零 -刺青ノ聲-   作:柊@

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【壱】-刺青(シセイ)巫女(ミコ)- 一ノ刻

片目に広がる、白銀の世界。

そこには空も大地もなく、終わりない無形の空間が支配していた。

 

どうして私は、こんな景色を眺めているのだろう。

何かが半身を抑えつけ、身動きが取りづらい。

前に進もうにも手足の感覚がおぼつかず、その場で這うのが精いっぱいだった。

そう、私は今、うつ伏せに倒れているのだ。

 

……とても寒い。

今にも身体が凍り付いてしまいそうだった。

 

「……っ」

 

突然頭がズキリと痛む。

それをきっかけに徐々に意識が戻り始め、思考が正常に働き出していく。

 

……そうだ。

私は村の子供達に付き合い、雪遊びをしていたのだ。

山中を夢中で駆け回る子供達の後を追っている内に、村から大分離れてしまった。

これ以上先を行けば、村が視認できなくなる。

親を心配させまいと、ごねる子供達をなんとか言い聞かせ、道を戻ろうとした矢先の出来事だった。

 

篠突く雨のような音が、聞こえたのだ。

 

初めはただの耳鳴りかと思った。けれどそれは少しずつ膨張し続け、やがて鼓膜を突く程の轟音に変わっていった。

経験のなかった私は、何事か咄嗟に判断することが出来ず、怯える子供達をただ抱きしめることしか出来なかった。

 

得体の知れない脅威……、その正体は大規模な雪崩だった。

 

壁のように厚みを増した雪が、上方から津波の如く押し寄せてきたのだ。

誰が見ても逃れることは絶望的だった。

それでも私は必死に子供達を誘導し、一番近くに立っていた大木に身を潜めた。

そうして皆が手を強く握り、雪崩が無事過ぎ去るのを待った。

 

……そこから先は覚えていない。

おそらく雪崩に飲まれ、勢いのまま流される内に気絶してしまったのだろう。

体中に痛みがあるが、なんとか生き逃れたようだった。

 

どれくらいの時間が絶ったのかも分からない。

しかし、この寒空の下で、そう長く意識を失っていたとも考えられない。

でなければこうして目を覚ますこともなく、そのまま凍死していたはずだ。

 

……子供達はどうなったのだろう。

 

 

 

 

 

 零華は伸し掛る雪を払い除け、顔を上げた。

 

 砕氷を存分に散りばめた白色の風。荒れる吹雪が一寸先も見えぬほどに、周囲の輪郭をかき消していた。

 

 立ち上がろうとした零華を拒むかのように、強い突風が一つ駆け抜ける。長い黒髪がうねりながら重く靡き、濡れた着物からパラパラと水滴が舞った。零華は身を切るような寒気に大きく身震いし、自らの体を抱き抱えた。……頭痛と眩暈が酷い。気を抜けば今にも意識を失ってしまいそうだった。

 

 零華は折れそうな心に鞭を打ち、白む景色に目を凝らした。吹雪が完全に止むことはなさそうだが、それでも緩やかになる瞬間はあり、周囲の状況を露わにさせる。闇雲に動き回っても無駄な体力を消耗するだけだと考え、零華はその場に留まり、絶え間なく見え隠れする景色を注視した。

 

 延々と続く雪面、揺れる枯れ木……。幾度見ても特に変わり映えするものはない。人の気配など皆無だった。あれほど激しい雪崩だったのだ。皆散り散りになってしまったのかもしれない。そうだとしたら、こうして一人で子供達の行方を探索するのは賢明な判断ではなかった。子供の内の誰かを発見する合間の僅かな時間が、他の子供達の安否を左右しかねないからだ。それを繰り返してゆく度に、発見の遅れた子供の命は着実に削られていく。本来ならば先に村に戻り、大人たちの助力を得るのが最善の手だろう。しかし目先の不安でいっぱいになっていた零華には、どうしても一番遠いであろう村を探す気にはなれなかった。ここを離れれば、子供達の命も遠ざかってしまうように思えたのだ。身に起こった予期せぬ事態に、完全に冷静さを欠き、考えも視野も狭くなってしまっていた。だから零華は頑なに近場に子供達の痕跡がないかを探り続けたのだった。

 

