焔の海兵さん奮戦記   作:むん

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第20話 その島の因習

 パン、と。

 

 

 乾いたピストルの音が、不気味な静けさの中で響き渡る。

 銃弾に頭を撃ち抜かれた女が血を振り撒きながら倒れる様は、糸の切れた操り人形のようだった。

 拍子抜けしそうなほどの軽さで続けざまに続く発砲。ピストルの吐き出した弾のすべてが、地に伏した血まみれの女に吸い込まれていく。当たる度にその身体は跳ねるが、悲鳴一つ上がらない。

 最初の一発目で、死んじまっているからだ。

 

「ドレーク、スモーカー、行くな」

 

 押し殺したロイの声が微かに耳に届く。

 それと同時に手に小さく、それでもハッとするほど鋭い痛みが走った。振り返ればいつの間にかロイがいて、俺とドレークの手を握り締めている。

 爪が喰い込むほどの強さで握られ、その場に俺たちを縛り付けようとしている。

 

「あの女性を助けに行くな」

 

 

 

 

 顔が気に入ったとかふざけた理由で無理矢理護衛の配置を変えて俺たちを側に置いた天竜人の姉妹は、そりゃあもう傍若無人の一言に尽きる奴らだった。

 まず事前に決めてあったルートを歩こうとしない。なんでも気が乗らねェとかで、わざわざ無法地帯の中で遠回りさせられた。

 突然の天竜人の出現に街の人間は慌てふためき、辺りは一瞬騒然となる。天竜人たちはそういう人々のドタバタが面白いのか、やたらと楽しげに眺めて小馬鹿にしたような面持ちで笑ってやがった。

 正規のルートでは、事前に人払いがされているのでこうはならねェのを知って、わざと別ルートを行くことで周囲を混乱させて遊んでるってことか。まったくもって悪趣味な奴らだ。

 姉の方の天竜人、オフェリア宮はそれだけで済んでいるからまだマシ、とは言いたくねェがマシだが、妹の方のメラニア宮はより酷かった。

 行列から外れては、辺りの店先の商品を弄って壊したり、道の端によって首を垂れる通行人にちょっかいを掛けてみたりと、好き勝手暴れ回って手を焼かされた。止めることも叱ることもできない。せいぜいが後を追って見守るぐらいしかできねェもんだから、気が済むまで飽きるまで止めようとしないときた。

 いい加減腹が立ってしようがなかったが、天竜人のすることに口を出すなと口を酸っぱくしてリーヴィスの野郎が繰り返していた。

あの胡散臭いお節介焼きの少佐は、道理に合わねェこと、意味のねェ虚飾じみた理屈は口にしねェ人間だ。そんな奴が守らないと大事になる、理不尽に自身や周囲の身を危うくすると言ったことだ。

 警戒して、守っておく方が賢いだろう。ロイとドレークが近くにいて、俺一人で済む話ではないのなら、なおさらだ。

 だから俺にしては珍しく、苛立ちを捻じ伏せて耐えることを選択した。

  

 そうしてちまちまと天竜人たちが苛立つ行動を繰り返しながら、じりじりと目的地の一番グローブに近づいていく。

 事が起こったのは、一番グローブはもう目の前、という時だった。

 

「キャッ!?」

 

 小さな悲鳴を上げて、メラニア宮がよろめいた。

 側にいたロイが倒れそうになるメラニア宮を、決められた通り的確に支える。おかげで事なきを得たが、予想通り行列の人間に緊張が走る。

 護衛対象の、気を使い過ぎるくらい使うべき天竜人が、あわや転けるところだったんだ。シラヌイ大佐も少佐も、表情を硬くしてやがる。

 

「メラニア宮! ご無事でございますか?」

 

 ロイの腕から離れたメラニア宮の前に、すばやくシラヌイ大佐が膝を付いてうかがう。おい、あんたそんなテキパキした動きができたのか。思わず場違いなことを考えてしまった。

 

「無事に見えるのアマス!? よろけたせいで、服の端が汚れた!!」

 

