零 -刺青ノ聲-   作:柊@

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   -久世家当主(クゼケトウシュ)- 五ノ刻

 

 二日目の夜を無事にやり過ごし朝を迎えた夜舟は今後を見据え、社の構造を描きとめた和紙を天涯に渡した。部外者の侵入は許されることではないが、今の所祟りに対抗する手段もなく、天涯以上の立ち回りを久世の女達に実行出来るとは思えず、仕方なしに夜舟は一時的に黙認することにしたのだ。とはいっても、戒の儀に関連する区画はさすがに伏せざるを得ない。巫女の眠る棘獄に近くなればなるほど瘴気が濃くなり、人を狂わせてしまう。だから夜舟はその入口を記載せず、久世家の大まかな全体像を把握できる見取り図にした。仕上がった和紙にはその他の立ち入りを禁じる儀式部屋にくれたばつ印がいくつか点在し、通行出来ない旨を視覚的に訴えかけている。そこはどんな事があっても迂回するよう念を押して天涯に伝えた。

 

 そうして天涯と別れた後、空腹ではあったが食事を取る気力もなく、寝不足に社を駆け回った疲労が拍車をかけ、すぐさま自室で眠りについた。

 

 目が覚めたのは日が傾いた頃で、気づけば激しい雨が社を打ち付けていた。部屋はじめじめと淀んだ空気に包まれている。夜舟は僅かな不快感を感じ、頭頂部から毛先に向かうように撫でると、本来の流れに逆らうような乱れた感触が指の隙間を抜けていった。夜舟は櫛を取り、重く冴えない頭に響く天涯の言葉の傍らで髪を解き解し始めた。

 

 ……まるで考えもしなかった選択肢だった。天涯は、こんな冗談に迷いを見せるなんて君らしくない、と軽く笑い飛ばしていたが、あんな真剣な目を向けられたのは初めてだ。上手くはぐらかしたつもりだろうが、あれは本心であったのだろう。

 

 夜舟は少しばかり心を動かされていた。当主という身分を投げ捨て天涯とここから逃避してしまえば、例え世間知らずで俗世に馴染めず上手く生きられなくとも、天涯と共に支え合いながら一般的な生活を送れるのではないか、と。

 

 夜舟には儀式と無縁に生きる外界の者達を羨ましく思っていた時期があった。常に死の匂いが立ち込める血濡れの集落に生まれ落ちた自分には遠い世界。古くからの決め事であるとはいえ、やはり心のどこかで割り切れず、当主は人として大きな罪を背負うことになるという実感があったのだ。

 

 そんな久世に身を投じる中で、幼い頃に消し去った夢。そして天涯への好意を認識した瞬間に、押し殺した未来。それらが天涯の一言で、夜舟の脳裏に解き放たれてしまっていた。

 

 夜舟はその小さな胸の高鳴りに逆らうことなく、今しがた酔いしれた。そういった願望が自分の中にまだ存在していたことを素直に受け入れていた。どう否定してもそれは紛れもない自分であるからだ。今までであれば直ぐにでも拒絶し、邪な感情は内から滅ぼそうとしただろう。しかしこの目まぐるしく変化した環境を糧に、夜舟は考え方を変え、大きな成長を遂げようとしていた。

 

 嫌な事や望まぬ物から目を背けるのは容易い。そうして現実を否定し、向き合うことなく拒絶し続けているのが今の自分である。しかしそれではただの人、でしかない。楓が巫女になってしまった事に打ちひしがれ、母や祖母の死を直視し、自分自身の想いに向き合って、ようやく分かったのだ。

 

 情を制御するのではなく、思考を超越しなければ当主には成れない。巫女が人々の想いの依り代ならば、当主は祖先、あるいはその道を示した時代の意思の依り代なのだ。

 

 今の夜舟にとって最も大切な存在と呼べるのは、楓と天涯であった。しかし、他者には同じように尊く感じる者が別にいて、それは比べられるものではなく皆平等である。だから、天涯や楓であっても必要ならば迷いなく流さねばならない。なぜならばその志こそが、矛盾の無い大切な者達への救済であるからだ。 

 

