ある日、例によって無茶ぶりを受けた彼らは「とあるお屋敷」で一日限り麻雀を打つことになってしまう。
出来る限りの準備をして臨んだものの、想像以上の苦戦を強いられる彼らだったが――。
※メインは「ぼく勉」のキャラですが、やることは麻雀。
※咲側の登場キャラクターは動かしやすさから長野勢としています。地域ほか、細かいことはいいんだよの精神です。
※あしゅみー先輩は出ません。時系列は全員名前呼びになった後です。
でかい。
その豪邸を見た最初の感想は、ただただそれだけだった。
唯我成幸にとって「大きな家」といえば、同級生である古橋文乃の自宅であったが、目の前のそれは更にでかい。豪勢な門と広い庭の奥に西洋風の建物がでん! とある様は圧巻としか言いようがなかった。
「ななな成幸どうしよう!? あたしたちどっかで道間違えたんじゃない!?」
「おお、落ち着けうるか! メモの住所は確かに合ってるから!」
同行者の一人である武元うるかが動揺するのも無理はない。
貧乏具合なら自信のある成幸にしたところで、この家はスケールが違いすぎて恐れ多い。間違いであってくれた方がラッキーな気がするくらいである。
だが、傍らに立つ小さな少女――緒方理珠は違った。
素の表情を崩さぬままに成幸とうるかを睥睨し、ゆっくりと口を開いて、
「……いえ。そもそもメモが間違っているのかもしれません。ここはチャイムを鳴らす前に一度確認を取るべきかと」
駄目だった。
理知的な印象を強調する眼鏡の奥を覗きこめば、少女の瞳はぐるぐると渦を描いていた。緒方理珠、見た目に反して随分とテンパっている。
落ち着いているのは件の古橋文乃くらいだろうか。彼女は仲間達の様子に苦笑いを浮かべ、フォローの言葉を口にする。
「みんな落ち着いて。大丈夫だよ、変なことしに来たんじゃないんだから普通にしてれば……」
「でもでも文乃っち、お屋敷だよ!? 豪邸だよ!? そのへんの置物壊しただけで何百万とか弁償させられるんだよ!?」
「何百万だと、マジかようるか……。ええと、仮に先輩のところで働かせてもらったとして何か月で……」
「ああもう、だから気にしすぎだって……」
文乃も一生懸命ではあるのだが、いかんせんお嬢様気質のある少女だ。
考えるより先に口と頭が動くうるか、彼女に合わせられる成幸、動揺すると話を聞かなくなる理珠が揃いも揃ってポンコツでは抑えきれるものでもない。
業を煮やした文乃の口から毒舌めいた愚痴が飛びそうとした時、
「傾注」
静かな、しかしよく通る声が一同を一喝した。
「いい加減にしなさい。メモの内容は正しいし、住所も間違いなく合っている。現実を理想で塗りつぶして、一体何の成果が得られるというのか」
スーツを身に纏った大人の女性である。
成幸達「一ノ瀬学園御一行様」の引率役を務める世界史教師――桐須真冬は、冷たいと評されがちな美貌を生かし、一睨みで全員を沈黙させた。
もっとも、指示通りに黙った一行を見て頷いた直後、僅かに安堵の表情を見せたことに、何名かは気づいていたが。
ともあれ。
真冬は率先して呼び鈴を鳴らしながら、屋敷を見やって言った。
「麻雀。私達は先方に乞われ、それをするためにここへ来た。よもや忘れたわけではないでしょう」
「いや、まあ、ぶっちゃけ、そこが一番信じられないんですけどね……」
成幸は一同を代表し、頬を掻きながら小さく呟いた。
☆ ☆ ☆
何をどうしたら「でかい屋敷に麻雀をしに行く」ことになるのか。
元を正せばいつも通り大方の元凶――つまり、一ノ瀬学園の学園長に行き当たる。
「唯我成幸君。君には古橋君、緒方君、武元君を連れて、とあるところへ麻雀をしに行ってもらいたい」
「……は? 麻雀ですか?」
「そう、麻雀だ」
一体何度目かわからない学園長室への呼び出し。
