加賀と妖精さんが瑞鶴を沈める話です。元々楽しげな話を書くつもりだったのに筆が進まず、この話が出来上がりました。
明るい話ではなく轟沈描写を含みますので、苦手な方はご注意を。
*本作はpixiv様にも投稿させていただいております
上空に向けて放たれた矢が光り、艦載機、零戦二一型に姿を変える。姿を変えて間もなく、高馬力の発動機が唸り、速度を増して揚力を得た翼で羽ばたいた鳥たちは、見定めた獲物にむかって機首を向けて突き進む。
彼らの進む先には、翼の無い、矢尻のような物体、深海棲艦たちの艦載機の群れが立ちはだかる。零戦の妖精たちは機体の高度をあげ、上空から襲いかかった。敵機と紙一重で交差した瞬間に機銃を撃ち、敵を数機撃墜し、火だるまになって落ちていくのが確認できた。
低空に下がった零戦たちは、降下によって速度を増した状態で上昇に転じ、敵艦載機たちの背後を狙う。
背後についた瞬間、上空から敵艦載機が急降下。上方から機銃の雨にさらされ、零戦が数機火を吹いて落ちていく。敵襲に気づいた妖精たちは、すぐ舵を切って方向転換。敵と味方の入り乱れる巴戦へと、突入していった。
上に下に、右に左に、敵を追い回す猟犬たちの戦いが、上空で繰り広げられる。
上空で空戦が行われている一方で、海上での戦いは硬直していた。
「……あなた、なの」
青い袴と白い上着に身を包み、頭の横にまとめられたサイドテールを揺らす艦娘、空母加賀は、目の前の人型の深海棲艦を前に、静かに言った。
血がかよっていないように見えるほど白い肌の顔に腕や足。頭から生える長い髪。炎が灯ったように光る目。それらが、深海棲艦であることを物語っている。
だがそんな姿であっても、目の前の深海棲艦は、かつて
頭の左右に結われた、ツインテールの髪型。両足に身につけた、高馬力の機関を思わせる巨大な艤装。
「……本当に、あなたなの」
加賀は目を細め、記憶の底から引き上げた彼女の名を、静かに呟いた。
「……瑞鶴」
かつてこの基地にいた空母、瑞鶴が沈んだのは、もう1年も前のこと。
深海棲艦の大艦隊が、日本の近海にまで迫った。そのとき、日本は持てる艦娘のほぼ全てを投じた作戦を実行。
だが、航空戦力での劣勢を補うため、一部の艦娘を囮として使うことが決定された。その1隻が、瑞鶴だった。
かつて、フィリピンエンガノ岬沖に沈んだ時と、同じように。彼女はまた、その身を囮とされ、沈むことを前提とした作戦に、送り出された。
司令官は反対したものの、瑞鶴は司令部からの要請を受け入れた。命令である以上、司令官も逆らえなかった。だから司令官は、彼女は自分の部下だから、彼女に死を命じるのは自分だと、司令部の命令ではなく、自分の命令で、彼女を送り出すことにした。
―――大丈夫。絶対に帰ってくるから。
―――加賀さん寂しがり屋だから、一人にできないしね。
―――約束だよ。
出撃の直前、彼女はそう言い残した。作戦は成功し、深海棲艦を一時的に引かせることはできた。
そして彼女は囮としての役目を完遂し、海の底へと、消えた。
そして1年後、彼女は帰ってきた。
「……カガ、さん」
人型の深海棲艦が、言葉を発した。口端を釣り上げ、三日月のように歪め、不気味で、歪んだ笑みを、浮かべながら。
「ねえ、イッショに、いこう。クラい、ウミのソコへ」
海の底は、よほど寂しかったのだろう。共に沈む仲間を求めて、彼女は基地を襲撃してきた。周りを見渡せば、戦闘を継続している艦娘もいるが、ダメージが蓄積し、海面に浮かんでいるものもいた。加賀の護衛艦も、服装が破れ、艤装が損壊した状態で海面をたゆたっている。海上に立っているのは、彼女だけ。
「ねえ、イコウ……」
彼女は、
「……ごめんなさい」
意味がわからないのか、瑞鶴は不思議そうに首をかしげる。
「あの時の、1年前の私だったら、あなたと一緒なら、喜んで海の底へと、一緒に行ったと思うわ」
言いながら加賀は、矢筒から一本の矢を抜き、弓に番える。
