」

「もう奥様で決まりでしょ」

「でも義勇さんはまだ十五にもなっていませんし……」

「相手が歳上なら、なくはない話じゃない? いや、でも()()()のかは分からないけど……」

 

 何が、とは言わない。想像だけで顔が赤くなる少女二人に先輩隊員は空気を読んだ。

 

 一通り驚いて一通り盛り上がった。

 大変満足した先輩隊員はぐぐぅーっと身体を伸ばし、全身をほぐしてから寝転がった。

 

「いやーそうかー。義勇様はそうなのかー。まぁ面白かったからいいけど──ん?」

 

 その時になって、ようやく気付く。

 病室の戸の向こうから、常軌を逸した禍々しい気配が迸っていることに。

 残り二人もそのあまりにも歪な威圧感を感じ取って震え始めた。

 

「えっ、何ですか?」

「まさか……鬼?」

「んなわけないでしょ」

 

 不名誉極まりない勘違いをされた誰かは、そのまま何事もなく通り過ぎて行ったようだ。

 気配が薄れて気が抜けた少女たちは目を合わせる。

 何かは分からなかったが、あまりよろしくない雰囲気に屋敷全てが閉ざされたような、そんな感覚に襲われる。

 なんとなくまずいなと判断して、お見舞いで来ていた隠の少女は休憩はこれまでと退室し、負傷からまだ快復していなかった少女たちは一眠りするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「しのぶ、ここで合ってるわよね?」

「うん、ここで合ってる」

 

 立派な門構えの屋敷。見上げるカナエとしのぶは常とは掛け離れた据わった目をしていた。

 まるで怨敵を討ち果たそうぞ、という気概に満ちている理由は二人にもよく分かっていない。今から訪ねようとしている人は別に悪行を犯した過去などないだろうに。

 

 この一月、胡蝶姉妹は大層不機嫌だった。

 任務や業務に私情を持ち込む愚かは優秀な二人に限ってはなかったが、溢れ漏れる怨念染みたナニカは隠し切れておらず、目撃した多くの人を震え上がらせていた。

 

 全ての原因はあの時聴いた会話の内容に他ならない。

 完全な盗み聞きだったがそんな些事は切り捨てる。重要なのは事実の如何だ。

 

 水柱たる冨岡義勇に奥さんがいるかもしれない。

 

 思い出しただけで二人の胸中にムカムカとした気持ちが沸き起こる。

 別に悪い事ではない。鬼殺隊員は結婚してはいけないなどという規則はないし、合意が取れているのなら本人たちの意思次第だ。明日をも知れぬ立場にあるからこそ、という気持ちもあるだろう。別に悪い事ではない。

 

 だが納得できるかと問われれば、何故だろうか、途轍もなく納得がいかない。

 これが全くの他人だったらおめでとうございますの一言くらいあっただろうが、義勇となると途端にその言葉が出てこない。

 

 あんな恥ずかしい告白紛いの台詞を平然と宣っておいて、実は奥さんがいた?

 意識して耳を澄ましていれば随所随所で聞く女性陣からの評判の良さと黄色い声が膨大な義勇に、実は奥さんがいた?

 

 事実なら許されざる所業だ。

 

 義勇に関係する噂の種類。黄色い声の量!

 誑し込んだ女性の数は十や二十では無いはずだ。

 きっとあの天然のことだ。何の悪気もその気もなく行なっているのだろう。問われたところで不思議そうに首を傾げるのだろう。

 だが、「知らない、関係ない、俺は悪くない」などという言い訳は通用しない。大勢の女性の乙女心を奪っておいて、被害者振るのはやめろ‼︎

 

 捻じ曲がった性根だ。

 絶対に許さない。

 

 女の敵め、地獄へ堕ちろ──!

 

 ……と、ここまで思考が暴走する直前でなんとか思い止まった。

 これは確定情報ではない。噂に踊らされて、罪過もない義勇を貶すなど間違っても淑女のする行いではないだろう。

 

 確かめる必要がある。それも早急にだ。

 

 凡ゆる情報網を駆使して水柱の休日を洗い出し、自身の休日も無理やりねじ込んで、予告も無しに突撃して真相を明らかにしなくてはならない。

 逡巡無くその結論に至り、その聡明な頭脳と患者経由の広い人脈を利用して胡蝶姉妹が見事目的を達成したのが今日のこと。

 

 一応相手は上司たる柱だ。手土産は持った。

 もしもに備えて即座に顔面へ投擲可能な饅頭である。カナエとしのぶに死角はない。

 

 大体、あんな恥ずかしい発言をしておいて、任務が終わった途端にパタリと訪問が無くなるとは何事か。

 鬼殺の毒が完成したあの日、一人勝手に満足そうに帰ったのを見送ったのが最後、義勇は殆ど蝶屋敷に足を運ばなかった。強いて言えば怪我人の同伴で来訪したことはあったが、ろくに会話もせずに任務へと飛んでいく。

 それだけで実はなんとなく苛立っていたというのに、致命的な追撃を受けた二人は常識という歯止めが壊れていた。

 

 端的に言えばおかしくなっていた。

 

「乗り込むわよ」

「うん」

 

 カナエを先頭に門を開ける。

 ズンズンと迷い無く玄関まで歩いて、垂らされていた糸を乱暴に引いて呼び鈴を鳴らした。

 

「……錆兎か?」

 

 しばらくして、戸の向こうから声が聞こえた。間違いようも無く義勇の声だ。

 

「義勇くん、カナエとしのぶよ。ちょっと話したいことがあって来たの」

「そうか。戸は開いている。入って来てくれ」

「そう、それじゃあ……」

 

 許可を得た二人は一度だけ視線を合わせ、強い覚悟を持って戸を開ける。

 

『お邪魔しまー……』

 

 二人の訪問の口上が中途半端に止まった。

 目の前にいた義勇を見て停止した。

 

 赤ん坊を抱きかかえていた義勇を見て絶句した。

 

「あぁ、歓迎する」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 機嫌が良いのか淡く微笑む義勇に対し、カナエとしのぶの目は死んでいた。

 見詰める先は当然、小さな小さな赤ん坊。

 よだれを垂らしながら、ちっちゃいおててを必死に義勇に伸ばしている。愛らしい顔立ちを彩る義勇と同じ色の蒼い瞳に、烏の濡れ羽色に似た漆黒の髪。

 

 血縁であることが一目で理解できてしまった。

 

 有罪判決を下すのは一瞬だった。

 

 即座にカナエとしのぶは饅頭を握り潰さんばかりに掴んで全力投擲しようと動く。

 その行動を止めたのは奥から聞こえた声だった。

 

