零 -刺青ノ聲-   作:柊@

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   -民俗学者(ミンゾクガクシャ)- 二ノ刻

 

 秋人が久世に来て、もう一月近くが経っていた。

 疑念を持って調べていた久世の儀式に関して、未だ真相を暴くといったような新たな発見には至ってはいない。しかし、この地の風習については十分に見聞を広められてはいた。

 

 古来から久世に伝わる刺青の儀式。人々の死別の苦しみを選定された巫女の身体に刻むことで、その心の救済が成される。そういった想いの込められた刺青は柊と呼ばれ、人々が忌むべき象徴になっている。それ故に、生涯巫女が人前に現れる事はない。

 

 この因習の背景には、伝承上で死者の門とされている常世海の存在が深く関わっている。そこから湧き出る瘴気が人の心に狂気を与え混沌を振りまくのだと、久世は信じてやまなかった。それを鎮める為に、現代までこの儀式が遂行されている。 

 

 秋人がここで得た知識を掻い摘んで言えば、こんな所だった。

 

「鏡華、答えられたらで構わないのだが」

 

 今や日課になっている鏡華との雑談の合間に滑らせ、質問を投げかけてみる。

 

「何でしょうか」

 

「お役目を終えた巫女様達はどこにいるのであろうか」

 

「その肌故、迫害に合わぬ様一目に付かぬ場所に保護しています」

 

 文献にも記載された模範解答である。

 

「神聖な儀式である為、久世以外の人間には伝えられぬことが多々あります。あまり深くお聞きになられるとどう説明していいか……。私は秋人様に、嘘を付きたくありません」

 

「いいのだ。困らせて済まなかった」

 

 保護と表現しているが、実際は人としての尊厳を奪われた状態である可能性が高い。聞き込みで何度も耳にした遭難者の神隠しの件を考えると、最悪、あるいは.......。

 

 何も珍しいことでは無い。人類の歴史において、儀式の対価として人間を供物とする因習はどの国にも少なからず存在していたのだ。この刺青の儀式も、後世にまで受け継がれた名残りの文化であるのだろう。

 

 問題は、そのような儀式が形を変えず、当時のままに今もなお信じられ続けられていることだ。発展途上国に分類されないこの日本において、文明の発展と共に論理的思考は培われ、その先駆者達の英知によって不可解な事象の数々はいくつも解き明かされてきた。人々の認識もまたそれに伴って変化し、安寧を願って犠牲を捧げるといったような悪習は何の因果も持たない迷信だと理解を示すようになってゆく。そうして風化していったはずの教えが、久世において色褪せることなく今も現存している。

 

 本当に文献に記載されただけの慣わしであるならば、秋人はこのような疑心を抱くことはなかった。時代遅れではあるが人を道具とした儀式も、その程度の具合によっては辛うじて納得出来る範囲ではあるのだ。

 

 しかし、果たして久世の文献は全てを明言しているのだろうか。都合の悪い真実を直隠し、表向きに綴っているだけではないのだろうか。

 

 ……久世が儀式に人の命を扱っているという確証は掴めていない。が、この手の因習の研究に多く携わってきた者として、結論を出すにはまだ早計である。

 

 文献からはこれ以上何も得られぬと悟った秋人は、次に対象を久世の人々.....、特に当主である夜船に焦点を当て探ることにした。

 

 わきまえた言葉を選び、意図に気づかれぬよう細心の注意を払いながら、その人物像を観察していった。堅物で信仰深さが目立つが、秋人の判断として夜船は至ってまともな人間であった。道理を捻じ曲げ盲信しているようにも、歪んだ思想の元に権力を振るっているようにも見えなかった。しっかりとした理念を持ち、正しい采配を振ることが出来る人格の持ち主だろう。

 

 だとすれば、因習の強制力はどこにあるのか。巫女に選ばれた人間の将来を潰してしまう儀式など、惰性で持続出来るものではないはずだ。 

 

