蒼き鋼のアルペジオ ―Auferstehung―   作:主(ぬし)

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次は後編と約束したな。あれは嘘だ。


……なんか前にも同じことを言ってた気がする。せっかくバーサーカー……うっ、頭が……。


Depth 02

2週間前

旧東京都 統制日本軍 目黒総合基地

 

 

「―――これは一大事だぞ、首都の目と鼻の先にまで“霧”の侵入を許すとは、貴様らは何をしていたんだ!? 何のために空軍が内閣府から偵察衛星を任されたと思っている!? これでは面目が丸潰れではないか!」

「し、しかし、空将、この艦はあらゆる動きを停止していました。重 力 子 機 関(グラビトン・エンジン)もです。如何に光学30号のマイクロ波センサ(PALSAR)が優秀でも、全ての動力を切って小島と化した艦艇を発見するなど……」

「良い訳はいい、東京からわずか400キロにまで霧が迫っているという事実に変わりはない! コイツはなぜこんな近海にまで姿を現した? 目的はなんだ!? まさか、遂に霧が陸地に攻撃を……!?」

「わかりません。しかし、移動速度・方向が千島海流の流れと合致していることから、漂流(・・)している可能性が考えられます」

「漂流? 霧が漂流しているというのか?」

「一週間前、海軍の水中固定聴音装置(LQO-55)が房総半島沖での海戦を確認しています。“蒼き鋼”―――イ401と霧の艦艇が戦闘を行ったとの分析でした。おそらく、その際に損傷を負った霧の艦が漂流しながら自己修復を行っているのではないかと」

「……では、まだ倒すチャンスはあるということだな」

「修復が終わらない今なら、或いは」

「良かろう。海軍の白鯨級潜水艦の白星は、しょせんイ401の助力があったが故のものだ。人類のみでの勝利を収めるキッカケを空軍が作れたとあれば、発見が遅れたことの申し訳も立つ。さっそく海軍の知り合いに連絡を―――」

「く、空将ッ! 今、あそこに人影が! 盗み聞きをされていました! 逃げていきます!」

「いちいち騒ぐな、馬鹿者め。よく見ろ、あれは陸軍の尉官ではないか。海での戦いに、陸猿風情が何の介入ができるというのだ。北岡代議士には悪いが、陸軍などこれからの戦いには無用の長物だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2時間後

旧東京都より南南西300キロの海域

 

 

「ここが限界だ、これ以上は接近できない!」

「十分だ! 付き合ってくれて感謝する、軍曹!」

「クソッタレ准尉殿、アンタ、今さら後悔しても遅いぞ! 今までの兵隊人生ぜんぶパアなんだぞ!?」

だからいいのさ(・・・・・・・)!!」

「……! イカれてるよ、アンタ! あの化け物(・・・・・)に殺されても知らねえからな!」

「忠告に感謝する! じゃあな!」

 

 パイロットの怒鳴り声を背に浴びながらキャビン・スライドドアを開け放った俺は、宙空へ力いっぱいに踏み出した。受け止めてくれる大地はない。目下に広がるのは太陽の日差しに碧々と煌めく大海原だ。

 ギリギリまで降下させたとはいえ、海面までは10メートルはある。数秒にも満たない落下時間の中に後悔とやらが付け入る隙は微塵もない。

 俺の今までの人生は、軍隊のためにあったと言っても過言ではない。代々地に足をつけた(・・・・・・・)軍人を輩出する家系に生まれた宿命として、国への忠誠や滅私奉公を延々と叩きこまれてきた。それ以外の生き方は認められず、物心がついた頃から武人となるべく鍛えられてきた。他人が“誇り”や“名誉”だというそれらは、俺にとって“足枷”であり“呪縛”でしかなかった。何をするにしても一族の名前が付き纏い、どんなに努力をしても偉大な血脈によって掻き消される。後悔と呼べるのは、そんなしがらみに囚われて無為に浪費してしまった今までの人生そのものだ。

 今、俺はそれら全てから脱却し、自分の意志で一步を踏み出した。

 

「―――ぅおおッ!?」

 

 尻穴が窄まる浮遊感に肌を泡立たせたのも束の間、オスプレイのツインローターが叩きつける暴風に吹き飛ばされた俺の身体は木の葉のように宙で二転三転し、背中から海に突っ込んだ。巨大な剣山に落ちたかと紛うほどの鋭い痛みが背面を打ち付け、全身が痙攣する。どんなに贔屓目に見たって素人同然の無様な着水だ。鍛えていなければ今頃は骨や内臓を損傷していただろう。「こんなことならレンジャーの降下訓練でも盗み見ておけばよかった」と後悔していると、氷水のように冷たい海水が痛覚を麻痺させて痛みをかき消してくれた。この期を逃すまいと四肢をバタつかせて海面から頭を出せば、すでにオスプレイの後ろ姿は遥か向こうまで遠ざかっていた。ローター音が消えた後は、自身の荒い息と波音以外には何も聞こえない靜寂だけが残る。

 

「腰抜けめ。いくら怖いからって、上官を放ってトンズラするやつがあるかよ」

 

 とは言え、階級を利用して無理やりここまで運ばせたのは俺だ。おおっぴらに文句は言えないが、その情けない遁走っぷりを見せ付けられては悪態を漏らさずにいられなかった。“霧”のせいで活躍の場が失われたとはいえ、そんな体たらくを晒せば海軍から舐められたって文句は言えない。

 

「ま、海軍だろうが陸軍だろうが、俺にはもう関係ない」

 

 誰に言うでもなく言い放つ。古巣を貶しているにも関わらず、胸がすくような清々しさを覚える。昨日までなら、こんな台詞を誰かに聞かれようものなら直ぐ様上官に言い付けられ、次の日には家長様からのキツいお説教が待っていただろう。オスプレイを奪取して海に身を投げたなんて知られれば説教どころか牢屋行きと一族からの勘当のフルセットだ。

 だが、もうそんな心配は無用だ。(ここ)には、俺を縛るものは存在しない。存在するのは、1兆8000億リットルもの海水と、陸地の3倍もの面積を持つ4億平方キロメートルの 戦 場 (いくさば)。そして、その戦場を縦横無尽に駆け抜けるために必要不可欠な鉄の愛馬(・・・・)だ。

 

「……ああ、そうだとも。絶対に俺の愛馬(もの)にしてやる」

 