「義勇ー。お客様なら私が代わりに……ってあれ? カナエさんとしのぶだ」

「真菰ちゃん……?」

 

 ひょこっと顔を覗かせててとてとと歩き寄ってきたのは、今をときめく話題の少女である真菰であった。

 義勇経由で知り合いになった少女たちに真菰は首を傾げる。

 

「二人ともどうしたの? 義勇に用事?」

「そういう真菰ちゃんこそ……」

「……ま、まさかその子って……」

 

 正常な思考回路がぶっ壊れたしのぶがある結論に至り、顔面蒼白になりながら震える手で赤ん坊を指差す。

 話題の焦点となったのが嬉しかったのか、真菰が義勇から奪い取るように赤ん坊を抱き上げた。

 

「えへへ〜、可愛いよね〜。朝顔(あさがお)ちゃんって言うんだよ〜」

 

 もちもちのほっぺに頬ずりをする真菰。愛おしそうなその表情はまるで母のよう……に、カナエとしのぶには見えた。

 ぷるぷると震え始めたしのぶ。どこか様子がおかしいことにようやく気付いた義勇と真菰は、揃って首をこてりと傾ける。

 

「は……破廉恥です!」

 

 顔を真っ赤にさせたしのぶから飛び出た思いも寄らない言葉に面食らう。

 心当たりの無い糾弾に義勇と真菰は互いに理由を相手に押し付けようと目を合わせるが、その時点で自分たちの無罪がなんとなく証明された。

 息の合った意思疎通を経て結論。

 

 しのぶは今トチ狂っている。

 

「そ、そうよ! その歳で赤ちゃんをつくるなんて、非常識だわ!」

 

 追加、カナエもだった。

 

 互いの間にどうしようもない溝がある。

 認識の齟齬が原因だと義勇と真菰は察するが、二人が何を勘違いしているのかが突然過ぎて把握出来ない。

 

 唖然としている二人を置いて、胡蝶姉妹は矢継ぎ早に話し始めた。

 

「見損ないました! 義勇さんのこと信頼していたのに! 柱になったからってその歳で赤ちゃんをこさえるなんて!」

「しかもよりにも寄って真菰ちゃんを襲うなんて最低!」

「真菰さんは私と一つしか違わないのに! この変態!」

「歳下好き!」

「女誑し!」

「女の敵!」

 

 批判の十割が義勇に殺到していることを理解した真菰は赤ん坊を高い高いして遊び始め、身に覚えの無い全力の誹謗中傷に心が削られて義勇は能面のまま凹む。

 この段階で義勇はともかく真菰は状況を把握していた。何やら愉快な勘違いをしているのだと内心爆笑しそうだったが、放っておくと面白そうなので静観を決め込んだ。

 

「義勇くんのあんぽんたん!」

「唐変木!」

「天然!」

「地獄に堕ちちゃえ!」

 

 その後もカナエとしのぶは収まらず義勇への罵倒が加速し、無表情ながら泣きそうな顔をした義勇は無言で真菰に助けを求めた。

 

「朝顔ちゃん、もうすぐお昼だからね〜。夕方には錆兎お兄ちゃんも遊びに来るよ〜」

「あぅあ〜?」

 

 真菰は無視した。喧しいこの状況下でも一切泣き出す様子の無い赤ん坊を猫可愛がりしていた。

 頼みの綱に一顧だにされなかった義勇は無心になって心を守ろうとするが、視線を真菰に走らせたのが功を奏してか二人の関心が真菰へと移っていたらしい。

 

「大体真菰さんもおかしいです! 十一歳で一児の母になるなんて!」

「そんな素振り全く無かったのに!」

 

 矛先が自分へと向けられたのを感じ取って、真菰は良い笑顔で言い放つ。

 

「うん、とりあえず二人の頭に蟲でも湧いてるってことは分かったよ」

 

 頭大丈夫? と辛辣な言葉で真剣に心配される胡蝶姉妹。

 一向に冷静にならないカナエとしのぶとついでに義勇に見やって、真菰は似合わない重苦しい溜め息を溢した。

 

「はぁ……。あのねぇ、この子が私の子供なわけないでしょ? それと、義勇の子でもないからね?」

『…………えっ?』

 

 素っ頓狂な声を洩らす胡蝶姉妹。

 真菰の子でも、況してや義勇の子でもないと言われて、二人はやっと我に返った。

 それでも完全に疑いが晴れたわけではないためか、カナエがゆっくりと赤ん坊を指差す。

 

「え? いや、でも、……その子、義勇くんにそっくりよ……?」

「そりゃあ血縁だもん。蔦子お姉さんも綺麗な蒼色の瞳だからね」

『蔦子お姉さん?』

 

 新しく齎された情報をカナエとしのぶはキョトンと復唱する。

 そこで義勇がポンと手を打った。真菰の珍しく丁寧な状況解説のお陰で、やっと何が起きていたのかを理解したのだ。

 

 その上で義勇は真菰から赤ん坊を返してもらって、はっきりと告げる。

 

「この子の名前は朝顔。俺の姪っ子だ」

『…………』

「──義勇ー、真菰ちゃーん。お昼の支度が出来たわよー」

『…………』

 

 奥から響いてくる聞き覚えの無い女性の声。

 いつまでも玄関口て騒いでいたのが気になったのだろうか。足音が近付いてきて、曲がり角から一人の女性が現れた。

 

「義勇? 真菰ちゃん? さっきから賑やかだけど、お客様はどうなっ……」

 

 カナエとしのぶは口をポカンと開けてその女性を見ていた。

 漆黒の髪を後ろで三つ編みにまとめた、蒼い瞳が印象的な容貌。醸し出される雰囲気お淑やかで、前情報と何の狂いも無いその美麗さ。

 

 似ている、義勇にとても似ている。

 

 高速で情報処理を終えたカナエとしのぶは、顔色が赤青白と順繰り巡って震え始めた。

 

 自分たちがとんでもない勘違いをしていたと、ようやく気付いたのだ。

 

 一方、現れた女性も固まっていた。

 お客様が来たのは知っていた。隠と呼ばれる方かしらと推測していたのだが、玄関にいたのはお出かけ用の着物を着た女の子が二人。

 

 可愛い女の子が二人。

 

 この屋敷の主人である義勇を訪ねにやって来ただろう可愛い女の子が二人も。

 

 女性の機嫌が急上昇した。

 

「あらあらあらあらまあまあまあまあ‼︎」

 

