青の箱舟   作:トクサン

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顕現せし緋色

 

 ギルはハイリオ達の目が届かない場所まで駆けると、そこからは人の力を超えた異能によって信仰派に発見されないルートを飛び回った。ギルは黄金の炎を操る、その全容は自分でも全て理解しきっているものではない。しかし、常人と比較して体が頑丈であったり、身体能力が高いのは幼い頃から気付いていた。

 尤も、素のままであれば【身体能力の高い人間】程度の力であり、あの、代表の様な存在と正面切ってぶつかれば簡単に負けるだろう。

 しかしギルは信仰派との戦争をきっかけに自身の力と真正面から向き合い始めていた。そして共生派の臨時訓練校で地獄のような修練を積むにつれ、ひとつ気付いた事がある。

 あの焔は何も外だけに作用するものではない――自身の内側に炎を通し、肉体を強化する事も出来るのだと。

 現在、ギルの肉体には淡い炎が纏わりついている。常人が触れれば火傷を起こす程の熱量を持っているが、当のギルは何の苦痛も感じていない。この炎はギルの肉体強化が一定以上成されている時に発現するエフェクトのようなものだ。

 素の訓練が目的な以上、あの場所では使うことが終ぞ出来なかったが――人の目が無いのであれば遠慮する事は無い。ハイリオは能力を十全に活用し、崩れた第一プラント建物群を飛び回った。

 そして辿り着く――廃れ、崩れかけの廃教会。

 アクエリアスが三つの派閥に割れて以降、宗教という概念は縮小したように思う。それでも信仰派の神ではない、天上に座す確かな神が存在すると信仰を絶やさなかった人間は共生派にも存在した。そんな少数の彼らの為に作れた場所、それがこの教会。

 決して数は多くない、プラントに三つ、四つあれば多い方だろう。人類派のプラントであればひとつあれば十分な位か。そんな廃れ、錆び、老朽化の果てに放置された教会の中に、ギルは強い熱を感じた。ギルはゆっくりと廃教会の扉を開く。このアクエリアスに於いては珍しい木製の扉。地球や他惑星から輸入される木材は高価だ、ギィと音を立てて開く両開き扉、そしてまっすぐ伸びるカーペット。その向こう側、等間隔に並んだ長椅子、祭壇、頭上に広がる円方の美しいステンドグラス。

 その下に彼は立っていた。

 

「――まさか其方から出向いてくるとは、少々予想外でした」

 

 彼は背を向け、誰かに祈っていた。膝を着き、両手を重ねて祈っていた対象は誰か。自身の父である神と呼ばれる存在か――それとも。

 

「お前は」

 

 ギルはゆっくりとした足取りで教会の中に踏み込む。埃っぽい匂い、その中に混じって物の燃えた煙の臭い。彼はゆっくりと立ち上がり、歩み寄るギルへと素顔をさらした。

現人神(アラヒトガミ)、マグノリア・ディ・ハイオラ――マグノリアと」

 

 マグノリア――そう名乗った現人神。髪色はくすんだ灰色、背丈はギルより少しだけ大きい。焼け落ちた教会だったもの、その祭壇に立つ姿は神父を思い起こさせる。しかし纏う衣服は黒ではなく白、先の男、ジルギッドとは反対。現人神が着こむには余りにも簡素なそれ。

 いっそ病人が着こむような衣服はしかし、本人の神秘的な雰囲気も相まって妙な神聖さを醸し出している。マグノリアはその整った顔立ち、翡翠色の瞳をギルに向ける。

 表情は柔らかく笑みさえ浮かべていた。

 

「まさか貴方の方から第一プラントに戻って来るとは、いやはや、手間が省けました、本当は貴方が見つかるまで第二、第三の方まで手を伸ばすつもりだったのですが――お陰様で、無駄足を踏まずに済みそうです」

 

 その口ぶりはまるで、最初からギルが狙いだったと言わんばかり。ギルは自身の胸元を握りしめ、目の前の男を睨みつける。

 