 眦を吊り上げて叫ぶメラニア宮の足元には、確かにほんの少し泥が跳ねていた。だがそれも、目を凝らさねェと絶対にわからないくらいだ。

 癇を立てて騒ぐほどのもんでもねェってのに、メラニア宮はシラヌイ大佐を蹴飛ばして喚いている。

 しかし、困ったことになった。天竜人を怒らせるのはマズイ。不可抗力とはいえ、どうにか怒りを納めさせちまわねェと、少佐の言ってやがった大事になる。

 一番メラニア宮たちの近くにいるロイと少佐、オフェリア宮の側に止め置かれているドレーク、もう隊員全員の顔が蒼くなっていく。

 理不尽な状況に、堪忍袋が限界に達しそうだ。堪えるために噛み締めた奥歯が、不穏な音を耳元に響かせている。

 

「あれは、何ぞ?」

 

 唐突に、オフェリア宮が呟いた。感情の色のねェ冷たい声だ。

 すっと伸ばされた豪奢な扇の先が、メラニア宮の足元の地面に向いている。そこへ俺を含むこの場の海兵や使用人の視線が、一斉に集まった。

 ぬいぐるみ、だった。

 扇の先に落ちていた物、それは指先ほどの熊のぬいぐるみだった。泥まみれでぺしゃんこのそれは、踏み潰されたとしか思えねェありさまだ。

 こいつをメラニア宮が踏んで、転びかけたってとこか。

 

「どういうこと!? あたくしの道に汚らわしいゴミを置くとは、どういう了見アマス!?」

 

 足元のぬいぐるみに気づいたメラニア宮が、金切り声を張り上げる。

 申し訳ないと平謝りする大佐に気が狂ったかのように怒鳴り散らし、足元のぬいぐるみを踏み躙り出した。

 苛立ちをすべてぶつけるみてェに、靴先に体重を掛けて踏みつけてやがるのが、ここからでもよくわかる。

 あっという間に元からボロかったらしいぬいぐるみは、布が裂けて綿が飛び出し、無残な状態になっていく。

 

 

「やめてぇっ!」

 

 

 細く、幼い悲鳴が、頭を垂れる人垣の中から、メラニア宮の罵声の隙間に滑り込んできた。

 一瞬にして音が周囲から無くなった。空気が凍る、というのはこういうことなんだろうか。得も言われぬ気味の悪い沈黙が、辺りを支配している。

 誰だ。この場で自由に言葉を吐き出せるのは、天竜人共しかいねェはずだ。それ以外は、沈黙して跪き、やり過ごすだけのはずだろうが!?

 予想だにしない事態に、海兵や天竜人の使用人共の表情がさらに凍てつく。

 天竜人たちはというと、呆気に取られたような顔をしている。

 

「無礼者! 誰アマス、今あたくしに指図した無礼者はどこアマス!?」

 

 高慢さが抜け落ちた表情を見せたのはほんの僅かの間で、すぐに先ほどよりも耳に触る悲鳴に近い怒声を上げた。

 明らかに怒りが増している。犯人が見つかれば、ただじゃ済まない。天竜人の側にいる人間も、おそらく道の端にいる通行人たちも、絶対に悪い結末しか考えられなくなって、蒼くなっていく。

 

「おねがい、わたしのクマちゃんいじめな、むぐっ!!」

「リタッ」

 

 メラニア宮の怒声に割り込む、懇願のような悲鳴が今度はハッキリ聞こえてしまった。

 恐る恐る、声の上がった方に目を遣る。

 今にも泣きそうな顔でこちらへ駆け出そうとジタバタする女のガキと、蒼白になりながらガキを抱き締め口を塞ごうとする父親らしき男がいた。

 どうやらぬいぐるみは、あのガキのもんだったみてェだ。よっぽど大事にしてるもんだったから、我慢できず叫んでしまったのか。

 あれくらいのガキなら、普通なら我慢できなくても責められはしない。だが、今は状況が異常な時だ。間が悪すぎる。

 

「貴様、下々民の子供のくせになんて口をっ!」

 

 案の定ガキが言い募る様が、よほど癇に障ったらしい。白い顔を真っ赤に歪めたメラニア宮は、苛立たしげな足取りでガキの方へ向かっていく。

 

