……やっぱり『女型』のスペック凄えな。
肩越しに後ろを見てみると、かなり離れた位置に巨人の大群が見えた。まだ全力の速度じゃねぇけど、それでも並みの巨人を簡単に引き離せてる。
これなら簡単に逃げきれそうだな。
もう少し走って完全に巨人の群れの姿が見えなくなったら、壁をよじ登るか。今のところ壁沿いに走ってるからいつでも登り始められるんだが、念には念を入れるってことで。
登ってる途中で、下からジャンプしてきた無垢の巨人に足を掴まれたりしたら最悪だ。あの群れのど真ん中に落下することになる。
そうなったら流石に死ぬ。
あの大群を駆逐するとか、普通に無理だっつーの。
100に近い数の巨人の群れを駆逐できるのって、それこそ『超大型』くらいだろ。距離を取ることが出来れば、『獣』も岩の投擲で殲滅出来そうだけど……。
見た目的に『獣』は足とか遅そうなんだよな。
17メートルの巨体に加えて、あの長い腕。絶対に走った時バランス取りにくいだろ。
いや、まぁ、ジークならもう高速で走ってもおかしくない気がしなくもない。あの強キャラ感はリヴァイにも引けを取らないし。
……ああ、もう1人いたな。巨人の群れを殲滅できる可能性を持った人が。
我らが人類最強にして、この世界で紛う事なく最高位の戦闘能力を持つリヴァイ兵長だ。
ライナーを殺す一歩手前まで追い詰め、精鋭揃いの旧リヴァイ班すら全滅させたアニを単独で倒してエレンを取り返し、獣すら倒してジークにトドメを刺す瞬間まで追い込む。
人間じゃねえ。
リヴァイ兵長とは絶対に戦いたくない。
勝てる気しねーよ。
っと、完全に引き離したな。
背後から巨人の姿が消えたのを確認した俺は、硬質化を発動させる。
両手の指先と、両足のつま先。
皮膚が青い結晶のように変化したそれらを壁に突き刺し、よじ登っていく。
ここで気をつけないといけないのは、力を入れすぎて壁に穴を開けちまうこと。下手したら壁の中の巨人が露出するという、最悪の事態になりかねん。
原作も開始してないのに『地ならし』が発動するとか、大惨事だ。それも座標を使っての正式な起動じゃないから、超大型巨人の大群は壁の中の人類にまで牙を剥くだろう。
……細心の注意を払う必要があるな。
そんなことになったら、責任取れねえ。
ヒヤヒヤしながらも、壁の上に到達。
よし、後は飛び降りる……だ……け……?
しまった、降りる時のことを考えてなかった。
50メートルって、巨人化しててもかなり高くないか? このまま飛び降りたら死ぬ可能性ってゼロじゃない?
いや、うなじを硬質化してれば死ぬことはねーな。骨折くらいはするかもしれんが。
つーか飛び降りたら絶対に大音がする。
壁の中に巨人が侵入するところ見られたら終わりだぞ、オイ。
……はぁ。
面倒くせえが、登ってきた時と同じようにコツコツと降りるしかないか。
指先とつま先をもう一度硬質化し、登った時と同じ要領で降り始める。
なんか、カッコ悪い気がする。
巨人化能力者なら、無茶ができる巨人の体を利用してもっとド派手にやるような先入観があったな。
ともかく今の姿を絶対に見られる訳にはいかないので、なるべく早く手足を動かす。
そして、やっとの思いで地面に着地。
壁を超えた俺は、すぐさま巨人化能力を解除する。
うなじの部位が蒸気と共に消滅し始め、本体が外界に露出した。
「お、今回は服が消えてねーな。ラッキー」
本体を見下ろした俺は、ちゃんと服を着たままの上体を見て呟く。
流石に兵士の死体から貰った立体機動装置や、奪還作戦開始の時にもらった剣とかは消えてたけど、今回は服が完全に無事だ。
最初の頃は巨人化を解除するたびに服を持っていかれたから、地味に金がかかったんだよなあ。
流石に服までは配給してくれねぇし。
仕方ないから開拓地での作業でもらったなけなしの金は、全部服につぎ込んでた。
が、それも今日で終わりだな。
これからは飯が買える。
まずは明日のパンを2個にするか。
久しぶりに空きっ腹がマシになるかもしれねえ。
あー、そんな事を考えてたらお腹が減ってきた。
……で、ここ何処だ?
