衛宮士郎が大真面目に存在が不真面目なサーヴァントを呼ぶようです 作:融合好き
「…………、………!!」
絡みつくような潮風の匂いで目を覚まし、すぐさま全身を跳ね上げるようにして身を起こす。猛烈なまでの予感が、未だ覚醒し切れていない意識の中でもなお警鐘を鳴らす悪寒がこの身を安寧に誘うことを許さない。
俺は一体、あれからどれほど眠っていた? 眠気は言うに及ばず、不思議なことに、あれだけ感じていた倦怠感も今はない。何が起きているのかはわからない。ただ、俺にはまだできることがあるらしい。なら、こんなところでうかうかしてはいられない。
「……このタイミングで覚醒しますか。運が良いのか、悪いのか。ある意味『持って』はいるのでしょうが、僥倖とは口が裂けても言えませんね」
「──! アンタは……」
まずは状況を把握すべく、周囲を見渡す──その前に、いつか聞き覚えのある声が、かつてとは異なる響きを持って俺に投げかけられる。
時代錯誤な格好をした金髪の少女騎士。慌ただしい日々を経ても彼女のことは忘れるはずもない。あの時、俺がこの聖杯戦争に関わるきっかけを生んだあの日──深夜の学校で、目撃者である俺に傷を負わせた、おそらくはセイバーのサーヴァント。
(っ………)
警戒を露わにする。あの時はランサーの介入があって見逃されたが、今回はそうはいかないだろう。何せ今の俺の側には戦闘だけは頼りになるあのサーヴァントがいない。あれほど過保護だったランサーがどうして、という疑問も浮かぶが、それよりもこの状況はどういうことなのか。何故俺はこんな浅瀬の海岸で布団に包まって眠っていたのか。何もかもが理解できない。
困惑する俺を見兼ねてか、それとも別の思惑があるのか、少なくとも表面上は穏やかに敵意を見せることもなく、推定セイバーはどうしてか宥め賺すように俺へ語りかける。
「結論から申しますと、貴方はここで何もかもを見て見ぬ振りして逃げてしまった方がいい。巻き込んでしまった私が言うのも妙な話ではありますが、それでも、この地に眠る
瞬間。
ぼこっ、と鍋が突沸したような音とともに、不意に身を躱した少女騎士のすぐ側へ黒いヘドロのような何かが飛来する。あまりに突然のことながらも、絶景とも言える海景色の中でそれはあからさまに浮いていて、そもそも何故俺がこんな海岸線に推定セイバーと居たのかも相まってまるで現実味が感じられない。
「………は?」
まじまじと飛来した謎の物体を見つめる。見覚えはないはずなのに、ひどく既視感のある暗黒物質。これは。
(…………?)
何だ、これは。いや、どうして俺はこんなものに既視感を抱いている? こんな明らかに異常な、まるでどす黒い感情を抽出し煮詰めて固めたような、何一つとして
(──………)
既視感の正体に思い至る。と、同時に改めて周囲を見渡し──すぐに諦める。改めて見るまでもなく、視界の先には見渡す限りの大海原しか存在しない。今更だが、ここは何処なんだ。どうして俺はこんなところにいる。しかも布団ごとセイバーらしき少女と共に。何が起きたらこんな事態になる?
