連盟の狩人、鬼を狩る   作:まるっぷ

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どこまで続くんだ……?


血鬼術と狩人の血

『鬼』について

 

鬼……同士ヤマムラの祖国に生息する人喰いの“獣”。発生原因は未だ不明だが、恐らくヤーナムの獣とは無関係であると思われる。

 

共通して牙と爪が鋭く、言葉を解し、また話す。身体能力が高く、一般人ではまず太刀打ちできない。治癒力も高く、切断した手足も即座に癒着し、また生やす事も可能。稀に首を斬り落とした後に首から手が生え、自立行動する場合も。

 

殺すには全身をばらばらの肉塊にするか、脳を完全に破壊する。どちらにしても『感覚麻痺の霧』で回復能力を奪うか、全身の血を流させてからでなければならない。日光には特に弱く塵となるが、日の出前は姿をくらますので現実的ではない(四肢を拘束して日の出まで待つという手段も有りか?)。

 

追加情報……先日尋問した鬼の口から“日輪刀”という武器がある事が判明。これで頸を落とされた鬼は即座に絶命するらしい。信憑性は不明。しかし探す価値はありそうだ。所有している者たちは『鬼殺隊』というらしいが、詳細は不明。より確かな情報が求められる。

 

 

 

鬼への攻撃手段等について

 

『感覚麻痺の霧』

鬼の再生能力を著しく抑える事が可能。持続効果は鬼によって異なり、最高で5時間ほど。最低でも2時間ほど(現段階のみの結果)。個体ごとの力の差によるものか?

 

『毒メス』

鬼に対しても効果自体はある事が判明。毒が回ると鬼は苦しむが、絶命には至らない。今後尋問などの局面で使えるか?

 

『狂人の智慧』

鬼の頭部付近で割り砕いたところ、その後1時間ほどに渡ってうわ言を呟いた。経過観察したいところであったが、突然暴れ出した為にやむなく処分。今後はしっかりとした拘束が必要か。

うわ言の内容……湖、赤い月、瞳などの断片的なものばかり。しかしその単語が指し示すものを考えると、啓蒙を得たと考えて良いだろう。

 

『鬼の血』

鬼より採取した血液。複数の個体から採取したがどれもどす黒い。人間のものとはどこか違っているように見える。試験管越しに日光に当ててみた所、やはり消滅してしまった。保存には日光を完全に遮る容器が必要。用途は模索中、輸血液の代用になるか?

 

……………

 

………

 

 

 

 

 

 

「ふむ……」

 

羽ペンで手帳に何やら書き込んでいたフランシス。一区切りついたのか彼は羽ペンを置き、インクの入ったガラス瓶に蓋をする。

 

現在、彼は一軒の茶屋に腰を下ろしていた。道中立ち寄ったとある町で入用になった物(主に食糧や衣類など。衣類は返り血が落ち切らない場合の非常用である)を買い足し、その合間の休憩中というところだ。

 

茶屋の主人から注文した茶と軽い菓子をつまみながら、彼は今後の事を考える。

 

(ヤマムラの故郷の情報は今の所なし。鬼に関するものもせいぜいが噂話程度。思っていたよりも鬼共の数は少ないのか?)

 

ヤーナムでの惨状を見てきた故、ここ日本でも同じような現象があちこちで起きているものかと思っていたが、どうやら違うらしい。その証拠に道行く人々の顔は明るく、鬼の脅威など微塵も感じていないようだ。

 

これも『鬼殺隊』とやらが人知れず鬼狩りに精を出しているおかげか。フランシスは未だ見た事もない者たちを密かに称賛し、残った菓子を口の中に放り込み、茶で流し込む。

 

(が、私のやる事に変わりはない)

 

コト、と湯飲みを置き、フランシスはその表情を剣呑なものへと変えた。

 

(獣だろうが鬼だろうが、人の世に仇成す者どもをのさばらせておく道理はない……一匹残らず皆殺しだ)

 

