被験体として捕獲した2体の巨人、ソニーとビーンが何者かによって殺された。その知らせが旧本部に届いた時、真っ先に反応したのはやはりハンジさんだ。
朝日が差し込むまでエレンと2人きりで巨人の話に花を咲かせていたハンジさんは、伝令兵から報告を聞いた瞬間に奇声を発しながら旧本部を飛び出していく。
調査兵団に所属する証である、深緑のマントすら纏っていない。
「ソニーィィィィィイッ! ビーンッッッッ!」
うわぁ……。
涙を流しながら馬に乗って去っていくハンジさんの背中を見て、俺は1人でドン引きする。
本当に、あの人ほど巨人を好いている者は壁の中にも外にもいないだろうな。原作知識を持っている俺ですら、無垢の巨人の何が良いのかさっぱり分かんねえのに。
そんな感想を抱きつつも、ひとまず旧本部に集まっていた面々と共に事件の現場へと向かう。
俺が到着した時には、ソニーとビーンがいた場所に既に大勢の兵士が集まっていた。マントのフードで顔を隠しながら、俺も女性にしては高いダイナの身長を活かして人垣の奥を見る。
恐らくはソニーとビーンを拘束していたであろう器具と、蒸気と共に消えていく巨大な骨。その前で、涙を流して絶叫するハンジさん。
おう、カオス。
漫画でも見たシーンだが、現実で目にするとこれまた筆舌に尽くしがたいな。
しかし、混乱しているのはハンジさんだけじゃない。
俺だって内心ではミニパニックだっつーの。
ソニーとビーンを殺した犯人は、原作ではアニだ。彼女はこの後に行われる立体機動装置のチェックを、トロスト区での戦いの際にマルコから奪った立体機動装置を提出することで審査を免れるんだが……。
当然ながら、この世界ではアニは既に死んでしまっている。
他ならぬ、俺が食ってしまったのだから。
故にこのイベントは起こらないものだと思っていたのだが、残りの2人のどちらかがやったのか?
既に仲間を2人失い、これ以上の失態は絶対に許されないであろう戦士組。そんな彼らが、無垢の巨人の情報を抹消するためだけにリスクを負うだろうか。
つーか、そもそもマルコの生死はどうなってんだ?
アニがいないなら、生存の可能性も……ねぇな。
もしこの世界でもマルコに会話を聞かれてしまったのなら、あの2人が野放しにするわけが無い。
確実に情報を抹消するために、間違いなく口封じするはずだからな。
……まあ、その辺りは自ずと分かるだろう。
マルコの立体機動装置を奪っていなければ、この後に行われる立体機動装置の審査を潜り抜けられないのだから。
犯人が炙り出されたならマルコは生存。原作通り不明のままなら、マルコは死亡したと見ていい。
と、そこでエルヴィン団長が現れた。
あの質問が来るか、と身構えたが団長は見事に俺をスルー。
すぐ近くにいたエレンの両肩を掴むと、その耳元に口を寄せて小声で囁いた。
「君には何が見える? 敵は何だと思う?」
最初に読んだ時は何を言ってるのか分からなかったが、後から読み返すとこの質問の意図が分かるんだよな。
恐らくここで、鎧や超大型が人の姿に化けて人類の中に紛れ込んでいる、的な答えを返せば知性巨人捕獲作戦の内容を教えてもらえるんだろう。
ドヤ顔で答えるつもりだったんだが、団長は俺には質問してくれなかった。
……まぁ、当たり前だわな。
俺に聞いても何の意味もねぇんだから。
団長の質問の意図が分からず、未だにはてなマークを浮かべているエレン。
そんな我らが原作主人公の肩を叩く……ことは出来ないので、小声で名前を呼ぶ。
「エレン、そろそろ戻りましょう。今はこの後に行われる、巨人化能力の実験の方に集中してください」
「は、はい!」
よし、いい返事だ。
俺はエレンと共に来た道を引き返し、旧本部へと向かって足を踏み出した。
「……むぅ」
「お姉様? 頬を膨らませて、どうしたんですの?」
「別に何でもありません。……ダイナさんのバカ」
……おい、今なんか嫌な予感したぞ。
俺の知らないところで、面倒ごとが起きてる気がするんだが。
◆◇◆◇◆
そんな訳で帰還して、再び旧本部。
そこに用意された広大な実験場のど真ん中で、俺はエレンと向き合っていた。
もちろん、ある程度の距離を開けて。
接触厳禁な。
周囲にはフル装備した旧リヴァイ班の面々に加えて、アリーセ、ラウラ、フォルカー、ハンジさん、モブリットさんが俺とエレンをぐるりと取り囲んでいる。
もしもエレンが暴走した場合、次の瞬間にはズタボロにできる布陣だ。
兵長だけでも戦力過剰なのに、何だこれ。
俺でも生きて帰れねーわ。
一応俺も立体機動装置は装備してるけど、意味ないと思う。俺がワイヤーを射出するより早く、エレンがうなじから切り離されてるって。
まぁ、安全性が高いのは良いことだ。
たったの1ヶ月で巨人化能力をマスターさせろと地味に無茶なご命令が出されているし、速やかに始めようか。
俺は人にものを教えるのがあまり得意じゃねえから、どのくらい時間がかかるのか分からない。スタートはなるべく早い方が良いだろう。
咳払いして、俺は不安そうな表情をしているエレンに話しかける。
「それでは、巨人化能力の実験を始めましょう。エレン、肩の力を抜いてください。そんなに気を張る必要はありません」
「はい!」
俺がそう言うと、握り拳を作って威勢のいい返事を返してくれるエレン。
なぁ、言葉通じてる?