 考えられるとするならば、それは未だ何らかの脅威にさらされているということである。瘴気の害などという非現実的な事象はさておき、それに酷似した原因不明の災厄に見舞われているのだとしたら、久世が旧世代の迷信に縋る気持ちも分からなくもない。

 

 そうして秋人は風土病の線を疑った。該当する症状の病気はいくつか知ってはいたが、実際に専門家に依頼して調べてみないことには何とも言えなかった。

 

 秋人が次に着目した人物は、夜舟の娘である鏡華だ。おそらく儀式の全貌を隅々まで知る数少ない人物の一人であろう。夜舟とは正反対の人柄をしていて、実におおらかである。しかしやはり当主の娘というべきか、儀式に対しての姿勢は他を寄せ付けぬものがあった。親しくなるにつれ、こちらの要望に対して以前よりは寛容になったが、越えてはならない一線だけは守っているようであった。

 

 あれからの鏡華といえば、夜に秋人の借り部屋へ忍び込む頻度は極端に下がっていた。が、秋人と鏡華が会う機会はそれに反比例するように大きく増した。日没前ではあるが、鏡華はよく秋人の部屋の前の廊下をうろうろしていることが多かった。秋人がそんな鏡華を見かねて声をかけてようやく中で雑談が始まるといった案配である。あらゆる行動がしおらしく、あんなに真っ向から誘惑してきた鏡華が嘘のようだった。平静を装っていただけということか、どうやら実際の鏡華は思いの外異性に対して内気な性格をしているらしい。

 

 そうして互いの仲を深め、秋人はいつしか鏡華に頼み事をするようになっていた。当初立ち入り禁止であった区域のいくつかを、鏡華の助力を得て検分させて貰っているのだ。その都度逡巡する鏡華からして、己の立場の限界を超えた提供をしているのだろう。役に立とうとする鏡華の善意に付け込んでいるようで秋人は罪悪感を抱いてはいたが、どうしても仕事の探究心の方がそれに勝ってしまっていた。

 

 ……しかしこの時秋人は、後に自身の身勝手な行動の代償を鏡華が支払うことになるなど、知るよしもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある日の事。

 

 秋人は体調が優れなかった。身体の節々が痛み、悪寒がした。慣れない環境で、風邪を引いてしまったようだった。頭が熱く足が酷くふら付いたが、ひとまず水を貰おうかと部屋を出た。

 

 水場へ向かう途中の曲がり角の奥から、夜舟が誰かと話している声が聞こえた。

 

「私がここを留守にしている時に、あの客人を禁じた間へ招いておるな」

 

「……」

 

「幸い最深の地へは足を運ばせてはおらぬようじゃが、私意の行動が過ぎておるぞ」

 

「……申し訳ありませぬ」

 

 そう覇気なく答えたのは鏡華だった。曲がり角から顔を出そうとした秋人だったが、内容を把握し壁を背に聞き耳を立てた。

 

「客人と情事に至るかどうかは、お前の意思をある程度は汲んでやろうと思うていたが、もう譲歩はせぬわ」

 

 秋人に肩入れする鏡華の行動が夜舟にばれ、鏡華が責め立てられていた。

 

「お前には監視をつけさせよう。金輪際、あの客人に近寄ってはならぬ」

 

 そこで会話が途切れた為、秋人がゆっくりと覗き込むと、肩をすくめた悲しげな鏡華の後ろ姿が目に映った。存分に怒りをぶつけた夜舟はもうその場を去っていったようだった。秋人は声をかけるべきだと思いつつも、どのような顔をして対面すれば良いのか分からなかった。そう迷っているうちに、鏡華もとぼとぼと反対方向へと歩き出してしまっていた。

 

 謝罪する機会を逃してしまった。

 

 秋人は改めて鏡華のことを考えた。息抜きの話し相手や身の回りの世話まで、本当に良くしてもらっている。そんな親しみを持って接してくれる鏡華に甘え、大分無理をさせてしまっていた。秋人はそれが研究の為になるなら、時として人間関係よりも仕事を尊重する男である。このような状況は幾度もあり、取捨択一であれば間違いなく後者を選んできた。しかしどうしたことか、今回に限っては大きな負い目を感じることになった。