この遠い異国の地にやって来てから狩り殺した鬼たち。その数々の末路が彼の脳裏に浮かんでは消えてゆき、思わず口角が吊り上がってしまう。

 

(はた)から見れば何とも近寄り難い雰囲気であったが、それも一瞬の出来事。道行く人々に悟られないようフランシスはすっくと立ち上がり、店の主人に勘定を頼んだ。

 

「はい、ちょうど頂きました」

 

「美味しい茶と菓子だった。それでは」

 

「あ、ありがとうございます……?」

 

そう言って茶屋を出てゆき、次の目的地へと向かうフランシス。

 

茶屋の主人はその後ろ姿を見送りつつ、毛の薄くなった後頭部をかきながらポツリと呟いた。

 

「……えらい流暢な言葉遣いだったなぁ」

 

「おじさん!」

 

と、そんな彼の背に掛けられた元気な声。

 

振り返ってみれば、そこには見知った顔の少年の姿があった。

 

「おお、炭治郎!今日も炭を売りに来たのかい?」

 

「はい!お一ついかがですか?」

 

「もちろん買うさ、ちょっと待っててくれよ」

 

そう言って茶屋の主人は店の奥へと消えていった。炭治郎と呼ばれた少年は顔をほころばせ、これで家で待たせている家族たちを満腹にさせてやれる、とすっかり上機嫌だ。

 

しかし、その少年の鼻が急に異変を感じ取る。

 

「ん?」

 

すんすん、と鼻を鳴らす。

 

匂いに敏感な彼の鼻は様々なものを感じ取る事が出来た。飯屋から漂ってくる美味しそうな匂いから、人々が歩く度に巻き上げる土の匂い。すれ違う一人一人から発せられる固有の匂いまで、実に様々だ。

 

そんな彼が捉えた匂いとは―――――。

 

「……乾き切っていない、血の匂い……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……かはっ」

 

暗い夜道。一人の青年が血の塊を吐き、地面へと倒れこむ。

 

黒い隊服に身を包んだ青年に片腕はなく、残ったもう一方の手に握られているのは青い刀身をした刀。それすらも半ばが罅割れ、今にも折れてしまいそうである。

 

青年は倒れたままぴくりとも動かない。ただ腹部から、止めどなく赤い血が流れている。腹が破れているのだ。零れ落ちた臓腑はもとには戻らず、嫌に鮮やかな色を晒している。

 

「くそ……ここまで、かよ……」

 

力なく吐き出される、しかし激しい無念さを感じさせる声。彼はあと一歩のところまで追い詰めた敵を討ち取れなかった悔しさと、返り討ちにあってしまった自身の未熟さを心から呪った。

 

こんなはずではなかった、などと宣うつもりはない。しかしせめて、死にゆく自分の代わりに、誰かあの敵を討ってくれという思いが脳内に渦巻いていた。

 

 

 

そして、その祈り(・・)は一人の異邦人のもとに届いた。

 

 

 

「こんばんは」

 

「……?」

 

頭上から振ってきた男性の声。すでに首を動かす力も残されていない青年は、眼球だけを声のもとへと向ける。

 

「だ、れ……だ……」

 

「私の名はフランシス、しがない一人の狩人だよ。君はひょっとすると、『鬼殺隊』という組織の者かね?」

 

「……そう、だ」

 

血に濡れた唇で言葉を紡ぎ、顔も分からない人物との会話を続ける。血を失いすぎてロクに頭が回らぬ中、それだけが今の彼を現世(うつしよ)に縛り付ける唯一の鎖だった。

 

「……単刀直入に言おう。私が君の仇を討つ、鬼の居場所は分かるかね?」

 

「………はぃ、そっ、がふ!ごほっ……廃、村……すぐ、さきの……」

 

咳込みながらも、青年は問われた質問に的確に答えた。そればかりでなく敵の……鬼の情報までも、最後の力を振り絞って伝えようとする。

 

「やつ……つよい。けっきじゅつ………つか、う……」

 

「無理をするな。それだけ分かれば十分だ、後は私に任せろ」

 