 人々の複雑に絡み合う感情の連鎖から抜け出し、己の行動理念を高みまで昇華すべき存在になること。それが当主に課せられた使命なのだ。でなければ久世の歴史も人も、何も守れはしない。儀式の下正しい采配を振るい、弊害になるものは容赦なく切り捨ててゆくべきである。

 

 私情による分別は流された者達への冒涜でしかない。歴代の当主達の中にも、愛する人との別れという苦悩の決断を下した者もいたことだろう。それらを蔑ろにして、私欲を満たすなどあってはならないのだ。等し並みに犠牲を積み重ねるのが当主としての在り方である。

 

 これは誰かがやらなければならない事であり、当主として生まれた自分の運命だ。ようやく辿り着いた当主の道。一歩踏み出せば、もう後戻りは出来ない。……いや、もう決めたのだ。

 

 そう決心を固めた夜舟は思い立ち、もう一度儀式について洗うことにした。おそらくあの祟りとは破戒の前兆であり、まだ解決策はあるはずである。夜舟は身支度を整え軽く食事を済ませた後、足早に書物室へ向かった。そこにはありとあらゆる久世の歴史が刻まれた書物や文献が保管されている。蒼蓮が注視していたのは儀式に関する記述だけであったが、夜舟は本腰を入れて全てを閲覧するつもりであった。

 

 書物室に着いた夜舟は、普段読むことの無い客人向けに偽装された表向きの文献から歴代の当主の残した個人的な手記に至るまで、手当たり次第に調べ上げた。

 

 破戒に近しい記述が目に入れば何度も読み直し、他の情報と擦り合わせて深く考察してゆく。集中力を極限まで高め時間を忘れる程に没頭したが、やはり過去に祟りのような現象が起こった事例はなく、現在久世に降りかかっている災厄の実態は掴めなかった。

 

 ただ、拾い集めた知識を整理していくに当たって、見えてきたものもあった。基本的に棘獄にて眠りにつく巫女の未練が引き起こすものとされているが、破戒に至る過程はいくつかあるようだ。

 

 戒の儀まで巫女の役割を全う出来なかった者に行う逆身剥ぎを怠った場合と、もう一つ。刺魂の儀に関する文献のとある注意事項を、夜舟は指で読み取るようにゆっくりとなぞった。

 

 ……もしかしたら、と夜舟はぞっとした。見落としていたというより、経緯からして目に止まるはずもなかった。夜舟も実際に初の儀式を終えた楓を見ていたからだ。柊が顔に二か所しっかりと刻まれ、さも儀式が上手く行った様子であった。

 

 気づけばもう祟りが出没してもおかしくない時間である。

 

「天涯、そこにいるんでしょう」

 

 夜舟は振り返り、書物庫の入り口に目を向けた。

 

「……気づいていたのか」

 

 少し驚いた様子で天涯が顔を覗かせた。今日もそのつもりだったのであろう、手にはまだ火の付けられていない行灯が掲げられている。

 

「急いで何か細く尖った物を持ってきて頂戴」

 

「唐突だな。大工道具でもいいなら、鑿とかどうだろう」

 

「お願い。火と酒でしっかりと消毒をして、それを手に吊牢の間まで来て」

 

「祟りにそんな物通じるとは思えないが、何をするつもりなんだ」

 

 夜舟の中でそれはもはや確信に変わっていた。が、もし天涯に説明したら止められてしまうかもしれない。

 

「話は後よ。もう時間がないわ」

 

「分かった、君を信じる。先に行って待っていてくれ」

 

 天涯がその場を離れ、夜舟もまた吊牢の間へと駆けた。祟りの活動が本当に丑三つ時なのであればぎりぎりだった。天涯が到着するまでに、楓に確認しなければならない事がある。廊下や階段で何度も周囲を見渡してみたが、まだ祟りが現れた気配はなかった。どうにか間に合いそうだと、夜舟は額に汗を浮かべながら思った。

 

「……夜舟ちゃん。こんな夜にどうしたの」

 

 吊牢の間の襖を開けると、眠たそうに目を擦る楓が出迎えた。夜舟の心境は祟りに対する焦りから、楓への想いに移り変わった。遠からず失ってしまう安息の地。隣合うだけで、お互いの存在理由になれたというのに。巫女になった楓の顔を見る度に、夜舟の胸には締め付けられるものがあった。しかしそのような心中であっても、楓の柊による威圧感は感じられなかった。夜舟はようやく当主に近づけたのだと思えた。自分の感情を遠巻きから見ているような感覚。御するわけではなく、ありのままを受け入れて冷静に見定める思考である。そんな極地へと夜舟は辿りついていた。

