焔の海兵さん奮戦記   作:むん

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赤犬襲来編です。


第10話 一つ目の岐路

 扉を開けると、どこかの組の事務所だった。

 非常に有名なあの一節のパロディが、頭の中を駆け巡る。

 昼食中に呼び出されてやってきた応接室の扉の向こうには、不本意ながら見慣れてしまった応接セット。そのソファの上座には、パーカーにコートを羽織り、海軍キャップの上からフードを目深に被った人物が一人。

 その人の背筋をピンと伸ばして座る様はどっしりとした格好良さがあるが、午後の日差しの逆光で作り出されたシルエット状態では、何やら不気味に見えた。

 扉を開けて絶句している俺の方に向く。物凄く鋭い眼光がフードの奥から飛んできた。

 

 あ、自由業の人だ。

 

 あんまりにも堅気らしくないそれに、脳ミソが勝手に騒ぎ出す。眼光も風格も尋常じゃないよ。明らかに一般人じゃないって。きっと若頭とかそのあたりだ。

 あの、士官学校の応接室は、いつから自由業の人の事務所になったんでしょうか?

 

「どうした? 早うこっちに来んかい」

 

 ドスの良く効いた渋い声が、俺を呼ぶ。

 ……駄目だ、これは逃げられない。逃げたら殺される、きっと。

 

「ハッ、失礼いたします」

 

 動きたくないと泣き叫ぶ身体中の筋肉に鞭を乱打して、室内に足を踏み入れる。無理矢理微笑みを作って敬礼をしてから、下座のソファに腰を掛けた。

 

 

 

 あの夏から、あと二ヶ月でまた二年が経とうとしている。

 暗い海に沈み込んで溺れかけていた俺も、どうにか士官学校を終えようとしている。

 あの時は、殺人のこと、人間兵器のこと、色んな恐怖や不安で本当に押し潰されそうだった。

 どっちを向いても真っ暗で、どこへ行けばいいのかもわからない。

 そんな真っ暗闇の思考の中にいた俺を助けてくれたのは、ドレークたちだった。

 俺の直面した現実や恐怖ごと受け止めて一緒に抱えてやると言ってくれた。余計なことを考えず頼れと言い切ってくれた。

 それが俺の心を引き上げて救ってくれたんだ。最後まで見捨てず、側にいて支えてくれる存在がある。それだけで不安は確実に軽くなった。実際に何が解決するというわけでも、解決してもらえるわけでもない。けれど、最後まで孤独にはならない、手を握っていてくれる人がいるということは、擦り切れそうな俺の心を確実に癒して落ち着かせてくれた。

 おかげで、俺はまだここに居られる。もう一度浮かび上がって、どうにか歩き出せている。

 本当にあいつらには感謝してもし切れないよ。良い友達を、親友を持ったと思う。

 未だあの日の不安は完全に無くなることなく引っ掛かり続けている。だが、整理だけは歪かもしれないが付いた。あいつらがいてくれれば大丈夫だという確信がある。

 

 うん。今は、そんな感じ。

 

 なんだか湿っぽい話になってしまった。

 とりあえず落ち込むこともあったが、この二年近くは平凡な学校生活だった。ちょっと不気味なくらい。いつ繰り上げ卒業させられるかと心の片隅でビクつきながら暮らして損した気分だ。

 まあ何もないおかげで平凡に青春ならではの楽しいことも、嬉しいことも、ワクワクすることも、たくさん味わうことができてよかった。

 特にこの一年、ものすごく嬉しいことが起きていたりするんだ。

 ものすごく俺が嬉しかった出来事といえば、これを置いて他はない。

 それは、身長が劇的に伸び出したことだ。そう、成長期がようやく到来したんだ!

