零 -刺青ノ聲-   作:柊@

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【参】-宮大工(ミヤダイク)- 一ノ刻

濁りが増してゆくのを感じる。

得体の知れない何かが全身をゆっくりと這い回り、己を取って代わっていくような感覚。

宿主の自我に溶け込もうと、どこからともなく押し寄せてくるのだ。

張り巡らす警戒の糸を容易く擦り抜け、さらなる深層へと侵入してゆく。

それがそっと心に触れ意識と混じり合う時、本当の自分を忘れかけてしまう。

 

その慟哭は誰のものなのか。

その哀惜は誰に向けたものなのか。

 

胸中に激しく渦巻く、悲鳴と嗚咽と、苦悩に満ちた想い。

 

残された私は、どうすればいいの。

お前の代わりなんて、他にいはしないのに。

 

そんな聲が幾重にも重なり、波紋のように響き渡る。

 

生まれ落ちた瞬間に背負わされた、逃れられぬ運命。

死という別れが、人を狂わせていく。

 

張り裂けそうな痛みと共に、想い人を亡くした様々な場面が、何度も脳裏に入り乱れる。

顔を手で覆っても、それから逃れることは出来ない。

この世の地獄を、絶えず見せられ続けるのだ。

 

(もう、見たく……)

 

「……女様」

 

「巫女様」

 

 

 

 

───忌目(ゆめ)からの目醒め。

 

 

 

 

 何かが頬に当たる感触。そして、聞き覚えのある声。我に返ると、手ぬぐいを片手に心配そうに見つめる雨音の顔があった。さらに焦点が定まっていくと、ここがいつもと変わらぬ吊牢の中であることが伺えた。

 

 そう、私は久世零華。柊を身に刻む久世の巫女だ。

 

 零華は乱れた呼吸を整え、散らばってしまった己の欠片を必死に拾い集めた。

 

「大丈夫……、ですか」

 

「ありがとう。少し悪い夢を見ていたみたい」

 

 そう言って思い返してみるが、眠りにつく寸前の記憶はなかった。いつの間にか疲れて寝てしまったというわけではなく、それは突然意識が奪われたといった方が正しいのかもしれない。確かに変わり映えのないこの吊牢の中での生活は、正常な時間の流れを実感しにくく、こうして目覚めた後に初めて眠りについたことを認識することもしばしある。しかし意識が落ちるのと堕ちるのでは全く異なった入り方なのだ。……あれは間違いなく、夢ではなく忌目だ。

 

「いつもの自由時間の知らせに参りました」

 

 雨音は立ち上がり、手を差し伸べた。零華が合わせるように手を乗せ起き上がると、雨音は優しく吊牢の外へと誘導した。

 

「では、私はここでお待ちしています」

 

 頭を垂れる雨音に会釈を交わし、零華は吊牢を後にした。

 

 

 

 すぐそこに曲がり角のある廊下がやけに長く感じる。それに、時折左右の壁がこちらへ伸し掛かってくるような錯覚に捉われていた。どうにも先ほどの幻覚が抜け切れていないようだ。

 

 ……日々、現実と夢と幻の境目が曖昧になってゆく。

 

 零華は少し落ち着こうと、近くの丸窓に手をかけた。じわりと額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、外の景色に目を向ける。来た時より季節は移り変わり、あの忌まわしい白銀の世界は既に姿を消していた。地表には緑が覗かせ、ちらほらと春の花が色艶やかに咲き乱れている。どこか物悲しげに、薄紅の花弁がひらひらと大地に降り注いでいた。人がどのような運命をゆこうとも、こうして世界は廻る。零華は胸が締め付けられる思いだった。

 

 それとは別に、突如遅い来る哀愁。この桜の風景に知らないはずの情景が混ざり、視界をちらつく。これは、刻まれた柊の記憶だろうか。狂おしいまでの愛慕と、棘が刺さったような疼く痛み。

 

 零華は目を見開いたまま、どこか遠くへと意識が吸い込まれ、追憶の彼方へと誘われていった。

 

 

 

───寝目(ゆめ)への眠り。

 

 

 

 桜の木の下で泣いている少年と、それをあやす少女。大人びた少女に対し、少年は少しあどけなさを残していた。あれは姉弟であろうか。この伝わってくる悲しみから察するに、少女との別れを惜しむ少年の思い出であることが理解できた。

 

「泣かないで」

 

 少女は少年の涙を指で拭い、頬を摩った。

 

「嫌だ。離れたくない」

 

 少年は顔を歪ませ、悔しそうにせびるばかりだった。少女は静かに瞳を閉じ、ゆっくりと首を振る。

 

「ごめんね」

 

 ただそれだけを言い残し、少女は去っていく。絶望の中、俯く少年。そうして、無情に舞う花びらに掻き消され、少年少女の別れは消失した。

 

 

 

───寝目からの目覚め。

 

  

 

 気づくと、零華は丸窓の前にはいなかった。無意識のうちに社を彷徨い歩いていたようだった。

 