「最初から……狙いは、僕だったのか」

 

 マグノリアはゆっくりと肯定。ギルは表情を険しく、憎悪すら籠った視線を彼に向けた。

 

「僕のせいで第一プラントは鉄屑の山になった」

「そうとも言えるし、違うとも言える、まぁ全ては過ぎ去りし出来事――と、貴方は割り切る事が出来ないでしょうが」

 

 苦笑を浮かべるマグノリア。姿勢を正し、真正面からギルを見る。ギルは僅かに腰を下げ、いつでも飛び出せるように構えた。反対にマグノリアはどこまでも自然体だ。二人の間に漂う緊張感、それを自覚しながら彼は淡々と告げた。

 

「気付いておいででしょう、貴方自身の事を」

「…………」

 

 返答はない。しかしその沈黙は雄弁な肯定でもあった。そんなギルの姿にマグノリアは目を細め、下していた腕をゆっくりと伸ばした。上を向いた手のひら、それはギルの手を求めている様で。

 

「どうか、御戻り下さい、【兄上】――我ら家族の下へ、今一度」

 

 声は廃教会の中で良く響いた。ギルは何も言わない――何も言えない。

 分かってはいた。何となく察してはいた。

 ギルの視線がゆっくりと足元に落ちる。何を思う、何を考える、そんな事はもっと幼い頃からひとつだけ。ぎゅっと、拳を握りしめる。マグノリアが言った。

 

「貴方の居る場所は信仰派だ――元より、現人神と露見すれば他の派閥で生きることなど望めません、どうかお戻りを」

 

 どこまでも平淡で、理を説く口調。ギルは二度、三度、口から息を吸い込む。バクバクと心臓が鳴っていた。目が充血する、血が凍る、この感覚をどう言い表せば良いのか分からない。

 

「今更」

 

 漸く絞り出した声は震えていた。俯いていた顔をゆっくりと上げる。その表情に見えるのは――。真正面からギルを見ていたマグノリアの表情が、くしゃりと歪んだ。

 

「今更、僕に戻れと宣うか……!」

 

 悲痛な顔だった。

 ギルは叫びと共に黄金の炎を纏う。熱風が廃教会を内部から焼き焦がし、マグノリアが荒れ狂う熱波を受け、腕で顔を庇った。崩れかけの廃教会が衝撃で軋み、パラパラと破片が落ちる。頭上のステンドグラスが揺れ動き、黄金に照らされた硝子が美しい輝きで二人を照らした。

 

「元よりお前達が始めた事だろうが……! 身勝手に生み、身勝手に見捨て、漸く見つけた僕の居場所を奪い、そして我が物顔で家を踏み荒らした後で、戻れと、お前は、お前たちは一体どの口でッ……!?」

 

 片手で顔を覆い引き攣る口元を覆い隠す。ギルの目は血走り、噛み締めた唇から血が滴る。憎悪に塗れたその瞳を直視するマグノリアは目を細め、そっと顔を伏せた。

 

「なぁ、兄弟、お前――自分がどれだけトチ狂った事を言っているのか理解しているのか?」

 

 マグノリアは伸ばしていた腕を静かに下す。そして顔を伏せたまま、感情を押し殺した声で答えた。

 

「……えぇ、理解していますとも、多分、貴方から見れば父と母――私達信仰派は死すべき、悪の権化に見えるのでしょう」

 

 その言葉に驚いたのはギルだ。信仰派に属する連中はもっと精神的に狂った奴ばかりだと思っていた。しかし目の前の男は予想以上に――マトモだ。

 すぅ、とマグノリアが息を吸い込む。そしてゆっくりと深く吐き出した。吐き出したのは吐息だけじゃない、もっと別な、感情とか、内に籠った熱だとか。そういうものを纏めて吐き出しているようにギルには見えた。