 

「聞いたの。夜舟ちゃんのお母様やお婆様が大変な事になってしまった事。……とっても心配してたよ」

 

 楓は辛そうな声を出して、夜舟を気遣った。

 

「ありがとう、大丈夫。それより楓、貴女に聞きたいことがあるの」

 

 夜舟は言いながら、楓に接近した。すると楓は吊牢の中であることも忘れたように、慌てて後退し鉄格子に背中をがしゃんと勢いよくぶつけた。

 

「私、柊が刻まれてるよ」

 

「平気よ。顔を見せて」

 

 その言葉に安心したのか、楓はたじろぎながらも夜舟に近寄った。夜舟は鉄格子の間から両手を入れ、楓を頬を優しく包んだ。

 

「儀式の時、刻女に何かおかしい様子は見られなかったかしら」

 

 顔を引き寄せられ少し恥ずかしそうにする楓を、夜舟はまじまじと観察した。どんなに注意深く探しても、痕跡は見つからなかった。証拠を得られなければ、行動には移せない。夜舟に自信はあったが、刻々と迫る時間に追いつめられる思いだった。

 

「特に何もなかったと思う」

 

「そんな事はないわ。よく思い出してみて。針を入れる時に手元が狂ったとか、何かあったはずよ」

 

「……あ、そういえば、一度だけ針を落としたかも」

 

「それは、貴女の顔ね」

 

「柊を刻んでいる時だったけど、意識がはっきりしていなくてよく覚えてないよ」

 

 楓の一言で揺るぎない確証へと変わった。問題はどちらなのか、である。だが、これでいよいよもって決別の時が来てしまった。せめて戒の儀までは楓の親友でありたかったが、もはやそれも叶わない。夜舟はこれから行う自分の所業に身震いし、たまらず楓に話を切り出した。

 

「……ねえ、楓。私達は本当に仲が良くて、大切な友達だった」

 

 突然語る夜舟に、楓は不思議そうな顔を浮かべた。

 

「このままの関係が永遠に続くと思ってた。貴女が巫女になったとしても、貴女の儀式を取り仕切るのは母様の役目だったから」

 

 何かを感じ取ったのか楓は口を挟むことはせず、黙ったまま聞いていた。

 

「でも母様は亡くなってしまった。……そして私は当主になり、貴女は私が掛け持つ巫女になった」

 

 再確認するようにお互いの立場を告げ、夜舟は片目を細めた。

 

「だから許してくれとは言わない。恨んでくれて構わないわ」

 

「どんなことがあっても、私は夜舟ちゃんを恨んだりしないよ」

 

 そこで楓はおもむろに否定した。しかしこの後のそれを無くした楓が同じ事を言えるとは思えず、夜舟は頭を振った。

 

「貴女の親友である夜舟は、今日ここで死ぬ。いつか貴女が戒の儀を迎える時、今ここに置いてゆく貴女の親友だった私の心を、一緒に連れて行って」

 

「……夜舟ちゃん」

 

 楓はただ、ぽつりと名前を呟いた。

 

「夜舟、持ってきたぞ」

 

 天涯が呼吸を酷く乱しながら駆けつけ、急かすように夜舟の手をとり鑿を持たせた。慌ただしい天涯の様子に、夜舟はそれを確認せずとも状況が理解できた。

 

「あれは、何なの。もしかして、夜舟ちゃんのお母様とお婆様を襲ったっていう……」

 

 天涯と共に現れた異形の主に、楓は驚愕した。が、何か思う所があったのか楓は鉄格子から首を伸ばし、祟りを凝視する。

 

「あっ、でも、……あの人多分知ってる」

 

 化物風情の素性など考えもしなかったが、そう言われて夜舟はその正体に勘付いた。自分が知らず楓が知っているということはおそらく、巫女が見る寝目、あるいは忌目の中の人物であろう。どちらの意思が具現化したのかは分からないが、十中八九参拝者の想い人である女性と見て間違いはなさそうだ。

