青の箱舟   作:トクサン

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船上の誓い

 やがてプラントはどんどん小さくなり。あれほど明るく焼き付いていた緋色さえも豆粒ほどの大きさになる。ドローンやUAVが飛んでくる様子もない。ハイリオが僅かにボートの速度を落とし、改めて周囲を見渡した。夜の海は暗く、波音とモーター音だけが響き渡っている。

 

「ギル、何か見えるか?」

「……こう暗いと何も、でもドローンの音は聞こえない」

 

 ここまで離れれば多分、子供四人程度なら放っておいてくれると思うよ。そう言って担いでいた背嚢からタオルケットとペンライトを取り出し、真ん中を折り曲げた。すると淡く青い光がぼうっと放たれ、ボートの中を照らす。ギルはそれをボートの真ん中に放り取り出したタオルケットを皆に配った。

 

 ハイリオは自動操縦に船の総てを任せ、全員が中心に身を寄せる。夜は冷える、このプラント周辺は常に暖かい、その分夜は寒暖差が激しい。跳ねる海の水しぶきを被る分、尚更だ。身を寄せ合って顔を突き合わせた四人の顔色はペンライトの色も合わさって酷いものに見えた。ボートの床を転がるペンライトを眺めながらユリは呟いた。

 

「ライトの光、信仰派に見つからないかな……」

「さぁ、どうだろうな、でも上手く行けば救助に拾って貰えるかもしれない、こんな事が起きているんだ、向こうのプラントだって何かしら動いている……と思いたい」

「共生派のプラントなんてどこも同じよ、救助隊を編成しても多分、戦いにはいかないわ」

 

 ミリシアの声にはどこか刺々しさがあった。けれど実際は彼女の言う通り、共生派は話し合いに重きを置く派閥だ。専守防衛、いや、今回の件で言えば防衛すら危うい。今の今まで外交のみで生きてきたツケが回ってきた。慢心していた、双方に太いパイプを繋ぎ中立としての立場を得たと。連中はそんな事を顧みず、問答無用で襲い掛かってくる存在なのだ。

 

「……もしかして大人は皆、プラント防衛に動員されたのかな」

「あのプラントで防衛戦? 言ってはなんだけれど、私たちのプラントに軍事兵器の類は皆無よ? そりゃあ、治安管理用の最低限の武装はあるでしょうけれど、間違ってもあんな、無人戦闘機だとか、電磁投射機だとか、そういう類のものは置いていないハズ、良くてタレットや水上迎撃船だけよ」

 

 ギルの言葉にミリシアは否定の意見を口にする。迎撃船やタレットも最低限で、それも有人機ではない。なら大人は何処へ? ギルの問いかけに答えられる者はいなかった。

 

「共生派と信仰派、戦争になると思う……?」

 

 ユリが低く、震えた声で問いかけた。

 

「ならなきゃ困る」

 

 ハイリオが言った、声は重々しく表情に色はなかった。

 

「これだけの事をしでかしてくれたんだ、報復しなきゃ駄目だ、やられっぱなしでいられるほど腹立たしい事はない」

「……さっきも言ったけれど、共生派に連中と正面から戦える力はないわよ?」

「――なら、人類派に移れば良い」

 

 思わず、といった風にユリとミリシアはハイリオの方を見た。その表情は信じられないと言いたげで、ギルもハイリオの言葉には一瞬驚きに言葉を呑んだ。

 

「正気? ハイリオ、それって」

「あぁ――俺は事と次第によっては共生派を脱退する」

 

 今度こそユリとミリシアの二人は声を失った。ただ目を見開き、僅かも冗談などではないと感じさせる能面の如き表情でハイリオは断ずる。ギルも二人と同じような表情でハイリオを見た。けれどその胸の内は二人と比較すればまだハイリオに似通っていた為、衝撃は思ったより少なかった。ハイリオはパンと拳を手で包み込み、自分自身に言い聞かせるような口調で言った。

 

「そして信仰派に一発食らわせてやる、向こうも他人事じゃないんだ、貴重な取引先を潰された、事は共生派と信仰派に限った話じゃない――これは二十年間守られて来た三派閥の和を乱す行為なんだ、人類派が黙っている筈がない」

 

 それに、とハイリオは目線を下に逸らし、手を強く組んだ。淡い青色の先で小刻みに震えるハイリオの指先。寒さからくるものではないだろう。ギルには彼の感情が良く理解できた。