 口に手を寄せ普段より二倍増しのあらあらまあまあが炸裂して、義勇と真菰は道を譲るように傍にずれる。

 空いた場所に滑り込むような滑らかさで歩いてきた女性は、来客二人に飛び切りの微笑みを浮かべた。

 

「いらっしゃいませ、可愛いお二人さん。お名前は?」

「……胡蝶カナエです」

「……胡蝶しのぶです」

「二人は姉妹なのね。ふふっ、いらっしゃい、カナエちゃん、しのぶちゃん」

 

 えらく上機嫌な女性に何故か気圧されたカナエとしのぶは、助けを求めるように義勇を見る。

 二人の視線をどう取ったのか、義勇は女性と並んだ。

 

「紹介する。俺の姉の蔦子姉さんだ」

「義勇の姉の蔦子です。よろしくね、カナエちゃん、しのぶちゃん」

 

 紹介を受けた女性──蔦子は、淡く優しい微笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

『か、可愛い……!』

 

 冷静になって赤ん坊──朝顔の寝顔見た胡蝶姉妹の第一声である。

 

 あの後、蔦子の強引とも言える引き留めによりカナエとしのぶは昼食にお邪魔し、屋敷に滞在することになっていた。

 真菰とは別枠の新たな義妹候補に蔦子はさぞ上機嫌で、鼻歌を歌いながら洗い物をしている。先程手伝いを申し出た義勇を蹴飛ばす勢いで胡蝶姉妹の持て成しを命じたとはとても思えない。

 義勇も素直に従って茶菓子を用意する中、カナエとしのぶは真菰が抱える朝顔にぞっこんだった。

 

「二人も抱っこしてみる?」

「いいの⁉︎」

「うん、優しくね」

 

 いの一番に食い付いてきたカナエに真菰はコツを教えながら、ゆっくりと朝顔をカナエに移す。

 自身の両腕に収まった小さな赤ん坊を見て、カナエの表情が自然とほころんだ。

 

 こんなに小さな身体なのに、力強い命の鼓動を感じる。

 赤ん坊とはなんて尊いのだろう。

 

 鬼殺隊に世話になってからは、人の死にばかり触れてきた。

 既に失われた命を見たことも、目の前で消えていく命の灯火を見たこともあった。鬼殺隊の治療院で働く以上、回復する人より亡くなった人の数の方が断然多かった。

 その度に心が軋み、悲しみに苛まれて動けなくなる。

 

 しかし、それも最初だけ。

 

 傍らに死が在るのが当然となって。

 いつしか慣れてしまい、我慢出来るようになってしまった。

 

 こんな痛みは知りたくなかった。

 そして、その痛みに耐えられるようになってしまうことも知りたくなかった。

 

 だからだろうか。

 この世界に新しく産まれた命と触れ合えたことに、酷く感動してしまう。どうしてか泣きそうになってしまう。

 

 くしゃりと歪ませた笑顔で、カナエは朝顔を見詰めていた。

 

「ふふっ、可愛いわ……産まれてきてくれて、ありがとう……」

 

 この子の未来に多くの幸あらんことを。

 

 祈りと願いとそして決意を。

 あの時妹と誓った想いを改めて胸に刻み込んで、カナエは新たな生命に感謝を述べた。

 

「姉さん……あの、私も……」

「えぇ、ゆっくりね……」

 

 時間にして一分も経っていないが、充分に満足したカナエは先程からうずうずしていたしのぶの腕に赤ん坊を預ける。

 初めて抱っこする赤ん坊に最初はおっかなびっくりのしのぶであったが、次第に愛しさが上回って素の笑顔が浮かんでいた。

 

「あったかい……可愛いなぁ……」

 

 細い自分よりも更に小さなその身体。産まれたばかりの赤子は『庇護されるもの』として人間動物問わず須らく可愛いものだと何かの文献で読んだ気がするが、あながち間違っていないのかもしれない。

 ゆらゆらと揺らしながら、しのぶはひと時の安らぎを得る。

 

「二人とも慣れるのが早いな」

 

 人数分のお茶と菓子を用意した義勇が三人の卓の向かい側に座り、そう声を掛けた。

 慣れるとは何のことだろうかとカナエとしのぶが首を傾げる中、真菰だけがニタニタと笑っていた。

 

「ふふふ、聞いてよ二人とも。最初抱っこした時は義勇ってば緊張し過ぎで、震えが酷くて朝顔ちゃんに泣かれたんだよ」

「……ふふっ! なんだか眼に浮かぶわ」

「確かに、義勇さんこういうの苦手そうですよね」

「……わざわざ言うな」

 

 思いっきり顔を背ける義勇に少女たちはくすくすと笑う。

 このまま三対一で会話を進められては勝ち目はないと察した義勇は、戦略的撤退を兼ねて話題を変えることにした。

 

「それで、二人は何の用だったんだ?」

『……へっ?』

 

 義勇としては当たり前の疑問だったのだが、問われたカナエとしのぶの反応は至極悪い。何の事? と聞き返されそうな程にキョトンとしている。

 その反応に困惑したのは義勇であった。

 

「話したいことがあると言っていただろう?」

『…………あぁ〜〜〜〜……』

 

 義勇の言葉でやっと何の事か思い至った胡蝶姉妹の声は若干震えていた。

 油断すれば冷や汗をだらだらとかきそうな精神状態を全集中の呼吸を使ってまで平静を保ち、カナエとしのぶは義勇から顔を背けると同時に小声で作戦会議を開く。

 

「えっ、どうしようしのぶ⁉︎ 正直に言う?」

「姉さんは馬鹿なの⁉︎ 言えるわけないでしょ!」

「でも誤魔化す言い訳がないわよ?」

「大丈夫、ちゃんと用意してるわ」

「流石はしのぶ! 私の妹は優秀ね!」

 

 サッと義勇に向き直った二人は笑顔を浮かべていた。

 二人はこんなだったろうかと義勇は当惑するが、口には出さないでおく。

 義勇の動揺など露知らず、貼り付けた微笑のまましのぶが話し始めた。

 

「この度、私たちが開発した鬼殺の毒が正式に認められる運びとなりました。協力いただいた義勇さんに深い感謝をと思い、ご挨拶に参りました」

 

 カナエは感動する。私の妹本当に優秀! と、姉の威厳など一欠片も残っていない心境でしのぶを褒め称える。

 義勇も義勇で相手を疑うということを知らないので、しのぶの言葉をそのまま受けて淡く微笑んだ。

 

「そうか、それは良かった。しのぶ、カナエ、お疲れ様」

 

 真菰と蔦子の教育もあって順調に矯正が進んでいる義勇の微笑みと労いに、カナエとしのぶは顔を紅くする。純粋に嬉しいのもあるし、改めてその柔らかい笑顔を直視して恥ずかしい。