力を抜けって言ったのに、余計に力を入れちゃったよ。
……いや、トロスト区での出来事を考えたら力が入るのも仕方ないから。既に一度、暴走しちまってるしな。
幼馴染を危険な目に合わせた経験があるから、尚更だろうし。
「まずはおさらいです。巨人化するのに、自傷行為が必要なのは知っていますね?」
「何でか分からないですが、初めからそれだけは分かってました」
「ですが、自傷行為
俺の問いかけに、エレンがハッとした表情を浮かべる。
反応がいいから教えやすいな。
エレンパパ、あなたの息子は素直で良い子に成長しています。……マーレ編に入ってからは、幼馴染のアルミンをボコボコにしたりとキャラが大きく変わっちまうが。
っと、思考が逸れた。
今は目の前のことに集中すべし、だ。
「繰り返しますけど、大切なのは自傷行為と明確な意思。この2つがあって巨人化能力は発動します。……それでは、早速やってみましょうか」
「も、もうですか……?」
「心配はしなくても大丈夫ですよ。周りには調査兵団の中でも選りすぐりの精鋭兵がズラリですから。もし暴走しても、ほんの数秒でズタボロにされて巨人体から引きずり出されるでしょう。安心して巨人化してください」
両手両足の先がちょっと切断されるだけですよ、と。
エレンを安心させようと俺は微笑と共にそう告げる。
すると、エレンは俺の意図したのとは正反対に顔を強張らせた。
脅しすぎたか……?
いや、我らが駆逐ボーイなら大丈夫だろう。根性は全キャラクタートップなのだから。
青い顔をしたまま涸れ井戸へと入っていくエレン。
エレンが井戸に入ったのを確認して、俺はハンジさんへ手を振って合図を送った。すぐにハンジさんが信煙弾を打ち上げ、エレンに巨人化の合図を出す。
巨人化の爆風を浴びるのは勘弁なので、俺も速やかに井戸から距離をとった。
しばらくして、空から閃光が降り注いだ。
井戸の中から蒸気が噴き上がり、それを引き裂くようにして巨人の腕が現れる。
おお、原作と違って一回で成功した。
これはなかなか順調な出だしになるかもな。
あくまで、制御が出来ていればの話だが。
超硬質ブレードを構え、いつでも戦闘を始められるように静かにエレンの様子を見守る。
徐々に立ち込めていた蒸気が薄れて、巨人化したエレンの姿が見えてきた。いきなり動き出す気配は、ない。
胸部から上だけを井戸から出しているエレンに少し近づいて、俺は大きく息を吸って叫ぶ。
「エレーーーンッ! 私の声が聞こえてますか!? 巨人体の制御が出来ているなら、手を振ってください!」
俺の声にピクリと反応したエレンが、ゆっくりと右腕を持ち上げる。直後、全てを吹き飛ばすような勢いでエレンが右腕で周囲をなぎ払った。
咄嗟にガスを噴出させ、後ろに大きく後退することでその一撃を躱す。巨人の指先が俺の前髪を掠るほど、スレスレでの回避。
流石に一発でマスター出来ました、なんて都合のいい結果は出ないか……!