「ここは……」

 

 屋敷内の建設中の一角に足を踏み入れていた。ここは夜舟に来るなと念を押されていた場所であった。儀式の失敗により不安定になっている柊に対し、現在宮大工達が総力を挙げて回廊の増築に勤しんでいる。まさに真っただ中と言わんばかりに、所々外壁が打ち抜かれ、破片が辺りに散乱していた。

 

 夜舟に留まらず、鏡華にもきつく言いつけられていた零華に、この場へ出向こうとする意志などなかった。だというのに今自分はここにいる。最早自分が自分でないような気さえしていた。

 

 ……しかし、あれはどのような別れの記憶であったのだろうか。不思議な事に、なぜか自分はあの少年を知っている気がするのだ。

 

 そんな思考を巡らせ俯くと、足元に何か落ちていることに気が付いた。零華は屈み目を近づけてみると、それは花びらを模したこざっぱりとした細工の髪飾りだった。

 

 見覚えがあった。

 

 まだ巫女になって日が浅い頃に出会った、本宮に迷い込んだ一人の若い宮大工が持っていた物だ。彼は姉の形見だと言っていた。以前拝見した時もあまり上物ではなさそうだという印象を受けたが、今は汚れと傷みでより質素に見えた。なぜ、これが今ここにあるのだろうか。

 

 ……あれは、この半身を染める柊がまだ僅かであった頃の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巫女になって初めて自由の許可を得た日。人払いがされたはずの屋敷に、誰かいた。それも女ではなく、零華がここへ来て初めて見る男であった。

 

「あの……」

 

 零華に声をかけられた男は返事を返すこともなく、目を丸くしたまま硬直していた。

 

「私が、怖いですか」

 

 頬から瞼に走る蛇の胴を、真っ二つに大きく分け隔てた零華の瞳が、薄い切れ込みに変わっていく。そんな悲痛な視線を向けられた所でようやくその男は我に返り、大袈裟な身振りで否定した。

 

「いえ、そういうわけではありません。ただ、とても美しい方だと」

 

 零華は予想外の真逆の返答にきょとんとし、理解出来ずにいた。忌むべきこの姿に、この男は今なんといったのだろうか。

 

「……美しいって、私がですか」

 

「他に誰かいる様には見えませんが」

 

 それはまさにその通りだったが、そもそもその返し自体が間違っているのではないかと、零華は顔の刺青をなぞった。

 

「これが、見えていますか」

 

「はい、勿論。元より綺麗な顔がその刺青によって神秘めいて見えて、とても美しく思います」

 

 その言葉でようやくこの男が本気で言っているのだと分かり、零華の頬に熱が帯びた。

 

「ああ、しかし気になさっているのですね。その必要はありません。私だけではなく、誰が見てもそう感じるでしょう。それ程に美麗なお姿です」

 

 男は恥ずかしげもなく、立て続けに零華の容姿を褒めちぎった。零華は動転し、射抜くような男の視線からおもむろに目を逸らした。このように感情を動かされたのは久しぶりかもしれない。

 

「……わ、私はここで男の人を見たことがありません。それに、今は人がいないはずの時間……。貴方は誰ですか」

 

「ああ、すみません。私は新米の宮大工で社の外回りの補修をしていたのですが、構造をよく把握しておらず、屋敷内に迷い込んでしまいました」

 

「そうだったんですか。では今すぐにでもこの場を去った方がいいと思います」

 

 となれば男は誰の許可もなくここへ侵入したということになる。巫女に人を会わせない為の人払いなのだ。もしこれが夜舟に知れれば一大事である。男は静まり返る屋敷を見渡し、なんとなく事情を察したのか零華に同意を示した。

 

「それが懸命のようですね。……しかし、貴女は噂の巫女様ですか」

 

「はい」

 

「それなら少しお話とお聞きしたいことがあります。駄目でしょうか」

 

 そう言われ、零華は周囲に目を配る。無論、誰かに気づかれた様子はなさそうだった。もう手紙も回収した後で、まだそれほど時間も経ってはいなかった。

 

「……少しなら。本当に少しだけですが」

 

「有難うございます」

 

 礼を述べ、さっそく男は本題に入るべく懐からとある髪飾りを取り出した。

 

「姉の形見です。これをいつも肌身離さず持ち歩くほどに、私は姉をとても慕っていました」

 

 暗い面持ちで、男は髪飾りを見つめていた。

 

「数年前に金銭的な理由で嫁いだ姉が、しばらくしてその嫁ぎ先の村の大規模な火事で亡くなったと聞かされました。丁度ここの山を越えた辺りの村です」

 

 聞き覚えがあった。随分と前だが、確かに近隣の村でそのような火事があったことを村の誰かから耳にしていた。

 

「しかし姉らしき遺体は見つからなかったようでした。私はその事実に一時希望が湧いたのですが……。生きていたなら姉は必ず私に会いに来るはずなのです。けれど姉はその後一度も姿を現しませんでした」

 

「数年間、一度もですか」

 

