「良いかい、ギル、その力は無暗矢鱈と使ってはいけないよ?」
幼い頃から繰り返しそう教えられた。それは自分の父と母から。父も母も優しく、温厚で、尊敬できる人物だった。父は食料生産プラントのエンジニアとして、母は商業区に店舗を持つ民間経営者として自分を育ててくれた。
父と母、そしてギル。この三人に血の繋がりはない──ギルは元々捨て子であり、この夫婦に拾われるまで孤児であった。どこにどうやって捨てられていたのか、自分の出身はどこなのか、そういう類の話を両親から聞かされたことはない。ギル自身、特に知りたくもないことだったので尋ねることをしなかった。だから自分はこのプラントで生まれたのかもしれないし、或いは別のプラントで生まれたのかもしれない。
本当のところを言えば──それは嘘だ。
両親はギルが自分の出生プラントを知らないと思っている。けれど真実は違う、ギルは自分がどこのプラントの出生かを明確に知っている。ギルの持つ特異な【才能】がその出自の選択肢を絞ったのだ。父と母に抱かれていた頃の無知蒙昧な自身であれば気付かなかった、しかし教育を受け、神との類似性を見出した時、ギルは己の存在がどういうものなのかを知った。
自分は恐らく──。
何故そんな人物が共生派のプラントにいるのか、父と母は高等教育にまで進んだギルに話そうとはしない。ギル自身、それでも良いと思っている。或いはこの才は腐らせ、そのまま一生使わらずに眠った方が良いのかもしれない。
ギルはこのプラントが好きだった。
家族がいて、友人がいる、この世界が好きだった。
だから別段、悩みもないし、不幸なこともない、今で満足している。
ギルは思う、多分このまま何事もなく自分は大人になるのだろうと。そしてこんな平穏で退屈で大切な日常がずっと続いていくのだろうと。四人で居られるのは高等教育の間だけだろうか。だとしたら、自分は今を精一杯楽しみたい。
ギルはそう思いながら、今日という一日を過ごす。
☆
夜半、
それは唐突で、予想だにしない出来事。天気が荒れ雷が落ちることはあるだろう。けれどその時の爆音はそういう類のものではなく、同時に人工島であるプラントが大きく揺れた。それだけで起床するには十分な刺激だった。
音と衝撃でベッドから転げ落ちる形で地面に叩きつけられる。数秒の間何が起きたのか分からず放心し、それからこれが夢でない事を確かめるように頬をひと撫でした。床にへたり込んだまま自室の窓越しに外を見る。
街の向こう側が緋色の炎に包まれていた。
「──―っ」
言葉が出ない、現実の光景かと自分の目を疑った。微かに震えた喉に手を当て、部屋を飛び出す。勢いよく階段を駆け下りリビングへと押し入った。まず、父と母を探さねばと思った。「父さん! 母さん!」と声を張り上げ、部屋を見渡す。けれど家の中から家族の声は返って来ない。代わりに二度、三度、先ほどと同じ爆音と衝撃が地面と空気を揺らした。ギルは地面に這いつくばりながら再度両親を呼び、しかしやはり返事はない。
おかしい、そう思考する暇もなく状況は変化する。
ややあって、遠くから何か乾いた音が連続して響いた。家の中にいても分かる、随分大きな音なのだろう。連続して響いてくるソレが銃声だと気付くのに僅かばかりの時間が必要だった。鳴り響いた銃声に身を竦ませる。慌てて玄関から外へと飛び出し、周囲を見渡す。暗い、セカンド・ソルが沈んだ夜の世界。星々の瞬きは少ないが地球と大した変わりはない。人工の光が道と家々を照らし、その隅っこで再び銃声とマズルフラッシュが瞬いた。誰が撃ったんだ、こんな平和な派閥で銃声なんて、あまりに似合わない。何が起きている、ギルの疑問に答える者はいない。父と母はどこへ──自分が自室で就寝する前、二人はリビングで朗らかに会話していた。
茫然自失のギルを嘲笑うかのように大きなエンジン音を鳴り響かせ、頭上を黒い巨大な物体が高速で横切る。特徴的なシルエットだ、ドローンよりもずっと大きい。戦闘機の文字が脳裏を過った、これは。ギルは心臓がひと際強く鼓動を打ち鳴らすのを自覚する。黒い巨大な飛行機がゆっくりと下部ハッチを開く、そこから飛び出してくる複数の影。それは六つ、八つ──まだ増える。
