十数年前、久世の当主の娘が近隣の調査に訪れた民俗学者の男と恋に落ち、一人の赤子を授かった。久世に必要な女子の子孫を残し未来を繋ぐ為、当主は男を招き入れたのだ。
柊の封印の役割を担う宮大工という例外を除き、元来久世の家系は柊の器として相性の良い女だけで構成されていた。跡継ぎを生むには男は必要不可欠ではあったが、それでも一徹して久世は男を身近に置くことはしなかった。女の情を引き付け、未練を残す存在となりうる男は、刺青の儀式において最も忌むべき対象だったからだ。その為、男は客人として赤子を授かる道具として扱われ、利用価値が無くなれば即刻排除される運命にある。
不運にも先の二人の赤子は男子であった。当主の思惑通りには行かず、用済みとなった民俗学者の男は始末される直前に久世から逃亡し、その後掟の元男子は四歳になろうとした頃に処刑を決行される。
しかし、この男子は母親である当主の娘の手助けによって死を免れていた。男子の死を装い、当主の目を欺いて当主の娘は愛する我が子を近隣の村へ逃がしたのだ。
……その時の赤子が、自分なのだという。父の名は柏木秋人。母親である当主の娘の久世鏡華と迎えの約束を交わしたものの、いくら待てども帰っては来なかったそうだ。
後に別の客人と鏡華との間に生まれた子供がこの雨音であり、自分にとって異父妹であるという。
「要兄様の故郷が災厄に見舞われ、この耳飾りをした零華様が久世の巫女として迎え入れられた後、母様から要兄様と耳飾りの経緯について詳しく聞いておりました」
雨音は少しよそよそしく、戸惑った眼差しを向けながら要に説明した。
「……僕は、久世の生まれだったのか。今まで自分の隠された生い立ちを必死に求めていたが、真実がこんな手近にあるなんて思いもしなかった。しかし、色々と合点がいったよ」
要はたまに幼少期の記憶の断片が蘇ることがあった。どこか格式を感じさせる生家であろう風景や、とても優しい眼差しで自分をあやす美しい女性の姿が、日常生活を送る節々で度々目に浮かんでいた。
そして、雨音との偶然の出会いによって得られた思いがけぬ情報はそれだけではなかった。肝心の零華の所在についてである。雨音の話によれば、故郷の難を逃れた零華は、現在久世の巫女として最後の儀式を終えた所なのだという。巫女の生贄によって成り立つ儀式である為、巫女はその命を捧げて儀式の終わりを迎える。既に零華は、暗く深い闇の底で長い眠りについてしまったようだった。
「もう、零華様は生きてはいないのかもしれません……」
要の心境を察するように、雨音は苦悩の表情を見せた。
「それでも今は……、零華に一目会いたい。どうにかならないか」
非人情的な久世に対する怒りよりも、死の淵にいる零華への悲しみよりも、真っ先にそれが要に思い浮かぶ。
「無理です。要兄様の命の保証も出来かねます」
「頼む。なるべく迷惑をかけるようにはしない。……だから」
要は深々と頭を下げる。切羽詰まった様子で懇願する要に、雨音は困り果てた。
「眠りについた巫女に誰かを引き合わせるなど、前代未聞なのです。何が起こるか分かりません」
雨音はそれによって未知の脅威が迫ることを懸命に説くが、要の意思は固く顔を上げようとはしない。良い返事を貰えるまで、ここに居座る勢いだった。
「……」
雨音としては、非常に辛い選択だった。一番良いのは、当初の予定通り要がこれ以上干渉せず久世を後にすること。だが事情を知った要にそれはもう不可能だろう。残された道は、他の久世の者に知らせ要の身柄を押さえさせるか、久世の掟を破り要を棘獄へと案内するか、しかない。前者の選択を取れば、要は犯した罪から確実に流されることになる。
雨音は要を想う零華を幾度となく見てきた。自分の兄だということは伏せてきたが、零華が語る優しい兄の面影に想いを馳せ、雨音は出来る事ならいつか会ってみたいと願っていた。その兄が今、零華の為に命を顧みず助けを求めている。二人の切望を叶えられるのは、雨音だけだった。
「……分かりました。零華様の元へと案内しましょう」
雨音は実際の兄の想いに触れ、立場を忘れるほど強く心を動かされた。そうして雨音は兄と共に、危険な橋を渡ることを覚悟したのだ。