天を覆い隠すほどに巨大な怪物が、灼熱に身を包みながら倒れ込んでくる。下敷きにされたら最後、硬質化能力を駆使して一命を取り留める事は出来ても、間違いなく戦闘不能に追い込まれてしまう。
そして何よりも、予想される被害範囲の中に謎の攻撃で戦闘不能になってしまったエレンがいるのだ。
奴らは『座標』の所有者が俺だとヤマを張ってるからなのか、『原作』よりエレンを危機に晒すことに躊躇がねぇ。
「戦士」側の考えとしては、最悪『進撃』は死んでも構わない。『女型』と『始祖』だけは絶対奪還する――ってところか。
……まだエレンに死んでもらっては困る。
場合によっては、ラウラやフォルカーなどの味方になり得る存在にエレンを食ってもらう必要があるのだから。
王家の末裔である
つまりは。
『超大型』の攻撃が来るあと十数秒の間に、俺はあの広範囲破壊から、自分とエレンを守らなければならないということになる。
くそがッ、王家の血を引く巨人でも何でも出来るって訳じゃねぇんだぞ。毎回毎回、しんどい役回りは大体俺に回ってきやがるなぁオイ。
舌打ちをしながら両足の筋肉に蓄えた力を解放。
地に伏した『進撃』との距離を瞬時に詰め、そのうなじに噛り付いてエレンを引き摺り出す。
『超大型』の攻撃を受けて黒焦げになった挙句、力尽きて巨人体の崩壊が始まっていたので、女型の巨人の歯はあっさりと『進撃』の肉を食い破る事が出来た。
それにしても、酷い有様だな。
敵の攻撃は本体にも届いていたらしく、エレンは全身に大火傷を負ってしまっている。ミカサが見たら間違いなく取り乱すほどの損傷具合。まぁ、謎の攻撃をまともに受けてしまった今回に限っては、生きてるだけ僥倖だろう。
エレンの姿にそんな感想を抱きつつ、硬質化能力を発動。
高速で水晶体を作り出し、それでエレンの全身を覆っていく。要するに『原作』で調査兵団に負けたアニがやったのと同じことだ。
これで、エレンを口に含んでも誤って噛み殺してしまう危険性はなくなった。この水晶体を破壊する手段はかなり限られてるし。
ここまで、体内時計で約8秒。
超大型巨人はもう真上だ。このままだと2、3秒後に、俺はあの巨体と高熱で大ダメージを受けてしまう。
間近に迫る『死』が俺の集中力を高めたのか、気づくと眼に映る世界はスローモーションになっていた。
その停滞する世界を、全力で駆ける。
同時に硬質化能力を発動させ、うなじを中心に頭部などの急所を重点的に防御し――
「ォ、オ、ォオォォ――」
次の瞬間、何かに右足を掴まれた。
まさかの奇襲に反応できず、先ほど『超大型』の攻撃の余波を浴びた時と同じように、俺は顔面から倒れ込んでしまう。
……っづ!
チッ、この期に及んでまだ悪あがきを……!
握り潰されそうになる右の足首を硬質化で守りながら、妨害者を排除すべく振り返った俺は、直後に特大の悪寒に襲われた。
幾多の攻防で、見るも無残な姿に成り果てた鎧の巨人。
発勁を2度も受けた腹部には大穴が空き、それを中心に全身の「鎧」はひび割れ、エレンの自壊覚悟のラッシュを受けて負った無数の傷は蒸気こそ吹き上げているものの全く再生が進んでねぇ。
顔の装甲も剥がれ落ちており、まるで『超大型』のような――人体模型のような素顔が露わとなっている。
既に立つことも叶わず、されど地を這って俺の元までやって来たらしい。腹ばい状態で俺の足を掴んで離さない『鎧』の背後には、這いずって出来たであろう溝のような跡が残っていた。
天には余力の全てを注ぎ込んだ、特攻紛いの一撃を仕掛けてくる『超大型』。
地には瀕死になりながらも、超大型巨人の渾身の一撃を俺に当てるため、共倒れ覚悟で足止めを行う『鎧』。
まさに「戦士」の執念とも言うべき、ライナーとベルトルトの最後の足掻き。
どちらかが死んでも構わないと。
生き残ったどちらかが『座標』を持って帰れる事が出来ればそれで良いのだと。
言外にそう語る『鎧』の――ライナーの目を見て、俺も牙を剥く。
誰がテメェらの無理心中に付き合ってやるか!
