焔の海兵さん奮戦記   作:むん

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現時点のロイは登場人物中で精神面が最弱。


第9話 親友という存在

 南の海で海賊船を爆撃してから、二週間と少し。

 

 あの時俺がもたらした地獄絵図が、ずっと頭にこびりついている。

 消し炭と言っていいような黒焦げで半分沈んだ海賊船と、海面に浮かぶ幾つもの焼死体や残骸と、いろんなものが燃えた気持ちの悪い臭いが広がる光景。

 到底生身の人間一人がなせる破壊や殺戮ではなかった。壊すため、殺すために誂えられた兵器が生み出したと言った方がしっくりくる。

 自分が自分の知る自分ではない、人間ではない悍ましい存在の証しに思えた。

 呆然としている俺の思考に、追い打ちを掛けるように中将が耳打ちしてくれた言葉が混ざる。

 この恐ろしい力を狙う人間が海軍には山ほどいて、命令のまま動く人間兵器として扱われ続ける可能性が大きいという。

 もしかすると、俺は任官してすぐ人間兵器として戦わせられ続ける。自分の意思を無視されて、強制的に海賊や敵と上が判断したものを焼き続けさせられる。

 俺はその中で、いつまで兵器扱いされる嫌悪感と苦痛に耐えられるのだろうか?

 これから先、それらが薄まることはあっても、きっと感じなくなることはないと思う。細かくなったそれらは、着実に心の中に蓄積されていく。

 だとすれば、いつか俺は心の中に降り積もるものの重みに耐えきれず、精神的に死ぬんじゃ、ないだろうか。

 その時、おそらく俺は命令に従順な人の形をした兵器となる。

 パシフィスタになったバーソロミュー・くまのように、感情も意思も失う。

 

 

 俺が、俺で、なくなってしまう。

 

 

 死ぬほど、恐ろしくなった。

 俺のことも、友達のことも、大切な記憶と感情のすべてが、何もかも俺の中から消されてしまう。

 俺の知らないところで、俺が勝手に動かされ、他人に良いように使われる。

 殺すために、壊すために、俺が消される。殺されて、道具に作り替えられる。

 許容できようはずもない。いつか殺されるのをわかって従えるはずない。

 

 嫌ならば、拒否すればいいのかもしれない。逃げればいいのかもしれない。

 でもそれをしたら、俺の周りの人間にも被害が出る恐れがある。

 たとえば、俺を従わせるために友達を人質に取る、とか。

 有り得そうで非常に恐ろしい結末だ。

 この先いつになるかはわからないが、ドレークとスモーカーは悪魔の実を食べるはずだ。そして希少な動物系古代種と自然系の能力を得る。科学部隊が悪魔の実の研究のために弄繰り回したがりそうな素体になってしまうのだ。

あいつらを俺の脅迫材料兼実験のモルモットにされるなんて、耐え難すぎる。

 友達を人体実験の材料にされたくなければ、と脅されれば俺には拒否など不可能だろう。

こっちに来てから俺の弱っちい心を支えてくれたのはあいつらだ。一番大切で無くてはならない存在になっている。いくらチキンの俺でも、身を挺してでも守りたい領域の人間なんだ。

 身代わりにして逃げるなんて、絶対できない。

 

 この力のせいで、こんな力を示してしまったせいで、俺の大切なものが脅かされている状況に陥るなんて、考えもしなかった。

 