「……はい。それで私は確信しました。遺体が発見されなかったとしても、姉はもうこの世にはいないのだと」

 

 何か事情があったにしろ、姉弟に対し数年間も無事を知らせに来ないのは不自然である。男がそう思ってしまうのも仕方がないし、それが現実である可能性も高いように思えた。

 

「私は姉を失った悲しみに打ちひしがれました。精も根も尽き果てた抜け殻のような身体で、それでも生きて行かねばならぬと職を必死で身につけました。そうして地方でこの仕事をしていた所で、久世の棟梁様の目に止まり今に至りましたが、あれからずっと私の時は止まったままなのです」

 

 男は髪飾りをしまい、顔を上げた。

 

「……おそらく姉は亡くなっていますが、このような不確かな場合でも巫女様は受け入れてくれるのでしょうか」

 

 零華は男の手を両手でそっと包み、顔を近づけた。

 

「当然です。とてもつらい思いをしたんですね。大丈夫、私が貴方の想いを背負ってゆきます」

 

 巫女になって初めて目の当たりにした、救うべき相手。目の前で打ち震える男に、心の底から助けたいと思った。そう、こういった人の傷を癒す為に今、自分は巫女としてここにいるのだ。

 

「……(なつめ)姉様」

 

 男の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

 

「棗、というんですか」

 

「……あ、申し訳ありません。どことなく姉に似ていたので、つい……」

 

 男は零華に姉を重ね、感極まって姉の名前を呼んでしまったようだった。

 

「巫女様のお名前はなんというのですか」

 

「零華。久世零華です」

 

「零華……、とても良い名前ですね」

 

 その響きを吟味するかのようにゆっくりと声に出し、男は讃嘆した。

 

「聞いてくださり感謝いたします。零華様、やはり貴女はとても美しいお方のようですね」

 

 男は零華の手をそっと離し、笑みを向けた。

 

「時間を取らせてすみませんでした。私はそろそろ立ち去ろうと思います」

 

「いえ、こちらこそ貴方に会えてよかったです。人に見つからない様、気をつけてください」

 

 零華は安全であろう帰り道を教え、男を見送った。そうして本来巡り合うことのなかった宮大工との僅かな邂逅は幕を閉じ、後に形を変えてその想いは零華の肌に刻まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姉を亡くした宮大工との偶然の出会い。後にも先にも、儀式の関係者以外の人間に会うのはあれが最後だろう。零華は己の手に握られた髪飾りを眺めながら、そんな出来事を思い返していた。

 

 ……変化の乏しい日常に埋もれて忘れてしまっていたが、あの宮大工は今元気に暮らしているだろうか。

 

 零華が物思いにふける中、それを阻むかのように、がさり、と何かが動いたような音が耳に入った。まさかあの時のようにまた誰かいるのではないかと顔を振ったが、当然そのようなことはなく特に周りに目立った様子はなかった。……では、一体なんの音であったのだろうか。零華は怪訝に思い、暫くの間辺りを観察していたのだが、結局音の原因を突き止めることは出来そうになかった。小さな穴を覗かせるひび割れた近くの壁を眺め、あらかたこういった亀裂の一部が崩壊した音だったのだろうと、零華は勝手に思い込むことにした。

 

 ……零華は多くの宮大工達が行き着く先を知らなかったのだ。

 

 とにかく、今は鏡華の部屋に行くことが先決である。今日はいつにも増して意識の飛びが激しい。もしかしたらもうあまり時間は残されていないのかもしれない。零華はひとまず髪飾りを懐にしまい、要の手紙の確認を急ぐことにした。

 

 そうして零華がその場を離れる中、内部からの圧力の負けて土壁の亀裂から破片がぽろぽろと床へ崩れ落ちた。無論、零華がその無念の残滓に気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから幾時が経ち、もう何度も迎えたであろう、刺魂の儀にて。

 

 零華は刻女に聞いておきたいことがあった。いつか見た寝目とあの日の宮大工の想いが零華の中で結びついたのは、今になっての事だった。そう、あの別れの記憶の少年は彼で、少女は姉の棗だったのだ。

 

 あれからずっと考えていた。あの宮大工は一人で作業していたわけではないはずだ。なのに他の宮大工から離れ、屋敷内に迷い込むというのはいささか不可解である。……だとしたら、何らかの目的があって自ら忍び込んだのではないか。

 

 これはあくまで可能性の一つに過ぎない。しかし零華はそれを問わずにはいられなかった。

 

「一つ、お伺いしたいことがあります」

 

 零華は横たわった体勢で、針を入れようとしている刻女達に問いかけた。

 

「なんでしょうか」

 

「お二人が携わった巫女に、棗という名の巫女はいましたか」

 

 視力を失っているはずの刻女達は、一致した呼吸で互いの顔を見合わせた。

 

「おりました」

 

「……そうですか」

 

 あの宮大工がどこまで巫女について知っていたのかは分からない。分からないが……、零華はやるせない気持ちでいっぱいだった。

 

 

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