 確か去年の春先あたりから、ガンガンと伸びている。もう毎月背の順で並ぶ度に、後ろへ後ろへ移動していくのが快感だった。もう気持ちよくて堪らなかった。

 ガンガン骨が伸びるに伴って起きる成長痛も、もうなんだかご褒美のよう。マゾじゃないけど、痛むたびに背が伸びるかと思えて顔がニヤけて止まらなかった。スモーカーに「きめェ……」ってナメクジとか見るような目で見られたのも良い思い出だ。

 今の俺はヒナより高い。だいたい頭半分分くらい高くなった。もう見下されてナデナデされたりしないとか最高だ。

 しかも、まだ伸びてるんだ。めっちゃくちゃ嬉しい。

 もう百八十センチ越えてるが、男性海兵の平均身長より低い。もう二十センチは欲しい。目指せ二メートル。

 それからさ。背が伸びるに伴って、体術もぐんぐん上達してきているんだ。六式の精度も上がってきているし、ナイフの扱いも同様だ。

 最近では学年の上位に食い込むレベルまで来た。これには四年生に進級して模擬白兵戦での能力使用が限定解除されたっていう部分が大きいんだけれども。

 そう模擬白兵戦で能力をほんの少しだけ使っても良くなったんだ。能力者の候補生は自分の能力を対人戦闘で実際に使用する予行練習のため、一般の候補生は能力者と如何に戦うか学ぶためにだ。

 最初の頃は対人、それも同期に能力を使うってすごく抵抗があった。もちろん訓練であるし使用制限は掛けてある。焔の錬金術は二発までとか、空気中毒技は禁止とか。それでも失敗したらとかやり過ぎたらとか思うと、もう本当に恐ろしかった。

 けれども訓練は訓練。やらなきゃならないし、とにかく万が一のことが起きないよう必死で能力の修練に励んだ。能力の修練は戦場なんかで敵を倒すためだけのものじゃない。きちんと自分のコントロール下において味方を傷付けないためにするものでもあるんだから。

 これで操作精度とか威力調整とかかなり丁寧に的確にこなせるようになった。

 最近じゃ原作ロイの最終決戦時ほどではないが、それなりの精度のピンポイント爆撃や速射もできる。まだ対人使用はしていないけれど、空気中毒技も目的に必要な濃度の見極めが大体わかってきたし、その他の物質の操作も一応思う通りできるようになってきている。

 任官しても十分やっていけると教官たちから太鼓判をもらえて、ちょっと嬉しかった。

 

 背が伸びたり強くなったりしたのはすごく喜ばしいことだ。

 本当に、喜ばしいよ。何の問題も出なけりゃ手放しに。

 四年生の模擬白兵戦は、今までと少し違うところがある。能力使用の限定解除もその一つだが、時々現職の将校たちが観戦に来るってのがあるんだ。

 何のための観戦か。理由は単純明快だ。勧誘のために他ならない。

 士官候補生は学校卒業後、軍の人事部によって各部隊にランダムで割り振られるのが基本だ。しかし本人が特定部隊への配属希望を提出した場合、それを考慮された上で辞令が下りる。

 勧誘はこれを利用して、卒業前に有望そうな奴を探し、面会して直接本人と話し、自部隊への配属希望を出してもらう将校たちの青田買い行為を指す。

 一人に付き勧誘できるのは三人までとか、無理強いしないで候補生の自主性に任すとか細々とした色々決まりがあるらしいが、有能な奴はどうしても欲しいと思うのか利用する将校はそれなりにいる。

 欲しい士官候補生を探す方法としては、座学の成績や実習の評価、教官の間での評判などを参考にするそうだが、一番よく行われるのが模擬戦の観戦だ。直に実力を確かめられる。

 観戦して良さそうな候補生をチェックし、その人物を調べて良いと思えば声を掛けるってパターンが多いんだとか。

 こうした将校たちの観戦は毎年の恒例行事と化しており、彼らの目が光る中で四年生は模擬戦を行うのが普通になっているんだ。

 

 さて、そういう事情のもとで、模擬戦で派手に勝ちまくる奴がいたら、皆はどうするだろうか?

