「ロイ君がおかしい?」
思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまい、ヒナッ声が大きい、とドレーク君に窘められた。
夏季休暇の折り返し地点を過ぎたある日、こっそりドレーク君とスモーカー君に士官学校の外へ誘われた。
ちょうど昼から暇だったので二つ返事で承諾して、いつものお店で落ち合ったのだけれど、いつも一緒のはずのロイ君がいない。それだけでも変なのに、二人揃って妙に真剣な顔をしている。
一体どういうことか分からず戸惑いつつも席に着く。そのまましばらく誰も話さない、居心地も悪い沈黙が落ちてくる。
あんまりにも気味が悪くて帰りたくなってきた頃に注文したコーヒーが運ばれてきて、ようやくドレーク君が口を開いた。
ここ何日かロイ君の様子がおかしい、と。
詳しく聞いていくと、ロイ君がおかしくなったのは、休暇の初日からボルサリーノ中将に同伴して出ていた遠征が早く終わったとかで帰ってきた五日前くらいかららしい。まるで一年生の最初の頃に戻ったみたいに何かに怯えているようで、毎晩真夜中に魘されて飛び起きては寮から抜け出し明け方に帰ってくるのを繰り返しているそうだ。
「明らかにおかしいわね……ヒナ心配」
「だろう? 絶対に遠征中に何かあったとしか思えないんだ」
ドレーク君の言うとおりだろう。ロイ君に何か影響を及ぼした原因である可能性があるものは、あの遠征くらいしか思いつかない。
「あなたたち、遠征のこと訊いてないの?」
「訊こうにもロイの奴、その話題を持ち出すと煙に巻きやがる」
なるほど、スモーカー君に凄まれても話したくないようなことがあったってわけか。決まりね、ロイ君をおかしくさせているのは、絶対に遠征中のことだ。
原因の在り処はわかったけれど、ロイ君が遠征中のことを何も話してくれないから、原因が何であるのかわからないまま。
それで困り果てた二人がわたくしにSOSを出してきたっていうところかしら。
ドレーク君とスモーカー君を見てみる。どっちも程度には差があるけれど、困ったという雰囲気の顔をしていた。わたくしも二人のことを言えないけれど、ロイ君のことに関しては心配性よね。
「何か遠征中のことを聞き出す方法はないかな」
「本人から聞き出すのは無理ね、ヒナ断言」
ロイ君って、滅多なことでは弱みを曝け出したりしない人だもの。
去年だったかしら。学年末試験の期間に風邪を引いて高熱を出していたのに同室のドレーク君たちにすら隠し通して全日程を終え、試験会場から出た瞬間倒れて医務室に緊急搬送されたの。相当悪くなっていたらしくて、よく我慢していたもんだと保険医の先生に呆れられたほどだった。
その後お見舞いに行った時に、ロイ君は皆が大変な時期に余計な心配を掛けたくなかったと申し訳なさそうに言い訳していた。
つまり自分のせいで周りに良くない影響が出ると思うと、弱みを隠して一人我慢してしまう癖がある。
今回も多分、そのはず。わたくしたちを煩わせたくないとか考えているだろうから、絶対に話してくれないだろう。
「方法なんざねえってことかよ」
スモーカー君って本当に気が短い。イライラと睨みつけられて、溜息が零れる。
「早とちりしないで、わたくしはロイ君から聞き出すのは無理、と言っただけよ」
「あ?」
「ロイ君以外の人に訊けばいいの」
「……遠征に参加していた誰かに訊く、ということか?」
ちょっとぽかんとしてから、ドレーク君が呟く。
あら、二人とも目から鱗って感じね。遠征に参加した他の人に訊いてみるって思いつかなかったのかしら?
