青の箱舟   作:トクサン

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あの青を探して

 故郷という言葉は、地球を指す言葉ではなくなった。

 人類は地球を脱し、月や小惑星帯、火星を新たな母星として開拓しつつ、巨大な移民船によって宇宙開発へと乗り出した。その長きに渡る歴史を綴るには膨大な時間と熱意が必要だろう。人が陸から宇宙を見上げていた時代は終わった。そんな遥か先代から何百年先、一つの移民船が見つけ出した新たな居場所。自分の『故郷』。

 

 水の星──アクエリアス。

 

 人類はその日、すべてが海に満たされた星を新たな母星の一つに加えた。

 限りなく地球に近しい環境。初めてこの星を訪れた人類は、この星を獲得すべく開発に乗り出す。移民船をベースに数十年単位での物資輸送、ドローンや無人機を用いた住居開発──そして出来上がったのは九つの巨大な海上プラットフォーム。

 水で満たされた星で人が暮らすために用意された、100㎢を超える『小さな』大陸。人類はその仮初の大地を踏みしめ、アクエリアスを母星のひとつと定めた。増加する人口に対してはメガフロート、巨大な浮体ブロックをプラットフォームに接続することで面積を増やし対応。波力発電、潮汐力発電、風力発電、また移民船に搭載されたパネルや原子力を利用し必要なエネルギーを確保し生活に回す。やがて人工の大地での植物の栽培や食料プラントの整備に成功し、人々はこの星での安寧を手に入れた。

 人類はその科学力によって種の繁栄を守り、宇宙に広がっていった。しかし宇宙への進出は、自身を凌駕する存在との邂逅も意味していた。

 

 神々の出現。

 

 宇宙人との邂逅と人々は言った。遭遇したソレは種の上位者とも考えられる、未知の力を持った存在。腕の一振りで雷を落とし、宇宙空間での活動に生身で耐え、凡そ生命としてのレベルが根底から違う存在。あらゆる言語を操り、然もすればこの世の真理すらも知っているのではないかと勘繰るほどに強大で知的。

 現代の神と──人々は彼の存在を、そう呼んだ。

 イエス・キリストは死の淵から蘇り、死者を蘇生すらしたという。故に当時の人々はその御業に、人を逸脱した力に頭を垂れ跪き救世主と呼んだのだ。ならばこそ、それを超え、科学でも説明のつかない頂上の力をこの近代の世で行った生物を他に何と呼べば良いのか。

 水の惑星、アクエリアスとて例外ではない。神の出現とその来訪、それを以って統治機構は解体され、この星の人類は三つの派閥に割れた。

 

 神々の世界を受け入れ、主神主導の元安寧と平穏を望む──【主神信仰派】 

 神々の世界に抗い、人類の手によって世界の安寧を望む──【人類救済派】

 神々の世界と、人類の世界を調停し、共存への道を望む──【人神共生派】

 

 神々の力と存在を受け入れ、自らその庇護下に入ろうとする人類──信仰派。

 強大な力を持つ存在は崇拝して然るべき、人類としての枠を大きく逸脱し、凡そ神という表現でしか言い表すことの出来ない存在。ならばこそ、その神に総てを委ね託そうという派閥。本来の主神より鞍替えし、絵画の中の神ではなく、実在する現実の神に跪く事を喜びとする。

 

 神々の力と存在を受け入れず、人類の手でのみこれからも進んでいくべき、そう主張するのが──人類派。

 己が種ではない存在に頼り切り、支配された先に待つのは緩やかな退化である。今まで人類が成してきた全てに対する冒涜、そして自ら破滅の道に赴く暗愚の発想。例え強大な力を持とうと、それが生物である事に違いはない。であればこそ、神であろうと宇宙人であろうと、支配される謂れはなし。

 

 神々と人類の共生、元より敵対する必要はない、協力して事に当たれば良い、そう主張するのが──共生派。

 神であろうと宇宙人であろうと、これがファーストコンタクトである事に違いはない。ならばこそ戦う理由はなく、そして支配を望む必要もない。友好関係を築き良き隣人として在れば良い。

 

