零 -刺青ノ聲-   作:柊@

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   -民俗学者(ミンゾクガクシャ)- 四ノ刻

 約束の時間を迎え、社を出た秋人は闇に溶け込むように息を殺し、足を忍ばせた。鏡華の言うとおり、門番以外の活動は見当たらず宮下の村は静まり返っており、隠れる必要のないほど人気はなかったが、念をおいて警戒しながら少しずつ大門へと向かっていった。

 

 大門が目前といった所で、秋人は近くの物陰に待機した。こんな深夜にも関わらず、やはり数人の見張りが松明を片手に門前で立ちはだかっている。後は鏡華が上手くやってくれるのを待つだけだった。

 

 そうして少し経った後、休憩小屋に火の手が上がった。すると見張りは本来の責務を放棄し、全員が火消しにその場を離れていった。鏡華の思惑通りの状況となり、秋人はすぐさま大門の元へ駆けつけ、重く太いかんぬきに手をかけた。使いの者の事が気になったが、今捕まってしまっては全てが水の泡となってしまうのだ。秋人はすべき事を優先し、かんぬきを抜く作業に集中した。かなりの重量で手間を取ったが、なんとか外すことに成功し大門を開けた。

 

「待たれよ」

 

 張り裂けんばかりの怒号が響き渡った。ここにいるはずのない夜舟の声が、門の外に出た秋人を引き留めた。

 

「こんな夜分にどこへ行こうというのじゃ」

 

 秋人がゆっくりと振り返ると、やはりそこには夜舟がいた。鏡華は判断を誤ったのか。いや、おそらくそれすら見越した夜舟の計算だろう。しかし、そうであるとしたなら、夜舟は何とも白々しい問いかけをするのだろうか。なんにせよ、計画は失敗してしまったのだ。

 

「無論、ここを出るつもりだ。その為に火を放った」

 

「鏡華を置いてか。折角子を授かったというのに、無責任にも程があろう」

 

 夜舟がどこまでこの計画を把握しているのかは不明だったが、夜舟と秋人の会話は奇妙にも成り立っていた。……が、夜舟が本性を隠しているのは明白であった。

 

「私が鏡華をこのまま捨てると、貴女は言いたいのか」

 

「人間などそんなものじゃ。月日が経てば、情も薄れる」

 

 夜舟は不気味に後ろで手を組みながら、じりじりと距離を詰めてくる。何か隠し持っていて、不意打ちを仕掛けようとしているのかもしれない。しかし、それさえ予測出来ていれば、夜舟がいつ行動に起こそうが秋人は夜舟の身を御する自信はあった。

 

「私は貴女に断言しよう。この先私の隣に寄り添う女性がいるのだとしたら、それは鏡華ただ一人だと」

 

 話ながら、秋人は眼前にくまなく目を配った。夜舟がわざわざこの場所で待ち伏せしていたのは、大きな騒ぎにならない為の配慮だろう。仮に鏡華との会話がなんらかの形で夜舟に流れてしまっていたとしても、その情報通りに秋人が現れるという保証はない。秋人を拘束、あるいは殺害するだけならば、もっと手早く実行に移す手段などいくらでもある。社にいる間に毒を盛ったり、背後から奇襲すれば無抵抗のまま事を終えられる。それなのに、あえてこんな回りくどい手を選んだのだ。こういった蛮行は限られた者のみに認知されているか、あるいはこの件を知られたくない人物が身近にいるかのどちらかだろう。

 

 恐らく後者だろうと、秋人は思った。今や久世の鬼畜の所業は露わになった。それを前提とすれば見方は逆転し、これまでの夜舟は鏡華には甘すぎた。そういうことなのだ。

 

 しかしながら、秋人が門の外に出るまで行動に移せなかったのは、鏡華の介入による誤算であった可能性の方が高い。夜舟はこちらの動きを完全には察知していないのだろう。だとしても油断は禁物である。これほど用意周到ならば、夜舟は己のそれだけでどうにかなるとは考えていないはずだ。

 

「もし叶うのならば、彼女が笑顔でいれるよう、これからずっと鏡華を支えていきたい」

 

 このまま背を向け、逃れることは可能だ。視認は出来ないが、夜舟の近くにどれだけの人数が控えてようと、女性の足や腕力に負けるとは思えなかった。 ただ、夜舟の持っている物の殺傷力が距離をものともしない代物だったなら、それは悪手になる。秋人は夜舟を視界から一瞬たりとも外せなかった。

 

「それはよもや儚き願いよ」

 

「……久世家当主夜船よ、ここで私を殺すか」

 