トロスト区の中……じゃないよな、うん。
だってガッツリ森の中だし。
ちくしょう、壁の上にいた時に現在地を確認しとけばよかった。相変わらず頭悪りぃな。
かなり走ったから、トロスト区からだいぶ離れてんじゃねえの?
人間の足で戻るのって、かなり大変なんじゃ……。
「はぁ……」
本日2度目の、盛大なため息をつく。
その瞬間だった。
パシュンという、独特の射出音。この世界で何度か聞いた、ガスが噴出する音。さらに金属同士が擦れる、摩擦音。
ブワッと。
全身から嫌な汗が噴き出した。
指先が、いや、全身が震える。
ギギギギギ……と。
壊れたブリキ人形のように首を動かし、まだ完全に消えてない巨人の体の上で音のした方向へと視線を向ける。
そこには。
驚愕の表情を浮かべて、俺を見下ろすアリーセの姿があった。
……見つかっ、た。
◆◇◆◇◆
個人の感情を優先して、ダイナさんを探すのか。
兵士の役割を優先して、女型の巨人を追うのか。
結局のところ、私はどちらも選べずに中途半端な形で気持ちで動いてしまっていた。
ひときわ高い建物の上から、大きく数を減らした避難民の人たちが我先にとトロスト区へ撤退しようとする光景を見下ろす。
私は人と比べて、視力が良い方だと思う。
この高い建物の上からでも、人の顔を見分けられるくらいはっきり見えるから。
目を皿にして、友人の姿を探す。
けれど、どれだけ必死に探してもダイナさんの姿は見当たらない。
生き残った半数近くの人がトロスト区へ帰還したところで、私は急激に怖くなった。
嫌な考えが浮かぶ。
無意識のうちに、生き残った人たちの中からではなく、あたりに散乱する死体の中から友人の姿を探そうとしている自分がいる。
違う、そんな訳ない。
ダイナさんが死んでるはず、ない。
どれだけ自分にそう言い聞かせても、体の震えは止まってくれない。
そして、ついに限界がきた。
トリガーを引いてワイヤーを射出し、立体機動を開始。
生存者からも死者からも目を離して、女型の巨人の追跡を開始する。
急に、やっぱり兵士としての役割を果たすべきだ、なんて思った訳じゃない。
怖かったから。
もしどれだけ探してもダイナさんの姿が見当たらなかったら、今度こそ私は自分だけ生きてることに耐えられないと思ったから。
また友人の死を見ることになる可能性が怖くて、私は逃げ出した。
仮に。
あくまで仮定の話だけど、ダイナさんが死んでいたなら。
少なくとも、女型の巨人を追っている間はその現実を見なくて済む。トロスト区に戻らなければ、私の中ではダイナさんは生死不明のままだ。絶対に死なない。
そんな最低の考えで、私は女型の巨人を追った。
女型の巨人の姿はとっくに見えなくなっていたけれど、女型を追う巨人の大群の最後尾はまだ見えている。
幸いなことに、女型の巨人は壁に沿って走っているみたいだ。
なら私も壁を利用して立体機動できるから、わざわざアンカーを刺す場所を探さなくても良い。
絶対に巨人に捕まらないよう、かなりの高さを保って追跡を開始。
……けれど。
「まだ遠目にも姿が見えない……」
追跡を始めてからすでに5分以上経過している。
なのに、女型の巨人の姿は見えない。
足の遅い個体はすでに数体は追い越したし、今でも私の眼下にはおびただしい数の巨人が走っているから、彼らの探知内にはいるはずなんだけど。
走る速度まで規格外なんて……。
もしかしたら、調査兵団の馬より速いかも。
トリガーを引いて、今までより強くガスを噴出。
巨人たちを次々と追い越しながら、さらに加速していく。
そしてようやく、遠目に女型の巨人の姿が見えた。
試しに後ろを振り返ってみると、私と同じように女型の巨人を追いかけてきた巨人の群れは見えない。
先頭の個体すらも。
本当に、冗談みたいな速さ。
調査兵団の中でも、女型の巨人の速度に追いつける人は少ないかもしれない。
もしも真正面から、女型の巨人とぶつかったなら……。
ゾクリと、背筋に冷たいものが走る。
自分の血で大地を赤く染め上げる同胞たちを幻視してしまう。
あれはミケ分隊長でも、勝てるかどうか分からない。