直後、声の主の気配が強くなった。

 

どうやらその場で片膝をついたらしい。地面に染み込んだ青年の血で膝が汚れるのにも構わず、声の主は青年の肩にそっと手を置き、最後にこう問いかけた。

 

「君の名前は?」

 

「………ひでお」

 

「ひでお……ヒデオだな。確かに覚えた」

 

声の主は肩にかけた手の力を僅かに強める。それを感じ取る事も出来ぬほどに、ヒデオと名乗った青年の意識は薄れていた。

 

「ヒデオよ。よく戦った……ゆっくりと眠りたまえよ」

 

「…………」

 

やがて、青年の瞳から完全に光が消える。

 

骸と化した青年。声の主はその薄く開かれた双眸へと指を持って行き、そして静かに瞼を閉じてやる。

 

暗い夜道で骸に寄り添う一人の異邦人。彼は立ち上がる際に青年が最後まで握り締めていた刀を拝借すると、顔を夜道の先へと向けた。

 

周囲には木々がぽつりぽつりと生えているだけで、人はおろか動物の気配さえない。空を覆う黒い雲は月さえも遮り、僅かな明かりしか与えてくれない。

 

ごろごろと遠くで雷鳴が響く中、異邦人は歩き出す。

 

目指すは道の先……廃村である。

 

 

 

 

 

どかりっ、と埃を巻き上げながら、朽ちかけた床に一人の男が座り込んだ。

 

否、それは人ではなかった。頭部には二本の角が生え、筋骨隆々の肉体は成人男性よりも二回り以上も大きい。まさしく伝承に相応しい姿をした鬼が、そこにはいた。

 

鬼は廃村となった場所にある、朽ちかけた建物の中で胡坐をかいている。囲炉裏に火はなく、溜まった灰だけが死体のように小山を作っていた。

 

「糞、あのガキぃ……!」

 

忌々しく怨嗟の声を吐き出す。

 

着ている着物のところどころは切れ、破れ、血に彩られている。それらが全て一人の青年によってつけられたモノであるという事に、鬼の中での苛立ちが更に加熱していった。

 

「すぐに喰っちまいてぇが、焦っちゃあいけねぇ。あいつも瀕死だ。それなら俺はここでちっと待って、それから死体を喰えばいい。なぁ、そうだろう……?」

 

まるで自分に言い聞かせるように呟く鬼。

 

事実そうなのだろう。青年によってつけられた傷は思いの外深く、多く、何より血を流し過ぎた。即座の回復すらも出来ない程にやられた鬼は、こうして傷の回復を優先させている訳だ。

 

この鬼は拠点を変えつつ、決して周囲に気取られる事無く今日まで生きてきたのだった。その間に力を貯め、特殊な力『血鬼術』を使えるまでに至った個体である。腕っぷししか能のないようでいて用心深い、見た目にそぐわぬ慎重な鬼なのだ。

 

現にこうして自分の巣で傷を癒す事に専念しており、怒りを晴らす事よりも自分が生き残る事に重きを置いている。長年に渡って自らに課してきた、生き残るための掟である。

 

「鬼狩りがやってきたって事はだ、もう俺の居場所はバレてる。ならさっさと別の場所に移動して……あぁ、だが他の鬼に死体を横取りされちまうかも知れねぇ。早く取りにいかねぇと……」

 

ぶつぶつと独り言を呟く鬼は今後の方針を模索する。

 

脅威は完全に去り、あとは死体を喰ってから逃げればいいという考えに支配されていた。万が一という事もある。偶然やってきた他の飢えた鬼に得物を横取りされないよう、早く回収に行かねば、とも。

 

だが、この鬼はもっと考えるべきであった。用心深いならば尚の事である。

 

 

 

瀕死の重傷を負い、大量の血を流していた鬼殺隊の青年……その血の匂いに誘われてやって来るのは、鬼だけではないかも知れないという事を。

 

 

 

ジャコンッ、と。硬質で無機質な音が、鬼の耳を打った。

 