 それぞれの派閥にそれぞれの主義主張があった。九つあった海上プラットフォームはそれぞれの派閥に最も思想が近い人間たちが集まり、三つの領域に分布した。信仰派が三つ、人類派が三つ、共生派が三つ、綺麗に分かれた形。形骸化した統治機構は時間とともに瓦解し、各々の派閥、そのトップが代表という形でプラットフォームとプラントを統治する。

 三つに割れた人類、この時は未だ知る由はなかった。互いの派閥が己の星へと来訪した神に対しどうのようにして対応するのか。神を擁する信仰派はその偉大さを説き、人類派が人の未来を案じ、共生派が中立として不動を貫く。

 そんな首脳会議が続くこと二十年──世界と人類は今、変化を求められている。

 

 ☆

 

「ギル、何を見ているんだ」

 

 声が届いた、発生源は直ぐ後ろ。ギルが振り向けばほっそりとした体形の少年がこちらを見ている。ギルは小さく笑って、「街を見ていた」と答えた。少年は肩を竦めゆっくりとした足取りでギルの隣に立つ。場所はギルの住むプラントシティから数十分ほど歩いた場所。娯楽用として建設された自然公園。人工の芝に人工の木々、土を敷き詰めその上に地球産の種を植えた偽りの自然。それでもモデリングされた土台、プラントは地球にある自然公園を模倣し切っている。ギルはその丘の上に座り込み、白色の街を眺めていた。

 プラントの上に連なる住居、ウソか真かこの町は地球に存在する『ミコノス島』という島をモデルにしているらしい。家々の外壁は白く、青の海、空、そして白の街が美しく映る。

 ギルはこの美しい街が好きだった。

 

「暇さえあれば街を眺めるな、そんなに面白いか? 見慣れた光景だろうに」

「面白いよ、凄く」

 

 呆れを含んだ少年の言葉──ハイリオの言葉にギルは僅かも詰まることなく頷く。心の底から楽しいと思っているのだ、彼は。ハイリオはそんな幼馴染の姿にため息を零しつつ、その頭を小突く。「あいて」と声を漏らすギルに、ハイリオは腕を組んだ。

 

「街を眺めるのも良いが、だからと言って学校を抜け出すのはよせ、それと今日のプラントD区の清掃担当はお前だったろう、サボっているんじゃない」

「……いや、だって、ツマンナイし」

「面白い、面白くないで全て決めていたら楽だろうな、しかしその皺寄せが俺にくるのは腹が立つ、だからちゃんとやれ」

「うぁい」

 

 ぐりぐりと後頭部を指先でなじられ情けない声で頷く。ハイリオはそんなギルの態度に気を良くして何度も頷いた。そして「ユリとミリシアが何処にいるかは知っているか?」と問いかけた。ギルは体ごと横に逸れ、「いや、知らない」と答える。面倒そうに首元を掻きながらため息を零すハイリオ。

 

「そうか……あいつらもサボりだ、このままだとD区の清掃を俺とギルの二人だけでやる羽目になる」

「なにそれ、大変じゃん」

「お前がいなければ俺ひとりでやる羽目になるところだったんだがなぁ」

 

 ギルはそっぽを向いて知らん振りをした。ペン、と頭を叩かれる。あまり叩いてくれるなよ、これ以上馬鹿になったらどうするんだと抗議。しかしハイリオは鼻をひとつ鳴らすだけだった。どうでもよさげな態度、幼馴染に対してなんと冷酷なと思わないでもない。ハイリオは疲れたような目で街を眺めながら呟いた。

 

「どうせ商業区で店巡りでもしているんだろうよ、甘いものサービスデーだとか何だとか言ってな、そんなに糖分が欲しいなら砂糖でも舐めていろという話だ」

「その話、二人の前でしないほうが良いよ、多分ぶん殴られるから」

「知っている」

 

 その反応から察するにもう経験済みなんだろうなと思いつつ、ギルはその場から立ち上がる。頬を撫でる風が気持ちよい、ここはプラントの中でも外周に近い、少し遠くを見れば青い海が一望できる。

 

「さっさと二人を見つけて仕事を終わらせるぞ、そうすれば店巡りでも何でも好きに出来るだろう」

「えっ、なに、ご飯でも奢ってくれるの?」

「誰がそんな事を言った、都合の良い様に捉えるんじゃない」

 ハイリオの隣に立ち、二人そろって公園を後にする。口では文句を言いつつも、ハイリオの表情は柔らかかった。

 