 あいつ強いな、うちの部隊に来てほしいな、って思うのは当然だ。

 そうだな。インパクト大、攻撃力大の焔で勝ちまくる俺に、勧誘が殺到するのも当然だろうな。

 先月くらいからか。突如俺を訪ねて士官学校に何人もの将校が押し掛け出した。

 それだけでもテンパるのには十分な状況なのに、ほぼ全員が異口同音に同じことを言って迫ってくるんだよ。是非うちの部隊に来い、一緒に絶対正義を貫こうではないか、悪を倒し尽くす力が君にはある、って延々と熱く、時折引くぐらい過激に。

 そんな彼らから、原作で見た赤犬とか戦争編で過激発言かましていた人たちと似た匂いがしたのは、気のせいじゃないと思ったんだ。

 まさかと思ってこっそりボルサリーノ中将の元に相談に行ったら、中将とその場にいたリーヴィス大尉は勧誘に来た将校の名前を聞いて、ほとんどがサカズキ中将隊の人間だと教えてくれた。

 

 気のせいじゃなくて、もう泣きそうになった。

 赤犬やその思想に傾倒している人たちって、俺を前線送りにしたがってるって話を聞く以前から俺としては遠慮したい部類の連中だ。

 彼らの掲げる『徹底的な正義』。正義の持つ顔の一つを如実に表している考え方だ。 

 故事の『秋霜烈日』という言葉が良く似合う。これは司法の平等性とか厳格さを表す言葉だったと思うけれど、秋の霜や夏の日差しが分け隔てなく草木を枯らすのように、分け隔てなく悪を裁くといったところが徹底的な正義そのまんまだ。

 悪くはない。それ自体は悪くはないんだが、あまりにも平等性や厳格さを追い求めすぎている点が俺には受け付けない。あくまで正しくあろうとすると、きっと守るはずのものまでも、自分自身までも傷付けてしまうんじゃないかと不安を覚えるんだ。

 研ぎ澄まされ過ぎた刃のように、すべてを意図せず切り刻んでしまう可能性。俺にはそれが怖くて仕方ない。それに赤犬たちが気づいていなさそうなところも、また制御が利かなそうで怖い。正義に振り回されているようで、側に寄りたくない。

 そんなとこに行きたくないって途方に暮れていたら、やっぱりねェって顔したボルサリーノ中将がアドバイスをくれた。

 勧誘は嫌なら断ってもいいって。勧誘は一方的なものではなく、行使されることが少ないだけで候補生には拒否権がある。ノーを突きつけたところでこちらが不利になることはないのだと。

 ああ、絶対大丈夫って保障したげるよォと言うボルサリーノ中将の笑顔に、目の前が明るくなった気がしたよ。

 後々問題が起きないなら、返事はもう一つしかない。

 帰ってすぐに失礼にならないよう、上から下まで等しくお断りした。

 あんたらの正義に近寄るのも、最初から前線や激戦区に行くのも、人間兵器扱いされるも、まっぴらごめんだ。わざわざ自分で地雷原に突っ込んだりするものか。

 

 そう思って断りまくっていたら、予想外のことが起きた。

 断れば断るほど、勧誘に来る将校が増えたんだ。

 何故に増えるんだよ? 来た人にはどなたの部隊にも配属希望を出す気はありませんって返事したのに、その話を聞いたりしてないのか!?

 来ちゃったものは仕方ないからちゃんと一人一人断るけどさ。そしたらまた勧誘者が増える悪循環。

 これ、物量戦で心を折って頷かせる戦法ですか。そこまでして俺が欲しいんですか。まったくもって嬉しくない。

 最近はさらにドーベルマンとかオニグモとか原作で見た顔まで混ざり始めてきている。中々うんと言わない俺に業を煮やして、大物が出てきているってことなんだろうか。

 そうしてやってくる彼ら高級将校は、どうして勧誘を断り続けているのかをしつこく訊ねてくる。どうやら誰か断るよう吹き込んでいるんじゃないかと疑っているらしい。

 もちろん誰の指示も受けていない、自分の判断だって何度も言ったはずだ。

 あんまり信じてもらえていないけれども。

 嘘つくなよ、脅されてんのか、みたいなことを時に遠回しに、時に直接的に言われるが、生憎本当だから答えはいつも同じだ。

 むしろ脅しに掛かってるのはそちらじゃないですか? って返したくもなるけどグッと我慢して、自分の判断ですの一点張りで対応している。

 あまりのしつこさにグロッキーになりつつあったが、ここ二、三日前からなぜかパッタリ勧誘のための応接室へのお呼び出しが途切れていた。

 ようやく勧誘攻勢は乗り切れたかもしれん。そんなふうに油断してホッとしてた。うん、してしまっていたのが裏目に出たのだろうか。

 