「ここはおそらく、心象風景を具現化する魔術、固有結界──と呼称される空間の一部、いえ、その『果て』とでも言うべきでしょうか。この表現が適切かも分かりませんが……」
「果て……?」
どうにも嫌な予感が拭えない。そんな予感に違わず、波打ち際ギリギリのところの海岸線で佇むセイバーが夕日に顔を照らされながら不穏に切り出す。当然、疑問符を浮かべる俺に、夕日の真下、海岸線のその先を見つめる。
「こういった閉鎖空間には珍しいですが、この固有結界は術者を中心としてではなく、どうにもこの場所を起点として広がっているようです。害意や悪意の類も感じられず、何かしらの仕掛けもない。あくまで推測の域は出ませんが、この固有結界はここから見える風景、すなわち『どこまでも広がる大海原』であることに意味があって、それ以上の意図は無い──そのように私は考えています」
心象風景──そう言われ、不思議と納得する。というのも、このあまりに異様な状況下において、それでもどこか心の奥底では安堵のような柔らかい感情を覚えることを疑問に思っていたからだ。それについて、この空間自体が誰かの心象風景、心の中であるとするなら、理屈を抜きに納得できるものがある。
そして、と彼女は一度言葉を区切り、彼女につられて海を眺めていた俺へ指し示すよう人差し指をある一点に固定して告げる。
「あの先……水平線の向こうに貴方のサーヴァントがいます。しかし同時に、あそこにはその少女が自身ごと隔離した私のマスターが存在する。
彼女が貴方をこの場所、波打ち際まで移動させたのは、貴方に覚醒を促し、ここから脱出させるためでしょう。この場所からそう遠くない高台に単体で設置されている不自然な扉があります。おそらくですが、海に背を向けその扉を解放すること。それがこの固有結界の脱出方法です」
私を諸共に移動させた理由こそ不明ですが、と締めくくり、隔離されたマスターのことも特にそれ以上語ることはなく、また彼女は俺に危害を加える様子もなく佇んでいる。今一つ彼女の動機はつかめないが、どうも彼女は俺の行動に干渉するつもりはないらしい。これは本当に有難い。
「分かった。………感謝する」
「いえ……」
理由はどうあれ親切にされたので礼を告げると、どこか歯切れの悪そうに返答する少女騎士。もしやと思うが、目撃者を始末しようとしていたあの日のことを彼女も彼女で気にしていたのだろうか。分からない、が、彼女の言葉は実直で、嘘をついている様子はない。そもそも彼女が俺に危害を加えるつもりなら既に俺の命はない。なら、敵であれある程度は信用してもいいのだろう。
(どうすべきか。いや……)
事情は大まかに把握した。要するに現状は、ランサーのいつもの先駆けの結果だろう。勇往邁進、と言えば聞こえはいいが、ランサーはいささか先走りすぎるきらいがある。否、ランサーはランサーなりの確とした行動原理があり、一般人である俺がそれについていけていないだけだが、ある種の命綱である俺をこうまで蔑ろ……にはしていないんだろうが、なんだろう。彼女自身は過保護なんだがどこか致命的に噛み合っていないというか、そうだ、多分、
(………慣れていない、あるいは経験がない?)
本人の言が正しければ、ランサーは厳密にはジャンヌダルクではない。そしてランサーの思い出話には常に、彼女を導いていた一人の少年の姿があった。ならば彼女に指導者としての経験などあるはずもなく、あったとしてそれはおそらくランサー本人の経験ではない。今俺がいるランサーの固有結界とやらにも、どうにもジャンヌダルクの逸話と噛み合わない。ならばこれは、きっとリリィの心象風景。
(海を見たかった……とか? あいつは自分を擬似サーヴァントだの実験室のキメラだのと言っていた。ずっとカルデアの施設内で過ごしていたようなことも仄めかしていた。だからだろうか? 当の本人がここにいない以上、どこまでも予想にしかならないけど……)
無くはない、レベルの話だ。しかしあのジャンヌダルクオルタリリィのこと。逆にどんな経験をしていてもおかしくない。そもそも、そんなことは重要じゃない。今必要なのは、これから俺はどうするべきか、どうしたいのか、という話。
(この手の話題に正答はない。どれが一般的には正しくても、結局は俺の意思一つに左右される)