「巨人体の制御失敗! 総員、エレンを引きずり出してください!」
地面を転がりながら俺がそう叫べば、周囲で待機していた兵士達がすぐさま動き出した。
一斉にワイヤーが射出され、都合10のアンカーがエレンの体に突き刺さる。総勢10人による全方位同時攻撃。白刃乱舞とはまさにこのこと。
一瞬にしてエレンの両腕が吹き飛び、両目が潰され、リヴァイ兵長によってエレンの本体が巨人体から分離させられた。
リヴァイ兵長によって、地面へと乱暴に投げ捨てられるエレン。
幸い、両手の指先が少し切断された程度の損傷しかない。両足に至っては完全に無傷だ。
流石は兵長、このくらい優勢なら手加減する余裕すらあるってことか。
気を失っているエレンに近寄り、超硬質ブレードで軽くつつく。
もちろん、これ以上は傷を増やさないように気をつけながら。
むぅ……なかなか目を覚まさないな。
巨人の力を制御出来てないから、今の巨人化だけで随分と無駄に体力を消費しちまったんだろう。
少なくとも2回は連続で巨人化出来るようにならないと、実戦はきつい。
この特訓の成果が出るのは、もう少し後になりそうだ。
なんて考えていると、超硬質ブレードを納刀しながらリヴァイ兵長がエレンに向かって歩いていく。
あ、もう何するか分かった。
遠い目になる俺の前で、兵長はエレンの脇腹あたりに容赦なく蹴りを叩き込んだ。エレンの体が吹き飛び、その衝撃で激しく咳き込みながら目を覚ます。
そんな事だろうと思ったよ。
巨人化能力者はどんな重傷でもほぼ完璧に再生することができる。それを知った時から、兵長が巨人化能力者に対して容赦がなくなった。
兵長曰く、どうせ再生するなら構わねぇだろうとのこと。
「オイ、起きろエレン。もう一度だ」
悪魔だ、悪魔がいるぞ。
数ヶ月前の自分の姿と、今のエレンの姿を重ねて俺は空を仰ぐ。
一応は女性ということで今のエレンほど乱暴にされなかったが、本質的には似たようなものだったな。気を失うほど無理やり巨人体で活動させては、気を失ったところを強引に叩き起こして、もう一度巨人化させられる。
うん、地獄以外の何物でもねーな。
こうして、今日はエレンが力を使い果たして完全に倒れるまで実験は続いた。
◆◇◆◇◆
エレンの巨人化練習を始めてから数日後。
旧特別作戦班と旧リヴァイ班は、調査兵団の新兵勧誘式へと来ていた。
この勧誘式が終わった後、俺の所属する班は再編成されるらしい。
リヴァイ兵長はエレンの方へと付くし、テオバルトはトロスト区で死んじまったからな。
俺、アリーセ、ラウラ、フォルカーの4人に、新兵を2人加えて新しい班にするんだとか。
任務内容は主にリヴァイ班の補佐と、次の壁外調査であぶり出した「知性巨人」との戦闘。『鎧』の巨人が現れた場合は、兵士の刃だと太刀打ち出来ねぇ。そこで俺の出番ってわけだ。
エレンは……まぁ、今回はただの餌だろう。
流石に今のエレンじゃ、鎧を相手に勝つことは難しいだろうし。
「新兵、どのくらい入団してくれるでしょうか」
エルヴィン団長が勧誘演説している最中、舞台袖でそれを聞いていた俺にアリーセが耳打ちで話しかけてくる。
そもそも調査兵団は不人気だし、前のトロスト区での戦いでも新兵は大きく減ってしまってるからな。
原作知識も含めて予想すると、
「……20人くらいでしょうか」
「やっぱり、団長の演説を聞く限りそのくらいですよね」
「あれだけ脅せば、20人も残るか怪しいですけれど」
「俺たちの人手不足が解消されることは無さそうだな……」
次々と舞台の前から立ち去っていく新兵を見て、俺たち旧特別作戦班は小声で囁き合う。
原作では、エルヴィン団長が入団したのは21名だと言っていたはず。
一回の壁外調査で軽く20人以上は死んでそうなんだが、よく全滅しないよな。今でも調査兵団は約300人いるし。
明らかに死亡者数に入団者数が釣り合ってない気がするんだが。
舞台袖から僅かに顔を出し、残っている新兵の顔を確認する。
アルミン、ミカサ、ジャン、コニー、サシャ、クリスタといった、104期の主要メンバーは全員いるな。
ライナーとベルトルトがいないのは、まぁ、俺の引き起こした『原作』との乖離が原因だろう。
トロスト区の壁が破られる直前の壁外調査に出発する直前に、俺は顔を晒してしまっている。そこをライナーかベルトルトに見られていたとしたら、彼らは絶対に調査兵団を避けるよな。
……?
そう言えば、誰か1人、重要キャラであるのにいない奴が……?
もう一度じっくりと、新兵の顔を見渡す。
――!
誰がいないのかが分かった。
ユミルが、いねぇ。