 初めて自分の手で人を殺した嫌悪感や罪悪感はゆっくりと、納得し切れはしなかったが、それでもゆっくりと消化はできた。

 人を殺すことはやっぱり嫌なことだ。だが、嫌だからと言って殺さないでいると、味方が殺される。だって向こうはこっちを殺しに来るんだ。

 殺さなきゃ殺される。必ず人死にが出るのなら、せめて味方が死なないようにした方がまだいい。

俺のせいであの時怪我をした海兵たちを見てそう思った。幸い死者は出なかったけれど、死んだ奴が出ていたらこの罪悪感はもっと耐え難いものになっていたかもしれない。

 味方を守る為に殺す。陳腐でありきたりで、一応は正当な理由だ。俺の気分を少しでも軽くするための方便でしかないが。

 だが中将やその副官のリーヴィス大尉に言われたように、殺人を楽しまなければいいのだからとりあえずこれで良い。

 そう思い込んでおくことで、どうにかこうにか一応自分の中に落とし込んだ。

 しかし、これだけは自分に飲み込ませる方法が見つからない。

 俺が俺を失い、人間兵器となるかもしれないこと。

 友達を巻き添えにしてしまうかもしれないこと。

 吐き気を催す恐怖が這い上がってきて、腹に収められない。

 そうはならない可能性があるとわかっていても、回避する方法も探せばあるとわかっていても、納得しない自分がいる。

 本当に上手くいくのか、回避できるのか、思い通りいかないことの方が多いのではないのか。

 思考が、ずぶずぶと底無しの悲観的な沼に沈み込んでいくばかりだ。足掻いても、足掻いても、同じ暗い場所を廻る。

 繰り返し見る最悪の結末を映した悪夢が、俺の思考を縛り付けている。

 

 できるならば、ドレークたちに全部ぶちまけて縋りつきたい。怖いんだ、助けてくれと泣き付きたい。絶対にあいつらは手を差し伸べてくれる。全力で庇ってくれるし、親身になって慰めてくれる。俺たちの仲が確かな分、断言できる。

 一番俺を癒すには良い方法だ。抱える不安も恐れも格段に軽くなって、今みたいに苦しまずに済む。

とても魅力的な選択肢だが、それをしてしまうことであいつらをもっと深く巻き込んでしまうことが恐ろしい。

 俺が友情に甘えてぶちまけることで、原作であいつらが知るはずもなかったことを知り、関わるはずがなかったことに関わり、不幸にしてしまうのではないかと思うと胸が苦しくなる。

それに俺もあいつらも、まだ海兵ですらない。抵抗しようにも、俺を守ろうにも、上の意向一つで簡単に吹っ飛ぶ。そんな弱い立場であるのに、こんな途方もないリスクを背負わせ、あまつさえ庇護と安心を与えてくれなんて言えない。

 

 離れてしまうべきなんだろうな。

 ゆっくりと距離を取っていって、単なる同期程度の位置まで下がれば、ドレークたちの脅迫材料としての価値は下がるはずだ。

 たまに任務や本部のどこかで会ったら社交辞令程度に挨拶するくらいの付き合いなら、誰も俺を脅すに足り得ると思いはしない。

 あいつらを守るためならば、離れるべきなんだ。

 暫くはどうした何があったと心配してくるだろうが、緩く拒絶し続ければそのうち疎遠になっていくと思う。

 特にスモーカーは感情の機微に聡い。俺の隔意を察して距離を取ってくれるだろう。それに合わせて、ドレークも、ヒナも。

 独りになることで、大切な友達を守れるなら安いもの。もっともリスクが少なくて済むのだと頭の中では計算できている。

 分かっているくせに孤独を厭う感情が邪魔をして実行に移せない俺は、本当にどうしようもない人間だ。

 一応、距離を取る努力はしている。しかし無理にやっているせいでただの挙動不審にしかならず、帰ってドレークとスモーカーを訝しがらせるばかりの結果に終わっている。

 おかげで俺の身に遠征中に何かあったと感づかれてしまい、何があったとか話してみろとか詰め寄られている。

 口を割るわけにはいかないから、黙秘を貫いているがそろそろ限界だ。

 必死で口を噤む俺に、弱い心がそんなに心配してくれているなら話してもいいじゃないか、と囁く。 これで巻き込まれてこいつらが後悔したり苦しんでも、それはこいつらの選択の結果だ。自分のせいじゃない。差しのべられた手にしがみついて引き摺り落としても気に病む必要はない、と。

 グラつく気持ちが誘惑に乗って、もう何度か口を滑らしてしまいかけている。

 口から助けを求める言葉を零しかける度、手が服の裾に縋りつきそうになる度、我に返って慌てて自分を抑えることの繰り返し。

 巻き込むわけにはいかないのに、日々心の中に積もり続ける暗くて重たいものに心が負けそうになる。

 