「汚らしいゴミをあたくしの道に置いて転ばせようとしたばかりか、身分をわきまえない無礼な振る舞い! 今死ぬ覚悟はできてるアマス!?」

 

 メラニア宮が懐から小ぶりなピストルを、乱暴な手つきで取り出す。あんなもん持ってやがったのかと唖然としている中、真っ青な親子に向かって引き金を引こうと指を掛けやがった。

 ヤバイ! 一番俺たちが恐れていた事態が起ころうとしている。止めねェと確実にあの親子は死ぬ。まったくと言っていいほど悪くない民間人が、殺されてしまう!

 周りの奴らを見回す。苦しそうに顔を歪めながら、あるいは真っ青になりながら、その場に立ち尽くしている。

 止めようという気配は大佐にも少佐にも、他の奴らにもない。天竜人に逆らうなって規則を、まだ厳守しようっていうか!?

 

「む、娘をお許しください、天竜人様! どうか命だけはッ、命だけはお助けをッ」

 

 とばっちりを避けようと周りの人間が逃げ散り、ぽつんとその場に残されて娘を抱き締める父親が、悲壮な叫びを上げてメラニア宮に懇願するのが聞こえた。

 庇うようにガキを抱き込み、必死で頭を下げて言い募る様に、胸の奥に苦いもんが這い上がる。

 本来なら俺たち海兵があいつら民間人を理不尽から守るべきだってのに、それができねェ状況に吐き気が湧く。

 

「あたくしに無礼を働いて許されると思ってるなんて馬鹿アマス。もう父子共々死ねばいいアマス!」

「お待ち、メラニア」

 

 ゆったりとした声が響く。予想外のことが起きた。

 父親の必死の願いを無慈悲に嘲笑い、ピストルの銃口を向けたメラニア宮を、もう一人の天竜人、オフェリア宮が止めた。

 場違いなほど落ち着き払った姉の制止に、甲高い罵声を吐いてたメラニア宮は黙り込んで振り返る。

 嫌味なくらい優雅な足取りで、オフェリア宮は妹と呆気に取られた父子の方へ近づいていく。

 妹の暴挙を止めて、あの父子を庇った? いけ好かねェ天竜人であっても、その程度の慈悲の心はあったってことか?

 そこまで最低な奴らでもねェのか。そんなふうに俺が思いかける中、妹の隣にオフェリア宮が辿り着く。

 

「貴様、面を上げよ」

 

 こちらに背を向けているからよくわからねェが、慌てて頭を伏せていた父親の頬を軍港で俺にして見せたように扇で軽く叩いたようだ。おずおずと顔を上げた父親の顎を扇の先で取り、じっと眺めてやがる。

 何のつもりだかわからず成り行きを見守る中、オフェリア宮がふっと笑う雰囲気を出した。

 しかしそれは、柔らかくも優しくもねェもんだ。どこか薄暗く楽しげな、気味の悪さが漂っている。

 

「確かにメラニアに無礼を働いたこと、まこと許しがたいの。万死に値するえ」

 

 オフェリア宮は穏やかな、怒りを感じさせねェ声色で、不穏なことを口にする。

 やっぱりこいつらは見てきた通りいけ好かねェやつらなんだと、妙な落胆のようなもんを感じた。

 万死に値する、か。どっちにしろ、殺すってことかよ。我慢できず視線が険しくなっちまう。

 

「だが、子供のしたことじゃ。今回に限っては許してやってもよい」

 

 許してもいい?

