調査兵団の面々と共にトロスト区へと帰還した俺とアリーセを迎えたのは、空気が震える程の大歓声だった。
いや、驚きすぎて心臓が止まるかと思ったっつーの。
進撃ファンの俺のイメージだと、どうも調査兵団の帰還ってのは暗い印象が強いからな。アニメや漫画でも、キース教官の「何の成果も、得られませんでしたああああああっ!」から始まるし。
歓声で迎えられるとか、違和感しかねえ。
キース教官が団長だった時代の調査兵団しか知らないアリーセも俺と同じく、口をポカンと開けて呆然としてたくらいだ。
まさかいきなりエルヴィン団長が裏切って、俺の正体やら提供した情報やらを壁の中にばら撒いたのかと危惧したが、どうやらそういう訳ではないらしい。
後から聞いた話によると、この壁外調査での死者が過去最も少なかったとか。
8割以上の調査兵が生還したらしく、5年前のウォールマリア陥落の時から増えていた調査兵団ファンがお祭り騒ぎしてるんだと。
集まっていた人の中には市民だけでなく憲兵までいたので、兵士じゃない事がバレないかヒヤヒヤしていたが、これは無用の心配だった。
考えてみたら、入れ替わりの激しい調査兵の顔を全部暗記してる奴なんて、そりゃあいねーよな。
中にはリヴァイ兵長のように、正規の訓練兵団を通過せずに入団した者までいるんだし。
そんな感じで喝采を浴びながら帰還した俺たちだが、現在は地下牢にぶち込まれている。檻を挟んで、調査兵団の主要メンバーと向かい合っている形だ。
まぁ、当然か。
いつでも巨人になって暴れられるような危険人物が、自由に壁内を歩き回れる筈がねえ。
牢屋に突っ込まれるのは不服だが、ある程度の信頼関係を築くまでの我慢だと割り切るべきか。
アリーセも俺と同じ牢屋の中だから、彼女を守る事は出来るしな。地下でかつ仲間が近くにいれば、容易に巨人化できないと考えたんだろう。
原作でエレンにやったのと似たような対策だな。
こればっかりは、詰めが甘いとしか言えないけど。
数年間みっちりと巨人化能力の練習を行った今の俺なら、体の一部分のみを巨人化する事だって出来る。
女型の巨人の右腕だけを生成して地下牢を破壊すれば、簡単に脱獄成功だ。崩落の危険があるなら、範囲硬質化で固めれば良いだけだし。
巨人化する際の爆破もある程度なら制御できるようになった。
その気になれば、近くの物を何も破壊せずに巨人化する事もできる。反対に、超大型巨人のように辺りを吹き飛ばすことも可能だ。
……尤も、超大型巨人ほどの威力はねぇが。
半径数十メートルに爆風を発するのが精一杯ってところだろう。
ともあれ、俺が牢屋にぶち込まれても余裕なのは以上の理由があるからだ。
いつでも逃げられるって思っていれば、心に多少の余裕も生まれる。
「協力関係を了承したというのに、このような形で対話する事になってしまい申し訳無い。だが、こうでもしなければ君を今すぐに殺すべきだと主張している兵士達が納得しないだろう」
そこで、思考の渦に呑み込まれていた俺の意識がエルヴィン団長の声によって現実へと回帰した。
舐められないように余裕の表情を浮かべ、俺も口を開く。
「壁の中で暮らす人々にとって、巨人は恐怖の象徴そのもの。そんな巨人の姿になれる相手を殺したい、鎖に繋ぎたい、檻に閉じ込めたいと思うのは普通でしょう。これは対話に必要な措置だと理解しています」
「そう言ってもらえると、我々も助かる」
緊張で声が震えないか不安だったが、自分で思ったよりもしっかりとした声が出た。ダイナの声は凛としているので、ハキハキと話すだけである種の迫力が伴うんだよ。