 マグノリアは目を閉じ、静かに、水面の様な口調で言う。

 

「けれど、あんな場所でも――私を生み、育ててくれた大恩ある場所なのです」

 

 声は虚空に溶け耳に届いた。ギルは何も言わなかった。ただ黄金の炎で以って廃教会の内部を煌々と照らし、無言を貫いた。僅かな沈黙、炎が二人の顔を照らし一時、昼の明るさを世界は取り戻す。

 

「戻っては頂けませんか、兄上」

「――僕を兄と呼ぶな、マグノリア」

 

 交差は一瞬、マグノリアの口から紡がれた万感のソレを、ギルは即座に斬って捨てた。マグノリアの表情が歪む、ぐっと唇を噛みしめ目を伏せる彼は――心の底から自分の帰還を願っているのだと理解するには十分過ぎた。

 

「……そう、ですか」

 

 呟き、目を閉じる。十秒程彼は目を瞑ったまま沈黙を守った。しかし再び瞼を開いたとき、彼の瞳には悲痛な色はなく、ただ強い意志と覚悟だけが秘められていた。

 

「なら――力尽くでも戻って頂きます」

 

 言うや否や、マグノリアの体から大量の冷気を吹き出す。それはギルの炎と対を成し、ギルの煌々とした黄金の炎が廃教会を熱する中、マグノリアに近いステンド硝子や絨毯、壁が次々と氷結、万華鏡の如く色を反射した。

 ギルは初めて見る自分以外の異能保持者――現人神の存在に闘志を燃やす。

 

「腕の一本、指の先でも残っていれば問題ありません、その状態から【復元】出来る方法があります」

「は、なら逆に灰の一欠けら残さずに消し飛ばせば、もう二度と戻って来られないという訳だ、なら、やる事は簡単だね」

 

 軋んだ音を立てて教会を凍結させるマグノリア、反対に大気を熱し炎を生み出すギル。睨み合う二人、その時間は長く続かなかった。

 

「行きます――ギル」

 

 呟き、マグノリアが腕を前に払った。瞬間、ギルが炎を纏ったまま駆け出す。

 黄金と白が衝突した。ギルの突撃は迫り出した巨大な氷塊に食い止められており、万物を溶かすと自負していた黄金の炎は表面を溶かすばかり。

 その結果に思わず瞠目し、ギルは吐き捨てる。衝突の衝撃が教会の内壁を吹き飛ばし、並んでいた長椅子が粉々になって宙を舞った。

 この氷――コイツがあの(ジルギッド)の力、そのオリジナルか。

 

「随分、丈夫な氷じゃないか……!」

「月の血は貴方との相性が良い、だからこそ私が此処に居るのです」

 

 ぶつかりあったままギルは歯茎を剥き出しにして踏み込み、氷塊を押し退けようと前傾姿勢となる。事ここに至っては純粋な出力勝負だ。しかし周囲に飛び火する程の黄金を纏っても徐々にギルが押し込まれる。氷と纏った黄金の接点でバチバチと火花が散り、ギルの目に閃光が何度も瞬いた。

 

「ッ、くそ……!」

 

 真正面から破る事は出来ないと悟ったギルは一度氷塊の表面を弾き、大きく後方へと飛ぶ。そのまま両開きの扉を突き破って外へと躍り出た。

 パキパキと音が鳴る。音のする方へと顔を向ければ教会の床がギルを追うようにして氷結、まるで蛇の如き動きで外に居るギルの足元まで伸びた。咄嗟に炎を足元に撒き、追跡してきた氷を溶かす。

 

「私の氷は一度強固な塊となればたとえ貴方の持つ太陽の血であっても容易に溶かせはしません、捉えてしまえば私の勝利です」

 

 マグノリアが腕を振るう、瞬間マグノリアの足元に幾つもの氷柱が並び立ち、一直線にギルに向かって地面を這った。腕の一本、足の一本、捉えればマグノリアの勝ち、そこから凍らせられて動きを止められる。溶かそうとするより速くマグノリアはギルの全身を凍結させるだろう。

