恥ずかしながら処女作です。
温かく見守っていただければ幸いです。
その日の俺は、仕事を終えて夜遅く駅のホームにいた。
年度末で気合いを入れて山積みになった仕事のために残業が続く日々の一コマだ。
使い過ぎた頭が少し熱っぽく、ふらふらとしている。PCとにらめっこで酷使した目の奥がじわりと痛む。肩や背中の筋に石か何かが詰まったように重苦しい。
全身が溜まりに溜まった疲労を訴えている。
自分の身体を労ってやりたいが、後一週間くらいは休めない。せめて早く帰って飯食って寝よう。今は自分を騙し騙し働くしかない。
でも仕事が落ち着いたら、その時にガッツリと有給を取ろう。自宅でまったりしてもいいし、久しぶりに実家に帰ってみてもいい。
山、森、海、川と日本で揃う自然は揃っているわりに、不便というほど不便でない実家のある田舎町の風景が頭の中に浮かんでくる。ああ、ひさしぶりにアウトドアがやりたい。大自然の中でのんびりと過ごしたくなってきた。
故郷に思いを馳せていると、ふいに冷えた夜風が吹き抜けていった。それが一緒に細かな塵でも運んできたのか、チクンと目に痛みが走る。
唐突な痛みに対して、俺は反射的に目を閉じた。
そして。
目に感じた痛みがようやく治まって瞼を開くと、青い空があった。
嘘みたいな、本当の話。
一瞬前まで目の前にあった蛍光灯に照らされた駅のホームの風景が消え失せ、南国リゾートの写真もかくやと言わんばかりのコバルトブルーの海と、それよりはいくらか淡い空が視界いっぱいに広がっていた。
気づけばツンと鼻の奥を突いていた冷気は温く濃い潮の匂いに取って変わり、煌々と白く灯っていた蛍光灯の明かりは燦々と鮮やかに輝く陽光になっている。
今まで生きてきた中で培った常識を大きく逸脱した現象に立ち竦む。
どうにか状況を理解しようとしても、あまりの出来事過ぎて俺の脳ミソは情報を処理しきれなくなる。
やけにデカイ鼓動が耳に付きまとい始めた途端、その早い拍動に合せて重く鈍い痛みがオーバーヒートしてしまった頭の内側から響き出す。
今まで経験したことのない激痛に堪えきれずにその場で崩れ落ちてしまう。
身体がピクリとも動かない、声の一つも出ない。
このままじゃ、死ぬ、死んでしまう……!!
「ロイ君!?」
死を意識したところに耳へ滑り込む悲鳴のような少女の声と、こちらに近付く足音が何人か分。
痛みを堪えて何とか薄く開けた目だけで声と足音の方を向く。
そこには、見たこともない少年少女が3人。
高校生だろうか? 逆光で顔とかはよく見えないが、この大人とも子供とも言えない雰囲気はたぶんそうだろう。3人ともそろってライトブルーのラインが入った白ジャージを着ているところからして運動部部員とかかな。
とにかく人が来てよかった!
必死の思いで震える腕を動かして手近な少年のズボンの端を掴み、助けを求める声を喉の奥から絞り出す。
「たすけ…あたま、われる…っっ」
「頭が痛いのか!?」
問い質してくる声に、こくこくと頷く。
途端に3人の雰囲気がみるみる強張っていくような気がした。急に倒れて頭が痛いとなったら、ただ事ではないであろうことは誰にでも容易に想像がつくことだ。彼らも状況が極めて悪いと気づいたのだろう。
「動かさねえほうがいいだろ、これ」
「そうだな。ヒナ、教官を呼んできてくれ!」
「ええ、待っていて!!」
緊張の走った会話と、バタバタ駆けていく音が頭上を横切っていく。
これで助かるかもしれない、と思うと一気に張りつめていた緊張が解けた。
相変わらず頭痛は止まないし、本当に大丈夫かどうかも分からない。けれども、いったん抜けた気は戻らず、するすると体中の力が抜けていった。
「おい、ロイ!」
「ロイ、ロイ、しっかりしろっ」
側に残ってくれている少年たちがしきりに叫ぶようにして呼びかけてくる。
意識を落とすなという、焦っているような、怖がっているようなその呼びかけに申し訳なく思うが、これ以上意識を留め続けることは今の俺には難しかった。
(ごめん、少年たち。あとで意識が戻ったら謝るから)
そうして俺は、心の中で必死になってくれている彼らに手を合わせる。
(けど……こいつらがずっと呼んでるロイって、誰だ……?)