 先ほどと真逆の言葉に、わけが分からなくなってくる。

 これはあの父子が救われる可能性が出てきたってことになるのか。だとすれば、幸運にもほどがある。

 嫌なもんを見せられずに済むかもしれねェと、苛立つ気持ちが僅かに治まりかけた。

 

「本当ですか!?」

「ああ、貴様が、妾の側に仕えるというのならば」

 

 ねっとりと耳にへばりつく甘ったるい声に、治まりかけた感情がすぐさま炙られだす。

 助かるかもしれないという安堵感と緊張で声を震わせて問う父親に投げ渡されたオフェリア宮の言葉が、嫌味なほどしっかりと耳に届いてしまった。

 

「その辺の下々民にしては見目は良いし、頑丈そうだ。ちょうど今の側仕え共に飽きてきたところ、貴様が妾の側に上がるというならば、子供の命は見逃してやるえ」

 

 鈴を転がすように笑い、オフェリア宮は残酷な取引を父親に突き付けてやがった。

 側仕えになれ。火遊びの相手、自分の玩具になれってことだろう。あの女はガキの命を救いたければ、家族と自由を捨てて自分の所有物なれと言ってやがるんだ。

 腸が煮えくり返る気がした。最低な親の自覚がねェ奴でもない限り、こんな取引を持ち出されたら頷くしかない。

 オフェリア宮はそれをわかってやがるんだ。あの父親はガキを守るために己を差し出し、涙を飲むしかねェとわかって言い放った。

 あくどいにも、ほどがある。

 

「私が、お仕えすれば、娘を見逃してくださるのですね」

「おとうさん?」

 

 案の定父親は、呻くようにして問い返した。不安げにガキに呼ばれても、抱きしめる腕に力を込めて押し黙り、オフェリア宮の言葉を待っている。

 

「そうじゃな。もし拒めば、この場で父子共々、だがのう」

「わかりました。どうぞ私をマリージョアへお連れください。ですから娘をっ」

「フフ、メラニア、銃をお仕舞い」

「もうっ、姉さまったら勝手なお人っ! あたくしの玩具を取っておしまいになるなんて酷いアマス!!」

 

 憤慨しながらもピストルを元に戻す妹を他所に、オフェリア宮がこちらを振り返る。小奇麗な顔に乗せた満足げな笑みが、汚らしく見えて仕方ない。

 使用人を一人呼び寄せて、何事か話し始めた。たぶん、良くないことが起きたとわかったのか泣きだした娘を抱えて蹲る父親の処遇について指示でもしてやがるんだろう。

 血は見なかった。誰も死んでいない。そんなことが起これば最悪だと思っていたことは、何一つ起きていない。

 けれども、てめェのガキのために身を投げ出した人間が出た。それだけで、予想以上の不快感と怒りが湧いてきやがる。

 拳を強く握り締める。いくら不愉快でも、腹が立っても、ここで俺が何かして事態が好転するわけでもない。

 無理矢理自分に言い聞かせ、視界を遮るようにキャップのつばを下ろす。

 

「あなた!」

 

 女の悲鳴が人垣の向こうから飛んだ。

 声の先に、肩で息をした女が一人いた。病気でもしているのか顔色は良くねェが、それでも繊細で儚げな感じのする綺麗な女が、人垣を掻き分けるようにして騒ぎのど真ん中へ行こうとしていた。

 

「シシィ!?」

「ま、ママ!」

 

 よろめきながら駆けてくる女に気づいた父子が叫ぶ。どうやら、ガキの母親らしい。

 女は泣きそうな面持ちで息も絶え絶えに辿り着くと、崩れ落ちるようにして呆気に取られていた天竜人たちの前に這いつくばった。

 

「無礼者! オフェリア宮とメラニア宮の御前であるぞ!?」

「ハァ、ハァ、娘の無礼、幾重にも、お詫びいたします! 天竜人様に対して、ハァ、死をもってしても、償いきれない罪でございますこと、っ重々承知して、おります……ですが!」

 

 使用人の咎める声を振り切り、ガキの母親は血を吐くように謝罪の言葉を立て並べて謝り続ける。不気味に静まり返える中に、悲壮な母親のその様が目立っていた。

 深き、地に付けていた顔を上げ、苦しげに顔を歪めて天竜人共を見上げた。

 

「ですが、夫をお側に召すのだけは、お許しを!」

「なに?」

 

 突然現れ好き勝手に訴え出した母親に、天竜人共は強い不快感を覚えているみてェだ。

 しかし無我夢中なんだろう母親は、それに気づかず言い募る。

 

