零 -刺青ノ聲-   作:柊@

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幾分か読みやすくなると思うので縦書き設定推奨です。



本編
【零】-虚夢(ウツロユメ)-


 夜の帳が下がり、辺り一帯が眠りについた静寂の刻。宙吊りの揺り篭の中で、今宵を憂う少女の姿がある。

 くちなわに自由を奪われ、命を供物として捧げる刺青の巫女。その自ら背負った運命の重さに押し潰されそうになりながら、いつか夢見た未来の欠片に想いを馳せる。もう叶わぬ願いと知りつつも、忘失の過去に縋らずにはいられなかった。

 

 少女の名は、雪代零華。

 代々続く久世家の歴史に終止符を打つことになった、悲劇の巫女である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

※1

    懐かしい零華へ

 

 僕は今、母の耳飾りを手にこの手紙を書いてゐる。

 さきほど博士の研究室で見た白昼夢に、いても立つても居られなくなつた。

 僕は牢に囚われた巫女様に手を差し伸べた。

 そして確かに彼女に触れた。

 その耳には僕と同じ耳飾りが揺れていたのだ。

 君と僕とで一対になるやう、村を離れるときに分け合つたこの耳飾りが。

 もしや彼女は君自身で夢と同じやうに、どこかのお社に居るのではないか。

 そして夢の中の君が手の届かぬ場所に連れ去られてしまつたやうに、本当に君にもこのまま永久に逢えなくなつてしまうのではないかと感じてゐる。

 なんとかして君に一目逢ひたい。

 夢と同じであるならば、君がいるのはあの久世の宮という大きなお社だらう。

 博士の聞き取り調査半ばであつたことが気がかりではあるが、いまは一刻も早く君の元へ帰ることだけを考えてゐる。

 どうかそちらへたどり着くまではどこにも行つてしまわないでいてくれたまへ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 おそらく最後になるであろう(かなめ)からの手紙の文章を、ゆっくりと何度も読みなぞり、脳裏に深く刻みながら、零華(れいか)は寝目(夢見)に微睡みつつあった。

 

 いつもより酷い浮遊感に襲われているのは、この吊り牢の揺らめきのせいではない。

 

 零華が力なく手を掲げると、長く垂れ下がる巫女装束の袖がスルスルと捲れ、痩せこけた腕を露わにさせた。取り囲むように備え付けられた灯篭の淡い光を浴びて、零華の肌は、肌とも思えぬ暗い色彩をその瞳に返す。

 

 顔から足の先まで、余す所なく青々と刻まれた(ひいらぎ)。人々の悲哀の想いを、何度も自身の身に請け負ってきた。しかし、もう間もなくその巫女としての役目を終えることになる。それは同時に、己の人生の終焉を余儀なくされる。刺青の巫女は、数多の負の思念が世に災いをもたらすことのないよう、深い闇の底で永遠の眠りにつかねばならない。

 

 零華は軋む四肢を奮い立たせ、よろよろと上体を起こし、鉄格子に背を乗せた。背中から伝わる無機質な冷気は、火照る身体の熱を心地よく奪っていく。

 

 安堵の吐息が一つ零れ、体幹の力が抜け落ちていった。肌蹴た装束からだらしなく姿を見せる肩に、気恥ずかしさを感じている余裕もない。それほどに、儀式の爪痕は零華の活力を蝕んでいた。

 

 もう満足に身体を動かすことも出来なくなっていた。肉体的な疲労は極限に達し、加えて柊による精神の侵食が起こり始めている。

 

 初めて儀式を行った日から、鳴り止まない(こえ)。芯まで深く根ずく蒼き刻印が、人々の呪詛の幻を見せ、零華の心を掻き乱す。数多の柊を背負った零華は今、この世とあの世の狭間にいるような錯覚に陥っていた。

 

 まだ自分は生きているのだろうか。

 そんな単純なことでさえ実感出来ない、極地に立たされている。

 