「……っ」
嫌な想像を振り払い、今は少しでも女型の巨人の情報を集めようと改めて前を見たその瞬間。
女型の巨人が、いなくなっていた。
慌てて私も動きを止め、壁に張り付いて辺りを見渡す。
けれど見つからない。
どうすれば良いのか分からずに私はしばらく呆然とした後に、取り敢えず壁の上まで移動しようとワイヤーの射出口を上に向ける。
そして、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃に襲われた。
「う、そ……」
喉から掠れた声が出る。
今まさに、アンカーを刺す場所にしようと思った壁の上。
そこに、女型の巨人がいた。
消えたんじゃない。私が目を逸らした間に、壁をよじ登っていたんだ。
壁を乗り越えられる巨人なんていない。
そんな先入観から、私は無意識のうちに壁の上なんて見ようとしなかった。ずっと壁から離れたものだと思って、平原の方を見ていた。
だから気づかなかったんだ。
唖然とする私の前で、壁内の方へと女型の巨人が降りていく。
ウォールローゼが、たった1体とはいえ、間違いなく巨人に突破された。
蘇る1年前の惨劇の記憶。
ここで私が女型の巨人を倒さないと、あの惨劇が繰り返されてしまう。
覚悟を決める。
勝てる気はしない。
だけど、やるしかない。
不思議と恐怖はなかった。それどころか、ようやく死に場所が見つかった。そんな気さえする。
何度も壁外調査を生き残って、ウォールマリア陥落の時も生き残って、分かったことがある。
死ぬのは怖くて辛いけど、残される方も死ぬのに負けないくらい辛くて、悲しくて、苦しいんだってこと。
この奪還作戦という名の口減らしを生き残れたのは、僅か
分かっていたんだ。
ダイナさんが死んでいる可能性の方が、何倍も高いんだってことは。
でも。
もしも奇跡が起きて、本当にダイナさんが生きていたなら。
私はこの「生き残ってしまった苦しみ」をダイナさんに押し付けてしまう――?
そう思った瞬間に、まだ死ねないという気持ちが急激に膨れ上がった。
壁を乗り越えながら、私は歯をくいしばる。
死に場所はここじゃない。
女型の巨人を倒して、ダイナさんの生死をちゃんと自分の目で確認してから、改めて死に場所を探すんだ。
ワイヤーを放つ。アンカーを刺す。ガスを吹かす。
先手必勝。
女型の巨人が私に気づくよりも早く、うなじを切り落としてや………………え。
パシュンと。
乗り越えたばかりの壁にアンカーを突き刺し、私は動きを止めた。
思考が真っ白になる。
目の前の光景の意味が分からなくて。
なにかの見間違いだと思って。
でもどれだけ目を見開いても、目の前の光景は変わらなくて。
膝をついた体勢で動きを止めている女型の巨人。
その体は蒸気と共に、少しずつ消えていく。
うなじから上半身だけを出した、ダイナさんを基点として。
「アリーセ……?」
この1年ですっかり聞き慣れた、ダイナさんの優しい声。
この場所では絶対に聞こえないはずのそれが、確かに私の鼓膜を叩く。
気がつけば、女型の巨人の頭の上……ダイナさんの目の前に移動していた。
間違いない。
陽の光を浴びて輝く綺麗な金髪。いつも私に優しい眼差しを向けてくれていた、月白色の瞳。
女型の巨人から出てきたのは、私の友達だった。
「どういう……こと、ですか……?」
無意識に溢れ出ていた私のその言葉に、ダイナさんが困ったような、今にも泣き出しそうな表情をする。
まるで悪いことをしたのがバレた、子供のような表情。
いつもお喋りな私の話を静かに聞いてくれていたダイナさんの、初めて見る表情。
気がつけば、私は友人に剣先を向けていた。
色々な感情が渦巻いて、私の心の中はぐちゃぐちゃだ。
「どういう、ことですか? 何で女型の巨人の中から、ダイナさんが出てくるんですか? 私に分かるように、説明してくださいよ」
ダイナさんは黙ったまま、何も答えてくれない。
超硬質ブレードを握る私の手の力が強くなる。
「ダイナさんは、巨人だったんですか? 私を騙してたんですか? 友達だって言ってくれたのも全部ウソで……」