 

 そんな二人の様子を見て真菰は盛大に若気る。

 なんとなく察してはいたが、この瞬間に確信した。

 最悪な相手に最悪な弱味を握られたことを、胡蝶姉妹はまだ知らない。

 

 そして、この場における最強も姿を現した。

 

「私もお喋りに混ぜてほしいわ」

 

 優雅な仕草で義勇の隣へ腰掛ける蔦子。

 雅なその動作に惚れ惚れするカナエとしのぶだったが、蔦子の瞳が常の十倍以上に爛々と煌めいていることには気付けない。

 

 蔦子と真菰の視線がかち合う。

 真菰の一回の首肯で全てを把握した蔦子は、とりあえず隣にいた自慢の弟の肩を叩いた。

 

「もう義勇ったら。こんな可愛い女の子のお友達がいたのなら早く紹介してほしかったわ」

「……女子の友人は紹介した方がいいのか?」

「勿論よ! 姉さんは気になります」

「そうか」

 

 この発言を大いに後悔することを、この時の蔦子はまだ知らない。

 

「それでそれで、三人はどんな関係なのかしら?」

「さっき蔦子姉さんが言った通り友人だが?」

「もう、そんなことは聞いてないのよ。義勇は相変わらずね」

 

 はぁ……、と露骨な溜め息を零す蔦子に解せないという気持ちが義勇の中で湧き起こるが、どう頑張っても勝てないと理解しているため反論しない。

 だからと言って蔦子が求めてる解答を導き出せる訳ではないので、義勇は即座に真菰に助けを求めた。

 

「真菰、助けてくれ」

「しょうがないなー。木偶の坊の弟の代わりに私が説明しましょう!」

 

 好き放題言ってくれる姉弟子にはきっと人の心がないのだ。

 義勇はそうやって自分を励まして黙り込んだ。

 

「まずは義勇とカナエさんの出会いからだね」

 

 そこからは真菰の独壇場。

 悪戯心のみを抱いていた真菰は、義勇や錆兎から聞き齧った内容を大仰に語り始めた。

 

 カナエの命の危機に颯爽と現れた義勇が膝枕をしてカナエを励ました。

 義勇が微笑みを取り戻せたのはカナエの尽力があってこそだった。

 一時期荒れていたしのぶの心を義勇が優しく解いて癒した。

 三人の仲はすこぶる良好で、御礼の為にわざわざ挨拶に来るほどに親しいのだ!

 

 大体合ってるけど何か違う。

 顔を紅くしながら否定の声を上げたい胡蝶姉妹だったのだが、否定の為に言葉を尽くすとそれはそれでボロが出そうで介入出来ない。

 という事情により口をもにょもにょし続けていたカナエとしのぶとは対照的に、蔦子は楽しくてたまらないとばかりに微笑んでいた。

 

「ふふふふふ、あらあらまあまあ。カナエちゃんとしのぶちゃんには随分とお世話になっていたのね。それなのに義勇ったら、一言も言ってくれないなんて」

「すまない、蔦子姉さん。今度からは報告する」

「報告……報告……まぁいいわ。ちゃんと報告してね」

「あぁ」

 

 全力で墓穴を掘っていることを、この時の蔦子はまだ知らない。

 

「さて、それで二人はこの後どうするのかしら?」

 

 話を振られたカナエとしのぶは顔を見合わせる。

 正直に言うと、目的は達した。

 義勇の浮気調査のような何かは蔦子の存在をもって解決しており、真菰以外に特別親しい女の影も見受けられない。今日からは安眠することが出来るだろう。

 

 というわけで帰宅しても構わないのだが、それはそれで勿体無い気がする。

 朝顔を揺らしながら、しのぶが口を開いた。

 

「特に予定はありません。本日は一日お休みを頂いているので」

「ならお夕飯も食べていかない? 今日は義勇も真菰ちゃんも錆兎くんもお休みだから、久しぶりのご馳走を作る予定なの」

 

 

 

 

 

 

 

 

「成る程な、そういうわけで台所が賑やかなのか」

 

 日が暮れた頃、遠地の任務を終えて合流した錆兎は、普段より賑々しい調理場を一度見遣って納得した。

 両手に抱える朝顔を手慣れた様子であやしながら、この後のご馳走に想いを馳せる。

 

「鮭大根は一人二つずつ出るんじゃないか?」

「俺は大歓迎だ」

「まぁそうだろうな」

 

 苦笑して、錆兎が唐突に真剣な空気を醸し出した。

 あまりにも突然だったので義勇は一瞬ポカンとするが、とりあえず義勇も居住まいを正してみる。

 聞く態勢を整えた義勇を見計らって、錆兎が切り出す。

 

「義勇。お前はカナエとしのぶ、どちらが良いんだ?」

「すまない、質問の意味がよく分からない」

「いや、実は俺もよく分かっていないんだが……」

 

 義勇は首を傾げ、錆兎は大きな溜め息を吐いた。

 

 錆兎の服の裾の中にある一つの紙片。これが錆兎の溜め息の理由である。

 父親代わりの鱗滝は不参加であったが、久しぶりの家族団欒の機会とあって錆兎は機嫌の良いまま義勇の屋敷を訪れた。

 礼儀として呼び鈴を鳴らし、しばし待つ。ドタバタと駆ける音がして、真菰は相変わらずだなと苦笑いを浮かべるまでが錆兎の安寧の時間だった。

 

 ふと、おや……? と思う。

 特別聴覚に優れているわけではないが、真菰以外にも誰かが玄関に近付いていることを察する。

 義勇も合わせて出迎えだろうかとやや疑問に思った錆兎だったが、開け放たれた戸の先の光景に目を見開いた。

 

 物凄くキラキラとした表情で錆兎を迎え入れる真菰と蔦子がいたのだ。

 

 なんとなくこの時点で嫌な予感があったのだが、往々にしてそういう時の直感は当たるもの。

 真菰が差し出した紙片が諸悪の根源だった。

 

「おかえり、錆兎。はい!」

「おかえりなさい、錆兎くん!」

「ただいま、真菰、蔦子さん。……で、なんだこれは?」

 

 錆兎の問い掛けに真菰は満面の笑みを返す。

 

「錆兎への特別任務だよ! 私と蔦子お姉さんからだから、断るのはなしで!」

 

 これが真菰のみの頼み事だったら内容次第では突っ撥ねているがのだが、蔦子との連名になると途端にその選択肢が消え失せる。

 そして、こんな事態は今までに起きた事がない。

 盛大に顰め面になりそうなのを強い自制心を持って封じ込め、錆兎は二つ折りになっていた紙片を開いた。

 