「でも、今は違う」
番えた弓の先を、彼女は瑞鶴へと向けた。
「あの時、あなたは言ったわね」
加賀は瑞鶴が出撃する前日、共に過ごした最後の日のことを思い出す。
「今度はかつてとは違う。絶望な中、行くんじゃない。この基地には、私が、司令官が、みんなが、希望を託せる仲間がいるから、私は行けるんだって」
彼女は、瑞鶴が囮作戦に出る直前に言った言葉を、口にする。
「そしていつか、私が守ったみんなが、深海棲艦を根絶して、平和な海を取り戻してくれると、信じているって」
弓に番えた矢を、ゆっくりと引き絞る。
「だから…」
彼女は矢を引き絞る手を止め、奥歯を噛み締める。そして、鋭い視線で瑞鶴を見据えると、言い放った。
「深海棲艦となった、敵になったあなたを、私は沈める!あの時交わした、平和な海を取り戻すという約束を、果たすために!」
彼女の声が大気を揺らし、瑞鶴に届く。加賀の決意。瑞鶴は一瞬唖然とした表情になったが、すぐに不気味な笑みを浮かべる。
「……デキルの、カガさんに」
「それが、遺された、私たちの、果たすべき責任よ!」
加賀が矢を放った。燐光を放ったそれは瞬く間に九七式艦攻へと姿を変え、海面を滑っているように見えるほどの低空を飛び、彼女へ向かう。
瑞鶴は艦載機たちに命じ、母艦を目指す九七式を撃ち落とさせる。次いで、上空待機していた艦爆隊を急降下させた。加賀の上空に、急降下の際に立てる独特の風切り音がなり、爆弾を吊り下げた艦爆が、雲を突き破って現れる。
気づいた零戦数機が、慌てて艦爆を追う。だが急降下速度についていけず、途中で機首を引き起こした。
艦爆はダイブブレーキを展開。速度を調整しながら、加賀に迫る。
瑞鶴の艦爆、艦攻隊が襲いかかった。上空から雨のように降り注ぐ爆弾。水中を走る魚雷。機関の出力を上げ、加賀は回避に徹する。近くを通った魚雷や爆弾が爆発し、海面に水柱がいくつも立ち、海面がうねり、海水を頭から何度もかぶる。チャンスと見た瑞鶴は艦載機たちに命令し、高度を下げ、低空に集める。
空母としては足の遅い加賀は、紙一重で爆撃や雷撃を回避していく。爆風で服装が煤でよごれ、艤装が少しずつでも損傷していく。瑞鶴の攻撃は止まない。なんとしても、彼女を海の底へと、連れて行きたいと、暗にいうように。
上空に展開している加賀の零戦たちも、長引く空戦で次第に押されていく。かつて、加賀が鍛え上げた瑞鶴。
―――五航戦の子なんかと、一緒にしないで。
出会いは最悪、初めは衝突や口論の絶えなかった2人だが、瑞鶴の頑張りぶりはめざましく、やがて加賀は瑞鶴を認め、ペアを組み、いつしか瑞鶴は、加賀を追い抜くまでになった。
かつての弟子の、パートナーの成長ぶりを、こんな形で知るなど、加賀が最も考えたくなかったに違いない。
回避行動しながら、加賀は艦攻隊や艦爆隊を発艦させるも、瞬く間に撃墜された。残りの矢も少ない。瑞鶴は勝利を確信し、持てる戦力すべてを、低空に降りさせる。
それが、加賀の狙いとも知らずに。
加賀は瑞鶴の艦載機たちが上空からいなくなるのを見ると、すぐに妖精たちに命じた。
直後、雲間から灰色の鳥たちが降下してくる。上空待機していた九九式艦爆たちは、ダイブブレーキを展開し、瑞鶴に向かって降下していく。
瑞鶴は急いで艦載機たちに迎撃を命じるも、低空に集められていた彼らは間に合わない。彼女は自身に取り付けられた機銃を撃ち始めた。張られる弾幕にひるむことなく、艦爆の妖精たちは目標高度で胴体下の爆弾を切り離した。
海面に衝突するのを避けるべく、すぐに操縦桿を引いて機首を起こす。直後、瑞鶴の防空網の中を突っ切り、翼に被弾した艦爆たちが落ちていく。
弾幕をくぐり抜け、投下された爆弾が瑞鶴を捉えた。彼女の間近で爆炎や水柱がいくつも上がる。
母艦が被弾するのを見た敵艦載機たちが、すぐに加賀に向かう。だが、上空から降下してきた零戦によって阻まれ、火を吹いて海面へと落ちていく。
