零 -刺青ノ聲-   作:柊@

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   -鎮女(シズメ)- 三ノ刻

 その部屋に入った零華は、壮絶な圧迫感に襲われ息を詰まらせた。

 壁一面をびっしりと埋め尽くす、打ち付けられた無数の人形。なんらかの儀式の残痕である事は見て取れたが、あまりの物々しさに零華はたじろぎながら一歩足を引いた。

 

「これは、鎮女達による咎打ちにございます」

 

 先導する鏡華は振り返ることなく零華に説明した。

 

「忌目……、柊による悪夢に魘された巫女様が安らかに眠れるよう、人形を身代わりとして打ち付けるのです」

 

「そんな儀式があるんですね」

 

 鎮女は巫女の支えとなる。世話とは一般的な介護だけでなく、そういった精神の厄払いも含まれている。万全に戒の儀に赴けるよう、巫女の身も心も支援する存在なのだ。

 

「……最近見かけませんが、露葉はどうしましたか」

 

 この所世話をしに来る鎮女達の中に、露葉はいなかった。個人的な習い事があるとは聞いていたが、それからもう三日が経っている。露葉は自分と同じく久世の人間ではない。だから色々と学ばなければならない事があるのだろうと思っていた。しかし、こうして鏡華とゆるりと話せる機会が次にいつ来るかは分からなかったので、今の内に近況を尋ねてみることにした。

 

「露葉……、ああ、露葉様にございますか」

 

 身をピクリと僅かに震わせ、思わせぶりにゆっくりと鏡華は振り向いた。それきり口は動かず、鏡華の目は宙を彷徨う。言葉を探しているように感じられた。鏡華は露葉の現在を知らないのだろうか。

 

「伝えられていないんですか」

 

「いえ、そういう訳では……、ただ」

 

 鏡華は合わせた視線を逸らし、また口を止めてしまった。どうにも落ち着かない様子で、前に交わした手の平を絶えず絡ませ動かしている。明らかに動揺の色を隠せていなかった。こんな鏡華を見るのは初めてだ。まさか露葉に何かあったのではないかと、零華は段々と不安になっていった。

 

「……当主様が適任ではないと判断され、露葉様は鎮女の役から降ろされました」

 

 ようやく溜めに溜めて出た鏡華の言葉に、最悪な事態を想定していた零華はひとまず安堵した。

 

「あの子には向いていなかったんですね。きっと駄々をこねたんでしょう」

 

 零華は露葉に言い聞かせたことがあった。どんな儀式も嫌がらずに行わなければならない、と。その時話題に上がったのはやはりあの戒の儀であった。露葉は頑として拒否し、最後まで聞き入れてはくれなかった。露葉の零華を傷つけたくないという強い意志に、零華は涙が滲むほどに嬉しかったが、反面露葉の立場を憂慮せざるを得なかった。果たして当主様は許してはくれるのだろうか。そればかりが心配で仕方なかったのだ。

 

「今は宮下の村に送られ、元気に暮らしております」

 

 すぐに取り繕うように、その後の露葉について鏡華は語った。そこに相手の気持ちを真っ先に案じる優しさがあった。未だぎこちなさを残してはいるが、相手に対する忖度だけは忘れない所にいつもの鏡華らしさを感じた。

 

「そうですか。……本当に良かった」

 

 流されるのではないかと思った。余所者の自分達が我儘を言えるほど、ここは甘い場所ではない。まして儀式の妨げともなれば、久世に迎え入れられたそもそもの理由を失ってしまう。露葉は巫女ではなく鎮女であった為に、このような寛容な処置が取られたのだろうか。なんにせよ、結果として露葉が無事であったのならそれでいい。しかし、あくまで掟に従ってこその命。そこだけははき違えてはならなかった。

 

「中々言い出せなかったのは、これで零華様は露葉様と二度と会えなくなってしまったからにございます。事実をお伝えするのは酷かと……」

 

 深く考えていなかったが、確かにこのまま初の儀式を迎えれば、自分はもうこの社からは出られない。そして鎮女でなくなった露葉に社への立ち入りが許可されることはないだろう。まさしく今生の別れであった。 

 

「それは……、仕方のないことです」

 

 言葉とは裏腹に、零華は気落ちした。もう露葉の顔を見る事が出来ない。露葉が零華を慕うように、零華にとっても露葉は唯一の拠り所であった。同じ故郷の生き残りだからこそ、行き場のない孤独を互いに埋め合うことが出来ていたのだ。露葉は鎮女という立場以上に、零華の支えとなる存在であった。

 

 ……いや、むしろこれで良かったのだ。戒の儀はきっと露葉にとって大きな心の傷となってしまう。同郷の者の身体を穿つ痛み……、それが露葉に残る自分との最後の別れの記憶となる。ようやく村の皆がいない生活に慣れ始めた露葉にとって、あまりにも惨い仕打ちである。だから、本当に露葉のことを思うのならば、鎮女の役目を免れたことに喜ぶべきだ。

 