 

 

 怖い、苦しい、息が、詰まる。

 今の状況は、海の中に溺れて沈んでいくのに似ていた。

 

 

 

 

 

 今夜も悪夢から飛び起き、眠れなくなって寮を抜け出す。

 あの日以来とにかく夢見が悪く、寝れば悪夢しか見れない。一度起きてしまうと、その後は眠れなくなる。最悪の未来の夢を見たくない。

 だが、そのまま一人部屋の中で起きていても手持無沙汰だ。寝ているドレークたちがいる手前、明かりなんかつけられないから本すら読めない。真っ暗なベッドでジッとしていると、それこそネガティブな思考に捕らわれてしまうばっかりでしんどい。

 結局、毎晩カンテラ片手にひっそり窓から抜け出し、いつもの非常用階段の踊り場を目指す。

 外付けの階段のそこは日中もあまり人が寄り付かないし、夜間見回りの連中も手抜きをするポイントだ。隅っこの方で座っていれば、ボンヤリ夜明けに向かって移ろう夜空を眺めて過ごす分にはバレないし静かでいい。

 だからこっちに来て以来、どうしても独りになりたい時はそこに逃げ込むようにしている。

 足音をできるだけ消して階段を上り、目的地にようやく到着。カンテラの火を消して、さて座ろうかとした俺の背中に、よく知り過ぎた声が飛んできた。

 

「やあ、ロイ。ここは涼しくていいな」

 

 振り返ると、寮で寝ていたはずのドレークとスモーカー、どっから出てきたのかわからないヒナがこっちに向かって階段をゆっくり上がってきていた。

 なんで今夜に限って後を付けて来ているんだよ、この三人。

 驚きで走り出した鼓動を抑えつつ、ちょっと警戒して壁際に寄る。

 

「……何しに来た」

「お前がいつも夜どこに行っているのかなと思って付けて来た」

「は?」

 

 軽い調子の答えに、少し戸惑う。

 本当に何をしに来たんだ。今までだってホームシックとかで夜中に抜け出すことはあった。最近は頻度が多かったけれど、いつもそっとしておいてくれたくせに、今更何言ってんだよ。

 眉を寄せて出方を窺うが、やつらは普段とほとんど変わらない様子で結構高いとか、景色が良いとか雑談している。

 いつもと変わらないそれが、逆に怪しく感じられるのは気にしすぎだろうか。とりあえず距離だけは取っておく。

 

「帰ってくれ」

 

 煩くて困る。独りになりたくて、わざと心底嫌そうに言い放つ。

 

「どうしてだ?」

 

 不思議そうに首を傾げる気配がする。

 本当にいつも通りなのが、妙に癇に障った。人の気も知らないで、と。

 

「私は今、独りになりたいんだ。帰ってくれ」

 

 怒鳴り散らしたい苛立ちを何とか腹に仕舞いつつ、必要な言葉だけ絞り出す。

 暗い俺の声が、暗い踊り場に吹き抜ける。

 返事は返ってこなかった 。三対の視線がこちらに向いていることだけは感じる。俺も目を逸らさず、三人を見据える。

 スモーカーのタバコの火だけが、仄かに赤く闇を照らしている。

 滲むような赤い光りの下で、薄い唇が微かに動いた。

 

「そんなに海賊船沈めたのとこれからのことに悩むのが忙しいのかよ?」

 

 心臓が耳元でやけに大きく跳ね上がる。

 今、こいつはなんて言った?

 ドレークもヒナも、驚いた様子はない。

 どういう、ことだ?

 

「何故、お前たちがそれを知っている」

 

 内心戸惑いつつも、問い質す。

 どこから知った。あれは正式な手続きを踏んでいないもので、あの時甲板にいた人間全員に緘口令が敷かれている。

 だから噂になるはずもないし、俺ももちろん話していない。

 一体どこから漏れた?

