零 -刺青ノ聲-   作:柊@

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   -鎮女(シズメ)- 二ノ刻

 普段着なれない巫女装束を正しく着るのは、子供にとって難題であるのかもしれない。

 

 露葉は寝惚け眼で両手に袴の帯をだらりと垂らし、首を傾げていた。久世の大人に何度も教えて貰ったのだが、未だどう結んでいいか分からなくなる。

 露葉が助けを求めるように視線を送るが、侍女はただ黙って様子を見ているだけだった。その無言の態度がどうにも怒っているように感じられて、慌てふためきながら試行錯誤を重ねてみるのだが、正解には一向にたどり着けなかった。

 

「……まず後ろへ交差させて、そのまま前に持ってくるのです」

 

 さすがにしびれを切らしたのか、侍女がついに重い口を開き露葉に助言した。

 

「それをまた後ろへ返し固く蝶々結びに……」

 

 露葉は言われた通りに背中に手を回し、帯の蝶を作った。

 

「そう、そうしたら今度は後ろ側の帯を持ち、前で蝶々に結ぶ」

 

「出来た。ありがとう」

 

 露葉ははにかみながら、小さく笑った。

 

「早く一人で着れるようにならなければ駄目ですよ」

 

 眉で八の字を作りながら、侍女もまた薄い笑みを返した。

 

 着替え終われば、後は大好きな零華の部屋へ行くだけだ。鎮女達は数日間の習い事を終え、まだ初儀式を迎えていない零華に対してではあるが、吊牢の中を想定した世話の一端を早くも実践していた。露葉は舞い上がり、足早に廊下へ出ていつもの方向へ曲がろうとした。

 

「ああ、露葉様、今日はそちらではありません」

 

 咄嗟に声をかけられ、露葉は足を止めた。廊下を戻り、襖からひょこりと顔だけを出し部屋の中を覗き込む。

 

「露葉様には特別な習い事があります。境内で当主様がお待ちになっております」

 

 それを聞いた露葉はいかにも嫌そうに顔を歪めた。あの堅苦しい時間をまた過ごさなければならない。久世のしきたりは難しく、聞いているだけで頭が痛くなった。特に、一番最後に説明を受けた戒の儀というのは最悪だった。自分達鎮女が、巫女である零華の手足を杭で打ち付けるのだと言う。何がどうなればそんな酷い事に繋がるのかさっぱりだったが、反論しようにも近くにいる夜舟が怖いので、こくこくと頷き分かったふりをしてその場をやり過ごしたのだ。

他の子の反応も様々だった。そんな無慈悲な話をあろうことか氷雨は熱心に聞き入っていたし、水面などは侍女に身を乗り出し、それでそれでと楽しそうに目を輝かせていた。ここへ来て何日か経ったが、久世の人間は大人も子供もどこか思いやりに欠け無情に思えてならなかった。この子達とは仲良くなれないし、零華姉様には絶対そんなことさせない。そう胸中で他の鎮女達に敵対心を露わにする露葉だったが、時雨の発言で少し考え直そうと思った。巫女様が痛い思いをするほど儀式は大事なことなのかと、心配そうに侍女に問いかけていたからだ。他の鎮女達と相対した姿勢の時雨を見て、皆が皆おかしな考え方を持っているわけではないのだと、露葉はいくばくか安心したのだった。

 時雨とは気が合いそうだと感じ何度か話しかけようとしたが、肝心の時雨は自分が余所者だからか一切目を合わせようとしてくれないので、結局一人ぼっちのまま今に至っていた。

 

「零華姉様に会えないの」

 

「これきりの辛抱です。明日からはまた会うことが出来ますよ」

 

 零華にべったりな露葉を知っている侍女は不憫に思ってか、いつもより柔らかな声調で露葉をなだめた。が、零華に会えない悲しみでいっぱいだった露葉はその気遣いに気づくこともなく、大きく肩を落としながらしぶしぶと玄関の方へ向かっていったのだった。

 

 

 

 

 

