零 -刺青ノ聲-   作:柊@

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【終】-刺青(シセイ)(コエ)- ~逢瀬ノ寝目(ユメ)

 零華を乗せた吊牢を丸ごと飲み込んでしまいそうな、底の見えぬ暗闇が足元に広がっていた。地表に空いた巨大な空洞は奇妙な静けさを纏い、巫女を出迎えている。まるで漆黒の咢が獲物の到来を待ち構えているかのようだった。

 

 淵に立ち覗き込む静女達は様々な表情を見せている。雨音は普段通り落ち着いた面持ちで最深部を探る様に目を細め、時雨や氷雨は不安定な吊橋を目にし引き腰で怖気づいている様子が伺えた。一番の問題児である水面は相変わらずで、伸ばした手の平を額に当てながら目を真ん丸として、大の大人でさえ萎縮してしまうようなその景観を楽しんですらいるようだ。

 

 この奈落と呼ばれる大穴には螺旋状に設置された吊橋状の足場が奥深くまで続いている。その頼りない足場を渡るのは夜舟や鎮女で、まず巫女が先に縄伝いに下へ向かう。今まさに零華を乗せた吊牢が中央から垂らされ、夜舟の合図で最下層まで下ろされる手筈になっていた。

 

「会話を交えるのはここが最後じゃ。何か言い残すことはあるか」

 

「……いえ」

 

 辛うじて聞き取れる夜舟の言葉に、零華は愛想なく短く答えた。気になることはあった。早くに会えなくなった露葉の事と、何かと手を焼いてくれた鏡華の事だ。繋がりを絶つ痛みは先の儀式で洗い流されたが、ただ純粋にその後の二人の様子が知りたかった。しかし、狂ったように押し寄せる絶え間ない聲が心身に酷く障り、こうして捨て鉢にならざるを得ないのだ。まだ社を離れて間もないと言うのに、今までの比ではない激しい柊の呻きが現実から五感を途切らせてゆく。もはや気力ではどうにもならない程、零華は意識と身体の乖離に襲われていた。

 

「そうか。……お主の名は久世で永遠に語り継がれるであろう。誰が忘れても、久世は巫女達の犠牲を忘れることはあらぬ」

 

 冷淡な形相とは裏腹に、夜舟から温情が感じられた。零華にとって夜舟は最後まで掴めない人間だったが、今になって少しだけその心内の機微を読み取れるようになっていた。なぜならば、夜舟の言葉は全て嘘偽りのない本心だったからだ。柊の聲に苦しむ巫女の意識を引き戻す力が、常に夜舟にはあった。生半可な想いでは忌目に堕ちた巫女には届かない。それは巫女を深く理解してようやく成せるものなのだ。表向きは厳しいが、当主というものはきっと誰よりも巫女の存在を尊んでいるのだろう。いつからか、夜舟は零華にとって幾ばくか心を許せる存在になっていた。

 

「零華よ、お主の鎮めの夢が安らぎに満ちていることを祈っておるぞ」

 

 最後に夜舟はそう述べると、縄を固定していた者達に向かって手を掲げた。夜舟と鎮女が見守る中、零華を乗せた吊牢は終焉の地へと下ろされていった。

 

 

 

 

 ……かん、かん、かん、と聲に紛れて微かに響く固い音色が、零華の意識を呼び戻す。

 

 暗闇に溶け込んだ零華の視界が次に現実を映し出したのは、鎮女達が四肢を打ち付けている時だった。度々意識を妨げる寝目のせいで、こうして場面が飛び飛びになってしまう。既に殆どの刺青木は手足の骨を砕き貫通しているようだったが、零華は痛みを全く感じてはいなかった。

 

 一方で、他とは違う違和感が右手にあった。零華は仰向けの体勢のまま顔を放るように横に倒し、辺りに目をくれた。そこには雨音の姿があり、奥には足の踏み場がない程に過去の巫女達が地に敷き詰められている。わざわざ顔の向きを変えたのは右手を請け負った鎮女の様子を確認する為であったが、先に目に飛び込んできたのはその凄惨な躯の数々だった。実際には骨ばかりのがらんどうであったが、なぜか零華には崩れ去った肉体の形をなぞるような、巫女達の横たわった具像が同時に見えていた。

 

 これだけの亡骸の数だ。嗅覚が麻痺していて匂いこそ感じないが、本来ならとてつもない腐臭が鼻をついていることだろう。柊をその身に刻んだ巫女達が行き着く先。棘獄とは、まさに巫女の墓場であった。

