零 -刺青ノ聲-   作:柊@

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   -久世家当主(クゼケトウシュ)- 六ノ刻

 

 祟りの件からおおよそ一年程の月日が経った頃。その日、朝早くに夜舟は天涯を社へと招いていた。客間の一室に招待された天涯に畏まった様子はなく、気兼ねない態度で夜舟の前に腰を下ろしている。

 

「君から僕に声をかけるなんて、珍しい事もあるものだ」

 

 どこを見ているのかも分からぬ薄目で、天涯が言った。

 

「どうしても話したいことがあったの」

 

 あれから多忙の日々が続き、天涯と会ったのは指で数えられる程度だ。当主としてやる事が沢山あったのだ。儀式の遂行など一部に過ぎず、特に大きな仕事として当主は久世家および宮下の村の祭政を取り仕切らなければならなかった。そうした過密な予定をこなすのが精いっぱいで前のように境内の裏手で休む暇などなく、天涯とは公の場でしか顔を合わせていない。だから、こうして一個人として対面するのは本当に久しぶりである。

 

「それは今でなくては駄目なのか。棟梁様に無理矢理叩き起こされて、まだ上手く頭が回っていないんだ」

 

 久世の使いの早朝の訪問がよほど気に食わなかったのか、天涯は不満げに愚痴を零す。

 

「今日が何の日なのか、知らないとは言わせないわ」

 

「……楓の戒の儀が行われる日だろう。しかし、棟梁でもない僕には関係のない事だ」

 

 万が一の破戒を恐れて村がざわつく中で、天涯は呑気なものだった。確かに天涯に出来ることなど一つもない。他の皆のようにただ儀式が無事に終わる事を祈るくらいなものだろう。しかし、巫女は天涯も馴染の深い楓だ。何かしらの感慨を見せるべき場面であるが、天涯に語る素振りはない。楓についてはこのまま内に秘めたままである事を悟り、夜舟は本題に入るべく天涯に語り出した。

 

「楓から光を奪ったあの日、私は私を捨て当主の道へと一歩踏み出した。けれど今日、己の半身とも言えるその魂を鎮めなければならない」

 

「今更迷いでも生じたのか」

 

「いいえ。その覚悟が私にはある。だから、貴方の覚悟も聞きたいの」

 

 夜舟の言葉の意味を汲み取ったのか、天涯は僅かに目をしかめた。

 

「私は貴方の腕を認めている。すぐ怠けて手を抜く癖があるけれど、本気になれば他を寄せ付けない才能の持ち主だという事を知っているわ」

 

 世辞ではなく、事実天涯の腕は現棟梁のお墨付きであった。幼少の時から目まぐるしい成長を見せ、すぐに宮大工の中で誰も追い付けぬ程の技術を物にしていた。過去に桜花と宮大工の宿舎を訪問した際、大工のいろはも知らぬ夜舟ですらその天涯の腕前に見惚れてしまったくらいだ。しかし天涯は目立つ事を嫌ってか、いつからか周りに合わせてその非凡さを隠すようになっていったようだった。が、一度見せてしまった才を棟梁が放っておくわけがない。皆と同じ技量にも関わらず天涯がよく叱咤を受けるのは、棟梁に本当の実力を見透かされているからなのだ。

 

「僕に棟梁になれと」

 

「私の代の棟梁は、貴方以外に考えられない」

 

「何故そう思う」

 

「答えは貴方自身がよく分かっているでしょう。どうして、いつも私を気にかけてくれていたの」

 

 当主の座に就いてから、当然ながら夜舟は前以上に儀式関係者と接する機会が増えた。現棟梁とも直接何度か会話を交えていたが、いつのことだったか天涯の素行について話したことがある。棟梁の口から語られた天涯は夜舟の知る彼とは随分と印象が違っていて、取り分け寡黙で大人しい性格だということに面を食らった覚えがあった。生真面目という言葉が相応しい天涯は本来、大工の修業を投げ打って宿舎を抜け出すような人間ではなかったという。長年見てきた自由奔放で口達者な天涯は、彼自身が無理矢理演じてきた偽りの姿であったことに、その時初めて夜舟は気づかされたのだ。

 

 一体何の為に。意識して振り返ればすぐ答えがあった。幾度天涯の軽妙な態度に救われてきたことだろう。楓がそうであったように天涯もまた夜舟を気遣い、心の安らぎを与えてくれていたのだ。

 

「それは僕が君の事を……」

 

