ダイナに作らせた高さ25メートルの極細の「塔」の上に着地し、リヴァイは大きく息を吐く。
超大型巨人の放つ高熱を浴び続けたせいで、調査兵団の象徴たる深緑のマントは完全に燃えてしまっていた。兵服も大部分が灰になってしまい、胸元や背中、手足が大きく露出してしまっている。
そのせいで肌に直接に熱を浴びる事となり、露出している肌の全てが熱を持って赤く腫れあがっていた。黒い煙が立ち上るほどの大火傷だ。
しかし彼は余裕の表情を崩さない。
酷使し続けてなまくらとなったブレードを捨て、新しい刃に換装しながらリヴァイは「塔」の上から地平線――調査兵団の仲間たちが去った方向へと視線を向ける。
(エルヴィンたちは……撤退できたか)
リヴァイの視線の先には、既に調査兵団の姿はない。
高さ25メートルの「塔」の上からでも見えないほど離れることが出来たのなら、もう撤退は成功したと見ていいだろう。
尤も、無垢の巨人と鎧の巨人の脅威が去ったかは、ここで殿を務めて超大型巨人と戦い続けていたリヴァイには分からないが。
頃合いか。
己の立体機動装置を見下ろして、リヴァイはそう判断を下す。
ガスの残量は3割を下回り、予備のブレードも後1対しか残っていない。
この巨大樹の森(今やほぼ跡地だが)から壁内へと戻ることを考えれば、物資をこれ以上消費するのは避けたいところだ。
(まぁ、敵も余裕はなさそうだがな)
リヴァイの猛攻を高熱を放出することで防ぎ続けていた超大型巨人は、もはや殆ど肉が残っていなかった。
骨が浮き上がり、立っているのもやっとの状態のようだ。
もう少し粘れば『超大型』の中身を引きずり出せそうだが、中身を抱えて帰還できるほどの余力がない。兵士の装備では歯が立たない鎧の巨人が戻ってくる可能性も考慮すると、深追いは悪手だろう。
未だに熱を放出したまま不動を貫く超大型巨人から距離を取り、リヴァイは指笛を吹き鳴らす。
すると、十数秒も経たないうちに愛馬がこちらへ向かって走ってきた。
超大型巨人に馬を殺される前にリヴァイは素早く立体機動で愛馬へと飛び乗ると、ブレードを鞘に納め、手綱を打ち付けて襲歩の合図を送る。
全速力で超大型巨人から離脱。
背後からの追撃を警戒して視線を後ろに向け続けていたリヴァイは、超大型巨人が地平線へと消えたのを境に視線を前へと戻した。
(幸い、周囲に巨人はいねぇようだ。今のうちに陣形と合流しねぇとな……)
そう、思考を巡らせた瞬間。
大気を引き裂きながら、巨大な影が頭上を通過して行く。
弾かれたように顔を上げて影の正体を確認すれば、それは宙を舞う5体の10メートル超えの巨人だった。
「あの野郎……!」
思わず舌打ちして振り返れば、全身から蒸気を吹き上げ、今にも倒れそうになりながらも、巨人を投擲し続ける超大型巨人の姿。
自分を通り越して遥か先へと降り注ぐ巨人の群れを見て、落下地点にいる相手を想う。
超大型巨人の狙いはエレンか、ダイナか、それとも調査兵団全体の壊滅か。
何にせよ、あれだけの巨人の大群に襲われて無事で済むわけがない。
程なくして、巨人の落下地点から緑の煙弾が打ち上げられた。
予想よりも距離が近い。
愛馬の横腹を蹴り、最高速度で煙弾の元へと駆けつける。
数分ほど馬で駆け続けていると、ついに戦場が見えた。
涎を垂らして大口を開け、まるで砂糖に群がる蟻のように密集する数十体の巨人。
その中を鉄翼の翼で飛翔するのは、2人の女性だった。
巨人の返り血で白い肌を紅に染め上げ、降り注ぐ血の雨の中でさらに赤を上塗りしながら、刃を振るうダイナとアリーセ。
雄叫びを上げ、凶相を浮かべて巨人の肉を削ぎ落とし続ける姿は、普段の彼女たちとは想像もできないほどに凄絶だ。
アリーセが巨人の腕や足の腱を削いで援護を行い、ダイナがそこに飛び込んで確実にトドメを刺す。
巨人の急所へと突っ込むダイナには、微塵の躊躇も見られない。アリーセが確実に隙を作ってくれると信じているからこそ出来る、特攻紛いの動き。
互いを完全に信頼できるからこそ生まれる、圧倒的なまでの連携。