「?」

 

訝しげに背後を振り向く鬼。

 

朽ちかけの壁の外側から聞こえてきたその音に何事かと警戒心を高めるも、時すでに遅し。

 

その僅か一秒後……壁は粉々に砕け、同時に鬼の全身を無数の弾丸が貫いた。

 

「なっ……ぐおあぁぁああああああああああっ!?」

 

ドドドドドドドドドッッ!!という連射音が響き渡り、鬼の絶叫と混ざり合う。銃弾の嵐は十秒間に渡って続き、あばら家同然だった建物は瞬く間に木片の山へと変えられた。

 

この奇襲を仕掛けた張本人、フランシスは左手に携えた武器『ガトリング銃』をその場に投げ捨て、代わりに『教会の連装銃』を取り出した。銃口が二つあるこの銃は一撃の威力が高く、彼も度々使う代物である。

 

右手に愛用のノコギリ鉈を携え、潰れた建物内部に埋まっているであろう鬼へとずんずん近付いてゆく。その歩みに淀みはなく、ただ純粋な殺気のみが溢れていた。

 

「……っばはぁ!!」

 

積み重なった木片を吹き飛ばし、鬼の上半身が姿を現す。

 

銃弾を全身に浴びたというのに致命傷を負った気配はない。全身から血を流してはいるものの、こちらへとやって来たフランシスの姿を見つけるや否や、血走った目でフランシスへと襲い掛かろうとする。

 

「貴様っ―――!」

 

が、フランシスの方が早かった。

 

教会の連装銃を構え、正確に鬼の顔面を撃ち抜く。飛び出した血と水銀の銃弾は夜闇を切り裂き、一直線に鬼の脳天を貫いた。

 

「カっ!?」

 

ばちゅんっ!という水っぽい音がして、鬼の頭部が弾けた。

 

鼻から上を失った鬼は口をパクパクとさせ、両手で宙をかき抱くような奇怪な動きをし始める。脳を失ったために、一時的に身体の制御が出来ていないのだろう。

 

その隙を見逃さず、フランシスはすかさずノコギリ鉈を振るう。幾多の獣の肉をズタズタにしてきたノコギリの刀は鬼の右腕を削り取り、肘から先を斬り飛ばした。

 

返す刀で振るわれるのは、ノコギリ鉈のもう一つの顔。狩人が持つ武器の本領を発揮したそれは、重厚かつ肉厚な刀身を持つ鉈の姿をしていた。

 

削り取る、ではなく叩き斬る。そういう性質へと変化した武器は、腕から血を噴出させる鬼の右肩へと深く食い込んだ。

 

「がっっああぁあ!?」

 

絶叫する鬼の顔は、すでに眼球までの再生を終えていた。剥き出しの脳を保護するように頭蓋骨が形成されてゆき、その上を肉で覆い隠してゆく。

 

「ぎざば、ぎざま、貴ざまぁ!!」

 

完全に元通りとなった頭部。斬り飛ばした腕も新たなものが生え、両手でフランシスに掴みかかろうとしてくる。

 

「っ!」

 

瞬時に後方へとステップし、これを回避する。そのまま更に後方へと跳び、一旦鬼との距離を取る事に成功した。

 

鬼はようやく木片の山から這い出てきて、ボロボロになった上半身の衣服を引き千切りながらこう言い放つ。

 

「いきなり仕掛けてきやがって……てめぇ何者だ!!」

 

「………」

 

激高する鬼に対し、フランシスは取り合わない。普段であれば悦を感じさせる声色で鬼を嘲笑ったりするところなのだが、一言も言葉を発しようとはしない。

 

別に言葉を忘れた訳ではない。それすら忘れてしまえば獣同然の存在に成り果ててしまう。

 

そう。彼はただ単純に、激しい怒りの中にいるのだ。

 

人を喰い、殺し、無垢の血を流させる醜悪な鬼という存在に対し、もはや言葉を交わす事さえも汚らわしいと感じていたのだ。

 