 

 まさか、ここに来て親玉のサカズキ中将が降臨するとは……。

 

 

「どがァした?」

「いえ、何でもございません」

 

 地獄への直行便を前にして何でもないわけあるか、このオッサンめ。

 畜生、正面から向かい合うとやっぱり威圧感が半端ない。

 怖すぎてもう寮の部屋に逃げ帰りたくなってきたよ……マジで泣きそうです。

 

「さて、ロイ候補生」

「はっ」

 

 重く腹に来る低音が、おもむろに俺を呼ぶ。

 思わずビクッとしてしまった。失礼な態度だけどマジで怖いんだから仕方ないだろ。

 

「わしはまだるっこしいのが嫌いでのォ。単刀直入にいきたい。構わんな」

「は、はい!」

 

 返事をする声が若干上ずる。

 単刀直入ね。サカズキ中将らしい。婉曲な言い回しはしなさそうと思っていたけれど、本当に直球ストレートに来るんだ。

 うむ、というふうに頷いて中将は俺をしっかと見ながら口を開いた。

 

「では訊こう。貴様が勧誘を断るのは、誰ぞの指示か?」

 

 ……疑っているんですね、やっぱり。

 誰かに指示されて俺が断っているって、サカズキ中将も思っているんだ。同じことを今まで聞かれたけど答えなかったのは、口止めされてたからだとか、口止めしたのが結構な上位者で俺が話せないんじゃとか推測してついに降臨したってところか。

 でもさ、あいにく誰も俺に指示なんぞ出してないんだよ、中将閣下。だから誰がどうのって迂闊に言えないんだ。

 

「クザンか」

「……いいえ」

 

 答えあぐねている俺に痺れを切らしたのか、とうとうサカズキ中将は青雉、クザン中将の名を挙げた。

 残念ながら俺はクザン中将とほとんど面識ない。一回か二回挨拶した程度の人だ。何か言われるような機会はなかったし、あっちもわざわざ俺にそういうこと言ってくる理由もないだろう。

 たぶん犯人はこいつだって思って来たんだろうな。ソリが合いそうにないみたいだし、自分の邪魔をするならこいつって先入観もあるんだろう。サカズキ中将は確信に満ちた口調だったが、俺の否定で怪訝そうに目を眇めた。

 

「ならボルサリーノか」

「ち、違いますっ!」

 

 ないない。あの人、俺の配属先に関しては好きにしなァって言ってたし。

 俺に自分の部隊へお礼奉公の配属希望を出すようにも言い出さず、良い勧誘話があればそれを選んでもいいし、みんなと一緒にランダム配属でもいいと宣言している。俺の思うようにしろってさ。

 確かに二年前、サカズキ中将が俺を狙っている、意思を無視して戦場を引き回されるかもしれないから気をつけなよって言っていた。でも俺が自らの意思でそれでもいい、サカズキ中将の元に行きたいと望むならそれもまた良しとも言ってる。

 とにかくボルサリーノ中将は配属先に関しては全面的に俺に判断を尊重してくれている。濡れ衣着せられちゃっては気の毒なので、ボルサリーノ中将の関与はしっかり否定しておく。ついでに誰の指示でもないとも言っとこう。

 

「ならば、誰だ?」

「サカズキ中将。どなたも小官に勧誘を断るよう指示をなさっていません」

「誰ぞ庇っちょるわけではないんじゃな?」

「小官の判断でお断りさせていただいております」

 

 窺うように目を覗き込まれる。すべてを見透かそうとするようなその視線に背筋がゾワゾワと粟立ち落ち着かなさを感じる。

 だが此処で目を逸らすと嘘を吐いていると思われるかもしれない。怖かろうがなんだろうが、とにかく視線を合わせておかないと、と必死でサカズキ中将の三白眼を見返し続けた。