「夫は、ハァ、我が家の唯一の、働き手なのです。娘は幼く、私は病で、夫が、っいないと生きて、いけないのですっ。ですから、どうか、そればかりはっ……!!」

 

 それ以外ならば何でもします、と泣き崩れながら母親はまた深く地に額を擦りつけた。

 身に詰まるような嗚咽を洩らす母親を見てガキは更に泣き喚き、父親は辛そうに目をきつく閉じている。

 父親が唯一の働き手、か。父親にいなくなられるのは、あの母親とガキにとって本当に死活問題だろう。

 今の状況でいくとおそらく天竜人の側に仕えるっつってもほぼタダ働きで、家族に対して何かが保証されることもないに違いない。愛する男、愛する父親と引き離されるのも耐え難いほどの苦痛を与えられるってのに、今の生活まで奪われ生きていけなくなるなんて悪夢もいいところだ。

 いくら天竜人のすることには一切口を出すなとされていても、居ても立ってもいられず飛び出してしまうのは仕方ないことなのかもしれない。

 

「まことに、何でもするのかえ?」

 

 不機嫌そうに眉根を寄せながらオフェリア宮が呟く。しっかりと母親が平伏したまま頷くのを見て、少し思案すると扇を懐に仕舞った。

 

「では、お立ち」

 

 命じられるのに従って、母親がよろよろと立ち上がる。

 どうなるか予想もつかねェ事態に、側にいる父子も、俺たち海兵も、道の脇の奴らも息を押し殺して事の成り行きを見守る。

 立ち上がった母親は、涙で濡れた白い顔をしっかりと上げていた。どこか凛としたその姿を、オフェリア宮は無礼と騒ぐ妹を制して黙って見つめている。

 

 

 パン、と。

 

 

 いきなり乾いたピストルの音が、不気味な静けさの中で響き渡る。

 

「なら死ぬが良いえ」

 

 銃弾に頭を撃ち抜かれた母親が血を振り撒きながら倒れる。

 扇の代わりに取り出した瀟洒なピストルから硝煙をたなびかせて、オフェリア宮が優雅に微笑んでいた。

 その笑みに何とも言えねェ冷たいものが、背筋を走る。その恐怖に似た感情と一緒に、堪えていた内臓を焼くみてェな怒りも溢れ出してきた。

 

「っ、クソッ」

 

 あまりにも理不尽過ぎる。たかだかぬいぐるみ一つで自由を奪われる奴が出るんだ? どうして死ぬ奴まで出るんだよ!?

 もうこんなもん見ていたくねェ。どうにかしてェッ。

 畜生、今すぐあそこにッッ……。

 

 

「ドレーク、スモーカー、行くな」

 

 

 押し殺したロイの声が微かに耳に届く。続けざまに放たれる銃声ばかりが大きいのに、その声だけがやけにはっきりと聞こえた。

 それと同時に手に小さく、それでもハッとするほど鋭い痛みが走った。振り返ればいつの間にかロイがいて、俺とドレークの手を握り締めている。

 爪が喰い込むほどの強さで握られ、その場に俺たちを縛り付けようとしている。

 

「私だって、お前たちと同じ気持ちだ」

 

 気づけば俺とドレークの足が、半歩ほど動きかけていた。無意識のうちに、あの女のもとに駆けつけようとしていたみてェだ。

 俺たちの手を握るロイの手が、力を込めすぎているせいかいつもより白くなってやがる。必死で俺たちを止めようとしていた。

 

「だが、助けに行ってはいけない。天竜人の不興を買えば、お前たちでも死ぬんだぞ」

 

 硬く冷たい声でもう一度囁かれる。ロイは俯きがちだった顔を上げて、真っ直ぐ俺たちを見据えていた。

 ドレークが、でも、と悲痛な声を零す。いつも強い光を宿している青い目が揺れている。

 ロイは無言で首を横に振った。黒い瞳に苦しげな影を落としながら、ドレークを見据えていた。

 ここまでされても天竜人に憚って見なかったこと、聞かなかったことにしようってのか。まだ胸糞悪いルールを守ろうとするのかと、自然とロイに向ける視線がきつくなる。

 俺に睨まれていることに気づいたのロイは、酷く辛そうに顔を歪めた。

 

「お前たちが死ぬところを、私に見せないでくれ……頼む……っ」

 

 喘ぐように苦しげに呼吸を洩らしながら、懸命に声を絞り出された言葉に、いくつも考えていた罵声が消えていく。

 俺たちの死ぬところを見たくない?