考える。考える。考える。何をするべきか。何がしたいのか。何も分からないまま、それでいいのかと自問し続ける。
進路も退路も理解した。推奨された道も納得はした。しかし、それでも。まだ俺にはできることがある。いや、俺にできることが何も無くたって、このまま手をこまねいているのは、嫌だ。
足を海へと踏み出す。数歩進んですぐに違和感に気づく。水深が浅い、浅すぎる。今も足を踏み出し続けているのに、もう20は足を踏み入れたはずなのに、まだ脛にすら水面が到達していない。しかもその上で足元は深い青に染まり、それなりの白波が立っている。明らかに自然ではない。しかし、今はそんなことよりも、と思い直し、まずはこの先の水面もこの調子なのかを確かめるべく、そのままセイバーが指差す方向へと駆け出そうとして──
「──やはり、貴方はそちらへ向かいますか。どうしてでしょう。不条理な選択のはずが、不思議と納得している私がいます」
「──………?」
足を止める。足が止まる。呼び止められたわけでも、まして咎められたわけでない。なのに、不思議と耳を傾けてしまう。
「先程の泥を見ましたか? あれはおそらく──聖杯の中身、いえ、正体と呼ぶべきもの。この冬木の地で争い殺しあったサーヴァントの怨念や悔恨が泥の形で顕現した人の悪性の結晶です」
「な──」
「ランサーはこれを『ケイオスタイド』と呼称していました。この国の言葉では渾沌の海、と言ったところでしょうか。ただ見た目やこの固有結界との連想から安直にそう名付けたわけではなさそうでしたが──ひとまず、まずは一度深呼吸でもして冷静に、改めて貴方が立っている
「ぇ………」
押し寄せる不安に、這い寄る悪寒に、進めようとした片足が固まり、そのまま力無く浅瀬を踏みしめ、そこから地面が
「ッ………!?」
反射的に後方へと飛び退ける。海月を踏みつけた。そんなわけがない。そもこの固有結界に人以外の生物の気配は感じられない。海というものの厳しさを押し出した、奇妙なほど厳格で閑靜とした──
「──原初の光景。世界の果てが如く広がり続ける大海原。全てを覆う潮騒は、波は、底に眠るその邪悪を、塗り潰し押し流し包み隠し書き換えてなおも美しい」
ぼごり。ごぼ。ぼこぼこ。ごうごうと吹き荒れる風を、ざあざあと音を立てる波を、地球という生き物が主張する激しさを、海面のそこかしこで沸き立つ黒いナニカが台無しにする。
ランサーの心象風景──彼女の心に刻まれた、セイバー曰く『どこまでも広がる大海原』にはあまりに似つかわしくない異物──すなわち、聖杯の中身。正体……悪性の結晶。
「ま、さか………」
認識した途端、爪先から得体の知れない恐怖が躙り寄る。そうだ──この固有結界とやらが大海原であるのなら、どうしてここはこんなにも浅い? そして、ここにいるセイバーはどうして自分のマスターが海岸線の先にいると理解しているのに、頑なに海へ足を踏み入れようとしない? どうして。どうして。
まさか、まさか──つまり、この海は、単に“そういうもの”として浅いわけではなく、既に。もうここまで。最早こんなところにまで。海岸線のその先にある、この結界の中心から──
「私がこの固有結界に囚われてから半刻ほど、“それ”はランサーのいるこの結界の中心から2分に1キロ前後のペースで結界を汚染し、現状、つまり現在、海面が泥を押し留めているこの状態から既に5分が経過──ただでさえ飽和寸前、その倍は見込めないでしょう」
「な──」
「それでも、この結界の中にいる限り、貴方への呪詛は全て術者であるランサーが引き受けます。どうにも、この固有結界にはそういった性質があるようで。自己犠牲の精神──いえ、流石に敵である私には適用されないようですが」
ともあれ、と呟いて、武装を解き、何故か素足の状態となったセイバーは、そのまま流れるように海面に足を踏み入れる。が、どういう手品か、すらりとしたその足は水中に沈むことはなく、かといってアメンボのように水を弾いているわけでもなく、水面が大地であるかの如く堂々と。状況からしてきっと、真下にあるそれを避けていたはずなのに、そんなものをおくびにも出さず、セイバーはその白魚のような手を俺に差し伸べる。そう、まるで俺を導くように。