 そうした何度目かの観察の時、ようやく零華の目は映りの乏しい景色の中で、違和感を覚える微細な変化を捉えた。一瞬、少し距離を置いた先で、雪面から何かが突き出ていたように見えたのだ。それを認識した瞬間、零華は走り出していた。考えている暇はなかった。見間違いだったとしても、手遅れになってからでは遅いのだ。いや、もはや一時の迷いで事態が悪化するような状況ではない。運良く怪我がなかったとしても、雪に埋もれた状態では生存は絶望的だ。願わくば、今が雪崩の直後であること。そうであれば、まだ間に合うかもしれない。そんな僅かな希望が、零華の足を前へと駆り立てた。しかし、そんな零華のことなどはお構いなしに、自然は猛威を振るい、相も変わらず気ままに苦難をあてがい続ける。次々と重ねるように穿つ向かい風に煽られ、なかなか思うように前に進めなかった。深雪に足を捕らわれ、一層に歩の勢いを殺されていく。それほど離れた場所ではないというのに、とても長い距離に感じられた。しかしもしあれがそうだったなら、一刻も早く助け出さなければならない。その一心で零華は気力を振り絞り、感覚の麻痺した足が絡まり転びそうにながらも、必死に駆け寄った。やがてその場に近づくにつれ、実体が明らかになっていく。

 

 やはり人の手だった。雪下から伸びるそれは、助けを求めるように半開きのまま固まっている。手首まで埋もれていて、誰のものなのかは分からなかった。

 

 零華は急いで周りの埋め尽くす雪を掻き分けると、すぐに見覚えのある子供の後ろ姿が眼下に現れた。焦る気持ちを抑え、子供の両脇に手を入れ、ゆっくりと引き出した。そのままうつ伏せの子供の首に、手を当てる。……脈は、感じられなかった。

 

 零華は固唾を飲んだ。自分が生きていたことでどこか楽観視していたのかもしれない。不安を抱きながらも、最後には誰一人欠けることなく村に帰れると、なんら裏付けのない理想だけを思い描いていた。しかし現実とは残酷なもので、身勝手な理想には大抵真逆の顛末を突きつけてくるものだ。いざこうして他者の死を目の当たりにすると、怖くて震えが止まらなくなった。当然と言えば当然だが、まだ年端もいかぬ零華は今まで人の死に遭遇したことはほとんどなかった。それもこんな身近な存在が亡くなることなど初めてのことだった。そしてその責任が少なからず自分にあるということ。勿論、ただ子供達に誘われ、付き添っていただけの零華を責める村人はいないだろう。それでも一番の年長者である以上、零華は責任を感じずにはいられなかったのだ。

 

 零華はここから逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。しかし、ここで諦めてしまえば、惨事の拡大は避けられない。己の命も、他の子供達の命も、もはや風前の灯なのだ。

 

 零華は覚悟を決め、小刻みに震えながら、目の前の子供を恐る恐る仰向けに返した。やはり一緒に遊んでいた子供の一人だった。よく悪口や無理を言って零華を困らせていたが、どこへ行くにもべったりと付き、一番懐いていた男の子供だ。数刻前まではしゃいでいた姿が嘘であったかのように、目を開けたまま顔を恐怖に歪ませている。身体は凍り付いたかのように、ピクリとも動いてはいなかった。

 

「そんな……」

 

 零華は男の子供の顔を抱き寄せ、泣き崩れた。

 

「御免なさい……、御免なさい……」

 

 この分では、他の子ももう……。

 

 最悪の結末が、頭をよぎる。このままでは、本当にそれが実現してしまう。体力精神共に窮地に追い込まれた零華は、ようやく成すべきことを認識した。一旦村に戻り、皆に状況を伝えなければならない。こんな凄惨な光景を目の当たりにしているはずなのに、瞼が重く、力が入らない。是戸際の決断だった。

 

「また戻ってくるから」

 

 零華は男の子供の見開いた目を閉じ、優しく頭を一撫ですると、後ろにまわした手を抜きそっとその場へ寝かせた。片手を突いてふらふらとその場を立ち、孤独に眠る男の子の顔に後ろ髪を引かれながらも、断腸の思いで気持ちを切り替えた。

 

 しかし、もう歩くのでさえやっとの状態なのだ。しらみつぶしに動くことは出来ない。なんでもいい、ここから向かうに値する指標となるものを発見できれば。村か、久世の宮……、そのどちらかの方向かが分かれば幸いだった。

 