今度はどんな無理難題を言われるのかと警戒していた成幸は、思いがけない話に思わず眉を顰めた。
「君も知っているだろう。今、麻雀は世界的に最も規模の大きいテーブルゲームだ」
「はあ、まあ、うちの学園にも部があるのは知ってますが……」
おっちゃん達が雀荘で煙草を吸いながら、あるいは大学生が小銭をかけてやる遊び、という認識は古い。
街を歩けば完全禁煙の雀荘を簡単に見つけられるし、中学生や高校生の全国大会が開かれ、数百という学校が鎬を削っているのが現代の麻雀だ。
生憎、一ノ瀬学園の麻雀部が好成績を残した話は聞いたことがないが、
「なんで俺達が麻雀なんです? 強くないにしても、ちゃんと麻雀部があるのに」
「うむ。それは、端的に言えば『麻雀のできる天才』が必要だからなのだよ」
いわく。
麻雀部の活躍は野球部やサッカー部と同列に語られるものであり、いい成績を残せば学校としても箔がつく。他の高校の人間と話すときにも自慢できる。
だが、一ノ瀬学園の麻雀部は弱小。
自慢できるほどの話はないのだが、やら理事長の孫娘が天才だの、うちには全国チャンピオンがいるだの、各地から選りすぐりの打ち手を集めているだの聞かされた学園長はついつい言ってしまったらしい。
天才ならうちの学校にもいる、と。
「……それで、古橋達に麻雀を打て、と」
「うむ。と、いっても古橋君達は受験生。何も大会に出てくれとは言わん。いくつかの学校からメンバーを選抜してくれるらしいので、一日、たった一日だけ、付き合ってくれればいい」
いや、十分に無茶ぶりですが。
と、正直に言えない成幸が「はあ」と頬をひくひくさせていると、
「そう。一日で、各校の精鋭相手にちょろっと無双してきてくれればいいのだよ」
「………」
アホか!
と言いたくなるような無理難題が、学園長の口からこぼれ落ちた。
☆ ☆ ☆
で、こうなったわけである。
「お待ちしておりました。一ノ瀬学園の桐須先生と、生徒四名様。ようこそ竜門渕の屋敷へ。駅からここまでご足労いただいてしまい、誠に申し訳ございません」
「……いえ、問題ありません。こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
呼び鈴を鳴らすと、すぐに屋敷の使用人が出迎えてくれた。
黒いスーツを身に着けた美貌の青年を筆頭に、メイド服を着た女性が何人も並ぶ。成幸も本物のメイドを見るのは初めてだ。服自体は見慣れているはずなのについ見惚れてしまい、うるかに脇をつねられ、理珠に足を踏まれそうになり、文乃に笑顔のまま凄まれた。
なお、真冬はゴミを見るような目をしていた。
「俺が何をしたっていうんだ……」
「本日はお嬢様を除き、家人は全て出払っております。どうぞ、堅苦しい作法は抜きにして、ご自分の家だと思ってお寛ぎください」
少年少女達のやりとりにも執事の青年は全く動じなかった。
笑顔を崩さぬままに一礼し、成幸達を屋敷内へと案内する。
「お嬢様、及び皆さまは全てにお揃いです。会場は十分な広さがありますので、お荷物もそちらに置いていただければ」
「うわあ、物語の中で見たお屋敷みたいだよ」
「文乃の家も割と大概ですけどね」
「成幸の家と全然違うのは確かだね」
「うっせ、ほっとけ」
長い廊下を歩き、途中でトイレの位置などを教えてもらって、ようやく会場に辿り着く。
メイドによって左右に開かれた扉の先には――前もって聞かされていた通り、麻雀の自動卓が複数と、それぞれまちまちな制服を纏った少女達がいた。
一斉に振り返った彼女達のうち、真っ先に反応したのは、いかにもお嬢様といった風格の少女だった。
「ようこそいらっしゃいました! わたくしが今回の催しを主催いたしました竜門渕透華ですわ。一ノ瀬学園の天才の皆様、お噂はかねがね。本日はその実力、たっぷりと疲労していただけますことを期待しております」