 

 ギルとハイリオ、ユリにミリシアの四人は幼い頃から一緒にいる幼馴染という奴だった。

 皆が皆このプラントで生まれ育った、ギルだけは諸事情で生まれが違ったが、そんな事はもう遠い記憶の彼方で、今ではこのプラントが自身の故郷だと胸を張って言える。出自の違いなど、少なくともこの四人にとっては大した問題ではない。初等教育を終え、中等教育を終え、そして現在高等教育機関に在籍する四人。皆が出逢ったのは初等教育の頃──今から十年近く前だ。出逢った頃の事は朧気で、鮮明に思い出す事はできない。しかし共に過ごした幾多の日々は鮮明に思い出す事ができる。親友、そう呼んで良い間柄だろう。

 

「──見つけた」

 

 隣を歩くハイリオが僅かな怒気を籠らせた言葉を吐き出す。場所は商業区、その大通り。多いとも少ないとも言える人の中、あっちへふらふらこっちへふらふらと歩き回る女性二人組を発見。ハイリオとギルが探していた人物だ。その後姿を見るだけで分かった。ゆるくカールのかかった肩に掛かる程度の茶色髪。それとストレートで絹のように美しい、腰まで伸びた黒髪。背丈は凸凹で、茶色の髪の少女は小柄、対照的に黒髪の少女は背丈がある。僅かに歩調を早めたハイリオに続く形でギルも足を動かし二人組の背後に迫った。

 

「ユリ、次はちょっと服を見てみましょう、新作が出ているかもしれないわ」

「み、ミリシアー……そろそろ戻らないと怒られない? 今日は清掃担当だったよね?」

「そんなのはハイリオに押し付ければ良いのよ、そもそもドローンを飛ばして管理するだけの簡単なお仕事じゃない、ギルも居るだろうし私たちが居なくても大丈夫よ」

「そ、そうかなぁ……?」

「そんなワケないだろうが」

 

 びくりと、小柄な少女──ユリの肩が跳ね上がる。慌てて背後を振り向けば呆れ顔の金髪の少年ハイリオと、薄ら笑いの白い髪の少年、ギルの姿が目に映った。あわわわと口を戦慄かせるユリ、対して長身の女性ミリシアは悪びれる様子もなく、「あら、見つかってしまったわね」と肩を竦める。それをハイリオは鋭い目線で咎めた。

 

「ミリシア、ユリを連れ出したのはお前か?」

「えぇ、だって今日はパフェが半額セールだったんですもの、行かなきゃ損でしょう? これ、午後三時には終わってしまうの、授業どころではないわ」

「授業を受けないのはまだ良い、いや良くないが──せめて振り分けられた仕事くらいはこなせ、押し付けようとするな」

 

 ハイリオの言葉にミリシアは聞く耳持たずといった風。小首を傾げながら目を瞑る。ユリは若干顔を蒼褪めさせながら「ご、ごめんねぇ」と身を縮こまらせた。まぁ十中八九無理やり連れ出されたのだろう。ユリは基本的に真面目で大人しい性格だ、ミリシアに誘われ事割れ切れなかったとギルは見る。

 

「兎に角、ほら、D区の清掃管理が今日の俺たちの担当だ、さっさと終わらせて帰るぞ、その後ならショッピングに行こうと何も言わん」

「はいはい……本当に生真面目というか、何というか、十分キレイじゃない、別に清掃する程とは思わないのだけれど、やらなくてもバレないわよ」

「ドローンの起動ログを見れば分かるだろうが、詰まらない事で時間を奪われたくないんだ」

 

 ミリシアの言葉に答え肩を怒らせながらズンズン進むハイリオ。このままD区に向かうのだろう、三人は顔を見合せた後それぞれの感情に沿った表情を浮かべ、彼の後に続いた。

 プラントの住民には一定の年齢から『仕事』が割り振られる。まだ高等教育途中の自分たちには勉学と並行して行うため比較的簡単なものだが、大人達はプラントの維持や箱舟──宇宙空間を航行可能な星間飛行機──の管理、メンテナンス、または人類生存の為の労働が義務付けられる。これは特別な事情や身体障害以外で免除される事はない。無論、破れば罰則がある、しかし見つからなければ犯罪じゃないというのがミリシアの言葉で。それに引きずられるように、いつの間にかギルもふらふらと仕事時間にも関わらず姿を消すようになっていた。これに頭を悩ませるのは専らハイリオである。