 決意の言葉を呟き、背後に浮かぶそれ(・・)に身体を向ける。

その潜水艦(・・・・・)は、どこまでも広がる大海原に忽然と浮かんでいた。全長にして100メートルを優に超える濃灰色の巨体を惜しみなく陽光に晒しながら、霧を纏うでもなく、どこを目指すでもなく、ただただ波に身を任せて太平洋を揺蕩っている。上空から見ただけでも戦艦と見紛うほどの迫力を放っていたが、近づいてみればさらにも増して雄々しく見えた。

 ゴクリと緊張の唾を飲み下して不敵に口端を釣り上げ、島にも見える潜水艦に向かって泳ぎだす。攻撃してくればその時はその時だと開き直っていたが、こちらを殺す気があればヘリが近づいてきた時点で撃ち落とされていたはずだ。クライン・フィールドすら発生させていないということは、この霧の潜水艦には敵意がないということだ。取るに足らない羽虫と判断されたのかもしれなかったが、どちらにしても俺の決意を折るには足りない。

 30メートルほど進んだところで目的の潜水艦に辿り着いた。水を吸った戦闘服が予想以上に重く、肌に張り付いて急激に体温を奪う。怖がっていたわりにはギリギリまで接近してくれたパイロットを見直しつつ、寒さに荒くなった息を整えながら装甲にそっと手を触れてみる。鋼鉄に似た肌触りだが、不思議な温もりを感じる。

 

「……損傷は見当たらないな」

 

 そのまま手を滑らせてみるが、窪みどころか傷ひとつ発見できない。盗み聞きした話によると“自己修復中らしき霧の艦艇が漂流している”とのことだったが、少なくとも今は損傷しているようには見えない。では、なぜこの潜水艦は無防備なまま何の動きも見せないのか。

 謎を明らかにするために、ラッタルを探して前部デッキの方に泳ぐ。雄牛の筋肉のような盛り上がりを魅せる逞しい艦体を見上げれば、この艦の名称なのだろう艦体番号が刻み込まれていた。

 

「『I-405』―――イ405(・・・・)、か。こりゃあ、いよいよ俺にも運が回ってきたかもしれないな」

 

 霧の船は、全てが第二次世界大戦当時の艦船をモデルにしている。この潜水艦も例に漏れず、外見は大戦末期の潜水艦そっくりだ。伊400型ということは、あの(・・)蒼き鋼(・・・)”の同型艦ということになる。唯一、人類に味方をする霧の艦艇『イ401』の同型艦が俺の目の前に現れてくれたことには運命を感じずにはいられなかった。勇ましい外観を見上げ、これを手にするチャンスを得られたことに感無量の想いを噛み締める。

 俺は、陸よりも海への憧れのほうが強かった。埃っぽい地べたを這いつくばるより、戦艦という鋼鉄の獣を指揮して空と海しかない世界を水平線まで爆進する方がずっと格好が良いと思っていた。今や、霧の艦隊の出現によって主戦場が海へと移行して、陸での戦いといえばもっぱら同じ人間とのくだらない小競り合いのみだ。テロリストやデモ隊と相対する日々に生き甲斐を見出そうとした時期もあったが、無駄に終わった。特に俺を焦らせたのは、海洋技術総合学院の士官候補生―――千早 群像が、敵であるはずの霧の艦艇を操って活躍しているという驚くべき話だった。その話を聞いてから、海への切望は日に日に強くなっていった。学生(ガキ)に出来て、なぜ俺に出来ないのかと。

 しかし、軍部に強力なコネがある実家は転籍など絶対に許さなかった。跡取り息子を安全な陸地に繋ぎ止めておこうとする一族の保身も垣間見えたが、それもまた鬱陶しい枷に過ぎなかった。俺は、同族相手の小戦に明け暮れてこのまま朽ち果てていく将来に絶望し、現状を打破するキッカケと“力”を求めていた。

 

 そして今日、その艱苦はついに爆発した。統制空軍の連中が血相を変えて話していた“漂流する霧の艦”の話を盗み聞いた瞬間、衝動に身を任せた俺は最低限の荷を戦 闘 背 嚢(バックパック)に詰め込み、待機中だったオスプレイをパイロットごと強奪してここまで来たのだ。

 

 もう後戻りは出来ない。救助など考えてもいなかったから、無線機の類は持ってこなかった。コイツ(・・・)に拒絶されればここで惨めに溺れ死ぬしか無い。だが、後悔を抱えながら陸で錆びていくより、今ここで潔くくたばった方が遥かに俺らしくあれると思った。

 

「戦艦だったら最高だったんだがな。ま、潜水艦にしてはなかなかゴツいカッコしてるし、我慢してやるか―――

 

 

 

「悪かったな、戦艦じゃなくてっ!」

 

 

 

―――なッ!?」

 

 呆気無く虚を突かれ、ギクリと肩を跳ね上げる。思いがけず声をかけられた程度で驚くほど己を甘やかした訓練は積んでいない。その声が今の状況にまったくそぐわない少女(・・)のそれだったことに、俺は思考を一瞬だけ停止させてしまった。

興奮のあまり失念してしまっていた。霧の艦艇は、重巡洋艦以上の艦級(クラス)になると『メンタルモデル』と呼ばれるヒト型の意識体を保有する。その意識体は揃って人間の女性の姿を模しているという。イ401もメンタルモデルを保有しているらしいことを考慮すれば、同型艦のイ405に同じものが宿っていたとしても不思議はない。

 一秒以下の、けれども戦場では命取りになる致命的な油断を経て、腰のホルスターから拳銃を抜き放つ。脳みそが発声源を探るよりも先に脊髄が判断し、銃口がピタリと上方に固定される。

水飛沫を煌めかせる陽の光を背景に、小柄な何者かがデッキ上に仁王立ちしていた。眩しさに目を細め、逆光を背負ってこちらを見下ろす者とまっすぐに視線を交差させ、

 

 

「―――天使、だと?」

 

 

 光り輝く翼を背中に広げていれば、それを“天使”と呼ばずして何と言うのだろうか。シャンデリアのように眩い銀翼が風に靡き、今にも大きく羽ばたいて飛び立ちそうだ。向こう側が透けるような純白の裸体は、さながら宗教画に描かれる見目麗しい女神。決して膨よかではないが黄金比をなぞるシルエットは十二分に完成された美を司り、引き金を引くことを躊躇わせる神々しさを放っていた。