先ほど死に目に立ち会った鬼殺隊の青年の存在が大きかったのだろう。今までに狩ってきた鬼たち、それらに向けるものを遥かに上回る殺意がフランシスの腹の中に渦巻き、溢れていた。

 

その殺意はフランシスにこう囁く。

 

『早く殺せ』と。

 

「!」

 

タンッ、という軽い音と共に、フランシスの身体が鬼へと肉薄する。瞬時に間合いを詰めてきた謎の黒づくめに、鬼は怒声を上げながら腕を振るう。

 

「このっ、何なんだよ!?」

 

薙いだ腕を姿勢を低くして躱し、そのまま変形させたノコギリ鉈を振り抜く。刃の先端が鬼の腹を浅く裂き、真っ赤な鮮血が宙を舞った。

 

「ぐっ!」

 

それだけでは終わらない。振り抜いた力を利用し、フランシスはノコギリ鉈を変形させたのだ。

 

瞬時に元の形態へと戻ったノコギリ鉈を翻し、下から斬り上げるようにして肉を削る。ヂャリヂャリとした感覚が武器を通して伝わり、フランシスの身体に鬼の血肉が飛び散った。

 

「ぎゃあっ!?」

 

斬られた衝撃のせいか、大きくよろけて転倒する鬼。その胸を踏みつけ動きを封じ、フランシスは首に手をかける。

 

「終いだ」

 

誰に語るでもなく呟きを落とし、彼は手にしていたノコギリ鉈を手放した。

 

そうして空いた右手を、懐へと伸ばした……その時。

 

「……ひ、ひひ!」

 

鬼が引きつったような笑い声をあげた。

 

瞬間、フランシスは首を締め上げていた左手を離すも―――――同時に少量の血が、左手から噴き出した。

 

「……っ!」

 

瞬時に後方へと逃れ距離を取る。その間に鬼は身体を起こし、再び両者は相対する恰好となった。

 

フランシスは目の前の鬼から気を抜かず、ちらりと横目で左手を見る。

 

その左手は、親指と人差し指の間の僅かな肉が、手袋の生地ごと無くなっていた。

 

「ははっ、はぁ」

 

ぐちゃぐちゃと、気味の悪い咀嚼音が夜闇に反響する。発生源は鬼の口回り―――もっと言えば、フランシスが締め上げていた首の辺りだ。

 

「……成程」

 

未だぼたぼたと流れ落ちる自身の血など意に介さず、フランシスは納得したような顔で鬼を見る。

 

彼の脳内で思い出されるのは先ほどの事。死んでいった鬼殺隊の青年、ヒデオが死の間際に言っていた言葉である。

 

 

 

『やつ……つよい。けっきじゅつ………つか、う……』

 

 

 

「『血鬼術』という奴か」

 

断定は出来ないが、恐らくそれしかないだろうと当たりを付ける。

 

鬼も隠す気はないのか、肉をごくりと飲み込むと大声でひけらかす。

 

「そうだ!俺は血鬼術で身体の至るところから“口”を生やせるんだよ!」

 

言うや否や、鬼は威嚇のためかこれ見よがしに新たな“口”を生やす。

 

首、肩、腕、手のひら。ズタボロになった上半身の衣類を引き千切り、もはや異形と成り果てた鬼が、改めてフランシスの目の前に現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空腹。それだけが人間だった頃の“彼”が覚えている唯一の感情だった。

 

大正となった今の時代よりもずっと昔。江戸と呼ばれていた頃に生まれた“彼”は貧しく、常に空腹に苛まれていた。

 

育てた作物はほとんど年貢として納められ、自分たちが食べられるのはごく僅か。同じ村に住んでいた人々も次々に餓死し、残ったのは“彼”一人だけだった。

 

『……死ぬ前に……何か、食べたい』

 

木の根も枯草ももう食べ尽くしてしまった。土は食べれば食べる程腹を壊し、衰弱するだけ。ほとんど骨と皮だけになった“彼”は迫り来る死を前にし、静かに横たわる事しかできなかった。