 しかし、こうなってしまった以上、ここからは一人で儀式に向き合っていかなければならない。零華は湧き上がる寂しさと不安を堪えながらも、必死に決心を固めた。

 

「でも、そうしたら鎮女は一人欠けてしまいますよね」

 

 気を取り直して、零華は鏡華に疑問を投げかけた。

 

「代役は、私の実娘の雨音が務めます。零華様、不束な子ですがどうか宜しくお願いします」

 

 深々と頭を垂れる鏡華に、零華は手を振った。

 

「頭を上げてください。様だなんて……。そんな畏まらないで、前のように話してほしいです」

 

「零華様は巫女になられる御方にございます。その身を対価として払い、苦しむ者の為に救済の手を差し伸べる慈愛深き祭神。一介の人間である私に、なぜ同じ肩が並べられましょうか」

 

 この上ない敬意を見せる鏡華に戸惑うも、いかにも鏡華らしい身の置き方だと零華は思った。夜舟とは全く正反対の態度である。おそらく当主の血を引く鏡華が未だその座に就いていないのは、この気質の違いが原因なのだろう。長きに渡り当主として君臨する夜舟こそが模範であり、その在り方を鑑みれば巫女への温情は必要ないことだということが分かる。それでなお、鏡華はこうして巫女を尊重してくれているのだ。

 

「分かりました。鏡華さんが少し遠い存在になってしまったようで残念ですが、敬ってくれていることは十分伝わります。そんな鏡華さんが私は好きですよ」

 

「有難きお言葉。……本当に御免なさい」

 

 鏡華は素に戻り、なぜか謝った。今、そのような場面であっただろうか。鏡華が隔てた互いの立場に対しての謝罪にも捉えられるが、それにしては言い方が妙であった。及ばぬ何かがちらりと透けて見えたようで釈然とせず、零華は素直に受け止められなかった。

 

「さあ、次に参りましょう。私の部屋に案内致します」

 

 零華の横を通り過ぎ、鏡華は部屋を出た。心に引っかかりを感じつつも、零華もその場を後にし鏡華の背中を追った。

 

 現在、零華は鏡華に連れられ、社内を見回っている最中だった。

 本来残りの生涯のほとんどを吊牢の中で過ごす巫女が、社内の構造に見識を深めること自体無意味な行為である。しかし零華は特別に夜舟からごく限られた条件下ではあるが、刺青の儀式後も定期的な社内の自由を約束された。だから迷うこと無い様、またいくつかの踏み入れてはならない場所を教わる為、こうして鏡華に引率されているという訳だ。

 

 改めてこうして歩いてみると、外から見るよりも大分広く感じられた。そして何やら回廊のような作りが意図的に築かれているようで、社内は極めて複雑に入り組み、一度拝見した程度では覚えきれる自信がなかった。

 

「簡単に説明しますと、このような構造がなされているのは眠りの宮と狭間の宮の影響にございます」

 

「眠りと狭間……、儀式上の構築物ですか」

 

「はい。柊を内に封じ込める為、全体的に囲むような作りになっております。そうして築かれた回廊をそれぞれの目的に合わせ、眠りの宮と狭間の宮と呼びます。久世に準じた宮大工達による技巧の賜物なのです」

 

 話しながら鏡華は一度辿った道を戻り、ぐるりと中央の中庭に沿いながら足を進め、途中で後回しにした方角に続く廊下へと曲がった。さらに奥へと向かい、いくつかの部屋を通り過ぎた後に鏡華は立ち止まった。

 

「ここが私の部屋にございます」

 

 零華は開け放たれた襖の先に目をやった。部屋の中には煌びやかな着物がいくつか飾られている他、大きな鏡台が置かれている。それ以外特に目立った物はなく、部屋の面積に対して少々殺風景な印象を受けた。

 

「こちらへ」

 

 零華は鏡台の前で手招きする鏡華に、言われるままに近づいた。鏡華が鏡台の引き出しを引くと、そこには一通の手紙が収められていた。

 

「これは、要さんの手紙ですか」

 

 鏡華はこくりと頷き、手紙を零華に手渡した。

 

「零華様の紫魂の儀が始まれば、私は零華様に近づくことが困難になります。ですので、手紙はここに入れておきます故、自由の許可の得た際には必ず確認しに訪れてくださいませ」

 

「有難うございます」

 

 零華は宛に書かれた馴染みのある癖字に、感無量の面持ちを浮かべた。まさかこんなに早く受け取ることが出来るとは思っていなかった。鏡華は約束の後、すぐに手配してくれていたのだ。

 

「ゆっくりと読みたいでしょう。その都度持ち帰って貰っても結構にございます。しかし、くれぐれも誰かに見つからぬ様に」

 

「でも、どう処分したらいいですか」

 

「今回は頃合いを見て私が受け取りに参ります。巫女になられた後は、吊牢から手の届く行灯の火に千切ってくべるか、刻女に渡して貰えばこちらで始末しましょう。私の息のかかった刻女にございますので、どうぞご安心を」

 