 

「これで――もし、もし家族を失ったら……俺は絶対に信仰派の連中を許さない」

 

 薄暗い、底から響く様な声。それが憎しみと呼ばれる感情だと気付いたのはギルも同じものを抱いていたからだ。なんだかんだ理由をつけても、これが彼の本心。復讐と憎悪、ハイリオが心底より感じているのがソレだ。

 ミリシアは唇を噛んで顔を顰め、ユリはただ顔を蒼褪めさせたまま震えていた。

 

「生きているならそれで良い、そのまま難民として向こうのプラントの世話になるだろう、共生派も脱退しない――けれどそうじゃないのなら、俺は一切の躊躇はしない、もし共生派がプラントをひとつ壊滅させられて、それでなぁなぁな態度をとるなら……俺はひとりでも人類派に合流する」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよハイリオ……!」

 

 断言したハイリオの腕を掴み、声を荒げるミリシア。彼女にしては珍しい、余裕のない声だった。その瞳は不安げに揺れ、ハイリオの目と交差する。けれどその奥に昏い覚悟の光を見つけ、自身がどんな言葉を紡いでも届きはしないのだと漠然と悟った。

 

「ハイリオ、こんな事は言いたくないけれど、相手は派閥で、その上神様なんて存在もいるのよ? 私達が何かしたところでどうこうできる相手だとは思えないわ……」

 

 囁くような声で告げ、彼女は項垂れる。ミリシアの声には恐怖があった。人は理解できないものを恐れる、理知的なミリシアだからこそ何一つ理解できない神という存在に恐怖心を抱いていた。例えこれで家族を失ったとしても――自分はきっと、ひとりでは立ち向かえなどしない。二十年経っても神の存在は解明されていないのだ。科学性の否定、即ちそれこそ神秘や奇跡と呼ばれる類のもの。アクエリアスに於いて神の情報を信仰派が意図的に隠ぺいしているという点もあるだろうが――それにしたって、神話や頂上の存在に挑むようなものだろう。

 

 両親が存命している確率は限りなく低いという不安もある。信仰派はあれほど過激な手段をとったのだ、人質をとったり、或いは捕虜として扱うような真似をするだろうか。

 否だ、子供をあぁも容易く撃ち殺す連中が武器を手にした大人を見逃すなど。ミリシアの脳裏に虚ろな目をして小銃を撃つ男の姿が過る。マズルフラッシュによって浮き上がるその人影は、ミリシアの心に昏い色を落とすのに十分なものだった。

 

 ミリシアは聡い人間だ、だからこそ家から両親が消えていた時点で漠然と事を理解していた。だからこそ思う、この友だけは失いたくないと。この四人は幼い頃より共にいた、家族にも等しい存在だ。家族に次いで彼らまで失ってしまったら――自分はきっと耐えられない。

 

「神様だったら、何をしても良いのか」

 

 冷たい声だった、或いは覚悟を孕んだ声だった。ミリシアが俯いていた顔を上げハイリオを見る。彼は三人の顔をそれぞれ視線でなぞり、言った。

 

「俺はシステムを理解している、弱肉強食、弱者は淘汰され強者だけが生き残る……人間は地球に籠っていた頃、その頂点にいたんだ、けれど今は違う、人間の上に【カミサマ】っていう人より強大な存在が現れた、人類の持つ最大の強みが通用しない、超常の存在だ」

 

 ハイリオに限ってミリシアの感情を理解していないなんて事はないだろう。けれど彼は前言を撤回しなかった。それどころか益々口調は熱を帯び、目には剣呑な光を帯びる。ボートに揺られながらハイリオは星空に手を伸ばした。その小さな手が星を掴む事はない。

 

「自然の摂理だ、それ自体におかしな事はない、思うことはあっても今まで王様気分で居た人類が今までやっていた事をやられているだけだからな――けれど弱者が下剋上しちゃいけないなんてルールは存在しない」

 

 たとえ無茶無謀と笑われようと、汚泥を這いまわる虫が天蓋に焦がれるような無様さを見せようとも、決して止まることはない。ハイリオの瞳がギルを見た。鋭い視線、真剣な眼差しだった。

 

「ギル――俺は復讐がしたい」

「……ハイリオ」

 