 追跡する氷を炎で溶かしながら後退。しかし何度打ち消しても追って来る氷の蛇に業を煮やし腕を一振り、轟音と共に炎の壁を作る。だがその炎の壁も一瞬で掻き消され、ギルを追って教会を飛び出したマグノリアが真っ直ぐギルを見た。

 

嘆きの川(コキュートス)

 

 マグノリアが足踏みをする。瞬間、そこから凄まじい速度で地面が凍結、再びギルに迫った。咄嗟に飛び上がって回避、しかしギルの足元で止まった氷は氷柱となってギルに迫る。それを黄金の炎で防ぎ、根元まで燃やし危機を回避する。

 氷の割れる音が彼方此方から聞こえる。振り向けば世界がどんどん温度を失っていた。マグノリアを中心に大気が凍り、霜すら降って来る始末。今気づいた事であったが、彼はギルの様に突然虚空に炎を出現させたりはしない。必ず地面や壁など言った媒体を介し、間接的にギルを襲う。ギルは思った、恐らく彼の戦い方はこうやって『自分のフィールド』を広げるところから始まるのだ。この薄く、氷の張った場所――ここがマグノリアの射程。

 そう考えギルは自身の周囲に炎を撒き温度を確保。白い息を吐きながら地面を伝い薄氷を溶かしてフィールド形成を阻害した。

 それでも自身の不利は否めない、ギルの数十メートル先に立つマグノリアは能力と同じく、氷の様な冷たい表情で此方を見ている。「強いな」と声が漏れた、本心からの言葉だった。自分とマグノリアの間にはぶ厚い壁がある――技巧の差だ。能力の使い方に関して、彼は自身の遥か上を行っている。

 

「年季の差があります、私はずっとこの力と共に生きてきた」

「……そうだね、どうやらそうらしい」

 

 自分とマグノリアの間にある大きな溝。それは力を使って生きてきたかどうか。ギルは炎を腕に纏いながら頷く。

 認めよう、能力の扱い方に関して自身は目の前の彼に敵わない。急激に強くなる術などない以上、今のままマグノリアに勝利するのは難しいと言わざるを得ない。それを自覚し、飲み干し――それでも尚、ギルは諦める事を良しとしなかった。

 

「使い方や創意工夫、そういうモノじゃまず敵わない、だから――全力でいかせて貰おう」

「ッ!」

 

 途端、ギルを中心に巨大な炎塊が顕現。地面から火柱が立ち上り、周囲を覆っていた薄氷と冷気が一瞬で消し飛んだ。

 ギルの額に青筋が浮かび上がり、ギルの全身を覆う様にして炎が吹き荒れる。

 その熱波と衝撃を真正面から受けたマグノリアは膝を着き、炎嵐の中心にいるギルを見る。ギルがこの世に生を受け、物心つく頃から持っていたこの力。幼き頃の自分でさえ、これ程の力を使う事は無かった。世界を傷つけない様に――或いは、壊してしまわない様に。

 これが正真正銘、ギルという現人神の全力。

 

「まさか、これ程とは……!」

 

 細心の注意を払いに払って、か細い制御の糸を切らさぬようにと扱ってきた。それをギルは自らの意志で手放す。その力の奔流たるや行使者であるギルですら熱さを感じる程。しかし全力全開での能力行使はマグノリアですら届かぬ領域にあるらしく、熱に晒されながら彼は瞠目する。

 その上でマグノリアは目つきを鋭く、自身の両手を目の前で合わせる。ここが正念場だ、ここで凌がねば負けると彼は判断した。

 

 拍手、一拍。

 

 瞬間、彼を中心に氷柱が乱立し、ギルの放つ黄金炎から主人を守るように冷気が噴き出した。その表面は先ほどと異なり軽く炎に舐められるだけで溶けだすが、溶けた傍から新たな氷塊が生まれ出る。対峙した二人の間に熱気と冷気が渦巻き、互いが血走った目で叫んだ。

 

「周りの被害を度外視した、文字通り僕の全力――メガフロート諸共沈めてやるよ……!」

「よろしい、ならばお見せしましょう、暗夜に浮かぶ月、蒼天に浮かぶ太陽に勝る白を!」

 

 握りしめた拳、その中にありったけの黄金を込める。そして波打ち、煌々と世界を照らすソレを両手で掴み、圧縮、圧縮――!