 

「気にしないで」

 

 発声が困難ではあったが、零華はなんとか声に出して戸惑う雨音に言った。

 

「……痛くは、ないですか」

 

 刺青木の先端が零華の皮膚に触れた状態で固まっている雨音の手が、ふるふると小さく震えていた。雨音の言葉は上手く聞き取れなかったが、零華はなんとなく察し、首を小さく振った。気づけば他の木槌の叩く音は鳴り止んでいる。零華は反対の方へ顔をやると、打ち付け終わった鎮女達が揃いも揃って木槌を投げ出し、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。あの雨音でさえ頭を垂れ、暗く沈んだ顔つきを見せている。いくら思慮の浅い子供と言えども、他者を傷つける心の痛みは感じるのだ。一番利口に思える雨音が躊躇ってしまうのも無理もないことだった。

 

 零華が近くに立つ夜舟に視線を注ぐと案の定、険しい面持ちを雨音に向けていた。零華は助け舟を出そうと雨音にゆっくりと向き直り、大きく頷いて見せる。それで決心がついたのか雨音は木槌を振り上げ、ついに刺青木を叩きつけ始めた。そのまま勢いを殺すことなく、雨音は自身の役目を全うしたのだった。

 

 そうして無事戒の儀の全てを終えた後、夜舟が鎮女を棘獄の外へ導き、無言で扉を閉め始める。零華の生涯に本当の意味で終止符が打たれる瞬間だった。

 

(要さん、どうか幸せに……)

 

 棘獄の扉から漏れる光が夜舟の手によって完全に遮断された後、零華は静かに目を閉じ、深い眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜舟達が棘獄を去ってから、既に数日が経過していた。体内の水分不足による飢餓と、四肢に刺青木を打ち付けられたことでの出血や化膿、さらに柊の重度の精神干渉で零華の命はもはや限界にあった。

 

 そんな中、意識の戻った零華は確かめる様に自身の目の辺りに意識を向ける。すると眼球を覆う被膜がぴくりと僅かな反応を示した感覚が脳裏に伝わった。もう身体は動かせないが、閉じられた瞼を開く事くらいは出来そうだった。

 

 零華は残された力と意識を集中させ、ゆっくりと瞼を押し開けていく。まるで他のものに働きかけるような、とても繊細な作業だった。死に際とはいえ、人間にとって当たり前の動作がこうも上手く行かないのは、柊による精神の侵食が大半の原因だ。目覚めた時から頭の指示と身体の反応の連結がほぼ途切れてしまっている。それでも半分程度ではあるが、儀式の終わりに重く閉じた零華の瞳は再び棘獄の淀む外気に触れることに成功した。

 

 ……同じだ。目を閉じていても開けていても、世界は変わらない。

 

 地上では例え夜であろうと慣れてくれば朧げな景色の輪郭が見えてくる。月明かりであれ、それは何かしらの微弱な光が注がれているからだ。しかし、この棘獄にはそんな僅少な光明さえも届くことはない。光の反射がなければそこに色彩はなく、瞳に映るものは何もなかった。

 

 零華はしばらくの間、ただ無感情にそんな虚無を見つめていた。

 

 すると突然、真っ暗闇の視界に一つの小さな明かりが灯った。柊の見せる幻のように何かを訴えかけてくるような思念はそこには無い。死後の世界があるなどという都合のいい考えは持ち合わせていなかったが、零華はいよいよ迎えが来たのだと思った。戒の儀は巫女と現世を別つ儀式だ。だから余程の事態でない限り、打ち付けられた巫女がまだ生きている内に棘獄の扉が再び開かれる事はありえなかった。零華があの世の使者であると勘違いする程に、それは非現実的な光景であったのだ。

 

 そんな零華の認識に反してゆらゆらと宙を浮遊する灯は、己の光を内だけに留めず一定範囲に広がり、周囲の濃厚な闇を薄めていく。かつ、段々と膨張するように輝きを増していった。

 

 そこまで眺めてようやく零華は気が付いた。良く見ればその光球の中には棘獄の岩壁と薄らとした人影が描かれている。零華は止まりかけの心臓が激しく脈打つのを感じ、大きな胸の高鳴りを覚えた。

 

 ……零華。 

 