「何を言っておるのか分からぬな」

 

 あくまで夜舟はしらを切り通すつもりだ。その高圧的な態度に一切の乱れもない。門が開かれてしまったこの状況で、まだ取り逃がさない自信があるとでもいうのだろうか。

 

「私は知りすぎた。それに初めから帰す気などなかったのであろう」

 

 秋人の言葉にも動じず、夜舟は無言のまま足を前へ運ぶ。秋人は間合いを保つために、向きを変えずに同じ歩幅だけ後ろへ下がった。

 

「……そのつもりは毛頭ないが、例えここで死ぬことになったとしても悔いてはいない。私は鏡華に出会えたことに、人生の意味を見出せたのだから」

 

 秋人はこの場を逃れる為に夜舟に媚びているわけではなかった。それはまごうことなき本心であった。すると夜舟は踏み出した足を止め、鋭い眼光で秋人の目を見据えた。

 

「本当にそう思うておるか」

 

「ああ。ここへ来なければ死の危険に晒されることはなかったのだ。しかし、鏡華は命を懸けるに値する女性だ。故に、今この瞬間にも後悔などない。鏡華を知らぬ生涯など、まっぴら御免だ」

 

 夜舟はしばし秋人を見つめた後、片足を引き完全に静止する。そして両手を解き、体の横へぶらりと投げ出した。

 

「そうか。お主の鏡華への想い、しかと見届けたぞ。この夜舟、当主ではなく母として、お主を鏡華の夫と認めようぞ」

 

 秋人は咄嗟に身構えたが、夜舟の手には何も握られてはいなかった。一体どういうことなのか。まさか説得が目的だったわけではあるまい。いや、そもそも鏡華の口からすらも、これが命のやり取りだというようには聞かされてはいない。自分の間違った見解であったのだろうか。そう秋人の頭にさまざまな疑問が錯綜した。……その戸惑いが、命取りになったのだ。

 

 途端に秋人は背後から何らかの衝撃を複数受け、腰に焼けつくような激痛を感じた。

 

「ぐっ……あ……」

 

 振り返る余裕もなく、そのまま前に倒され地べたに押さえつけられた。

 

「無駄な足掻きであったな。内部はいつになく手薄であったであろう。幾刻も前から少しずつ、久世の人間を四方八方に外へ散らせ、隙なく包囲しておったのじゃ」

 

 刺された。それも一か所ではなかった。うかつであった。まさか門の外に待機している者がいるとは思いもしなかった。秋人は死に物狂いで唯一動かせる顔を上げ、夜舟に向けた。

 

「お主と鏡華との企てなど、私は知らぬ。じゃが、鏡華が私の考えを見透かせる様に、私もまた鏡華の考えを見透かす事が出来るだけじゃ」

 

 秋人は鏡華に急かされた意味を、今更ながらに思い知った。しかし、それを理解するには既に遅すぎたのだ。着衣越しに伝わる血の濡れ広がる感触と、急速に抜け落ちていく力と意識が、もはや助からぬ致命傷を受けたことを物語っていた。

 

「安心して逝け。この事について鏡華を言及するつもりも、罰せるつもりもあらぬ。……子も悪い様にはせぬ。お主に恨みはないが、これが久世に関わった者の末路であるのじゃ」

 

 気のせいか、夜舟の顔に一瞬、悲哀の色が滲んだように感じた。

 

……いつからだっただろうか。似ても似つかぬ夜舟の姿に、鏡華の姿が重なって見えるようになったのは。

 

 必要悪。辛うじて意識を繋ぎ止めていた秋人の頭に、その言葉が浮かぶ。やはり久世は大きな闇を抱えている。……それは断じて夜舟ではなかった。

 

「……柏木秋人、お主は立派な男であった」

 

 その夜舟の言葉を最後に、秋人の意識が戻る事は二度となかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜舟は遠い記憶を呼び覚まし、秋人を思い返してみたが、あれは正しい判断であったと改めて実感した。結局の所子の約束は破ってしまったが、あのまま秋人を生かしておくことは危険すぎたのだ。

 

 もしも秋人がうつけであったなら、赤子の性別を見極める猶予もあり、なんなら次の子を待つことも出来ただろう。しかし、秋人は聡明すぎた。すぐに久世の真実に辿りつき、世の広めようと画策を図っていたはずだ。

 

 強いて言うなら、秋人を久世に迎え入れた事自体が過ちであった。……鏡華はもう長くはないだろう。あれから十数年の間、鏡華は柊とは無縁だった。それがなぜ今になってて蝕まれてしまったのか。少し前から鏡華の挙動に違和感はあったものの、柊の初期症状とは程遠く、正常な思考を保っていたように感じられた。おそらくその後決定的な何かが、鏡華の心に柊を結び付けてしまったのだろう。