 ますます険しくなる俺の雰囲気を意に介しもしていないみたいだ。

 気持ちが勝手に毛羽立つ。

 

「リーヴィス大尉から聞いたの」

 

 あの人か。そういえばヒナと面識があったな。それ繋がりで聞き出してきたのか。

 まったく余計なことをしてくれる人だな。こいつらに教えるなんて、いったい何考えてやがる。

 

「遠征中のこと、全部聞いたわ」

「そうか」

「ロイ君が海賊船を撃ったことも、サカズキ中将たちに目を付けられていることも」

「……大尉も中々込み入ったところまで話してくれたものだな」

 

 本当に全部話しちまったのかよ、あの性悪大尉め。そんなとこまで話したら、こいつらのことだ。無理にでも俺に手を差し伸べようとするのがわからなかったのか!?

 巻き込みたくないって俺の思いを踏みにじりやがってと腹が立つ一方で、どうにか突き放す方法を模索する。

 知られたものは仕方がない。だけれど、ここから先には踏み込ませない。それがこいつらのため、俺のためだ。

 

「まあ、色々あったし、今もあるが、心配には及ばない」

 

 一度ゆっくり息を吸って、言葉を紡ぐ。

 突き放すために何を言えばいいか考えながら、ひさしぶりに口元へ微笑を添える。

 

「気遣ってくれて嬉しいが、これは私の問題だ。お前たちには関係ない、放っておいてくれ」

 

 頬が強張って上手く笑えない。まるでこっちに来た時に戻ったみたいだ。

 それでも声と言葉だけは拒否を示せた。明確に拒めば、ちゃんとわかってくれるはず。

 

「嫌なこった」

 

 一番理解してくれるはずの奴の口が、期待に反した答えを不機嫌そうに吐き捨てた。

 予想外の事態に呆気にとられ、せっかく浮かべた笑みが簡単に崩れてしまう。

 

「嫌って、お前」

「確かにてめェの問題に、俺らが口挟んでもどうにもならねェのはわかってるさ」

 

 そう言いながらスモーカーが俺の開けた距離を遠慮なしにズカズカ詰めてくる。

 慌てて距離を取ろうにも、もう後ろはすでに壁で逃げられない。

 せめても俯いて視界から追い出そうとするが、シャツの襟を掴み上げられて無理矢理上を向かせられてしまう。

 

「だがな、いつまでもその湿気た面見せ続けられんのは、気分悪ィんだ」

 

 間近で薄い色の目が苛立たしげに俺を見下す。

 まともに視線を合わせたくなくて、強く目を瞑る。

 

「だったら、無視してくれればいい」

 

 そのまま離れて見なかったことにしてくれれば、こちらとしてはありがたい。

 見ていられないのなら、見ないでくれ。無理矢理俺が見せないようにするよりも、そっちの方が簡単だ。

 

「私のことなど、全部最初から見なかった、知らなかったことにしろ」

「あぁ?」

「お前たちのために一番良い方法だ。私を無視すれば、危険な目にも合わない、嫌な気分も味わわずに済むだろう」

「……本気で言ってんのか、てめェ」

 

 俺が本気でないとでも思ってるのか、スモーカー。何でわかってくれない。お前はそういう面で聡いと思ってたのに。

 じれったい思いを押し込めて、ゆっくりと首を縦に振る。

 

 

「っぐ!?」

 

 

 一拍置いて返されたのは、言葉じゃなかった。

 右頬に鋭い痛みが走る。思わず閉じた目を開くと同時に、思いっきり壁に押し付けられた。衝撃と痛みで息が詰まり、目の奥に軽く火花が散った気がした。

 開けた視界一杯に未だ見たことがない形相のスモーカー。あまりの気迫に、何をするとか、止めろとか、言おうと思っていた言葉が飛び去ってしまう。

 

「ふざけんな、できねェから此処に来てるんだよ」

 

 火の付いたような怒鳴り声ではない、淡々とした静かな言葉の連なりに困惑が増す。

 顔だけ見ればものすごく怒っているのは間違いない。気が短いこいつはこういう時、口角から泡を飛ばす勢いで怒鳴りつけてくるはずだ。

 いつも通りではない。いつも通りでなさすぎて、どう対応すればいいのか判断できない。

 

「他の奴なら、俺たちゃとっくにそうしてる。お前だからできねェ、だから此処にいるんだろうが」

「私、だから……?」

「危険な目? 嫌な気分? それがどうした、ンなもん全部納得済みだ、馬鹿」

 

 全部納得済み? 俺に関わってもデメリットが大きいとわかっていて俺を追ってきてくれた?