黒い影が街に落ち、消え──火柱が上がる。
熱風が頬を撫でギルは家の扉に叩きつけられた。凄まじい風だった、夜の蚊帳が吹き飛び、一瞬世界が昼間の光を取り戻した。頬に汗が流れる、目も開けられない凄まじい突風の中でギルは思った。
戦争だ、これは、戦争だ。
そんな思考が脳裏を過った途端、ギルは風に逆らうように一も二もなく駆け出した。
「父さん! 母さんッ!」
叫び、住宅街の道を走る。道端には誰かも分からない、様々な人の屍が転がっていた。体に火が移って力尽きた焼死体、銃に撃たれた穴だらけの死体、建物に埋もれ潰れた死体。それらを見る度、その顔を確かめるのが怖くなった。それが自分の両親の顔をしているんじゃないかと戦々恐々とし、まだ生きていると決めつけて必死に二人を呼んだ。
そんな事を繰り返している途中、自分と同じ焦燥し切った顔のハイリオが路地から目の前に飛び出してきた。思わず目を見開き、慌てて立ち止まる。ハイリオはギルの姿を見て、「ギル!」とその名を安堵と共に叫んだ。ギルは親友の姿を見て微かな安堵と共に喜びの感情を抱いた。
「ギルっ……無事でよかった!」
「ハイリオも……良かった! ッ、ね、ねぇハイリオ、家に、家に父さんと母さんが居ないんだ、僕の父さんと母さんを見ていないかい?」
ギルの問いにハイリオは眉を潜め、「俺の家も、家族が居なくなった」と答えた。まるで示し合わせたように家族が消えた。ギルは思わず顔を顰め、同時に低い唸り声を上げながら飛行機が頭上を駆けた。はっと顔色が青に染まる、ハイリオがギルの腕を掴み叫ぶ。
「家族は心配だ、けれどこのまま此処にいたら俺たちも死ぬぞ……!」
「でも……っ」
「ユリとミリシアの安否も確認しないといけない!」
ハイリオが血を吐くように叫び、ギルはぐっと唇を噛みしめた。どうするべきか、どうしたいか、そんな理性と本能が鬩ぎ合う。兎に角時間と、何より余裕がなかった。優先順位をつける心の余裕も時間もない。けれど両親の姿は見当たらないが、ユキとミリシアならば。ギルは煮えたぎった鉄を飲み下す表情でゆっくりと頷いた。
「よし……多分、ユリはミリシアの家にいる、アイツ等の家は隣近所だからな」
ハイリオが駆けだし、ギルはその背中に続く。そうしている間にも頭上には唸り声を上げ街を破壊し続ける航空機と、ドローンが飛び交っていた。けれど爆撃や振動に反し、街の中は不気味な程静まり返っていた。人が少ないのだ。時折自分たちの様に学生、中等生か、高等生の少年少女が泣いたり、叫びながら逃げ惑っているが、それも稀だ。ギルとハイリオもその中のひとり。誰もが必死だった、手を差し伸べたり、或いは先導する余裕はなかった。
五分も駆ければユリとミリシアの家に到着する。他と比べると少しだけ造りの大きい、白塗りの邸宅。このプラントに限って言えば外見はどこの家も変わらない。けれど今は炎の緋色を濃く映し出し、まるで絵画のような光景だと思った。
「ミリシアっ! ユリ! 俺だッ! ハイリオだッ、いるか!?」
閉ざされた小門を飛び越え、ハイリオは扉を叩きながら叫んだ。声は爆撃の音にかき消されながら、しかし何度も声を張り上げる彼の声は届いた。少しして内側から鍵が開け放たれる音。僅かに開いた扉、そこから不安げに瞳を揺らすミリシアがこちらを覗いていた。彼女のこんな顔を見るのは初めてだった。ややあって、扉の前に立っている二人が本当に自身の良く知る二人だと確信し、思わず表情を崩す。
「ハイリオ……? ギルも!」
「ミリシア、無事だったか!」
「良かった──ユリは?」
ミリシアは瞳を潤ませながら気丈にも涙は流すまいと息を呑み、扉を開け放ちながら、「無事よ、ユリと一緒に地下に籠っていたの」と答えた。
「地下室? このプラントにか?」
「私の父さん、心配性だから、殆ど倉庫みたいなものよ、過信は出来ないわ──でも一時避難場所としては最適よ、こっち」
ミリシアが手招きし、ギルとハイリオの二人を先導する。ギルは家の中に踏み込むと扉を閉め、それから鍵を掛け二人の後に続いた。地下室はキッチンの直ぐ傍にある小さな扉から入る事が出来た。剥き出しのコンクリート壁、ひんやりと冷たいそれに触れながら階段を降りる。明かりは頭上に吊り下げられた小さな電球だけだった。