平地という不利な戦場で、数十体の巨人を相手に立ち回る2人に、さしものリヴァイも目を細めた。
ダイナとアリーセの個別の実力は、リヴァイやミカサほど桁外れなものではない。
リヴァイから見たアリーセの実力は、ミケ・ザカリアス分隊長と同等くらいか。精鋭の中の精鋭と言っていい実力者だが、本来の彼女は平地で巨人の群れを相手に立ち回れるほど規格外ではなかったはずだ。
ダイナの方はアリーセよりも更に劣り、リヴァイ班に所属するペトラやオルオと同等かもしくはそれ以下といったところ。
彼女もまた確かに精鋭兵に匹敵する実力を持っているが、やはりリヴァイやミカサ、ケニーらのアッカーマン一族が住む『限界の先の領域』に足を踏み入れられるほどではない。
あくまで凡庸よりは上といったレベル。
……だというのに。
彼女たちに向かって伸びる無数の巨人の腕が、まとめて赤をぶち撒けて肉片と化す。高速回転したアリーセが、自分とダイナを狙う腕をまとめて斬り刻んだのだ。
切断面から溢れ出る、巨人の血の濁流。
その中を、ダイナが突っ切った。
「おおおおおああああああああッ!!」
リヴァイの元まで聞こえるほどの咆哮と共に、ダイナが3体の巨人のうなじをまとめて削ぎ落とした。倒れゆく巨人の屍を足場に、ダイナは即座に空中へと舞い上がる。
明らかに、本来の実力を遥かに超える力を見せる2人。
個別の力は、確かに『限界の先の領域』には届かない。
しかし2人が連携すると、彼女たちはアッカーマン一族に匹敵する戦闘力を発揮する。
まるで2人1組なのが正しい姿だと言わんばかりに。
例えるならば『翼』だ。
どちらか片方のみでは、空を舞うことは出来ない。しかし両翼が揃ったのならば、空高く羽ばたくことができる。
――ただし、翼の片割れが万全であればの話だが。
ガクンッ、と。
15メートル級の巨人を仕留めたダイナが、空中でバランスを崩した。
人間の姿での顎の巨人との戦闘。その後に鎧の巨人と戦い、巨大な建造物を生み出して『顎』と『鎧』を分断し、さらに戦闘を重ね、超大型巨人の爆風から調査兵団を庇い、リヴァイが戦えるように「塔」を作り、追撃してくる鎧の巨人を『叫び』の力で迎撃し、巨人の体を維持できないほどに力を使い果たしたのだ。
今まで動けていた方がおかしい。
力を使い果たした直後の巨人化能力者は、立つこともままならないほど消耗してしまうのだから。
まさに、アリーセを守るという意地と根性のみで動いていたのだろう。
だがいかに並はずれた気力を持っていても、体力の限界を超えた体はやがて動かなくなる。その時が来た、それだけの話だ。
「ダイナさん!」
バランスを崩したその瞬間、巨人に右足を掴まれたダイナの姿を見たアリーセの悲痛な声が響く。
数十体の巨人を相手にも立ち回れるほどの連携が崩れてしまい、アリーセの動きまで鈍ってしまった。
そこに伸びる、無数の巨大な腕。
13メートル級に、アリーセまでもが捕まってしまう。
これ以上は観戦し続けることは出来ない。
まだ調査兵団には、ダイナが持つ力と情報が必要なのだから。
そう判断したリヴァイが鞘から超硬質ブレードを引き抜き、立体機動に移ろうとしたその瞬間。
「アリーセに、触るなああああぁぁァッ!!」
右足を掴まれ、宙吊りにされていたダイナの瞳に力が戻る。
巨人の指を斬って脱出するのは不可能だと判断した彼女は、全く躊躇うことなく自分の右足を超硬質ブレードで切断した。
自分で自分の膝下から下をバッサリと斬り落とし、自由を得たダイナが、鮮血を撒き散らしながら飛翔。独楽のように回転してアリーセを捕らえていた巨人の腕に突っ込み、ズタズタに斬り裂きながら巨人の後ろへと回り込む。
そしてうなじにアンカーを打ち込むと、刃が砕けるほど強引な軌道でうなじを削ぎ落とした。
「クソッ、手間かけさせやがる!」
そこで完全に気を失ったのか、巨人の群れの中へと落ちていくダイナを見てリヴァイが叫ぶ。
巨人のうちの一体にアンカーを打ち込むと、連携時のダイナとアリーセを上回るほどの速度でリヴァイが飛んだ。