爆炎や水柱が収まると、損傷した彼女の姿が浮かび上がる。足の機関部と思われる艤装は大きくえぐれて形を変えるほど損傷を受けており、浮力が安定しないのか足が沈みかけている。
そんな瑞鶴を、加賀は静かに見つめる。
「……お願い。これ以上、あなたの記憶で、私の瑞鶴との思い出を、汚さないで」
「か、カガ……」
瑞鶴が、加賀にむかって手を伸ばす。足を損傷して動けないのか、加賀はその姿を見て、胸の奥が痛む。
「あなたは、瑞鶴は、1年前に沈んだの」
「イッショに、ウミの、そコへ」
瑞鶴は、加賀を海の底へと誘う。
加賀は、司令官が以前言っていた言葉を思い出す。
艦娘も、深海棲艦も、かつてこの海原に消えた数多の想いの欠片なのだと。なら、目の前にいる瑞鶴も、1年前に沈んだ瑞鶴も、元は同じ空母瑞鶴なのかもしれない。
「お願い。これ以上、あなたのことで、あの子の記憶を上塗りしようとしないで」
加賀は、最後の1本の矢を取り出し、番える。
「……だから」
彼女は言い放った。
「これ以上、あなたを深海棲艦の手に置いておきたくない」
弓を引き絞る。真っ直ぐ先を、深海棲艦となった瑞鶴に向ける。
「だから、私はあなたを沈める!」
加賀の瞳の端から、こらえきれなくなった雫が頬を伝い、海面に落ちて消える。
「私の好きな、瑞鶴のままでいて!」
加賀の弓から、矢が放たれた。
矢は、1機の九七式艦攻に姿を変える。その機体の尾部には加賀所属を示す赤い2本の識別帯ではなく、白い線が2本描かれていた。
その艦攻は、瑞鶴が囮作戦に出る前日、加賀へと託されたものだった。
九七式に乗る妖精たちは、かつて苦楽を共にし、鍛え合った、母だったものを沈めるために、飛び立った。
妖精たちは、瑞鶴に向かって飛翔する。すると、彼女に装備された対空機銃から閃光が迸る。直後、九七式艦攻の周囲に機銃弾が次々着弾し、海面に水柱がいくつもたつ。
被弾を避けるために、操縦員は操縦桿を僅かに前に倒し、高度を海面ギリギリまで下げる。プロペラが海面を叩きそうなほど高度が下がり、海水や機銃弾の着弾によって立つ水柱の飛沫が、風防や翼を濡らす。視界が僅かに遮られても、妖精は2つの小さな目で、瑞鶴をしっかり見つめて離さない。
「……タレ。アタレ!」
当たらないことにじれている瑞鶴の声が、妖精たちにまで届く。九七式は機銃の弾幕をかいくぐり、距離を詰めていく。操縦員は、尾翼の方向舵を使い、緩やかに機体を旋回させる。機銃弾は直進しかしない。僅かにでもずれれば、被弾はしない。
「く…な。クルなー!」
次第に距離が縮まり、瑞鶴の姿が、彼女の声が妖精たちに鮮明に届く。機銃弾は、一向に当たらない。
命の残量を悟っているのか、深海棲艦になっても苦楽を共にした妖精たちを撃つのをためらっているのかは、わからない。
妖精たちは加賀と同じことを思っていた。
これ以上、自分たちの母を、深海棲艦の手に置いておけない。
ここで戸惑えば、あの日、瑞鶴と交わした約束を、加賀を、司令官を、みんなを頼むという母の願いに、背くことになる。
だから、せめて、彼女の、母の最後は、育ててもらった自分たちが、幕を引く。その一心で、操縦員の妖精は震える手を押さえ、操縦桿を握る。
機長の指示で操縦員は進路の最終調整を終え、雷撃進路に入る。その頃を見計らったように、彼らの後方に、被弾し煙を吹きながらも追いすがる敵艦載機が現れた。後部席に座っている電信員の妖精が、急いで旋回機銃の銃口を向け、敵艦載機を撃ち落とす。
敵機が海面に激突し、何度もはねる。
操縦員は瑞鶴との距離を見定め、雷撃の準備に入る。直後、機体に衝撃が走った。機銃弾が命中し、左主翼の端が吹き飛ばされた。機体は海面スレスレを飛行している。操縦員はすぐに操縦桿を操り機体を安定させ、外れそうになる進路を修正する。
瑞鶴の顔が、焦りを浮かべる表情が見えるほどに、九七式は迫った。
―――投下!