「え、ええ。それはもちろん……」
やべえ、これガチだ。
一見、笑顔で受け答えをしている真冬の頬がほんのり引きつっているのを見て、成幸は割と絶望的な気分になった。
とはいえ、成幸達も全く準備せずに来たわけではなかった。
忙しい受験勉強の合間を縫って麻雀の入門書を読み、一ノ瀬学園麻雀部の面々と練習をしたり、スマホやPCのゲームで特訓を行っている。
なので、ルールもわからず醜態を晒す心配はない。
「どうしよう成幸くん。わたしたち、ちゃんとできるかなあ……?」
「大丈夫だ文乃。ここまで来たら、できることを精一杯やるしかない」
まず、成幸達が一人ずつ自己紹介をした後、ホスト側の面々の紹介タイムとなった。
集まっている学校は全部で四つ。
竜門渕透華が所属する竜門渕高校。昨年の全国大会出場校であり、今年は惜しくも出場を逃したものの、来年もベストメンバーで全国制覇を狙う。
「わ、すごーい、でっか! 身長何センチあるの? いーなあ、羨ましい」
「お、さんきゅ。つーか、ノッポだの男女だの良く言われるけど、羨ましいって言われたのは初めてじゃねーか?」
「緒方、理珠……。学年は違うけど名前は知ってる……。模試の理系科目で毎回、上位常連の化け物」
「化け物とは心外ですね。私にしてみれば理系科目なんて簡単です。文系科目の方がよほど難しいかと」
その竜門渕高校を倒して全国出場した清澄高校。
「あ、可愛い! それ、もしかしてエトペン? 『エトピリカになりたかったペンギン』っていう絵本の!」
「知っているんですか?」
「もちろん! 私もあれ好きだったなあ。……あ、じゃあもしかして本、好きだったりする?」
「あ、あの。本なら私も……っ!」
「あ、どうも。一ノ瀬学園から来ました、唯我成幸です」
「こちらこそどうもです。清澄高校で雑用をやってます、須賀京太郎です」
竜門渕、清澄と並ぶ名門、風越女子。
「片目。怪我をされているのでしょうか」
「あ、いいえ。これは癖のようなもので……ほら、ちゃんと使えるんですよ?」
「か、華菜ちゃん。一ノ瀬の人、みんな美人なんだけど」
「大丈夫だってみはるん。麻雀の腕で勝てばいいんだし!」
他の三校と共に今年、決勝を争った強豪・鶴賀学園。
「いやー、まさかこの時期にまだ出番があるなんてなー」
「本当だよね、あたしなんて麻雀一からべんきょ……むぐむぐ」
「馬鹿、うるか何バラして……! すいません、なんでもないんです。ところで鶴賀さんは四人だけなんですか? 他の学校はだいたい五人いるみたいですけど……」
「いや、我が校もちゃんと五人来ている。紹介も五人分したはずだが、聞こえなかったか?」
「私は影が薄いから仕方ないっす」
「!? 今、一体どこから……!?」
以上、計二十人。
他にも執事の青年や清澄の雑用係がいるものの、見事に女子ばかりだった。これは高校麻雀界が女子の強い世界であることと、主催の竜門渕透華が知り合いを集めたせいである。
付き添いの成幸としては居心地悪いことこの上無く、真冬が引率している以上「俺いらなくね?」と思ったりもするが、今更遅い。女子ばかりなのは慣れているといえば慣れているし。
「よ、よろしくお願いします!」
一ノ瀬学園一同は、あらためて深く頭を下げた。
「こちらのメンバーは全部で二十名。一ノ瀬学園さんは選手が三名でしたわね? であれば、半荘一回の卓を三つずつで回しましょう。皆さんには固定で入っていただき、他の三人から下位の二名を空きのメンバーと入れ替えます」
「い、いえ、そんな特別扱いしていただかなくても……」
むしろ出番が少ない方が有難いのだが。
「あら、我が竜門渕はもちろん、他の高校も強豪ですのよ? 普段打てない相手と存分に打ちたいと思うのは当然でしょうに」
「……そういうことなら」
あ、これ逃げられねえ。