 零華は吹雪の弱まる機を狙い、辺りに目を走らせた。この周辺で目に付く物はそう多くない。雪により原形を失った山の地形や自然物を指標に目測することは不可能だ。ましてこの悪天候の中では、ある程度の高さや広さがある物でなければ確認することは困難だろう。残念ながらここから直接村は発見できない。であれば、やはりあの大きな久世の宮だけが頼りとなる。

 

 

 村から少し離れた山の麓に立つ、久世の宮。零華が住む村よりも古くから存在し、独自の慣わしと歴史を刻む社。他者の死別と弔いの傷を喰らう蛇の巫女を崇めているだとか、永遠に目覚めることのない眠りについた巫女が祭り上げられているだとか、そんな根も葉もない噂をよく耳にする。きっと久世の逸話が世間を流れていくうちに間違って伝わり、尾ひれがついていったのだろう。事実、近隣に住む人間でさえ、あの社内でどのような神事が行われているか詳しく知る者はいない。久世家自体は重い悲しみに囚われた人々の心の救済、と銘打ってはいるが、頑なにその全貌を明かそうとはしなかった。なんでもその特殊な儀式は門外不出で、人々の精神を蝕む厄を払う為に行われるものらしい。確かその厄を柊と呼んでいたような気がする。

 

それに久世はそれほど外部への積極的な活動をしているわけではなく、その儀式は昔から密かに内輪で行われてきた因習のようだった。なぜなら、噂を聞きつけ救済を願って訪れた客人を拒むことはせずとも、久世自らそういった人間を探し回り、儀式に誘うようなことはなかったからだ。

 

 そのように、久世は儀式が人目に触れるのを極端に嫌い、久世家以外の人間を社内まで招き入れることなど皆無に等しかった。神聖を貫くが故の閉鎖主義なのだろう、それを象徴するかのような大きな外壁が、社と宮下の村をぐるりと囲っていた。社自体も他に見ない程立派で、独特の装飾の施された大きな建物だった。

 

 零華は皆と同様、こんなに近くに住んでいるというのに、久世とは全くと言っていいほど馴染みはない。例えうまく久世の宮へ辿り着いたとしても、久世に面識のない人間がすんなり助けてもらえるものか疑問を抱く限りだった。

 

 そう思うのにはまた別の理由もあった。

 

 この辺りで度々人が失踪する事件が起こっていた。どうも失踪者は久世の宮付近で足取りが途絶えることが多いようだった。ただ単に山を迷ってそのまま帰らぬ人となっただけなのかもしれないが、久世がそういった場所である為、久世の関与を疑う者が後を絶えなかったのだ。しかし、実際この地域は山深く、別の場所でも遭難が相次いでいる。久世も真っ向から否定していて、結局の所、真相は定かではなかった。

 

 そんな悪評が、零華の意思を揺るがせる。もしも久世が人さらいだったとしたら、自分はどうなってしまうのだろうか。ある意味この遭難に似た状況は、恰好の的ではないのか。

  

 しかしもう打つ手がなかった。藁にもすがる思いで、久世の宮を探すしかない。

 

 零華は四方をゆっくりと見渡した。ちょうど風が止んだ瞬間であったせいか、かなり鮮明に周囲の景色が伺えた。

 

 あった。

 

 呆気ないほど簡単にそれは見つかった。それほど吹雪が激しく、辺りを押し隠していたということだ。絢爛とそびえ立つ、大きな社。あれはまさしく久世の宮だった。

 

 零華に希望が満ち溢れた。良からぬ噂はあれど、その慣わしから少し俗世と隔たりがあるだけで、久世も自分達と何一つ変わらない人間であるはずなのだ。困っている人を無下に扱うことはないはずだ。そう零華は己に言い聞かせる。後は言うことの聞かない身体をどうにかしてあそこまで向かわせなければならない。一歩、また一歩と命を繋ぐ道を歩き出す。

 

 久世の宮がこの距離なら、村もそう離れてはいないだろう。そう思った瞬間、零華はピタリと歩を止めた。

 

 なら、得体の知れない久世などに頼るより、村に向かった方が断然良い。そんな分かりきった考えも浮かばなかったのは、村が発見出来なかったせいだ。久世の宮に身体を向け、右手側が山頂である。そして、雪崩に飲まれる前と、久世の宮の距離……、角度による景色がさほど変わってはいない様だったのだ。