でも仕方ないかもしれない。能力者でもなければ教官以外の現職の海兵と親しくなる機会なんて滅多にないし、思いついても伝手がないだろうから選択肢になかったのでしょうし。
「話してくれそうな人がいるわ。今から会いに行ってみない?」
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昼飯を食って帰ってきたら、客がいると受付のお姉さんが教えてくれた。
「おつるさんのとこのヒナちゃん?」
「そうよ、リーヴィス大尉。かっこいい男の子を二人も引き連れて来てるわよ」
大尉のお部屋に通しといたからと楽しげに笑う彼女に礼を言い、割り当てられた副官用執務室に向かう。
ヒナちゃんか。おつるさんのとこに所属してた時に顔見知りになってたけど、会うのはかなり久しぶりだ。
確か最後に顔を合わせたのは昇進してボルサリーノ中将の副官に転属する直前だから、もう四ヶ月くらいだっけか。
急にどうしたのだろう?
転属前に冗談で時間があったらデートしてよって誘ってみたけど、まさかその気になってくれたとか?
やだ、一六の女の子とデートなんて照れる。未成年相手だし犯罪入ってそうだけど、美少女と仲良くできるって良いかもな。
ま、野郎二人連れて来ているって時点でありえないだろうけど。ちょっと残念。
部屋のドアを開けると同時に、応接セットのソファに腰掛けていた人影三つが立ち上がる。
ピンクブロンドの可愛らしいヒナちゃんと、むさくるしい野郎二名がそこにいた。五年前まで来ていた士官学校の夏用制服が懐かしさを覚えつつ、彼らの敬礼に軽く答礼を返す。
「お待たせ、ヒナちゃん」
「ご無沙汰しています、リーヴィス大尉。今日はいきなり押しかけてすみません」
「いえいえ、ヒナちゃんならいつ来てくれても大歓迎。ま、立ち話もなんだし座ってよ」
相変わらず綺麗で礼儀正しい子だ。申し訳なさそうにしている姿まで可愛いなぁ、もう。
応接セットを素通りして、備え付けの冷蔵庫から冷やしておいた麦茶を出す。来客用のグラス四つに注いで戻る。暑い中来てくれたんだし、先輩としてはサービスしてやらんと。
四人の前にグラスを並べてやって、自分の分を片手に向かいのソファに腰掛ける。
なんか俺に茶を出されてオレンジ色の髪の奴が恐縮しまくってるのが笑えた。真面目すぎだろ、こいつ。そんながちがちに考えず、普通にしてりゃいいのに。
隣の白髪頭みたいに煙草を銜えてるのは論外だけど。とりあえずこっちには目の前に灰皿を叩きつけといてやる。
「ヒナちゃんは久しぶりだけど、君ら2人には初めましてだよな?」
そういえば野郎2人の名前を知らなかった。麦茶を飲みながら自己紹介してみる。
「話しの前に、自己紹介しとこうか。俺はリーヴィス、階級は大尉で今はボルサリーノ中将の副官をしてるよ。前はおつるさんのとこにいたからヒナちゃんと知り合いなんだ」
「申し遅れました。士官学校三年生のⅩ・ドレークと申します」
「スモーカーっス」
「ドレーク君にスモーカー君ね……もしかしてロイ君の友達?」
「はい、よくご存じで」
ビンゴ。どっかで聞いた名前だなとは思ったけど、こいつらロイ君のお友達か。確か遠征前にロイ君が話してた。寮の同室なんだとか言っていたはずだ。
あ、ロイ君の友達といえば、ヒナちゃんもそうだった。
もしかして、ロイ君に関係する用件で俺のとこに訪ねてきたのか。
遠征中の実戦が余程堪えたのだろうか。あの日以降のロイ君の塞ぎ込み方は危ないものだった。
その日から三日ほど船室に引き篭もって食事もろくに摂らず、こっちから呼びかけても反応が薄いまま過ごしていた。ちらっとその時に覗いたが、ベッドの上で毛布を引っ被って丸くなり、時々泣いているようだった。