『任務その一、義勇にカナエとしのぶどっちが良いの? と聞く』

『任務その二、夕食時、頃合いを見て義勇に好みの女性の特徴を訊ねる』

 

 錆兎の自制心は吹き飛んで思いっきり渋面を浮かべた。

 

「なんだこの巫山戯た任務は?」

「それじゃあよろしく〜!」

「錆兎くん、ゆっくりしていってね」

 

 ピューンと飛んで行く真菰と有無を言わさぬ様子で奥へ進む蔦子。

 ろくな対応もされなかった錆兎は数秒固まり、やがてとても大きな溜め息を零すのだった。

 

 

 

 そんな経緯があったことを知らない義勇は、今度は錆兎がトチ狂ったかと判断して深く考えなかった。姉弟子も姉弟子だが弟弟子も中々に酷い。

 錆兎は真面目に取り組むのがなんだか馬鹿らしくなってきたので早々に任務を投げ出し、癒しを求めて朝顔と遊び始める。

 

「朝顔、お前は真菰のような人間になっては駄目だぞ」

「おいコラどういう意味かなそれは?」

「そのままの意味に決まっているだろう」

 

 兄の自分への陰口を聴いてしまった真菰が笑顔のまま抗議するも、悪怯れる事も無く錆兎は妹を一蹴した。

 

 どうやら夕食の準備が終わったらしい。

 真菰を始め、女性陣が続々と配膳に動き、義勇と錆兎は座布団だけ用意して待機する。

 

「あっ、錆兎くん。久しぶりだね〜」

「ああ、久しいな、カナエ。しのぶも壮健そうで何よりだ」

「はい、お久しぶりです、錆兎さん。申し訳ありません、突然お邪魔してしまって」

「俺は全く構わない。食事は大人数の方が楽しいだろう」

 

 錆兎の好青年振りが発揮された爽やかな応対。客観的に見て、さぞ淑女に人気だろうと伺える。

 やはりこの三兄弟の中で一番まともだけあるなと胡蝶姉妹は改めて感心した。

 

「お待ちどおさま。さっ、用意が出来たから頂いちゃいましょう」

 

 全ての料理を運び終えた蔦子が最後に座り、全員でいただきますと唱和する。

 義勇は真っ先に好物である鮭大根に箸を伸ばす。

 

「美味しい。いつもありがとう、蔦子姉さん」

「どういたしまして。ただ今日は私だけじゃないでしょ。真菰ちゃんにカナエちゃん、しのぶちゃんも手伝ってくれたのよ」

「そうだな。真菰、カナエ、しのぶ、ありがとう」

「お姉ちゃんに感謝して召し上がれ!」

 

 両手を腰に当ててえっへんと宣う真菰に唐突に感謝の念が薄れる義勇だったが、味は確かな為に表には出さなかった。

 その時ふと、料理に手を付けたカナエとしのぶが心無しか凹んでいるように見えた。

 

「カナエ、しのぶ。どうかしたか?」

「あー、あはは〜……真菰ちゃん、料理上手なんだな〜って……」

「嘘です、嘘です……こんなに差があるなんて……」

 

 ずーん、と音が聞こえてきそうな程に暗い目をする二人。胡蝶姉妹にとって、これは大事件であった。

 

 二人はてっきり、真菰は戦闘面に特化した戦乙女で、家事全般といったいわゆる主婦が嗜む技能とは無縁の存在だと思っていた。

 蔦子と料理するとなって、二人は自信過剰にも真菰を支える立場だと勘違いしたのだ。

 

 それが如何に烏滸がましい考えかと思い知らされたのは直ぐのこと。

 

 真菰の料理の腕は二人より遥か上。

 この数ヶ月蔦子と共に料理する機会が多かった真菰は、着実に技量が向上していたのだ。

 

 鬼殺隊に保護されて以降、花嫁修行を疎かにしていた胡蝶姉妹が勝てる道理が無かった。

 

 心的損害は予想を超えて大きい。

 只でさえ鬼殺の面で劣ってるのに、女としても負けては何一つ立つ瀬が無い。

 カナエとしのぶの今後の日常生活に、花嫁修行の項目が捻じ込まれた瞬間だった。

 

 二人の鬼気迫る雰囲気からこれ以上突くのを義勇は止め、黙々と目の前の料理に舌鼓を打つこととする。

 柱となって無尽蔵な資金がある義勇だが、別に肥えた舌など持っていない。一番の贅沢は蔦子の料理だと言い切れるほどに料理に対しての拘りは然程なく、今日の献立もどれも等しく美味しいと思っている。

 

「義勇、醤油取って」

「ああ。真菰、その皿寄せてくれるか?」

「錆兎くん、これ好物でしょ?」

「はい。ありがとうございます、蔦子さん」

 

 それに何よりも。

 こうして家族揃って夕餉を囲める幸せを噛み締められる。

 これに勝る幸福はない。

 

 ほわほわと、花でも咲き始めたのかと錯覚するぐらいに落ち着いた様子の義勇たち。

 そんな彼らと穏やかに過ぎる食卓の光景に、カナエとしのぶは久しく忘れていた家族団欒の心地良さを思い出していた。

 

 どうしようもなく落ち着く。

 家族で寛ぐという当たり前にあった失われた風景。

 こういう何気ない日常を護る為に自分たちは頑張っているのだなと、今日は沢山のことを再確認している。

 今日に至るまでの動機は傍に置いて、此処に来て良かったなと、カナエとしのぶは強く思った。

 

 そうして平穏な食事を過ごしてしばらく。

 何かに急かされた様子の錆兎が大きな吐息を漏らした後、爆弾を放り投げた。

 

「義勇。時に気になったんだが、お前はどのような女性が好みなんだ?」

『ぐふっ⁉︎』

 

 唐突なその話題に胡蝶姉妹が喉を詰まらせる。

 一人ニタァと嗤う少女に気付かず、義勇は兄弟子の頭を心配する。

 

「錆兎、任務で頭を強く打ったのか? 先程から言動がおかしいが……」

「残念ながら俺は平常だ。義勇、男なら細かいことは気にせず質問に答えろ」

 

 いやその理屈は無理やり過ぎるでしょ、と胡蝶姉妹は思った。

 

「そうよ義勇。ここは細かいことは気にしないで答える場面よ」

「そうか、蔦子姉さんがそう言うなら」

 

 思わぬ援護射撃に胡蝶姉妹はギョッとして、納得が早過ぎる義勇にぽかんとした。

 この短い触れ合いでなんとなく察していたが、義勇は蔦子に対してちょろ過ぎる。

 