 

「なら何故断っちょる、理由を言うてみい」

 

 え、理由? あんたらの正義に近寄るのも、最初から前線や激戦区に行くのも、人間兵器扱いされるも、まっぴらごめんってことなんだが。

 ぶっちゃけてそう言っちゃいたいが、これじゃ真面目に答えんかァってブチギレさせてしまうかもしれない。絶対できない。

 うわ、どうしよう。適当なこと言ってもバレそうだ。ヤバイ、真面目な理由考えなきゃなんないじゃん。

 サカズキ中将は相変わらずすっごい顔で俺を見ている。思いっきり返答待ちの姿勢だ。は、早く答えんと……!!

 焦りでもうオーバーヒート寸前の頭を振り絞るけど、まったく良い案が出てこない。

 八方塞がりの状況で目の前がだんだん暗くなっていくような気がした。

 

 ああ、詰んだ。俺、詰んじゃったよ。無事に俺はこの応接室から出られるんだろうか。

 ……ものすごく不安です。

 

 

 

 

 

□□□□□□□

 

 

 

 

 件のロイ候補生が勧誘を断り続けちょると聞いたのはついこの間だ。

 優れた戦闘力を示す彼を、わしらは前々から部下に欲しいと考えとった。二年前、候補生の能力に関する報告を聞いて、それだけの力量を持っとるなら軍内でも有数の海兵になるじゃろうと見たからの。

 鉄は熱い内に打て、というワノ国の言葉がある。なるべく早い内からわしの手元で正義について学ばせるべきじゃと思った。

 絶対正義の何たるかを徹底して教え込み、その力を正しく悪を打倒するために使えるよう指導しちゃれば、将来は海軍を支える有力な上級将校になるはず。

 海軍のためにも、正義のためにも、世界の平和のためにも、ロイ候補生には是非そうなってもらいたいし、そうなるべきじゃろう。

 すぐに繰り上げ卒業をさせようと動いたが、あまりに年少過ぎるという理由で当時のコング元帥や修練の担当教官のボルサリーノ、そしてお節介焼きのクザンなどに強く反対され諦めざるをえんかった。

 だが、正式任官する今ならばもう問題はあるまい。誰の文句も出るまいと、意欲のある若い者をロイ候補生の勧誘に向かわせた。年の近い者の方が、ロイ候補生も親近感があるじゃろうし、比較的話しやすかろう。

 勧誘が断られる例は少ない。すぐに誰かの部隊への配属希望が出ると、思うとったのじゃがな。

 それからしばらくした頃に、ロイ候補生の配属希望が出たという報告の代わりに、ことごとく勧誘を断られたという報告が上がってきよった。

 最初に行った者たちの勧誘が断られた時は相性が悪かったかと思って、別の者を行かせておったそうじゃが、誰に対してもロイ候補生は首を縦に振らん。どう説得しようが『どなたの部隊にも配属希望は出しません』と繰り返す。何故かと訊ねても、勧誘を一切受ける気がないだけというばかり。

 これはおかしい、わしに指示を仰ごうとなったらしい。

 ロイ候補生が勧誘を蹴り続ける原因について、大方の者は誰かに断るよう指示されちょる、もしくは偏った情報を吹き込まれちょるのではないかと言う。頑なな態度からして、おそらくかなりの上位者がきつく言い含めている可能性があるじゃろうとな。

 だとすると、担当教官として側にいるボルサリーノ、もしくはわしと意見が対立しちょるクザンあたりが犯人か。

 いや、ボルサリーノがやっとる可能性は低いの。

 読めん男だが、公平で信用はできる男だ。こういった真似はせん。ロイ候補生の卒業後の進路は本人の意思にすべて任せると言うちょるし、実際に今何かしようとする意思や動きはあれにもその周りにも見られんしの。