ふと湧き上がる疑問。今もなお少年たちが叫ぶ名は、俺ではない誰かのものだ。
そういえばどことなく彼らが親しげなのも気になる。なんというか、同級生に接するような気安さが感じられるのだ。明らかに赤の他人、それも年上の人間に対する態度ではない。
疑問について考えようと試みる。重大な問題が発生しているような気がする。
だが、やはり機能停止しようとする本能には逆らうほどの精神力はどこにもなく、俺はやむなく大きな力に引き離されるようにして意識を手放した。
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次に目を開けると俺はどこかのベッドに寝ていた。妙に硬いそれは、あきらかに普段使っているベッドではない。
どこだよ、ここ。なんだか被せられた毛布や頭を載せている枕も薬臭い気がする。
もしかして、病院、なのだろうか。
「オウ、目ェ覚めたか」
ぼんやりと見上げていたやけに高いコンクリ剥き出しの天井を背景に、ひょいっと覗き込んでくる年配の男性が視界に映った。白衣を着ていて、首には聴診器を掛けている。
多分、このおっさんは医者だ。じゃあやっぱり、ここはどこかの病院なのか。
「ここは?」
「医務室だよ」
「どこの?」
「どこって、てめぇ、士官学校のだよ」
「……え?」
俺の質問に怪訝そうな顔をしながらも医者は俺の目玉にライトを当てたり脈を図ったりし始める。
普通の病人に対する診察なのでされるがままになる。一通り終わったら、気分はどうだとか、頭は痛くないかとか問診され、少し考えてから問題はなさそうだと答える。
「ん、低酸素症の症状もだいぶ回復しているようだな」
「は…低酸素…?」
「お前なぁ、自分の能力で倒れるなんざ、身体張ったジョークかよ」
「……」
「ま、最初は能力者なんか皆そんなもんだ。気にせず制御訓練に励めばいいさ」
カルテに何やら書き込みつつ、ニヤニヤ笑いながら喋る医者に困惑気味の目を向けていると、ぽんぽんと大きな掌が頭のてっぺんに置かれた。
医者はポケットから出した錠剤を幾つか俺に渡し、それを飲み下すのを見届けると「安静にしていろよ」と言い置いて出ていった。
バタンとドアが閉まる音がして、一気に室内に静寂が満ちる。
窓から差し込む仄かな月明りだけの中、俺は深く息をついて目を閉じた。
ゆっくりと十数えて瞼を上げてみたが、広がる景色は変わらなかった。
「やっぱり、夢じゃない…」
どうしたものかと、とりあえず倒れる前の自分の中の記憶をたどる。
すると、なぜか二人分の記憶が浮かび上がってきた。
あり得ない出来事に驚いて、慌てて二つの記憶をなぞる。
その作業によって自分のことを思い出していき、ことの異常さにサァッと血の気が引いていくのを感じた。
俺の抱えた二人の人間の記憶。
一つは俺の記憶。ごく普通の日本人男性で、社会に出て数年のサラリーマンである俺自身の二十数年に渡る平々凡々な記憶だ。
そしてもう一つは、この身体の元の持ち主の記憶。十五歳になる少年で、今年遠い故郷からはるばる士官学校へ入学した、ロイという少年の記憶。
敢えてもう一度言おう。この身体の元の持ち主の名は、ロイ。名前はロイだけだが、あのロイ・マスタングだ。嘘でもなんでもなく、本当にロイ・マスタングだ。
漫画好きな者なら、一度は耳にしたことがあるかもしれない。
日本で有名な漫画『鋼の錬金術師』の主要登場人物の一人といえば分かるだろうか。
出世街道驀進中のエリート軍人にして最凶の焔の錬金術を操る有能な錬金術師。
まさにその人が、この身体の元の持ち主。
驚くのはそれだけじゃなかった。
その彼が存在するのならば、それはおそらく今いるここは鋼の錬金術師の世界と皆思うだろう。
が、このロイの記憶から引き出した情報にはアメストリス、イシュヴァール、錬金術や国軍といった特有の用語が無かった。
代わりにあった情報は、グランドライン、マリンフォード、悪魔の実や海軍。
どう見ても別の人気漫画『ONE PIECE』の世界の情報と用語だ。
身体はロイ・マスタングだけれど、生きている世界はONE PIECEって突っ込みどころが満載だ。
一番突っ込みたいのは、異世界の赤の他人の身体を乗っ取ってしまった事実だけれども。
「畜生、一体何がどうなってんだよ…!」
思わず零した言葉がやけに大きく室内に木霊し、また痛み出した頭に響いて気分が悪くなった。
痛みと吐き気を堪えきれずに、また意識を手放す。どうかもう一度目が覚める時は、元の世界でありますようにと願いながら。
にじファンからやっと移転してまいりました。
割烹で移転先変更のお知らせを出したとき時間がかかるといいましたがめちゃくちゃ早く移れてしまいました。
更新はゆっくりになりますが、どうぞまたよろしくお願いします。