 何故、自分を名指しで呼んだのか。ギルは理解した。

 この四人の中で最も争いごとに適した人材、そういう側面もあるだろう。そして何より、信仰派と戦う上で最もアドバンテージとなるであろう力。科学でもない、技術でもない、何より純然たる奇跡、異能と呼ばれるソレ。神の持つ不死性、不死身と呼ばれる肉体を銃撃で滅ぼす事は出来ない。しかし、ギルならば或いは。確証はない、けれど可能性はあった。

 

「まだ、皆の家族が死んだと決まった訳じゃないよ」

「あぁ、そうだな、でも……家族が生きていると腹の底から信じられる状況でもない」

「……本気なのかい?」

「分かるだろう、ギル」

 

 彼の目が細く絞られた。本気だ、何年来の付き合いだと思っている。それが本気か冗談かなど最初から分かり切っていた。それでも問うたのはユリとハイリオの為だ。

 ここが分水嶺だ、ギルは思った。

 一度大きく息を吸った、肩に掛けたタオルで口元を覆い目を閉じる。そして数秒、思考を巡らせたギルは小さく頷いた。

 

「分かった」

「ギル…!」

 

 咎めるような声が上がった。それはユリから、まさか貴方もなのと言わんばかりの表情。ギルはタオルに顔を埋めたまま、見上げるようにしてハイリオに問いかけた。

 

「多分、僕が頷かなくても行くんだろう? ハイリオ」

「……あぁ」

「そんな……!」

 

 ユリの顔色が蒼褪める。青を通り越して真っ白に近い、そんなユリをミリシアは強く抱きしめ背中を擦った。唇を戦慄かせ、呟くようにユリは言葉を吐き出す。

 

「なんで、そんな事……!」

「正直に言うとね、僕も――僕も少しだけ、同じような事を考えていたんだ」

「――ギル、お前もか」

 

 うん、とハイリオの疑問の声に頷いて見せる。そうだ、ギルも彼と同じような事を考えていた。もし、あの心優しい父と母を奪われたのなら――絶対に許してなんてやらない。

 ギルはあの世界に満足していた。父がいて、母がいて、友がいて――退屈ながら人として真っ当な生き方を許される、あの暖かな世界に。

 それを唐突に、理不尽に、なんの脈絡もなく奪われて。黙っていられる筈がないのだ。

 

「神様だろうが、人間だろうが、関係ないんだよ」

 

 まだ瞼の裏に焼き付いている。ギルはプラントの方角を見た。もう水平線の向こう側に消えてしまった、緋色の炎を幻視する。燃えてしまった、自分の故郷は。あの白く美しい街は。狂信者の手によって。

 

「やられっぱなしは性に合わない、もし父さんと母さんがいなくなったら――その時は」

 

 それ以上言葉を重ねることはせず、ギルは目を瞑る。けれどそれだけで十分だった、ハイリオにも、ミリシアにも、ユリにも、ギルの感情は伝わった。

 

「本気なのね」

 

 ぼそりと、ミリシアが呟く。青いペンライトに照らされた彼女の表情は苦々しいとも、悲壮感漂うとも表現できる。ややあって、ミリシアは俯いていた顔を上げ告げる。その瞳にはハイリオと良く似た光が灯っていた。

 

「……良いわ、その案、私も乗ってあげる」

「ミリシア……!?」

 

 最後の砦とも思えたミリシアの賛同に、今度こそユリは悲鳴を上げた。

 

「でも、人類派に鞍替えっていうのは納得できない、私は例え共生派の連中が日和見を決め込んで腐っても、そのまま放置しておくなんて出来ないわ」

「なら、どうするんだ」

 

 あくまで共生派と共に生きるべきだと主張するミリシアに、ハイリオは厳しい視線を投げかける。しかしそんな視線で射抜かれたミリシアはふっと口元に笑みすら浮かべ、不敵な表情で言い放った。

 

「決まっているじゃない――共生派に戦争をさせるのよ、是が非でも」

「戦争をさせる? まさか、僕たちがかい?」

「えぇ、そうよ」

 

 自分たちの手で共生派を戦争に引きずり込む。ミリシアはそう言っていた。こんな子供が数人集まったところで何も成し遂げられはしない、誰もがそう口にするだろう。

 けれどミリシアはこのたった四人で戦争を起こすと宣う。

 