 

 夜舟がここを確認しに来た理由は、その原因の究明であった。しかし、これではっきりした。やはりきっかけはこの遺品であったようだ。この中二階は普段使われない物が酷く散乱していて、人が滅多に近づくことはない。秋人の遺品を鏡華から隠す為、あえて夜舟がそうしていたのだ。そして他の誰かが手を付けたことが分かるよう、簡易な仕掛けを施しておいた。それは目立たない程度に風呂敷を引き出しに噛ませておくこと。しかし先程観察した際にその形跡はなくなっており、結び目にも違和感があった。現状から察するに、十中八九、鏡華が発見したのだろう。鏡華は秋人の死を認識してしまったということだ。

 

 夜舟はなんとなく秋人の私物の一つ一つを、手に取って眺めていた。丸い硝子の付いた四角い箱型の機械。これは射影機というものだったか。機能的に写真機と同種の物だが、特殊な仕様になっていると秋人は言っていた。夜舟は手元で角度を変えながら凝視するも、その違いが良く分からなかった。と、そのうちに肘が積み重ねられた遺品に当たってしまい、ひらりと何かが舞い落ちる。夜舟は射影機を置き、足元のひとひらの紙切れを拾い上げた。この射影機で撮られた写真のようだ。その小さな枠内で、幸せそうな鏡華と秋人がこちらを見返していた。

 

 ちくり、と僅かに夜舟の胸が疼く。久しく忘れていた痛みだった。このささやかな愛を引き裂いたのは、老いぼれた血濡れの我が手だ。そこには、巫女のように柊を刻まなくとも、他者の呪いが無数にこびり付いている。……いつか贖罪の日が訪れるだろう。しかし、その時まで夜舟は足を止めることは出来なかった。

 

「.....これも定めよ。秋人よ、鏡華はくれてやろうぞ。元々そのつもりであったのだからな」

 

 絶対に災いを現出させてはならない。よって、これから夜舟は本当の鬼となる。しかし、せめてその瀬戸際までは良い夢を見せてやろうと夜舟は思った。それがせめてもの親心であった。

 

 

 

 

 

 最近、侍女の間で噂になっていた。とある廊下にて、どこからか呻きにも似た不気味な声が聞こえてくると。場所が場所だけに下手に探りを入れることが出来ずにいたが、耐え切れなくなった侍女の一人がついついその声を追ってしまった。元を辿っていけば、そこはやはり鏡華の部屋であった。

 

 その事実を知っても、出所があの恐ろしい夜舟の娘の部屋であった為、侍女達は見て見ぬ振りをするしかなかったのだ。

 

 ……耳を澄ませば今日も変わらず、漏れ出してきている。

 

 そうして侍女の注目を集める部屋の中で鏡華は一人、死人のような虚ろな目を浮かべていた。先程まで秋人に気に入られていた髪を、櫛で何度も丁寧に解していた所だった。

 

「あきひと、……さま」

 

 前に伸ばされた鏡華の手は、虚しく空を切った。

 

「かな、め……、わたしの……、かわいい……」

 

 要。確かに鏡華はそう口にした。鏡華自身が、遠く離れてしまった秋人との懸け橋になるように付けた、秋人の実子である最愛の息子の名を。

 

 夜舟の手によって流されたはずの忌み子は、父とは真逆に鏡華に裏をかかれ、近くの村へ逃がされていたのだ。要は乙月家の養子として零華と出会い、今もまだ生き続けている。

 

「ねいりゃ……さよ……、は……たて」

 

 鏡華は幻を見ていた。それは絶望への序曲であるが、柊のせめてもの手向けの安らぎなのかもしれない。迎えに来た秋人と眠りにつく赤子の要を囲んで、鏡華は子守唄を歌う。この地に伝わる眠り巫女という歌だったが、子供に聞かせるにはあまりにも物々しい民謡であった。

 

 

 

 

ねいりゃさよ はたて

ねいりゃさよ はたて

なくこは かごぶね ついのみち

いちわらきざんで おんめかし

ねいりゃせな さかみはぎ

 

ねいりゃさよ はたて

ねいりゃさよ はたて

みこさん あわいに おきつけば

しせいぎ うがつて いみいのぎ

くもん ひらいて やすからず

 

 

 

 

 そう歌い終わると鏡華は、実体のない我が子を大切そうに撫でたのだった。

 

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