 今も柊の聲が荒々しく耳打ち、幻覚を見せられている。けれど見間違うはずがない、その懐かしい姿を。忘れるはずがない……、その心地よい響きを。

 

 目先にまで迫った光に照らされ、やがてその人影が明らかになる。要だった。ずっと望んでいた、待ち焦がれていた人が、そこに立っていた。

 

「零華……、なのか」

 

 柊の聲をいとも容易く打ち消す暖かな声が、零華の耳に届いた。零華の顔に松明を近づけた要は初め驚いた表情を浮かべたが、すぐに親しみのある笑みを向けた。

 

「やっと会えた」

 

 零華の状態に思う所があるはずであろう要は、それを微塵にも出さずにただ零華との再開を心から喜んでいるようだった。

 

「ごめん、僕が間違っていた。こんなことになるなら、君の元を離れるべきではなかった」

 

 要はそう言い、顔に後悔を滲ませた。

 

「全ては君の為だった。零華……、君の事を思うが故に、僕は村を出なければならなかったんだ」

 

 要から初めて語られる真実が、零華の心を包み込んでいく。要と別れてからずっと知りたかった答え。やはり要に見捨てられてはいなかった。もはや詳しく聞くだけの猶予もないが、零華にはその事実だけで十分だった。

 

「とりあえず話は後にしよう。安心してほしい。僕はもう何処へも行ったりはしないから」

 

 今まで耐えていたのだろうか、そこで要の瞳から大粒の涙が零れた。要は零華が危篤であることを悟ったのだろう。しかし、要の目はまだ諦めてはいなかった。

 

(ごめんなさい……)

 

 それは零華の口から発せられることはなく、要には伝わらなかった。残念ながら、自分はもう助からない。死は目前に迫っている。

 

(……せっかく貴方とまた心が通じ合えたのに、もう一緒にいられない。私がいなくなってしまったら、この先ずっと貴方を悲しませてしまう。でももう無理なの。ごめんなさい……)

 

 そう零華は心の中で謝り続けることしか出来なかった。

 

「零華」

 

 身動き一つしない零華を見て、要は酷く唇を震わせ心配そうに呼びかけた。何も答えられない零華は居た堪れなくなり、酷く遠のいた感覚を手繰り寄せる。零華は目一杯の気力を振り絞り、口元を緩ませるだけの小さな笑顔を要に向けた。

 

 (貴方に会えて、本当に幸せだった……)

 

 要と離れ離れになったから、今まで散々だった。ずっと独りで寂しかった。けれどこうして想い人に看取られて逝けるなら、この人生もそんなに悪いものではなかったと、最後に零華は思ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし。

 

 

 

 

 運命は決して穏やかな幕引きを許さず、零華にさらなる悲劇を突きつけた。そんな儚い幸せを打ち砕く光景が、死にゆく零華の眼前に広がった。

 

 要の後ろの暗がりで、何らかの太刀筋が光ったのだ。瞬間、それは要の肩から背中を大きく引き裂き、真紅の雨を降らせていた。凶器と思われる物が要から引き抜き抜かれると、要は勢いのままに前へ倒れ込んだ。すると後方から手に持った斧から血を滴らせ、鬼の形相を浮かべた夜舟の顔が露わになった。

 

 零華の命が消える間際、零華の瞳が捉えたのは、零華に向かって伸ばされた要の手と、苦痛に歪んだ要の顔だった。要の背後にはさらに斧を打ち下ろし続ける夜舟の姿がある。

 

 要の手が地に落ち完全に動かなくなった所で、ようやく夜舟は手を止めた。そうなってなお要は零華から視線を外す事はなかったが、確実にその眼は零華を映してはいなかった。

 

 ……瞼を下ろす力もなく、拒絶することも叶わない。ただ、無情に涙が流れ出ていくだけだ。きっとこの涙には、血が滲んでいるに違いない。なぜならば、想い人が惨殺される様を見せつけられたこの目が、針で刺されたように痛いからだ。

 

 それは、刺青のような……。

 

 最後の柊が零華の眼球を這い回り、現実を喰らい潰してゆく。同時に空間がねじ曲がるように大きく揺らぎ、全ての巫女の骸から柊が亡者の形を成して解き放たれていった。

 

 (モウ…… ミタク…… ナイ……)      

 

 まるでこの世の全てに轟くような、重く悲痛な少女の慟哭が久世一帯を震撼させたのだった。

 

 

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