 全力で掌を焼き尽くさんと胎動する黄金の炎塊、両手を天に掲げ、祈るように叫ぶ。

 

「人には人、神には神――善意には善意、悪意には悪意、力には力を――悪しき存在には影を、害為す者に災いを、そして真善き者に光あれ!」

 

 両腕が黒ずみ、全身を炎が覆う。ギルは握り込んだ黄金をマグノリアに向け、勢い良く解き放った。

 

最後の太陽ッ!(エスカトン・ヘリオス)

 

 放たれた極光、その直前。マグノリアは擦り合わせた手を組み、全力で地面を踏みしめ、叫んだ。

 

永久に仰ぐ月ッ!(アイオニオン・セレイネ)

 

 ギルの手の中から放たれた小さな熱線――それが第一プラントの遥か向こう、水平線を照らし、次の瞬間凄まじい閃光と共に世界を飲み込んだ。

 行く手を遮るモノ、悉くを破壊、融解させ突き進む黄金色。それは万物融解の名に相応しい極光――目の前にあった廃教会を一瞬で蒸発させ、進路上にあった物体を悉く消去する。そして一拍後に――爆発。

 轟音と衝撃、極光の触れた地面が連鎖する様な形で火柱を上げ、緋色を撒き散らした。ギルを包む黄金の炎が円環を描き、日輪の如き光を放つ。爆発の風圧は凄まじく、まるで第一プラントで見た空爆がお遊びの様な熱と圧力を誇った。

 そしてすべてが終わった後に残ったのは黒ずみ、赤熱する地面と半円に抉れたメガフロート。遥か先に見える海が凄まじい蒸気を噴き上げ、霧が立ち込めていた。

 果たして――マグノリアは。

 

「ッ、ギル……!」

 

 パキ、パキリと音が鳴る。その方向には白い蒸気を噴き上げ、自らの体を凍結させたマグノリアの姿。その右腕と左腕は欠け、中途半端に尖った氷が義肢の如く傷を覆い隠している。しかしその体は所々黒ずみ、辛うじて命を繋いでいた。

 しかし致命傷だ、先の攻撃を生き永らえたのは感嘆に値するが――もう戦える体ではない、誰の目から見ても明らかだ。

 ギルは荒い息を繰り返しながら地面に這いつくばり己の体を氷で覆うマグノリアへと一歩、一歩近付いていく。見れば見る程生きているのが不思議な程。皮膚は黒ずみ、頭髪も一部燃え消えている。指先や鼻先などが炭化し、動くたびにパラパラと破片が落ちた。

 

「あれ程の氷を纏っても、防げぬ熱、あぁ、貴方は、やはり現人神、人とし、て……生きる、には、余りに……そうだ、そうだとも、貴方は決して、失敗作などでは……なか、った」

 

 ギルはマグノリアの前に立ち、うつ伏せに倒れる彼の肩を掴んだ。どこまでも温度を感じさせないギルの瞳。それに射抜かれながらマグノリアは地面に頬をつき、囁く。

 

「テミスは、未だ、貴方を……ローリエ、も……」

「もう良い、お前はここで終わるんだ」

 

