宮下の村の外れに建つ、小さな屋敷。
こじんまりとした建物だったが、よほどの腕の立つ職人に造られたのであろう、そこには一般家屋には見られない技術と精巧さがあった。寸分狂いなく設計された壮麗な外観はいうまでもなく、その細部に目を向けてみても手が抜かれた様子はない。知識を持たぬ者すら魅了するほど木の継ぎ目が美しいのだ。それでいてとても頑丈で、機能性においても申し分はなかった。そんな万遍なく施された独自の組木から、並外れた匠の技が伺えた。
宮大工の棟梁である
……珍しい事だ。いつも使いの者に一任し、顔を合わせる機会など滅多にないというのに。
天涯は皮肉じみてそう思う反面、それがどういった事であるのかを、今までの経験からして予想は出来ていた。だからこうして、わざと酒の席を設けたというわけだ。
まだ寒さは抜けきれず、夜は冷える。だから手が震えるのだ。そう己に言い聞かせながら、天涯は酒に手を付けることなく、ただ耳を傾けていた。段々と近づく、土を踏む音に。
「天涯よ、おるか」
こつこつ、と戸を叩き、夜舟は呼びかけた。
「開いておる、勝手に入れ」
天涯に言われるまま玄関に上がり、夜舟はすぐ傍にある部屋へと顔を出した。
「久しぶりじゃな、天涯」
「夜舟よ、また老けたな」
出迎え早々失礼な言葉だったが、天涯なりの挨拶だと知っていた夜舟は特に気に留める様子はなかった。
「お主が酒を飲むのは決まって仕上げの日であるな」
近頃疎遠だったとはいえ、夜舟と天涯との付き合いはそれこそ幼少の頃からの腐れ縁だ。女や酒があまり得意ではなく、仕事一筋で俗世にはほとんど興味がない。夜舟はそういった天涯という男を知る一番の人間であった。
「ああ、儂はどちらかと言えば苦手な方じゃが、極上の肴を添えた酒はなぜか格段と上手いのでな」
「相変わらず酔狂よの」
夜舟は有り体に言い表した。蛮行の昂ぶりを肴に出来るというのは、その者が人格破綻しているに他ならない。天涯の生業……、それは、殺人である。柊を押し込める為の眠りと狭間の宮。その回廊の完成には、人柱が必要であった。多くの宮大工達を犠牲にし、壁に埋めなければならない。まさに事後であった天涯の言う肴とは、この行為そのものを示していた。
「お主もどうじゃ」
「分かりきったことを」
やれやれと夜舟は首を振る。当然天涯も夜舟が酒を一切口にしない事を知っているはずなのだ。
「つれない女じゃ。まあそこに座れ。さっそく昔話でもしようかの」
「そんな下らぬ話をしに来たのではないわ。ただの合議じゃ」
天涯の戯れをするりと交わしながら、夜舟は敷かれた座布団に正座した。すると天涯は目を異常なまでにかっぴらき、夜舟の顔を下から覗き込むように観察し始めた。
「やめい。虫唾が走るわ」
おそらく夜舟は心底そう感じているのだろう、顔に嫌悪が滲み出ていた。これも演出の一つであるが、夜舟がこのように思い込んでいるのであれば、天涯の思うつぼであった。長年刷り込んできたのだ。そうやすやすと見破られるわけにはいかなかった。
「……夜舟よ、何を迷っている」
目を据え、声色を低くして天涯が言った。
「何の事じゃ」
「まさか郷愁に駆られ、旧友を訪ねに来たわけではあるまい。それとも儂が恋しくなったか」
はっ、と、侮蔑を込めて夜舟は鼻を鳴らした。
「笑えぬ冗談よ。老いたのは貴様の方じゃ。耳が遠くなって合議という言葉も拾えなかったか」
「建前はな。いや、お主は本当にそのつもりなのかもしれぬ。しかし、長らく傍にいた儂には分かるのよ」
「戯言を。なれば申してみよ」
「……お主、今更恐れておるな。自分の来た道が間違いではないかと」
途端に夜舟の眉間にしわが寄った。
「ありえぬ。現についこないだ儀式の弊害となりうる子供を屠ってきたばかりじゃ。先を見据え、当主を重く自負するが故の所業よ」