自身に突きつけられている銃口を恐れずにこちらを静かに見下ろす姿は超然として、相手がヒトを超越した存在であることを示している。この艦との出会いには運命を感じると思っていたが、まさか本当に神仏から与えられた天啓だとでもいうのか。

 神聖な存在を前にしたことで腕から力が抜け、視界を遮っていた拳銃が緩やかに下がっていく。陽光に馴れて段々と明確化していく視界で、天使がふんと鼻を鳴らす気配がした。なぜだか天の御遣い様はご立腹らしい。次いで降ってくるのは、不機嫌そうに尖った台詞。

 

「お生憎様、オレは潜水艦です! 戦艦でも天使でもなくて残念でござんした!」

「オレは潜水艦、って……」

 

 天使は腰に手を当ててムスッと唇を尖らせる。(なま)の感情を隠さない仕草は天使というよりそこらの少年少女のもので、俺はようやく自身の認識を改める契機を得た。片手で陽光を遮り、鋭い目で様子を窺う。表情まで判別できるようになったところで、確かに相手が天使ではないことを理解した。天使の翼に見えていたものは、背に流れる銀色の長髪だった。風を孕んで揺らめく髪が陽の光を反射して翼に見えたのだ。

 

 そして、別のことも理解した。

 少女が、天使が羨むほど可憐な美少女で―――自らが裸であることに少しの恥じらいも感じていない、残念な美少女(メンタルモデル)だということだ。

 

 神秘的な出会いが白昼夢と化して過ぎ去った後には、ムッとした顰めっ面で甲板に仁王立ちする全裸のオレっ娘と、胡散臭げに少女を見返す水浸しの俺だけが残った。

 

「……なんか、スマン」

「わかればいい」

 

 こちらのぞんざいな謝罪を軽く受け入れ、少女型のメンタルモデルはうむと頷く。乱暴な一人称然り、あまり物事を深く考える性格ではないらしい。真面目に銃口を向けていることが急にバカらしくなり、虚脱感たっぷりの動きで拳銃をホルスターに仕舞う。少女から敵意は感じない。というより、やる気を感じない。メンタルモデルとの接触は、もっと非現実的で、緊張感に張り詰めていて、心臓が破裂するほどに心躍るものだと思っていた。現実は非情だ。

 だくだくと分泌されていたアドレナリンの泉がげっそりと枯れ果てる。興奮が失われれば、後からやってくるのは今まで脳内麻薬に掻き消されていた肉体の悲鳴だ。ヘリから落ちた際に海面で打ち付けた筋肉が刺すような痛みを訴え、体温が急激に失われたことで内臓の動きが鈍っていく。命を繋ぐには速やかに海水から脱出しなければならない。鉛のように重くなっていく肉体の異常に冷や汗を流しながら、不敵な笑みだけは崩さずにメンタルモデルに問いかける。

 

「なあ、甲板に上がっていいか? 話が、したいんだ」

 

 “霧”が人類との対話に応じた前例は千早 群像が操るイ401を除いて無い。17年前、霧の艦隊が突如出現した時、人類は真っ先に平和的解決を図ろうとした。その思い虚しく、人類の代表を乗せた友好の船は容赦無い砲火に晒されて海の藻屑となって現在に至る。今回も……という縁起でもない予感が冷風となって頭をよぎる。いや、そうなっても後悔なんぞは意地でもしない。すでに覚悟は決めたのだから……!

 

「いいよ」

 

いいらしい。

 

「ラッタルがすぐそこにあるよ。あ、自力で上がれないなら引っ張ってやろうか?」

「……いや、いい。自分で上がれる」

「ん、わかった。ここで待ってる」

 

 先人たちよ、お前たちはいったいどんな対話を試みていたんだ。あまりの呆気無い成功に、寒さからではない頭痛を覚えてこめかみを抑える。

技研―――統制日本軍技術研究本部の考察によると、メンタルモデルとは『進化の可能性を探るためのツール』だという。大戦時の霧は、圧倒的な火力でひたすら目の前の敵を倒すことしか出来ず、戦術という“思考”を持ち得なかった。ヒトと同じ姿形は、ヒトたる所以の“試行錯誤する能力”をシミュレーションし、より多彩な戦い方を学習・実践するための学習装置なのだ。だから、メンタルモデルは画一的な性格はしておらず、様々な人格形態を取り、霧全体の思考バリエーションを増やそうとしているのだという。その過程で、イ401のように『人類に加勢する』という謎の行動を執るメンタルモデルも現れれば、もっと際立った性格をしているメンタルモデルも存在するだろう、というのが連中の仮定した言い分だ。

 

「お~、すげー! 本物の人間だ! やっぱりコレは夢じゃないんだ!」

「……いてえよ」

 

 とどのつまり、今こうして興味津々に俺の髪の毛を引っ張る銀髪の少女も、そうしたぶっとんだ(・・・・・)メンタルモデルの一例なのだろう。

 少女は、デッキに胡座をかいて身体を乾かす俺を何が珍しいのか面白げに観察していた。銀髪を振り乱しながら犬っころみたいに周囲をくるくると動きまわり、時々指先で戦闘服を摘んでみたり、首筋に鼻を埋めて臭いを嗅いだりしてくる。傷つける気は無いようだから一先ずは安心だが、愛玩動物の扱いを喜ぶ性癖は持っていない。

 

―――しっかし、綺麗な顔に造ってあるもんだなぁ。

 

 横顔をツンツンと突っついてくる少女を横目に、胸中で深々と呟く。老いを知らないメンタルモデル相手に“将来を感じさせる”という褒め言葉は適切ではないが、もしもこの少女が人間であったならあらゆる芸能プロダクションが我先に唾を付けんと激しく競いあっただろう。大理石から削りだしたような白い肌は染み一つなく、白磁のようになめらかに艶めいている。たまご型の小振りな輪郭、目鼻立ちには幼い柔らかさを残していて、血色の良い小さな唇が印象的だ。そんな一級品のパーツの中でも一際俺の目を引いたのが、“瞳”だ。濃灰色の艦体と同じ色の双眸は光の差し加減で瑠璃色に輝いて、俺の横顔を鮮やかに映している。そのくりくりとした大きな瞳に不思議な既視感を覚え、その正体を探ろうと少女を通して記憶の底を探ってみる。

 