 肩に掛けたギルの手に、マグノリアが触れた。能力と同じく冷たい手だった。どんどん濁っていくその瞳を見下ろしながら、「最後に、言い残すことは」と問うた。

 感傷的になった訳ではない、ただ仮にも自身と同じ血を分けた偽りの兄弟に向けた、【マトモ】に見えた彼への、最後の慈悲だった。マグノリアは顔を上げることもなく、地面に顔をつけたまま小さな声で囁く。震えた唇が言葉ひとつひとつ、ゆっくりと紡いだ。

 

「もし、母、上、が……貴方を、迎えて、い、たら……」

「…………」

「私、達は……家族、に……兄、弟……に、なれた、の、でしょう、か?」

「―――」

 

 ギルは何も言わなかった、何も言えなかった。ただ刻々と瞳から光を失い、力なく項垂れるマグノリアを前に、ただ小さく吐息を零す事しか出来なかった。

 そして彼の体が小さく震え、もう耳に届くかどうかも怪しい声量で喉を震わせる。目尻に溶けた氷のものではない――雫を一筋、垂らして。

 

「……リィン、申し訳、あ、り、ま――」

 

 マグノリアは最後まで言葉を紡ぐことなく、ギルの手を掴んでいた指先が滑り落ちる。

 今際の言葉が家族への謝罪、彼は泣きそうな表情を浮かべたまま、一筋の雫を流し――逝った。

 ギルは軽い音を立てて地面に落ちた手を眺め、無言で腕に炎を灯した。マグノリアの体を覆っていた氷は彼が力尽きると同時、まるで霧の様に立ち消える。

 腕に灯った炎がマグノリアの亡骸へと移り、周囲を照らしながら骸を焼く。飛び散った残火がプラントを照らし、ギルはその場に腰を下ろして空を仰いだ。

 沈みゆく第二の太陽、その水平線に消えていく世界を眺める。

 

「本当は、本当はさ……この世に、神だとか半神だとか、そんなものは必要ないんだよ」

 

 呟き、自身の膝を抱えた。どんどん暗く沈んで行く世界、その中でマグノリアの骸を焼く炎と残り火だけが闇を照らす。パチパチと爆ぜるソレを横目に、ギルは自分の掌を見つめた。

 黄金を纏う、人とも、神とも言えない手だ。 

 

「――僕を含めて、いなくなった方が良い存在なんだ」

 

 マグノリア、と彼の名を呼んだ。それは問いかけだった。無論、答えなど返って来ない。それを理解した上でギルは問うた。

 僕達はまだ、人間でいられるのだろうか――と。

 

 ☆

 

 第一プラント奪還作戦は決行から凡そ三十二時間後、成功の報が共生派第二プラントに届けられた。信仰派は第一プラントより撤退し、占領していた部隊を人類派と共生派義勇軍が撃退、また今回の戦闘により共生派義勇軍の戦死者は僅か十二名。人類派も無人機やドローンを相応に使い潰した物の、戦死者は出撃者全体の三%未満という結果が残った。反して、信仰派の被害は甚大だろう。今回の反抗作戦にて向こうの駐屯していた兵士は悉くが射殺され死体の山が築かれた。

 そして死亡した兵士の中に――現人神と呼ばれる存在が居たことに彼らは終ぞ気付かなかった。

 

 人知れず敵の主戦力を殺害し、プラントへと帰還したギル達は歓声で以って迎えられる。

 強襲され、奪われた第一プラントを奪還した勇気ある者たち。彼らは声を上げ、自らの手で勝利を掴み正しさを証明して見せたのだ。VTOL機からゆっくりとプラントの地面に足を下ろし、大声で出迎えられるギル達。ハイリオは未来を見据え、薄ら笑いを浮かべながら手を振り。ユリは大きすぎる歓声に身を竦ませ、ミリシアの背に隠れる。ミリシアは笑みを浮かべながらユリの頭を撫でつけ、人々に軽く手を振った。

 ギルだけはただ、無表情に人々を見ていた。

 