成幸はすごすご引き下がると、文乃達にアイコンタクトを取る。理珠が淡々と、文乃が意気込みと共に頷き、何故かうるかが目を逸らした。頬が赤い。
一名心配な気もするが、後は任せるしかない。
「さあ、お手並み拝見ですわ!」
成幸は知っている。
少女達が「やるからにはしっかりやる」と練習を頑張っていたこと、コツを掴んでからはめきめきと腕を伸ばしていたことを。
あの様子なら、きっと普段からやっている人間にだって少しは――。
「ロンですわ! この捨て牌からその打牌、ひょっとして皆様も化妖の類でして?」
「カン。……ツモです。嶺上開花、ドラ1」
「リーチだし!」
「済まないな、池田。その牌、ロンだ」
え。
「ダブルリーチだじぇ!」
「流れが悪いな。ポン。これであんたのツキはこっちに流れるぜ」
「いいんすか、それ捨てて? ロンっす」
「……いいのが来たわね。ロン! 三色ドラ2」
ええー……(幽体離脱)。
☆ ☆ ☆
「……もう駄目だよ成幸くん。わたしたち、全然上がれてないよ……」
「非科学的です! 嶺上開花から残り一枚の牌をツモってくるなど、計算上の確率は物凄く低いはずで――」
「あばばばばばばばば」
二回戦が終了後、休憩タイムを申請して部屋を抜け出してきた成幸達。
後ろ向きなところが顔を出している文乃。非常識が上がり方が許せないのかブツブツ言い続ける理珠。頭脳労働のしすぎで頭がショートしているうるか。様子はそれぞれ違ったものの、やはり三人ともいっぱいいっぱいになっていた。
それはそうだ、相手が予想外なほど強かったのだから。
――これ、やってるのはただの麻雀なんだよな?
と、少女達と一緒に予習していた成幸が首を傾げるほどの難易度。
トラッシュトークを織り交ぜつつ計算高い打牌をする透華や、機械の如き正確な打ち筋を見せる原村和などは可愛いもので、流れを読んで潰しに来る井上純や観察眼が異様に鋭い福路美穂子、東場だけ強くなる片岡優希は理解を越えていたし、果ては高確率で嶺上開花を繰り出す宮永咲やら単騎待ちを成功させてくる竹井久、気配を消せる東横桃子などはガチの化け物としか思えなかった。
なんというか、テーブルゲームに能力バトルを持ち込まれたような違和感。
「無残。これ以上やっても無駄ね。先方には謝罪して帰宅を――」
はあ、と溜息をついた真冬が継続不可能と判断。
早速、くるりと踵を返そうとする彼女。確かに、成幸としてもそうできれば楽だし、そもそも受けるべきではない話だったのだろうが。
成幸は反射的に真冬を呼び止めていた。
「待ってください、先生」
「……疑問。この期に及んで何か策でも? 特訓は行った。それでも勝てなかったのは、そもそも付け焼刃ではどうにもならなかったからでしょう」
「いえ、こいつらならまだやれます」
きっぱりと言い切ってやる。
「成幸くん?」
「成幸さん?」
「成幸?」
どうしてこんな時だけ似たような反応をするのか。
きょとん、とした表情を浮かべて視線を向けてくる天才三人娘を、成幸はできるだけ元気づけようと笑顔を浮かべた。
「なあ文乃。理珠。うるか。俺達はさ、根本的に間違っていたんだよ」
「根本的に?」
「間違って?」
「なにそれ、どういうこと?」
「下手なところを見せないように。失敗しないように。そんなことばっかり考えていたのが間違いだったってこと」
ここまでの対局、思えば三人はガチガチに緊張していた。
非常来なサイズの屋敷。麻雀という慣れないゲーム。見知らぬ人にいっぱい囲まれた状況。ストレスを感じないはずがなく、そんな中で「なんとかやり過ごして来い」と言われればそうもなろう。
それが間違いだったのだ。
ロンを告げられるたびにびくっと震え、計算外の事象が起こるたびにムキになって冷静さを失い、テンパった挙句、適当な打牌をして鳴かれてしまう。
「あんなヤバイ奴ら相手に後ろ向きな態度で勝てるわけないだろ」