「ああ、何かに似てると思ったら、アイツか」

「へ? なになに、誰がオレに似てるの?」

「ずっと昔、ガキの頃に飼ってた柴犬によく似てる。いっつもニコニコ笑ってて俺の後ろをついて回ってたのを思い出した。名前は何だったかな」

「何だったの?」

「思い出せん」

「なんだよそれ! つーか、ひとを小型犬扱いすんな!」

 

 ぷくっと頬を膨らませて一頻り憤慨した後、「まあいいや」と軽く流して俺の観察を再開する。人見知りをしない人懐っこさも、イヤなことをすぐ忘れるあたりも、思い出に生きる白い柴犬にそっくりだ。アイツが人間の姿になったならきっとこんな感じだったろう。幼少時代を共に過ごした愛犬との懐かしさに免じて、もう少しだけ為すがままにされてやることにした。

 

 

 

 

「……と思ったが、さすがに、これ以上はまずい」

 

 口腔で苦しげに呟いた俺の鼻先に、「ほお」「ふむ」「へえ」と何の感嘆なのかわからない息が吹きかけられる。温かいのに、口臭や内臓臭を伴わない無臭の吐息だ。後頭部を弄ろうとする少女の胸が眼前に被さり、一糸纏わぬ純白の膨らみと淡い桜色の突起が視界に入り込んでくる。それをハッキリと脳が知覚してしまう寸前に目を閉じて奇数を数える作業に専念するのももう何度目なのかわからない。はふ、と熱い吐息に耳輪をくすぐられてゾクリと背筋が震えるのも何度目だろうか。意識的にしているのではないだろうが、そうであればあまりに無防備過ぎて調子が狂う。これでは何時まで経っても話が始められない。

 

「ほら、お触りはもう終了だぞお客さん」

「ひゃっ!?」

 

 意を決し、襟章を弄くっていた細腕を掴んでグイと力任せに引き寄せる。触れた感触は人間の女そっくりに柔らかく、羽根のように軽い。香水とは異なる甘やかな匂いを引き連れた少女が短い悲鳴をあげて懐に飛び込み、胸板で「むぎゅ!」と小さな鼻を潰した。

 

「にゃ、(にゃに)すんだ! (ひた)いだろ、こにょ野蛮人め!」

 

 良く言えば鈴の音のように澄んだ、悪く言えば跳ねまわるピンポン球のような高い音域の声音が鼓膜を刺す。

 

「それはこっちの台詞だ。ベタベタと他人様の身体を触りやがって、俺の何がそんなに珍しいんだ?」

「ああ、そのこと? いやさ、この世界の登場人物(キャラクター)と会ってみたかったんだけど、こっちから動けない(・・・・・・・・・)もんだからヤキモキしててさ。そしたら、お兄さんが目の前でロープ無しバンジージャンプおっ始めたじゃん? 好きな作品の中に生きてる人間に初めて会えたからすごく嬉しくて、興味が湧いて、つい……。で、でも、何が減るわけでもないし、触れるくらいケチケチしなくたっていいじゃん!」

「霧への畏怖とか敵愾心とかそういうのがガリガリ減ってるわ!」

 

 “キャラクター”? “作品”? 不思議な言い回しをされて混乱する。人間のように見えてもやはり霧の意識体らしくこちらとは考え方の基準や世界の捉え方が違うのだろう。俺の接近を許したのも、ただ単に“人間に接触してみたい”という好奇心故だと考えれば納得がいく。俺自身も理性的な人間ではないとはいえ、ここまで奔放ではない。少なくとも、裸のまま異性と向き合っていれば羞恥心を感じるくらいの自意識は備えているつもりだ。

 コロコロと表情を変化させる少女がああだこうだと抗議の声を上げ、「ひとの目を見て話せ―!」と頬肉を摘んでくる。しかし、直視するといろいろと見えてしまうので顔を逸らすしか無い。白く華奢な首筋、緩やかに膨らんだ双球、思わず歯を入れたくなるような瑞々しい太ももが無性に理性を揺さぶる。「こんなガキンチョはストライクゾーン圏外のはずだろう」と己に言い聞かせるが、狼狽が收まる気配はない。女になろうとしている身体と、それに気付いていない内面のギャップがひどくアンバランスで、危なっかしげで、穢してはいけないものを視姦しているような気にさせるのかもしれなかった。

 抗議を無視してコホンと一つ咳払いし、防水仕様のバックパックからジャンパーを引っ張り出すと、胸元で暴れる少女の肩にガバっと羽織らせる。突然のことにキョトンと面食らって俺を見上げる瞳は、自身が女であることを自覚しない純真無垢そのもので、悪いことをしているわけでもないのに罪の意識がモヤモヤと芽生えてくる。

 

「ええと、気持ちは嬉しいけど、オレは風邪なんか引かないぞ。一応、メンタルモデルなんだから」

「そういう問題じゃない。あのな、お前は知らんだろうが、人間様は“恥じらい”ってのを持ってるんだ。分かるか、恥・じ・ら・い。異性に自分の裸を見られるのは嫌だと感じるし、不用意に異性の裸を見てしまうのも居心地が悪くなるもんなんだ。ちゃんと学習しとけ」

「ば、バカにすんな! それくらい知ってるっつーの! ニッポンの文化は恥の文化デス!」

「分かるんなら、前を隠せ。見えちまうだろうが。直視できないからやりにくいんだよ。お前、一応は女なんだろ」

 

 「少しは女らしくしたらどうだ」と苦言を呈した途端、形の良い眉がハの字に歪む。痛いところを突かれた、と言わんばかりの悔しげな表情で両腕を振り上げて吼える。

 

「う、うるさいうるさ―――いっ! 何も知らないくせに偉そうに! 好きで女のカッコになったわけじゃないっつーの! それに、今のオレは男女の区別がよくわかんなくなってるから別に気にしないの!」

「ええい、いちいちキンキン頭に響く声出しやがって! お前らにとっては男女の性差なんてのは大した問題じゃないんだろうが、こっちは大いに気にするんだ! これから俺のモノ(・・・・)になるんだから、もうちっと常識持ってもらわねえと困るんだよ!」

「え、俺のモノ(・・・・)って、まさか……」

「あ、」

 