 カナエとしのぶの困惑を置き去りに、義勇は顎に手を当て頭を悩ませる。

 

「だが、俺はその手のことに関心が無かった。好みと言われてもよく分からない」

「まぁそうだとは思っていた。だからな、えーと……」

 

 錆兎はちらりと隣を一瞥する。

 手の中に新たな紙片を開いていた真菰を恨めしそうに見た後、振り向いて錆兎は続けた。

 

「好感が持てる女性の特徴を聞いてみたいんだ」

「特徴?」

「ん? ……ああ、性格や髪型、体型? に綺麗系か可愛い系? といった感じらしい」

「なるほど……」

 

 例を羅列され考える取っ掛かりを得た義勇は素直にも真剣に黙考し始めた。

 

 思いも寄らない展開に質問を受けている当の本人より恥ずかしくなってきたカナエとしのぶはもじもじし出し、この状況を作り上げただろう元凶である少女へキッと眼光を尖らせる。

 とっくに分かっていた。錆兎が仕方なく真菰の指示に従っていることなど。

 事実、胡蝶姉妹の視線を受けて真菰はニッコリと笑みを浮かべていた。

 邪気に満ちた笑顔だった。

 

「それで義勇、なにか思い付いた?」

「そうだな……」

 

 待ち切れないとばかりに真菰が義勇を急かし、能面のまま義勇は顔を上げる。

 

「考えてみたが、やはり特に思い浮かばない」

「えー、そんなことないよきっと。性格はお淑やかな人が良いとか、髪が長い人が好きとか、お尻が大きい人が良いとか、色々あるでしょ?」

 

 なんてこと聞くのこの子……と胡蝶姉妹は戦慄する。

 

「そうは言われてもな……」

「んー……あっ! じゃあ」

 

 名案閃いたと真菰は手を叩く。

 

「此処にいる四人の中だったら誰を一番奥さんにしたい?」

『──⁉︎』

 

 本当になんてこと言うのこの子⁉︎ と胡蝶姉妹は慄然とする。

 半強制的に矢面に立たされたカナエとしのぶは瞠目して絶句していた。羞恥を通り越してもはや危機感すら覚え始め、この女早くなんとかしなければと切羽詰まった思いに駆られる。

 二人の焦燥を汲み取った訳ではないだろうが、義勇は真菰のこの質問には露骨に柳眉を寄せた。

 

「俺に結婚は無理だろう。それよりも真菰、カナエとしのぶに失礼だ」

「えー、どうして義勇はこういう時だけ常識的なの?」

「俺は常に常識的だ」

「それは嘘だよ。もう分かったよ私は。義勇も錆兎と同じくらい天然だって」

「ちょっと待て、聞き捨てならない台詞が聞こえたんだが」

 

 自身の名誉に関わる発言に錆兎が口を挟む。

 対して真菰は何を今更という態度で鼻を鳴らした。

 

「聞き捨てならないも何も、錆兎が天然だっていうのは周知の事実ってやつだよ」

「いや、それはない。少なくともお前たちに言われるのだけは心外だ。特に真菰」

「真菰はともかく、俺を巻き込むな」

「義勇はともかく、私を巻き込まないで」

「これだけは譲れん。絶対に二人の方が酷いと断言できる」

 

 

 

『──は?』

 

 

 

 三者三様のドスの効いた声が響く。

 しん、と冷える空気。体感温度が急激に下がったと錯覚するほどの冷たい雰囲気に、カナエとしのぶはぶるりと体を震わせた。

 なまじ埒外の存在である鬼を一方的に屠れる三人だ。放たれる威圧感は常人の比ではない。

 話の展開について行けず、どうしてこうなったの⁉︎ と胡蝶姉妹が震慄する中、剣呑な圧を発する水の三兄弟は全面戦争の構えを示した。

 

「今すぐにでも二人をぶちのめして考えを改めさせたいけど、手元に得物がないからなぁ〜」

「ほう。生意気を言うようになったな、真菰」

「俺は二人相手でも構わない」

「末っ子が調子に乗ってるのは後でお姉ちゃんが制裁するとして、ここはそうだね。公平に多数決でいこうよ」

『異論はない』

 

 傍観者の立場からするとこのやり取り自体がアホ丸出しの天然案件なのだが、口出しすると飛び火しそうなのでカナエとしのぶは黙り込む。

 指の差し合いで勝負を決するらしく、真菰の号令が合図。

 

「誰か一番天然かっ! せーのっ!」

 

 ビシッと振り下ろされる三つの手。

 真菰の指が錆兎に突き刺さり、残り二つが真菰を貫いていた。

 

「なんでっ⁉︎」

 

 兄と弟に裏切られた長女が喚くが、男衆は大人気なく敗北者である真菰に見向きもしない。

 

「これではっきりしたな」

「やはり俺は一番普通だった」

 

 一人調子に乗ってる義勇に、外野でありながらやり直しを求めたいカナエとしのぶ。

 その二人に先んじて負け犬である真菰が起き上がった。

 

「これはあれだよ、母数が少ないんだよ! もっと多くの人に聞けば違った結果が現れるはず!」

「往生際が悪いぞ、真菰」

「そうだ、甘んじて結果を受け止めろ」

「んがー⁉︎ 納得いかない! ねぇ、カナエさんとしのぶは誰が一番おかしいと思う?」

 

 問い掛けが直球なものに変化しているが、我が意を得たりとカナエとしのぶは即答する。

 

「ん〜、私はやっぱり義勇くんかな〜」

「私も義勇さんだと思います」

「あはははは! ほら見たことか! これで私と義勇が同点だよー!」

 

 背中から刺されるようにカナエとしのぶに売られた義勇。真菰と同点という言葉の響きが心を抉り抜き、その無様を真菰は高笑いしながら見下ろしていた。

 こうなると一人だけ一票で済んでいる錆兎が気に食わない。

 死なば諸共の精神で真菰は最後の一人に目を向けた。

 

「蔦子お姉さんは? ここはやっぱり錆兎が一番天然だと思うよね?」

 

 眼差しに期待を乗せて、真菰が卓に乗り出すようにぐいと身体を寄せる。

 同調して錆兎と義勇も蔦子へ視線を走らせる。

 

 果たして、ここまで弟妹たちの醜い言い争いをニコニコと見守っていた蔦子は告げた。

 

「私はみんな可愛くて、みんな面白い子だと思ってるわよ?」

『…………』

 