さすがに肉体的な健康がヤバイんで、四日目に無理矢理引きずり出して以降は少し持ち直したが、それでも表情に活力はあんまり戻ってこなくて、神経は尖らせたまま。
これはまずいと中将や大佐たちが判断して、遠征を切り上げて帰ってきたのが五日前のことだ。帰ったらすぐ心療内科に掛からせようとか何とか話し合われていたけれど、帰路の間にロイ君が最初よりはだいぶ回復してきたため士官学校に帰らせてしばらく静観ってことになったんだ。
寮の方に様子見に行ってきてねって中将に頼まれてたから、今日の夕方か明日辺り行こうと思ってたんだけど。
うーん、なんかもうロイ君に異常でもあった後なのか、これ。
「うん、ロイ君からいろいろ聞いてるからな。じゃあ今日の用件もロイ君のこと、だったりするのかな?」
とりあえず、用件を確認してみる。途端に三人の表情が強張った。マジでロイ君になんかあったんだ。あーあ、嫌な予感が的中するなんて嬉しくない。
俺の見ている前でお互いの顔を窺いつつ、意を決したようにドレーク君が居住まいを正して俺を真っ直ぐ見てくる。どうも彼が三人の中でまとめ役ポジションらしい。慎重に、真剣に、口を開く。
「大尉の仰るとおりです。先日ロイが行った遠征で、あいつに何があったか教えていただきたくて参りました」
「……帰ってきてから、ロイ君に何かあったのか?」
「はい」
士官学校に帰ってきてからのロイ君の様子について、ドレーク君は事細かに話してくれた。
5日前に帰ってきてからのロイ君は、一年生の最初の頃に戻ったみたいに何かに怯えているような素振りを見せているとか。
毎晩真夜中に魘されて飛び起きては寮から抜け出し、明け方に帰ってくるのを繰り返しているとか。
遠征のことを訊ねてみても頑なに話してくれず、もしかしたらその遠征中ロイ君の身にあったことが彼の異常の原因ではないかと思うのだとか。
つまり今のロイ君は神経過敏に悪夢、不眠を抱えている、と。
うん、完全に悩んでドツボに嵌って引き摺ったまんまなんだな、ロイ君。深刻な状況一歩手前、いやもうアウトだったりするかも?
中将、やっちゃったかもしれませんよ。
「そうか、そりゃ心配だよなぁ」
「何があったか、教えていただけますか? あまりにも辛そうで、見ていられない」
三つの視線が、俺に集中する。それぞれに真剣な目をしてやがる。
本気でロイ君のことを思っているんだな。滅茶苦茶良い友達じゃんか、こいつら。
ホント、ロイ君は周りの人間に恵まれている。いや、恵まれすぎている、か。
空になったグラスを弄びながら、しばらく黙り込む。
さて、ここからどうしようか。
グラスをローテーブルに戻す。少し下がっていた眼鏡を指先で押し上げる。
一呼吸置いて、ドレーク君たちにまっすぐ視線を向ける。
「うーん、結構キッツイことがあったんだけどね。あ、それを知って、君らどうするつもり?」
できる限り落ち着いた声で、訊ねる。
不意打ちのような質問に、三人ともきょとんとした目を俺に向けた。
なんでそんなこと訊かれるかわからないって感じだ。
「どうするつもり、とは?」
「遠征中ロイ君に何があったか知って、君ら何をしようって考えてるわけか訊いてるの」
ますます皆、何言ってるんだよこいつ、ってふうに怪訝そうな顔になっていく。
何を言われているか、理解してないんだろうな。ま、若くて人生経験も浅い子たちだし、わからなくても無理はない。
とりあえず、今やることは決まったな。ロイ君と親しいこいつらが下手を打たないように釘を刺しとくか。
「で、どうするつもり?」
「それは……」
答えあぐねているドレーク君に向かって、大きな溜め息を吐いてみせる。
「身勝手な同情を掛けるってなら、教えないからな」