中央の座席に座る機長がタイミングを見計らい、魚雷を投下した。魚雷を離した九七式は、すぐに離脱にうつる。
海面スレスレの低空で投下された航空魚雷は、わずかな深度で作動し、瑞鶴に向かって真っ直ぐな雷跡を描きながら直進していく。そして、瑞鶴に達した。
大きな水柱が上がった。
機関部をやられてろくに身動きできなかった瑞鶴は、黙って被弾するよりほかなかった。
水柱が収まると、瑞鶴は海面に倒れ込んでいた。そして、砂に飲み込まれていくように、足から少しずつ、海に沈んでいく。首から下まで水に浸かった。そのとき、僅かに海面に出ていた彼女の右手を、誰かが掴んだ。
「か、ガ……?」
瑞鶴は、顔をあげる。そこには、両目に涙を貯め、両手で彼女の右手を必死に掴む加賀の姿があった。
「……いやよ」
加賀は海面に足をつっぱり、瑞鶴の手を引く。
「こんなの嫌よ!形はどうあれ、折角、また会えたのに、またお別れなんて!」
加賀は残された力を振り絞って瑞鶴を引き上げようとするものの、それでも彼女の体は速度が遅くなっただけで、少しずつでも沈みつつあった。
海が、彼女を飲み込もうとしているように。
すると、瑞鶴は加賀の手に自分の手を添えた。
「……ハナシテ」
「嫌よ!」
「オネガイ。カガさん」
「嫌って言っているでしょう!」
瑞鶴は、首をゆっくりと横に振った。
「オネガイ、もう、ミンナを、キズツケタク、ないから」
加賀は顔を跳ね上げた。
「だから、カガさんのテで、シズメテ」
彼女は悟った。瑞鶴は、なぜ、かつていたこの基地を襲いに来たのか。
深海棲艦になっても、艦娘だったときの記憶や想いは消えなかった。だが、深海棲艦のままでいては、いつか仲間を傷つける。だから、大好きだった仲間に、加賀に葬り去って欲しいと、ここに来たのだと。
彼女の手で、幕を引いてもらうために。最後を、看取ってもらうために。
「……ヒドイお願いを、するのね」
加賀の頬を、いくつもの雫が伝っていく。
「……五航戦の子なんて、だいっきらい」
加賀は、極力笑みを浮かべて、言った。
「大好きよ……、瑞鶴」
加賀は、ゆっくり手を離した。瑞鶴の体が、再び沈み始めた。間もなく完全に海中に没してしまい、海面からも、姿が見えなくなった。
彼女の顔が海に沈む直前、瑞鶴は安らかな、安心しきった顔で加賀に、最後にこういった。
「アリガトウ」
仲間を守るために、囮役を引き受けて沈み、深海棲艦になってなお、仲間を傷つけたくないと、彼女は沈められるために、ここに来た。
「やっぱり、あなたは、私の知っている瑞鶴だった……」
加賀は、ひとり呟いた。
「優しくて、仲間想いで、私の大好きな、あなた、だった……」
彼女は海の上で膝をつき、ひとり涙を流した。瑞鶴を、彼女は結局2度も失ってしまった。
最初は、作戦によって。
2度目は、自分の手で。
敵である以上、沈めなければならない。それが、艦娘の役割だと、彼女は理解していたはずだった。でも、彼女の心は、このことを上手く処理できなかった。
彼女はただ、涙を流した。周囲も、それを止めなかった。形はどうであれ、帰ってきた自分の片翼を、思い人を、自分の手で沈めなければならなかった彼女にかける言葉を、誰も、持っていなかった。
ただ、悲しみや後悔を、少しでも、涙に載せて洗い流してくれることを、仲間は祈った。
瑞鶴を雷撃した九七式は、加賀の上、瑞鶴が沈んだ地点の上空を何度も旋回した。だが間もなく発動機が停止。海面に着水した。その後、航行可能だった駆逐艦たちに収容され、基地へ帰還した。
母は沈んだ。でも、妖精たちはこれからも、歩み続ける。
彼女の願いを、この海に、平和を取り戻すという約束を、果たすために。
母が希望だと言った加賀や、司令官たちと、共に。
そして、母の、瑞鶴の言葉を、彼らは思い返した。
―――私は、あなたたちとの約束、願いの中に、ずっと、生き続けるから。
―――だから、あなたたちは迷うことなく、進んで行って。
―――忘れないで。
―――私が、ここにいたこと。一緒に過ごした、日々を。
瑞鶴と過ごした最後の時、妖精たちに言った、彼らだけが知る、彼女の最後の言葉。
基地へ帰還するまで、妖精たちは、ずっと瑞鶴の、母の沈んだ場所を、見つめ続けていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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