 

「大人になったら、僕たちはどんな仕事をするんだろうね」

 

 歩きながらギルが問いかけた。隣をおどおどと歩くユリは、下から前を歩くハイリオの機嫌を伺いながら、「わ、私は広報課とか、良いなぁって」と答えた。広報課、このプラント──【人神共生派】に於いては信仰派、人類派の動向などをプラント住民に伝える役割を担った部署である。

 

「私は生産プラントや工業区の方に携わりたいわね、上手くいけば儲けられるし」

 

 ユリと対照的な足取りで確りと胸を張って歩くミリシアが答える。水の惑星アクエリアス、ここでもきちんと経済は機能している。神が出現し、人類が三つの派閥に割れてからはそれぞれが国家に似た役割を持ち始め、互いのプラントを行き来し貿易の様な事を行っていた。

 人類派はその特性上、神、信仰派に対して良い感情を持っていない。最悪武力に訴えるのではという噂もある。共生派のプラントでは武器の製造などは行っていないが、その代わり食料や趣向品、或いは海底に存在するブルー・クリスタルの採掘などが頻繁に行われている。信仰・人類派共にパイプを持つ共生派は商人として生きるのならば素晴らしいプラントだろう。札束を大量に抱えた高笑いするミリシア、うん、確かに想像できる。ギルは深く頷いた。

 

「俺は箱舟のクルーか、或いはメガフロートの管理者、次点で管制官といったところだ」

 

 箱舟のクルー、即ち宇宙航行官。それにメガフロート管理者、或いはプラント管理官。どれもこれも難度の高い『仕事』だ。多分これらの部署に配属されるには相当成績が優秀か、或いは運よく欠員が出なければなれないだろう。ミリシアはハイリオの答えに対し溜息を漏らし、若干小馬鹿にしたような口調で言った。

 

「相変わらずお堅いことを考えているのね、ハイリオ、それって楽しいのかしら」

「五月蠅い、お前たちが緩すぎるだけだ馬鹿」

「あはは……」

 

 ユリが乾いた笑いを漏らす。ギルは「ふぅん」と頷き、皆一応色々考えているんだなぁと実感した。何も考えていないのは──いや、考えられないのは自分だけか。そんな彼の思考を見通してか、或いは単なる好奇心か配慮か。

 

「ギルは何処を希望しているの?」

 

 ミリシアが横目でギルを見ながら問いかけた。ギルは暫く口を噤み、ややあって「分からない」と答えた。その間ギルの瞳は自身の手のひらを見つめていた。ギルの回答にハイリオが振り返り眉をひそめながら言う。

 

「分からないって、やりたい事はないのか? 確かに適正選抜はあるが、一応希望を出すに越したことはないだろう?」

「希望っていうか、やりたい事とか特にないし、僕は何でも良いかなぁー……」

 

 それに、と言葉を続けようとして口を閉ざす。僕の才覚はきっと、このプラント向きじゃないから、と。しかしその続きの言葉を何となく理解したのだろう、ミリシアは目を瞑って肩を落とすと、「確かに、ギルの才能を活かすなら人類派に合流しないと、ね」と告げる。

 途端、ハイリオが視線に剣呑な色を含ませ、「ミリシア」と咎めた。その声を聞いたミリシアは両手を軽く挙げて首を振る。

 

「冗談よ、悪かったわ、本気で言っている訳じゃないの」

「……分かっている、けれどあまりそういう類の冗談は言うな」

「えっと、ほら、一応治安管理官とかあるし、そういうのはどうかな……?」

 

 慌てた様子でユリが口を開き、そうフォローを入れる。治安管理官、確かに現状他の仕事と比べるとマシな様に思える。僅かに考え込む素振りを見せた後、「治安か、確かに良いな」とハイリオは頬を緩めて頷いた。彼がそう言うのであれば多分本当に良いのだろう。しかし反対にミリシアは良い顔をしなかった。

 

「こういうものって他の人に言われて決めるものじゃないと思うのだけれど……まぁ、ギルが良いのなら良いわ、私からは何も言わない」

「因みにミリシアはお金を沢山稼いで何に使うの……?」

 