 

 やはり読みは完全に正しかった。あとは決意だけだ。

 

「いつまでも持ちこたえられると思わないでくれ。何か策があるなら、今すぐにでもしてほしい」

 

 ここに来るまでに天涯の体力は限界を迎えたのであろう。息と発声の順序が狂った言葉で夜舟の行動を促しながら、天涯は二人から遠ざける為、追ってきた祟りを引きつけた。夜舟は天涯の身を案じたが、振り返ることなく鑿を強く握りしめる。

 

「……楓、大好きだったわ」

 

 自らの想いを断ち切る様に、右手を天に振りかざす。そして柊が近く刻まれた方の、楓の左目に目がけて勢いよく下ろした。鑿の先端が楓の眼球に食い込み、真っ二つに引き裂いてゆく。

 

「あ゙あ゙っ」

 

 絶叫を上げる楓から鑿を引き抜き、夜舟は祟りを見た。祟りは未だ顕在で、天涯を部屋の隅へと追いやっている。

 

 蛇目(じゃのめ)。禁忌事項として、刻女は決して巫女の目にだけは柊を刻んではならなかった。現世を映しだすその瞳を通じて、柊が還ってしまうという言い伝えがあったからだ。……あれは刻女が針を落とし、楓のどちらかの目を掠めてしまった故の産物なのである。

 

「なんてことをするんだ。正気か、夜舟」

 

 人の事を気にかけていられない状況にも関わらず、天涯は夜舟を怒鳴った。

 

「……ごめんね、貴女の右目も潰すわ。結局貴女から光を奪う事になってしまった。けど、私もいつか報いを受けるから」

 

 夜舟は無心を築き、悶え苦しむ楓に向き直った。楓を傷つけた感触は手に残ったままだ。その気持ちが追い付いてしまう前に、終わらせなければならなかった。

 

「……そっか。これは、必要な事」

 

 楓はしばらく震えながら顔を覆っていたが、ゆっくりと顔から両手を離し、理解を示したように夜舟を見据えた。

 

「うん、いいよ。何も見えなくなるのは怖いけど、ずっと夜舟ちゃんと一緒だから。私の両目を、夜舟ちゃんにあげる」

 

 楓の左目から顎の先端へ流れる血筋を追うように、右目からも涙が零れ落ちる。楓は両手を目いっぱい広げ、夜舟を受け入れた。

 

「楓っ」

 

 周囲の空気ががらりと変わり、夜舟は再び柊の見せる幻覚に陥った。しかし、夜舟にもうあの時のような迷いはなかった。桜花ですら克服には至らなかったのだ。当主として、この後が正念場である。迫りくる大蛇に夜舟はもう一度右手を上げ、真っ向から勝負を挑んだ。

 

 大蛇が夜舟の喉に食いつくのと、鑿が楓の右目を潰すのはほぼ同時であった。不思議と楓への情緒が消え去ってゆき、元の世界へと帰還する。楓から完全に光を奪ったことで、真の意味で踏ん切りが付いたのだろう。

 

 今度こそと、夜舟は振り返った。天涯の目前に迫っていた祟りが、溶けるように消失してゆく。壁まで追い込まれていた天涯は力なくその背中を預け、ずるずるとへたり込んでいった。

 

「……儀式について詳しくはないが、なんとなく理屈は分かった。けれど、それをするのは僕でも構わなかったはずだ」

 

 顔を下げたまま、天涯は夜舟に目だけをくれた。

 

「当主である私の責務よ」

 

 両目の痛みに耐えかねたのか、楓は気を失った。ふらりと前に倒れ込む楓を夜舟は格子越しに受け止め、手から鑿がからんと音を立てて落ちる。もう元の関係には戻れない。互いが当主と巫女である以上、これは避けられない運命だったのだ。

 

 楓の朱に染まる涙が夜舟の腕に斑点を作っていく。楓の血が己の皮膚に染み込んでゆくかのような錯覚。その決して拭えぬ咎となる有様を、夜舟はただじっと見つめていた。

 

 初めて背負う罪。この楓の痛みを、生涯胸に刻みつけて己の役目を全うすること。これが未来永劫の盟約となる、夜舟の柊であった。

 

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