俺の返答にエルヴィン団長は少しだけ口元を緩めてそう言うと、すぐに表情を引き締める。
それを見て、俺も対話へと意識を集中していく。
さぁ、頭を回せよ俺。
どの情報を開示すべきで、どの情報はまだ黙っていた方がいいのか。
必死に見極めろ。
ミスは許されねぇぞ。
「改めて自己紹介といこう。私はエルヴィン・スミス。調査兵団の団長を務めている。そして私の右隣に立っているのがリヴァイ、その横がミケで、端にいるのがハンジだ」
自分の自己紹介を終えたエルヴィン団長は、周囲に立つ人物を順に指差しながら名前を呼んでいく。
錚々たる顔ぶれに俺は内心で「調査兵団の主力メンバー総揃いキタコレ!」とかアホな感想を抱きながら、表情を崩さずに静かに頷いた。
いやまぁ、進撃ファンなら興奮するのは仕方ないだろ。
エルヴィン団長にリヴァイ兵長に、ミケさんとハンジさんまで。好きな漫画の登場人物が本当に目の前に現れたんだ。
感動するなって言う方が無理な話だわな。
尤も、残念なことに全く友好的な関係ではないが。
「改めまして、ダイナです」
「アリーセ・エレオノーラです」
「……よろしく頼む。では早速、質問をして構わないだろうか?」
俺たちも簡潔に自己紹介すると、エルヴィン団長は早速とばかりに本題に入る。
ああ、うん。そうだよな。
エルヴィン団長からすれば、探し求めていた全てが目の前にあるようなものだ。
一刻でも早く、手を伸ばしてそれを掴みたいだろう。
「もちろんです。しかし、私が今ここで持っている全ての情報を開示する訳ではないとご理解ください。これは人類に対する敵対行為などではなく、保身のためです。全ての情報を開示した瞬間に、用済みとして殺される危険もないとは言い切れないですから。信用できないのはお互い様でしょう?」
食い入るようにこちらを見つめてくるエルヴィン団長に、念のための釘を刺しつつ肯定を示す。
「了承した。……まず初めに、私の父の『仮説』についてだ。私はこれを、親密な関係にある相手以外には話していない。知っている者は極少数に限られる。それを、どうして君は知っている?」
まずは予想通り。
真っ先に『仮説』について質問してくるって事くらいは、俺ですら予測できている。
「まず『仮説』の内容ですが、これは壁の王が何らかの方法で自分が統治し易いように当時の民の記憶を操作したのではないか、というものです。ではなぜ私がこの仮説を知っているのかですが、その答えは巨人の力に由来します。皆さんの前で私は15メートルの高さの壁を瞬間的に作り上げました。この『硬質化』の能力をはじめとして、人間が纏う巨人は無数の力を有しています。その中の1つに、他者の記憶に干渉する、というものがあります」
エルヴィン団長が、リヴァイ兵長が、ハンジさんが、ミケ分隊長が、アリーセが。
この場の全員の視線が俺に集中する。
緊張で声が掠れそうになりながらも、一度大きく息を吸って俺は話を続けた。
「私が使ったのは、その能力。全ての壁内人類は、目に見えない『道』で繋がっているのです。私が生み出す巨人の肉体も、その目に見えない『道』を通って送られてきています。そして『道』には巨人の血肉だけではなく、時には他者の記憶も流れる事があります」
もちろん嘘八百だ。
しかしエルヴィン団長たちには、この嘘を嘘だと判断する方法がない。確実に誤魔化せる。
とは言っても、全部が嘘って訳じゃないがな。
巨人能力者は先代継承者の記憶を覗けるが、これもある意味では他者の記憶への干渉に含まれるだろう。
