ロイ・マスタングになってから、はや二日。
俺は医者のオッサンの根城たる医務室で過ごしている。
体調自体は翌日からそう悪くは無かったが、大事を取るってことでそうなった。
絶対安静だったので、ひたすらベッドの上でじっとしているのは結構辛かった。
まあ、面会謝絶でもあって見舞い客が来なかったから、ゆっくりロイについて記憶から情報を引き出して考えることができたのは悪くなかったが。
とりあえず記憶を掘り出して、この世界のロイについて得た情報を話していこう。
ロイは今年十五歳の士官学校一年生。
出身は西の海の大きな王国の首都がある島。
家族は父方の叔母のみ。両親は幼い頃に亡くなり、父の妹であった彼女が女手一つでロイを育ててくれたようだ。
それなりに叔母甥で仲良く暮らしていたロイが、規定の入学可能年齢よりも一年早く士官学校に入った理由は、どうも悪魔の実を食ったかららしい。
そう、ロイは前にも言った通りこの歳にして悪魔の実の能力者だ。
喰った実は超人系エアエアの実。こいつによってロイは空気中にある物質ならばなんでも意のままに操れるという能力を得ている。
なんというか、役に立つかどうか微妙な能力だ。
それにエアエアなんて、ぱっと名前だけ聞いたら自然系で身体を空気に変えられる悪魔の実なんじゃと期待してしまうような名前じゃないだろうか。
俺も実の名前を知ってすぐはチートを期待したから、その後で超人系という情報を思い出してがっかりした。初期値がすでに最強なんてご都合主義はそうそうないもんなんだな。
そういえば二日前に倒れた原因は、この悪魔の実の能力を無意識に使ったためだと医者が言っていた。知らず知らずのうちに自分の周囲の酸素の濃度を急激に引き下げたせいで、きつめの低酸素症に陥ってしまったのだとか。
倒れる直前に中身が入れ替わった俺としては、それが本当の原因かどうか疑わしいと思う。急に俺が憑りついたから身体が拒絶反応でも起こしたんじゃないか、本当は。
話を戻す。
エアエアの実を食ったロイは地元の街に居づらくなった。幼少期のニコ・ロビンと同じく、周囲の人間から疎外されるようになったんだ。
悪魔の実の能力者は、ことごとく姿形を変えたり不可思議な現象を起こしたりと常軌を逸した力を示す。それらは常人に恐怖や嫌悪を感じさせるには十分すぎるものばかりで、ゆえに迫害を受けやすい。
食ったのは本当に不慮の事故としか言いようがないことだったが、ロイも能力者という恐ろしい、厭わしい存在として周囲に睨まれ始めた。
唯一の肉親である叔母は以前と変わらず可愛がってくれたのが不幸中の幸いだったが。
だが、そんな優しい叔母にも次第に迫害が及び出してしまう。
そこに至ってとうとうロイは街を出る決意を固め、海軍の門を叩いた。海賊に対してあまり良い印象が無く、能力者でも安心していられる場所を考えた時、海軍が思い浮かんだらしい。
ロイは島にある駐屯所の本部大佐に海軍に入りたい旨を直訴し、大いに同情してくれた彼から士官学校と奨学金の推薦状を得た。
雑用での採用でなかったのは、海軍が行っている能力者の囲い込み制度のためみたいだ。
ロイの記憶によれば、海軍では上に行けば行くほど、事務や艦隊指揮に関する能力と共に本人の戦闘力の高さが求められる組織なのだとか。だから強くなりそうな人間には積極的に士官教育を叩きこんで上に上げて使いたいと考え、能力者の士官学校における優遇制度を用意したそうだ。入学試験免除とか、飛び級入学とか、金銭面の援助とか、いろいろと。
様々な特殊な力をはなから持っている能力者は、常人よりも強くなる可能性が極めて高い。いわば特大のダイヤモンドの原石だ。磨けば必ず光ること間違い無し。集めて磨かない手はないってことか。
おかげでロイも簡単な面接と心理テストを受けただけで、難なく入学を許可されて奨学金も下りた。
そしてこの夏、ロイは寂しがる叔母に見送られ、遠いマリンフォードの士官学校に入学した。
今は入学して約半年ほどらしい。
鬼のような体力作りの訓練や小難しい座学にも、教官や上級生からの強烈な可愛がりにもようやく慣れ始めた頃だ。
ロイは街と同じように避けられ嫌われるようなことがないのをとても喜び、毎日が楽しいと心底思って暮らしていたみたいだ。
ただ、人と関わることには馴れていなくて、いまだに同期たちと少し距離を持っているけれども。
俺がロイに入り込んだ日は、初めて出た航海実習の最終日だった。
西の海ではあまり船や海と縁がない生活をしていたので、前々から楽しみにしていた実習だったそうだ。
艦上の業務や航海術の講義を受けつつ、ロイは広大で美しい自分がこれから生きていく場所を大いに満喫していた。