「貴方はランサーの真名を知っていますか?」
「え? あ、ああ……」
「でしたら、その逸話についてもご存知でしょう──人々に裏切られ、ついには魔女として焼かれた聖女の逸話を。
曰く、この風景は彼女が処刑される寸前、フランス北部に位置するル・クロトワを通過した際にようやく叶った幼き日の夢。それを具象化したものである。彼女はそう告げました。そして、」
そして、ならば、しかしそれ故に、この風景は彼女が望めば即座に次の段階へと移行する。ひとときの夢は覚め現実に引き戻される。それはあまりにも有名な逸話。彼女が後の世に聖女として祭り上げられた、その元凶とも言える悲劇。
「宝具名を『
「っ………!?」
何故、セイバーはそれを知っているのか。どうしてセイバーはその上で足を踏み出そうとしているのか。こちらに差し伸べたその手を、俺はどうすればいいのか。
「行きましょう。既に、猶予はあまり残されていない」
そんな言葉と共に告げられた導きは、いつか夢で見た少年の立場になったようで。
しかし、それでも、これまで独りでがむしゃらに突っ走ってきた俺は、
……………………
………………
…………
「そういえば、これどういった理屈で立ってるんだ? 魔術の一種なのか?」
「ああ──………ランサーのマスター、私の真名については……」
「知らない。心当たりどころか、そのための判断材料も持っていない。あと俺の名前は衛宮士郎だ。士郎でいい」
「ではシロウと。………この際、隠し立てはしませんが、私は湖の妖精であるヴィヴィアンより水にまつわるいくつかの加護を授かっています。水の上に立つ、というのもその一つ。まあ尤も、生前に特技と言えるほど使用する機会はありませんでしたが」
「へぇ………ん?」
不安を押し殺すため、努めて穏やかに会話をするも、改めて、妙なことになったものだと実感する。
かつては殺し殺されかけた間柄。それを防いだランサーの手によって共にこの空間に囚われて、しかも争いのきっかけとなった聖杯に脅かされ、今はどういうことか手を組み同じ方向へ向かっている。
正直言って、俺はこの状況を理解しているとは言えない。ランサーの現状や聖杯の真実云々についてもつい先程セイバーに聞いた情報のみ。騙されてるだけ、流されているだけだと言われても否定はできない。でも。
(騙される気はしない……というか、今も丁寧に運んでくれてるし、そういうことを得手しているようには見えないんだよな)
これも言ってしまえば単なる楽観だろう。もしくは、そうであってほしいと、人の善性を信じたい俺の願望。先の質問にも素直に答えてくれたのも助長しているのかもしれない。でも結局は単なる勘だ。ただなんとなく、彼女はそういうことをしないだろうと。
とはいえ、丁寧に運んでくれるのはいいんだが流石にお姫様抱っこは恥ずかしいというか何というか。いや贅沢を言えるような立場じゃないんだが。でも、いや、
(言い訳ばっかだな、俺……)
正義の味方への拘りといい、我儘でこんな悪趣味な戦争に首を突っ込むと決めたわけで、このザマでこの街に今まで我ながらよく五体満足でいられたなと自嘲する。
今だって、敢えて悪い表現をするならば俺の身柄はセイバーの手中に収まっているわけで。彼女が少しでも機嫌を損ねれば、俺はそのままお陀仏だろう──そこまで考えて、不意にセイバーが口を開く。
「………きっかけは、ランサーが私のマスターである言峰綺礼の心臓を貫いたことです」
「………?」
「彼は10年前の戦争の被害者でした。いや、あるいは加害者であったのか、彼が殺された今ではもはや真偽は不明ですが、事実として、彼はどうやら10年前の時点で聖杯の中身、ケイオスタイドに全身を汚染され、呪いをその身にたっぷりと蓄えていたようです」
「──」
10年前。被害。呪い。容易に自身の身に起きたあの出来事を連想するその言葉に身構える。浮かんだ疑問は即座に戦慄へと切り替わり、何かを言おうと震えた唇も気づけばその先を促す身動ぎへと変化していた。
「魔術とは縁です。金属をそれに近い性質を持つ物体へと置換する錬金術を代表に、その対象を連想させる道具、所作、空間と言ったように、大半の魔術はそれらの繋がりを重要視します。