 零華はまだ刻女を見たことがなく、また鏡華もその面持ち故に抽象的に伝えていた為、どういった風貌なのか想像することが出来なかった。しかし顔を知らずとも、刺青を刻む時に必ず会うことを考えればそれも可能だろう。そう思い、零華は了承した後手紙を懐に仕舞い込んだ。

 

「そろそろ時間にございますので、広間へ戻りましょう。反対側から帰る道をお教えします」

 

 覚えることに必死で意識はしていなかったが、確かに頃合いかもしれない。もう大分社内を歩き回っていて、少々足に疲れが来ていた所だった。

 零華は頭の中を整理し、おぼろげな社の俯瞰図を思い浮かべながら、部屋を出る鏡華に続いた。鏡華は先の廊下を戻ることはなく、そのまま道に沿うように進んでいった。

 そうして階段を上って二階に上がり、大きく迂回しながら広間へ行く途中。鏡華はどういうわけか急に足を止めた。距離を置いていなかったわけではないが、周りに目を向けていた零華は気づくのが遅れた。鏡華は振り返り何か言おうとしたようだったが、勢い余って胸に飛び込んできた零華によってそれは遮られた。

 

「ご、御免なさい」

 

「い、いえ。それより、やはりこちらは……」

 

 零華は慌てて顔を離し視線を上げると、酷く取り乱した表情の鏡華が目に映った。何事かと思ったが、途端に漂う芳香に零華の気は逸れた。鏡華の清潔そうな甘い香りに混じり込む、最近嗅ぎ慣れた匂い。零華は顔を鏡華に向けたまま、視線だけを少し先の横の部屋に送った。目に付いたのは間に合わせであろう質素な祭壇と、小さな棺だった。

 

「あれは、誰かを弔っているんですか」

 

「予定が押していますので、お急ぎを」

 

 鏡華は問いに答えることなく踵を返し、零華を急かした。

 

「少し待ってください」

 

 零華は足早にその場を去ろうとする鏡華を、無理矢理呼び止めた。今日の鏡華は本当におかしい。具合でも悪いのであろうか。ここまで露骨だとさすがに気になって仕方がなかった。

 

「……あれは、流行り病で命を落とした、宮下の村の……幼子にございます。久世と縁があり、宮内で弔っているのです」

 

 零華は鏡華の体調を心配し伺おうとしただけだったのだが、鏡華は先ほどの質問を今更ながらに返した。とても歯切れが悪く、声に覇気がない。やはり調子が良くなさそうだった。

 しかし、どうやらあの棺の中には望まず死んでしまった子供の遺体が収められているようだ。唐突に、零華の脳裏にあの日雪に埋もれた子供の顔が浮かび上がった。

 

「結局、戻ってあげられなかった……」

 

 零華は静かに歩を進め、棺が置かれた部屋に入っていった。すると突然鏡華に勢いよく腕を掴まれ、廊下へと引き戻されてしまう。

 

「近寄ってはなりません。病が移るやもしれません」

 

 狼狽する鏡華の顔の前に、零華は手の平を向けた。

 

「大丈夫です。何もしません」

 

「ならば、決して棺を開けることのない様」

 

 鏡華の許可を得た後、零華は棺へと歩み寄り、前で座した。

 

「可哀そうに……。ゆっくりとお眠り」

 

 零華は棺の中の子供に村の子供を重ね、果たせなかった約束を噛みしめながら、あやすように棺を撫でた。

 

 ……あの時もっと上手く避難出来ていれば、あの子は助かっていたのかもしれない。死んでしまった責任は、少なからず自分にある。にも拘らず、こうしてのうのうと生きている自分に対し、嫌気がさす。

 

 零華は気づかないふりをしていた。半分報いとして、儀式を受け入れていることに。そう認識してしまった瞬間自我は崩壊し、きっと前の巫女のように柊に飲まれてしまう。それでは駄目なのだ。自分が生き残った意味を、死んでいった皆に示さねばならない。

 

 零華は覚悟を決め、ゆっくりと立ち上がった。

 

「時間を取らせてすみませんでした。鏡華さん、お身体は大丈夫ですか」

 

「ああ、気遣わせてしまい申し訳ありません。少し考える所がございまして……。もう平気ですのでお気になさらずに」

 

 鏡華のおかしな挙動はどうやら悩みが原因であったようだ。あまりに鏡華がしっかりしているように見えるので、心に不安を抱えていても表には出さない人なのだろうと、勝手な先入観に捉われていた。よくよく考えてみれば初めて会った時もそうだった。あの時も何かに悩んでいたのだろうか。

 

「それなら良かったです。あまり抱え込まないでくださいね」

 

 零華は微笑んだ後、時間を気にする鏡華を思い、自ら先に部屋を出た。身体を強張らせ、零華の一挙一動を食い入るように見つめていた鏡華は、零華が棺を離れたことにようやく緊張を緩ませた。そして、変わり果てた幼子を見つめ、思わず唇を震わせる。

 

「……最後に会えて、嬉しかったでしょうね」

 

 鏡華は零華の耳に届かぬ声で、小さく呟いたのだった。

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