 おずおずと問いかけるユリに対し、ミリシアはふっと笑みを浮かべて楽し気に答えた。

 

「ユリ、お金は何にでも使えるの、そうね、大きな家でも買って読書に耽りながら余生を過ごすわ」

「お前、まだそんな歳じゃないだろうに」

「こういうのは気持ちの問題なのよ」

「ミリシア、食うに困ったら居候させて」

「えぇ、ギルなら歓迎するわ、ハイリオは自分で頑張って頂戴、勿論ユリも歓迎よ?」

「わ、わぁい?」

 

 ギルの言葉に満面の笑みで頷くミリシア。諸手を挙げて喜び、しかし疑問形なユリ。ハイリオは一人顔を顰めながら、「解せん、いや、厄介になるつもりなど微塵もないが」と呟いていた。

 総じてこの四人は、こういう性格の者たちなのである。

 

 

「ハイリオ、こっちのドローンは仕事終了だよ」

「分かった、ユリ、そっちはどうだ?」

「あ、あと五分くらいかな……」

 

 ハイリオに連れられてやって来たD区、主に住宅街であるこの区画の清掃管理が今日の四人の仕事。皆は手にタブレットを持って清掃作業に勤しむドローンや無人機を監視していた。やる事は簡単だ、無人機を起動させ監視し、問題があれば停止信号を送る。それだけ。時間も一時間程度で済む。ハイリオは生真面目に用意された制御室の机に座ってモニタを覗き込み、ユリは部屋の隅っこでタブレットを注視している。ギルは与えられた仕事は終わったとばかりにソファに寝転がり──ミリシアはモニタもタブレットも見てすらいなかった。

 制御室は等間隔に並んだデスクにドローンに搭載されているカメラ、それとマップが表示されている。管理というのはドローンが規定通りの清掃ルートを通っているか、異常な行動を起こしていないかを監視する事だ。その仕事のためにデスクと部屋の片隅には休憩場所が設けられているのだが。

 

「……ミリシア、仕事をしろ」

「しているじゃない、ちゃんと」

「どこがだ」

 

 ミリシアの手には本が一冊、随分と古びた紙媒体の情報が握られている。ペラペラとソファに座りながらそれをめくる手を止めないミリシアに、ハイリオは溜息を零した。

 

「お前が目を話している隙に異常動作が起きたらどうする」

「起きないわよ、私はこれを作った技術者を信頼しているの」

「それは怠慢というんだ、そんな骨董品を読んでいる暇があるならモニタを見ろ」

「本当にお堅い事……それに骨董品だなんて、せめてレトロと言ってくれないかしら」

 

 肩を竦めたミリシアが膝の上に放置していたタブレットに視線を落とす。「そうそう誤作動なんて起きはしないわよ」と言った彼女はタブレットを弄る傍ら、同じようにペラペラとページを捲っていた。

 

「……人の趣味にケチをつけたくはないが、そんな本を読むより箱舟のデータベース観覧申請を通して見た方が良くないか?」

 

 ギルは気にしないが、ハイリオから見れば彼女が持つ古びた本に価値を見出せなかったらしい。どこかよそよそしい態度でそう口にした彼に対し、ミリシアは「分かってないのね」と一瞥することなく答えた。

 

「箱舟のデータベースなんて、大体近代の情報しかないじゃない、私が読んでいる本にはそれこそ千年前の出来事でも綴ってあるのよ」

 

 例えば、ずっと昔に廃れてしまった宗教の事とか、それによって起こった戦争の事とか。ミリシアは何でもない口調でそう言い、タブレットを弄る傍ら本を捲っていた。

 

「今の神様と呼ばれている存在が現れる前は、架空の、何百年も昔に『居たかもしれない』って存在を信仰していたらしいわ、そういう信じる存在を賭けて戦争もしていたらしいし」

「えっ、戦争?」

「そうよユリ、昔の人は信仰対象──自分とは違う神様を信仰しているという理由で戦争をしていたらしいの、宗教戦争、聖戦とも呼んでいたらしいわ、どっちの神様の方が優れているって人間同士で争っていたみたい、殆ど代理戦争よ」

 