俺にだって……俺たちにだって、何が何でも掴みたい未来というものがある。
こんな所で死んでる暇なんかねぇんだよ。
今までのような相打ち、痛み分けなんて結末は選ばない。選ばせない。
勝利よ、ただ完全なる勝利を。
――ああ、そうだ。
――お前らが負けて、惨めに死ね。
反転する。
倒れこみながらも安全地帯に向けて伸ばしていた手を、死地の中央へと伸ばす。
そして『鎧』の顔面を鷲掴みにし。
直後、破壊の神が大地に堕ちた。
◆◇◆◇◆
「お姉様!!」
聞こえたのは、真っ青な顔をしたラウラが私を突き飛ばしながら出した金切り声だった。
満身創痍になりながらも、雄叫びを上げてお互いをガッチリと掴み合っていた鎧の巨人とダイナさん。その両者の上に、業火を纏った超大型巨人が落ちる。
そんな光景を最後に、五感の全てが消し飛んだ。
視界は白く塗り潰されて、あらゆる音が消失し、謎の浮遊感に包まれて上下感覚すら無くなってしまう。
どのくらいの間、感覚が消えていたのかな。
巨人の領域である壁外にいるのに、無防備な状態で地面に寝転がっているなんて。もしダイナさんの『叫び』の力で無垢の巨人をこの森から遠ざけていなかったら、間違いなく私は食べられていたと思う。
「……う、……ぁ」
それが自分の呻き声なんだと気づくのにも、数秒かかった。
少しずつ感覚が戻ってくるのと共に、体中から痛みも伝わってくる。
もしかしなくても、随分と派手に吹き飛ばされたみたい。
ダイナさんの「壁」が無かったら――って、本当に何もかもダイナさんに頼ってしまっているね。
もっと彼女の力になりたいのに。もっと頼ってほしいのに。
ダイナさんはいつも自分が最も危険な場所に立って、私を安全地帯に置こうとする。
大切に想ってくれるのは嬉しいけれど、大切な人が死にそうになる状況を何度も見せられる側の気持ちも考えて欲しい。
今回だって、まさに――
思考がそこに至った時、私は弾かれるようにして上体を跳ね起こした。
立ち込める蒸気。木っ端微塵と化した「壁」。周囲で折り重なるようにして倒れる調査兵団の面々。
ダイナさんは、どうなったの?