それに、全ての巨人の頂点たる『始祖の巨人』は確かに他人の記憶に干渉する能力を持っている。
ただ、俺がアニから継承した女型の巨人にはそんな能力はないってだけだ。
俺がエルヴィンの父親の『仮説』を知っているのは、ただの原作知識なのだから。
何か詐欺師の手法みたいだが、悪く思わないでほしい。
「つまり、君はその能力で私の記憶を見たと?」
「はい。そして私が『仮説』が正しいと断言できる理由でもあります。最初に言った通り、私は壁の外の世界から来ました。私自身が壁の外に人類が生活している世界があると知っています。加えて、先ほどの巨人による他者への記憶干渉能力。『仮説』に出てくる当時の民の記憶改竄は、この能力で行われたものだからです」
目を見開く、調査兵団の面々。
そんな彼らから目を逸らさず、俺はエルヴィン団長が求めて止まない「答え」を叩きつける。
「壁の王は、私と同じ巨人化能力者です。それも、私より遥かに高度な記憶干渉能力を持っている。繰り返しましょう。貴方のお父上の『仮説』は正しい。壁の中に暮らす全ての民は、壁の王が持つ巨人の力によって記憶が改竄されています」
◆◇◆◇◆
トロスト区へと帰還し、地下牢の中でいくつかの質問に答えた数日後。
俺とアリーセは地下牢から出してもらえる事になり、複数人の兵士に監視されながら移動することになったのだが……
「それで、巨人になるってどんな感じ!? 感覚とかはどうなってるの!? 普通の巨人は人間と比べて痛覚が鈍いけど、それは巨人化した君も同じなのかな!? それとも巨人の体を纏っても、痛覚は人間の時と変わらないのかい!?」
轡を並べて目的地で移動する最中、俺は馬上でハンジさんの質問攻めを受けていた。
全く止まらないマシンガントークに、俺の気力はもうゼロだ。気分すら悪くなってきたぞ、オイ。
旧リヴァイ班のメンバーが一斉に退室した理由がよく分かる。
これはしんどい。
少し前までは俺に剣先を突き付けて殺気を剥き出しにしていた周囲の兵士たちも、今や俺に憐れみと同情の視線を向けてきている。
アリーセ?
彼女はもうダウンして、俺に寄りかかってぐったりしているよ。
リヴァイ兵長も呆れたようにため息をつくばかりで、全く助けてくれない。
「ところで! 私たちはこれから何処に連れて行かれるのでしょう?」
このままでは本気で埒があかないので、俺はほんの僅かに生まれた隙を突いて、俺は大声で言葉を被せる。
するとようやくハンジさんはマシンガントークを中断し、俺の質問に答えてくれた。
「ああ、私たちの目的地は旧調査兵団本部。古城を改装した施設だから、設備は整っているよ」
あー、あそこか。
エレンが旧リヴァイ班と共に、巨人化能力の実験をしていた場所だ。
井戸の中で巨人化しようとしても出来ず、ティースプーンを拾おうとした時に誤って巨人化してしまったシーンが強く印象に残っている。
……いや、待てよ。
もう1つ印象に残っているシーンがあった。
やっべぇ、もの凄く嫌な予感がするぞ。
漫画とアニメの中で見たものと全く同じ、旧調査兵団本部の前で俺たちは馬から降りる。
ああ、全く同じだとも。
初めてエレンたちがここに来た時の本部と。
つまり、だ。
「ただ、しばらく使われずに放置されてたから、少し荒れてるんだけどね」
そりゃそうだよな。
エルヴィン団長から聞いたところ、今は849年。
トロスト区決戦の前で、当然ながらエレンが巨人化能力を覚醒させる前の時期だ。
この本部も、掃除される前。
という事は……
「それは重大な問題だ……早急に取り掛かるぞ」
だと思ったよ、コンチクショウ!