 縋るようなロイの目に、息が詰まる。何も言えなくなってしまう。

 本心からこいつは俺たちが死ぬのを恐れているってわかっちまえば、それを振り切る真似なんて俺には不可能だった。

 

「わかった、行かねェ」

 

 驚くほど力が入らなかった俺の返事と、黙ったままのドレークの小さな首肯を、じっとロイは聞いて、見ていた。

 手を掴んでいた痛いほどの力が、ゆっくりと抜け落ちる。

 オフェリア宮が、ピストルの弾を全弾撃ち尽くしたのとほぼ同時だった。

 

「ママァァァァァッッッ!!!!」

 

 布を引き裂くみてェなガキの悲鳴が、響き渡る。父親の腕を振り切り、血塗れの母親の元に駆け寄って縋りつく。

 オフェリア宮はその様子を冷めた顔で見下し、手にしていたピストルを使用人に投げ渡した。

 衣装の裾を翻し、変わらねェゆったりと上品な足取りで行列の方へ戻っていく。愉快そうにコロコロと笑いながら、その後にメラニア宮が続いた。

 

「病で働けぬ役立たずの足手纏いが死ねば、子供が生きていくぐらいどうにでもなるだろうえ」

「さすがオフェリア姉さま。御自ら役立たずを始末しておやりになるなんて、本当にお優しいアマス」

「ふん、それに妾より美しい下々民の女なぞ、見ていて不愉快にもほどがあるからの」

 

 嫌悪感しか湧かない会話を、さも楽しげに交わす天竜人の姉妹。その後ろでは、いまだ母親の死体に縋って泣き続ける娘と、娘と妻の側に駆け寄ろうとして取り押さえられ暴れる父親の姿があった。

 

「さ、道草を食い過ぎた。急ぐえ」

 

 オフェリア宮の言葉に、行列が進み出す。惨劇に目もくれずに。

 すぐさまあそこへ行けるものならば、どうにかしてやれるのならば、と後ろ髪を引く罪悪感を堪えて、俺たちはその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 悪夢のような任務は、予定通り午後三時に終わりを迎えた。

 

 どうしようもない怒りや行き場のない苦しさに喘ぎながら、任務を終えて駐屯地に辿り着き、手当の金を受け取らされた。

 喜ぶ奴はほぼ皆無。誰もがこの金の意味を理解していたから、喜ぶどころか顔を歪める者ばかりだ。

 

「こんなもんッ…!」

 

 手当の入った封筒を握り締めたスモーカーが、地を這うように低く呻いた。

 いつもより一層険しい表情に、見たこともない苦悶を見せている。ドレークも顔を俯かせて、肩を震わせている。

 今の今まで耐えていたものが出てきたんだろう。

 正義感が強くて優しい奴らだ。本当は殺された女性や残された子供を、すぐ助けに行きたかったはずだ。

 でも、俺が天竜人に逆らうなと必死で縋り付いたから、自分の気持ちを押し殺してくれていた。

 あの一家のことよりも、側にいる親友たちに天竜人の怒りが向くのを恐れた俺の頼みなんかで、あいつ自身の正義を曲げさせてしまったんだ。

 どうしようもない罪悪感と、自己嫌悪と、それらを越えるスモーカーとドレークが死ななくてよかったという安堵を覚えてしまう。

 どうしようもなく自己中心的な自分に気づかされ、更に自分という人間が嫌になった。正義を背負っているはずなのに、自分や自分の周りを優先させるなんて、海軍軍人の風上にも置けない気がする。