 真冬の真っただ中である現在、いくら晴れていようが外気は身体の芯まで凍てつかせる気温を維持している。戸を開けた瞬間、露葉はかちかちと歯を鳴らした。なぜ室内ではなく外なのか。目に映る辺り一面に積もった真っ新な雪が、元々やる気のない露葉の意欲を完全に削いでいく。震える両手に白い息をかけながら、やっとの思いで一歩外に出た。

 

「露葉、待ちかねたぞ」

 

 縮こまった露葉を、久世の大人数人と夜舟が出迎えた。苦手な夜舟よりもまず目が行ったのは、足元に置かれた大きな分厚い木の板であった。習い事に使う道具だろうか。

 

「他の子達はどこですか」

 

「今日はお主のみじゃ。付いてくるように」

 

 夜舟は短く淡泊に言った後すぐさま踵を返し、社に背を向け歩き出した。それに合わせ他の大人達も木の板を持ち上げ、夜舟に追従した。露葉は一人ということに不安になりながらも、夜舟の後を追った。進路の先を見やると、ぽつんと孤独に立つ建物が目に映った。どうやら境内の離れにあるあの建物に向かっているようだ。頑丈そうな石造りの蔵であった。少し歩きその蔵の前に着くと、何やら複雑な形をした鍵のかかった重厚な扉が現れた。大人達は木の板を置いた後、素早く鍵を開錠し、重く閉ざされた扉をゆっくりと開けた。

 

「うえ……、けほっ」

 

 露葉は思わず咽た。中から漂ってきたのは、今まで嗅いだことのない強烈な悪臭。あまりにも匂いが酷い為、露葉は中へ入るのを躊躇ったが、相対して夜舟は平然と蔵に足を踏み入れて行った。

 

「何を止まっておる。こっちへ来るのじゃ」

 

 夜舟が手をこまねいたので、露葉は仕方なく鼻を摘みながら蔵に侵入した。

 

「何、ここ」

 

 その光景は、はっきりいって異常だった。蔵自体は外見と変わらず中も至って普通の作りだったが、物置らしからぬ状態であった。布でくるまれた何かが、天井から縄でいくつもぶら下がっていたのだ。その大きさは大小様々で、得体の知れない液体が滴っている物もあれば、所々布が赤黒く変色している物もある。

 夜舟はそれらの隙間を歩き、一つ一つを立ち止まりながら目で確認し始めた。

 

「いくつか使い物にならぬものがある。後で始末しておくのだぞ」

 

 蔵の外で待機する大人達にそう言った後、さらに奥へと夜舟は物色を進めた。そうして夜舟はやや小さめの物の前で止まり、下部の布の境目に二本の指を引っかけた。

 

「この辺りであったか」

 

 夜舟がそのまま指を開くと布に隙間が生まれ、中の物がちらりと姿を見せた。

 

「ひっ」

 

 露葉は思わず悲鳴を上げてしまった。なぜなら、目が合ってしまったからだ。覗かせたのは、人の見開いた眼球だった。

 夜舟は指を抜き、今度はしっかりと布を掴み、下へと引き剥がした。すると口を半開きにし、青白くやつれた逆さの少女の顔が露わになった。

 

「これでも良いが、少し幼いか」

 

 納得がいかなかったのか、夜舟はその調子で次々と中身を確認していく。ここに吊り下げられていたのは老若男女余すことのない多様な死体達だったのだ。まさに地獄絵図だった。露葉は初めから夜舟には畏怖の情を抱いていたが、この時ばかりは心底恐怖した。淡々と死体の顔を見定める夜舟はもはや人間には見えず、まるで人間を弄ぶ妖怪か鬼の類のように感じられた。

 露葉は逃げ出そうと思った。ここにいてはいけないと、本能がそう言っていった。がくがくと震える足に力を込め、外へ走り出そうした瞬間。直後に夜舟が布を剥ぎ現れた死体に、露葉の体は硬直した。

 

「兄様」

 

 実の兄の顔がそこにあった。

 