「好戦。勝ちに行け、とでも言うつもり?」
「そうです」
戦うなら、勝つつもりで臨まなければならなかった。
「無茶です。さっきまでの対局を見てなかったんですか? あんなのを相手に勝つなんて」
「理珠。俺達がここに来たのはどうしてだ?」
「え? ですからそれは、理事長に言われて――」
「そうだ。だが、それだけじゃなかっただろ」
それはあくまでもきっかけにすぎない。
「俺はお前に言ったよな。
「……あ」
口を半開きにする理珠。
彼女の表情は「忘れていた」と物語っていた。そう、大したことではないので忘れていても仕方ないのだが、この件について説得する際、確かにそういうことを成幸は言った。
「思い出したか? なら、その後言ったことはわかるか?」
「特に、麻雀は人間の感情によって作用されやすいゲーム。お前が強くなりたかったのは、そういうゲームじゃなかったっけ……と」
「そうだ」
頷く。
理珠はテーブルゲームを好む。そういったアナログのゲームにある「計算だけではどうにもならない要素」を理解し、もっと上手くなりたいと思っているからだ。
そういう意味では、麻雀に触れることはいい刺激になるだろう。
今日、他のプレイヤーを見て、知ってわかった。麻雀の遊び方はプレイヤーによって千差万別。多様性を許容できるゲームだと。
派手さや華やかさでは宮永咲や片岡優希に目が行きがちだが、原村和や竜門渕透華はデジタルな麻雀理論に基づき、彼女達と渡り合っている。
なら、「機械仕掛けの親指姫」緒方理珠にだって戦えないはずはない。
「やってやれよ理珠。勉強と一緒だ。お前はお前の得意なやり方で、あいつらと渡り合ってこい」
「……成幸さん」
「文乃とうるかもだぜ。練習の時、どうやってコツを掴んだのか、もう一回思い出してみろ」
「成幸くん」
「成幸……うん。わかった。あたしたち、もう一回頑張ってみる」
少しずつ、スポンジに水が染み入るように。
成幸の言葉が少女達の表情を変えていき、やがて、そこには「いつもの三人」が戻ってくる。
「よーっし、やるぞー!」
「うん、もう一回頑張ってみよう。りっちゃん、うるかちゃん!」
「無論です。やられっぱなしでは納得がいきませんし、何より、私の理論が間違っていたと認めることなどできるはずがありませんから」
言いながら部屋に戻っていく天才達。
それを「不可解」とでも言いたげに見つめていた真冬は、少女達の背中が遠くなってから成幸に尋ねた。
「……これが、あなたの魔法かしら?」
「魔法なんかじゃりませんよ」
おそらくは賛辞なのだろう言葉に苦笑する成幸。
「俺はただ、あいつらの個性を否定したくないだけです」
「そうね。それはとてもいいことだわ」
「!? せせ先生、何か悪いものでも食べましたか!?」
「失敬! これは部活動のようなものでしょう。課外活動の範疇内で好きなことをやる分には、教師が口を出すものでは……!」
どうでもいい言い合いをしたせいで戻るのが遅れたのはご愛嬌。
二人が戻った時――部屋に広がっていた光景は、言うまでもない。
☆ ☆ ☆
「……聞いていたのと違いますわ」
「そうね。話が違うわ」
未だ対局の続く三つの卓から少し離れた場所。
清澄高校部長、竹井久は、紅茶を片手に透華の呟きへ答えを返していた。
「でも、彼女達は強いわ」
「ええ。そうですわね」
学園上層部を通して聞いていたのは断片的な情報のみ。
学業や運動において天才を誇る三人の少女が麻雀も得意であり、一ノ瀬学園の麻雀部を軽くひとひねりして廃部に追い込んだとか。あの学園にはどんな駄目な者でも立ち直らせる無敵の指導者がいるとか。
正直「ふわっと」した情報が多かったため疑問視していたところ、案の定、話の殆どはデマだったらしい。