「っ、ギル、ハイリオ!」
「ユリ! 無事だったか、良かった」
ハイリオは地下室で膝を抱え蹲っていたユリを見つけ安堵した。ユリもギルとハイリオが無事だったことを知り、胸を撫でおろす。その目尻には涙が浮かんでいた。四人は束の間互いの無事を喜びあい、それから六畳程度の空間で輪になり、それぞれこれからの事について言葉を交わした。時折振動と爆音が鳴り響き、はらはらと頭上から埃が落ちてくる。しかし四人で身を寄せ合えば多少なりとも恐怖が紛れる。先ほどと違って、多少の心理的余裕が彼らにはあった。
「……俺の親父とお袋も見つからない、ギルの家もだ」
「私も……お父さんとお母さん、起きたら居なくなっていて」
こういう場合、真っ先に頼るべきは大人だろう。そうでなくとも家族である、その安否は当然心配だ。けれどそれを探し出すためにあの地上に出て、大声で喚き散らすのが果たして正解なのか。そんな筈はない、それくらいの理性は残っている。
「というより、これは一体なんなのよ、まるで……まるで戦争じゃない」
「まるで、というより戦争だろう、これは」
吐き捨てるようなミリシアの言葉に、ハイリオは目を細め重々しく頷いた。戦争──人類同士で争っていた歴史があるのは知っている。けれどそれがこんな、昨日まで何不自由なく平和を謳歌していたこのプラントが。「相手は、一体どこだろう」とギルが零した。膝を抱えたユリが自信なさげに答える。
「信仰派、じゃないのかな……人類派が同じ人を攻撃するとは思えないし」
「或いは、全く知らない宇宙人が攻めてきたのか」
「宇宙人が無人攻撃機と銃を使うの? 相手は人間よ、私も信仰派だと思うわ」
信仰派──二十年近く前に現れた神を信仰し、人類の主として崇拝、従う派閥。そんな世界もある、その程度の認識だった。けれど突然戦争なんて。そんな予兆すらなかったというのに。
「……なんで共生派を、普通、人類派じゃないのか」
「共生派は人類派と信仰派双方に太い貿易パイプを持っている、けれど比率で言えば人類派の方と多く取引しているんだ、人材、エネルギー、穀物、電子機器、車両──ある意味これも、人類派への攻撃なんだろう、供給を断つという意味合いでの、まぁ、本当のところがどうかは分からないが」
思わず漏らしたギルの言葉に、淡々とした口調でハイリオは答えた。それじゃあまるでとばっちりだ。ギルは顔を顰めながら辛うじて言葉を呑みこんだ。
「……けれどこのままいつまでも地下に籠っている訳にはいかないわ」
「どうするんだ?」
「脱出するのよ、このプラントを」
ミリシアは当然の事の様にそう言い切った。思わず三人が彼女を見つめ、ハイリオは「正気か」と声を出した。ミリシアは重々しく頷く。いつの間にか彼女の表情から怯えや恐怖の色は消え去り、いつも通りの気丈なミリシアを取り戻していた。
「正気よ、そもそもこんな街丸ごと更地にするような攻撃──幸い攻撃されるポイントは工業・産業区みたいだから住宅街に大きな被害は出ていないけれど、絶対に爆撃されないなんて保証はない、なら、逃げないとダメ、当然でしょう?」
「けれど、お父さんとお母さんは……」
「ユリ、家族は大事、けれど同じように、両親にとって私たちも大切なの、ここで死んでしまったら二度と会えなくなるわ」
正論だ、ギルは思った。ユリは暗い表情で顔を伏せ、ハイリオは難しい表情でミリシアを見た。彼も頭ではその言葉の正しさを理解しているのだろう、しかし、この状況でプラントから脱出など可能だろうか。ハイリオは考えを巡らせながら問いかけた。
「このプラントからの脱出、そんな事可能なのか? それも俺たちだけでなんて」
「そんなの、やってみなければ分からないわ、大人と合流できるのが一番だけれど、姿が見当たらないのだから、私達だけで逃げるしかないじゃない」
「具体案は?」
「本命はボート、次善でヘリ、でも航空機とドローンを見る限り、空を行くのは危険だと思うの、それにボートは兎も角、自動操縦以外でヘリなんて飛ばせそうにないし」
「ボート……プラント外周に配備されている緊急避難用のアレか」