ランサーが彼を貫いたその時、彼がその身に蓄えた呪いは同様の性質を持った聖杯のそれに呼応し、あるいは全く同一のものであったが故に共鳴し、結果として双方から溢れ出した泥は、驚くべき速度でこの結界を埋め尽くしました」
「…………」
セイバーはそう言いながら、出発前に指し示した方向を眺める。既に随分と進んだように思えるが、未だ目的地らしき場所は見えない。とはいえまだ距離にして1キロ程度、セイバーは水平線の更にその先、と言っていたので、10キロほどは見込んだ方がいいのかもしれない。
いや、そういえば、セイバーの証言では泥はこの結界を約25分で飽和、そのペースは2分に1キロだったか。なら単純計算で中央から端までは12〜13キロほど。そしてその面積は、学園を中心に俺や桜に遠坂の家をすっぽりと包む、つまり深山町の大半を占める広さに相当する。
この泥が人体にどのような影響を及ぼすのか、具体的には定かではない、ないが、サーヴァントであるセイバーさえも避ける悪性の結晶。そんなものが大量にこの街へ放出される可能性があったと考えるとぞっとする。
(……いや、それこそが10年前の──)
冬木市を襲った未曾有の大火災。今も脳裏に浮かぶあの光景。あれは単なる火事にしては妙なところが多々あった。考えてもみれば、遠坂さえも敬遠するような魔術師である爺さんが、たかが火事であれだけ必死に、泣きべそを掻いてまで生存者を追い求めるはずはないのだ。
つまり、現状、結論はと言えば、何をするにせよ失敗はすなわち10年前の大災害に相当する被害が出る。
「…………」
セイバーが何をするつもりなのか。どうして俺を連れて来たのか。まさかただの善意であるはずもなし、彼女は何を考えているのか。そもそもどうにかする手段があるのか。わからない、わからない。無い無い尽くしだが、嘆いてもいられない。
「………時間です」
「は?」
「いえ、訂正します──限界です。届くか……? いえ、既に他の選択肢はない──」
言うや否や、セイバーの靴裏に閃光が走る。のと同時、それまで表層は穏やかだった海面が瞬時に黒く染まり、そして即座に燃え上がる。
一面の火の海。しかしその色はそれまでランサーが身に纏っていた輝かない黒とも、泥が醸す混沌の闇とも違う、あまりに鮮やかな──“紅蓮”。
「──」
これが、この光景こそ、人々に裏切られたはずの彼女が最期に見たもの。こんな状況でもなければ、至った理由を知らなければ、その由来がわからないなら、ただ俺が、何も考えずにこの光景に見惚れていられたならば、それはどれほど良かったのか。しかし、それでも関わり続けると、それを選択したのもまた自分であるのだ。
その時、ふと、前方の水平線の際──水面に揺れる太陽とは別の方向に位置する、されど太陽にも匹敵するであろう巨大な火柱が天を衝いてるのが見える。
「あれは──」
「シロウ、時間がない──真偽は後、すぐに突入します……!」
「え? ──っ、うわっ……!?」
あれが目的地だろう。そんな予感はあったが、セイバーはその場所を視認するや否や、脇目も振らず火柱に向かって宣言する。
すると如何なるスキルの効果だろうか。垂直に跳び上がったはずの俺たちはどこからともなく吹き荒れる突風により方向転換し、勢いのまま火柱を突き破ってその中心に降り立つ。
紅蓮の火の粉が雪のように舞い散るそこにいるのは、ここ数日ですっかり見慣れてしまった自称サンタ服を着た少女──ではなく、彼女に非常に酷似した容姿を持つ、俺と同じか、一つ二つ年上であろう女性がそこにいた。
「ここは……どうして、ここだけは無事で……」
「──この場所は処刑台。かつて私、ジャンヌ・ダルクが処刑されたルーアンの広場……尤も、ただ本来の宝具の座標ではそうであるというだけで、我が固有結界、『
妖精の加護により水面に着地した俺たちに対し、これまた当たり前のように水面に立っているその女性は、十字が刻まれた紺色のマントをたなびかせながら告げる。
紅蓮に彩られた柔らかな微笑みは、かくも気高く美しい。が、纏う雰囲気、容姿を含む数々のパーツ、何よりもその発言からしておそらく彼女は、
「之よりは地獄の片道切符。故に贈る言葉はただ一つ。即ち、」
ようこそ諸君。早速だが死に給え──と、女性はどこか尊大な口調で語り、しかし流石に無理があると思ったのか、すぐに顔を赤らめて目を背ける。そして改めて、努めていつもの口調で語り始める。