 ユリがまさかといった表情で問いかけ、ミリシアは頷いて見せた。宗教戦争、時代が移り変わった今はもう聞かなくなった言葉。ギルはそんな言葉を聞いたことすらなかった。故にソファで寝転がりながら、まるで違う世界の事の様に感想を口にする。

 

「神様のために戦うのかぁ、凄いね、目の前にいる誰かの為とか、利益の為ならまだしも目に見えない、会ったこともない、そんな存在のために戦うなんて僕には出来そうにないや」

 

 そう口にすると、ハイリオがモニタを見つめたまま息を吐いた。

 

「そもそもギルに争いごとは似合わない、得手と趣向は両立しないだろう」

「ハハ、戦争なんて一生経験しなさそうだけれどね」

 

 しかしそうなると治安管理官などという仕事もどうなるのだろう。いや、まぁ全てがすべて争い事という訳ではないだろうが。だとしても職務上そういった事が含まれるのは事実だ。ギルはそんな事を考えながらミリシアに言葉を投げかけた。

 

「それで、信仰派もその内すると思う? その聖戦って奴」

「さぁ、それは何とも、私は信仰派ではないから、分からないわ」

「仮にやるとしても『戦争を吹っかける対象』が違うだろう、昔は神様って言っても色々いたらしいが……信仰派が主神と仰ぐ神はひとりだけだ」

 

 尤も、アクエリアスにいない人類の方は知らないが。そうハイリオは告げデスクに肘をついた。目を瞬かせたユリがおずおずと問いかける。

 

「えっと、戦争を吹っかける対象っていうのは……」

「昔なら信仰する神の違いで戦争になったのだろうが、今あるとすれば派閥間による戦争だ、具体的に言えば信仰派と人類派の戦争になるだろうな」

 

 あまりにも生々しい話に、ユリは僅かばかり顔色を悪くした。しかしギルとハイリオ、ミリシアの三人はどこかどうでもよさげ──というか関心がない。ミリシアは相変わらず一定のペースで頁を捲っているし、ギルはソファに寝ころんだまま、ハイリオはモニタを注視している。誰も本当にそんな事が起こるなんて考えてもいないのだ。なにせ千年以上も前の話である、過去も過去、化石に等しい。だからこそ、その話題はそこで終わりで、雑談のひとつとして流された。そしてギルはふとした疑問を三人に問いかける。

 

「そういえば今更だけど、皆は共生派に思うところはないの?」

「……思うところっていうのは?」

「ほら、僕たちは──」

 

 言葉を紡ごうとして一瞬、ギルが言い淀む。三人の視線がギルを捉え、しかし彼はへらっとした締まりのない顔で続けた。

 

「……僕たちは、生まれた時からこのプラントにいる、だから共生派として生きている訳じゃないか、だからこう──もし、もしだよ? 自分の意志でプラント、派閥を選ぶとしたら、どこにするんだろうなぁって」

「自分で選ぶなら、かぁ」

 

 ギルの問いかけに対し、ユリはボソボソとした口調で繰り返した。生まれた場所が共生派のプラントだったから此処に籍を置いている。言ってしまえばそれだけの事、別に自分の意志でこのプラントに来たわけではない。ハイリオがモニタから目を逸らし、ミリシアが頁を捲る手を止めた。

 

「……どうだろうな、俺は皆の言う【カミサマ】って存在を見たことがない、生まれた時から当たり前の様に存在していたのなら違ったのだろうが、多分選ぶとしても人類派か共生派だな」

「私もそうね、というかどうしても信仰派は良い目で見られないし、順当じゃない?」

「わ、私も多分共生派だと思う、やっぱり話し合いって大事だと思うし」

 

 各々が思いの丈を語り、人類派と共生派というのが結論だった。信仰派を選んだ友人はひとりもいない。その結果にギルは意外そうな顔をする訳でもなく、まぁそうだよねと納得を見せた。元々信仰派は人類・共生と比べて異色だ、正直あまり関わりたい類の派閥ではない。

 

「まぁでも、生まれた環境っていうのも大事だからな、信仰派に生まれていれば多分、その場所に居ること自体に疑問なんて抱かない……所詮【もしも】の話だが」

「でも正直、ハイリオが神様に祈っている姿とか想像できないや」

「……俺としてはミリシアの方が想像出来ん」

 