ハイリオは脳裏に黄色の目立つゴムボートの姿を浮かべる。プラントに異常が発生した、或いはメガフロートに不具合が発生した場合、一時避難用として配備されているボートだった。それは確か、配備区域の住民、その約三分の一を収容できる数が揃えられている筈だ。残りは空輸か陸路という訳だ。そうでなくともプラントには箱舟がある、アレが来ればプラントの住民全ての収容も可能だ。だから本当に緊急避難用の措置と言える。耐久も性能も、正直プラント間を行き来できるかは疑問だ。
「そ、そもそも、皆で箱舟に行けば良いんじゃないの? だって、あそこなら安全だよね? 何なら宇宙に逃げちゃえば良いんだし……」
慌てた様子でユリが告げる。然も名案であるかのように彼女は語るが、ハイリオとミリシアの二人は首を横に振って否定した。その表情は苦々しい。
「残念だけれど、箱舟には近づかない方が良いと思うの」
「ど、どうして!?」
「俺もミリシアに同意だ、逆の立場になって考えた場合──俺が信仰派の人間なら、まず最初に箱舟を堕とす」
顎に手を当て、そう口にするハイリオ。実際問題、プラントを破壊したとしても住民と箱舟が健在ならば時間は掛かるが再起を図れる。何ならそのまま人類派と合流してしまえば良い。箱舟はその特性上、頑強な船体と宇宙空間を長期航行可能な自己完結性を誇っている。逃げ足であり隠れ家であり、移動するプラントそのものなのだ。ならば堕とさない道理はない、否、箱舟と海上プラント、両方破壊して漸く一つなのだ。
「箱舟が簡単に堕とせるとは思えない、けれど連中が何の勝算もなく戦争を仕掛けてきたとも思えない、何しろ向こうには【カミサマ】がいらっしゃるんだしな、指先一つで箱舟を破壊する事も可能なのかもしれない」
「じゃ、じゃあ……」
「箱舟は使えない、だからなるべく目立たず、そっと、私たちだけでもプラントを脱出出来る方法、やっぱりボートだと思うのよね」
三人の間に沈黙が落ちる。ボートでプラントを脱出する、陸路はダメだろう。そもそも連中はこんな片田舎の街にまで攻撃を仕掛けてきた。ならば本命中の本命、プラント中央区の被害は如何ほどか。このままプラント内に留まるのが正解とは思えない。しかし問題はどうやってボートにたどり着くか。ハイリオとミリシアは視線を交差させ、互いにその問題を認識している事を確かめ合った。
「……僕とハイリオはここに来るまで子供しか見ていない、信仰派の兵士も街に入り込んでいるのかな、銃声は聞こえたんだけれど」
「数は少ないけれど数人、小銃を持って駆けまわっているのを見たわ、まぁ、アレは兵士っていうよりも狂信者って感じだけれど」
「見つかったら拙いな」
ギルの言葉に嫌悪感を隠さずそう吐き捨てるミリシア、ハイリオは銃を持った兵士の存在に顔を顰める。そんな連中が徘徊しているのだ、見つからず、安全なルートを選択し続け海に出る事はとても難しいことの様に思える。ここから海まで走ったとして、どれくらいの距離だろうか。少なくとも数十分でたどり着く距離ではない、車ならその程度の時間だろうが生憎と使える車両がなかった。
「今更だが電子端末で誰かの家族に連絡は取ったのか? ミリシアの家なら持っているんだろう?」
「試していないと思う? 駄目よ、誰も応答しない、そもそも携帯していないのか、或いは信仰派が
「……じゃあやはり、徒歩で海岸線まで向かうしかないのか」
「距離はどの位だろう?」
「具体的な数字は分からないけれど、多分、徒歩だと一時間以上はかかると思うよ……?」
その間、敵の目を避け、静かに行動する必要がある。出来るのか? と全員の胸に漠然とした不安が飛来した。いや、やらなければならない、出来なければ此処に骸を晒すだけだ。ギルは重く沈む空気を感じ取り、ここで自分が奮起せねばと思った。そうだ、こんな非日常でこそ己は役に立てる。
「大丈夫」
ギルが立ち上がり、三人が一斉にこちらを見た。その瞳は先ほどと異なり、不安に揺れていない。無論、完璧ではない、自分も未だこの事態を呑み込めていないのだ。けれどその瞳には混じり気のない決意が宿っていた。
「万が一の時は、僕が──戦うから」