残像すら残さずに宙を舞い、巨人を5体まとめて斬殺して群れの中を突っ切ると、ダイナの体を空中で掴む。
「リヴァイ兵長!?」
「さっさとコイツを連れて離脱しろ!」
突然の救援に、安堵と喜びと困惑が入り混じった表情を浮かべるアリーセ。彼女に気絶したダイナを押し付け、リヴァイは戦闘態勢に入る。
顎の巨人、超大型巨人との連戦で既にガスの残量は僅か。
しかしその僅かな残量を駆使して残る約20体の巨人を駆逐し、ダイナを助けださなければ、人類が勝利できる可能性がさらに下がってしまう。
現状、鎧の巨人を倒せるのはダイナかエレンしかいないのだから。
アンカーを射出し、我先にと襲ってくる巨人を迎え撃つ――その直前。
リヴァイが来たのとは正反対の方向から、調査兵団の一団が現れる。どうやら一部の兵士だけが反転して、救援に来たようだ。
その一団の中にエレンとリヴァイ班の生き残りであるペトラ、オルオの姿を見たリヴァイは、攻撃を中断して空中で身を捻り、エレンたちの方向へと向かう。
エレンのすぐ近くを走っていた荷馬車に着地したリヴァイは、自分の立体機動装置からガス管を外しながらエレンに向かって叫んだ。
「エレン、ガスと刃を寄越せ。時間がねえ、早くしろ!」
「は、はい! しかし、俺はどうすれば……」
「巨人化を許可する。ダイナから1ヶ月かけてやり方を教えて貰ったんだろう。やれ。何としてもこの場の巨人を駆逐し、ダイナを回収する」
リヴァイの命令に、エレンが飢えた猛獣のような凶悪な笑みを浮かべる。
「了解です!」
エレンは即座に自分のガスと刃を全てリヴァイに渡すと、馬から飛び降りて己の右手を噛み千切った。
晴天から雷光が降り注ぎ、傷口を起点に「道」から送られてきた巨人の骨肉が形を成していく。
現れるは進撃の巨人。
ようやく訪れた巨人との戦いの機会に、エレン・イェーガーは雄叫びをあげた。
でけぇ害虫共が。俺がこの世から、1匹残らず、駆逐してやる――ッ!
◆◇◆◇◆
――一面に広がる、砂の世界。
そして星々が輝く夜空に、雲のような、天の川のようなものが、いくつも存在している。
――あれが、「道」か。
◆◇◆◇◆
眩しい。
顔に日光を浴びて、俺は目を覚ました。
ゆっくりと目を開けて上体を起こすと、旧本部の城内にある見慣れた自室の光景が飛び込んでくる。
……あの状況から、ほんとに生還できたのか。
しばらくベッドの上で殺風景な自室を眺めてボケーっとしていると、ノックもなしに部屋の扉が開いた。
そちらに視線を向けると、ノックの音と共に部屋の扉が開いた。
そちらに視線を向けると、体中に包帯を巻いたアリーセの姿が。
俺を見たアリーセの榛色の瞳が、大きく見開かれる。
そのまま無言でアリーセと見つめ合うこと数秒、彼女は弾かれたように駆け出すと、凄い勢いで俺に抱きついてきた。
「ダイナさん、目が覚めたんですね! 良かった……っ!」
「アリーセ、締まってる。ギブです、苦しいっ」
涙を流しながら喜んでくれているのは嬉しいが、めっちゃ首締まってるから。
ちょっ、マジでやばい。
息が出来ねえ。
ジタバタもがいていると、ようやく俺の首を締めていることに気づいたアリーセが離れてくれる。
「すみません、つい……」
喜色満面の表情から一転してシュンとなったアリーセに、俺は思わず苦笑してしまう。
どうやら、アリーセは命に関わるほどの怪我は負ってないらしい。
包帯だらけだったから心配したが、杞憂で済んで良かった。
「感動の対面をしているところ悪いが、邪魔させてもらうぞ」
半泣きの状態で俺の胸に顔を埋めるアリーセの頭を撫でて落ち着かせていると、今度はノックもなしにいきなり扉が開く。
入って来たのはエルヴィン団長とリヴァイ兵長だ。
「起きてすぐのところ悪いが、我々には時間が残されていない。少し話をしても良いだろうか?」
ぶっちゃけ疲労が抜けてないので断りたいところだが、団長と兵長の表情や声のトーンから「ノー」とは言えない雰囲気を感じる。