 熱くなって口が滑ってしまった。何より、この常識に頓着無さそうなメンタルモデルにそっちの知識(・・・・・・)が備わっているとは考えてもみなかった。

 少女から立ち昇る警戒の気配に慌てて口を閉じるが、時すでに遅し。白雪色の頬がカアッと紅潮し、八重歯を剥いていた口がキュッと噤まれる。俺が誤解を晴らそうと口端を開くより先に、開けっ広げにされていたジャンパーのファスナーを勢い良く締めるとその場からささっと後退った。甲板を滑るような機敏な動作や背を丸めてじとりとこちらを威嚇する様子はまさに小型犬で、ピンと逆立つ尻尾まで見えてきそうだ。この犬っころは、男に裸を見られてもちっとも気に留めなかったくせに生々しくメス扱いされると途端に嫌がるようだ。ますますもって奇妙な奴だ。

 耳たぶまで火照った年頃の少女らしい反応を前に「コイツ、こんな顔もするのか」と頭の片隅で驚きつつ、降参のポーズで己の無実を示す。霧相手に痴漢の冤罪証明の真似をするとは夢にも思わなかった。

 

「違う違う違う! お前は誤解してるぞ! そういう意味で言ったんじゃなくてだな!」

「じゃ、じゃ、じゃあ、どういう意味だよ! い、い、言っとくけど、オレにそんな趣味はないからなっ!」

「だから違うっつってんだろ! 俺のモノってのはつまり俺がお前の――――……なんだ、ありゃ」

「へっ?」

 

 

 

 視界の隅。

 青い海原に直線の航跡を引いて、何か(・・)が音もなくこちらに向かってくるのが見えた。時速にして500キロを遥かに超えているだろう物体が、水面下ギリギリに白い尾を伸ばしながら一直線にこのイ405を狙っている。

  効力減殺型 超高速推進装置 (スーパーキャビテーションシステム)特有の気泡雷跡。そして、300ノットもの速度。

 これらが結実させる答えは、一つしか無い。

 

「伏せろッ!!」

「わッ、なにを――――むぐぎゃ~~ッ!!??」

 

 反射的に後ろ足で甲板を蹴り立て、目を丸くする少女に飛びかかる。爆発音はほぼ同時に炸裂した。

 ドン、と耳を劈く爆発音がイ405の艦尾で弾けた。凄まじい振動が一気に艦首にまで突き抜け、巨大な艦体をシーソーのように押し上げる。爆圧によって生じた熱風が伏せた頭のすぐ真上を通り過ぎ、後ろ髪をチリリと燃やした。腕の中に少女を守りながら艦尾の方向に目を向ければ、30メートルはあろうかという極太の水柱がすぐそこに屹立していた。呆気に取られる目の前で水柱は霧状に霧散し、豪雨となって頭上から降り注ぐ。次いで嗅ぎ慣れた焦げ臭い炸薬臭が周囲に立ち込めたことで俺の考えは完全に裏付けされた。

 

「成形炸薬だ。マズイな、海軍の奴らが来やがった! 甲板は危険だ! 早く艦内に―――」

「いって―――ッ!! 誰だ、ひとのお尻を思いっきり引っ叩いた奴は!? 物凄く痛かったぞ!!」

 

 少女が目尻に涙を浮かべて怒りをまき散らす。メンタルモデルは自身が司る艦体と感覚が繋がっているようだ。改めてこの女の子が潜水艦そのもの(メンタルモデル)なのだと思い知り、それならばと問う。

 

「ありゃあ、海軍の37式魚雷だ! 見ろ、向こうに護衛艦が見える! なあおい、この艦は大丈夫なのか!?」

 

 指差してみせる水平線の彼方から1隻の艦影が接近していた。首都近海を巡回する応急出動艦(ロメオ)がこの潜水艦を破壊するために急遽差し向けられたのかもしれない。雷跡を辿るに、37式魚雷はあの護衛艦から発射されたようだ。あの距離から当てるとは腕がいい。

陸海軍共同開発の末、1年前に制式配備が始まったばかりの最新鋭魚雷は、霧との戦闘を念頭に置いて製造された強力な兵器だ。大型化された弾頭部には陸軍技研ご自慢の高性能成形炸薬を満載しており、その総量は旧式魚雷の1.6倍に相当する。威力は凄まじく、霧の魚雷艇程度であれば直撃弾1発で撃沈できると太鼓判を押されていた。その直撃を受けたのだから、この艦もただでは済まないはずだ。

 と思いきや、少女から返ってきたのは思いのほか軽い答えだった。

 

「だいじょうぶだいじょうぶ。まだもうちょっとは耐えられると思う。けっこうヒリヒリするけど。いてててて……」

「マジかよ、直撃だったんだぞ」

 

 水しぶきが収まったところで艦尾に目をやるが、たしかに損傷は見られない。猛々と煙が舞い上がる艦尾は爆発の熱が蒸発しているに過ぎず、海水で冷却されてしまえば濃灰色の装甲が衝撃を完璧に跳ね返していた。鉄壁のバリヤーたるクライン・フィールドがなくともこの潜水艦は最新鋭魚雷の直撃に耐えうるというのか。

 潜水艦にあるまじき防御力に目を見張る俺に、横合いから「まあでも」とまたもや軽い声が投げかけられる。

 

「あと1、2発同じ所に喰らったら、さすがに耐えらんないと思うけどね。クライン・フィールド無いしね。あはははは」

「あはははは、じゃねえよ! なに呑気に笑ってんだ!? さっさとクライン・フィールドを展開して、回避行動を取るなり潜行するなりしろよ!」

「ああ、それムリ」

「はあ!? なんでだよ!?」

「だってオレ、この艦動かせないもん(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 ドーン、と再び直撃弾。

 今度こそ艦体が大きく軋み、ギシギシと各所から悲鳴を上げる。着弾の衝撃で跳ね上がった身体が甲板に叩きつけられるも、腕の中の少女は守り切った。2度目のキツいシャワーを全身で浴びながら、自身の聞き間違えを祈って再度の質問。

 

「さっき、なんて言った?」

「オレにはこの艦は動かせない(・・・・・・・・・)って言った」

 

 刹那の意識のホワイトアウトを乗り越え、強制再起動。生存を諦めて吹っ切れたようにヘラヘラと笑う少女を睨みつける。

 

