エルヴィン・スミスの号令に合わせて、躊躇なく壁外へと飛び出していく調査兵団。
その様子を、カラネス区が一望できるウォール・ローゼの壁上から見下ろす人影が2つ。
片や恵まれた体格と鍛え上げられた肉体を持つ、金髪の青年。
片や192センチという突出した高身長を持つ、黒髪の青年。
兵服を身に纏い、巨人を殺せる唯一の武具である立体機動装置を腰に装備した彼らは、しかし人類の守護者たる「兵士」ではない。
この2人こそ、5年前の「あの日」の地獄を作り出した張本人。『座標』の奪取を目的とし、人類を地獄へと叩き落とした「戦士」である。
その名はライナー・ブラウンとベルトルト・フーバー。
第104期訓練兵団には偽名を使って入り込んでいるため、その真名を知っている者は極少数であるが。
「しかし、調査兵団も随分と強引な手段を取ったな」
「だけどこの壁外調査が成功すれば、確実に解体を免れることができる。あの女の力を使えば僕たちが開けた穴なんてすぐに塞げてしまうから、資材を運ぶための人員も必要もない」
「調査兵団の数がかなり少ないのはそれが原因か。確かに、少数精鋭だけであの女を最速でウォール・マリアに送り届けるのが、最善の策と言えるな」
不可能と言われ続けていたウォール・マリア奪還を、僅か1日以下で成し遂げる。
そんな成果を上げれば、調査兵団を解体の話は即座に消えるだろう。
見事なまでの、起死回生の一手。
「事前にユミルから情報を得ていなかったらヤバかった。まさか情報規制をかけて、今日まで壁外調査の予定を明らかにしないとは」
「
「ああ。あの女がアニの記憶から俺たちの正体を割り出して、調査兵団に伝えたんだろう。……だが、あの女は『顎』の正体までは知らないはずだ」
いくら『鎧』と『超大型』の力を持つライナーとベルトルトでも、『女型』と『進撃』そして『始祖』の力を持つダイナとエレンに加えて、リヴァイ兵長を始めとした調査兵団の精鋭たちを、正面から撃破するのは難しい。
だからこそ、クリスタを人質にしてまでユミルを味方につけるという強引な手段を取った。
雪山での兵站訓練の際に、ユミルが巨人化能力を使用した瞬間を見れたのは奇跡と言えるだろう。
そして、無理やりにでもユミルを味方にしたのは正解だった。
彼女はクリスタを通して、調査兵団の情報を流してくれる。
今回の第58回壁外調査の作戦内容や、ダイナとエレンの居場所も全て把握済みだ。
57回ではダイナとエレンの居場所が分からず、鎧の巨人と顎の巨人による強引な捜索を行う必要があったが、今回は一直線に目標へ迫ることが出来るのは非常に大きい。
だが1つ懸念があるとすれば、本当にダイナは『座標』を宿しているのか断定出来ないこと。
周囲にいた無垢の巨人を操り、こちらを襲わせたところから、高確率で『座標』を持っていると予想できる。
しかしダイナはユミルと同じで、楽園送りにされ無垢の巨人と化した状態から、偶然アニを食って人に戻った人物だ。
壁の王が持つ『始祖』を、いつ奪ったというのか。
それに彼女は、どうやら正式に調査兵団に所属している訳ではないらしい。
ライナーは憲兵の権力を行使して訓練兵団に所属していた兵士リストを閲覧したが、そこにダイナの名前はなかったのだ。
だというのに彼女は立体機動装置を使いこなし、巨人化能力者であると調査兵団に打ち明けていながら、処刑されていない。
エレンの扱いを見れば一目でわかる。
壁内の人類にとって、巨人化能力者は恐怖の対象だ。
エレンと違ってトロスト区の穴を塞いだといった功績もなく、兵士ですらない彼女は、どうやって調査兵団に潜り込んだのか……
その全てが謎。
継承した巨人は『女型』であるはずなのに、『戦鎚』の巨人と類似した硬質化能力を操る。
ユミルと同じ略奪者に過ぎないのに、巨人化能力の練度は「戦士」であるライナーをも上回るほど。
明らかにアニの女型の巨人を超える身体能力と、持久力の高さ。
無垢の巨人を呼び寄せ、操作する能力。
アニの記憶から彼女の格闘技を再現する体術のセンス。
高度な部分巨人化。
……あり得ないほど多彩な能力を持ち、だがそれでも底が見えない。まだ何か力を隠しているのではないか、そんな予感すら感じられる。
いいや、間違いなくまだ能力を隠しているはずだ。
まだ自分はあの女の――ダイナの本気を、見ていない。
「――行くぞ、ベルトルト。今日で終わらせる。『座標』を手に入れて、故郷に帰るんだ」
「ああ。必ず帰ろう、2人で」
それでもライナーは止まらない。
全ては故郷に帰るため。
マルセルとアニの死を無駄にしないために。
「戦士」としての責務を果たすために。