 

村を出てどこかで暮らそうと思った事もある。しかし生来気弱で臆病な性格だった“彼”に村を捨てる事など出来ず、ずるずるとここまで来てしまった。

 

『もう……殺してくれ』

 

そうすればこの苦しい世界から解放される。そう信じて天に願いを乞うも、返ってくる言葉などあるはずもなく。

 

“彼”は生まれた事を後悔しながら、朽ち果てるのを待つだけだった。

 

 

 

 

 

『いいや。お前はまだ生きるんだ』

 

 

 

 

 

その()の声を聞くまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬼になってからも慎重に生きてきた。

 

息を殺して獲物を見定め、決して無茶はしない。こまめに拠点を変え、自分がいた痕跡を出来る限り残さないようにしてきた。

 

そうして血鬼術まで使えるようにまで成長した。貧相だった身体も見違えるように大きくなり、それでも慎重な行動を心掛けてきた。

 

それなのに……それなのに、それなのに!

 

「あの鬼狩りのガキに見つかっちまったせいでパァだ!しかもお前みたいな訳の分からん奴まで出てきやがって!!」

 

喉の“口”のまわりに付いた血を舌で舐めとり、臨戦態勢をとる鬼は再び怒声をまき散らす。自分の思い通りにならなかったせいか、酷く怒っている様子だ。

 

「絶対生き延びてやる!お前なんかに殺されて堪る―――!」

 

と、その時だった。

 

ドクンッ、と。鬼の中で何かが大きく蠢いた。

 

「……はっ、あ!?」

 

蠢きは更に大きくなり、鬼の身体の中で何かが起きている事を告げていた。

 

しかしそれは悪いものではなく―――――むしろ鬼にとって、歓喜すべきものであった。

 

「は、はは。はははは!はははははははははっ!!」

 

突然笑い出した鬼。気がふれたのかとも取れる反応であったが、どうにも様子がおかしい。

 

やがて鬼の身体……正確には背中の筋肉が隆起しだし、そこから二本の管のようなものが生えてきた。

 

見た目は筋線維が露出した、関節のない腕のようなもの。その先端には“口”が存在し、まるで獣のような鋭い牙が並んでいる。それらは絶えず唾液をまき散らし、ぎちぎちと歯軋りを響かせる。

 

「ははははは!何だこれ、何だよこれは!?力が漲ってくる!!」

 

身体の調子を確かめるように、鬼は両手を天へと掲げる。

 

雷鳴が轟く曇天の中、鬼は嬉しくて仕方がないという風に笑い続けていた。

 

「そこらの稀血なんて目じゃない!たった一口、それだけでこんなに力が滾る!お前は一体何なんだ!?」

 

ギンッ!と、爛々と輝く瞳がフランシスに注がれる。先ほどまでとは別人のような鬼の姿、そしてその雰囲気に、流石のフランシスも眉をひそめた。

 

「あぁ、いや。そんな事はどうでもいい!お前をもっと喰えば、俺は更に強くなれる!!あのお方に認められれば、十二鬼月に加えて下さる事も夢じゃない!!」

 

もはや鬼の頭からは“生き残る”という考えは抜けているのだろう。フランシスを喰らい、更なる力を得る。その事で頭がいっぱいになっているのだ。

 

鬼は地面に爪を突き立て、獣を彷彿とさせる前傾姿勢をとる。顔面に喜色を張り付け、涎を垂らしながら咆哮を上げる。

 

「もっと、もっと、もっトォ……喰わセロォオオオオオオオオッッ!!」

 

「!?」

 

直後、地面を粉砕させて飛び掛かる鬼。

 

その速度はまさしく獣のそれであり、フランシスの脳裏にヤーナムで屠ってきた獣の罹患者の姿を重ねさせた。

 

突進してきた鬼を、横へのステップで回避するフランシス。その直後立っていた場所は粉砕され、舞い上がった土埃の中から筋肉の管が襲い掛かる。

 

「はっハァ!逃ゲルなァ!!」

 

鋭い牙がフランシスの顔面を狙う。咄嗟に首を捻ってその噛み付きを躱すも、頬を僅かに切り裂かれる。

 

明らかに力が上がっている。鬼の言った通り、自身の血肉を喰らった結果、何らかの変化があったのだろうとフランシスは考察した。

 

(チッ、厄介な事になった……!)