 

 秋人は水場へ行き、心ここに非ずといった具合で侍女から受け取った水を飲み、体調不良を明かすことなく再び借り部屋に戻り床についた。不甲斐ない思いに苛まれる中、秋人は深い眠りについたのだった。

 

 

 

 

 静寂と闇が辺りを包み込んでいた。いつの間にか灯された行灯の火だけが、唯一視界に景色を生み出すことの出来る媒介であった。

 

 大分寝てしまっていたのだろうか。秋人は意識が覚醒すると同時に重い筋肉のだるさを感じた。

 

「なぜ、君がここにいる」

 

 目覚めと共に迎えたのは、上から見下ろす鏡華の顔だった。

 

「侍女から秋人様の様子を伺いました。私が看病するのは嫌でしょうか」

 

 秋人は侍女に告げてはいないが、どうやら異変に気づいていたようだ。

 

「そういう意味ではないのだ。ただ、偶然君と当主様との話を聞いてしまった。……あの様子では私に会う許可が下りるはずもない」

 

 鏡華は少し戸惑いを見せたが、すぐに優しい眼差しを秋人に向けた。

 

「心配なさらないで下さい。当主様の許しは得ています」

 

「……では、何か条件を飲んだのだろう」

 

 病気とはいえ、夜舟が無償で撤回するとは思えなかった。

 

「それは……」

 

 鏡華は目を細め、秋人から視線を外す。良い言い訳を探し当てようと悩んでいる様子だったが、それを見越した秋人の強い眼を向けられ、観念したのか鏡華は諦めの滲む微笑を浮かべた。

 

「秋人様に隠し事は出来ませんね。……次に来られる客人の方との情事を強要されました」

 

 次、というのは、秋人との関係は諦めたということだ。鏡華にしろ夜舟にしろ、それは至極当然の決断である。宿や食事、仕事に快適な環境を与えてやったというのにそれだけでは飽きたらず、節度を越えて久世を嗅ぎまわり、恩を蔑ろにした輩なのだ。そんな軽薄な男との子供など、一体誰が必要とするのだろうか。

 

「それで君は承諾したと」

 

「はい」

 

 即答する鏡華に、秋人は眉を潜めた。

 

「……どうしてそうなる。決して天秤に掛けられる条件ではなかろう。私は子供ではないのだ。こんなもの、寝ていれば治るというのに」

 

「体が弱っている時は、大人でも一人は心細いものです。ただ、私が傍に居たかっただけなのです」

 

「私は、こんな事の為に君が犠牲になることなど望んでいない」

 

「私の勝手な判断です。秋人様、気遣ってくれて嬉しく思います。けれど、結局いずれ私は誰かと至らなければならない身。それが少し早まっただけに過ぎません」

 

 後悔など微塵も感じさせることなく、鏡華の声調は穏やかだ。

 

「散々迷惑をかけたこんな男に、君というやつは……」

 

「迷惑だなんて一度たりとも思ったことはありません。本当に私は大丈夫です。……今は何も考えず、ゆっくりとお休みになってください」

 

 鏡華は代えの冷えた手拭いを秋人の額に載せ替え、優しく秋人の手を両手で包み込んだ。その華奢な白い手の平から伝わる、心地よい冷たい温もり。見上げた視界に映る、柔らかな笑みを浮かべる鏡華の顔に、秋人の中で何かが崩れ、真新しい感情が芽生え始めていく。

 

 かつて仕事以外に、こんなにも心が引き付けられたことはあっただろうか。

 

 鏡華が眩しく、愛おしく見えるのは、決してこの熱に絆されたわけではない。その自己犠牲の姿に、同情したわけでもなかった。

 

 秋人は理屈では片づけられぬ想いを抱きながら、ただ鏡華の手を握り返していたのだった。

 

 


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