ユミルに第58回壁外調査の日程と作戦内容を聞いた時から、あらゆる事態に備えて準備はしてきた。
エルヴィン・スミス、ハンジ・ゾエ、アルミン・アルレルトといった面々に頭脳戦で勝つのは難しいだろうが、それでも食らいつく程度の策は練っている。
ライナーは大きく深呼吸すると、超硬質ブレードで自分の右腕を斬り裂き、ベルトルトと共に壁上から飛び降りた。
「悪いなベルトルト。お前にはしばらく窮屈な思いをさせるが、これも任務のためだ」
「相手の意表をつくのに必要なことだよ。やってくれ、ライナー」
会話を終えたライナーは地面が近づいてきたのを見計らい、体の内に宿る巨人の力を発動。
空から雷が落ち、蒸気と共に傷口から巨人の骨肉が生み出されていく。
現れた巨人体の大きさは、『超大型』などの例外を除いて巨人の中で最大とされる15メートル級。無垢の巨人よりも遥かに発達し、盛り上がった筋肉。
そして、まるで鎧のような硬質化物質が全身を覆う。
九つの巨人が一体。
破格のパワーと防御力を持つ鎧の巨人と化したライナーは、着地と同時に大地を蹴り飛ばして走り出した。
一歩ごとに大地が震え、その巨体が加速していく。
ダイナの『女型』やユミルの『顎』ほどの速度は出ないが、それでも調査兵団の馬に追いすがる程度の速度ならギリギリ出せるのだ。
(ユミルが上手くやっているなら、既にあの女の近くに陣取っているはずだ。だがもし無垢の巨人に襲われたとかでユミルが作戦通りに動けていない時は、俺が1人で『女型』のうなじを齧り取らねぇと……)
『鎧』たる自分に、兵士の刃は通らない。
必然的に女型の巨人とタイマンになるが、果たして勝てるだろうか。
(……いや、勝てるかどうかじゃねぇ。勝つんだ。勝って、故郷に帰る)
一歩前に進む度に、自分の中で覚悟を固めていく。
もう迷いはない。
必ずダイナを捕獲する。
その邪魔をするなら、例え104期が相手でも――
ドォンッ! と。
もう聞き慣れた発砲音と共に、空に黒の煙弾が昇った。
当然ながら、ユミルにはクリスタを介して信煙弾の色が何を意味をするのかも聞いている。
黒は奇行種の発見だ。
(さぁ、調査兵団はどう動く?)
走る速度は緩めず、ライナーは視線を黒の煙弾が打ち上げられた箇所へと向ける。
前回はすぐに調査兵たちが攻撃を仕掛けてきたが……
(……流石に、前回の壁外調査で学んだってことか)
立体機動装置が発する、特有の機械音は聞こえない。
それどころか、ライナーの視界内に映る兵士たちは速度を上げてこちらから離れていく。
しかし、調査兵団の対応はこちらとしても好都合だ。
邪魔されないのであれば、ダイナに近づくのが楽になる。
それにライナーとて、好きで人を殺している訳ではないのだから。殺さずに済むのなら、それに越したことはない。
離れていく調査兵たちから視線を外し、ライナーはさらに陣形の中央へと向かう。
そこで、再び信煙弾が打ち上げられた。
色は黄色と緑の2色。
(2色同時……? 何の合図だ? 確か黄色は作戦続行不可能、緑は進路決定だった筈だが……?)
敵の意図を探るために、信煙弾を打ち上げたまだかなり距離が離れた位置で走る5人1組の班を注視する。
班長らしき人物の指示で、班の中の1人だけが加速した。
信煙弾を打ち上げたと思われる人物が、他班から援軍と共に先行していく。
(まさか、あのフードで顔を隠したのが……!)
ライナーの姿を見た調査兵が真っ先に逃がそうとする人物は、ダイナかエレンしか考えられない。そして、今ライナーがいるのは長距離索敵陣形の中央後方あたり。いるとするなら、ダイナの方だ。
先行する兵士を追撃しようと両足に力を込めた、その時。
1人の兵士が、フードを脱ぎながら振り返った。
肩の長さで切り揃えられた美しい金髪が、陽の光を浴びて輝く。
忘れもしないその顔。
余裕の笑みすら湛えたその女性は。
(ダイナ…………ッ!)
標的を捉えたライナーは、鎧の巨人を加速させる。
僅かに口を開き、機関車のように蒸気を吐き出しながらダイナへと突貫した。
意識は全てダイナへ。周囲の兵士が攻撃してこようとも関係ない。兵士の刃などライナーの鎧には通らないのだから。
例外として警戒すべきは巨人化能力を持つエレンと、規格外の存在であるリヴァイ兵士長の2人か。だがその2人が所属するリヴァイ班とやらは、ダイナの所属する班とは位置が少し離れていた。
ダイナとライナーの距離は目に見えて縮まっている。
この速さならば、エレンやリヴァイ兵士長が援護にくるより、ライナーがダイナに追いつく方が早い。
ユミルと連携攻撃を行えば、例えダイナと言えどそう長くは……
「――オォ」
(……ユミルはどうした?)