 しかし、それを怖いとは思わなかった。

 なぜならば、自らが望んで選択した道だからだ。

 

 この不気味な程皮膚を染め上げる刺青に込められた想い。大切な者を失った悲しみがどれほどの重さであるのか。同じ境遇の自分には痛いほどに伝わってくる。そんな人々の苦しみを少しでも和らげることが出来るのなら、こうして犠牲になることも厭わなかった。

 

 けれど、いくら覚悟をしたとはいえ、未だに拭えぬ恐怖に打ちひしがれることがある。巫女の責務を全うし永遠の眠りについた後、自分という存在は露と消え、誰の心からも忘れ去られてしまうのではないかと。想いも、記憶も、全てが塵のごとく離散し、大切な人からも剥がれ落ちていく。時折そんなどうしようもない孤独感に駆られてしまう。

 

 無論、巫女になったことに後悔はない。自分はあの時、全てを失ってしまった。そんな自分がまだ必要とされ、これほどの大役を任されたのだ。むしろ感謝したいくらいだった。久世に拾われなければ、どの道死んでしまっていたのだろう。ただ一つだけ、心残りがあるとすれば……。

 

 零華は手元にある手紙に目を向けた。独特で癖のある、端正な字で文が綴られている。要は誰に教わったのか、子供の頃から達筆だった。字を書くことが苦手だった零華は要に憧れ、時間を見つけては要に教わっていたものだ。幼き頃、いつでも隣にいた要。……今となっては、遠い昔の思い出だった。

 

 それにしても、この手紙の内容を読んだ時は驚いたものだ。虫の知らせというものが本当にあるのだろうか。要は久世に養子入りした自分はおろか、村が滅びてしまったことすら知らないだろう。まるで要がずっと傍にいたかのように感じられる。そして何よりも胸を打つのは、再開を願う要の気持ちだった。

 

 ……しかし、もう叶わぬ願いなのだ。要と別れたあの日とは、立場が大きく変わってしまった。儀式に背き、久世を裏切る事はもう出来ない。それは押しつけられたものではなく、自らの意思だった。

 

 どの道こんな体では、要に迷惑がかかるだけだ。もはや全うに生きる事の出来ない病魔に侵され、あげくに女としての価値も落としてしまっている。要には綺麗な肌のままの自分でありたかった。

 

「要さん……」

 

 無意識に漏れた言葉に、零華ははっと頭を振った。未練はあってはならない。邪な情動は生への執着に変わり、儀式の弊害となりうる。下手をすれば歴代の巫女達に封印された柊が全て還り、前代未聞の大災厄を引き起こしてしまう。

 それだけは何としても避けたかった。でなければ、自分は何の為に生まれてきたのか分からなくなる。要と別れ、家族や故郷を失った自分に、最後に残された使命。せめて死ぬ前に人の役に立ち、ちっぽけで空虚な人生を少しでも飾り立てたかった。

 

 それに……。

 

 もう、諦めたことなのだ。要がこちらを振り返ることなく村を出て行った時に、一度は捨て去った感情だ。なのに、こうして要の文を眺めているだけで、簡単に気持ちが揺らぎ出してしまう。

 

 (零華……)

 

 今でもはっきりと覚えている、自分の名を呼ぶ尊い聲。それは柊の聲に掻き消されることなく、体の隅々まで鮮明に響き渡り、傷ついた身も心も癒してくれる。

 

 他の誰のものでもなく、自分自身が記憶に刻む、淡い柊。

 

 この柊は、禁忌の地で百千と積み重なる惜別の残骸に埋もれながら、人知れず枯れ果ててゆくのだろう。けれど今この時だけは、全てを忘れてこの安らぎに満ちた聲に身を任せていたい。

 

 ……もう手の届かぬ、懐かしい情景の中で微笑む、想い人の聲に。

 

 

 




※1 エンターブレイン発売 「零‐刺青の聲‐導魂之書」 P195から引用

ちなみにおそらく原作において、この要の手紙は零華には届いていません。










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