「出来るの、そんな事?」

 

 ギルが思わず問いかける。そんな選択肢、ハナから自分の中にはなかった。まるで道筋が浮かばない。けれどミリシアは。

 

「出来るか出来ないかじゃない、やるの」

 

 ギルの言葉に冷たい口調で返した。それが然も当然の事であるかのように。

 

「ちょっと……ちょっと、待ってよ」

 

 ミリシアに抱きしめられたユリが身動ぎする。そして自身を囲うミリシアの腕を掴み退かすと、三人の顔をそれぞれ見渡した。その表情は驚きと困惑に塗れている。青のペンライトが彼女の動きと共にボートの上を転がった。

 

「せ、戦争って、戦争なんて、だって、だって皆見たでしょう? 自分の住んでいたプラントが、あんなになって……!」

「あぁ、見たさ」

「なら何で戦おうなんて発想になるの!? 今度こそ死んじゃうかもしれないんだよっ!?」

 

 冷静な表情と口調、どこまでも淡々とした様子で返すハイリオに堪らずユリは叫んだ。まるで当然の事の様に、或いは決まったことの様に、争いに身を投じようとする友人たち。それを前にしてユリは凄まじい悪寒に晒されていた。両手で頭を抱え、肩を震わせながら口を開く。

 

「お、お父さんと、お母さんの無事も分からなくて、それで命からがら逃げだして、この後の事も分からなくて……何で、何で復讐とか、戦争なんて話になるの? 私達、明日生きているかも分からないんだよ?」

「……そうだな、確かに明日の命も分からない、これは元々緊急避難用のボートだし、大分距離のある第二プラントに辿り着けるかも不明、その点はユリの言う通りだ」

 

 吹き付ける風に髪を弄ばれながらハイリオは頷く。口調はユリに同意していた、けれど瞳はこれっぽっちも【自分が死ぬ】なんて思っていない。

 いや、彼の場合はこう思っているのだ。

 自分はまだ何も成し遂げていない、ならこんな場所で死ぬはずがないと。

 

「仮にこのまま生き残って、プラントに辿り着けたとして、私たちの扱いってどうなるのかしら?」

「プラント難民――いや、扱い的には被災者に近いか? プラントを燃やされたんだ、行き場のない人間という意味では同じだろう、生活もどうなるか想像もつかん――ただ、どんな待遇だろうと環境だろうと、やる事は変わらない」

「何で、どうして……!」

「ユリ」

 

 ハイリオがユリの名を呼んだ。ユリは歯を食いしばって今にも泣きだしそうな表情をしていた。そんな顔をハイリオに向ける。彼はユリに向け一言一言、噛みしめる様にして言い放った。

 

「今の俺にはごく簡単な二つの道しかない、【やれた】か【やれなかった】か――『やらなかった』はないんだ」

「―――」

 

 ハイリオの言葉には絶対的な力があった。心の底からそう考えている人間の口調だ。絶句、そう表現するしかないほどに色を失くしたユリ。そのまま項垂れ、ミリシアに背中を深く預けた彼女はボソボソと掠れた声で言葉を紡いだ。

 

「……嫌だよ、私――家族も亡くして、友達まで亡くすなんて、そんなの、絶対に嫌だ」

「何も死ぬと決まった訳じゃない」

「嘘だ」

 

 ユリが強い口調で断じた。

 

「ハイリオ、自分が死んでも良いって思ってる」

「………」

 

 涙目で睨みつけられたハイリオは否定も肯定もしなかった。ただ目を細め、ユリを見つめるばかり。目尻から一筋の透明色を流したユリはハイリオを正面から睨みつけた。

 

「戦争なんてしなくて良いよ、皆で安全に、平和に、普通に暮らせれば、私はそれで……!」

「――なら、家族が無事であることを祈っていてくれ、俺もそう祈っておく」

 

 バラバラと空気を叩く音が鳴り響いた。ギルが顔を上げ夜空を見上げれば、水平線の向こう側に点滅する緑の輪が二つ。VTOL機だ、ギルが呟いた。ミリシアとユリがつられるように視線を向け、最後にハイリオが点滅する赤と緑を視界にとらえた。

 

「尤も祈るとしても、信仰派にいる神ではない方にな」

 

 ハイリオの声は良く響いた。けれどそれに答える者はいなかった。

 

 

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