「な、なんでだよ!? お前、この潜水艦のメンタルモデルなんだろ!? 自分を動かせない道理があるもんかよ!?」

「確かにその通りなんだけど、動かし方がわからないんだよね。オレ自身を強制的に統合・起動させる何か(・・)がないと」

何か(・・)ってなんだよ!?」

「それがわかれば苦労しないっての。どうもオレ、イ401と戦って一回沈められたらしいんだ。その時に混ざっちゃった(・・・・・・・)みたいでさ。何とか復活出来たはいいものの混濁が生じてて、艦の制御系にアクセスしようとすると認証エラー起こして拒絶されちゃうんだ。だから、クライン・フィールドを展開するどころか、ナノマテリアルの操作もできないし、艦内にも入れないってわけ」

 

 イ401と戦い、一度撃沈された。何とか復旧は出来たものの、その後遺症でメンタルモデルと艦体の接続が切り離されたままになっている―――。要するにこの艦は今、好きなようにいたぶられるだけのサンドバッグに過ぎないということだ。

言葉を失う俺を見上げ、少女は申し訳無さそうに指先で自身の頬を掻く。

 

「何時かは見つかると思ってたけど、まさかこんなに早く発見されちゃうとはね。でも、最期にお兄さんと話せて良かった。ここが好きな作品の世界なんだってわかったし。ほら、早く逃げないとお仲間さんに殺されちゃうよ。欠陥潜水艦と一緒に沈むなんて御免でしょ?」

 

 言葉尻に付け加えられた「会いに来てくれて嬉しかったよ」というか細い声は、思い半ばで倒れる寂しさに満ちていた。こちらを気遣う眼差しが微かに湿っていることに気づき、我知らずギリと歯噛みする。歩み出したい場所があるのに、現状に不満を持っているのに、今の牢獄から自力で脱出することが出来ない。そんな無力な自身に悄気げて諦めてしまっている。この少女は俺と同じだ。キッカケを得られずに絶望していた以前の俺と同じだ。

 少女の肩を掴み、「ふざけんな」と感情を込めて強く問いかける。

 

「お前は、それでいいのか。このまま何も出来ずに沈められて、それが本望なのか」

 

 核心を突かれた少女がぐっと唇を噛んで俯く。そうだ、いいはずがない。こんな惨めな終わり方を望む奴なんて、霧にも人間にもいやしない。

 

「……イヤだよ。せっかくもう一度生を受けたのに、この世界に入れたのに、好きなキャラクターにも会えずに散るなんてイヤだ。もっと自由に動いてみたい。もっとこの世界を見て回りたい。もっといろんなキャラと触れて回りたい。だけど、動かせないんだ。何が足りないのかわからないんだ。仕方ないじゃんか」

 

 

 3度目の爆発。

 推進装置を狙っているらしい魚雷が精確に艦尾に命中し、艦体を大きく横揺れさせる。衝撃に備えていた身体は何とか振動を吸収できたが、ギギギギと鋼鉄が捩れる耳障りな音を聞いてあと一発が限界だと直感で悟る。もう後がない。装甲の亀裂は潜水艦にとって命取りだ。

直撃弾の痛みに身体を震えさせる少女を「よく聞け、イ405」と強く引き寄せる。華奢な身体は人類の仇敵とは思えないほどに脆くて儚げで、護ってやらなければという切羽詰まった義務感を湧き立たせる。

 

「俺は、お前という存在を知ったからここまで来た。お前というキッカケを得られたから呪縛から脱することが出来た。だから、次は俺がキッカケを与えてやる番だ。俺はここから絶対に動かない。お前が沈む時は俺も一緒だ」

「は―――、はあッ!? 意味わかんない! どうしてアンタがオレと心中すんの!?」

 

 大きな双眸がギョッとさらに広がる。察しの悪さに一つため息をつき、鼻先が触れ合うほど間近で灰色の瞳を真っ直ぐに見詰める。頬に朱が差す反応は歳相応の少女そのままだ。メンタルモデルであろうと関係ない。これは少女だ。人間と寸分も変わらない、感情を持った一人の女の子(いのち)だ。千早 群像がすでに背負い、これから俺も背負うことになる責任(いのち)だ。

 一世一代の覚悟を決め、腹の底から燃え上がる情動に任せて力強く応える。

 

 

「―――俺が(・・)お前の艦長だからだ(・・・・・・・・・)

 

 

 遂に4発目の魚雷が爆発する熱光に焼かれながら、俺は少女の瞳が金 色(こんじき)に輝くのを見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻

基準排水量8,050トン 全長189メートル 巡航速度25ノット

日本統制海軍所属 第4世代型ミサイル護衛艦(DDG)『磯風Ⅲ』 艦橋部(ブリッジ)

 

 

 

「……やったか?」

「おそらく。至急、戦闘情報指揮所(CIC)に確認させます」

 

 水平線上で爆炎が膨れ上がるのを遠目に見つめ、『磯風Ⅲ』の艦長、宮津大佐は部下に気づかれないようにゴクリと生唾を飲み下す。艦長の微かな怯えが艦全体の士気を左右することを彼は長年の経験でよく知っていた。同じようにそれを身に染みて理解している副長の竹中中佐は敢えてそれに気づかぬ振りをすると、艦内電話の送話器を手に取る。

 

「霧の艦はどうなった? 甲板見張り員は目視にて確認。CICはソナー及びレーダーで確認しろ」

 

 大人しく沈んでいてくれよ、という万感の願いを込めて送話器を握りしめる。それは全乗組員の思うところでもあった。如何に手負いの漂流艦とはいえ、霧の艦艇には違いない。霧に再生能力があることはすでに周知の事実だ。ナノマテリアルと呼ばれる金属粒子によって艦体を構成する霧の艦艇は、不要と判断した部位を切り捨て、自身の構造を再構成することが出来る。放っておけばすぐに航行可能な状態に復元してしまう敵艦を完全に打倒するには、復元する前にトドメを刺すしかない。先刻、司令部から送られてきた『発見次第即座に撃沈』という最優先命令は理にかなっている。宮津や竹中のように過去の戦争を―――霧への大敗を経験している世代は、一発が十数億円にまで昇る高価な最新魚雷を4発立て続けに撃ちこむことも、こちらが無傷のまま霧の艦艇を沈められる僥倖に比べれば遥かに安いものだと考えていた。

 

『4発目の直撃は確認できましたが、爆煙により現在の目視観測は不可能です。もの凄い煙です』

『CICソーナーから艦橋。こちらも4発目の直撃音を確認しました。海中の反響音が収まるまでパッシブ・ソナーは使えません』

『CICレーダーより艦橋、水上探索用レーダーに反応はありません。目標は海中に没したようです』

 