「──という冗談はさておき、どうしてまだ此処にいるんですかセイバーさん。そして、マスター……」
「どうしてって、それは……」
「ええ。無論、貴女の訴えは理解しました。──だがそれを、敵である私が受け入れるかは別の話。貴女が全ての憎しみを背負う──その志は立派ですが、しかし現状、どのようなイカサマか、
「っ…………」
言い淀んだ俺を庇うように、セイバーは堂々と発言する。けれど女性──ランサーも今度は視線を逸らすことはなく、それでも先程よりかはやや辛そうな表情で、とんでもないことを。
「………この固有結界に満ちる”あれ”は、既にこの地に眠っていた聖杯の呪いとは別物です」
「………む?」
「この空間は私の夢──私の妄想より出づるもの。したがって、ここに侵入したあらゆるものには私の勝手なイメージが先行し、等しくその影響を受けます。それはあなた方も例外ではありません。瀕死だったはずのマスターがそうして平然と活動できるように。聖杯の呪詛だろうとも、マスターであるからという理由だけでここに満ちた毒の影響を受けないように。そんな地獄のような状況下にあってなお、この海は誰にとっても美しいように」
ここに満ちた毒。さらりと告げられたとんでもない情報に戦慄する。海中に沈んだ泥さえ俺は認識出来なかった。どころか俺は、この固有結界を単なる大海原としか見ていなかった。思い返せば、セイバーは不自然なほどこの固有結界について言及していたのに。
「セイバーさんのマスター………言峰神父は、変質した泥に耐えられず崩壊しました。あの人も敢えて泥をその身に蓄えていたからには、あれを御する理由なり手段なりを用意してはいたのでしょうが、あくまで人間でしかない彼に、妄想の産物とはいえ
そしてそれは、結界のあるじである私も同じ、いえ、本質が夢そのものであるこの私は、よりダイレクトにその影響を受ける」
それでもランサーが正気を保っていられるのは、呑まれた場合の恐怖が身に染みているため。つまるところ、
「既に
「……………………」
笑顔を崩し、真顔でランサーはそう訴える。彼女だって、不本意な選択ではあるのだろう。あんなものと心中するなど、誰だって避けたいに決まってる。けれど現状、それが一番丸く収まる選択であるのもきっとまた事実。故に、推測でしかないはずのランサーの言葉に、セイバーは苦虫を噛み潰したような表情で沈黙している。
──でも、それでも。
それでも俺は、まだ。
「本当に、どうにもならないのか……?」
「逆に、どうするつもりですか。この姿を見ればわかるように、私もあの泥に全身を汚染されています。
いえ、そもそも発動した
「この結界をどうにかして──」
「無理です。仮に出来たとして、それは私を結界の出口から引きずり出すのと同義、まるで意味がありません」
「その泥か毒を取り除けば──」
「それは現在進行形で行なっています。完了すれば晴れて私も昇天ですね。……すみません、流石に冗談が過ぎました」
「あれが聖杯の中身だって話なら、願望器としての機能が──」
「あると思いますか……? いや本気で」
「くっ………」
最後のは当然ながら、パッと思いついた方法が悉く否定され尽くして絶望する。何かないのかと頭を回しても、そもそも俺は魔術の造形に詳しいわけじゃない。そもそも、俺は先程告げた案すら実行できる立場にない。
どうすればいい──いや、そもそも何が正解で有るのか。彼女があれを引き受けるのなら、それを止めるのは本当に正しいのか? でも、それは嫌だ。しかし、なら、それは正義の味方として。俺は──
「論理的に考えて、物語のように都合よく全てが解決する手段はそう簡単に転がっていない、ということです。正義の味方とは結果論。現実はベストがハッピーと等号で結ばれる事件などそうそうない。間に合わない、どうにもならないは日常茶飯事です」
ですので。そう区切り、彼女は結論を述べる。これまでの戦争の評価を語るように、もうこれで終わりなのだと、俺に対して言い聞かせるように。
「総評、不合格。これに懲りたら、ロクな理由もなく厄介ごとに首を突っ込むのはやめましょう。ただひたすらに後味が悪いだけ……そんなもの、士郎さんだって嫌でしょう?