 ギルが面白そうにそう言えば、どこか胡乱な目をしたハイリオがソファに座るミリシアを見た。すると本を閉じたミリシアがこれ見よがしに両手を合わせ胸の前で祈りの動作をして見せる。そして片目だけ瞑ると僅かに肩を竦めて言った。

 

「あら、どうして? 私が信仰派に生まれていたら最も敬虔な信徒として褒め称えられたと思うけれど」

「ぶはッ」

「ギル、どうして笑うのかしら?」

 

 ごめんて。

 鋭い視線に口を閉じ、ギルはそっぽを向く。しかし確かにハイリオの言う通りだ、ミリシアが敬虔な信徒として信仰派に所属する姿が少しも想像できない。というか出来ても違和しかない。逆にユリなんかはどこの派閥に居てもおかしくない、というかありそうだ。強いているのなら人類派のイメージがし辛い位か。ハイリオもどこの派閥でも大丈夫そうに思う。

 

「まぁ派閥はアクエリアスに限った話じゃない、昔は肌の違いや住んでいる場所、国という奴で線引きをしていたと言う、そう考えればこうやって思想や考え方の違いで住み分けしている分、人類は多少なりとも進歩したという事なのかもしれない」

「それって進歩と言って良いのかしら? 正直、あんまり変わっていない気もするけれど……大陸規模から惑星規模の対立になっただけの様に思うわね、随分前だったと思うけれど、地球と月の民が対立しかけたって」

「あれは輸送資源の値上げを一方的に決めた地球が悪い」

「まだ資源が採れない星も沢山あるって話だもんね……」

「そう考えると辺境の開発途上星に生まれなかっただけマシなのだろうな、俺たちは」

 

 ハイリオはそう言ってデスクのモニタを指先で二度叩いた。ピー、という短い電子音と共にデスクに備え付けられていたモニタが暗転する。皆が彼の方に視線を向ければ、「今日の仕事は終わりだ」と腕を回した。

 

「そう、お疲れ様」

「次はちゃんとサボタージュせずに来てくれると助かる、一々お前たちを探してから足を運ぶのも億劫なんだ」

「あら、それはユリに言ってくれる? 私はユリに付き添っていただけだもの」

「えぇッ!? ち、違うよ、私のせいじゃ……!」

「ユリ、ユリ、大丈夫だよ、ハイリオは最初からユリの事は疑っていないから」

「ギル、お前もだぞ」

 

 ギルは耳を塞いでソファに転がった。ハイリオはこれ見よがしにため息を吐き出し、そのまま室内の電気を落とす。もう時刻は夜だ、窓から差し込むのは街の灯りのみ。ミリシアが扉を開け、廊下の光が中を照らした。

 

「ユリ、帰りましょう」

「あ、うん」

「ギル、ほら起きろ、俺たちも帰るぞ」

「あい……というかハイリオ、ご飯奢ってくれるんじゃ」

「そんな約束はしていない」

 

 ペン、と頭を叩かれる。呆れたハイリオの表情にギルは「残念」と笑みを零す。しかし外食という案は琴線に触れたのか、「だが帰りに飯というのも悪くはない」と呟き、廊下に出た二人の方を見ながらハイリオは問うた。

 

「四人で久々に外食でもするか?」

「あら、奢ってくれるのかしらハイリオ?」

「だから何故人に奢らせようとする」

「あー……えっと、確か今日はお父さんもお母さんも遅くなるって言っていたし……私は、うん、大丈夫、かな」

「ギルはどうだ?」

「行く」

 

 短く答えてソファから起き上がる。ミリシアは廊下の壁に寄りかかりながら、「どうせなら甘味も食べられるところが良いわ」と告げた。放課後に食べたんじゃないの、とギルが問いかければ甘味は別腹という言葉が返ってくる。

 

「今日の別腹、明日の脇腹」

「ぶっ殺すわよギル」

「ってハイリオが言っていた」

「おい、巻き込むんじゃない」

 

 そそくさと廊下を駆けるギル。背後からミリシアの怒気を感じる、しかしギルの表情は笑顔だった。ギルは四人で居ることが好きだった。この下らない会話が好きだった。

 

 ハイリオ、ミリシア、ユリの三人はギルにとって何物にも代えがたい宝物なのだ。

 

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