 ならばやはりクザンか。あれの周りも勧誘に動いちょるのが幾らかおると聞くし、なによりわしのやることで気に食わんことがあると邪魔しに来よるのはあいつくらいのもんだ。

 二年前のこともある。どうやったかは知らんが、ロイ候補生に接触して忠告とかいう形で誘導しよったのじゃろう。まったく余計なことをしてくれる。ぬるく中途半端なたわけかと思えば、狡猾に物事を進めよるところが憎たらしいわ。

 邪魔をされてはいそうですかと諦めるわけにはいけん。ロイ候補生に偏った認識を持たせたままにもしておけん。

 だからわしが直にロイ候補生と会うことにした。いくら次期大将に言い含められちょったとしても、あれとほぼ同等の立場にあるわしならば真実を話させることは可能じゃろう。

 もし手を回して勧誘の妨害を働いたのが事実とわかれば、クザンに逆撃を食らわせ黙らせられる。ロイ候補生にも妙な障壁を取り払って何が正しいか判断させることができるはずだ。

 話はすぐまとまるじゃろう、そう思って滅多に足を向けん士官学校の門を跨いだ。

 

 

 士官学校の応接室で対面したロイ候補生は、随分と細っこい若者じゃった。

 勝手に屈強な男と思っちょったが、こんな優男だったとはのォ。予想外と言えばそうじゃが、まあそれは良い。見た目と実力など比例するもんのようでそうでもないからの。

 向かいのソファに腰を下ろした小柄なロイ候補生は、儂を前に緊張しちょるらしい。白い細面を少々強張らせ、不自然に身体を固くしちょる。

 まあ若い者相応の反応だの。普通の候補生ならばこうして軍上層部たる本部中将と間近で対面すれば、大抵畏縮してしまう。自分で言うのもなんじゃが、わしのような見るからに厳めしい者を前にすれば、余計にそうなるに違いない。

 が、今のロイ候補生の反応は少し過剰に見えるの。やはり何か吹き込まれているのかもしれん。

 

「さて、ロイ候補生」

「はっ」

 

 おもむろに声を掛けると少年はビクリと肩を震わせ、弾かれたように顔を上げた。そこまでビクつかんでもと思う。

 

「わしはまだるっこしいのが嫌いでのォ。単刀直入にいきたい。構わんな」

「は、はい!」

 

 怯える割にキチンとわしの目を見て話そうとしちょるのは、なかなか見上げた根性だ。面と向かってわしに対応できる若い者は少ない。ロイ候補生の態度に少しばかり嬉しく思う。

 

「では訊こう。貴様が勧誘を断るのは、誰ぞの指示か?」

 

 強張った表情のままロイ候補生は何も答えない。

 しばらく応接室に沈黙が落ちる。どう答えていいのか迷っちょるのかの。息を詰めたような雰囲気でロイ候補生は押し黙っちょる。

 

「クザンか」

「……いいえ」

「ならボルサリーノか」

「ち、違いますっ!」

 

 ボルサリーノの名を挙げると、慌てたように言い返してきおる。師匠に嫌疑を掛けられてはかなわんといったところか。あいつもよう慕われちょるもんだ。

 

「ならば、誰だ?」

「サカズキ中将。どなたも小官に勧誘を断るよう指示をなさっていません」

「誰ぞ庇っちょるわけではないんじゃな?」

「小官の判断でお断りさせていただいております」

 

 あくまで自分の意思で断ったと言い張るか。

 本当かどうか確かめるため、しっかりと黒い目を覗き込んでやる。嘘を吐けば目でわかる。いつも通りの建前でわしを追い返そうとしちょるなら、それはそれで上官に偽りの申告をしたことになるので許せん。

 揺らぐか色を変えるかすると思ったが、意外なことにその目は怯えた色を見せるもののしっかとわしを見返してきおった。

 ふむ、真実嘘ではない、ということか?