 

油断していた訳ではない。それでも肉を喰われ、こうして予想外の事態に陥っている。フランシスは自らの不用意を呪い、攻撃を躱しながらも反撃の一手を探していた。

 

回避を強要されるフランシスに気を良くしたのか、鬼の饒舌にも拍車がかかってきた。筋肉の管と両腕の鋭い爪、そして腕から生える“口”による連撃を繰り出す鬼は、嘲笑うかのように叫び散らす。

 

「もウこそこソスる必要はねぇ!!これかラハ毎日、毎日っ、腹一杯にナルまで喰ッテやる!!あの鬼狩りのガキの死体も、ワザワざ喰いニ戻る必要もねェ!!」

 

 

 

「   」

 

 

 

瞬間。

 

フランシスの中で、何かが切れた。

 

脳裏を過ぎる、あの青年の死に顔。

 

苦痛の絶望の中、自分に最期の願いを託して逝った鬼狩りの青年。

 

獣と鬼。決定的に違いがあるも、人に仇成す存在である事に変わりはない。であれば狩人と鬼殺隊も、志を同じくする者たち―――――すなわち“同士”である。

 

連盟の狩人たるフランシス。

 

人の世に蔓延る『虫』の根絶を願い、しかし決して他人には理解されない狩人の集まり。だからこそ、彼らは同士を大切にする。その思いを、フランシスは鬼殺隊に対しても抱いたのだ。

 

それは一方的な、それこそ理解されないものなのかも知れない。異邦の人間が勝手に抱いた、はた迷惑な感情なのかも知れない。

 

けれど、けれど―――――。

 

 

 

 

 

「私は託されたのだ―――――ヒデオから、最期の願いを」

 

 

 

 

 

その呟きの直後―――――フランシスの身体は、鬼の連撃をすり抜けた。

 

「!?」

 

今度は鬼が驚く番であった。

 

確実に仕留めたかに思えた一撃。筋肉の管と両腕による、四方向からの挟み撃ち。しかしそれは空を裂き、気が付けば己の懐深くにまで接近を許していた。

 

「クソっ!!」

 

焦りが顔に出た鬼は、フランシスが懐から取り出したそれ(・・)により表情を凍らせた。

 

それは一振りの刀。半ばほどで折れ、その青い刀身には酷く見覚えがあった。

 

(あのガキの―――――!?)

 

そう。

 

それはフランシスがこの廃村へと向かう直前に、鬼殺隊の青年から拝借した日輪刀であった。折れかけていた刀身をわざと折り、懐に収まる程度に小さくした代物である。

 

折れはしていても、使えない事はない。むしろ長物の特性を失ったそれは、懐深くにまで飛び込む事により真価を発揮する。狩人の本領である素早い立ち回りを組み合わせた事により、折れた日輪刀は必殺の刃となる。

 

そうして振り抜かれた刃。

 

折れた刀身は一直線に鬼の頸へと放たれ―――――曇天の空を、大量の鮮血が彩った。

 

「があぁァアアああアアアアアアアアアアアアアアアアアッっ!?」

 

勢いよく振り撒かれる鮮血。

 

動脈を斬られたのか、尋常ではない量の血液が振り撒かれ、鬼は痛みのあまりに絶叫を迸らせた。

 

しかし……。

 

「まっ、ダ、だぁあああああああああ!!!」

 

血を吐き、それでもなお足掻く鬼は、力が抜けかけていた両足で地面を踏み締める。

 

頸は完全に斬られてはいなかったのだ。皮一枚で繋がっており、斬られた断面からは筋線維と血管が再び結合しようと、互いに管を絡ませている。

 

それだけではない。

 