あの人は間違いなく爆心地にいた。超大型巨人の落下地点に。
硬質化能力を使って防御はしたと思うけど、これだけの破壊を引き起こす攻撃を直に受けて、無傷で済む訳がない。
最悪の場合…………ううん、きっと大丈夫だ。信じてるもの。
蒸気が晴れていく。
現れるのは、巨大なクレーター。
そして見上げるほどに積み重なった、『超大型』のものだと思われる骨の山。
「動ける者はすぐにダイナの捜索を開始! 女型の巨人の力が消えた今、この場所に巨人が集まってくるのは時間の問題だろう。 各員、早急に任務にかかれ!」
「「「了解!!」」」
私と同じく現状を把握したエルヴィン団長が、すかさず声を張り上げて指示を出した。比較的軽傷で、すぐに動ける兵士たちの応答があちこちからまばらに聞こえてくる。
私も早く立ち上がらないと。
私がダイナさんを見つけないといけないのだから。
「おい、あそこだ!」
兵士の1人が骨山の一角を指差して叫んだ。
自然と周囲の視線がその兵士の指先に集まり、私も彼の人差し指の先へと視線を移す。
「はっ……は、はぁ…………っ。死んだかと、思いました」
その声を聞いた途端、私の視界がボヤけた。頬を伝う涙を拭いながら、両手を口元に当てて嗚咽を殺す。
立体機動装置と調査兵団のマントは巨人体に
蒸気を纏い、今にも倒れ込みそうになる私の親友の手の中には。
「すみません、アリーセ。調査兵団にあれほど格好つけて作戦を立案したのに、1人取り逃がしました」
ダイナさんの左手は、気を失ったエレンの襟首を掴んでいて。右手には、同じく気絶した短い金髪のガタイのいい青年が抱えられていた。
「ですが鎧の巨人――ライナー・ブラウンは、確かに捕らえました」
歓声が、爆発する。
咆哮し、涙を流し、地面を叩き、足を踏みならし、握手を交わし、肩を抱き合って、調査兵団は最後に拳を突き上げる。
5年前の「あの日」に、ウォールマリアを地獄へと叩き込んだその元凶の片割れ。
人類の怨敵たる『鎧』の捕獲成功に兵士たちが沸き立つ。
かくいう私も、既に涙で何も見えていなかった。
私だって元調査兵団だ。
どれだけこの日を夢見たことか、どれだけ望んだことか。
壁外調査で死んだ『彼』の姿が、「あの日」にシガンシナ区の住民を守って死んだ友人たちの姿が、人類に心臓を捧げた同期たちの姿が脳裏に浮かぶ。
「皆……今日、ダイナさんが、仇を取ってくれたよ……!」
もう私は人類を裏切った叛逆者だけど、そう言わずにはいられなかった。
「総員、撤退の準備をせよ! カラネス区に帰還する!」
「「「オオオオオオオオオオ!!」」」
エルヴィン団長の指示に、兵士たちは指笛で次々と自分の馬を呼び寄せると、それに乗っていつでも長距離索敵陣形を展開できるように準備を整えていく。
エレンに駆け寄るミカサとアルミン。鼻息荒くライナーを拘束するハンジ分隊長。ペトラさんとオルオさんにくっつかれて嫌そうな、でも嬉しそうな複雑な表情のリヴァイ兵長。鎧の巨人の正体を知って、驚愕に硬直する104期生。
『鎧』討伐に対する皆の反応を眺めながら、私もダイナさんの元へ行こうと今度こそ立ち上がったその瞬間だった。
ずるり、と。
私の膝から何かがずり落ちた。
今まで自分が誰かとくっついていたのに、全く気づかなかった自分に少し驚きつつ、地面に崩れ落ちたその相手に手を伸ばして。
「……っ……え? ラウ、ラ……?」
額から夥しい量の血を流し、浅い呼吸を繰り返してぐったりとしているラウラが私の足元にいた。
そして、ようやく思い出す。
『超大型』の最後の攻撃で吹き飛ばされる直前、ラウラが私を突き飛ばしたことに。
じゃあまさか、私を庇って……?