「何。今なんと言ったか」

 

「どうして、兄様」

 

 露葉は吸い寄せられるように吊るされた兄の下へ赴いた。違ってほしいと願って近場でまじまじ見るも、それはどこからどう見ても血を分けた兄妹だった。

 

「露葉よ、勘違いするでないぞ。久世は亡骸を拾うただけじゃ。死にかけたお主には分かるであろう」

 

 夜舟の弁明など耳にも入らず、露葉は兄の顔を抱きしめ大声で泣き始めた。

 

「ふむ……、これは誤算であったな」

 

 さすがの夜舟もばつが悪そうに呟いた。わんわんと泣きじゃくる露葉に、さてどうしたものかと、夜舟は軽く握った手を顎に当てた。

 

「……いや、むしろこのくらいが丁度よいのかもしれぬ」

 

 夜舟は露葉の手を引き露葉を兄の死体から離すと、外の大人達に合図を送り、木の板を蔵に運び入れさせた。それは兄の死体のすぐ下に敷かれ、大人達は縄を切って兄の死体を木の板の上に落とした。その後死体を包む布を全て剥ぎ取っていく。

 

「やめて。兄様に酷いことしないで」

 

 大人達に飛びかかろうとする露葉を夜舟は制止した。そうして木の板に寝かされた兄の死体を前に、露葉は大人達から木槌と一本の杭を渡された。

 夜舟は大粒の涙を流しながらも状況が分からず、きょとんとする露葉の背中を押し、兄の死体の前に立たせた。

 

「どこでもよい。兄の手足をその杭で打ち付けるのじゃ」

 

 その信じられない言葉に、露葉はあの戒の儀という儀式を思い出し、夜舟の意図を悟った。夜舟は同じくらいの年ごろの少女の死体を零華に見立て、露葉に打ち付けさせる算段だったのだ。しかし思わぬ事態にあえて趣向を変え、こうして兄を打ち付けさせることにした。性別は違えど、兄であれば零華と同様に情が移り、より儀式の再現になると思ったからだ。

 

「出来ない」

 

 答えは決まっていた。零華にするつもりもさらさらなかった。

 

「案ずるな、お主の兄は既に死んでおる。痛みなど感じぬ」

 

「嫌っ」 

 

 否定し続ける露葉に、夜舟の顔色はみるみる悍ましいものに変貌していった。

 

「これが出来ずして零華を打ち付けられようものか。さあ、やるのじゃ」

 

 蔵に響き渡る怒号に露葉は怯むが、首を横に振り続けるのを止めなかった。

 

「そんな酷いことしたくない」

 

「……どうしても、出来ぬと申すか」

 

 先程の凄まじい剣幕を解き、夜舟は脱力しながらとても低い声で再度尋ねた。露葉は目に涙を溜めながらこくりと静かに頷いた。

 

「相分かった」

 

 その一言を聞いた大人達は、露葉の手から木槌と杭を受け取り、その場を片づけた。夜舟と露葉を中に残し、大人達は退散していく。

 夜舟はしゃがみ、露葉の目線に合わせた後、露葉の両肩に手を乗せた。

 

「辛い思いをさせたな。もう鎮女の役目はしなくてよい」

 

 そこにあれほど凄んでいた夜舟はもういなかった。

 

「……露葉よ、母や父に会いたいか」

 

 夜舟は今の露葉にとって何よりも望み、叶うことのない願いを口にした。鎮女が務まらないとなれば、夜舟の心はもう一つだった。

 

「会いたい。本当に会えるの」

 

 露葉は兄の事も忘れて素直に食いついた。久世の大人達に両親は死んだと伝えられていたのだが、それがどういったものかまだ理解出来る歳ではなかった。死の本質を、露葉は知らないのだ。

 

「ああ、会えるとも。……今すぐに」

 

 夜舟は露葉に初めて見せるであろう、優しげな表情を浮かべた。……そして露葉の肩に置いた手を、ゆっくりとその細く柔らかな首へと滑らせていったのだった。


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