 あまりにも俺にとって都合が良さそうなそれに、ますます混乱する。

 本当にこいつら、わかって言ってるのか。大尉の話を聞いて、どう判断したんだ。俺に同情するあまり、リスクを甘く見てるんじゃないのか。

 安い同情で言っているなら、痛い目に遭わないうちに離れてほしい。

 でも、本当にちゃんと理解して言ってくれているのなら?

 縋りついてもいいのだろうか。ぶちまけてもいいのだろうか。そのせいで知らずともいいことを知らせて、巻き込んでしまっても許されるのだろうか。

 もうどうしていいのか、俺にはわからない。

 

「ロイ」

 

 襟元を掴み上げていたスモーカーの手が緩む。支えを失ってよろけた身体を背にした壁に寄りかからせ、ぼんやりと呼ばれた方へ向けば、いつの間にかドレークとヒナも近くに来ていた。

 青い穏やかな視線を俺と同じ目の高さに合わせて、ドレークはゆっくりと噛んで含めるように俺に告げる。

 

「スモーカーの言う通りだ。納得した上で、みんな此処にいる」

「そんな……」

「お前と友人であることで何があっても構わない。受け止めてやる。俺たちにはそれができないほど狭量に見えるか?」

 

 簡単に言うな、と続けかけた口が頭の上に乗せられたヒナの手のひらの温かさに塞がれる。

 いつもなら子供扱いされたみたいで腹が立つ行為なのに、どうしてだろう。陳腐な話だが、今はそれだけで俺は安心しかけている。

 ほっそりした指で俺の髪を梳きながら、ヒナが優しく笑う。

 

「わたくしたち、ロイ君が心配してくれるような目に遭っても、誰も貴方を恨んだり友達であることを後悔したりしないわよ。約束するわ、ヒナ約束」

 

 今日初めて、しっかり三人の顔を見る。

 俺の中でつっかえていた何かが、落ちる音がした。

 つかえたものが取れた後に、久しぶりに温かいものが流れ込んでくる。

 じわりと目の奥から熱が滲み出して、世界の輪郭が柔らかくぼやけた。

 

「わかったら余計な気ィ回してんじゃねェよ。とっとと吐いちまえ」

 

 ぶっきらぼうなスモーカーの言葉に背を押されて、俺は声も出せずに首をもう一度縦に振った。

 

 

 

 

 

□□□□□□□

 

 

 

 

 東の空の端が、ほんのりと赤い。滲むような朝焼けが夜の終わりを見せている。

 隣を歩くスモーカーに背負われたロイを覗き込む。童顔の彼は、目を閉じていると更に幼さを感じさせる。

 起きている本人に言ったら烈火のごとく怒るだろうが、泣き疲れて寝たという今の状況は本当の幼子のようだった。

 

 意を決して詰め寄った結果、ロイは抱えていたものをすべて吐き出した。

 

 自分の予想以上の能力に対する畏れ。

 人間兵器として扱われる苦痛。

 この先、自分を失うかもしれない恐怖。

 自分を意のままにするため俺たちに危害を加える輩が出ないかという危惧。

 

 考えすぎているところも多々あるようだが、色んな不安と恐怖が折り重なった状況では冷静な判断が付かなかったのかもしれない。

 すべてが怖いと泣いていた。自分に降りかかることだけでなく、俺たちに降りかかるかもしれないことまでも。

 

「感情も記憶も奪われて人間兵器にされる、俺たちを人体実験に使われるかもしれない、か」

 

 ロイの吐き出したことを、口にしてみる。

 本人が人間兵器にされるという可能性は、確かに大きい。

 それはリーヴィス大尉も言っていた。海兵であるならば、この先何度も、どんなに嫌がっても、ロイは道具扱いされるだろうと。

 しかし、俺たちを人体実験の材料にされるかもしれないというのは、どういうことなのだろう?