冷えていく。
鎧の巨人を倒したことで高揚していた心が、冷えていく。
指先が震えて、体に力が入らない。
だって分かってしまうから。
数多の戦場を経験し、多くの負傷者を見てきた私には、ラウラの頭の傷は致命傷なのだということが。
「ラウラ! 目を開けて、お願い! せっかく鎧の巨人を倒したんだよ!? 調査兵団の大敵を討ち取ったんだよ!? なのに貴女が死ぬなんて、絶対に認めないから!」
それでも深緑のマントを超硬質ブレードで斬り裂き、布切れを作って止血を試みる。何度も呼びかける。
けど、ラウラの顔色はどんどん悪くなる。
「アリーセ、どうし…………っ!?」
私の声を聞いて駆け寄ってきたダイナさんが、ラウラを見て息を呑んだ。
「ダイナさん……ラウラが、私を庇って……」
「……っ。ラウラ、約束を破るつもりですか? この戦いが終わったら、どうして貴女がアリーセを好いているのか教えてくれると言ったじゃないですか。まだ、私は教えてもらっていませんよ!?」
「うるさい……ですわね……。ああ、お姉様のことではありませんので、勘違いなさらないよう」
「「ラウラ!」」
私とダイナさんの声が重なる。
涙を拭いてラウラの顔を見てみれば、彼女は薄っすらと目を開いていた。
ラウラは私を見て小さく微笑むと、掠れた声で言葉を紡ぎ始める。
「お姉様。不本意ですが、私がお力になれるのはここまでのようです。最後まで寄り添えず、申し訳ありません」
違う、そんな言葉が聞きたかった訳じゃないの。
貴女が謝る必要なんて何処にもない。
すごく慕ってくれて、助けてくれて、嫌々ながらもダイナさんとも仲良くしてくれて。
最後の最後まで、私はラウラに殆ど何もしてあげられなかった。
謝るのは、私の方なのに。
「ダイナ……本当に、本当に忌々しいですが……お姉様を守る役目、貴女に託しますわ。最初で最後のお願い……いいえ、
ダイナさんが何かを言っている。
だけど、もう私には何も聞こえなかった。
◆◇◆◇◆
頭が痛え。耳鳴りがする。
体調不良の原因は、巨人化能力の酷使が原因だけじゃねぇ。
夕日に照らされて赤く染まる草原を、長距離索敵陣形を展開した調査兵団がカラネス区へ向かって駆け抜けていく。
陣形の中列後方……最も安全な位置で、俺は自分の馬の手綱を握りながら並走する荷馬車へと視線を向けた。
結論から言うと、ラウラは一命を取り留めた。
だが、それが救いとなるかと言えば否。
衛生兵には、ラウラは植物状態でかつもう2度と目覚めない可能性の方が高いと言われたのだから。
この世界の医学では、回復の見込みはない。
……ただ1つ、とある方法を除けば。
最悪の場合を想定して、1つだけ作っておいた『アレ』を入れた腰のポーチに軽く触れる。
幸い、立体機動装置やマントと一緒に持っていかれなかった。
『アレ』作るのは手間がかかるし、面倒くさいし、くそ痛いから、消滅を免れたのは本当に有難い。
と、そんな愚痴はともかくとして。
『アレ』をラウラに使えば、彼女は植物状態から回復することが出来るだろう。
ライナーを捕まえた今、生きてさえいればどんな重態でも1人は助けることが可能だ。何ならユミルも含めて、2人は救える。
『アレ』は現状1つしかないので、今は1人しか無理だが。
さて、どうすっかな。
巨大樹の森を出て以降、ずっとラウラの手を握って黙り続けるアリーセ。
彼女のためにもラウラを助けたい。
だが、俺がラウラの救命活動を巨大樹の森ですぐに実行しなかったのにも理由があるんだよ。
……俺が13年という寿命を克服する方法として考えた理論だと、俺は「九つの巨人」全てを手に入れる必要がある。もしここでラウラを助けたとしても、俺はいずれ自分の延命のためにラウラを食い殺すかもしれない。
それは、どうなのか。
一度は救っておいて後々になって殺すなど、鬼畜などという言葉では生ぬるい所業だ。
今は植物状態のラウラだが、彼女は完全に死んでしまう前に『選択』しなければならない。
このままラウラを見殺しにするのか。
それとも救い上げて後々になってから殺すのか。
もしくは……俺が、13年で大人しく死ぬか。
どれが最も後悔せずに済む?
どれが最もアリーセを幸せに出来る?
『鎧』討伐に歓喜する調査兵団の中、俺とアリーセは更なる苦悩に直面することになった。