わざと低めた言葉が、室内の気温と目の前の少年少女を固まらせた。
いきなり変えた俺の雰囲気に戸惑っているのだろう。言葉も出せず動きもできず、ただ俺に視線が集まっている。
「苦しむロイ君を見ていられない、だからその原因を知ってどうにかしたい、慰めるなり励ますなりして元のロイ君に戻ってほしい……要はお前ら、そういうことだろ?」
「だったら、どうだというのですか」
「ずいぶん自己中心的で反吐が出る」
「違う、俺たちはロイのことをちゃんと考えています!」
「違わないな、自分がそんなロイ君を見ているのが辛いからそこから抜け出したいってだけだ。ロイ君のことじゃなくて、自分のことばっかり考えてるようにしか見えない」
「そんな」
「慰めて、励まして、ロイ君の抱える苦しみを軽くできると思ってるのか?」
「……」
「軽くなるのはできることはやったって満足感で満たされたお前らの心だけだ」
とうとうドレーク君が口を噤んで俯いてしまう。ヒナちゃんはオロオロとしているし、スモーカー君は今にも咬みつきそうな形相で睨んでいる。
三人の気持ちはわかる。
俺だって友達が苦しんでいたら優しくしてやりたいし、早く元の状態に回復してほしいと思うさ。苦しむ親しい人間を見ていたい奴なんて、よっぽどのドSでない限りいない。親しいからこそ辛そうな姿を見ると心苦しいし、見続けたくないと思うから手を差し伸べたくなる。
そうやって庇うこと慰めることで本人に傷から目を逸らさせ癒させる、それも立ち直らせる方法の一つだ。
でも今回の場合は、ロイ君本人のためにもあいつらのためにもそうやって傷を舐めて目を逸らすのではいけない。キツイけれど、向き合ってもらわなきゃならない。
一生海軍にいるならば、ロイ君には、人間兵器であることとそれに伴う常人には想像も付かない苦しみが付き纏う。目を逸らしても、いつかは否応なく見せつけられる。逃げられはしない。
あいつらもロイ君の友達を続けるつもりなら、今回のように苦しむロイ君を側で見続けなければならない。見続ける苦しみから逃げられはしない。
友達であり続けるならば、目を覆うのではなく、覆ってやるのでもなく、一緒に見続けて抱えてやる覚悟が要る。
それができないのならば、離れていくしかない。
「言っとくがな、あいつの抱えてるもんは生半可なもんじゃないぜ?」
ああ、なんだかロイ君の時みたいに若い子を虐めているような構図になってきた。
俺、こんなネチネチと偉そうに説教をかます嫌な大人って柄じゃないんだけど。また貧乏くじ引いた気がする。
ロイ君に続いてまた後輩に嫌われそうだ。ちょっと悲しくなってきた。
でもここまで来たら、言い切るしかない。
「身勝手に同情を掛けるなら、さっきも言ったが話さない。ロイ君の友達も辞めろ」
やけに俺の声だけが室内に響く。目の前の三人は一言も返してこない。
「さあ、どうする?」
生温い夕凪がカーテンを揺らしている。
開け放った窓の枠に凭れ掛かって、最近背伸びして吸い始めた葉巻に火を点した。
重たい煙をゆっくりと吸い込んで、舌先に染み込むシャープな苦さを楽しむ。
そうしてから、暮れなずむ白い街並みへ向け、夕陽の紅を透かす煙を細く吐き出す。
窓の下に目をやれば、夕日に伸ばされた人影が3つ士官学校の方へ行くのが見えた。
俺が話せることは話した。助言できることは助言した。
これからどうするかは、あいつら次第。口を噤んで離れるか、それとも……。
「とりあえず、中将に報告しときますかね」
これを吸い終わったら、中将に伝えておこう。
ロイ君が持ち直すかもしれない、と。
完璧な説教回になってしまいました……。
リーヴィス大尉に申し訳ないけど、こういう役回りが必要でした。