 言外に、お前ら全員天然だよと断言され、水の三兄弟は黙り込んだ。

 結局、義勇の女性の好みについては有耶無耶になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「王手」

「……ありません」

「義勇……お前、弱過ぎるだろ」

「これで詰め将棋が趣味なんて片腹大激痛だよ〜……あはははは!」

 

 弟を甚振る大人気ない姉を赤ん坊を抱えた兄が見守る。

 そんな光景を皿洗いをしながら見詰めていた蔦子とカナエとしのぶは、微笑を浮かべていた。

 

「真菰ちゃんって何でも出来るんですね〜」

「真菰ちゃんはなんていうのかしら……恐ろしく勘が良いのよね。料理もそうだし、ああいう盤上遊戯もやり方を覚えたら器用に熟すのよ」

「規格外ですね……」

 

 愚痴のように零れたしのぶの本音に、蔦子とカナエはしみじみと頷く。

 真菰は間違いなく傑物だ。凡ゆる方面での才能が光り、鬼殺においても例外では無い。強過ぎる義勇や錆兎の所為で勘違いしそうにもなるが、そもこの二人に女の身で追随出来ているのが異常なのだ。

 この話題は続けるとしのぶは無限に凹みそうになるので頭を振って思考を切り上げる。

 せっかく三人きりなれたのだ。

 ずっと気になっていたことを、しのぶは蔦子に尋ねることした。

 

「蔦子さん、お聞きしたいことがあるのですが……」

「あら、何かしら。何でも聞いて?」

 

 柔らかに微笑む蔦子に対し、しのぶは若干表情が暗くなる。

 躊躇いを飲み込んで、しのぶは口を開けた。

 

「蔦子さんは、鬼殺隊のことを、鬼のことを、義勇さんが何をしているかを知っているんですよね?」

「ええ、もちろん知っているわ」

「……義勇さんを止めようとは、思わなかったんですか?」

 

 鬼殺の剣士は常に命懸けだ。

 関わらずに幸せな道を進むことだって選べる。

 カナエとしのぶはその道を選ばなかった。

 鬼という存在を知って、見て見ぬ振りなんて出来なかったから。

 両親を奪った悪鬼を許せなかったから。

 残された二人で手を取り合って決心したカナエとしのぶを、止める者はその場にいなかった。だから二人は鬼殺の門を叩いた。

 

 だが義勇は胡蝶姉妹とはきっと違う。目の前にいる蔦子が何よりもの証拠だ。

 

 どう見ても蔦子は一般人である。

 心優しき姉が、弟が修羅の道を進むと知って、何も言わなかったのだろうか。

 二人で鬼のことなど忘れて、平穏を生きる選択肢はなかったのだろうか。

 どうしても気になったしのぶは蔦子を真っ直ぐに見詰める。

 見返す蔦子の眼差しにも、真剣さが宿っていた。

 

「……そうね、止めたい気持ちは勿論あったわ。この世にあんな存在がいたなんて知らなかったし、鬼を退治するのが命懸けだってのも分かってたもの」

「……もしかして蔦子さん、鬼と遭遇したことがあるんですか?」

「ええ、一年半くらい前に一度だけね」

 

 そう言って、蔦子は義勇へと視線を投げた。

 

「義勇はそういうことを何も言ってないのかしら?」

「そうですね、聞いたことないです」

「……きっと遠慮してるんだわ。恐らくだけど、義勇は鬼殺隊の方々の中では恵まれた方だから」

 

 恵まれてる、その言葉にカナエとしのぶは眉を寄せた。

 そんな訳はないだろう。

 

 だってこの場には、居るべき人が居なすぎる。

 

 直接は聞けないその内容を、蔦子は苦笑を挟んで言う。

 

「勘違いしても仕方ないわね。実はね、私達の両親はもうずっと前に流行り病で亡くなってるのよ。あと、席を外してるだけで、私の夫は普通に生きてるわ」

「えっ……」

「そうだったんですね……」

「ええ。鬼と会った時点で私は義勇と二人暮らしだったから、家族を鬼に殺されたって訳じゃないの」

 

 だから義勇は言えなかったんだと思うの、と蔦子は付け加えて、今度は錆兎と真菰を見る。

 

「錆兎くんと真菰ちゃんは家族を鬼に殺されてる。むしろ鬼殺隊の方でそういった事情がない子の方が珍しいって、義勇から聞いたことがあるから」

 

 蔦子は決して憐憫といった感情を瞳に浮かべなかったが、カナエとしのぶを見る眼差しはどこまでも優しさに満ちていた。

 これだけ育ちの良い子達なのだ。事情は推して知れる。

 

 気まずい、とまではいかないが浮かない表情の蔦子に対し、カナエは心底嬉しそうに笑った。

 

「良かったです。鬼と遭遇して助かったなんて、救援が間に合ったんですね」

「ええ。本当のぎりぎりで、駆け付けてくれたのよ。……ただ」

 

 そこで蔦子は改めて義勇を見た。

 

「義勇が時間を稼いでくれなかったら、確実に殺されていたわ」

「時間を……稼いだ?」

「どういうことですか?」

 

 単純に、理解が及ばなかった。

 鬼と遭遇したのが一年半以上前だとすると、その当時義勇は只の子供の筈だ。

 非力な少年が鬼相手に時間を稼げる訳がない。

 相手が会話が成立する程度の知性がある酔狂な鬼だとしても、保って五分がいいところ。鬼殺隊員からすればもはや誤差の範囲だ。

 

 だからこその疑問だったのだが、それは本当に言葉通りの意味だった。

 

「義勇はね、斧一つで鬼相手に四半刻以上粘ったのよ」

 

 静かに語られる蔦子と義勇の過去に、カナエとしのぶは言葉を失う。

 

 叫び声が聞こえて義勇が様子を見に行った。

 あまりにも帰りが遅い義勇を心配して、蔦子が家を飛び出したのが二十分以上経ってから。

 辺りを駆け回りようやく見つけた現場で、最愛の弟が鬼に蹴飛ばされ倒れ伏した。

 迫る鬼の凶手。蔦子の危機に、満身創痍であった義勇はそれでも立ち上がった。

 

「びっくりしたわ。あんな綺麗な剣舞、見たことなかったもの。況してやそれを義勇が繰り出したものだから、一瞬唖然としちゃったわ」

 

 なんて言ったかしら……と、蔦子は顎に手を寄せる。

 

「確か……全集中、水の呼吸、肆ノ型、打ち潮……だったかしら?」

『──⁉︎』

 

 あり得ないことを聞いた。

 表情から明確にそう察せるだろう驚愕が、カナエとしのぶの胸に沸いていた。

 二人の反応に気付かずに、蔦子は思い出話を締めくくる。

 