鬼は獲物を絞め殺すべく、筋肉の管と両腕を大きく広げている。すでにフランシスは日輪刀を振り抜いており、返す刀で振るっても間に合わない。

 

鬼は勝利を確信し、嗤う。これで自分はこの獲物を喰い、更なる高みへと昇れるのだと。

 

 

 

 

 

が、鬼は最後の最後で、油断してしまった。

 

そも狩人とは、獣を狩る者の事を指す言葉。そして狩人とは、最後の最後まで、決して気を抜かない存在である。

 

そんな狩人(フランシス)が、気を抜いた()に敗北を喫する事など―――――絶対にないのだ。

 

 

 

 

 

ヒュッ、と。青い一閃が迸る。

 

「……え?」

 

間の抜けた、呆けたような声が鬼の口から漏れ出した。

 

次の瞬間、鬼の視界が反転。そのまま地に落ちる。

 

「あっ、ア……え?」

 

ぼとりと落ちた鬼の頸。相変わらず鬼は、状況が理解出来ていない様子だ。

 

頸はころころと転がってゆき、やがて空を見上げる形で静止した。鬼は唯一眼球だけを動かし、喰えるハズだった獲物の姿を確認する。

 

その獲物は左手(・・)を振り抜いていた。恰好はちょうど、両腕を斜め上に掲げているような形か。

 

その左手には、青い刃が握られていた。

 

柄の存在しない剥き出しの刀身。持ち手部分にはなめし皮が巻き付けられており、簡易的な短刀のようになっている。

 

その正体は紛れもなく日輪刀。フランシスが懐に隠し持っていた、折れた日輪刀の片割れであった。

 

「そ……そん゛ナ゛……!」

 

頭部を失った巨体は後ろに倒れ、そのまま動かなくなった。筋肉の管は未だうぞうぞと蠢いてはいたものの、間もなくその動きを完全に停止させる。

 

頸と身体はやがて黒ずんでゆき、そこから塵のように崩れていった。その様を見て、フランシスは陽光に晒された鬼の最期を思い出した。

 

「い、嫌だ……まだ、まだ、これから……俺、腹、いっぱい……!」

 

頸だけになってもまだ意識が残っている鬼。そのもとへとフランシスは歩を進ませる。

 

人間の頃から抱いていた願望。

 

鬼になってからも慎重に生き繋ぎ、ついぞ真の満腹感を知る事のなかった鬼は、未練だけを感じさせる声で力なく喚く。

 

しかし、フランシスにそんな事は関係ない。そも、鬼の成り立ちすら把握していない。

 

尤も、それを知っていたところで、彼は鬼に情など欠片も抱きはしない。かつての狩り場……ヤーナムにいた頃から、獣となった人間を狩ってきたのだから。

 

だから、彼が鬼にかける言葉はこれしかないのだ。

 

「汚物めが……あの世で自分の腸でも喰っていろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雷鳴轟き、曇天が月を隠す夜。

 

やがて降り注ぐ雨が、廃村に一人立ち尽くす異邦人を包み込んだ。

 

流れた血も、戦いの跡も、全てを洗い流す。

 

そうして夜が明けた時―――――異邦人の姿はなかった。

 

 

 




折れた日輪刀

半ばから折れてしまった日輪刀。その刀身は青く美しい。
もとは鬼殺隊の青年の持ち物であり、フランシスが使うためにわざと折ったもの。
狩人にとって、武器の供養は供養にならない。死した同士の分まで共に戦い、共に朽ちる事こそが真の供養になるのだ。
少なくとも、フランシスはそう考えている。



鬼狩りの隠し刃

折れた日輪刀、その片割れ。柄はなく、代わりになめし皮が巻き付けられている。
もとは鬼殺隊の青年の持ち物であり、フランシスが使うためにわざと折ったもの。
狩人にとって、武器の供養は供養にならない。死した同士の分まで共に戦い、共に朽ちる事こそが真の供養になるのだ。
少なくとも、フランシスはそう考えている。

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