宿敵を前に昂ぶっていたライナーの心が、違和感に気づいたことで冷静さを取り戻す。
既にダイナとライナーの距離は数メートルだ。
もう近くに潜んでいる筈のユミルが巨人化して、奇襲を行なっていてもおかしくない。
何かあったのか?
人員の入れ替わりが激しい調査兵団だ。部外者が1人紛れ込んだとしても、そう簡単に気付かれはしないだろう。ユミルが駐屯兵団所属だと知っている同期なら怪しむだろうが、そんなことはユミルとて理解している。自ら同期に近づくわけがない。
何より、奴らはエレンとダイナが自分たちに特定されないよう全員がフードで顔を隠しているのだから、声でも発しない限りユミルの隣に同期がいても顔がバレることは……な……い……?
じゃあ何で、ダイナは敢えて顔を晒したんだ?
(――――ッ!!?)
背筋に悪寒が走る。
ライナーが嵌められたと気づいた時には、既に調査兵団は巨大樹の森へと入ってしまった後だ。
あの女は、ダイナは、自分を囮にしたのだろう。
それ以外に自ら顔を晒す理由がない。
(ここは一旦退いて、調査兵団の出方を窺うか!?)
焦りがライナーの思考を鈍らせる。
だからこそ立体機動に移ったダイナが手の届く範囲に入った瞬間、無意識のうちに手を伸ばしてしまったのだろう。
本来のライナーであれば、深追いせずにすぐさま反転していたはずだ。
ガクンッと、視界がブレた。
踏み出した右足から地面の感触が消える。
一瞬の浮遊感の後に、鎧の巨人の巨体が大地へと沈んだ。
(まさか、落とし穴――ッ!?)
冗談みたいな罠だが、これほど効果的なものはない。
硬質化能力によって生み出した鎧で全身を覆っているライナーの巨人体は、基本的に体重が軽いという巨人のセオリーに含まれずかなり重たい。
それは歩くたびに周囲の大地が揺れるのが証明している通りだ。
胸元近くまで大地に埋まってしまうと、そう簡単には抜け出せなくなる。
「全大砲、放てぇッ!!」
どこに隠れていたのか、号令と共に全方位から調査兵がその姿を現す。
咄嗟に両腕で顔を覆うが、調査兵団渾身の一撃はその程度で完全に防げるほど甘くはなかった。
視界が迫り来る砲弾で埋まってしまうほど、莫大な量の砲撃。一発や二発の砲弾を受けたところで『鎧』は揺らいだりしないが、これほどの数を同時に受けると話が変わってくる。
――――ッドッッッッッドン!! と。
腹の奥にまで響く轟音を最後に、五感が吹き飛んだ。
両目はあっさりと破壊され、両腕の「鎧」はズタボロとなり、頭部が吹き飛んで脳が露わとなる。
頭部を負傷したことで巨人体は殆どライナーの命令を受け付けなくなり、本体と巨人体の接続が8割近く途切れてしまう。
完全に吹き飛ばなかったのは流石と言ったところだが、致命傷だ。
もはや鎧の巨人は抵抗する事すらままならない。
(次、今のと同じ砲撃を受けたら死――)
「頼んだよ、3人とも!」
敗北を予期するライナーの思考を遮るように再び号令がかかり、その命令に従って木の上から3つの人影がこちらへと飛び降りてくる。
3人とも、ライナーの知っている人物だ。
1人は同期であり、背中を預けて巨人と戦ったこともあるエレン・イェーガー。
1人は言わずもがな、何度もこちらの任務を妨害し続けた宿敵ダイナ。
そして最後の1人は。
(ユミル、まさか裏切って……!?)
超硬質ブレードで自傷を行うソバカスの女性の姿にライナーは愕然としながら、自らに襲い来る3体の巨人を前に口を開く。
すると『女型』が慌てたように目を見開いた気がして、ライナーは少しだけ不敵に笑った。
(作戦変更だ、ベルトルト)
女型の巨人の硬質化した足が、進撃の巨人の拳が、顎の巨人の爪がライナーを捉えるその寸前、『鎧』の口内からベルトルトがスパークを散らしながら飛び出した。
既にライナーは胸元から上がズタボロだが、仰向けになればうなじは守れる。
『超大型』の爆発に、耐えられる。
ライナーが防御姿勢を取ると同時にベルトルトへと雷が突き刺さり、街1つを吹き飛ばすほどの大爆発が引き起こされた。