様々な明るい感情とほんの僅かな不安を胸に秘めながら。
そんな時だったのだ。
ようやく目の前が開けてきた彼を、俺が乗っ取ってしまったのは。
……うん、適当に楽な道選んでおこう、なんて軽く考えていた最初の俺、本当にロイに謝れ。
自分の思考が軽薄すぎて、夢や希望を抱えて真剣に生きようとしていたロイに申し訳なさすぎる。
もう、海軍を辞められない。いや、ロイを止められない。
これを知ってもなお自分の勝手に面倒事を避けて楽な方へ流れて生きるなんてできない。
やったら小心者だからでは済まない。本当の最低な糞野郎になってしまう。
怖いし嫌でたまらないけれど、腹を括らなくちゃいけない。
これからはロイとして生きていく。真剣に生きる。代わりに生き切ることでロイの未来を奪った罪滅ぼしをする。
それで許されるはずはないだろうが、そう思わなくちゃ罪悪感で胸が押しつぶされてしまいそうだ。
本当にロイ、乗り移っちゃってごめんなさい。
君のこの身体で、俺は生きるよ。
君の好きになった海で、大事に生き切らせてもらう。
だから、今はこれでわかってくれ。
……やっぱり危険な原作の出来事には首を突っ込まず生きようと思うけど、それだけは許してくれると嬉しいかな。
「よし、もう大丈夫みたいだな。帰っていいぞ!」
「痛ッ!?」
ニッカリ笑って思いっきり俺の背中を叩く医者のオッサン。力加減をしていなさそうな一撃に、一瞬息が詰まりかけた。
病み上がりになんてことするんだ、オッサン。また体調を崩したらどうするつもりだ。
二日目の夕方にして、ようやく退院許可が出た。
症状ももう見られないし、後遺症もなさそう。明日から学業に戻りな、とのことだ。
ようやくロイとしての生活が本格化するのかと思うと少し緊張するが、気を引き締めるにはちょうど良い。
「どうした、顔が強張ってんぞ」
「あ、いえ、何でもないです」
いかん、緊張が表情に出ていたようだ。オッサンが不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。
慌てて何でもなさそうに笑ってみたが、頬の肉が妙に硬い気がした。緊張し強張っただけじゃなくて、普段あまり笑ってなかったのかもしれない。
「そうかぁ? ま、もうちょっとここで待ってろよ、お迎えが来るから」
「へ?」
前みたいにぽんぽん俺の頭を撫でるオッサンを、思わず見上げる。
は、お迎え? 誰か俺を迎えに来るのか?
そんなことしてくれるような親しい人間はいないはずだけれどな……。
「今朝な、てめぇの同室の奴が退院させる時は呼んでくれ、心配だし迎えに行くからって、俺に言ってきたんだよ」
「同室の」
「そうだよ、さっき連絡したからもうすぐ来るから」
良い友達持ってんじゃないか、とオッサンはどこか懐かしそうにまぶしそうに目を細めている。自分の青春時代でも思い出して、微笑ましく思っているのだろうか。
そんなオッサンの様子を他所に、俺はぼんやり記憶を引っ掻き回す。
寮の同室の奴って誰だっけ? どんな奴だっけ?
んー、同室の奴は二人いるみたいだな。顔だけぼんやり浮かんできた。
変だな、こいつらどっちも日本にいた時どっかで見たような気がする。
あ、あとこいつらの名前はなんだったかな。えっと、確か……
ふいに、コンコンと軽やかにドアを打つ音が病室に響き渡る。
同室の二人の名前を記憶から掬い上げたのは、ノックとほぼ同時だった。
ちょっと待て、この名前って、本当なのか。俺の同室二人って、まさか。
「先生、ドレークです。ロイを迎えに参りました」
「オウ、開いてるから入りな」
「失礼いたします!」
ドアの向こうから聞き覚えのある声がした。
これは、倒れる前に聞いた少年の声だ。
オッサンの許可とともに、カチャリと丸みを帯びたドアノブが回って、飴色をした重そうなドアが開く。
開け放たれたドア向こうから、現れた人間は三人。
スカイブルーのライン入りの白ジャージに、「MARINE」の文字の付いた同じ配色のキャップを被る彼らは、倒れた時に見たあの三人組だ。
あの時は逆光なんかでよく見えていなかった三人の顔が、今はしっかり見える。
まさかとは思いたかったが、三人ともさっき掘り出したロイの記憶と、俺の原作の記憶の中にかっちりぴったり当て嵌まる奴らだった。
「早かったじゃねぇか。お、スモーカーとヒナも一緒か」
うん、もう、なんて言っていいのかな。
赤旗と白猟と黒檻って、豪勢な同期の桜だこと!!
原作ど真ん中な三人と同期でしたとさ。
スモーカーとヒナの二人とX・ドレークが同期なのはオリジナル設定です。