 沈んでくれたか、と艦橋内に安堵の空気が流れる。一発、二発と当てても轟沈する気配を見せなかった時には肝を冷やしたが、クライン・フィールドの発生時に検知される電磁波反応どころか、機関の稼動音すら探知されなかったことで攻撃は続行された。衛星によって発見された漂流艦は、クライン・フィールドを持たない魚雷艇か、発生装置を損傷した手負いであると判断されたからだ。鉄壁の鎧であるクライン・フィールドさえなければ人類の兵器でもダメージを与えられることはすでに立証されている。

 

「副長、敵の艦種はわからないままか?」

「はい。艦種が判明できるほど近づくより前に攻撃を開始したのでわからずじまいです」

 

 望遠カメラには未だ水平線に広く立ち昇る爆煙しか映らず、敵艦の姿は見えない。風に乗って漂ってきた火薬臭が爆発の規模の大きさを感じさせた。37式魚雷には500キログラムもの高性能炸薬が満載されている。その威力は、かつての戦艦大和の主砲によって放たれる46サンチ91式徹甲弾の倍以上だ。それが4発立て続けに爆発したことで、一帯の上空は墨のように濃い雲煙に覆われつつあった。

 磯風Ⅲは司令部からの信頼も厚い精鋭艦であるだけに、乗組員の練度も高かった。遥か5キロ先の敵艦に吸い込まれるように魚雷を命中させたのがその証左であるし、だからこそ最新鋭の魚雷を優先的に装備されたのだ。自分たちの努力が成果として実ったことを実感し、乗組員たちの表情から緊張の皮が剥げていく。それを慢心だと断じた宮津が「まだだ」と低く律した。

 

「まだ完全に倒したとわかったわけではない。油断するな」

「CIC、再度各種レーダーで敵艦の状況を報告しろ。電波探知装置アンテナ(TOP)はどうだ?」

 

 同じ安堵感が滞留し始めたであろうCICに竹中の厳しい声が響く。敵の正体も定かではない状況では簡単に勝利の判断は下せない。完全な破壊を確かめて初めて、人類は勝利を喜ぶ資格を得て、司令部に吉報を入れることが出来る。

 

『CICより艦橋。先ほどからTOPが不調で、激しいノイズが発生していて目標を精確に探知できません。この艦の機材ではこれ以上の分析は……』

 

 歯切れの悪い報告に竹中は内心で舌打ちを打つ。精鋭艦とは名ばかりで、装備の旧式化は否めない。新技術を搭載した新鋭艦には若手を配置して次代に続く経験を習得させるという慣例がある以上、必然的に旧来のシステムに慣れきったベテランは世代の古い艦に残ることになり、練度も上がっていく。熟練といえば聞こえはいいが、結局は装備の性能差を人間の経験でどうにかこうにか埋め合わせているに過ぎないのだ。

 帰投したら艦体司令部に改めて大規模改修(フラム)の要請を出さなければと脳内のノートに書き加え、「再度試みろ」と吹き込もうと送話器に口を近づけ、

 

『―――ち、違います! このノイズは重 力 子 機 関(グラビトン・エンジン)の稼働によるものです! 敵は健在です!!』

 

 竹中の思考に一瞬の空白が生じる。ありえない。

 

「馬鹿な―――クライン・フィールドの無い状態で直撃なんだぞ!?」

『事実です! 敵艦のエンジン出力、なおも上昇中! 同時にクライン・フィールドの展開も感知しました! この力場範囲は並みの霧の比ではありません! 大戦艦クラスです!!』

「戦艦……!?」

「か、艦長、副長、外を見てくださいッ!!」

 

 ブリッジに木霊した悲鳴に全員の首が跳ね上がり、水平線の彼方に向けられる。どうして誰も違和感を覚えなかったのか。火薬が原因にしては不自然なほどの濃霧が、まるで磯風Ⅲを飲み込まんとするように垂れ籠めて周辺海域を暗く陰らせていた。立ち竦む誰かが「霧だ」とポツリと落とし、ここに至って彼らはようやく自分たちに突き付けられた現実の苛烈さを思い知った。

 立ち込める雲霧の内で青白い紫電が幾筋も走り狂うのを双眼鏡(メガネ)越しに見てしまった宮津はブルリと双肩を痙攣させて呻く。

 

「……怒らせたか」

 

 何を、という主語を欠いた自身の呟きに疑念を抱く余裕はなかった。司令部からの最優先命令だったとはいえ、“怒らせてはいけなかった相手”に単艦で挑んでしまった失策がどのような結果をもたらすのか恐怖し、その結果を覆すべく宮津は命令を腹底から迸らせる。

 

「CIC砲雷長、敵艦に向けて魚雷及び次世代対艦ミサイル(スーパーハープーン)発射! 他の兵装についても使用権限を一任する! 出し惜しみはいらん!!」

『砲雷長、兵装使用権限頂きました!!』

「操舵手、面舵いっぱい! 機関両舷共に最大戦速、ガスタービンが焼け焦げても構わん、全速力で逃げろ!!」

「了解! おもーかーじ! その後両舷前進いっぱい!!」

 

 熟達した部下達の淀みない即応も、今の恐怖を払い除けるには甚だ足りない。

砲雷長が発した『 全兵装 発射 開始 (うちーかたはじめー)!』の指示が艦内に響き渡ったかと思いきや、それに発破をかけられたようにタービンの回転が急速に高まる。急加速に続く急速回頭によって生じる遠心力が宮津の身体を雑巾のように絞り上げ、初老を迎えて久しい肉体を艦長席にミシミシと押し付ける。激しい加速度()に明滅する視界に、前方甲板の垂直発射装置(VLS)射出口から炎を吹き上げて連続飛翔していくミサイルの火線が見えた。無数の火矢と化した艦対艦・艦対空ミサイルの群れが放物線を描いて次々と眼前の分厚い黒雲に突入していく。それらが果たして霧にどこまで通用するのか―――。絶望的な結末から逃れるように、磯風Ⅲは波を掻き立てて遁走を開始した。

 次々と撃ち落とされていく(・・・・・・・・・)ミサイルの叫喚が全乗組員の心臓に突き刺さる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 変な男だった。

 