透華自身や和のように、学力の高い者が麻雀も上手い例はいくつもあるが、それはあくまでも両立がしやすい、という話でしかない。趣味としてやりこんでいなければゲームで勝てるはずがない。
――だが。
古橋文乃。緒方理珠。武元うるか。
大した見せ場もなく点数を奪われ続けていた彼女達。せいぜい一般的な女子高生麻雀部員と同等と思っていたら、短い休憩から戻ってきた後から豹変した。
今までは本領発揮できていなかっただけだと言わんばかりに。
「緒方さんは、まるで和がもう一人いるみたいね」
高い計算能力に振り回されていた感のあった彼女。
純の不可解な鳴きや優希の早上がり、咲の嶺上開花にいちいち調子を狂わされていたのが、今は嘘のように落ち着き払っている。
やっているのは特別なことではなく、基礎の徹底。
役の種類と点数計算を把握し、山と川の状況を都度確認、その場の最高効率を叩きだすだけ。
「いえ、まだまだ甘いですわ。……今は、まだ」
まさに「言うは易し」。隣にいる透華でさえ度々ブレが入るのだ。まともに実践できるのはそれこそ和だけだと思われるが、理珠はかなりの精度でそれをこなしている。
現状存在する隙、計算の甘さやスピード面で劣ることについては、経験を重ねることで改善されるだろう。
――麻雀経験が浅いのにこれって、恐ろしいわね。
久は理珠達が「初心者に毛が生えた程度」であると見抜いていた。
ゲーム内での戦略については良く理解していたが、牌の扱い方がどうにもぎこちないからだ。地頭のいい人間が詰め込み式で学習してきたのだろうと簡単にわかる。
だからこそ、驚異的といえる。
もしも理珠が本格的に麻雀を始めたら。もし、彼女が三年生ではなかったら。このまま和と同タイプとして成長するのか。沢村智紀のようなデータ麻雀を極めるのか。いずれにせ来年、恐ろしい強敵が一校増えていたことだろう。
「……古橋さん達が一緒なら、だけど」
今度は別卓に目を向けてみる。
淡々と、素早く、けれど手付きは危なっかしく打っている理珠とは対照的に、古橋文乃はゆったりとしたペースで、笑顔を浮かべながらゲームを進めていた。
どちらかといえば、文乃の方が手付きは安定している。
――心に余裕があるから、かしら。
文乃は点数計算ができていない。
役は覚えているようだが、符の概念と、どの役がどれだけの点数になるのかがまだ曖昧らしい。同じく本好きな咲が「アレ」なので意外に思ってしまうが、文系人間なら普通はなかなか覚えられない。
一応、川は最低限チェックしているようだが、基本的には心の赴くままに牌を揃えている。それが結果的に良い結果を生み、高い打点に繋がっている。振り込んでもその分、取り返せば問題ないと言わんばかりだ。
「ふふ、星がいっぱいだよー」
特に、文乃の手牌には筒子が集まるようだった。
愛宕姉妹の妹や阿知賀の副将のようなボール使いかと思いきや、筒子を星に見立てているらしい。さながら星を集めて星座を作り出す星の魔術師。
こういうタイプには理屈が通じないから厄介である。
ほら、注意して動向を見守っていれば、なんだか眠ってしまったように動かなく――。
「ふ、古橋さん。また寝ちゃってるよ……!」
「ふえ!? ご、ごめんなさい、私みたいなミジンコがゲームの途中で寝ちゃうなんて……!」
微妙に人見知りの発動している咲と、過剰なくらい下手に出る文乃のやり取りは見ていて微笑ましかった。
「あれは素、なのかしらね。神代さんみたいに何かが降りる様子もないし」
「……そう、ですわね」
答えた透華の表情はどこか浮かない。
「ナルコレプシー。眠り病なのだとしたら、雀士として戦慄を覚えざるをえませんけれど」
「っ!?」
かつて、その症状を患う天才的な打ち手がいた。
それを思い出した久は思わず背筋を震わせ、戦慄した。
そして、武元うるか。