 天涯は躊躇っていた。夜舟は当主としてではなく親友としての最後の問いかけをしている。言える機会はもう二度と訪れない事を察知したのだろう。いや、それを告げた所で結果は変わらない。ここで打ち明けることになんら意味はなかった。だから、これは天涯の気持ちの問題である。

 

「君の事を、この久世を支える当主として相応しいと思っているからさ」

 

 天涯らしい返答だと、夜舟は思った。もはや初めから決定づけられていた関係であり、それに抗う事など出来ない。もしかしたら天涯の掟に対する蟠りは、これに起因するものだったのかもしれない。理解していても、天涯は夜舟に近づく事を止められなかった。ずっと苦しんできた末の、答えなのだ。

 

「なら、私に付いてきて。力を貸して頂戴」

 

 夜舟は別の形で天涯の手を取る事を選んだ。それが唯一の誠意で、無二の信頼の証。同じ罪の渦中に身を寄せ合うということ。ある種それは恋人や夫婦よりも深い絆で結ばれた関係であった。

 

「……分かった。僕は本気で棟梁を目指そう」

 

 それを受ける事が、夜舟に対する至極の敬意なのだ。忠誠こそが、天涯が夜舟に与えられる唯一の好意の形だった。 

 

「これで馴れ合いも終わりね」

 

 夜舟は人生の一区切りを感じ、深く息を吐いた。

 

「……なれば、私は久世の歴史に恥じない当主に成ることをお主に誓おう。天涯よ、必ず棟梁になるのだ。他の者に後れを取ることは許さぬ。日々、精進せよ」

 

 夜舟は当主になって早々に口調を改めていた。当主がいつまでもなよなよしていては久世の者達に不安を与えてしまう。未熟な夜舟は、その手腕で皆を納得させることは出来なかった。だからせめてその心持ちだけは伝わるよう、まず態度で表したのだ。それを天涯に使うというのは、今までの関係への決別の現れであった。

 

「仰せのままに」

 

 儀礼じみたやり取りに、互いに小さく笑う。この先天涯とは儀式を通じて様々な苦難を共にすることになるだろう。これが本当に親友としての最後のよしみであった。

 

 

 

 

 

 

 日の光の決して届かぬ深い闇の底に、刺青木を打ち付ける音だけが響き渡っていた。痛みを伴うはずの巫女は、かつて久世の少女であった周囲のそれらのように反応を示していない。

 

 夜舟は端の暗がりに潜む過去の巫女を照らす為、手に持つ松明をゆっくりと水平に動かした。その殆どが肉を纏わず白骨化している。……実に無残な姿である。戒の儀の周期は肉体を朽ちらすには十分な時間を与え、どれ一つ生前の面影を残してはいなかった。

 

 もはや生気など微塵も残してはいない躯であるというのに、数多の強い思念が発せられているかのように感じられる。魂魄すら浮かび上がって見えるのは、ここが柊の掃き溜めである所為なのか。

 

 常世海へと繋がる棘獄は死者の門に近く、地上とは比べものにならないくらい強く濃い瘴気に包まれている。だからごつごつとした岩壁に、無数の人の顔を彷彿させるのだ。目を泳がせている鎮女達を見れば、それが夜舟だけの幻ではない事は明白だった。

 

 夜舟は鎮女の最後の役目を見守った後楓に近寄り、その顔を見た。まだ死んでいるわけではないが、呼吸は浅く生命の維持すら覚束無い。少し前からこちらの呼びかけに答えられない程に深い寝目に落ちている。もはや楓の意識が現世に還ることはないだろう。

 

 幼気な少女を犠牲にし、言い伝えを守り続ける一族。それが、久世なのである。

 

 しかし、夜舟は正直もはや久世の事などどうでも良いとさえ思っていた。儀式の犠牲となり、礎となった者達の為に人としての禁を犯すだけで、因習の傀儡になるわけではない。ここで儀式を途絶えさせてしまったら、今まで身を捧げてきた巫女達の死や、楓の苦しみが全て無駄になってしまう。犠牲となった桜花や蒼蓮の志を途絶えさせてはならない。

 

 夜舟はこの場に集う無念の情全てを心に深く刻み、歴代の当主達の意思を継ぐ者として親友に別れを告げる。

 

「さようなら、楓」

 

 最後に横たわる盲目の巫女の姿を拝み、夜舟は己の記憶を塞ぐように棘獄の扉を閉じた。

 




※アンケート結果(2022年5月現在)
 
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