 

「まさか……」

 

 零華は確かに、何もないことを確認したのだ。この向きで久世の宮の左外壁が見えるならば、本来後方にあるはずの村。再度確かめるように振り返ると、そこには何もなく、白一色に染められた大地がどこまでも続いているだけだった。

 

 零華は糸が切れたように膝から崩れ落ちた。雪崩は零華達だけでなく、村さえも跡形もなく飲み込んでしまっていた。

 

 唯一心を支えていたものが、失われてしまった。どう足掻こうと、初めから終わっていたのだ。悲鳴を上げ続ける身体に抗うことを止め、前のめりに倒れ込む。視界が掠れ、徐々に意識が闇へと誘われていく。

 

 誰も助からないのなら、自分だけ生きていても仕方がない。

 このまま皆と一緒に……。

 

 そうして零華は己の死の受け入れ、深い眠りについたのだった。

 

 

 

 

 零華が倒れて間もなく、雪を潰す沢山の乾いた音を連れ、ある一行が零華の下へ訪れた。先頭の老婆が首で合図すると、側近の者達が倒れ伏せる零華を抱き起こし、安否を確認し始めた。

 

「生きておるか」

 

 気を失っていた零華だったが、身体を動かされた感覚と、重々とした野太い声に聴覚を刺激され、ゆっくりと目を覚ます。

 

「あの雪に飲まれた村の子供か」

 

 零華の薄目に映る厳格な老婆が、顔を覗きながら尋ねた。

 

「……はい」

 

 朦朧とした意識を現実に引き戻す言葉に、零華は小さく頷く。

 

「私は久世家現当主、夜舟(やしゅう)である」

 

 名乗った夜船は矢継ぎ早に零華に問いかける。

 

「選べ。ここでこのまま死ぬか、久世の巫女となって死ぬか」

 

 唐突な詰問に零華は戸惑った。巫女になるということもそうだが、なったとしても結局死ぬことは避けられないという言い草だった。理解の追い付かぬ零華をよそに、さらに夜舟は言葉を続ける。

 

「巫女になれば、最後の儀式で必ずその命を捧げてもらわなければならぬ」

 

 久世の本性が垣間見えた一言だった。もしそれが事実なら、色々と合点がいく。なぜ久世は儀式を公にしないのか。失踪した人間はどこへ行ってしまったのか。おそらく全ては人身供物を主とした儀式が原因だったということだ。そんな人道に反する行為を古来から行っていたなど、到底信じられるものではなかった。しかし、険しい顔を浮かべる夜舟が冗談を言っているようには思えない。

 

「されどもし巫女になることを選ぶのなら、お主の村の生き残りの散策と救助は約束しよう」

 

 夜舟は付け足す様に、この上ない条件を零華に提示した。夜舟はこのままでは零華が助からない危機的状態であることを理解し、現状零華が最も望むものを見透かしているのだ。だから平気で久世の核心を明かし、既に答えの出ている問答を堂々と投げかけているのだろう。だとしても、まさにその通りだった零華に拒否する選択肢はあり得なかった。むしろ夜舟が絶望の淵から救ってくれる神のようにすら思えていた。

 先ほど見た限りでは村人の生存はほぼ絶望的だった。しかしまだ雪下で奇跡的に命を繋いでいる者もいるかもしれない。そうであるなら今すぐにでも助けなければならない。時は一刻を争う事態だ。

 

「なります」

 

 こんな死にかけの自分の命で救える命があるのなら、喜んで志願したい。それに要の両親が亡くなってしまったら、きっと要はとても悲しむだろう。微々たる希望でもまだ可能性があるのなら、それに賭けてみたかった。

 

「よろしい。此度は実に災難であったな。尽力を誓おう」

 

 合意を得た夜舟はほんの少しだけ表情を緩ませ、顔を側近の者達に向けて頷く。

 

「後のことは久世に任せ、今はゆっくりと眠るがよい」

 

 側近の者達は丁重に零華を持ち合わせの毛布で包み、二人がかりで担ぎ上げた。

 

 何も出来ない自分の代わりに、久世が皆を助けてくれる。多くの人は死んでしまうだろう。それでも、生き残ってくれている人がいると信じたい。零華は肩の荷が下りたように安堵し、柔らかい毛布に心地よさを感じながら再び眠りに落ちていった。

 

 

 

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