「その後に鬼殺の剣士様が間に合ったのよ。今思い出しても、本当に危なかったわ」

 

 こうして長閑に暮らしていける幸せを噛み締めて、蔦子は話を最初に戻す。

 

「その事件の後、義勇は鬼殺隊の門を叩く決意を固めていたわ。自分が護れるかもしれない人がいるなら、護りたい、ってね。あんな目でお願いされたらね、断れないわ」

 

 綺麗な布で皿を拭き終わった蔦子は、曖昧に笑いながらしのぶを見る。

 

「こんな答えでごめんなさいね」

「い、いえ! 私こそ、大変不躾な真似をしました……」

「……ふふっ。でも、良かったわ。カナエちゃんやしのぶちゃんみたいな子が義勇の側にいると分かって」

 

 心底安堵したように蔦子は破顔する。

 相手の身内、更には年長者にそんな風に言われる照れくさく、カナエとしのぶは驚きを余所に顔を赤らめた。

 初々しい反応に蔦子は顔を明るくする。

 しかし、発する声音は些か深刻そうで。

 

「天然かそうじゃないかは置いといて、義勇にははっきり言って異常な部分があるわ」

 

 人格者である蔦子の歯に(きぬ)着せぬ物言いにカナエとしのぶは瞠目するも、蔦子がまとう雰囲気を感じ取って真剣さを帯びた。

 二人の様子に蔦子は声に出さない感謝を込めて、悩みを吐露する。

 

「年の割に成熟してるのはこの際無視して、それを踏まえてもあの子には欲が無さすぎる。今で全て完結してて、満足してる。あと偶にね、私や錆兎くんを見る目がこう、なんて言うのかしら……幸せに満ち足りてるような、そんな目をするのよ。私と錆兎くんの共通点として死の間際に立ったというのがあるから、最初はあまり気にしてなかったんだけど……それでもやっぱり、十五にもなってない子供がする目ではないわ」

 

 蔦子自身も上手く言語化出来ないためか、募る言葉は懊悩の大きさとは反比例に要領を得ないものが多い。

 それでも、カナエとしのぶには伝わった。

 蔦子よりは圧倒的に接した時間は少ないが、義勇のそういった異常さは誰よりも身に染みている。

 

「でも、カナエちゃんとしのぶちゃんと話す時は年相応……とは言えないけど、新しいことに挑戦しているような健気さが垣間見えたの。ちょっと違うけど、朝顔を抱っこした時はそれが顕著だったわね」

 

 思い出し笑いをする蔦子はさぞ嬉しそうで、瞳に澄んだ愛情を乗せて義勇を見詰める。

 

「あの子には出会いが必要なのよ。もっと多くの人と出会って、言葉を交わして、友誼を結んで……家族愛とは違う愛を育んでほしい」

 

 蔦子の言わんとしていることを察してか、胡蝶姉妹の頰が紅潮する。

 

「あの子はさっき、当たり前のように自分は結婚できないって言ってたわ。……私には、それが悲しい。義勇が本気でそう思ってるのが分かるから尚のこと。……でもね、きっと……好きな子でもできたら、義勇だって変われると思うのよ。恋をして、結婚して、子供を産んで……そんな何気ないけど尊い幸せを、義勇には掴み取ってほしいわ」

 

 儚げに微笑む蔦子。慈愛溢れるその表情は、姉であると同時に母として包容力をたたえていた。

 あまりにも綺麗なその容貌にカナエとしのぶは思わず見惚れる。

 一体どれほど時間固まっていたか。

 転瞬、蔦子の笑顔が悪戯っこのようなお茶目なものに変わる。

 

「だからね、カナエちゃんとしのぶちゃんのこと応援するわ!」

「えっ⁉︎」

「お、応援って……」

「ふふふふ、楽しみだわ。ああ、早く義勇がお嫁さんを紹介してくれないかしら。姉さんはもう一人くらい妹が欲しいわ〜」

『〜〜〜〜っ⁉︎』

 

 あたふたとする可愛い女の子を視界の端に、蔦子は訪れるだろう明るい未来を思い描く。

 家族みんなで仲良く暮らす幸福で満ちた尊い日々を、蔦子はいつまでも待ち続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お邪魔しました」

「結局宿泊までさせていただき、本当にありがとうございます。とても楽しい時間を過ごせました」

「私こそ二人が来てくれて楽しかったわ。また来てね」

『はいっ!』

 

 屋敷の門の前。

 朝顔を抱き上げ見送りに立つ蔦子に頭を下げるカナエとしのぶがいた。

 その場にいるのは三人だけで、水の三兄弟は席を外している。

 

「ごめんね二人とも。あの子たちも忙しいみたいで」

「仕方ありませんよ。義勇くんは柱ですし、錆兎くんも既に上位の階級ですから」

「日の出前にも通達が来るのね。もう慣れたけれど、鬼殺隊ってやっぱり大変なのね」

「それは、その……はい、そうですね」

 

 遠い空を眺めながら、想いを馳せるように瞳を細める。

 弟妹の無事を、鬼殺隊員の無事を祈った後、カナエとしのぶに向き直った。

 

「危ないのは知っているわ。二人が覚悟をもってその道を選んだことも。それでも、願わせて。……絶対に、生きて帰って来てね」

「……はい。私たちも、死ぬつもりはありません」

「必ず生き抜いて、鬼を倒してみせます」

「……ありがとう」

 

 朝顔を片腕で支えて、蔦子は一人ずつカナエとしのぶを抱き寄せる。

 ギュッと抱擁を返す二人は、かつては側に寄り添っていた胸に染み渡る暖かさを思い出す。

 この温もりを、覚えていよう。

 喪われた筈の、家族の暖かさを。

 

 二人の姿が見えなくなるまで手を振って、蔦子は一人朝顔を抱きかかえて屋敷へと戻る。

 別れた直後だというのに、思い出すのは可憐な少女たちのことばかりで。

 

「ふふっ、どちらがお嫁さんに来るのかしら……もしかしたら両方?」

「あう〜?」

「そうよね、朝顔もお姉ちゃんが欲しいわよね」

 

 丁度よく反応を返してくれる我が子を愛でて、蔦子は玄関を開ける。

 今日やるべき事を整理して、家族の帰りを待つことにした。

 

 

 

 なお、後日。

 姉の言い付け通り弟が女子限定で友人を紹介し始め、三人を超えた辺りで姉は焦りを覚え、五人目を突破した際に弟へ説得及び説教を断行することになるのだが、それは別の話。

 

 

 

 

 





フラグはばら撒くものさ



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