他の二人とは違い、勉強そのものがあまり得意そうではない――聞けば水泳の特待生だという――彼女だったが、ある意味、三人の中で最も曲者かもしれなかった。
「リーチだじぇ!」
「ならあたしもリーチするよ!」
視線の先で、優希とうるかがリーチ速度を争っている。
「貴様、速さで私に勝負を挑むとはいい度胸だじぇ」
「ふふーん。あたしも速いのには自信があるんだよねー」
うるかの打牌は極めて素直。
おそらく点数計算はおろか、細かな役すら覚えきれていないのだろう。初心者にありがちな「トリオを作っていけばいい」「幺九牌は集められないなら避けておく」といったセオリーに従っているように見える。
その上で、鳴きを併用して真っすぐに上がりを狙ってくる。
「お二人とも、熱くなりすぎですよ。……ロンです」
「あっ」
「うー、やられちゃったじぇ」
守りを無視した速度は驚異的、東場の優希にすら匹敵し、それが南場でも続くのは驚異的といえたが――阿知賀の新子憧と違い、振り込みが多い。
当然、純や美穂子といった打ち手には隙を突かれるのだが。
「じゃあ、今度はもうちょっと守ってみようかなー」
「っ」
「……来たじぇ」
攻めではなく守りを意識した途端、優希はおろか美穂子すら警戒するのに本人が気づいていない。
理由は牌譜とスコア表を見れば一目瞭然だ。
何故か。
麻雀において、まだツモられていない牌の集合を「山」と言い、捨てられた牌を「川」と呼ぶ。山の最後の牌で上がった場合には『海底撈月』という特別な役がつく。
――水を領域とする能力者。
山が崩れ、川と海が広がれば広がるだけ、彼女は力を増していく。
故に、武元うるかには短期決戦をさせた方が有利。でなければ、全国クラスの選手でさえある程度の警戒が必要なほどに厄介な相手となる。
「冷たくなっている時の竜門渕さんの天敵かもね」
「……治水、でしたわね。わたくしとしては信じられませんし、武器にする器もありませんけれど、やっかいなことは確かですわ」
水の流れが穏やかになっているのなら、泳ぐにはもってこい。
おそらく武元うるかは最速で、最高の泳ぎを見せてくれる。
久の知る限り、そしてこの場に現れる可能性がある中で、水と言えばもう一人いるのだが。
「迷子。竜門渕さんの妹さんでしょうか。お姉さんならあちらに」
「衣は子供じゃない、高校生だ! お前こそ衣みたいな喋り方をして傲岸不遜!」
「失敬。緒方さんという前例がいるのに私としたことが……。でもその喋り方、妹を思い出すわ」
噂をすれば。
強そうな打ち手だったら呼んでくれ、と言って引きこもっていたお姫様が自ら顔を出してきた。おそらく、白熱し始めた場の空気を察知したのだろう。
透華と顔を見合わせ、久は笑みを浮かべた。
「いらっしゃい衣。いい具合に場が温まっていますわよ」
「衣ちゃん好みの子もいるから、一緒に遊びましょう」
これは面白いことになってきた。
全国大会が終わり、もう自分の麻雀は終わりだと思っていた。そんな矢先の呼び出しに最初は面食らったものの、今となってはむしろ、どうしてもっと早く彼女達に会えなかったのかと思う。
僅か一日。
残りはもう半分もない宴だが、思いっきりやってやろうと、久は火照る身体を持て余すようにブラウスの袖をまくり上げた。
空いている自動卓の電源を入れ、端で見ている少年を見やる。
どうせなら彼と、引率の先生も混ぜてやろう。思わぬものが見られるかもしれない。
「ねえ、唯我くんだったかしら。お姉さんと一緒に遊ばない?」
「え、俺達同い年……っていうか、俺は麻雀とか全然できませんから!」
嘘つけ。
久は笑顔のまま心中で切って捨てると、無理やりにでも成幸を卓につかせようと、彼の背後に回り込みをかけることにした。
真冬先生は索子使いなイメージ。
一索の鳥をフィギュアでびしっとポーズ決めた時になぞらえ、これでリーチしたら必ず上がるとかなんとか(適当)。
余談でした。