 「親方、空から女の子が!」って台詞は有名だけど、まさか目の前で人間が降ってくるなんて思わなくて、もの凄くビックリした。

 飛沫をあげて海面に突っ込んだ人間はこっちまでせっせと泳いでくると、オレを見上げてニヤリと格好良く笑ってみせた。硬派な顔立ちをした、それなりにモテそうな若い軍人だった。鋭くギラついていて、それでいて優しそうでもある目が印象に残った。

 敵意を持ってる様子はなく、なぜだかそいつはオレを目指してわざわざやって来たらしかった。会いに来てくれたことが嬉しくて、「戦艦のほうがよかった」という失礼な台詞は水に流し、甲板にあげてやることにした。一週間も漂流して他人と接していなかったから、誰かとの触れ合いに飢えていたのだ。

 『蒼き鋼のアルペジオ』の世界に来て初めてのキャラクターとの出会いに、オレはとにかく興奮した。触れたり匂いを嗅いだりしてみると、温かくて、陸の匂いがして、確かに血肉の通った『人間』なんだとわかったからだ。紙や液晶画面を通してしか味わえなかった大好きな世界に足を踏み入れた事実を再確認できて、心底ワクワクした。この変な軍人が原作に登場する主要キャラクターであればなお良かったんだけど、人生はそう甘くない。良いこともあれば悪いこともある。オレの場合はその間隔がとても短かっただけだ。

 話をしていると、急に上着を着せられた。そして「俺のものにする」と宣言された。ひとを犬呼ばわりしたり挙動不審だったりして変な奴だとは思ってたけど、まさかホモだったとは。いや、この場合はロリコンということになるんだろうか。どっちにしてもろくなものじゃない。ようやくこの世界のキャラクターと会えたと思ったら変態だったなんて、オレも不幸だ。その上、そこへ人類軍から魚雷攻撃を喰らったのだから不幸ここに極まれりだ。

 魚雷が艦尾に命中する度に、鞭で打たれるような鋭い痛みに刺された。オレは人類に対して何もしていないし、する気もないんだけど、この世界では霧は人類の敵だから、問答無用で攻撃されるのも無理は無い。2発、3発と直撃を受ける度に限界が近づいているのをハッキリと感じた。もしかしたら、この男との出会いでオレの運命が回り始めるのではないかとこっそり期待していたんだけど、そうそう上手くはいかないらしい。一度死んだ身でなにを生意気な高望みをするのか、と言われればそれまでだ。でも、ここまで来て早々にご退場だなんて理不尽すぎると思う。神さまはかなりのドSらしい。

 

 

「お前は、それでいいのか。このまま何も出来ずに沈められて、それが本望なのか」

 

 

 変態のくせに、痛いところを突いてくる。良いわけないに決まってる。せっかくメンタルモデルに憑依したんだから、一刻だって早くこの海を自由に動きまわりたかった。この世界を飽きるまで見て回りたい。原作のキャラクターたちと会って、どんな反応をするのか見てみたい。千早 群像やその仲間たちや、イオナやタカオと話もしてみたい。オレというイレギュラーによってこの世界がどんな変化をしていくのか知りたい。あんまり活躍できないだろうけど、イ401と一緒に戦闘にも参加してみたい。やってみたいことは数え切れない。

 だけど、オレにはどう頑張ってもこの艦を動かせない。自分に何かが足りていないことは漠然とわかるのに、欠落しているものが何なのかわからない。喉も渇かず、腹も減らず、眠くもならず、メンタルモデルになったオレは、長い時間を苦悶に駆られて漂っていた。その間ずっと、もどかしくて、悔しくて、星空を見上げながら涙を流し、自分の無力さをずっと嘆いていた。しょせん、自分はカッコ良く活躍する『主人公』じゃないんだと諦めていた。

 

 

 

「俺はここから絶対に動かない。お前が沈む時は俺も一緒だ」

 

 

 

 変な男が、変なことを言い出した。

 不思議な引力を持った声が全身の細胞(ナノマテリアル)を沸騰させる。枯れてしまっていた心の根っこがじんと熱を帯びて、自分の深いところで歯車が噛み合うような感覚を覚える。何を言おうとしているのかちっともわからないのに、次の台詞を心の底から待ち望んでいる自分がいる。

 男が静かに口を開く。周囲の雑音が急速に遠ざかり、その声だけが世界に響く。

 

 

 

「―――俺が、お前の艦長だからだ」

 

 

 

 金色の光が世界を満たした。

 胸の奥から溢れだした歓喜と快感と安堵が感情の津波となって理性(オレ)を押し流す。身体の中で火花が散る熱い感覚はきっと錯覚ではない。身体―――イ405の艦体内部で機関が始動したんだ。火を入れられた動力炉が暴力的なまでのエネルギーを燃え上がらせ、艦の細部(ゆびさき)にまで瞬時に行き渡らせる。欠けていたピースがピッタリと嵌まり、自分というパズルが完成した充足感に包まれる。

 

 

 

 

『―――ワたシノ艦長。ツイニ手に入レた。わタしを使ッテくれル人。私ノため二一緒に沈んデクれるヒト……』

 

 

 

 

 だけど、心躍る昂ぶりを味わえたのはほんの一瞬だった。自分が内側からめくれ上がり、別のナニカに取って代わられるような悍ましい感覚に襲われたのも束の間、冷たい大波に飲み込まれたオレの意識はあっという間に沖に流され、気付けば暗い水底(みなそこ)に引きずり込まれていた。

男が遠ざかっていく。引き締まった精悍な顔が、真っ直ぐにこちらを見詰める双眼が、オレを勇気づけてくれる力強い声が、この手が届かないところに離れていく。さっき出会ったばかりなのに、まるで肉親から引き離されてしまうような心細さに襲われて無我夢中で藻掻いた。もっと声を聞きたい、もっと触れて欲しいと心の底から叫ぶのに、気泡の粒になるばかりで声にならない。どんなに腕と足を振り乱しても抗えない常闇がオレを引きずり込んでいく。やっと見つけた宝物を目の前で取り上げられてしまう切なさと悔しさに胸を締め付けられる。

 

 ついに深海の圧力に屈して意識が断線する寸前―――なぜだかオレは、「犬の名前、聞いてみたかったな」とどうでもいいことを考えた。




アルペジオのアニメ、終わっちゃったね。あの様子じゃ二期は無さそうな予感。原作マンガに期待です。
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