 ロイが人間兵器として扱われるのを拒まないよう人質にするとしても、最前線送りにするとか、何かしらの罪を擦り付けて捕まえるとかの方が現実的だと思う。

 どうしてロイの思考はそんな方へ飛んだのだろう。

 

「……この前、本部に行った時、小耳に挟んだことがあるの」

 

 ふいにヒナが口を開いた。少し後ろを歩いていた彼女を振り返る。

 

「最近ね、Dr.ベガパンクという人が、海軍に来たんですって。とても優秀な科学者で、発明家だそうよ」

「その人物がどうかしたのか?」

「色々と海軍や世界政府にとって有益な研究と発明をしているそうなのだけど、今の彼の主要な研究テーマが二つあって」

 

 妙な影をその美貌に浮かべて、躊躇いがちに続ける。

 

「悪魔の実と、人造人間に関するものみたい、なの」

 

 ぴたり、と足が動かなくなる。

 スモーカーも立ち止まり、ヒナを見つめる。俯き加減のヒナは、じっと自分の足元に目を向けていた。

 

「噂よ、あくまで噂。でも、これって、ロイ君が不安に思っていることと……」

 

 なんてことだろう。

 最後まで聞かなくても、ヒナの言わんとするところに思考が行きついて、ひやりとしたものが背中を走る。

 悪魔の実と、人造人間の研究。

 詳しくはわからないが、どちらも生物に深く関係する分野の研究だろう。そういうものには、試行錯誤が重要だ。実験や調査を重ねて、目的に辿り着く道筋を探す過程が無くてはならない。

 この場合の実験とは、おそらく、動物実験や人体実験。

 悪魔の実の能力者や、生きた人間を使った実験が主体となるのではないだろうか。

 そして、俺たちは能力者が一人、健康体の人間が二人。十分に、そういった実験体の条件を満たしている。

 つまり、ロイの危惧はあながち的外れではないということか。

 

「こいつ、面倒くせェ奴らにばっかり目ェ付けられちまってんな」

 

 眠ったままのロイを背負い直しながら、スモーカーが溜息を吐く。

 ロイは知っていたのだろう。Dr.ベガパンクという人物の研究がなんであるのかを。

 その上で、自分だけでなく俺たちにも危害が加えられるのではないかという危機感を抱いた。一人でその恐怖や不安を、抱え込もうとしていた。

 きっとそれは、生半可な恐怖や不安ではない。

 俺たちではどうにもしようがない問題だ。あまりに事が大きすぎるし、得体が知れなさ過ぎる。

 今更大尉に言われた安い同情を掛けるなら止めておけ、という言葉の意味がわかった気がする。

 軽く考えて関わり、取り返しのつかないことになれば後悔するのは俺だけじゃない。巻き込んでしまったという罪悪感がロイを苛む。余計に辛い思いをさせるばかりになるかもしれない。

 

 

『一緒に背負って、堕ちてやるくらいの覚悟を決めてやれよ』

 

 

 一昨日、最後に言われた言葉が耳に返ってくる。

 何が起きても後悔しない。ロイのせいにせず受け止める覚悟を決めろという言葉が。

 

「……二人とも、逃げ出したくなったか?」

 

 俺の問いに、二対の視線が俺のそれに重なる。

 

「ンなわけねェよ」

「絶対ないわ」

 

 明確な答え。聞かずとも、十分に相談し合っているから、答えは既にはっきりしている。

 けれども、改めて聞いておくと安心した。

 

「そういうお前はどうなんだ、ドレーク」

 

 最終確認するかのように、スモーカーがじっと俺を睨みつけてくる。

 真正面からそれを受け止めて、静かに口を開く。

 

「逃げないさ、絶対に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




うちのスモーカーはロイを殴ったりしばいたり拳で語りすぎな気がする。

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