俺は涙目になりながらも、箒を片手に兵長に指示された部屋の掃除に取り掛かる。
本来はエレンの仕事なのに、何で俺がやらなきゃいけねーんだよ。
ハンジさんの巨人トークの後にリヴァイ兵長と掃除とか、疲労が限界突破するわ。
そして俺たちは、兵長からオッケーが出るまで数時間以上も箒を動かし続ける事になった。
◆◇◆◇◆
ピカピカになった本部の前で、俺とアリーセは互いにもたれ合いながら座り込む。
こんなに身も心も疲れたのは、アリーセに格闘術の組手でボコボコにされた後、ノンストップで巨人と立体機動で戦った時以来だ。
「もう寝たい……」
「頑張ってください、ダイナさん。まだここに来た本来の目的は達していませんよ……」
半泣きになりながら弱音を吐くと、アリーセが俺の髪を指で優しく梳きながら励ましてくれた。
あー、癒される。
壁内に入ってからは出会う人全てから敵意を向けられ続けてたから、アリーセの優しさが一段と身に染みるな。
彼女を守るためにも、もうひと頑張りしますか。
疲労で動きたくないと叫ぶ自分の体を叱咤し、俺は立ち上がる。
そこに、ハンジさんがやって来た。
「疲れているところ悪いけど、早速『巨人化能力』を見せてもらうよ」
「ええ……」
この旧調査兵団本部に来た理由は、ハンジさんとリヴァイ兵長の前で巨人の力を見せるため。
俺が調査兵団に提供したのは、情報だけじゃない。
この巨人の力も、ある程度は調査兵団のために使うという事になっている。
だが、俺の『巨人の力』が何をどこまで出来るのか正確に分からないと作戦も立てられないとの事なので、じゃあ実演しよって話になったわけだ。
まあ、俺の最後の切り札である巨人化能力の全てを見せる気はサラサラねーが。
見せてやるのはあくまで基本的な運動性能と、硬質化能力だけ。
『叫び』の能力や、王家の血に由来する、俺個人の特殊能力は見せてやらない。
将来的に敵対するかもしれない相手に、切り札の全てを晒すなんてアホな真似は流石にしないっつーの。
立体機動装置を装備したリヴァイ兵長を筆頭に、10人以上の兵士が俺を取り囲む。その全員が、3回以上壁外調査を生き残った精鋭たちらしい。
周囲の立体物も十分以上。
俺が裏切れば、即座に殺せる陣形だ。
リヴァイ兵長とハンジさんを除く兵士たちの表情を恐怖と緊張で強張っており、俺が怪しい動きをすれば本気で殺しに来ることが嫌でも分かる。
今なら、エレンの気持ちがよく分かるな。
化け物扱い。腫れ物扱い。まともに会話すらして貰えず、常に殺意と警戒心丸出しで剣を向けられてしまう。
なるほど、確かに信頼できる仲間という存在に縋り付きたくもなるな。
アニに襲われたあの時、エレンが自分の力ではなく仲間の力を選択したのも、こういった要素が原因なのだろう。
アルミンやミカサのような存在を、調査兵団の中にも求めた。
だが、俺にはアリーセがいる。
どんな時でも、必ず彼女が近くにいてくれている。
だから何の問題もない。
選択の必要すらない。
俺はただ、自分の力とアリーセのみを信じていれば良いのだから。
「よし、じゃあ実演開始!」
ハンジさんから号令がかかり、俺はポケットからナイフを取り出す。
俺の今回の目的は、本部に開いた穴を塞ぐこと。
穴は高さ3メートル、幅2メートルと巨人化した俺からするとかなり小さい。
問題なく硬質化能力で防げるだろう。
もう想像がつくと思うが、これは俺の巨人の力がウォールマリア奪還に使えるかどうか確認するためのものだ。
やってやるよ。
エレンの手を煩わせる必要すらねえ。
ウォールマリアは、俺が奪還してやる。
その功績で、俺とアリーセが調査兵団から信頼を得られるのなら。壁の中で大手を振って生きれる権利が貰えるのなら。
手に握ったナイフで、浅く自分を斬りつける。
ダイナの真白の肌に赤い線が引かれ、血の玉が僅かに飛び散った。
瞬間、空から光が降り注ぐ。
爆音と共に傷口から目に見えない『道』を通じて送られてきた巨人の血肉が生まれ、肉体を構築する。
――高さ3メートル、横幅2メートルの大穴が、一瞬にして塞がった。