しかし、正義とは得てしてこういうもの。誰もが納得する結果などあり得ない。特に魔術に関わるなら、こんな事態はザラにある。ですので、その、あれです……」
微妙な表情で首を傾げ、頬の下をぽりぽりと掻きながら歯切れ悪くランサーは続ける。その子どもっぽい仕草に、少しあっけに取られる。
「………おかしいですね。諭しているつもりが、どうにも愚痴っぽくなってしまいます。
今回のことは残念でしたが、というか私も普通に無念ではありますが、これが嫌だと目を逸らすのも、奮起して立ち上がるのもまた貴方の選択です。
悩むのです、若人よ。それはきっと、巡り巡って貴女の糧となる──これは受け売りですが、これほど貴方に相応しい言葉もありません」
一瞬だけ誰かを思い出すかのように紅蓮舞う天を見上げたランサーは、また再び微笑んで、
「最後に一つだけ。無理はいけません。貴方の手が届く範囲は有限。常軌を逸してその領分を超え、全てを掬い上げられる人物に至れば、それはすなわち独善であり、誰かにとっても脅威でしかないのですから」
人の出来ることに不可能はない──いつか彼女が言った言葉。だがしかし、全能な存在はヒトであると言い難い。彼女は魔術師を、魔法使いを嫌う。それ故の言葉。でも、
「なあ、ランサー。もし、俺が本当の意味で
「…………………。いや、流石に無理じゃないですかね……言いたいことはまあ分かりますが、今回に限れば最初から詰んでいたようなものですし。まあ──」
未練がましく後ろ髪を引かれる俺に、律儀にもランサーは思案する。こんな問答をしている場合じゃないのは理解しているのに、いつまでも答えを出せずにうじうじとする自分が情けなくなる。
諦めの悪さではない、単なる格好の悪さ。駄々を捏ねる子どもと何ら変わりないその最期のやり取りが、関係するのかしないのか──
「万事解決、となると、
「──ほう?」
その言葉と同時に、それまで俺たちを囲んでいた紅蓮の火柱が討ち払われ、そこから
黄金の鎧を身に纏う、全てを見下した態度の金髪と赤目の青年。 まさしくランサーが告げた人物評と寸分違わぬ何者かは、まるでこの世の全てを把握しているかのように確信を問いた。
「な──」
「
その言葉に、あまりに都合の良い登場に、噂をすれば影がさす──それまでは単に諺としか認識してなかったそれに、魔術的な意味が含まれているのではないかと疑い始める俺なのだった。
ボックスに夢中で忘れていた訳じゃありません。………ごめんなさい。
紅蓮の聖女/海への扉(ラ・ピュセル/ラ・ノブレス・カルデアス)
ランク:D
種別:特攻宝具
レンジ:1人(自身)
最大捕捉:???
“主よ、この身を委ねます”という辞世の句を発動の呪文とし、炎を発現させる聖剣。
ジャンヌが迎えた最期を攻撃的に解釈した概念結晶武装。固有結界の亜種で、自身の心象風景を剣として結晶化したもの……というのが本来の宝具であるが、霊基の異なるリリィには再現できず劣化している。
己の生命と引き換えに生み出す焔が敵対するあらゆる者を燃やし尽くすという前提こそ健在なものの、そもそも彼女は生れ落ちた瞬間からランサーであり、剣を握った経験など生前には皆無である。
故に、「焔が英霊ジャンヌ・ダルクそのものである」という前提はリリィの心象風景を固有結界として表現することで取り繕い、それを世界ごと崩壊させ結末だけを同じくして宝具として成立させている。
色々書いているが、要するに天草地獄絵巻と内容的にはほぼ同じであり、リリィが最後まで残されているのは彼女自身に火刑の経験がないから。異常でもなんでもなく「正史のジャンヌ」に要素が近い方から順番に焼かれている、というオチだったりする。