 共生派第二プラント、周辺で群れを成し自分達を歓迎する市民。

 これからこのプラントは戦争へと向かうのだろう。ズルズルと泥沼のような――ハイリオの臨んだ未来、その方向へと。

 これで良いのだろうか、ギルは自問自答する。それは今更過ぎる問いだ、賽は投げられた、もう時間を撒き戻すことは出来ない。突き進むしかないのだ、この血塗られた道を。

 空っぽの瞳で空を見上げ、ギルは想う。

 奪われた家族と家を――そして同じように、それらを失った友を。

 きっと大勢殺すのだろう。そしてきっと大勢死ぬのだろう。

 そして自分の前を歩く三人を見て、ギルは決意した。

 たとえこの復讐がどの様な結末を生んだとしても――この友人たちだけは失うまい、と。

 

 ☆

 

「姉さん、マグノリアが――死んだって」

「―――そう」

 

 暗がりの中で声がした。椅子に座り、目を伏せたまま背凭れに身を預ける女性。その傍に立つ青年。部屋に明かりはひとつだけ、椅子の脇に無造作に放られたランプのみ。

 剥き出しのコンクリートに絨毯を敷き、部屋に見合わない程、様々な装飾に彩られた椅子に腰かける女性は呟いた。

 

「悲しいわね、どれだけ頑丈でも、どれだけ傷の治りが早くても、死なない訳じゃない――結局、私達は半分人間で、半分……」

「姉さん」

 

 声を遮るように青年が声を上げた。女性は深く息を吐き、内に燻る感情をリセットする。そして落としていた視線を青年に向け、問いかけた。

 

「リィンはどうしているの?」

「部屋に閉じこもっているよ、兄が死んだんだ、今は辛い筈だ」

「そうね、あの子、マグノリアにベッタリだったから」

 

 あの子たちは双子だった。中の良い兄妹――マグノリアとリィン、本当ならば二人で事に当たる筈だった。けれど妹の身を危険に晒したくないとマグノリアが単独で動いたのだ。本来ならば責められるべき事だろう、勝手に独りで動き、挙句の果てに討ち取られるとは――しかし、そんな感情を抱くものは、この一族に存在しない。

 

「兄さんが、殺したのかな」

「…………」

 

 答えはない。けれど二人は確信していた。

 

「まだそう決まった訳じゃないわ、『お父様』に聞いてみれば分かるでしょうけれど――」

「でも、僕達を殺せるとしたら、一番可能性があるのは同じ現人神だ」

 

 例え銃撃で体が穴だらけになろうと、心臓を破壊されようと、頭を捥がれようと。指先のひと欠片、眼球の一つでも残っていれば時間は掛かるだろうが回復出来る。何なら『父の元』へと向かえば即座に復活も出来るだろう。

 けれど弟は――マグノリアはいつまで経っても帰還しない。

 それが意味する事はひとつだけ。『自力で癒せない傷』を付けられるのは、自分達と同質の力のみ。

 

「次は俺が行くよ」

「テミス」

 

 背を向け、部屋を後にしようとする青年。その背中に女性が声を掛けた。

 

「相性の良いマグノリアが殺された、ならリィンでも無理だ、それに今はそっとしておいてあげたい――兄さんは、僕が連れ戻す」

 

 女性は僅かに顔を歪め、何かを言おうと口を開く。しかし結局言葉を紡ぐことなく、項垂れる様にして背凭れに体を預けた。部屋の扉、そのドアノブに手を掛けた青年は女性の方を向く事無く言葉を紡ぐ。

 

「……姉さん、もし――もし、兄さんが戻らないと確信した、その時は」

 

 数秒、沈黙が下りる。そして女性は闇の中から吐息を漏らし、答えた。

 

「……そうね、テミス、貴方に任せるわ」

 

 冷たい口調だった。「分かった」と青年は頷き、今度こそ部屋を後にする。錆びた扉の開く、甲高い音。そして閉じられた空間へと戻った女性は自分だけが残った空間でそっと声を漏らした。

 

「――ギルガメッシュ、どうして」

 

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