 握り締めた封筒を睨み据えていたスモーカーが、急に海辺に駆け寄っていった。

 何をする気だろう。ぼんやりとコートを翻す背中を見ていると、封筒を持つ手を高く振りかざした。

 ああ、捨てるつもりか。こんな胸糞悪い自分の正義に反したことの対価なんか、使いたくもないし、持っていたくもない。

 海に帰して流しちゃうってもの、良いかもしれない。俺も後でやってしまおうか。自棄酒に使うよりすっきりするかもしれない。

 

「はい、ストップ」

 

 海に向かって封筒が投げ込まれる寸前に、ふらっと現れたリーヴィス少佐がスモーカーの腕を掴んで止めた。

 コートを脱いで私服姿になった少佐は、スモーカーの今にも襲い掛かりそうなほどの睨みをさらりと受け流している。

 

「……何すんだ」

「こっちのセリフだっつーの、勿体ねェことすんなよ」

 

 その金自体に罪はねェだろ、と少佐は面倒くさそうにきつく握り締められたスモーカーの太い指を封筒から引き剥がしながら、軽く溜め息を吐いてみせた。

 その様子に、腹の奥がちりちりとする。確かに金は勿体無いかもしれないが、これは感情の問題だ。どうしても持っていたくないから海に流そうが何しようが、俺たちの勝手じゃないか?

 ドレークも俺と同意見らしく、珍しく苛立ったような表情で少佐を見据えていた。

 そんな刺々しい雰囲気を出している俺たちに、少佐は呆れたように肩を竦める。馬鹿にされているみたいで、余計に腹が立ってきた。

 

「思い詰め過ぎだお前ら。健康に悪いぜ?」

「うるせェよ! ほっとけ!!」

「はいはい、お兄さんはお節介焼きだからほっとけないのよ。このニコチン中毒」

 

 あやすような少佐の口調に、遂にスモーカーがキレた。

 もう片方の腕で少佐にホワイト・ブローもどきの拳を向けるが、少佐は覇気でも使ったのか難なく重いその一発を受け止めてしまった。

 その上スモーカーの拳の速さを利用して引き寄せ、腹に膝蹴りを叩き込む。こっちも覇気を使ったらしく、蹴り一発で自然系のスモーカーに膝を付かせた。

 

「カハ……ッ!?」

「スモーカー!!」

 

 慌てて俺とドレークはスモーカーたちの元に駆け寄る。

 苦しげに蹲るスモーカーを俺が助け起こして、ドレークは少佐と俺とスモーカーの間に庇うようにして立ち塞がった。

 張り詰めた空気を纏い出した俺たちを、少佐は落ち着き払った様子で見ていた。

 

「少佐、何をするんですか!」

「おい、スモーカー君。痛みで少しは頭の血ィ下がっただろう?」

「だからといって、蹴ったりしなくたっていいでしょうっ」

「口で言ってわかんないやつには、身体で言うこと聞かすしかないだろうがよォ」

 

 文句を言い立てる俺とドレークに、少佐はやれやれといった感じで額に手を添えて、小さく頭を振った。

 

「ちったァ俺の話し聞けって、な?」

 

 無造作な動きでスモーカーから取り上げた封筒を持つ手を、俺たちに向けてくる。

 予想外の動作にポカンとしている俺たちに、ニィ、と片頬を上げて見せた。

 

「今回の任務の手当、いらねェってんなら、俺が貰ってやるよ」

 

 くしゃりと歪んだ封筒を持つ手が、片手で扇子を開くような動作を見せる。

 そう認識した途端、見えていた皺まみれの封筒の影から、違う封筒が二枚現れた。

 何が起きたか、わからない。思わず悪戯っぽく笑う少佐の手にある封筒三枚を、呆気に取られて見つめてしまう。

 俺が貰うだと。任務の手当を、か?

その貰うっていうのは…あれ?

 我に返って、自分の手元にあるはずの封筒を探す。無い。コートのポケットにも、スーツのポケットにも、キャップの裏にも封筒が無い!

 

「で、気分の悪い金を引き取ってやる代わりにだな、ちょっとお前ら今晩付き合えよ」

 

 いつの間にやら俺とドレークから掏り取った封筒を弄びつつ、性格ばかりか手癖まで悪い少佐は笑う。

 

「私服に着替えて来い、飲みに行くぞ」

 


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