「――ッ! 違う!」
また初めてだ。
ダイナさんが声を荒げるところなんて、初めてだ。
気がつけば、私も怒鳴り返していた。
「じゃあ、ちゃんと説明してくださいよ!? 何で女型の巨人の中から出てきたのかを、私に!!」
「これ、は……」
私とダイナさんの視線が交差する。
やがて、ダイナさんが全身から力を抜いてうな垂れた。
そこでようやく、私は自分が泣いていることに気づいた。
私の体からも力が抜けて、その場に座り込む。
しばらくお互い無言の状態が続いて、私は少しずつ落ち着きを取り戻す。
やっぱり、聞きたいことは沢山ある。
でも、私が一番聞きたかったのは。
「ダイナさんは、人類の敵ですか?」
「……違う、と思います。少なくとも人間を襲ったりする気はないし、壁を壊すつもりもありません」
「信じて良いんですか?」
「信じてくれるんですか?」
私の質問に、質問で返してくるダイナさん。
それがおかしくて、私はちょっとだけ笑ってしまった。
「聞いてるのは私の方じゃないですか」
「いや、だって、巨人の姿、見られましたし……」
巨人の姿。
そう言われて、やっぱり女型の巨人がダイナさんで間違いなかったんだと思う。
ショックは……あまり、受けない。
それどころか、女型の巨人の不自然な行動に説明がつく。
他の巨人を攻撃する特性。
近くの人間を襲わずに無視する特性。
そしてよく思い出せば、女型の巨人は私を助けてくれている。
私が13メートル級に食われかけた時、13メートル級を殴り飛ばして助けてくれた。
……あ。
それだけじゃない。
その後、女型の巨人は他の巨人を引き連れて走り去った。
さっきまでは何でそんな事をしたのか意味が分からなかったけど、今なら予想できる。
もしかして、避難民の人たちを救うためだった?
考えれば考えるほど、女型の巨人の行動は『人類の敵』としてはあり得ない。むしろその反対。人類を巨人から守ってすらいる。
本当にダイナさんが敵なら、あの巨人を引き寄せる能力を使った後に、トロスト区に強引に入れば良かった。
というか、そもそも壁の中に1年もいて何もしてない時点で敵としてはおかしい。人類への攻撃が目的なら、とっくに壁の中で巨人化して暴れているはずだ。
本当に、敵じゃない。
良かった。
私は、ダイナさんに裏切られてなんていなかった。
「ダイナさん、私は――」
私が口を開いた直後だった。
突然、空が光る。
壁のすぐ向こう側から、雷でも落ちたみたいな光と爆音がした。
続いて立ち昇る大量の蒸気に、地鳴りのような音。
「アリーセ、立体機動で逃げて!!」
何が起きたのか分からず硬直する私と対照的に、ダイナさんは焦ったように女型の巨人の中に埋まっていた下半身を引き抜く。
そして、何とスカートのポケットから取り出したナイフで自分の手を突き刺そうとした。
何考えてるの、この人は!?
慌ててダイナさんの腕を掴み、自傷行為を寸前のところで止める。
「何してるんですか!? まさか正体がバレたからって自殺を……!?」
「そうじゃないから! ……まずい、もう登ったのか!?」
「さっきから何を……」
見ているんですか、という私の問いかけは最後まで発せられなかった。
急に上を見上げたダイナさんに倣って、私も壁の上へと視線を向ける。そこで見たのは、壁の上から飛び降りてくる巨人の姿だった。
「ッオオオオオオオオオ!!」
耳をつんざく咆哮と共に、巨人が降ってくる。
慌ててダイナさんを抱えて立体機動に移ろうとするけど、僅かに間に合わない。
大地を揺るがしながら巨人が着地し、私とダイナさんを纏めて握りしめる。そして再び、壁を登り始めた。
咄嗟に巨人の指を超硬質ブレードで斬りつけるけど、全く刃が通らない。それどころか、超硬質ブレードの方が折れてしまう。
「何、これ……!?」
硬すぎる巨人の皮膚に呆然とする私。
その隣で、私と一緒に巨人の手の中に捕らえられたダイナさんが悔しそうに叫んだ。
「出てこないと思ったらそういうことか、鎧……ッ!!!」
そして私たちは抵抗することも出来ずに、再び壁外へと連れ出されてしまった。