天涯の主張を跳ね返すべく、夜舟は自らの行いを露わにした。
「……それか。加えて、鏡華にあてられたな」
「この夜舟が引け目を感じているとでも言いたいのか。そもそも鏡華は関係ないであろう」
鏡華の名が出て、夜舟は口調を荒げた。痛い所を突かれた証拠だった。
「儂を欺けると思ったか。お主にとって鏡華とは、捨てざるを得なかった自身の良心そのものよ」
警戒心を強める夜舟を尻目に、天涯は躊躇なく核心に触れた。
「お主が戸惑うのも分かる。なんの因果か、娘が不要とした己の半身を宿してしまったのじゃからな」
反論の機を伺っているのか、はたまた返す言葉が見つからないのか、夜舟は目を細めながら押し黙っていた。
「鏡華の言葉は、お主の本懐である。今のお主には残されてはいまいが、それを耳にする度にさぞかし心が曇ることであろう」
天涯は思うが儘に夜舟に伝えた。夜舟の怒りを買うのは目に見えていたが、これはいつかは言わなければならない事だった。
「夜舟よ、鏡華が度し難いのは、それが母への愛情そのものだからなのじゃ」
「……聞くに堪えぬ。口を閉ざせ」
わなわなと震えながら、夜舟は口を挟んだ。
「いや、言わせてもらおう。鏡華はお主の血を引く娘じゃ。本来なら心を押し殺し、当主としての責務を果たす事など容易い事よ」
鏡華の才を認めながら、いよいよもって天涯は夜舟の逆鱗に手を伸ばした。
「鏡華はな、お主の本当の姿を自らで体現しているのよ。当主であるが故に、全てを犠牲にしてきた母の代わりに、な」
「口を閉ざせと言っておる。それ以上は、棟梁の貴様とて許さぬぞ」
鬼の形相を携えた夜舟は、今にも襲い掛かりそうな勢いで警告した。その緊迫した空気を和ますように、天涯は小さくため息を付いた。
「……そうじゃな、言い過ぎたわ。話が逸れたが、儂がお主に言いたいことはそれを認めよということではない。むしろ逆じゃ」
天涯は改まって夜舟を強く見据えた。
「そのような脆弱な心など、切って捨てよ。鏡華は無能そのものである。それを再認識せよ」
「……」
「久世の前に、人の命など無価値。儂らの役目は儀式をいかに円滑に遂行するか。それだけじゃ」
無情に言い放つ天涯の言葉に、夜舟は表情を緩めた。
「その通りじゃ。殺人を嬉々として行う貴様は少々行き過ぎておるが、久世の人間として見習うべき模範である」
「そう……、儂らは呪われた一族じゃ。血を流すことでしか生きられぬ。ならばとことん突き進み、骨の髄までそれに染まるだけよ」
天涯は小気味よく言い切った。
「私は貴様の事は好かぬ。……が、その志は尊敬に値するぞ」
「それでよい。夜舟よ、当主としての覇道をそのまま邁進せよ」
天涯は夜舟に最後の激励を述べた。夜舟が立ち止まってしまった時、背中を押してやるのはいつも天涯の役目だった。
そうして迷いから抜け出す糸口を得た夜舟は、本来の趣旨を忘れてしまったかのようにふらりと立ち上がり、玄関へ向かっていった。
「仕事の話はどうした」
「気が乗らぬ。お主が素面の時にまた訪れよう」
夜舟は戸に手をかけた所で止まり、振り返った。
「……しかし天涯、今日はお主と話せて良かったぞ」
がらりという音を残し、夜舟は屋敷を去っていった。夜舟の足音が遠のいたのを確認した天涯は、一難が去ったと言わんばかりに、おもむろに脱力した。
「手塩にかけて育てた弟子たちを殺めて、酒が旨くなるわけがなかろう……」
天涯は己の人生を悟っていた。それは宮大工として高度な技術を身に着け、匠に成ることではない。夜舟をいかに支えていくか、である。その為には道化となり、結果狂人扱いされようとも構わなかった。
「惚れた弱みというやつか」
天涯は決して酔えぬ酒を、枯れかけた花の鉢に注ぎ込んだ。