 

「なら何故断っちょる、理由を言うてみい」

 

 自分の意思で断っちょる理由とは何かとても気になる。

 一体何がロイ候補生をここまで頑なにさせるか、知っておきたい。これだけの勧誘を片っ端から切り続けるほど固い意思を持たせるのだ。余程のもんなのじゃろう。

 まっすぐわしに視線を向けたまま、ロイ候補生は生唾を飲み込みおる。そして一つ息を吸い込んで、慎重に口を開いた。

 

「……小官自身で正義とは何か考えたいのです」

「正義を考えたいじゃと?」

 

 正義とは何か考える? どういうことだ。何故当たり前のものをわざわざ考える必要がある。

 何をふざけたことを抜かすのかと、自然とロイ候補生をきつく見据える。

 

「意志無き正義より、意志を持って掲げる正義こそが、我々海軍士官には肝要。そう士官学校四年間で繰り返し学びました。この訓示は誰かの正義を鵜呑みにせず、自ら思考し正義とは何か知ることこそが兵を率いる者には重要という意味だと思うのです」

 

 はたして黒髪の少年は俯くことなく見返してきおった。黒い目に揺らぎは一切ない。

 

「小官は訓示の通り、誰かの選んだ正義を勧められるまま掲げるのではなく、まずは自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えて、納得した正義を選び取りたいのです。そのため、すべての勧誘をお断りさせていただきました」

 

 言い切ったロイ候補生はまっすぐわしを見上げる。

 お互いに目を逸らさず、そのまま沈黙が室内に再び戻った。初夏の日差しがじんわりと汗を誘う。

 士官には意志無き正義より、意志を持って掲げる正義、のォ。

 わしも士官教育を受けた際、耳にタコができるほど言い聞かされた訓示じゃな。

 正義を自ら定義することは士官の何たるかの根幹、兵卒を率いる者の心得だ。自らに正義という支柱を持つことで揺らぐことなく戦える、確固たる正義を示すことで指揮下の兵卒の迷いを振り払って戦わせてやれるようになる。それを教えるためのものだとか言うておったな。

 ロイ候補生はこれに従いたいというわけか。そのためには最初からわしらの勧めるままその正義の元へ参じる勧誘を受けず、他の候補生同様各部署を回り軍内の正義を見聞きしたい、と言いたいのじゃろう。

 ふむ、なんとも珍しい若者じゃのォ。

 軍内において、卒業時に勧誘を受けることは即ち出世の足掛かり、という風潮がある。勧誘を受ければ、士官候補生は皆喜び勇んで配属届を出すのが普通になっちょる。

 そんな中で自らの納得いく正義を模索したいと勧誘を蹴る奴がいるとは、思いもよらなんだ。

 尻の青い若造が、士官たるための訓示の意味を正しく理解し、実行に移そうというか。

 なるほど、その意志はわしらの勧誘を断るに足る理由じゃわい。

 こういう者は嫌いじゃあない。何も考えず正義を叫ぶその辺の若手士官や士官候補生共より遥かに見所があるわい。今後どのような正義を選びおるにしてもな。

 

「そうけ」

 

 思わず口元が緩む。近頃にしては珍しく愉快な心持ちだ。

 団栗の背比べのようにどれも変わらん、多少使えるか使えんかの違いしかないと思っちょった士官学校の人間にも、こんな奴がおると知れただけで儲けもんだ。

 

「そんなら、貴様の思っちょるようにしたらええ」

「ありがとう、ございます」

 

 神妙な面持ちでロイ候補生が深々と首を垂れる。

 緊張は切れんようじゃの。仕方あるまいか。中将相手に緊張をせず意見を言えなんぞ無茶にもほどがあろう。

 

「ロイ候補生、貴様は面白い奴じゃの」

 

 今日は珍しいことが次々起こる日じゃわい。ロイ候補生を見ていたら、急に悪戯心が湧いてきおった。

 顔を上げたロイ候補生の頭に手を置いてやり、ニヤリと笑う。

 

「もしも最初の配置がわしの部隊じゃったら、存分に可愛がっちゃるけェの。期待しとれよ」

「ハッ、その際はよろしくお願いいたします」

 

 薄く微笑んでしっかりと答える少年の黒髪をガシガシと掻き回しちゃる。

 ますます目の前の若者に、いつかわしらと共に正義を背負ってほしいと思った。

 

 

 

 

 


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