仕方なしに頷くと、エルヴィン団長は俺が気を失ってからの内容を大まかに説明し始めた。
まずは兵士たちの生存者と死者について。
第1特別作戦班――リヴァイ班は、グンタさんとエルドさんの2人が死亡。エレン、リヴァイ兵長、ペトラさん、オルオさんが生還。
だがリヴァイ兵長が『超大型』との戦闘で全身に大火傷を負ってしまったらしく、『原作』同様にしばらくは本来の戦闘能力は発揮できないらしい。
これからの戦いを考えると、兵長のスペックダウンはかなりの痛手だな。
第2特別作戦班――ダイナ班は、ドミニク以外は全員生還。
ただし俺はカラネス区に帰還した日から丸一日の間は目を覚まさない状態で、アリーセも最後の戦闘で昨日はまともに動けないような状態だったらしい。
フォルカーとクリスタは特に大きな怪我はないそうだ。
今回の第57回壁外調査は、全ての作戦が失敗して終了。
調査兵団は精鋭兵の多くを失い、何の成果も得られないままカラネス区に帰還したとのこと。
「そのため2日後に私を含む調査兵団の責任者が王都に召集される事となり、エレンの引き渡しも決定した」
ここも、一応は『原作』と同じか。
俺は頷いて、エルヴィン団長に話の続きを促す。
「エレンの引き渡しを回避するには、後2日で壁内に潜む巨人を見つけ出し、これを捕獲する必要がある。ダイナ、君にも協力して欲しい」
はぁー…………。
『原作知識』から今後の展開はある程度は予想していたが、改めて向き合うとあまりに厳しい状況だ。
後たった2日で、巨人化能力者を捕獲する必要があるとか。
無理ゲーにも程があるな。
しかしそれをやり遂げなければ、エレンの引き渡しは避けられず、エルヴィン団長を含む調査兵団の上層部は全員がアウト。俺は調査兵団を隠れ蓑にすることが出来なくなる。
それは避けたい。
となれば、もう俺が選べる選択肢は1つしかねえ。
「分かりました、私も全面的に協力します。壁の中に潜む巨人の特定については、私に任せてください」
「そうか、助かる」
俺が協力要請に肯定を示すと、エルヴィン団長が手を差し出してきた。その手を握り、握手を交わす。
「今回の壁外調査での助力と、次の巨人化能力者捕獲作戦の協力。見返りは期待していますよ、エルヴィン団長」
俺がそう言うと、エルヴィン団長は微かに笑って、
「了解した」
こうして、私とエルヴィン団長の同盟関係は継続となった。
もちろんだが、お互いに突き付けた銃口は逸らさぬままに。
俺は木製のベッドのささくれを利用して指先につけた傷を、巨人の力で再生する。
同時に、リヴァイ兵長も懐から手を引き抜いた。
お互いに引き金を引かなくて済んで、何よりだ。
◆◇◆◇◆
「冗談じゃない、もう沢山だ!」
薄暗い路地裏に、女性の叫び声が響き渡った。
その場にいるのは声を荒げている女性と、彼女に向き合う2人の男。
その全員が、兵服を纏っている。
「今回ので十分に借りは返しただろう!? 言われた通り調査兵団をお前とは反対側から攻撃した! 巨大樹の森では、殺される寸前まで戦った! ああそうだ、2回も殺されかけた! 運が悪けりゃ、今ごろ私は手足をちょん切られて調査兵団に捕まっていただろうな!」
そばかすの目立つ黒髪の少女の怒鳴り声に、しかし2人の男は動じない。
「お前にはまだ協力してもらう。調査兵団はまだ俺たちを捕らえることを諦めていないだろう。奴らに尻尾を掴まれるのは、もう時間の問題だ。それより前に、エレンかあの女のどちらかを捕獲する必要がある」
そう言い、男のうちの片方――金髪と恵まれた体格の青年は、黒髪の女性の肩を掴む。
「この壁の中に未来がないことは分かっているだろう? クリスタを守りたいなら、エレンかあの女を捕まえるんだ。無理なら、俺たちはお前を故郷に連れて帰るしかない。自分の命とクリスタの命を守りたいなら、やるしかないんだ。ユミル」
「――……っ。雪山訓練で、馬鹿なことしなきゃ良かったよ。ああ、そうだ。なんで私は、巨人化してまでダズを助けちまったんだ」
そばかすの女性――ユミルはそう吐き捨てて、男2人に背を向けた。